二十九食目 優しい執事様は、ドッペルゲンガー(中)
「ただいま。今日は、私の学友を招待したの。絶品のディナーをお願いするわ。後、子猫が居るから、他の方々に迷惑にならない様に個室でお願い。」
「かしこまりました。では、お席へご案内致します。」
慣れた様に男性に言うと、飯塚は智里の手を取ったまま案内してくれている男性について行った。されるがまま席へ向かう智里は、キョロキョロと店内を見渡した。中世を思わせる壁紙が貼られ、シャンデリアの灯りは暖色系。ソファー席のテーブルとテーブルの間はカーテンで仕切れる様になっており、個別の空間が楽しめる様に配慮されている。綺麗なバラが各テーブルの中央に飾られ、その下に敷かれているテーブルクロスには白地に金の刺繍が入っていた。ただのカフェだと思っていたら、こんなにもこだわりが強い所だとは思いもせず、智里はずっと店内を見渡していた。
「あの、お嬢様……?」
声を掛けられ、漸く我に返った智里は、声を掛けてくれた男性へと顔を向けた。その時、智里は目を見開いた。目の前に居た男性は、自身の知っている人物と瓜二つだったからである。
「あ、えっ、い、樹さ……?」
何故、この様なカフェに居るのか。今日は、定時で上がれたから、マンションの自室で夕食を作っているのではないのか。何故、普段のスーツではなく、燕尾服を着ているのか。色々と聞きたい事が口から出そうになったが、慌てて口を塞いだ。落ち着け、落ち着け……と、心の中で唱え、一度顔を背けて深呼吸をした。そして、もう一度、声を掛けてくれた男性を見た。
「大丈夫ですか? お嬢様。」
「は、はい。大丈夫ですよ。」
声が若干上擦ってしまったが、何とか返事を返す事が出来た。落ち着いてよく見てみると、樹によく似てはいるが、所々少し違う。高鳴っていた心臓が漸く治まってきた所で、席へ着いた。すると、流れるかの様に、ナプキンが膝に掛けられた。
「では、ディナーの準備をして参りますので、少々お待ち下さい。」
「宜しくね。」
「お、お願いします……。」
丁寧にお辞儀をして、男性は奥へと消えた。なんだか、違う世界にでも来てしまったかの様な気がして、胸の奥がソワソワしていた。気を紛らわせ様と注がれていた水を飲むと、何時も飲んでいる白湯とは違い、どこかまろやかな感じがした。
「……あ、あの、飯塚さん。」
「ん? どうしたの、前田さん。」
「私、こういう所初めてで……。どうしよう、お金とか……。」
緊張のあまり上手く言葉が出てこない。しどろもどろになりながら言葉を紡いでいると、飯塚が身を乗り出して、智里の耳元で囁いた。
「大丈夫。執事喫茶って言っても、他にもお客さんが居るから常に執事さんが傍に付いてる訳じゃないし、ディナーって言っても、豪華な物が出てくる訳じゃないから。」
安心してと言われたが、やはり心配な物は心配で、「ぼったくられたらどうしよう」とか、「マナーがなってない」とか、色々と考えてしまい、ジットリとした嫌な汗が出てきた。悶々としていたら、直ぐ横に誰かが立つ気配を感じた。見上げてみると、先程の樹によく似ている執事がお盆を持って立っていた。そして、流れる様な手捌きで皿が置かれた。目の前に置かれた物に、張っていた気が緩んだ。
「こちら、本日のディナーは、春先という事で洋食薬膳となっております。春野菜と手羽先煮込みと、キャロットラペ、リオレでございます。」
先ず、目に入ったのは、色鮮やかな野菜。そして、優しい香りが鼻を擽り、凝り固まった頭を蕩けさせた。どんな味がするのか、どんな食材が使われているのか。そんなドキドキを感じさせながらも、樹が作ってくれる家庭的な料理と同じ様な、身体の芯からホッとさせてくれる、そんな第六感を刺激してくる料理だった。
「あ、あの、ラぺってなんですか? 後、リオレも……。」
「ラぺとは、フランス語で千切り、細切りを意味します。 キャロットラぺは、フランスの定番家庭料理のサラダとなります。そして、リオレとは、ライスプディングのフランスでの名称です。米をミルクで炊いて甘くした、フランスでは家庭的なデザートです。ヨーグルト、クレームブリュレ、ムースオショコラと同様にフランスのスーパーでは商品として並んでおり、フランス料理のデザートとして供される場合はリオレと呼ばれております。」
グラスに水を注ぎながら、樹によく似た執事は丁寧に答えてくれた。歓心しながらも、智里の頭の中では樹が説明してくれている様に変換される。
「――では、ごゆっくり、お食事をお楽しみ下さい。私は、お嬢様方のお邪魔にならない様、控えておりますので、御用がございましたらベルでお知らせ下さい。」
「分かったわ。」
「あ、ありがとうございます。」
子猫にも食事を持ってきてくれた後、丁寧に頭を下げて奥へと行ってしまった。少し名残惜しく感じたが、目の前に置かれている料理の優しい香りに、控え目ながらもお腹が鳴った。恥ずかしくなってお腹を直ぐに押さえると、飯塚が食べようと促してくれた。
「じゃあ、いただきます。」
「いただきます。」
手を合わせた後、ナイフとフォークを持った。いつもなら、手羽先料理を食べる時は、中骨があるので直接手で持って食べるのだが、店の雰囲気からして、そうはいかない。恐る恐るフォークで手羽先を刺してみると、手羽先は中の太骨と細骨が抜かれており、しっかり煮込まれているのか、ナイフを入れると簡単に切れた。ざく切りにされた春野菜と一緒にフォークに刺し、口の中へ入れた。
「ん、んんーっ。」
「春野菜シャキシャキッ。手羽先ホロホロッ。」
優しい味わいと、肉と野菜の食感の違いに、思わず高揚した。しっかりと噛み締めていると、野菜と肉の甘味も出てくる。重たくもないので、次から次へとフォークが進む。そして口直しにと、キャロットラペへフォークを進めた。千切りにされたニンジンと、散りばめられたレーズンとパセリが、目の保養になる。一口食べてみると、マスタードのピリリとした辛さとレモン汁の酸味がアクセントになって、口の中を爽やかにさせてくれた。
「美味しいっ。このラペ、少ないけどマスタードとかが胃を刺激してくれるから、どんどん食べたくなってくるっ。」
「ふふっ、この執事喫茶は薬膳料理を売りにしてるの。偏見かもしれないけど、東京ってファストフード店や高級なお店とか多いから、舌が肥えちゃってたり、油物で胃に負担が掛かって食欲が落ちてたりする人、ちょっと多いんだって。前に来た時、さっき給仕してた人に教えてもらっちゃった。」
得意気に話す飯塚に、進んでいた手が止まった。何故か胸がモヤモヤして変な感じがしだした。ただ、樹によく似ている人に教えてもらったと言うだけなのに。――その後も、胸のモヤモヤを抱えたまま、夕食を食べ終えた智里と飯塚は、会計を済ませる為、ベルを鳴らした。すると、直ぐ様、樹に似ている執事が駆け付けてくれた。
「如何なさいましたか、お嬢様。「お約束のお時間」には、まだお早い様ですが……。」
「あ、あの、そろそろお会計を……。」
「ああっ。そろそろ「お出掛け」のお時間でございましたかっ。では、フットマンの関が、ご用件をお伺い致します。」
そう言って、一旦執事は奥へ下がった。その後直ぐに、ピッチリと身なりを整えた二十代半ば位の男性が入れ替わりで智里達の席へ来た。そして、革張りの伝票ホルダーを置いた。飯塚は、それを流れる様に取ると、中にお金を挟んで男性に渡した。
「お嬢様方、本日のディナーは如何でしたでしょうか?」
「あ、お、美味しかったです……。」
「とても良かったわ。また、友人を連れて来ようと思うのだけど、良いかしら?」
「勿論でございます。莉緒お嬢様はご多忙でございますので、お友達とお過ごしになられて、気を休まれる時間が必要でございますから。」
「あら、ありがとう。」
まるで、小説にでも出てきそうな上流階級のお嬢様と執事のやり取りを目の当たりにしている気分だった。完全に空気と化していた智里は、携帯を出す事が禁止されている為、ボンヤリと目の前の光景を眺めるしかなかった。すると、踵を打ち鳴らす音が直ぐ側で止まった。見遣ると、智里のスプリングコートを持った樹が立っていた。智里は、何度か目をパチパチさせ、手を伸ばそうとした。
「い、つきさ……。」
「お嬢様、上着をお持ち致しました。」
ボンヤリとしていた所為で、完全に見間違えてしまった。そうだ。この人は、樹にそっくりなだけで、樹ではないのだ。頭の中で整理し、智里はコートを受け取った。
「……ありがとうございます。」
「いえ、とんでもございません。」
此処へ来てから二度も樹と間違えてしまい、何だか気恥ずかしくなり、ソファー席に置いていたキャリーケースに視線を落とした。すると、その視線に気付いた子猫が可愛らしく鳴いた。それを見て、少しだけ気持ちが晴れた。
「じゃあ、行きましょうか。前田さん。」
「あっ、はいっ。」




