探偵編5
探偵編終了回です。
隣国のスパイによる国家転覆の陰謀が去り、アルジェント公爵家に優雅なニート生活が戻ってきてから数日が過ぎた。
ポカポカと暖かい陽光が差し込む公爵邸のテラスで、私とリリアは最高級のダージリンティーと焼き菓子を楽しんでいた。
「ん〜っ! このバタークッキー、サクサクで美味しい! リリア、これもう一個食べていい?」
「はい、お姉様! 私、お腹いっぱいなのでどうぞ」
平和だ。実に平和なティータイムである。
……私たちのテーブルの上に、王宮のジュリアン殿下とエドワード殿下から届いた『極秘の諜報レポート』が、山のように積まれていなければの話だが。
「それで、お姉様。ジュリアン殿下からのお手紙には何て?」
「ええとね……」
私はクッキーを齧りながら、王太子直筆の物騒な手紙を読み上げた。
『隣国との和平交渉だが、どうも雲行きが怪しい。隣国では戦争推進派が実権を握り、国内は戦争一色に染まっているそうだ。戦争反対派は腰抜けと呼ばれ、密かに我がアルジェント公爵家を通じて王家への接触を求めてきている』
「戦争、ですか……? どうして急に」
「分からない。隣国からの親善使節団も急に仲裁に応じなくなって、教会側も困惑してるみたい」
現在、王都には教皇の息子であるサミュエルという青年が、教会側の名代として残っている。仲裁の要であった枢機卿は隣国の不穏な動きを探るために一度帰国したらしいが、サミュエルがいくら連絡を取ろうとしても、全く音信不通になっているというのだ。
「……隣国、絶対に何かおかしいわね」
私は腕を組み、前世で浴びるように見てきたホラーやミステリードラマの知識をフル回転させた。
「戦争の目的が不自然すぎる。普通、戦争って領土とか資源が目的でしょ? なのに、負け戦になるかもしれない状況で強引に開戦しようとするなんて。……もしかして」
「もしかして?」
「この間、悪魔が『人間の魂を触媒にして地獄の門を開く』って言ってたじゃない。戦争なんて、大量の人間の魂を手っ取り早く集めるための、一番都合のいい手段なんじゃない?」
私の何気ない、しかし背筋が凍るような推測に、リリアが「ひっ」と息を呑んだ。
だが、あくまで何の根拠もない推測だ。
「まあ、推測の域を出ないけどね。……あーあ、こういう時、あのポンコツ天使さんがいれば、空からパパッと見てきてもらうのに」
「――呼んだか、人間よ」
私がクッキーに手を伸ばしながら呟いた、その瞬間。
背後から、マリー姉ちゃんたちの着ている洗練された漆黒のメイド服とは少し違う、地味なメイドの姿をした人物がヌッと顔を出した。その瞳は神々しい金色に輝いている。
「ぶふぉっ!? て、天使さん!? なんで屋敷にいるのよ!」
「天界へ帰ったら、部隊長に『最近人間界がきな臭いから様子を見てこい』と言われてな。このメイドに事情を話して、少し体を間借りしている。今は彼女の意識も起きたままだ。この会話も普通に聞いているぞ」
なんと、今回は完全な合意の上でのルームシェア状態らしい。
私は驚きつつも、先ほど自分が立てた『戦争の真の目的』についての推測を天使に話して聞かせた。
すると、天使の表情がスッと真剣なものに変わった。
「……なるほど。悪魔の生態をよく理解した、非常に筋の通った推測だ。少し、探ってくるとしよう」
天使はそう言うと、小さく頷いた。
私が思わずパチンと瞬きをした、その一瞬。
バサァッ! という見えない巨大な羽音がテラスに響き渡り――私が目を開けた時、そこにはもう天使の姿は忽然と消え失せていたのだった。
*
その日の夜。
アルジェント家の豪華なダイニングで、お父様とセオドア兄様を交えて夕食をとっていた時のこと。
「ふぅ……中々に骨の折れる仕事だったぞ」
「お疲れ様。このローストビーフ、美味しいわよ。食べる?」
「うむ、頂こう」
……なぜか、メイドの姿の天使が、当たり前のように私たちの食卓の空き席に座り、お父様が切り分けたローストビーフをモグモグと食べていた。
神話の存在との気さくすぎるディナーに、お父様とセオドア兄様は完全に遠い目をしている。
「アイラ。お前の推測は完璧に的中していたぞ」
「やっぱり?」
「ああ。隣国の中枢は、すでに悪魔の巣窟と化していた。戦争推進派の正体は、高位悪魔に操られた人間たちだ。彼らは戦争を起こし、戦場で散った数万の魂を生贄にして、巨大な地獄の扉を開こうと企んでいた」
天使の報告に、食卓の空気が凍りつく。
「では、すぐに王宮騎士団を動かし、国境の防備を固めねば……!」
お父様が立ち上がろうとしたが、天使はフォークをヒラヒラと振って制止した。
「案ずるな。そのような大規模な魂の搾取を、我々天界が見過ごすはずがない。すでに私を含めた『天使の討伐部隊』が複数派遣され、隣国の中枢で悪魔どもを物理的に殲滅している最中だ」
……天使の討伐部隊による、物理的な殲滅。
あの規格外の強さを持つ天使が徒党を組んでカチコミをかけているのだ。隣国の悪魔たちは、今頃一方的な蹂躙劇に泣き叫んでいることだろう。
「悪魔の幹部が消えれば、洗脳されていた戦争推進派も正気を取り戻す。数日もすれば、隣国は元通り和平交渉のテーブルにつくだろうよ。……ごちそうさま、美味しい肉だった」
天使は満足げに口を拭い、あっさりと「戦争回避」という国家規模の朗報をもたらしたのだった。
*
隣国の脅威が天界の物理的介入によって(勝手に)解決した数日後。
近日中に王宮で夜会が開催されるという通達があり、私とリリアは、お父様とマリー姉ちゃんを伴って、王都の高級ブティックへドレスの発注と気分転換のお出かけに来ていた。
「お姉様、この水色のリボン、お姉様の銀髪にすごく似合います!」
「リリアこそ、そのピンクのフリルすっごく可愛いわよ!」
お買い物を満喫し、王都の大きな広場のオープンカフェで休憩していた時のことだ。
「――そこの銀髪の少女。少し、顔を見せなさい」
不意に、冷たく厳しい声が掛けられた。
振り返ると、純白の法衣に身を包んだ数人の男たちが、私たちを囲むように立っていた。胸には十字の聖印。間違いない、教会の人間……それも、異端を取り締まる『異端審問官』だ。
「お前からは、教義に反するおぞましい魔力……『魔女』の気配がする。神の御名において、同行してもらうぞ」
異端審問官の男が、私の腕を強引に掴もうと手を伸ばしてきた。
マリー姉ちゃんが即座に殺気を放ち、お父様が腰の剣に手を掛けようとした、まさにその瞬間。
「――私の協力者に、その汚い手で触れるな。人間」
広場の中央に、バサァッ!! と、目も眩むような白銀の光の翼が広がった。
現れたのは、見慣れた地味なメイドの姿。しかし、その瞳は神々しい金色に輝き、背後には巨大な光の翼を背負っていた。本来、肉体を持たない精神生命体である天使や悪魔は、この世界では光り輝く煙や黒い煙のようにしか見えない。だが今の彼女は、メイドの肉体を器とすることで、神話に描かれる『天使』の威容を完全な形で可視化させていたのだ。
「なっ……!? て、天使様……!?」
異端審問官たちが、あまりの神々しさと絶対的な威圧感に耐えきれず、広場の石畳にへたり込み、次々と土下座をしてひれ伏した。周囲の街の人々も、奇跡の光景に手を合わせて祈り始めている。
「神よ……! 奇跡だ、天使様が我らの前に……!」
「聞け、教会の者たちよ」
天使は、ひれ伏す審問官たちを見下ろし、広場全体に響き渡る厳かな声で宣言した。
「このアルジェント公爵家のアイラとリリアは、天界の意志を代行し、悪魔の陰謀を打ち砕いた『神聖なる協力者』である。彼女たちの力は私が保証する。今後、この者たちに『異端』などという言いがかりをつけることは、この私……いや、天界に対する重大な反逆とみなす!」
それは、神話の存在による完全無欠の『絶対神託』だった。
「ははぁーーっ!! 申し訳ございません! 決して、二度とあの方々に近づくような真似はいたしません!!」
異端審問官たちは涙と鼻水を流しながら、何度も何度も石畳に頭を擦りつけた。
……うん、これでもう、私がどんなにえげつない黒魔法を使おうと、教会から文句を言われることは一生ないだろう。最強のフリーパス獲得である。
「アイラ、リリア」
天使が私の前に降り立ち、少しだけ声を潜めて言った。
「隣国の件は片付いたが、どうやらここ数十年、世界中で高位悪魔が複数暗躍し始めているようだ。また妙な事件が起きたら、いつでも私を呼べ。このメイドの中にいない時は、ハーフであるセナに頼めば、私を喚ぶ儀式を教えてあるからな」
「了解。いつでも助っ人(物理)を頼むわね」
「ああ。また美味しい肉を用意しておいてくれ」
天使はニヤリと笑うと、再び白銀の光となって天へと昇っていった。
後に残されたのは、奇跡に涙する教会の人間たちと、神話の存在すらも「便利な助っ人と食事仲間」にしてしまった私たちの、さらに強固になった無敵の日常だけ。
「さあ、お父様、マリー姉ちゃん! 異端の嫌疑も晴れたことだし、安心してケーキのおかわりを食べに行きましょう!」
悪魔の陰謀も、教会の異端審問も、探偵令嬢の胃袋を満たす歩みを止めることはできない。
新たな波乱(と美食)の予感を孕みつつ、私たちの華麗なる日々は続いていくのだった。
天使の絶対神託により、異端審問の恐怖から解放され、最強のフリーパスを手に入れた私とリリア。
これで心置きなくニート令嬢生活を満喫できる……と、私は意気揚々とベッドで二度寝の準備をしていたのだが。
「アイラ様ー! リリア様ー! どうか、どうか我々に祝福を!」
「おお、神の使徒であられるアルジェントの双子姫よ! 教会へ、ぜひ我が教会へ足をお運びください!」
朝から、アルジェント公爵邸の門前が何やら非常に騒がしかった。
窓からこっそり覗いてみると、純白の法衣を着た教会の関係者たちが、屋敷の鉄柵にしがみついて涙ながらに祈りを捧げているではないか。
「……マリー姉ちゃん。あれ、何?」
「異端審問官の皆様をはじめとする、教会の上層部の方々ですね。あの日、天使様から直接『神聖なる協力者』とのお墨付きをいただいたことで、彼らの中でアイラお嬢様とリリアお嬢様は『生きた神の使徒』として、狂信的な崇拝の対象に昇格してしまったようです」
マリー姉ちゃんが、呆れたように紅茶を注ぎながら答えた。
異端の魔女扱いから一転、今度は神の使徒扱いか。確かに命の危険はないが、毎日あんな風に門前でお祈りされたり、教会への勧誘(という名の権力への取り込み)を迫られたりするのは、控えめに言ってものすごく面倒くさい。
「アイラ、リリア! 安心してろ、あのような狂信者ども、俺たち騎士団が武力で一人残らず叩き出してくれる!」
セオドア兄様が剣を抜き放ちながら部屋に入ってきた。
「ダメだよ、お兄様。相手は教会のお偉いさんたちでしょ? 痛めつけたら、今度は政治的に面倒なことになるじゃない」
「くっ……! 妹たちの平和な朝を脅かす害虫どもを、この手で斬り捨てられぬとは……!」
お兄様が悔しそうに壁を叩いていると、一人の使用人が部屋へ駆け込んできた。
「せ、セオドア様! 教会から、正式な名代として『サミュエル卿』が面会に訪れました! 門前の者たちを下がらせ、アイラ様とリリア様に直接お話をしたいと……!」
「教皇の息子、サミュエルだと?」
セオドア兄様が眉をひそめる。
サミュエル。先日、隣国の不穏な動きを報告してきたジュリアン殿下の手紙にも、その名前があった。枢機卿に代わって王都に残っている、教会側のトップだ。
「……いいわ。お偉いさんが直々に来たなら、話をつけてこの面倒な状況を終わらせましょ」
私はため息をつき、リリアと共に応接室へと向かった。
*
「いやー! 待たせたな! いやはや、うちの連中が毎朝毎朝、屋敷の周りで騒ぎを起こして本当に申し訳ない!」
応接室の扉が開くや否や、地響きのような大声と、豪快な笑い声が響き渡った。
現れたのは、教会の名代という肩書きから想像される「厳格な聖職者」とは真逆の存在だった。
身長は二メートル近くありそう。純白の最高級の法衣は、その下にある規格外に隆起した筋肉のせいで、彼が動くたびに布地が悲鳴を上げ、今にもはち切れそうにパツンパツンになっている。日に焼けた肌に、屈託のない真っ直ぐな笑顔を浮かべた、二十代半ばほどの爽やかなイケメン青年だ。
(……なんか、他の物語なら『すでに立派な大人になっていて、その孫や娘がヒロイン候補として登場しそうな、豪快な武人キャラ』そのものって感じだけど、まだ若いんだ)
私が内心で謎のメタ的な分析をしていると、彼はガハハと笑って、私の前のソファにどっかりと腰を下ろした(ソファが悲鳴を上げた)。
「あなたが、教皇の息子……サミュエル卿ですか?」
「ああ、そうだ! 親父(教皇)の代理で残ってるサミュエルだ! まあ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。俺はそういう政治のドロドロした腹の探り合いが、どうにも性に合わなくてな!」
「……えっと」
あまりの体育会系っぷりに、私とリリア、それに同席していたセオドア兄様も完全に毒気を抜かれていた。
サミュエルは、ドンッとテーブルの上に巨大な箱を置いた。
「これ、詫びの印だ! 王都で一番美味いって評判のケーキ屋の新作タルト! 君たち、甘いものが好きだって聞いたからな。食べながら聞いてくれ!」
「……話が分かる人ですね。マリー姉ちゃん、お茶お願い」
美味しいケーキを持参するなら、彼は敵ではない。
私が早速タルトを頬張り始めると、サミュエルは困ったように頭を掻いた。
「実を言うとな……天使様のお墨付きをもらってから、教会のジジイども……いや、上層部が『あの双子を教会の権威強化のために取り込め! 聖女として祀り上げろ!』ってうるさくてな。毎日門前にいた奴らも、何とか君たちとパイプを作りたくて必死なんだ」
「……つまり、サミュエルさんも私たちを教会に勧誘しに来たってことですか?」
「まさか! 俺はそんな面倒なこと御免だね!」
サミュエルは豪快に手を振って否定した。
「君たちが『神話の存在と協力して悪魔を討った』ってのは事実なんだろう? なら、俺たちのような普通の人間が下手に干渉して、君たちの機嫌を損ねる方がよっぽど危険だ。……俺はただ、あの狂信的な連中の手綱を握って、君たちの平和を守る代わりに、『教会への窓口』を俺一人に絞ってくれないか、と頼みに来たんだ」
要するに、「自分が教会側の防波堤になるから、たまにお茶でも飲んで『教会と仲良くしてますよ』というポーズだけ取らせてくれ」という、極めて実利的で合理的な提案だった。
「なるほど。サミュエルさんを通せば、あの門前の変なおじさんたちはもう来ないと?」
「俺が物理的……いや、責任を持って追い返そう!」
サミュエルが太い腕を叩いて保証する。
これなら私にとっても好都合だ。
「いいですよ、その条件で。サミュエルさん、すっごく話しやすいし」
「おお! 話が早くて助かる! うちの親父も頭が固くてな、君たちみたいな素直で可愛いお嬢さんたちを見てると、癒されるよ」
サミュエルは嬉しそうに目を細める。
「実は俺にも、君たちと同い年くらいになる、年の離れた可愛い妹がいてな! なかなかのじゃじゃ馬なんだが、今度王都に来た時は、ぜひ君たちと仲良くしてやってくれ!」
妹!
この豪快な筋肉青年、どうやら『いずれヒロイン候補になりそうな女の子の、過保護な兄』的な立ち位置のキャラクターだったらしい。確かに、こんな最強の筋肉と権力を持った身内がいれば、その妹もさぞかし無敵の令嬢に育っていることだろう。
「ふふ、もちろんです! 妹さん、お菓子は好きですか?」
「ああ! チョコレートには目がないぞ! はははっ!」
リリアが笑顔で応じると、応接室はすっかり和やかな空気になった。
セオドア兄様も、最初は警戒していたが、「裏表のない武人」であるサミュエルには好感を持ったようで、警戒を解いて頷いている。
*
「……なんだと? あの豪腕で知られるサミュエル卿を、たった一回のティータイムで手懐けただと!?」
その日の夜。
王宮で私の報告を受けたジュリアン殿下とエドワード殿下は、揃って驚愕の声を上げていた。
「ああ。サミュエル卿は、教皇の息子でありながら教会随一の武闘派。政治的な駆け引きを嫌う彼が、自ら防波堤になってくれるというのなら、教会からの干渉は完全にシャットアウトできるだろう」
ジュリアン殿下が、感心したように額を押さえる。
「しかし、アイラ嬢たちはお土産のケーキに釣られただけのような気も……」
「エドワード。結果がすべてだ。教会のトップすらも『ケーキとお茶の友』にしてしまう彼女の図太さ……やはり、私の妃に相応しい逸材だ」
王子たちが勝手に私の評価を天井知らずに上げているが、私はそんなことどうでもいい。
これでもう、異端審問も狂信者の勧誘も怖くない。
サミュエルさんという『最強の筋肉防波堤』を手に入れた私は、明日からの完全無欠なニート生活に向けて、静かに拳を握りしめるのだった。
サミュエルさんとの「ケーキ協定」が結ばれてから数日後。
王宮では、定期的に開かれる大規模な夜会が催されていた。
華やかな音楽と着飾った貴族たちが溢れる中、私とリリアはいつもの定位置――会場の隅にある長大なビュッフェコーナーを完全に占拠していた。
「ん〜っ! 今日のお肉は鴨肉のローストね! マリー姉ちゃん、特製ベリーソースを多めにかけて!」
「かしこまりました、アイラお嬢様。リリアお嬢様はこちらの魚介のマリネをどうぞ」
お父様とセオドア兄様が、遠巻きに私たちを囲む害虫(貴族の令息たち)を眼力で追い払ってくれているおかげで、私たちは心置きなく美食の海に溺れることができている。
「やあやあ、アルジェントの双子姫! 相変わらず見事な食べっぷりだな!」
不意に、背後から豪快な笑い声が響いた。
振り返ると、純白の最高級法衣を筋肉でパツンパツンに張らせた爽やかイケメン青年――教皇の息子であり、教会の名代であるサミュエルさんが立っていた。
「あ、サミュエルさん。こんばんは」
「おう! 俺が防波堤になってるおかげで、教会のジジイどもは大人しくしてるだろう?」
「ええ、とっても快適なニート生活を送れてます」
私がロースト肉を頬張りながら頷くと、サミュエルさんは「それは重畳!」とガハハと笑った。
しかし、今日のサミュエルさんは一人ではなかった。彼の大きな背中の後ろに、ちょこんと隠れるようにして、誰かが立っている。
「……サミュエルさん、後ろの人は?」
「ああ、こいつか。ほら、隠れてないで挨拶しろ」
サミュエルさんがヒョイと体をずらすと、そこから現れたのは、私たちとぴったり同い年(九歳)くらいの少女だった。
教国の人間らしく、眩いほどの金糸の髪に、宝石のように澄んだ碧眼。フリルがふんだんにあしらわれた純白のドレスを着た彼女は、まるで絵本から飛び出してきた『聖女様』のように可憐で美しい。
だが、サミュエルさんは盛大なため息をついて頭を抱えた。
「こないだ話した、俺の年の離れた妹だ。……このバカ妹、俺が王都に赴任する時、こっそり荷馬車の荷箱の中に隠れて密航してきやがったんだよ!」
「ええっ!? 荷馬車に隠れて!?」
リリアが驚いて目を丸くする。
王都まで何日もかかる道のりを、荷箱の中で耐え忍んで密入国してきたというのか。見た目の可憐さとは裏腹に、とんでもないじゃじゃ馬っぷりと行動力である。
「はじめまして! セリア・フォン・ルシエラです!」
少女――セリアは、悪びれる様子もなく、満面の笑みでふわりとカーテシー(淑女の挨拶)をして見せた。
「お兄様から、神話の悪魔を倒したすごい同い年の令嬢がいるって手紙をもらったから、どうしても会ってみたくて来ちゃいました! アイラ様、リリア様、仲良くしてください!」
好奇心で目をキラキラと輝かせ、ぐいぐいと距離を詰めてくるセリア。
王宮のドロドロした貴族令嬢たちとは違う、裏表のない真っ直ぐな瞳。リリアもすぐに打ち解け、「はい! 私はリリアです。こっちがお姉様のアイラです!」と嬉しそうに手を取った。
「セリアちゃん。王都の夜会は初めて? なら、まずはここの『幻の果物タルト』を食べてみて。ほっぺたが落ちるから!」
「わぁ、美味しそう! いただきます!」
私はすかさず、セリアの手にケーキの乗った小皿を持たせた。
同い年の女の子三人。私たちはすぐに意気投合し、ビュッフェのテーブルを囲んでワイワイとケーキやスイーツをつついた。
「ん〜っ! ほんとに美味しいです! 教国の堅苦しいお菓子とは全然違います!」
「でしょ? ここのお肉も絶品だから、どんどん食べてね」
サミュエルさんが「お前たち、あまり食い過ぎるなよ……」と呆れた顔で見守る中、私たちは次々と皿を空にしていく。
しかし、三つ目のケーキを平らげようとした時、セリアがふとフォークを止め、小さなため息をついた。
「……でも、女の子としては、夜にこんなに甘いものを食べ過ぎると、太っちゃうのが心配です。私、修道女の服がきつくなったらお父様(教皇)に怒られちゃいますし……」
セリアが少し羨ましそうに、私とリリアの姿を上下に見つめた。
「アイラ様もリリア様も、私よりもずっとたくさん食べているのに、どうしてそんなに細くて綺麗なんですか? 何か特別なダイエットの秘訣があるんですか?」
純粋な疑問。
確かに、これだけ尋常ではない量のカロリーを摂取していれば、普通ならあっという間に丸々と太ってしまうだろう。
私はフォークを置き、フッと口角を上げた。
「秘訣、あるわよ」
「えっ、本当ですか!?」
「お姉様! 私も知りたいです!」
セリアだけでなく、なぜかリリアまで身を乗り出してきた。お前は何も考えずに私についてきていただけか。
「あのね、人間がカロリーを一番消費するのって、運動じゃなくて『脳みそ』なのよ」
私は前世の知識を交えつつ、もったいぶって語り始めた。
「食べた後は、とにかく頭をたくさん使うの。例えば、難解な事件の推理をしたり、複雑な計算式を解いたりね。脳がフル回転すれば、ケーキ一つ分のカロリーなんてあっという間に燃え尽きるわ」
「頭を使う……」
「そして、もう一つ。これが一番大事なんだけど……」
私は自分の体を指差した。
「魔法よ。魔法を行使する時、魔力を使うでしょ? でも、みんな勘違いしてるの。魔力っていうのは、ただの精神力じゃない。体の中の『カロリー(熱量)』を変換して生み出すものなのよ!」
私の持論に、セリアだけでなく、後ろで聞いていたサミュエルさんも「なんだと?」と目を丸くした。
「特に、私たちみたいに強力な魔法や、精緻な魔力操作を行う場合、体内のカロリーが凄まじい勢いで燃焼されるの。だから、お腹いっぱい食べた後は、魔力が空っぽになるまでどんどん魔法を使って、頭もフル回転させる。そうすれば、どれだけ食べても絶対に太らないし、むしろお腹が空くのよ!」
――アイラ式・魔力カロリー変換ダイエット理論。
もちろん、普通の魔道士たちは「魔力は瞑想と素質で決まる」と信じているため、誰もこんな野蛮な(?)燃焼理論には気づいていない。だが、実際にチート級の魔法を連発している私が言うのだから、説得力は絶大だ。
「す、すごいです……! 目から鱗が落ちました!」
セリアが、尊敬と感動の入り混じった眼差しで私を見つめる。
「魔法に込める魔力が、カロリーを消費するなんて……! アイラ様は、ただの天才令嬢じゃなくて、魔法の真理にまで辿り着いていたんですね!」
「お姉様、すごいです! だから私たち、探偵のお仕事(魔法と推理)の後はあんなにお腹が空くのですね!」
リリアも完全に信じ込み、目をキラキラさせている。
「だからセリアちゃんも、甘いものを食べた後は、思いっきり魔法の練習をして、頭を使って遊べばいいのよ。そうすれば、いくら食べても罪悪感ゼロ!」
「はいっ! 私も教国に帰ったら、いっぱい食べて、いっぱい魔法の修行をします!」
セリアは嬉しそうに頷き、再びフォークを手に取ってケーキを頬張り始めた。
その素直で行動力のある姿を見て、私は確信した。この子、絶対に将来、教国を振り回す規格外の令嬢に育つわね、と。
「アイラ様、リリア様! 私、数年後にこの王国の『王立学園』に留学する予定なんです! お兄様に頼んで、絶対に同じ学園に入りますから!」
「本当!? やったぁ、お友達ができました!」
「もちろん大歓迎よ。学園に入ったら、また三人で美味しいものをたくさん食べに行きましょうね。カロリー消費の方法は、私がきっちり教えてあげるから」
私がニシシと笑って約束を交わすと、セリアも「はいっ!」と元気よく頷いた。
腹黒王太子、純情な第二王子、過保護な家族たち、そして新たに加わったじゃじゃ馬な教国の令嬢。
私たちを取り巻く世界は、神話の陰謀を乗り越え、いよいよ華やかで賑やかな『学園編』へと向けて、新たな出会いの扉を開いたのだった。
サミュエルさんの妹・セリアが密航してきてから数日後。
アルジェント公爵邸の広大な庭園に設けられたテラス席で、私とリリアは、すっかり入り浸るようになったセリアと共に、和やかなティータイムを楽しんでいた。
「わぁっ! この『クレープ』っていうお菓子、生地がもっちりしていて、中に生クリームとフルーツがたっぷり入ってて……最高です!」
「ふふん、でしょ? これも私の夢のレシピから料理長が再現してくれた自信作だからね」
ほっぺたを落とさんばかりに感動しているセリアに、私は得意げに胸を張った。カロリー消費魔法理論を知った彼女は、今や私に負けず劣らずの立派なスイーツファイター(胃袋的な意味で)へと成長しつつある。
「……お前ら、またそんなに甘いものを食って……。後でしっかり魔力消費の特訓に付き合わせるからな」
向かいの席で呆れたように紅茶を飲んでいるのは、セリアの保護者であり、教皇の息子であるサミュエルさんだ。彼は王都での教会の名代として忙しいはずなのに、妹の監視という名目でよく公爵邸に顔を出している。
もちろん、お父様とセオドア兄様も「得体の知れない教国の人間から妹たちを守る!」とばかりに、少し離れた場所で書類仕事をしながら目を光らせていた。
そんな平和な午後のひととき。
「――公爵閣下。神聖ルシエラ教国のバルバトス枢機卿が、お嬢様方に面会を求めておいでです」
執事長の声に、テラスの空気がピリッと引き締まった。
バルバトス枢機卿。先日、隣国が仕掛けた『静かなる戦争』の賠償交渉に介入してきた、あの白髪の老人だ。
その後、隣国の不穏な動きを探るために一度帰国し、悪魔の洗脳による戦争特化国家と化した隣国で音信不通になっていたはずだが。
「バルバトス様が!? 無事に戻られたんですね!」
サミュエルさんが立ち上がる。
お父様が顎でしゃくると、執事長に案内されて、純白の法衣に身を包んだバルバトス枢機卿がテラスへと姿を現した。
「……突然の訪問、平にご容赦願いたい」
以前、王宮の謁見の間で会った時のような、あの底知れぬ威圧感は鳴りを潜めていた。
どこかゲッソリと疲労した顔つきだが、その瞳には、私とリリアに対する強烈な『畏敬の念』が宿っていた。
「枢機卿殿。隣国で消息を絶ったと聞いていたが、無事だったようだな」
「はい、レオンハルト公爵閣下。……それもこれも、全てはそこにおられる『奇跡の代行者』たる双子のお嬢様方のおかげです」
枢機卿はそう言うと、私とリリアの前に進み出て、なんと深々と、地に頭がつくほどのお辞儀をしたのだ。
「えっ!? ちょっと、おじいちゃん、そんなに頭を下げないでよ!」
教国のトップ2とも言える大人物の平伏に、私は思わずクレープを落としそうになった。
「面を上げよ、枢機卿殿。……隣国で、何があった」
「……はい。私が隣国へ和平の説得に向かった際、あの中枢は既に、人間の皮を被った『悪魔』どもに完全に乗っ取られていました。私も囚われの身となり、開戦のための生贄にされようとしていたのです」
枢機卿は、震える声で当時の恐怖を振り返った。
「もはやこれまでと覚悟を決めた時……突如として、天から数多の『本物の天使様』が降臨なされたのです。天使様たちは圧倒的な御力で悪魔どもを瞬く間に浄化し、我々を救い出してくださいました。……その際、部隊長とおぼしき天使様が、こう仰ったのです」
枢機卿は、熱を帯びた瞳で私を真っ直ぐに見つめた。
『アルジェント公爵家の、銀髪の探偵令嬢からの急報がなければ、対応が遅れるところだった。あの娘たちに感謝するがいい』と。
「……あー、なるほど。天使さん、そんなこと言ってたんだ」
「おおお……! つまりアイラ様とリリア様が、天使様と直接言葉を交わし、世界を救う神託を下されたのですね! 教会において、これ以上の奇跡はございません!」
目をキラキラさせるセリアの横で、サミュエルさんが「お前たち、本当に天使をパシリ……ゲフンゲフン、使い魔みたいにしてるんだな」と引き攣った顔をしている。
「本当に、何と御礼を申し上げればよいか……。アイラ様、リリア様。我々教会の信徒一同、お二人の御恩は未来永劫忘れません」
「あ、はい。どういたしまして。でも、わざわざお礼を言うためだけに来たわけじゃないですよね?」
私が核心を突くと、枢機卿は居住まいを正し、真剣な表情になった。
「……お見通しの通りです。アイラ様。実は、お二人に一つ、どうしてもお願いしたい儀がございます」
「お願い?」
「はい。今回の隣国の一件で、我々人間がいかに悪魔の力の前で無力か、痛感いたしました。教会には長年蓄積された対悪魔の結界術や祓魔の儀式がありますが、高位の悪魔相手には時間稼ぎにしかなりません。……もし今後、教会が悪魔絡みの重大な事件を察知し、我々の手に余る事態となった場合」
枢機卿は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「現在、人間界において唯一、天使様と直接連絡を取る手段をお持ちのアイラ様とリリア様に、教会の『緊急ホットライン(連絡窓口)』となっていただきたいのです」
「緊急ホットライン?」
「はい。通常の教会への対応や窓口は、これまで通りサミュエル様にお願いいたします。しかし、サミュエル様が不在の時や、一刻を争う緊急事態には、教会の特使が直接お嬢様方の元へ伺い、助けを……『天使様への救援要請』を頼み込めるようにしていただきたいのです」
要するに、「教会で手に負えない悪魔が出たら、アイラちゃん経由で天使様を呼んで物理でボコボコにしてもらいたい」という、超実利的なお願いだった。
「……なるほどね」
私は顎に手を当てた。
天使を呼ぶ儀式自体は、ハーフであるセナに聞けばいつでもできる。でも、わざわざ教会の下請けみたいなことをして、厄介事に首を突っ込むのは面倒くさい。
お父様とセオドア兄様も、「我が家の令嬢を教会のパシリに使う気か!」と背後で殺気を放ち始めている。
「……お断り、と言いたいところだけど」
私は、ニシシと悪戯っぽく笑い、空になったクレープのお皿をコンと叩いた。
「別に、天使さんに連絡してあげるくらいなら、やってもいいですよ。……ただし!」
「た、ただし?」
「私が連絡窓口になるっていうことは、それなりの『手数料』をもらうってことですよ。教会のお偉いさんが頼みに来る緊急事態なんでしょ? なら、教国にしかない最高級の特産スイーツとか、王都じゃ手に入らないような珍しいお茶菓子を、毎回山盛りで持参してください。話を聞くのは、それを食べてからです」
私の「ブレない買収条件」を聞いた瞬間、お父様とセオドア兄様はズッコケて、サミュエルさんは腹を抱えて大笑いし始めた。
「ぶわっははははっ! さすがアイラ嬢! 神聖な奇跡の代行を、お菓子の対価で引き受けるとは! うちの親父(教皇)が聞いたら卒倒するぜ!」
「いいじゃないですか、お兄様! 私、お使いのついでに教国の美味しいお菓子をアイラ様たちにお届けできるなら、特使に立候補します!」
セリアまで嬉しそうに飛び跳ねている。
「す、スイーツの持参……! そ、それで天界の救済が得られるのであれば、安いものです! すぐに教国のパティシエを総動員し、最高品質の献上品を準備するよう手配いたします!」
枢機卿は、私の図太すぎる要求にあっさりと頷き、安堵の涙を流して深く拝命した。
「よし、交渉成立ね。これで私のおやつリストに、教国の絶品スイーツが恒久的に追加されたってわけだ。リリア、やったね!」
「はい、お姉様! 私、教国のチョコレートが食べてみたいです!」
異端審問の恐怖から一転、教会のお偉いさんすらも「お菓子のデリバリー業者」にしてしまった私。
悪魔の陰謀は恐ろしいが、美味しいご飯とケーキが保証されているのなら、天使という名の助っ人を呼ぶくらい安い御用だ。
公爵家と教国を結ぶ『甘くて強力なホットライン』が構築され、私たちの無敵のグルメ・ネットワークは、また一つ盤石なものとなったのだった。
バルバトス枢機卿が教会の『緊急ホットライン』を開設して帰っていった日の午後。
アルジェント公爵邸の広大な訓練場では、私、リリア、そして教国の令嬢セリアの九歳トリオが、汗を流しながら猛烈な特訓に励んでいた。
「はぁっ! 【黒炎の呪弾】!」
「合わせます! 【浄化の光】!」
「えいっ! 【神聖なる光球】!」
訓練場に設置された頑丈な魔導標的に向かって、三色の魔法が次々と撃ち込まれる。
一見すると真面目な魔法の修行風景だが、私たちの目的はただ一つ。
「ふぅ……! 今ので、さっき食べたクレープ三人前とフルーツタルトのカロリーは消費しきったわね!」
「はい、お姉様! なんだかお腹が空いてきました!」
「私もです! 魔法って、本当にカロリーを使うんですね!」
そう、これは『食べたおやつのカロリーを消費するためのダイエット特訓』である。
私の提唱した「魔力にカロリーを乗せて燃焼させる」というトンデモ理論を完全に信じ込んだセリアは、教国の堅苦しい祈りの作法を放り投げ、私たちと一緒にガンガン魔法を撃ちまくる武闘派スタイルへと変貌しつつあった。
「よし、カロリーも消費したし、マリー姉ちゃんにおやつのおかわりを……」
私が杖を下ろし、額の汗を拭った、その時だった。
『ピコンッ♪』
突如として、私の脳内に軽快な電子音が鳴り響いた。
隣にいたリリアも「あっ」と声を上げる。
「お姉様、またあの音が……!」
「ええ。カロリーを限界まで燃やして魔力を使ったから、熟練度が上がったのね」
私たちの目の前の空間に、半透明の青いシステムウィンドウがポップアップした。以前、王宮の宝物庫で現れたのと同じ、あのゲームのような画面だ。
【 アイラ:パッシブスキル『暴食の代償』解放 】
黒魔法の代償を、摂取したカロリーで完全に代替可能になります。食べれば食べるほど魔力上限がアップします。
【 リリア:新スキル『真実の眼』解放 】
隠蔽された魔力や結界、隠し扉などを視覚的に捉えることが可能になります。
「うおおっ! ついに『食べれば食べるほど強くなる』っていう、私にとって都合の良すぎるチートスキルが出た!」
「お姉様、私、なんだか周りの景色がもっとハッキリ見えるようになりました! あそこにある訓練用の隠し落とし穴も、赤く光って見えます!」
私とリリアが新しいスキルの説明を読みながらキャッキャと喜んでいると。
「あ、あの……アイラ様、リリア様」
私たちの後ろで、セリアが震える声で話しかけてきた。
振り返ると、セリアは私たちの目の前の『何もない空間』――システムウィンドウが表示されている場所を、食い入るように見つめているではないか。
(あれ? このウィンドウって、私とリリアにしか見えないはずじゃ……)
以前、ジュリアン殿下やセオドア兄様には全く見えていなかったはずだ。
しかし、セリアの碧い瞳は、明らかに空中に浮かぶ光の文字を捉え、感動でウルウルと潤んでいた。
「お、お二人の目の前に、神々しい光の文字が浮かんでいます……! 教国の古文書でしか読んだことのないような現象です! もしかしてこれ、天使様からの『神の啓示』ですか!?」
セリアは両手を胸の前で組み、キラキラとした尊敬の眼差しを私たちに向けてきた。
まあ、古の魔法使いのシステムだから、教国の彼女から見れば「神の啓示」みたいなものかもしれない。私が「まあ、そんなとこかな」と適当に頷こうとした、その瞬間。
『ピコンッ♪』
「ひゃっ!?」
今度は、セリア自身がビクッと肩を跳ねさせた。
そして、目を丸くして自分の目の前の空間を見つめる。
「アイラ様、リリア様……! わ、私にも、光の文字が出ました!」
「えっ、セリアちゃんにも!?」
私とリリアがセリアの目の前に回り込んで覗き込むと、そこには確かに、私たちと同じ青いシステムウィンドウが浮かび上がっていた。
【 条件クリア:白と黒の魔力共鳴を一定値以上観測しました 】
【 セリア・フォン・ルシエラ:『白魔法使い遺伝子』が活性化しました 】
【 白魔法(回復・防護結界・聖域構築)がアンロックされました。チュートリアルを開始します 】
「…………は?」
私は思わず、素っ頓狂な声を漏らした。
白魔法使い遺伝子の活性化。
セリアは教皇の娘であり、元々教国の血筋として高い神聖魔力の素質を持っていたのだろう。それが、私たち(完全に覚醒した古の魔法使い)と一緒に行動し、カロリー消費という極限まで魔力を酷使する特訓を繰り返したことで、共鳴して『覚醒』してしまったのだ。
「し、白魔法がアンロック……!? チュートリアル……!?」
セリアの脳内にも、あの無機質なアナウンスが流れ始めたらしい。
彼女の全身から、先ほどまでの教国式の祈りの魔法とは次元が違う、純白で神々しい光がぶわっと溢れ出した。
それは、教国において『聖女』と呼ばれる存在のみが放つことのできる、最高位の奇跡の光だった。
「アイラ様、リリア様! 私の頭の中に、すごい魔法の使い方がいっぱい流れ込んできます! 私、なんだかすごい力が出せそうです!」
「セリアちゃん、おめでとうございます! セリアちゃんも私たちと同じ力が使えるようになったんですね!」
リリアが自分のことのように喜び、セリアの手を取ってぴょんぴょんと跳ねる。
「はいっ! リリア先輩! 私、白魔法のことはまだ全然分かりません! どうか、私にこの力の使い方を教えてください!」
「えっ、私が先輩ですか? えへへ……任せてください! じゃあ、まずは基礎の『浄化の光』を、あっちの端から端まで広げる特訓をしましょう! カロリーもすごく消費しますよ!」
「はいっ、リリア先輩! やります!」
すっかり意気投合したリリアとセリアは、キラキラとした笑顔で、凄まじい威力の白魔法を次々と訓練場に放ち始めた。
「【浄化の光】! えーいっ!」
「ドガァァァァンッ!!」
「わぁっ、すごいです先輩! じゃあ私も! 【聖域構築】!」
「ズドドドォォォンッ!!」
……浄化の光って、あんなに物理的な破壊音を立てる魔法だったっけ?
リリアの無自覚なスパルタ(脳筋)指導により、教皇の娘である可憐なセリアは、立派な『物理消費型・武闘派聖女』としての道を歩み始めていた。
「おーい、お前たち! 訓練場が消し飛ぶぞ!!」
「おい!? 教国の神聖な祈りの魔法は、そんな爆発音しねえぞ!?」
騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたセオドア兄様とサミュエルさんが、訓練場の惨状を見て白目を剥いている。
「おいアイラ! 俺の可愛い妹から、とんでもない神聖魔力と物理破壊の気配がするんだが!? 教国に何百年に一人しか現れないっていう『本物の聖女』になっちまったのか!?」
「あはは、サミュエルさん、おめでとうございます。これで教国の権威も安泰ですね。……カロリーの消費量は増えちゃいましたけど」
私がクッキーを齧りながら答えると、サミュエルさんは頭を抱えて崩れ落ちた。
黒魔法で敵を炙り出し(そして食べることで強くなる)私。
白魔法で真実を見通す、無自覚スパルタ先輩のリリア。
そして、共鳴によって覚醒した、教国のじゃじゃ馬聖女・セリア。
数年後、私たちが王立学園に入学した時。
この『無敵の同い年トリオ』がどれほどの騒動を巻き起こし、王都の悪党たちを震え上がらせることになるのか。……その未来の片鱗は、すでにこの公爵家の訓練場で、確かな(そして凄まじい)産声を上げていたのだった。
隣国との戦争危機が回避されてから数週間。
王都には、ようやく本当の平和が訪れていた。
私たちアルジェント公爵家は、数々の事件解決の慰労会という名目で、王宮の広大な空中庭園を貸し切りにして盛大なお茶会を開いていた。
「ん〜っ! さすが王宮のパティシエさん、この三段重ねのパンケーキ、ふわっふわで最高!」
「お姉様、こちらのフルーツポンチも絶品ですよ!」
「私、教国に帰る前に王都のスイーツを全部制覇しちゃいそうです!」
私、リリア、そして教国のじゃじゃ馬聖女・セリアの九歳トリオは、大きなテーブルを囲んでスイーツの山を幸せそうに崩していた。
しかし、今日のティータイムが普段と違うのは、私たちの周りに集まっている面々の『濃さ』だ。
「アイラ、口元にクリームがついているぞ。……ふっ、相変わらず君の食べっぷりは見ていて飽きないな」
優雅に私の口元をハンカチで拭ってくれるのは、腹黒王太子のジュリアン殿下(十六歳)。
その隣では、セオドア兄様(十六歳)が「殿下! 気安く俺の妹に触らないでいただきたい!」とギリギリと歯軋りをしている。
さらにテーブルの向かいには、生真面目な第二王子のエドワード殿下(十三歳)、堅物騎士見習いのカイル(十五歳)、そしてヒビの入った眼鏡を新調した生意気な天才魔道士のリュカ(十五歳)が座っている。
極め付けは、ドカッと大きなソファーを占領して肉の塊を齧っている、教会の名代である筋肉お兄さん・サミュエル(二十代半ば)だ。
これまでの事件で巻き込んだ(あるいは巻き込まれた)顔ぶれが勢揃いした、何ともカオスな空間である。
「そういえば、セリアちゃんはあと数年したら、この国の『王立学園』に留学してくるんだよね?」
「はいっ! お父様(教皇)にお願いして、絶対にアイラ様たちと同じ年に入学させてもらいます!」
私が尋ねると、セリアは目を輝かせて頷いた。
王立学園。それは、この国の貴族の令息・令嬢たちが十五歳から通う、最高峰の教育機関だ。
「学園、かぁ。私たちも数年後には通うことになるんだよね。……ねえ、みんな。学園って、どんなところなの?」
私が何気なく、現在学園に在籍している(あるいは卒業した)男性陣に話を振った。
これが、間違いの始まりだった。
「学園か。懐かしいな!」
最初に口を開いたのは、唯一の卒業生であるサミュエルだった。
「俺の頃は、入学初日に『誰が一番強いか』を証明するために、裏庭で上級生と素手で殴り合ったもんだ! 拳と拳で語り合い、血と汗の果てに真の友情が芽生える……まさに『男の修練場』だったぜ!」
「……えっ。学園って、そういう野蛮なところなんですか?」
セリアがドン引きして身を引く。
「いやいや、サミュエル卿の時代(というか教国の留学生)が特殊だっただけだ」
ジュリアン殿下が苦笑しながら否定し、優雅に紅茶を啜った。
「王立学園の真の姿は、社交界の縮図だ。誰が有能な手駒になるか、誰が敵対派閥の弱みを握っているか……毎日のティーパーティや裏の工作を通じて、己の権力基盤を盤石にするための『美しい戦場』だよ」
「……」
私たちは無言になった。それはそれで、すごく嫌な場所である。
「殿下、それは王族の視点すぎます。アイラ、学園というのは『害虫駆除の最前線』だぞ」
セオドア兄様が、真剣な顔で身を乗り出してきた。
「全国から血気盛んな貴族の男どもが集まるのだ。お前やリリアのような可憐な妹たちが狙われないよう、俺が事前に学園中の男子生徒を物理的に威圧し、半径五メートル以内に近づけない『絶対防衛線』を構築するから安心しろ!」
「お兄様、私が学園でボッチになっちゃうからやめて」
私は冷静にツッコミを入れた。
「ふん、君たちは魔法の神髄が分かっていないな」
リュカが眼鏡を押し上げ、フッと鼻で笑った。
「学園とは、僕のような百年に一人の天才が、凡人どもにその圧倒的な才能を見せつけ、絶望と称賛を浴びるための『独壇場』だ。アイラ、君たちも入学した暁には、僕の取り巻きにしてやってもいいぞ」
「いらない」
「即答か!」
そして最後は、カイルだ。
「皆さんの認識は偏りすぎています! 学園とは、国の未来を背負う者たちが規律を重んじ、文武両道に励む神聖な場です! 毎朝のランニング五キロ、その後の素振り千回……アイラ嬢たちも、入学前にはしっかり体力をつけておくべきですぞ!」
カイルが熱弁を振るうが、もはや完全な脳筋発言にしか聞こえなかった。
「…………」
私、リリア、セリアの三人は、顔を見合わせた。
「……ねえ、リリア、セリアちゃん。私、学園に行くのやめようかな」
「私も、ちょっと怖くなってきました……」
「教国のお祈りの時間の方が、まだ平和かもしれません……」
すっかり学園に対する夢と希望を打ち砕かれ、私たちがどんよりと沈み込んでいると。
「ま、待ってください! みんな極端すぎます!」
慌ててフォローに入ったのは、この中で唯一の良識派(?)、第二王子のエドワード殿下だった。
「アイラ嬢、リリア嬢、セリア嬢! 学園は決してそんな恐ろしいだけの場所ではありません! 専門的な魔法や歴史の授業はとても面白いですし、中庭の美しい花壇でお茶を飲んだり、気の合う友人たちと他愛のないおしゃべりを楽しんだり……ごく普通の、楽しい学生生活もちゃんとありますから!」
エドワード殿下が必死に弁明する。
その言葉に、リリアが少しだけ顔を輝かせた。
「普通の楽しい生活も、あるんですね?」
「あ、ああ! もちろんだ! リリア嬢が入学した暁には、私が責任を持って、一番景色の良い中庭の東屋を案内しよう!」
「わぁ、ありがとうございます、エドワード殿下!」
エドワード殿下が顔を赤くしながら約束を交わしている。
しかし、私のテンションはまだ上がらない。
「うーん……でもなぁ。毎日ランニングさせられて、権力闘争に巻き込まれるなんて、やっぱり面倒くさそう……」
私がフォークをいじりながらボヤいていると、ジュリアン殿下がクスリと悪戯っぽく笑い、私の耳元に顔を寄せた。
「アイラ。王立学園の『学生食堂』の料理長は、かつて王宮で私の専属シェフの右腕を務めていた男だぞ。……もし君が入学するなら、彼に命じて、君たち専用の『究極の特別裏メニュー』を毎日用意させようじゃないか」
「!」
その瞬間、私の頭の中で、学園に対するすべてのマイナスイメージが吹き飛んだ。
「王宮レベルの特別メニューが、毎日……ッ!?」
「ああ。授業をサボろうが、派閥争いを無視しようが構わない。君の胃袋は、学園にいても私が完全に保証してやろう」
ジュリアン殿下が、まるで悪魔の契約を交わすように囁く。
「……行きます!! 私、絶対に王立学園に入学します!!」
「お姉様!? 急にやる気になりましたね!?」
「当たり前よ、リリア! 学園は最高の『美食の楽園』になることが今確定したのよ! 今から胃袋の特訓をしておかなくちゃ!」
私の華麗なる手のひら返しに、セオドア兄様やリュカたちは呆れ果てて肩を落とし、ジュリアン殿下だけが「くくっ、やはりちょろいな」と満足げに笑っていた。
腹黒王太子、純情な第二王子、過保護なシスコン兄、真面目すぎる騎士見習い、生意気な天才魔道士、そして筋肉の聖職者。
これほど個性的で規格外な面々に囲まれながら、私とリリア、そしてセリアの『同い年トリオ』は、数年後の学園生活に向けて、新たな(食の)期待に胸を膨らませていた。
スラムの偽物令嬢から始まり、数々の神話スケールの陰謀を物理と食欲で薙ぎ払ってきた探偵姉妹。
私たちの華麗なるドタバタ劇は、舞台を『王立学園』へと移し、さらに美味しく、さらにカオスに続いていくのだろう。
楽しんで頂けたでしょうか?
これから悪魔沢山出ますよーとか天使も出ますよーという感じにしています。
世界観設定欲しいですかね?
次は学園編に一気に飛びます。




