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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
探偵編

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8/74

戦争の影に悪魔あり、悪魔の噂に天使あり

魔法師団の出番が無くなったので改稿版を少し引用して繋ぎました。

ある日、アイラたちは、王宮の空中庭園に居た。


レオンハルトの公務について来ただけなのだが、ついでに王宮でランチを済ませ、公爵邸へ帰る馬車を待っていた。


「お姉様、あの赤いお花、とっても綺麗ですね!」


「そうだね。でも私は、あっちの木になってる木苺の方が気になるかな。あれ、絶対甘いよ」


アイラが木苺の茂みを物欲しそうに眺めていると、その茂みの向こう側で、ガサガサと不自然な音が聞こえた。


「ん?」


アイラが覗き込んでみると、そこには上質な刺繍が施された服を着た金髪の少年――第二王子のエドワードがいた。


彼は四つん這いになり、顔を泥だらけにしながら、必死に茂みの根元を掻き分けて何かを探している。


「……ない。どこにもない。確かにさっきまでポケットに入っていたはずなのに……!」


エドワードは青ざめた顔でぶつぶつと呟き、ひどく焦っているようだった。


「ねえ、エドワード殿下。こんなところで何探してるの?」


「ひゃっ⁉」


アイラが声をかけると、エドワードはビクッと肩を震わせて振り返った。


「あ、アイラ嬢にリリア嬢か……! い、いや、見なかったことにしてくれ。これは私の不注意で、誰かに知られるわけには……」


エドワードは慌てて立ち上がり、顔の泥を拭いながら誤魔化すように取り繕おうとした。しかし、その強張った表情を見たリリアが、心配そうに彼に歩み寄った。


「あの……すごく大切なものを無くされたんですよね? 私たちでよろしければ、お手伝いしますよ!」


「えっ? いや、しかし君たちに迷惑をかけるわけには……」


エドワードが躊躇していると、アイラは近くのベンチにどっかりと腰を下ろした。


「遠慮しなくていいのに。殿下も知ってるでしょ? リリアは探し物の天才、私たちは無敵の探偵バディなんだから」


「……探偵バディ」


エドワードはアイラとリリアを交互に見比べ、やがて観念したように深く、長いため息をついた。


「……分かった。君たちの規格外な探偵能力には、私も一目置いているからな。どうか力を貸してほしい」


エドワードは真剣な眼差しで二人を見つめた。


「実は、私が探しているのは、隣国から親善の証として贈られた太陽の琥珀という貴重な宝石なんだ。今日の夜の晩餐会で兄上が身につける予定のものを、私が一時的に預かっていたのだが……庭園を散歩している間に、いつの間にかポケットから消えていて……」


「ただの落とし物ならいい。だが、もし他派閥の貴族にすり取られでもしていたら、兄上の顔に泥を塗るだけでなく、私自身の王族としての管理責任が問われる。それは、何としても避けなければならないんだ……!」


エドワードは、優秀な兄を心から尊敬し、支えようとしているらしい。だからこそ、自分のミスで兄の足を引っ張ることを極端に恐れているのだ。


「事情は分かりました。エドワード殿下、その琥珀がどんな形か、色か、詳しく教えていただけますか?」


リリアが真剣な瞳で尋ねると、エドワードは少し戸惑いながらも、琥珀の大きさや細かな装飾の意匠を説明した。リリアは目を閉じ、銀のペンを両手で握りしめる。


「……見つけ出して。白い探知【ホワイト・サーチ】!」


リリアの体から淡い純白の光が溢れ、銀のペンが意思を持ったように空中で震え出した。


その神々しい魔法の発動を目の当たりにし、エドワードはおお……。と息を呑んで目を見開いた。


「……見えました。殿下、あちらです! 噴水の裏側にある、古い石像の足元!」


「なっ、そこは私が通っていない場所だぞ⁉」


「泥棒さんが落としたか、隠したのかもしれません。行きましょう!」


リリアがエドワードの手を引き、駆け出していく。


アイラはベンチに座ったまま、マリーがこっそり持たせてくれた焼き菓子を齧りながら、のんきに声をかけた。


「いってらっしゃーい。リリア、終わったら呼んでね」


「はい、お姉様!」


アイラのマイペースっぷりにエドワードは一瞬唖然としていたが、すぐにリリアに引かれるまま噴水の方へと走っていった。


「……ここですね」


リリアとエドワードは、噴水の裏にある苔生した石像の前に辿り着いた。


リリアが石像の足元の草を掻き分けると、そこには見事に太陽の琥珀が落ちて……いや、意図的に隠されていた。


「あった……! 間違いない、本物だ!」


エドワードが歓喜の声を上げ、琥珀を大切そうに拾い上げる。


しかし、リリアは琥珀が隠されていた場所の土を見て、わずかに眉をひそめた。


「殿下。これ、ただ落としたわけじゃありません。誰かが意図的に土の中に半分埋めて、後で回収しようとしていた跡です」


「なんだと?」


「そして、この琥珀には……微かですが、香水の匂いが残っています。甘くて、少しツンとする、薔薇の香水です」


リリアは、ダウジングで研ぎ澄まされた感覚を使い、犯人の痕跡を正確に読み取っていた。


エドワードの顔色がサッと変わる。


「……薔薇の香水。心当たりがある。すれ違いざまに私にぶつかってきた、他派閥の小間使いだ……!」


エドワードは、自分が単なる不注意で落としたのではなく、悪意を持った何者かに盗まれていたことを理解した。


もしリリアがいなければ、彼はこの広い庭園を一生這いずり回り、最後には絶望と共に失脚の危機を迎えていたはずだ。


「リリア嬢。……君は、本当にすごいな」


エドワードは、泥だらけの顔で、しかし心からの敬意と感謝を込めてリリアを見た。


「君のおかげで、私は兄上に顔向けできる。アルジェントの探偵バディの噂……いや、それ以上の素晴らしい能力だ。本当に、ありがとう」


第二王子からの真っ直ぐな感謝の言葉に、リリアはパッと顔を輝かせ、花が咲くような笑顔を見せた。


「えへへ、お役に立ててよかったです! これで、エドワード殿下も安心ですね!」


その屈託のない無邪気な笑顔。


裏表のない純粋な優しさに触れ、権力闘争が渦巻く王宮で気を張り詰めていたエドワードの胸の奥で、トクリと小さな音が鳴った。


「……あ、ああ。そうだな……」


エドワードは少し顔を赤くして視線を逸らし、琥珀をしっかりとポケットにしまった。


リリア・アルジェント。なんて、真っ直ぐで不思議な令嬢なんだと、エドワードは思った。


「おーい、リリア! 見つかったー? お迎えの馬車が来たわよー!」


遠くから、のんきな声でお菓子を齧りながら手を振るアイラの声が聞こえてくる。


「はい、お姉様! 今行きます! ……それではエドワード殿下、さようなら!」


リリアは元気よく手を振り、アイラの元へと走っていった。


エドワードは、その小さな背中が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。


王位継承争いを嫌い、いずれ臣籍降下を望んでいる彼にとって、利害関係なく自分を助けてくれたリリアとの出会いは、ひどく鮮烈で、温かい記憶として刻み込まれたのだった。


その日の夜。


王宮の最も大きな大広間にて、隣国の親善大使を招いた盛大な晩餐会が開催されていた。


シャンデリアの眩い光が降り注ぐ中、色とりどりのドレスを着飾った貴族たちが談笑している。


もちろん、この国で最も力を持つアルジェント公爵家の令嬢として、アイラとリリアも美しく着飾って参加していた。


……といっても、アイラの興味はもっぱら、会場の壁際にズラリと並べられた豪華なビュッフェ料理にのみ注がれていたのだけれど。


「ん〜っ! さすが王宮の晩餐会、ローストビーフの分厚さが違う! こっちのサーモンのテリーヌも絶品!」


「お姉様、ほっぺたにおソースがついてますよ」


アイラが夢中で皿に料理を盛り付けていると、リリアが優しくハンカチでアイラの頬を拭ってくれた。


その後ろでは、セオドアが、我が妹たちが会場のどの令嬢よりも輝いている……! とシスコン全開で頷きながら、彼女たちに近づく害虫を凄まじい眼力で威嚇して追い払っていた。


「あ、アイラお姉様。見てください」


リリアが不意に、会場の正面――一段高くなっている王族の席を指差した。


そこには、完璧な愛想笑いを浮かべた王太子ジュリアンと、その一歩後ろに控える第二王子のエドワードの姿があった。


ジュリアンの胸元には、昼間にエドワードが必死に探していた隣国からの親善の証、太陽の琥珀が誇らしげに輝いている。


隣国の使節団もそれを見て満足そうに頷き、晩餐会は和やかな雰囲気で進行していた。


エドワード殿下は無事にお兄さんに渡せたのねと、アイラは安心した。


アイラたちが遠くから見守っていると、視線に気づいたエドワードがこちらを向き、リリアに向かって小さく、しかし心からの感謝を込めた微笑みを向け、会釈をしてきた。


リリアもパッと顔を輝かせて、可愛らしく会釈を返す。


「ふふふ。なんだかエドワード殿下、リリアのことばっかり見てない?」


「えっ? そ、そんなことありませんよ!」


リリアが照れて顔を赤くしていると。


突然、彼女の表情がスッと引き締まり、小さな鼻をヒクッと動かした。


「……お姉様。この匂い」


「匂い?」


「はい。昼間、庭園で琥珀が埋められていた場所からした匂いと同じです。……甘くて、少しツンとする薔薇の香水の匂いが、すぐ近くからします」


リリアの言葉に、アイラは持っていたフォークをピタリと止めた。


昼間、エドワードのポケットから琥珀をすり取り、泥の中に隠した犯人の匂い。


エドワードを陥れ、ジュリアンに恥をかかせようとした他派閥の人間が、この晩餐会の会場に潜り込んでいるのだ。


アイラは気配を消し、視線だけを動かして周囲を探った。


「リリア。匂いはどっちから?」


「あそこです。……給仕用の扉の近くにいる、銀色のトレイを持った男の人」


リリアの視線の先には、王宮の給仕の服を着た小柄な男がいた。


彼は周囲を警戒するようにキョロキョロと見回しながら、ジュリアンたちが座る王族の席へ運ばれる予定のワインボトルが置かれたテーブルへと近づいていく。


「……あれ、絶対に何か企んでるわね」


琥珀を隠す計画が失敗したなら、次の手に出るはずだ。


アイラはセオドアの袖をクイッと引いた。


「お兄様。ちょっとお仕事の時間です。あの給仕の男の人を、騒ぎを起こさずに捕まえられますか?」


「給仕? ……なるほど、目線が異常に泳いでいるな。任せておけ」


セオドアは一切の気配を殺し、影のように群衆に紛れて給仕の背後へと回り込んだ。


男が懐から小さな小瓶を取り出し、王族用のワインボトルに何かを混入させようとした――まさにその瞬間。


セオドアの大きな手が男の腕を背後からガシッと掴み、男の口を塞ぎながら、音もなく給仕用の裏扉の向こうへと引きずり込んだのだ。


「ナイス、お兄様! リリア、私たちも行くよ!」


アイラとリリアも、誰にも気づかれないように裏扉の奥、人気のない配膳室へと滑り込んだ。


そこでは、セオドアに床に押さえつけられた給仕が、恐怖に目をひん剥いてガタガタと震えていた。


「ひぃっ⁉ わ、私はただの給仕で……!」


「嘘おっしゃい。その薔薇の香水、昼間にエドワード殿下の琥珀を盗んだ時に使っていたものと同じでしょ」


アイラが突きつけると、男はヒッと息を呑んだ。


「お兄様、この人がワインに入れようとしていた小瓶、見せてください」


セオドアが男から取り上げた小瓶には、無色透明の液体が入っていた。


「……無色透明。毒、でしょうか?」


「うーん、リリア、これの過去を見てみて。これに触った人物の目的が分かるかもしれない」


「はい! 物体の記憶【オブジェクト・メモリー】!」


リリアが小瓶に触れると、彼女の脳裏に映像が流れ込んできた。少しして、リリアが目を開け、青ざめた顔で報告する。


「お姉様、これは毒じゃありません。……魔石の輝きを失わせる、特殊な溶解薬です! これをワインに混ぜてジュリアン殿下に零して琥珀にかけるつもりだったんだと思います」


なるほどと、アイラは納得した。もし晩餐会の最中、隣国の使節団の目の前で、親善の証である太陽の琥珀が突然濁って輝きを失ったらどうなるか。


王太子ジュリアンの管理責任が問われるだけでなく、隣国への重大な侮辱と受け取られかねない。


第一王子派の失脚を狙い、第二王子派を担ぎ上げようとする者たちの、陰湿な嫌がらせだ。


「……第二王子派の強硬派の仕業か。エドワード殿下本人は臣籍降下を望み、ジュリアン殿下を心から尊敬しているというのに。周りの大人が勝手に暴走して、殿下たちを苦しめているんだな」


セオドアが、吐き捨てるように言った。派閥争いの道具にされる王族たちも、楽じゃない。


「さて、どうしましょうか。この男を騎士団に突き出してもいいけど、それじゃあ裏で糸を引いてる貴族は給仕が勝手にやった事だと逃げちゃうわよね」


「ええ。決定的な証拠がないと、トカゲの尻尾切りに終わります」


アイラが顎に手を当てて考えていると。


「――なら、その証拠とやらを、私が見せてもらおうか」


配膳室の扉が開き、そこには腕を組んだ王太子ジュリアンと、その後ろで驚いた顔をしているエドワードの姿があった。


アイラたちの不審な動きに気づいて、こっそり後を追ってきたらしい。


「ジュリアン殿下! エドワード殿下!」


「アイラ。またしても君たちに助けられたようだな。……この男が、昼間にエドワードから琥珀を盗み、今また私のワインに薬を入れようとした犯人というわけか」


「はい。でも、後ろ盾の貴族を暴く証拠がなくて」


私が肩をすくめると、ジュリアンは冷酷な笑みを浮かべ、男を見下ろした。


「心配いらない。お前たちがこの男を『現行犯』で捕まえてくれただけで十分だ。……これに自白剤を使えば、裏で糸を引いている第二王子派の強硬派の首魁など、一晩で炙り出せるからな」


ジュリアンの言葉に、捕まっている男が絶望の声を上げて気を失った。


相変わらず、この王太子の政治力と容赦のなさはえげつない。


「リリア嬢。アイラ嬢。……本当に、何から何まで君たちには助けられてばかりだ。ありがとう」


エドワードが、深く頭を下げた。


自分のせいで兄に迷惑がかかることを恐れていた彼にとって、私たちが事前に罠を潰してくれたことは、どれほど救いだっただろうか。


「えへへ、気にしないでください! 私たち、探偵バディですから!」


リリアが胸を張って満面の笑みを見せると、エドワードはまたしても顔を赤くして目を逸らした。


……うんうん、青春だねぇ。


「さて、事件も未然に防げたことだし。私はビュッフェの続きに戻っていいですか? まだローストビーフのおかわりが途中なんですよ」


「ふっ……あはははっ! 相変わらず君は、王宮の陰謀より自分の胃袋が大事なんだな!」


ジュリアンが腹を抱えて笑い出す。


「いいだろう、好きなだけ食べるがいい。後で王宮の厨房から、君たちのご家族用にお土産のスイーツも包ませよう」


「言質とりました! マリー姉ちゃんたちも喜ぶわ!」


こうして、王宮の晩餐会に仕掛けられた陰湿な罠は、探偵バディの機転と食欲によって、誰にも知られることなく未然に粉砕された。


第二王子派の強硬派を一掃する口実を得たジュリアンと、兄の役に立てたエドワード。


そして、美味しい料理を限界まで堪能した私。


全員が(犯人以外)幸せになれる、最高に美味しい事件解決の夜だった。


王宮の晩餐会が無事に(そして私のお腹もパンパンに)終了した翌日。


私とリリア、そしてお父様とセオドア兄様は、再び王太子ジュリアンの私室に招かれていた。


テーブルの上には、昨夜の約束通り、王宮の国宝級シェフが腕によりをかけた特注のスイーツセットが所狭しと並べられている。


「ん〜っ! この薔薇の香りのマカロン、外はサクッとしてるのに中はとろける! 最高!」


「お姉様、こちらのフルーツタルトも絶品ですよ!」


私とリリアが幸せの絶頂に浸っている向かいの席で、ジュリアン殿下は優雅に紅茶を啜りながら、どこか険しい表情を浮かべていた。


「……昨夜捕らえた給仕だが、自白剤を使わずとも洗いざらい吐いたよ。アイラの言う通り、裏で糸を引いていたのは第二王子派の強硬派の貴族だった」


「それじゃあ、その貴族を捕まえて一件落着、ですか?」


私がタルトを頬張りながら尋ねると、ジュリアン殿下は静かに首を横に振った。


「いや。事態はもう少し複雑で、そして厄介だ。……その強硬派の貴族に、例の『魔石の溶解薬』を渡し、計画をそそのかした黒幕がいる」


「黒幕、ですか」


お父様が鋭い声で問う。


「ああ。給仕の証言によれば、その黒幕は『サイフリート王国の商人』を名乗っていたそうだ」


サイフリート王国。


その言葉が出た瞬間、応接室の空気がピリッと張り詰めた。セオドア兄様の目が細められる。


「先日、王都の地下で結界を破壊しようとしていた工作員たちの本国……。なるほど、ただの派閥争いではないということか」


「その通りだ。もし昨夜、親善の証である『太陽の琥珀』が溶かされ、輝きを失っていたらどうなるか。……サイフリート王国はそれを『我が国への重大な侮辱』とし、開戦の正当な口実にしていただろう」


ジュリアンの言葉に、私はフォークを止めた。


派閥争いを利用して、両国の間に戦争の火種を落とそうとするサイフリート王国の陰謀。


先日地下で魔力増幅器を粉砕された彼らは、まだ王都を諦めていなかったのだ。


「……親善使節団の中に、スパイが紛れ込んでいるということですか」


「おそらくはな。使節団の滞在期間はあと一週間。その間に、奴らは必ず次の手を打ってくるはずだ。王家の面子にかけて、これ以上の横暴は許さん」


ジュリアン殿下はそこまで言うと、不意に表情を和らげ、熱を帯びた緑の瞳で私を見つめた。


「だからこそ、アイラ。君のその恐るべき探偵の力と、悪魔的な頭脳が再び必要になる。……どうだ、このまま私の専属の『妃』として、王宮に迎え入れられる気はないか?」


またしても飛び出した、腹黒王太子からのド直球なプロポーズ(兼スカウト)。


背後でお父様とセオドア兄様が「貴様ぁぁっ! 隙あらば我が娘(妹)を……!」と激怒して立ち上がりかけているが、私は平然と紅茶を一口飲んだ。


「お断りします。王太子妃なんて面倒くさそうですし、私は公爵邸の平和な食卓が一番好きなので」


「即答か。君の胃袋を完全に掌握したと思ったのだがな……まだまだ甘かったようだ。しかし、貴族の令嬢である以上、いずれはどこかの家に嫁ぐことになるだろう。その時、王家の扉は常に君のために開いていると思ってほしい」


「……まあ、一生美味しいご飯が保証されるなら、悪くない選択肢だとは思いますけどね。万が一私が行き遅れそうになったら、記憶の片隅から引っ張り出して検討してあげます。でも、今は探偵としての『依頼』だけで十分ですよ。もちろん、成功報酬は前回の三倍のフルコースでお願いしますね」


私がニシシと笑うと、ジュリアン殿下は楽しそうに肩を揺らして笑った。


「いいだろう。君という手札がある限り、サイフリート王国のスパイなど恐るるに足らん。……最高の舞台と報酬を用意して待っているぞ、私の愛しき探偵令嬢」


甘い言葉と、それに負けないくらい甘いスイーツ。


ジュリアン殿下との密談(?)は、こうして美味しく幕を閉じたのだった。



一方、私たちが密談をしている間。


王宮の美しい空中庭園では、もう一つの静かな時間が流れていた。


「……リリア嬢」


色とりどりの花が咲き乱れる庭園で、第二王子のエドワードが、少し緊張した面持ちでリリアに声をかけた。


リリアは振り返り、花が咲くような愛らしい笑顔を向けた。


「あ、エドワード殿下! 昨日はお疲れ様でした。琥珀、無事に守れてよかったです!」


「ああ。君とアイラ嬢のおかげだ。本当に……何から何まで、君たちには助けられてばかりだな」


エドワードは自嘲気味に笑った。


優秀なジュリアンを尊敬し、いずれ臣籍降下して兄を支えたいと願う彼にとって、自分を神輿に担ぎ上げようとする強硬派の存在は、ずっと重荷だったのだ。


しかし、リリアは真っ直ぐな青玉の瞳でエドワードを見つめ返した。


「そんなことありません! エドワード殿下は、ご自身の保身よりも、お兄様であるジュリアン殿下のお顔に泥を塗ることを何より恐れていらっしゃいました。その真っ直ぐで優しいお心は、とっても素敵だと思います!」


打算も何もない、純粋な称賛の言葉。


王宮の権力闘争の中で生きてきたエドワードにとって、リリアのその裏表のない優しさは、眩しすぎるほどに美しかった。


「……リリア嬢」


エドワードは少し顔を赤くしながら、背中に隠していた手をそっと前に出した。


彼の手には、庭園で一輪だけ咲いていた、美しい純白の百合の花が握られていた。


「昨日の、お礼だ。君のその……白雪のような髪に、とてもよく似合うと思って」


「わぁ……! ありがとうございます、殿下! とってもいい匂いです!」


リリアが嬉しそうに百合の花を受け取り、胸に抱く。


その無邪気な笑顔を前に、エドワードの胸の奥で、再びトクリと大きな音が鳴った。


(ああ……私は、この令嬢の笑顔を、ずっと守っていきたい)


王位継承権争いを嫌悪していた第二王子の心に、初めて「誰かのために力を持ちたい」という、淡くも力強い決意の火が灯った瞬間だった。



「おーい、リリア! 打ち合わせ終わったよー! 帰ろー!」


庭園の入り口から、お腹いっぱいで上機嫌なアイラの声が響く。


「はい、お姉様! 今行きます! ……それではエドワード殿下、また!」


「あ、ああ。気をつけて帰るんだぞ」


リリアが手を振りながら走り去っていくのを、エドワードは愛おしそうに見送っていた。


その直後。


「見送ってきたか、エドワード」


背後からかけられた声に振り返ると、そこにはいつの間にかジュリアンが立っていた。


エドワードは慌てて姿勢を正す。


「兄上……。はい、無事に馬車までお見送りいたしました」


「隠さなくてもいい。あの純真で真っ直ぐな令嬢に惹かれているのだろう?」


「なっ……! そ、そのような……!」


顔を真っ赤にする弟を見て、ジュリアンは優しく微笑んだ。


「エドワード。お前が次期国王として私を後押ししてくれていることは、痛いほど分かっている。……リリア嬢は、身分的にも能力的にも、お前の隣に立つに申し分ない。もしお前が彼女を射止め、新たに『公爵家』を立ち上げて私を支えてくれるというのなら……私は全力で、お前の恋路をサポートしよう。兄として、次期国王としてもな」


ジュリアンの力強い言葉に、エドワードは言葉を失い、やがて真剣な表情になって深く頭を下げた。


「……兄上。もったいなきお言葉です。ならば、いつか彼女の隣に立つにふさわしい男となれるよう、より一層の精進を重ねます」


「うむ、期待しているぞ」


弟の頼もしい返答に頷きつつ、ジュリアンはアルジェント公爵邸がある方角へと視線を向け、面白そうに口角を上げた。


「さて……エドワードがリリア嬢を娶るなら、私も負けてはいられないな」


「兄上も、アイラ嬢を……?」


「ああ。あの悪魔的な頭脳と、権力になびかない図太さ。だが何より……あの予測不能な令嬢から目が離せなくなっている自分がいる。とはいえ、警戒心の強い父親と兄という巨大な壁もあるからな」


ジュリアンは、アイラとのやり取りを思い出してクスリと笑った。


「まずは外堀を少しずつ埋めていこう、ゆっくりと。……権力になびかないのなら、彼女が飛びつく『美味しいエサ(依頼)』を投げ与え、じわじわと王宮に絡め捕っていくとしよう」


王宮に渦巻く陰謀と、サイフリート王国が仕掛ける見えない罠。


探偵バディの次なる標的は、使節団に紛れ込んだ冷酷なスパイだ。


しかし、どんな巨大な闇が立ちはだかろうとも――美味しいご飯への執念(姉)と純粋な正義感(妹)、そして彼女たちを背後で溺愛(と包囲)する男たちがいる限り、負ける気は微塵もしないのだった。


ジュリアン殿下との密談から数日後。


王宮の最深部、厳重な結界が張られた国王の執務室には、この国の頂点に立つ三人の男たちが集っていた。


「――なるほど。サイフリート王国のスパイが、我が国の腐敗した貴族たちと結託し、内側から国を食い破ろうとしているということか」


玉座に深く腰掛け、重々しく頷いたのは、威厳に満ちた初老の男――この国の国王陛下だ。


その御前には、第一王子ジュリアンと、第二王子エドワードが恭しく頭を下げていた。


「はい、父上。マリス伯爵の件はその氷山の一角にすぎません。奴らは親善使節団に紛れ込み、次なる破壊工作の準備を進めているはずです」


「嘆かわしいことだ。自らの権力欲のために、サイフリート王国に国を売り渡そうとする愚か者がまだこれほど潜んでいるとはな」


国王は深くため息をついた。


社交界の者たちは、この国が「第一王子派」「第二王子派」「国王派」の三つに分かれ、激しい権力闘争を行っていると思い込んでいる。


しかし、それは大きな間違いだ。


聡明なる国王を筆頭に、ジュリアンとエドワードの王族三人は、裏では完全に団結した『一枚岩』なのである。


彼らが密かに対立しているのは、己の利益しか考えない腐敗貴族たち――すなわち、国を食い物にしようとする『貴族派』そのものだった。


「父上、兄上。……スパイと通じている裏切り者を炙り出すため、私に一つ提案があります」


エドワードが、決意を秘めたエメラルドの瞳を上げた。


「これより、私が『野心に目覚め、兄上を追い落として王太子の座を狙おうとしている』という小芝居を打ちます。私が父上の傍に張り付き、あえて兄上を冷遇する態度をとれば……私を神輿に担ぎ上げて甘い汁を吸おうとする輩が、必ずすり寄ってくるはずです」


それは、自らが囮となって毒蛇の巣に飛び込むような危険な作戦だった。


「エドワード……お前に泥を被せ、危険な真似をさせることになるが、よいのか?」


「構いません。兄上と父上、そして……大切な人を、私が守れる力になるのならば」


エドワードの脳裏に、真っ直ぐな青玉の瞳を持つ、純白の令嬢の笑顔が浮かぶ。


もう、ただ兄の影に隠れて庇われるだけの弟ではいたくない。彼女の隣に立つにふさわしい男になるため、エドワードは自ら修羅場へと足を踏み入れる覚悟を決めていた。


「……頼もしい息子たちだ。よかろう、エドワード。お前の覚悟、見事に見届けよう」


国王は鷹揚に頷き、そしてジュリアンへと視線を向けた。


「ジュリアン。エドワードが炙り出した裏切り者たちを確実に屠るための『牙』の準備はできているな?」


「はい、父上。我が王家が誇る、最高にして最凶の『探偵バディ』が、すでに牙を研いで待機しております。……少々、燃費のかかる牙ではありますがね」


ジュリアンが面白そうに口角を上げるのを見て、国王もまた、全てを察したように豪快に笑った。


王族三人による、国を挙げた『華麗なる茶番劇』の幕が上がった瞬間だった。


「あははっ、釣れる釣れる。エドワード殿下、なかなか堂に入った演技じゃない」


王宮の美しい空中庭園。


その一角に設けられた、一般の貴族は決して入れない『特等席ガゼボ』のソファーで、私は優雅に紅茶を啜りながら目の前の光景を見下ろしていた。


もちろん、テーブルの上には王宮パティシエ特製の三段アフタヌーンティーセットが輝いている。ジュリアン殿下が、私たちの『潜入捜査(見物)』のために用意してくれたものだ。


「お姉様……エドワード殿下、なんだか無理して怖い顔を作ってて……少し痛々しいです」


隣でマカロンを齧りながら、リリアが心配そうに眉を下げている。


彼女の視線の先――庭園の中央では、多くの貴族たちが集まる中、国王陛下に付き従うエドワード殿下が、わざとらしくジュリアン殿下から顔を背け、冷たい視線を送るという『不仲アピール』の小芝居を繰り広げていた。


すると、待ってましたとばかりに、腹に一物ありそうな恰幅の良い貴族たちが、次々とエドワード殿下の元へすり寄っていくのが見える。


『エドワード殿下。ジュリアン殿下の横暴、目に余りますな。我々が殿下のお力になりますぞ』

『ええ。サイフリート王国の使節団にも、私から殿下の素晴らしさをお伝えしておきました』

口々に甘言を弄する貴族たちを、エドワード殿下は内心の嫌悪を完璧に隠し、涼しい顔で適当にあしらっている。


「心配しなくていいわよ、リリア。あの子羊のフリをした役者さんの後ろには、極悪非道な腹黒お兄ちゃんと、百戦錬磨の国王陛下……そして、私たち探偵バディがついてるんだから」


エドワードが自ら撒いた餌に、腐敗貴族とサイフリート王国のスパイが群がってくる。


私たちの仕事は、そのすり寄ってきた連中の『匂い』や『痕跡』から、確実にサイフリート王国と通じている決定的な黒幕ターゲットを絞り込むことだ。


「……あっ」


不意に、リリアの鼻がピクッと動いた。


「お姉様。あの、エドワード殿下にすり寄った、一番恰幅のいい赤い服の貴族の人……」


「ん? どうしたの?」


「ここからでも分かります。あの人から……この前、スイーツ店で工作員を捕まえた時に嗅いだのと同じ、『サイフリート王国特有の香料』の匂いがします」


リリアの【物探しの能力】は、匂いや気配といった微細な痕跡を正確に捉える。


私は目を細め、その赤い服の貴族――エドワード殿下に最も親しげに話しかけている男を凝視した。


「ビンゴね。あの男が今回のメインターゲット、サイフリート王国のスパイと通じる一番の売国奴ってわけだ」


ジュリアン殿下とエドワード殿下の作戦通り、囮にまんまと食いついた特大のネズミ。


あとは、私たちがそのネズミの周辺から、決定的な証拠を物理的に(魔法で)引っこ抜いてやるだけだ。


「よし、リリア。ターゲットは絞れたわ。あの赤い服の貴族の屋敷か、持ち物から、スパイとの繋がりを示す決定的な『証拠』をダウジングで炙り出すわよ!」


「はいっ、お姉様!」


私は最後のタルトを一口で頬張り、立ち上がった。


王族が命懸けで張り巡らせた罠。それに報い、最高のフルコースを心置きなく楽しむためにも、探偵姉妹は容赦なくスパイ狩りへと乗り出すのだった。


空中庭園の特等席から、リリアのダウジングによってターゲット(赤い服の貴族)を絞り込んだ私たち。


その日の夕方、私たちは再びジュリアン殿下の私室に集まり、作戦会議を開いていた。


「……なるほど。あの赤い服の男、ベルン子爵からサイフリート王国特有の香料の匂いがしたと」


ジュリアン殿下が、顎に手を当てて目を細める。


「ベルン子爵は、中立派を装いながら裏で様々な貴族と繋がっている男だ。彼がスパイの仲介役だとすれば辻褄が合う。……よくやった、アイラ、リリア」


「えへへ、でも匂いだけじゃ証拠にならないですよね。お姉様、どうやってあの子爵のお屋敷を調べましょうか?」


リリアが首を傾げると、お父様とセオドア兄様が「よし、今夜にでも暗部を総動員して子爵邸をひっくり返そう!」と物騒なことを言い始めた。


私はため息をつき、お茶請けのクッキーをかじりながら首を横に振った。


「ダメよ、お父様たち。相手は警戒してるスパイの仲介役。迂闊に屋敷を探って証拠がなかったら、警戒されて尻尾を隠されちゃうわ」


「うむ、アイラの言う通りだ。確実な証拠を押さえるには、奴らが『決定的な行動』を起こす瞬間を狙うしかない。……だが、それには少々時間がかかるな」


ジュリアン殿下が険しい顔をする。


時間をかければ、それだけエドワード殿下が囮として危険に晒される時間が長くなる。


そこで、私はある『名案(悪だくみ)』を思いついた。


「ねえ。連中の行動を加速させて、焦ってボロを出すように仕向ければいいんじゃない?」


「ほう? どうやってだ?」


「リリアを、エドワード殿下の『エスコート相手(隣)』として盤面の中心に送り込むのよ」


私の提案に、応接室の空気がピタリと止まった。


「なっ……アイラ!? 妹をあのような毒蛇どもの中心に送り込むだと!?」


セオドア兄様が血相を変えて立ち上がるが、私は冷静に説明を続けた。


「考えてもみてよ。今の社交界で、アルジェント公爵家の力は絶大。でも、私みたいな素性も怪しい『後から来た姉』じゃなくて、生まれた時から公爵家で大事に育てられてきた『本物の令嬢リリア』がエドワード殿下と親しくなったら、周りの貴族はどう思う?」


「……『アルジェント公爵家は、第二王子派についた』と錯覚する、か!」


ジュリアン殿下がハッとして立ち上がった。


「その通りだ。公爵家が味方についたとなれば、エドワードを神輿に担ぎ上げようとしている貴族派やスパイたちは『今が最大の好機』だと焦り、計画を前倒しにするはずだ!」


「それに、もう一つメリットがあるわ」


私はリリアの肩をポンと叩いた。


「遠くから見てるだけじゃ匂いしか分からなかったけど、リリアがエドワード殿下のすぐ隣……つまり、すり寄ってくる貴族たちの中心にいれば、至近距離で高精度のダウジングができる。会話の端々や持ち物から、直接『証拠の在り処』を引っこ抜けるわ」


政治的なブラフと、至近距離からの物理探知。


理にかなった完璧な一石二鳥の作戦だ。


ジュリアン殿下も「素晴らしい盤面のひっくり返し方だ」と絶賛している。


しかし。


「……私は、反対だ」


ずっと黙って話を聞いていたエドワード殿下が、拳を強く握りしめ、青ざめた顔で立ち上がった。


「エドワード殿下?」


「リリア嬢を、私の隣に置くことには賛成できない。あの連中は、目的のためなら手段を選ばない卑劣な輩だ! 自分の囮役のために、リリア嬢をあのような危険に晒すなど……絶対にダメだ!」


エドワード殿下は、本気でリリアを心配し、身を挺して反対してくれていた。


彼にとって、リリアはただの協力者ではない。


打算だらけの王宮で、唯一裏表のない優しさを向けてくれた、守るべき大切な令嬢なのだ。


その必死な姿に、お父様と兄様も「殿下のおっしゃる通りだ」と頷きかけている。


だが。


誰よりも守られている当の本人――リリアが、真っ直ぐな青玉の瞳でエドワード殿下を見つめ返した。


「エドワード殿下。……私、殿下の隣に立ちたいです」


凛とした、しかし温かい声だった。


エドワード殿下がハッと息を呑む。


「リリア嬢、しかし……!」


「殿下は、いつもお兄様(ジュリアン殿下)や王国の平和のために、ご自身を犠牲にしてばかりです。……そんな殿下が危険な囮になっているのに、私だけ安全な場所から見ているなんて、絶対に嫌です」


リリアは一歩前に出て、エドワード殿下の震える手を、両手でそっと包み込んだ。


「それに、お忘れですか? 私とお姉様は、無敵の探偵バディなんですよ? 殿下の隣で、私が悪いスパイの証拠を全部見つけ出してみせますから……どうか、私を殿下のお力にしてください!」


純白の百合のように可憐で、けれど決して折れない芯の強さを持った微笑み。


その真っ直ぐな想いを真っ向から浴びせられ、エドワード殿下の顔が、みるみるうちに林檎のように真っ赤に染まっていった。


「あ、ぅ……っ、リリア嬢……そ、そこまで言ってくれるのなら……」


完全にノックアウトされたエドワード殿下。


私は後ろで「青春だねぇ」とニヤニヤしながら紅茶を啜り、ジュリアン殿下も「我が弟ながら、見事な絆(陥落)だな」と面白そうに肩を揺らしていた。


お父様と兄様だけは「えっ? あれ? リリアが殿下と手を握って……えっ?」と蚊帳の外で大混乱しているが、気にしないでおこう。


その日、私たちは、『アルジェント公爵家のリリア公爵令嬢が、エドワード殿下にエスコートされ夜会へ参加する』という噂を流した。



翌日の夜。


王宮で開催された小規模な夜会。


その会場の扉が開いた瞬間、集まっていた貴族たちの間に、どよめきとざわめきが広がった。


「見ろ、エドワード殿下だ。……隣にいるのは」


「アルジェント公爵家の、本物のご令嬢ではないか!」


美しい群青のドレスに身を包み、エドワード殿下にエスコートされて入場してきたリリア。


二人が親しげに微笑み合いながら会場の中央へと進む姿は、誰の目にも「アルジェント公爵家が第二王子派の後ろ盾に回った」という強烈なメッセージとして映った。


(ふふふ、計画通り。さあ、焦ったネズミどもが群がってくるわよ)

私は会場の隅のビュッフェコーナーで、山盛りのローストビーフを確保しながら、その様子を特等席で見守っていた。


案の定、昨日のターゲットであったベルン子爵をはじめとする怪しい貴族たちが、色めき立ってエドワード殿下とリリアの元へと殺到していく。


「エドワード殿下! そしてリリアお嬢様! 実にお似合いのお二人ですな!」


「ええ、まさに次代の王国を背負って立つにふさわしいお姿……!」


媚びへつらう貴族たちの中心で。


エドワード殿下がリリアを庇うように立ち回る中、リリアは扇子で口元を隠し、誰にも気づかれないようにそっと目を閉じた。


(お姉様、任せてください。この距離なら……!)

盤面の中心、毒蛇たちの巣のど真ん中。


純白の探偵令嬢の、至近距離からの容赦ない【白魔法ダウジング】が、今まさに火を噴こうとしていた。


「エドワード殿下! 殿下が次期国王となられた暁には、我がベルン領の特産品を優先的に王宮へ……」


「いえいえ、我が派閥こそが殿下の最も力強い後ろ盾に……!」


口々に媚びを売る貴族たちの中心で。


エドワード殿下の腕にそっと手を添えているリリアは、扇子で口元を隠し、誰にも気づかれないように【白魔法ダウジング】の感覚を極限まで研ぎ澄ませていた。


(お姉様たちの作戦通りです。あの赤い服のベルン子爵を中心とした数人が、サイフリート王国のスパイと通じている……)


リリアが頭の中にイメージするのは、『サイフリート王国との密約を示す書状』や『スパイが使う特殊な連絡用の魔道具』。


彼らが会話の中で漏らすヒントや、身につけている装飾品の匂いから、後日騎士団が踏み込むための『屋敷のどこに証拠を隠しているか』を特定するのが、リリアの今回の任務だった。


「見つけ出して……」


リリアは、周囲の貴族たちに向けて、静かに魔法の波長を放った。


――次の瞬間。


リリアの頭の中に、強烈な『光(反応)』がいくつも飛び込んできた。


(……えっ?)


リリアは思わず、扇子の下でポカンと口を開けてしまった。


魔法の反応が指し示しているのは、ベルン子爵の遥か遠くにある屋敷ではない。


今、まさにリリアの目の前で愛想笑いを浮かべているベルン子爵の『胸ポケットの中』だったのだ。


さらに、隣で同調している別の貴族の『隠しポケット』や、ふくよかな貴婦人の『ドレスの胸の谷間』からも、強烈な証拠の反応がビンビンと返ってくる。


(えっ、えっ? 皆さん、そんな大事な証拠を、そのまま持ってきちゃってるんですか!?)


リリアは混乱した。


国家反逆罪になりかねない決定的な証拠だ。当然、屋敷の地下金庫や厳重な結界の中に隠しているものだとばかり思っていたのに。


「……リリア嬢? どうかしたのか?」


リリアの僅かな動揺に気づいたエドワード殿下が、気遣うように小声で囁いてきた。


リリアはエドワード殿下の袖をクイッと引き、背伸びをして彼の耳元に顔を寄せた。


「で、殿下……。あの人たち、証拠品をそのままお洋服のポケットに入れて持ち歩いています……」


「……なんだと?」


エドワード殿下が、驚愕に目を見開く。


しかし、王宮の権力闘争を生き抜いてきた彼は、瞬時にその『理由』を悟り、小さく息を吐いた。


「……いや、あり得るな。奴らは互いに疑心暗鬼に陥っている。屋敷の金庫に隠しておけば、政敵の放った暗部や泥棒に盗まれるかもしれない。ならば、常に自分の肌身離さず持っている方が最も安全だと考えるのが、あの手の卑劣な輩の心理だ。まさに、灯台下暗しというわけか」


エドワード殿下の推測は完璧に的を射ていた。


彼らは「アルジェント公爵家が味方についた」という急激な状況の変化に焦り、計画を前倒しにするため、いつでも動けるように証拠(密約の書状など)を懐に忍ばせていたのだ。


なんというラッキー、あるいは間抜けな連中か。


「リリア嬢。……君は本当に、最高の幸運と実力を持った令嬢だ」


エドワード殿下は、リリアに向かって心からの賞賛の微笑みを向けた。


そして、自分の胸ポケットからチーフを取り出すふりをして、壁際で給仕に変装して控えていた『ジュリアン殿下の部下』に向かって、密かなハンドサインを送った。


『――ターゲットは証拠を所持。これより一網打尽にする』



「ん?」


会場の隅のビュッフェコーナーで、三皿目のローストビーフを堪能していた私は、エドワード殿下の不自然な動きと、リリアの呆れたような視線に気づいた。


念のため、私も微弱な【血盟探知】を広げて会場の匂いを探っていたのだが……。


「……お兄様」


「どうした、アイラ。肉が硬かったか?」


「ううん。あのベルン子爵たちから、サイフリート王国の香料の匂いがビンビンにするわ。しかも、屋敷からついてきた残り香じゃなくて、今まさに『香料の染み付いた証拠品』を懐に入れてる強烈な匂い」


「……なに?」


セオドア兄様が、持っていたワイングラスをピタリと止めた。


「連中、一番大事な証拠を自分で持ち歩いてるみたい。リリアのダウジングでも確定したから、エドワード殿下がジュリアン殿下に合図を送ったわ」


「……馬鹿な連中だ。だが、これで後日屋敷に踏み込む手間が省けたな」


セオドア兄様の口角が、獰猛な肉食獣のように吊り上がった。


「今日、この場で全て終わらせられるじゃん」


「ああ。念のために会場の外に配置しておいた我が公爵家の近衛騎士団……今すぐ突入の準備をさせる」


兄様は一切の気配を殺し、背後に控えていたマリー姉ちゃんに視線で合図を送った。


マリー姉ちゃんは優雅にお辞儀をすると、音もなく会場の裏口へと消えていく。


外で待機している騎士団へ「制圧準備」の指示を伝えるためだ。


一方、会場の二階にあるバルコニーの陰では。


「ふっ……くくくっ。まさか、自ら首を括る証拠を懐に忍ばせて、ご丁寧に一箇所に集まってくるとはな」


ワイングラスを片手に下の様子を見下ろしていた王太子ジュリアンが、たまらないといった様子で腹黒い笑みを漏らしていた。


「エドワードの囮と、探偵令嬢たちの容赦ないダウジングの合わせ技。……見事すぎる盤面の制圧だ。あとは私が、王太子の権限で舞台の幕引きを行ってやろう」


ジュリアンが、背後の近衛隊長に指を鳴らして合図を送る。


証拠を探す手間すら省けた、役満状態の夜会。


甘い汁を吸おうとエドワード殿下に群がっていたベルン子爵たちは、自分たちがすでに逃げ場のない『処刑の舞台』の中心に立たされていることなど、微塵も気づいていなかった。


「お兄様、お肉のおかわりはストップで。メインディッシュ(捕物)が始まるわよ」


「ああ。妹たちの鮮やかな手腕、特等席で見せてもらおう」


王族と公爵家が仕掛けた華麗なる茶番劇は、予想外のスピードで、そしてこの上なく痛快な『完全決着』の瞬間を迎えようとしていた。


「――そこまでだ、売国奴ども」


華やかなワルツが流れていた夜会の会場に、冷徹で、絶対的な権力を持った声が響き渡った。


二階のバルコニーから見下ろす王太子ジュリアンの姿に、会場の貴族たちが息を呑む。


それと同時に、会場のすべての扉がバンッ! と勢いよく開け放たれ、銀色の鎧に身を包んだ王宮の近衛騎士団、そしてアルジェント公爵家の私兵たちが、怒涛の勢いで雪崩れ込んできた。


「な、何事だ!? なぜ騎士団が夜会に……!」


突然の武力制圧に、会場はパニックに陥る。


その中で、エドワード殿下を取り囲んでいたベルン子爵たちだけが、顔面を蒼白にしながらも強がって声を張り上げた。


「じゅ、ジュリアン殿下! いかなる理由があってこのような暴挙を! 我々第二王子派に対する、不当な弾圧ですか!」


ベルン子爵の言葉に、周囲の貴族たちがざわめく。


屋敷の金庫ではなく、今この瞬間に証拠を懐に忍ばせている彼らは、「まさか証拠を見つけられたわけがない」と高を括り、政治的弾圧だと被害者を装おうとしたのだ。


しかし。ジュリアン殿下は氷のような笑みを浮かべたまま、一階のフロアを指差した。


「弾圧ではない。サイフリート王国のスパイと通じ、国を売ろうとした『国家反逆罪』の現行犯逮捕だ。……やれ、アイラ、リリア」


ジュリアン殿下の合図で、ビュッフェコーナーから肉の乗った皿を置いた私が、そしてエドワード殿下の隣にいたリリアが、同時に一歩前に出た。


「証拠なら、あなたたちが今、一番大事に持ってるじゃない」


私がニシシと笑って言い放つと、ベルン子爵の顔がピクリと引き攣った。


「な、何を馬鹿な……!」


「リリア、場所を教えてあげて」


「はい、お姉様!」


リリアは扇子を閉じ、ベルン子爵を真っ直ぐに指差した。


「ベルン子爵! あなたの右胸の内ポケット! ダドリー男爵は靴底の隠しスペース! そちらの夫人は、ドレスの胸の谷間です! ……そこに、サイフリート王国との密約を示す『書状』や『連絡用の魔道具』が隠されています!」


迷いのない、完璧なピンポイント指定。


(……えっ!? ちょっと待って!)


私は隣でビシッと指差す妹を見て、内心で盛大に驚愕していた。


リリアのダウジングって、ちょっと前まで『大体の方角』とか『部屋のどこか』くらいしか分からなかったはずだ。


それがいつの間に、センチメートル単位の超高精度スキャンに進化しているの!?


バルコニーから見下ろしていたジュリアン殿下も、その迷いのない完璧なピンポイント指定に微かに目を見張り、そして面白そうに口角を上げた。


(……あそこまで正確に隠し場所を看破するとは。探偵令嬢たちの能力も、実戦を経て凄まじい速度で成長しているというわけか)


図星を突かれた貴族たちの顔から、一瞬にして全ての血の気が失せた。


「き、騎士団! 奴らの身体を改めろ!」


セオドア兄様の号令で、騎士たちが一斉にベルン子爵たちを取り押さえる。


「離せ! 貴族に対する無礼だぞ!」と抵抗する彼らだったが、容赦のない身体検査により、リリアが指定した場所から次々と『サイフリート王国の印章が押された書状』や『青星の魔石』が引きずり出されていく。


「こ、これは……っ! 違う、何者かに仕組まれたのだ!」


「言い逃れは見苦しいぞ。証拠を肌身離さず持っていたのが運の尽きだな」


言い逃れ不可能な決定的な物証。


勝負は完全に決した。……そう思われた、その時だった。


「――チッ。ここまで嗅ぎつけられていたとはな!」


ベルン子爵の護衛として会場に紛れ込んでいた、数人の男たち。


彼らの眼光が突然、殺意に満ちた獣のものへと変わった。彼らこそが、ベルン子爵と接触していた『サイフリート王国のスパイ(暗殺者)』の正体だったのだ。


「ただで捕まる気はない! せめて王族の首を手土産にしてやる!!」


偽装を解いたスパイたちが、隠し持っていた凶悪な魔剣を抜き放ち、最も近くにいたエドワード殿下と、その隣にいるリリアに向けて猛烈なスピードで斬りかかってきた。


近衛騎士たちの反応が一瞬遅れる。


「リリア嬢、危ないッ!」


エドワード殿下が咄嗟にリリアを背後に庇い、自身の腰の剣を抜いて前に出た。


己の命を盾にしてでも、この純白の令嬢を守り抜くという騎士としての覚悟。


しかし、スパイたちの動きは異常に速く、エドワード殿下の剣を掻いくぐって凶刃が迫る。


「……リリアお嬢様と第二王子殿下に、その汚い刃が届くとでも思いましたか?」


――ヒュンッ!

閃光のような速度で飛来した『三本の銀のナイフ』が、スパイたちの武器を持つ手首を正確に貫いた。


「ぎゃぁぁっ!?」


ナイフを投擲したのは、会場の隅から音もなく滑り込んできたマリー姉ちゃんだ。


さらに、スパイたちが怯んだ一瞬の隙を見逃さず、セオドア兄様が白銀の旋風となって突っ込む。


「遅いッ!!」


重い斬撃がスパイたちの胴体を薙ぎ払い、壁際まで数十メートルも吹き飛ばした。


大理石の柱が砕け散るほどの派手な轟音。


「くっ、魔法で一帯を吹き飛ばせ……!」


「させないわよ!」


まだ息のある一人のスパイが、懐から爆発の魔道具を取り出そうとした。


私は漆黒の『古の杖』を構え、地下水脈でのチュートリアルを思い出しながら魔力を練り上げた。


私のカロリー(さっき食べたお肉)と、スパイの魔力を代償にして強制発動する黒魔法。


「【黒炎の呪弾アビス・バレット】!!」


私の杖の先端から放たれた漆黒の炎の弾丸が、スパイの持つ魔道具にピンポイントで直撃する。


ドガァァァァァンッ!!


爆発はスパイだけに起こり、漆黒の炎が彼らの魔力だけを焼き尽くして完全に無力化した。


「ひぃぃぃっ……! ば、化け物どもめ……っ」


剣技、暗殺術、そして黒魔法。


アルジェント公爵家が誇る『過剰なまでの武力と魔力』を前に、サイフリート王国の精鋭スパイたちはものの数秒で文字通り粉砕され、床に転がるただのゴミと化した。


「……す、すごい」


エドワード殿下が、リリアを庇った体勢のまま、圧倒的な蹂躙劇に目を見張っている。


リリアはエドワード殿下の胸の中で、「殿下、守ってくださってありがとうございます!」と嬉しそうに微笑んでいた。……エドワード殿下は顔を真っ赤にして固まっていたが。


「ふっ……見事な手際だ、アルジェントの双子よ。そしてセオドア」


二階のバルコニーから、ジュリアン殿下がゆっくりと拍手をしながら階段を降りてきた。


もはや抵抗できる者など一人もいない。ベルン子爵をはじめとする裏切り者の貴族たちは、スパイが秒殺されたのを見て完全に心が折れ、腰を抜かして震えている。


「これにて幕引きだ。貴様らの罪は、王家の法廷にて裁かせてやる。……連行しろ!」


ジュリアン殿下の冷酷な宣告と共に、騎士たちが次々と売国奴たちを引きずっていく。


灯台下暗しという人間の心理を突き、囮と魔法のダウジングで証拠を完全に暴き出した、華麗なる大捕物。


夜会の会場は、私たちが巻き起こした嵐のような制圧劇の余韻に包まれていた。


「……終わったわね。お兄様、お疲れ様」


「ああ。アイラもリリアも、怪我がなくて本当によかった。だが、ドレスが少し汚れてしまったな」


「ドレスの汚れなんてどうでもいいのよ!」


私は杖をしまい、目を爛々と輝かせてジュリアン殿下を振り返った。


「ジュリアン殿下! 約束通り、完璧に事件を解決しましたよ! スパイの確保と、決定的な証拠の提出!」


「ああ、見事だった。私の期待を遥かに超える盤面の制圧だ」


「ってことは……」


私は両手をグッと握り締め、満面の笑みを浮かべた。


「これで、『王宮の国宝級シェフによるフルコース食べ放題』、確定ですよね!!」


この期に及んで、国家の危機を救った達成感よりも「食欲」を最優先させる私を見て、ジュリアン殿下は堪えきれないように吹き出し、お腹を抱えて大笑いした。


「あははははっ! ああ、約束しよう! 明日の夜、王宮の厨房を君たち姉妹のために完全に貸し切ってやる! 好きなだけ、限界まで食べるがいい!」


「やったーーーーっ!!」


ドロドロとした権力闘争も、サイフリート王国の見えない陰謀も、私の胃袋の前にはただの前菜にすぎない。


探偵姉妹の華麗なる大活躍は、最高の『美食』という名の完全勝利と共に、最高の形で幕を下ろすのだった。


マリス伯爵邸での大捕物から数日後。


約束通り、王宮の国宝級シェフによる『究極のフルコース食べ放題』を心ゆくまで堪能し、私の胃袋と幸福度が限界突破した翌日のことだった。


私とリリア、そしてお父様とセオドア兄様は、王宮の最も格式高い『星の謁見の間』に呼び出されていた。


「……以上の物証、および実行犯とマリス伯爵の自白により、貴国が我が国の貴族と結託し、王都の防衛結界の破壊および国家転覆を企てていたことは明白である」


玉座の前で、王太子ジュリアンが冷徹な声で宣言した。


その視線の先――絨毯の上に平伏しているのは、サイフリート王国から派遣されてきた親善使節団の代表たちだ。


彼らの前には、リリアが見つけ出した『密約の書状』や『青星の魔石』といった言い逃れ不可能な決定的な証拠の数々が、無造作に突きつけられている。


「し、しかしジュリアン殿下! それは一部の過激派が勝手に暴走しただけで、我が国の王室は一切関知しておらず……!」


「見苦しいぞ、特使殿。使節団の馬車を使って堂々と暗殺者や魔石を運び込んでおきながら、関知していないで済むはずがなかろう」


使節団の必死の弁明を、ジュリアンが氷のような微笑みで一刀両断する。


「これはもはや、親善に見せかけた『静かなる戦争』と言っても過言ではない。我が国としては、この明らかなる侵略行為に対し、しかるべき対応をとる準備がある」


ジュリアンが指を鳴らすと、謁見の間の周囲を取り囲む王宮騎士団――そしてアルジェント公爵家の私兵たちが、一斉に剣の柄に手を掛け、チャキッと甲高い金属音を鳴らした。


圧倒的な武力の誇示。


使節団の代表たちは顔面を蒼白にし、ガタガタと震え上がった。


「選ぶがいい。我が国が被った不利益に対する莫大な『戦争賠償』を支払い、即刻この国から退去するか。……それとも、我が国の精鋭騎士団と正面から『本当の戦争』をするのがお望みかな?」


戦争か、それとも国庫が傾くほどの賠償金か。


完璧な証拠と武力を背景にした、ジュリアンによる容赦のない恐喝(外交交渉)だ。


私は謁見の間の隅に用意された特等席のソファで、マリー姉ちゃんが淹れてくれた紅茶を啜りながら、その様子をのんきに見物していた。


(ジュリアン殿下、ほんっとうに悪い顔してるわね。まあ、お腹いっぱい食べさせてくれたから応援するけど)

(お姉様、あの使節の人たち、泡を吹いて倒れちゃいそうです……)

私とリリアがヒソヒソと囁き合っていると、絶体絶命の使節団が、ガクリと膝から崩れ落ちそうになった。


勝負は完全に決した。ジュリアンの要求を呑むしか、彼らに道は残されていない。


誰もがそう思った、その時だった。


「――待たれよ。血の匂いが立ち込めるような争いは、神の御心に反しますぞ」


突如、謁見の間の重厚な扉が静かに開かれ、厳かな、しかしどこか底知れぬ威圧感を持った声が響き渡った。


入ってきたのは、純白の法衣に身を包み、胸に輝く十字の聖印を下げた数人の集団。


その先頭を歩く白髪の老人が、静かにジュリアンと国王に向かって一礼する。


争いの場に似つかわしくない穏やかな笑みだが、その眼底には、王族すらも平伏させかねない『信仰という名の絶対的な権力』の冷たさが宿っていた。


「神聖ルシエラ教国の枢機卿、バルバトスと申します。……この度の両国の不和、同じ神を信仰する同胞として、大変心を痛めております」


教会。


その言葉が出た瞬間、謁見の間の空気がピリッと張り詰めた。


お父様もセオドア兄様も、あからさまに嫌悪と警戒の入り混じった顔をしている。


「……教会の枢機卿殿が、我が国の内政に何の用かな? これは我が国とサイフリート王国との、厳粛なる国家間の問題だが」


ジュリアンが、氷の微笑みを崩さずに問う。


「無論、内政に干渉するつもりはございません。しかし、このままでは凄惨な戦争に発展しかねない。教会といたしましては、無用な血が流れるのを防ぐため……教皇聖下より、この問題の『仲裁』に入るよう命を帯びて参ったのです」


「仲裁、だと?」


「はい。サイフリート王国には我々教会から、相応の賠償を支払うよう強く働きかけましょう。その代わり、貴国も武力による報復は控えていただきたい。……神の慈悲のもと、平和的な解決のテーブルにつこうではありませんか」


枢機卿の言葉に、サイフリート王国の使節団たちは「た、助かった……!」とばかりに、すがるような目で枢機卿を見上げた。


(……なるほどね)


私はクッキーを齧りながら、心の中で舌打ちをした。


サイフリート王国は、ジュリアンに追い詰められた時の最終手段として、裏で多額の寄付金でも積んで『教会』という強大な権力組織を後ろ盾に引っ張り込んでいたのだ。


いくら強国である我が国でも、大陸中の信仰を束ねる教会を敵に回すことはできない。


教会が「仲裁に入る」と公式に宣言した以上、それを無碍に突っぱねれば「神の意思に背く好戦的な国家」というレッテルを貼られてしまう。


「……よかろう。教皇聖下直々の仲裁とあれば、無下に扱うわけにはいかない」


ジュリアンは内心の苛立ちを完璧に隠し、鷹揚に頷いた。


「教会が責任を持って賠償交渉のテーブルを整えるというのなら、我々も鉾を収めよう。……ただし、賠償の額については一歩も譲る気はないからな」


「寛大なご処置、感謝いたします、王太子殿下」


枢機卿が深く頭を下げる。


こうして、一触即発だった静かなる戦争は、教会の介入によって『多額の賠償交渉』という形で、表面上は綺麗に収まることとなった。


「やれやれ。土壇場で教会を介入させてくるとは……サイフリート王国のネズミどもも、中々に悪知恵が働くようだな」


使節団と枢機卿が退室した後、ジュリアンが忌々しげに玉座の肘掛けを叩いた。


エドワード殿下も、険しい顔で頷いている。


「ええ、兄上。……教会の強引な介入、決して気分の良いものではありませんね。彼らは平和を謳いながら、常に国家のパワーバランスをコントロールしようとする鬱陶しい存在です」


「ああ。事件は一旦収まったとはいえ、王都に教会の連中が入り込んできたか。厄介なことになったな」


王族たちが額を突き合わせて政治的な愚痴をこぼしている中。


私は、一人で盛大に冷や汗を流していた。


(教会が介入……ってことは、王都に異端審問官とか、そういう『魔法の取り締まり』をする連中がウロウロし始めるってことだよね!?)


私の持っている力は、神話の時代の【黒魔法】。


前々回、工作員の記憶を無理やり読み取ったあの悪魔的な魔法なんて、教会の連中に見つかったら即座に「魔女だ! 異端だ! 火炙りにしろ!」と大騒ぎされるに決まっている。


ジュリアン殿下は「王家の名にかけて守る」と言ってくれたが、相手が教会となれば、政治的なしがらみで面倒なことになるのは目に見えている。


「お姉様? どうかしたんですか? 顔色が悪いですよ」


「う、ううん。なんでもないよ、リリア。ただちょっと……これからは、人前で魔法を使うのは控えめにした方がいいかもなって思っただけ」


退室間際、あの枢機卿が振り返りざまに、私とリリアの方へチラリと『意味深な視線』を向けてきたのを、私は確かに感じ取っていた。


まるで、私の中に眠る古の気配を、どこかで嗅ぎ取ったかのような――探るような目。


「(……まあ、美味しいご飯とケーキが保証されてるなら、しばらくは大人しくニート令嬢を満喫するのも悪くないわね。火の粉が降りかかってきたら、その時はその時で物理と魔法で薙ぎ払うまでよ)」


サイフリート王国の陰謀という巨大な嵐は過ぎ去った。


しかし、晴れ渡ったはずの王都の空には、今度は『純白の法衣』という名のもっと厄介な暗雲が、静かに、そして確実に忍び寄ってきているのだった。


「んん〜っ! この幻の果物タルト、甘酸っぱくて最高! お肉もとろける〜!」


「お姉様、こちらのコンソメスープもすごく深い味がしますよ!」


静かなる戦争の賠償交渉がまとまり、教会の介入によって事態がひとまずの収束を見たその夜。


私とリリア、そしてお父様とセオドア兄様というアルジェント公爵家一家は、約束通り王宮の貸し切りダイニングルームに招待されていた。


主催者である王太子ジュリアンと、今回の作戦で多大な功績を上げた第二王子エドワードが同席する中、私たちは国宝級シェフが腕によりをかけた『究極のフルコース食べ放題』を限界まで堪能していた。


部屋の隅には私たちの専属としてマリー姉ちゃんが控え、扉の前にはジュリアン殿下の計らいで、顔見知りの見習い騎士であるカイルが特別に護衛として配置されている。


気心の知れたメンバーだけが集う、最高に贅沢で安全な空間だ。


「リ、リリア嬢。口元にソースが……。よかったら、このナプキンを」


「あ、ありがとうございます、エドワード殿下! えへへ、美味しいとつい夢中になっちゃって」


テーブルの一角では、エドワード殿下が顔を真っ赤にしながらリリアの世話を焼き、リリアが花が咲くような笑顔でお礼を言うという、甘酸っぱい青春の光景が繰り広げられていた。


……しかし、その微笑ましいやり取りを、お父様とセオドア兄様が親鳥のような鋭い目つきでギロリと睨みつけている。


「……エドワード殿下。お気遣いは感謝いたしますが、我が娘(妹)の世話は我々がいたしますので、殿下はご自身のお食事に集中なさってください」


「ひっ……は、はい! 申し訳ありません、レオンハルト公爵!」


氷の公爵と次期当主からの凄まじい威圧感に、真面目なエドワード殿下はビクッと肩を震わせて居住まいを正した。


「ふっ……相変わらず、君たちという家族はブレないな。王族相手だろうと娘へのガードは鉄壁か」


向かいの席で優雅に紅茶を傾ける王太子ジュリアンが、呆れと感心が入り混じった笑みを浮かべた。


弟の初恋が牽制されているのを楽しそうに見物しつつ、私の恐るべき食べっぷりにも目を細めている。


「だって、このために頑張ったんですから。やっぱり、面倒な陰謀とかがない平和な状態じゃないと、ご飯は美味しくありませんからね!」


「……違いない。君たちのそのブレない食欲と行動力が、結果的に我が国を救ったのだからな」


ジュリアンが苦笑しながら頷く。


美味しいご飯と、それを一緒に笑って食べてくれる家族。それこそが、私が守りたかった一番の宝物だ。


ふと、ジュリアンが表情を引き締め、声を潜めた。


「だが、アイラ。今日、あの枢機卿が放った視線……君も気づいただろう?」


「ええ。なんか値踏みするような、嫌な目つきでしたね」


「教会が仲裁という名目で王都に滞在している間、彼らは間違いなく異端審問官を街に放ち、異端の気配を探るはずだ。……君たち姉妹の力は、教会からすれば極めて『厄介』なものだからな」


お父様も、険しい顔で頷いた。


「リリアの持つ【白魔法】……あれは教会から見れば神聖な『聖女の奇跡』としてもてはやされるだろう。だが、権力の道具として教会に囲い込まれる危険性が高い」


「そして何より、アイラの【黒魔法】だ」


セオドア兄様が、心配そうに私を見る。エドワード殿下も、先ほどのタジタジとした様子から一転して真剣な顔つきになった。


「血を媒介にして対象を炙り出し、時には精神にまで干渉する。……それは教会の教義に真っ向から反する、完全な『魔女の所業』だ。もし彼らに見つかれば、即座に異端として火炙りにされかねん」


「魔女、ですか……」


私は最後の一口のタルトを飲み込み、ふうっと息を吐いた。


確かに、以前スパイの記憶を強引に読み取ったあの魔法なんて、どう見ても悪役ムーブ全開のダークファンタジーだった。


「アイラ、リリア。教会の連中が王都をうろついている間は、決して人前で魔法を使ってはならない。探偵稼業も、しばらくは休業だ」


「分かっています、お父様。……でも」


私はニシシと悪戯っぽく笑い、空になったお皿をコンと叩いた。


「私にとっては、好都合ですよ」


「好都合?」


「だって、魔法を使わずに大人しくしてるってことは……つまり、安全で温かい公爵邸で、毎日三食おやつ付きの『ニート令嬢生活』を正々堂々と満喫していいってことですよね!?」


私のあまりにも前向きすぎる解釈に、お父様とセオドア兄様はポカンと口を開けた。エドワード殿下に至っては「えっ? ニート?」と聞いたこともない単語に目をパチクリさせている。


そんな中、ジュリアンだけが腹を抱えて吹き出した。


「ふっ……あははははっ! なるほど、君にとっては魔法を封じられることなど何の苦痛でもないわけか!」


「お姉様、ニートってなんですか?」


「毎日美味しいものを食べて、お昼寝して、たまにお勉強するだけの最高にハッピーな職業のことよ」


リリアの純粋な質問に堂々と嘘(?)を吹き込むと、マリー姉ちゃんが「まあ、素敵ですね」と微笑み、扉の前で護衛をしていたカイルが「そ、それは貴族の令嬢としていかがなものか……」と小声で突っ込んでいた。


「いいだろう、アイラ。教会の目から君たちを守るためにも、公爵邸とこの王宮は私が完全に保護しよう。君たちが望むなら、いつでもこの国宝級シェフの料理を用意してやる」


「言質とりました! ジュリアン殿下、一生ついていきます!(ご飯的な意味で)」


「……アイラ。お前、王太子殿下を食事のスポンサーくらいにしか思っていないだろう……」


お父様が頭を抱えているが、ジュリアン殿下は「それでも構わんさ」と面白そうに笑っている。


エドワード殿下も、リリアが無邪気に喜ぶ姿を見て、安心したように微笑んでいた。


こうして、サイフリート王国のスパイによる国家転覆の陰謀という巨大な事件は、王族と公爵家による徹底的な事後処理と、教会の不穏な介入という火種を残しつつも、ひとまずの完全決着を迎えた。


聖女と魔女。


対極の力を持つ私たち双子姉妹だが、そんな重苦しい宿命なんて知ったことではない。


教会が王都を去るまでの間、私たちは公爵家と王家という最強の防壁の中で、ひたすらに美味しくて平和な日常を貪り尽くすのだ。


「すみませーん! 熟成肉のステーキ、もう一枚おかわりお願いします!」


「私も、フルーツのタルトをお願いします!」


神話スケールの謎解きも、血を洗う権力闘争も、一旦休戦。


今はただ、目の前の極上のフルコースに全力を注ぐだけだ。


探偵令嬢たちの飽くなきグルメライフは、しばしの休息期間(ニート生活)へと突入するのだった。



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― 新着の感想 ―
まず興味を惹かれるもの リリア∶綺麗な赤いお花 アイラ∶美味しそうな木苺 水族館で泳いでいる鰯の群れみて、刺身何人前だろ? と思った私は間違いなくアイラ派だ。 琥珀の件は、もしかして隣国のマッチポ…
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