ミニモンカード交流大会と迫り来る不穏な影
今から一週間前、クラエス王国から世界各国へ宛てて一通の親書が送り届けられていた。
その内容は、歴史ある『第六回ミニモンカード交流大会』をクラエス王国で開催するという告知であった。
さらに親書の最後には、クラエス王国で新たに開発された魔道具により、ミニモンカードの新たな可能性を示すと書き添えられていたのである。
これまでミニモンカード交流大会といえば、ヴァリエール王国か神聖ルシエラ教国の二国でしか開催されたことがなく、他国での開催は史上初の試みであった。
「他国での開催は初……クラエス王国も思い切った挑戦をするものね」
親書を前に、ヴァリエール王国のアイラ王妃は興味深そうに微笑んだ。
隣に立つ夫のジュリアン国王も、深く頷く。
「ああ。クラエス王国といえば先進的な魔道具技術を誇る国だ。彼らが『新たな可能性』とまで言うのだから、生半可な仕掛けではないだろうね」
この決定が報じられた日から、各国の厳しい予選を勝ち抜いた猛者たちが、期待に胸を膨らませて続々とクラエス王国へ訪れることとなった。
街中のカードショップには、新バージョンへの移行処理を求めるプレイヤーたちが押し寄せ、連日大騒ぎとなっている。
その仕組みは驚くほどシンプルだった。
専用の魔道具に客から受け取ったカードを差し込むと、青白い魔導光が幾何学模様を描いて瞬き、瞬く間にカードデータが書き換えられて戻ってくる。
クラエス王国の処理工場へ転送され、最新仕様へと更新される手軽さに、プレイヤーたちからは歓声が上がっていた。
「カード内のモンスターデータや属性情報を瞬時に書き換えて転送するなんて……クラエス王国の技術力は本当に目を見張るものがあるわ」
魔法の世界から会場を訪れていたミスティは、専用魔道具の構造を覗き込みながら感心したように息を吐いた。
ミーアもまた、目を輝かせて隣で頷く。
「ええ! 私たちが手作業で魔法陣を組む手間を考えたら、この自動化システムは魔道具革命と言ってもいいくらいです!」
ミーアとミスティ、そしてクラエス王国の技術者たちは数日間にわたって濃密な技術談義を取り交わし、システムは完璧なものへと仕上がっていった。
大会本予選の三日前、ついに参加者全員のカードが新バージョンへと移行を完了した。
そして密度の濃い準備期間を経て、いよいよ大会本予選の日が訪れたのである。
予選会場の熱気の中には、アイラ率いるヴァリエール王国の代表チームの姿もあった。
一国の国王夫妻がそろってカード大会に参加することに対し、周りは心配の声を上げたが、ヴァリエール王国にはレオンハルトやセオドアをはじめとする優秀な側近たちが控えているため、何の問題もなかった。
前国王夫妻であるジェラールとテレーゼが安心して留守を任せていることこそが、王国の平和の証であった。
「さあジュリアン、私たちの新戦術を見せてあげましょう!」
アイラは新開発された『ミニモン・リンク・ゴーグル』を手にとり、不敵な笑みを浮かべた。
ゴーグルを装着すると、視界に色鮮やかなステータスが表示され、カードに宿るモンスター【魔道AI】と思考が直感的にリンクするのが分かった。
「凄いわ……モンスターの視界と意識がダイレクトに伝わってくる。手先のように装備や技をセットできるのね」
アイラは手際よくモンスターカードを提示すると、頭・体・手・足の四箇所へ装備カードを配置し、さらに四つの追加技カードを読み込ませていく。
装備技と合わせた最大八つの追加技、そして種族固有の『種族技』を組みあわせる高度なシステムだ。
「ああ、アイラ。僕たちの絆と新しいカードの可能性を、世界中に証明しよう」
ジュリアンもまた優雅に微笑み、静かにデッキへと手を伸ばした。
予選会場の第一エリアでは、観客の視線を一身に集める注目のカードバトルが繰り広げられていた。
対戦台の片側に立つのは、神聖ルシエラ教国の頂点に立つ教皇セレス。
対するは、虔誠な信徒であるモイエス司教だ。
盤面は詰みを迎えつつあり、モイエス司教の場には強力な聖属性モンスターが陣取っていた。
観客席で見守るアイラが呟く。
「モイエス司教の盤面は隙がないわね。でも、セレス教皇の表情……まったく焦りがないわ」
「ふふ、あの教皇様のことだ。何かとんでもない手を用意しているんじゃないかな」
ジュリアンが苦笑する。
その言葉通り、セレス教皇は余裕の笑みを絶やすことなく手札を掲げた。
「プレイヤースキル発動! 最高位悪魔の瘴気!」
対戦場全体に禍々しい黒い瘴気が渦巻き、セレス教皇の場にいたモンスターを包み込んでいく。
「最高位悪魔の瘴気がモンスターを包み込む! ゴブリンウォーリアーよ、最高位悪魔の力を得て再び返り咲け! デモンズゴブリンウォーリアー召喚!」
闇の奔流の中から漆黒の戦士が現れた。
モイエス司教はゴーグルの奥で目を剥く。
「そんな!? セレス教皇!? 何故あなた様が悪魔の使役を!? くっ! 神よ、セレス様をお許しください! プレイヤースキル発動! 天使の軍勢!」
モイエス司教が掲げたカードから眩い光が降り注ぎ、天使の軍勢が悪魔のスキルを無効化せんと押し寄せた。
しかし、セレス教皇は優雅に次のカードを提示する。
「神の敷いたレールを進む悪魔に天使は手を出せない! プレイヤースキル発動! 神による許可証!」
黄金の印章が眩い光を放って場を覆うと、カードゲーム特有の厳密な理である効果処理の順序が発生した。
押し寄せていた天使たちは『許可証』の絶対的な法的効力に阻まれ、困惑したように顔を見合わせると、光の粒子となって雲散霧消していったのである。
「なんというチェーンの組み方だ……! 『天使の軍勢』による無効化効果の上から、『神の許可証』でその無効化自体を打ち消したのか!」
観客席で観戦していたチェイシーが思わず目を見張った。
アイラも深く感心する。
「ルールを極限まで理解しているわね。カードゲームの処理順序を完全に味方につけているわ」
デモンズゴブリンウォーリアーの一撃がモイエス司教のモンスターをダウンさせ、決着がついた。
「バカな! 神が悪魔を許すというのか!? セレス様!?」
膝を突くモイエス司教に、セレス教皇は教義と神話の真実を語り聞かせた。
「悪魔も神が生み出した一つの種族に過ぎぬのじゃ。人間の善悪は神の善悪と同義ではないと知るのじゃ! 神はバランスを保つ者、全ての種族よ研鑽するのじゃ!」
さらに大聖堂の石板に書かれた神託や混血の話まで飛び出し、モイエス司教は感銘のあまり涙を流して教えを乞うのであった。
別の対戦台では、天界の大天使ドミニエルと最高位悪魔の一角であるナイトローが激突していた。
純粋な『天使デッキ』を組むドミニエルに対し、ナイトローはスキル『天使の盟約』を発動。
場にいた無属性モンスターに『天使の剣』を装備させ、怒涛の攻撃を叩き込んだ。
「ば、バカな!? 何故瘴気を纏った悪魔に天使の剣が扱えるのだ!?」
動揺するドミニエルに対し、ナイトローは穏やかに笑った。
「大天使よ、これはゲームなのだよ。天使の剣を使っているのは瘴気を纏った悪魔ではなく、ただの無属性モンスターだ。属性付与が可能な武器なら扱えて当然さ。現実とゲームを混同してはいけないよ?」
「お、おのれぇぇっ!」
屈辱のあまり現実の神聖魔法を解放しかけたドミニエルの脳天に、鋭いチョップが叩き落された。
横に立っていたのは、ジュースを飲んでいた少年の姿の創造神シンであった。
「ここはゲーム大会だよ? マナー違反をしたら地獄の便所掃除をしてもらうよ?」
神の威圧感に青ざめたドミニエルは即座に平伏し、ナイトローに頭を下げた。
ナイトローも爽やかに握手を交わし、和やかに勝負は幕を閉じた。
観戦していたリーリアが呆れたように息を吐く。
「ドミニエル様ったら、相変わらずポンコツなんですのね……。でもナイトロー様の戦術、無属性カードの汎用性を活かした見事な構築でしたわ」
「ええ。属性のシナジーだけじゃなく、システムの隙間を突くような柔軟さがあったわね」
アイラも同意した。
大会は順調に進み、個人戦の頂点に立ったのは神聖ルシエラ教国の教皇セレスであった。
二位にはチェイシー、三位にはアイラが滑り込んだ。
観客席では、先ほど戦ったナイトローとドミニエルが並んでポップコーンを食べながらコーラを飲み、人間の猛者たちの戦いを称え合っていた。
その姿を創造神シンも満足そうに見つめている。
そして、大会の熱気は各国による団体レイド戦で最高潮を迎えた。
順調に勝ち進み、決勝へ駒を進めたのは神聖ルシエラ教国と開催国クラエス王国であった。
勝利を決した一戦で、クラエス王国側は開始早々にフィールドスキル『モンスターの聖戦』を発動。
モンスターカード以外のあらゆる使用を禁止し、概念的な加護や干渉すらも強制解除させた。
さらに間髪入れずに『魔物の気配』を発動。
参加プレイヤー全十六人の所持モンスターが一斉召喚され、両チーム合わせて百九十二体ものモンスターがフィールドへ一気に解き放たれたのだ。
足の踏み場もないほど画面一杯を埋め尽くした大群に、教国側のプレイヤーたちは完全にパニックに陥った。
「な、なんだこの数は……!? 指示が追いつかない! 誰に何を攻撃させればいいんだ!?」
教国側が頭を抱えて叫ぶ中、百九十二体のモンスターが無秩序に入り乱れる。
観客席のジュリアンが立ち上がり、目を見開いた。
「百九十二体……! いくらゴーグルで意識を共有しているとはいえ、人間ひとりが一度に指揮できる処理能力を完全に超えている! これでは混戦どころか自滅だ!」
だが、アイラはクラエス王国側のモンスターたちの動きに目をとめ、息をのんだ。
「ううん、ジュリアン、見て! クラエス側のモンスターたち……パニックになっていないわ!」
クラエス側のモンスターたちは互いに視線を交わすと、誰からの指示も受けていないにもかかわらず、種族ごとの習性に従って瞬く間に綺麗な陣形へと組み上がっていったのだ。
「指示を出していない……!? プレイヤーが命令するのではなく、モンスター自身が判断して動いているというのか!?」
ジュリアンが驚愕の声をあげる。
「そうよ! クラエス側はあらかじめ種族を揃えたデッキを構築していた……そして、あの魔道AI! クラエス王国の技術陣は、日頃から研究している魔物の生態データをAIに学習させていたんだわ! だから指示がなくても、モンスター自身の習性で勝手に完璧な『群れ』として連携を取れているのよ!」
アイラの考察通りであった。
統率を失った教国側の烏合の衆に対し、クラエス側は完全統率されたひとつの巨大な『群れ』となり、怒涛の波となって襲いかかった。
個々の命令を超えたこの見事な群れ連携は、圧倒的な技術と研究の勝利であった。
「参ったな……カードゲームの大会で、日頃の生態研究とAI技術の差を見せつけられるとはね」
ジュリアンが感心したように深くため息をつき、アイラも爽やかな笑顔で拍手を送った。
「ええ、本当に見事な勝利だわ! クラエス王国の技術力に脱帽ね!」
会場全体が揺れ動くような大歓声の中、歴史的な一戦を経て大会は無事に閉幕した。
ミニモンカードの運営は各国連合による共同運営へと移行し、一枚のカードから始まった娯楽は、国家や種族の壁を溶かし、世界を一つに繋ぐ新たな時代の象徴となったのである。
そして、熱狂と興奮に包まれた『第六回ミニモンカード交流大会』が無事に幕を閉じ、月明かりが静かに街を照らす夜、クラエス王国の迎賓館にあるプライベートテラスでは、大会の疲れを癒やすための小さな茶会が開かれていた。
集まっているのは、ヴァリエール王国のアイラとジュリアン、そして神聖ルシエラ教国の教皇セレスをはじめとするごく限られた親しい者たちだけであった。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った空間で、温かいハーブティーの香りが心地よく漂っている。
「ふう、実に密度の濃い素晴らしい大会であったな」
セレス教皇はカップを傾け、満足そうに深く息を吐いた。
「まさか団体戦の決勝で、あのような大群による怒涛の戦術を見せつけられるとは思っておらなかったぞ」
アイラもまた、手元の焼き菓子を小さくかじりながら楽しそうに目を輝かせた。
「本当にね。クラエス王国の魔道AIと生態研究の合わせ技には、私も心の底から驚かされたわ。プレイヤーの指示を超える形でモンスター自身が連携を取るなんて、私の想像すら遥かに超えていたもの」
「ああ、実に鮮やかだった」
ジュリアンが微笑みながら、アイラのカップに温かいお茶を注ぎ足した。
「そもそもミニモンカードは、君や魔女のみんなが人々の交流のために生み出した娯楽だったね。それが今や、各国独自の技術や研究と結びついて、僕たちの預かり知らぬところでどんどん進化を遂げている」
その言葉を聞いたセレス教皇は、優しく目元を緩めた。
「手元を離れてひとり歩きを始めた子供の成長を見守るような気分じゃな。アイラ、生みの親として誇らしいのではないか?」
「誇らしいというよりは、なんだか不思議で感慨深い気持ちの方が多いかしら」
アイラは夜空に浮かぶ綺麗な月を見上げ、静かに語り始めた。
「最初はただ、カードを通じて色んな国の人が笑顔になれたらいいな、くらいの気持ちだったの。でも今では、クラエス王国のような技術の国が新しいシステムを作り、あのアウストラル帝国や悪魔たちが現実で争うことなく、ゲームの中だけで争うことになってるし、教国も神聖な教えの真実をカードに乗せて伝えているわ」
「ふふ、モイエス司教もすっかり改心して、教義の柔軟な解釈に目覚めておるからな」
セレス教皇は愉快そうに喉を鳴らした。
「だが、本当に素晴らしいのはカードそのものの技術だけではないぞ。天使や悪魔、人間や人外が、同じテーブルで喜怒哀楽を共有しておるという事実じゃ。昼間も観客席で、大天使と最高位悪魔が並んでポップコーンを食べておったろう?」
「ええ、見ていたわ。なんだか当たり前みたいに隣同士で熱狂していて、可笑しかったわね」
アイラはクスクスと可愛らしく笑った。
かつては神話の時代から続く絶対的な対立や、種族間の深い隔たりが存在していた。
だが、一枚のカードと共通のルールという公平な土台の上では、誰もが対等な一人のプレイヤーに過ぎないのだ。
「自分たちの作った小さなきっかけが、世界中の人々の手によって磨かれ、形を変えて、誰も見たことがないような大きな平和の輪に育っていく……。創造主の真似事をするつもりはないけれど、モノを作り出す歓びって、きっとこういうことなのね」
アイラがしみじみと呟くと、ジュリアンが優しくその手を包み込んだ。
「君が蒔いた種が、世界という肥沃な土壌で豊かな大樹へと育ったんだよ、アイラ。これからは各国連合による共同運営になる。僕たちの手を離れて、ミニモンカードはさらに面白い未来へと進んでいくだろうね」
「本当に楽しみね。次はどんな驚くようなカードや戦術が生まれるのかしら」
テラスの片隅では、いつの間にか忍び込んでいた少年の姿の創造神シンが、楽しそうに夜風に当たりながら高級なタルトをこっそり頬張っていた。
それに気づいたアイラとセレス教皇は顔を見合わせ、楽しそうに微笑みを深めた。
一枚の小さなカードから始まった物語は、人々の情熱と絆を乗せて、これからもどこまでも果てしなく繋がり、進化し続けていくのであろう。
そして、熱狂の渦に包まれた交流大会が閉幕してから、数週間の月日が流れた。
クラエス王国で産声を上げた新しいカードシステムと魔導ゴーグル技術は、またたく間に世界中へと広がっていった。
一国による管理を脱し、各国連合による共同運営へと移行した『ミニモンカード管理委員会』の設立により、国の枠組みを超えた平和な交流が当たり前の日常となりつつあった。
ヴァリエール王国の王宮にある穏やかな執務室では、アイラが焼きたてのスコーンにたっぷりとジャムを塗りながら、満足そうに目を細めていた。
「ふふ、管理委員会からの報告書によると、アウストラル帝国でもカードバトルを通じた平和的な交流が定着し始めたみたいね」
ジュリアンは手元の書類から視線を上げ、紅茶のカップを傾けながら優雅に微笑んだ。
「ああ、君と魔女のみんなが蒔いた種が、本当に素晴らしい形で花開いたよ。最高位悪魔たちもカードの調整や大会の運営に夢中で、地上で迷惑な事件を起こす気配は完全に消え去った」
「天使たちも同じね。下級や中級の天使たちはカードの戦術研究に没頭しているし、ドミニエルみたいな上位天使も改心してルールを守って楽しんでいるわ」
アイラは楽しそうに笑いながら、手元のスコーンを一口かじった。
この平和で微笑ましい光景は、ヴァリエール王国が長年にわたって積み重ねてきた努力の結実でもあった。
ヴァリエール王国は今や、単なる人間の王国にとどまらない広範な同盟関係を築き上げていた。
その最たるものが、大陸奥深くに存在する古代の聖域『エルフの郷』との深い親交であった。
大陸大移動で人間の生存圏と地続きになってしまったエルフ族であったが、大魔女であるアイラの存在と、ジュリアン国王が見せた誠実な外交姿勢、そして特にビクトール侯爵様とメルティーユ様の御婚礼によって、その親交はより深いものへと昇華した。
エルフたちがもたらす高度な森の魔法技術と精霊の祝福は、ヴァリエール王国の発展を支える大きな礎となっていた。
さらに、神聖ルシエラ教国との絆もかつてないほど強固なものとなっていた。
セレス教皇は大会の場において「すべての種族は神が生み出した対等な存在である」という真実の神託を公表した。
これにより、教国内で燻っていた排他的な教義は急速に姿を消し、人間もエルフも、果ては未だ見ぬ種族さえもが神の庭に生きる命として祝福されるという、新たな『ルシエラ教国連合』としての歩みが始まっていたのである。
「エルフの郷からの定期便も届いているわ。新しい精霊樹の葉で作られた茶葉が送られてきたの。あとでセレスたちも呼んで茶会を開きましょ」
「それは良いね、アイラ。セレス教皇もきっと喜ぶだろう」
ジュリアンは穏やかに応じたが、その翠緑の瞳の奥には、どこか冷徹で鋭い光が宿っていた。
ジュリアンは机の上に置かれた一枚の黒い革袋へと静かに手を伸ばした。
「だが、アイラ。世界が平和と共生へと向かう一方で、その流れを激しく拒絶し、憎悪を滾らせている勢力が存在する」
アイラはスコーンを置くと、青玉の瞳を真剣なものへと変化させた。
「例の……大会の裏で不穏な動きを見せていた国ね?」
「そうだ。大陸の北東部に位置する新興国家――『ラシスム新王国』だ」
ジュリアンが革袋から取り出したのは、王家の『影』たちが死力を尽して持ち帰った、極秘の潜入調査書であった。
ラシスム新王国。
それは数年前、周辺の小国を怒涛の軍事力で瞬く間に併呑し、突如として大陸の歴史の表舞台へと躍り出た人間だけの国家であった。
彼らが掲げる絶対の教義、それこそが過激極まる『人間至上主義』であった。
彼らは「人間こそが神に選ばれた唯一無二の万物の霊長であり、魔法や異種族、果ては天使や悪魔といった超常の存在すらも、人間に害をなす異形として排斥・支配すべきである」という狂信的な思想を国義としていたのである。
――ところ変わり、大陸北東部の険しい山々に囲まれたラシスム新王国の首都。
黒鉄と冷たい石造りで構築された巨大な王城の謁見の間には、不気味なほどの重苦しい沈黙が立ち込めていた。
鉄の玉座に鎮座するのは、ラシスム新王国の絶対的指導者である国王ルードヴィヒであった。
その顔には深い刻印のような傷痕があり、鋭い眼光は狂気と憎悪に満ちあふれていた。
玉座の前には、クラエス王国で開催された『第六回ミニモンカード交流大会』の様子を記録した最新の映像魔道具が置かれていた。
そこに映し出されているのは、最高位悪魔と上位天使が並んでポップコーンを食べながら歓声を上げる姿や、教皇セレスが悪魔のスキルを笑顔で発動させる光景であった。
「……愚かな。愚かしいにも程があるぞ」
ルードヴィヒ国王の声が、冷たく低い唸り声となって謁見の間に響き渡った。
「神の使徒たるべき教皇が不浄な悪魔の力を借り、人間が異形どもと同じテーブルにつき、子供の戯れごとに興じているとは……! これが我らの生きる世界の姿だというのか!?」
ルードヴィヒの拳が、鉄の意匠が施された重厚な肘置きを叩きつけた。
みしり、と不気味な軋み音が響き、堅木に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
謁見の間に居並ぶ軍幹部や異端審問官たちが、一斉に平伏した。
「我が王よ、激怒はお尤もにございます」
漆黒の修道服を纏った男――ラシスム新王国の国教最高指導者である異端審問卿マルクスが、蛇のような笑みを浮かべて一歩前へ出た。
「神聖ルシエラ教国は、神の教えを捏造し、異形どもと野合する堕落の府へと成り下がりました。そしてヴァリエール王国は、森の化物であるエルフや、規格外の魔女なる存在に国を売り渡し、人間としての誇りを捨て去った汚らわしい裏切り者でございます」
「そうだ。奴らは人類の敵だ」
ルードヴィヒは立ち上がり、背後に掲げられた巨大な国旗――人間の掲げる剣が異形の首を刎ねる意匠を描いた漆黒の旗を見上げた。
「世界は狂っている。魔法という不確かな力に頼り、異種族の顔色を窺い、神話の存在に怯えて生きる……。そのような歪んだ理は、我ら人間自身の手によって打ち砕かねばならんのだ!」
ルードヴィヒの咆哮に呼応するように、居並ぶ将校たちが一斉に剣を抜き、胸に当てた。
「我らラシスム新王国に与えられた聖命は、全大陸からの『異形浄化』である!」
マルクス異端審問卿が狂信的な瞳を輝かせながら、一枚の羊皮紙をルードヴィヒへと掲げた。
「我が王よ、準備は整いました。我が国が秘密裏に建造を進めてきた、魔素を強力に吸い上げて強制沈黙させる巨大な黒鉄の古代兵器『鋼鉄の神威』と、霊力を遮断する特殊陣地の展開魔法陣が完成いたしました。これさえあれば、エルフの精霊魔法も、魔女の規格外の術式も、果ては天使や悪魔の超常の力すらも、ただの無力な木偶へと変果てます」
ルードヴィヒは満足そうに口元を歪めた。
「素晴らしいぞ,マルクス。どれほど強大な魔法や超常の力を誇ろうとも、それを奪ってしまえば奴らはただの弱者だ。生身の人間が錬磨した鉄と血の軍勢の前に、ひれ伏すしかあるまい」
ルードヴィヒは力強く拳を握りしめた。
「ヴァリエール王国と神聖ルシエラ教国へ使者を送れ。『人類の尊厳を取り戻すための聖戦に加わるか、さもなくば異形と共に灰燼に帰すか』を選ばせるのだ。返答がどうあれ、奴らを滅ぼす計画に変更はないがな!」
「ハハッ! 直ちに全軍へ出撃準備を命じます!」
謁見の間に、狂気に満ちた大歓声が響き渡った。
人間至上主義という歪んだ選民思想に憑りつかれたラシスム新王国。
彼らの狙いは、ミニモンカード交流によって芽生えた世界規模の平和と共存の芽を、根底から踏みにじり、人類だけの独裁世界を築き上げることと同義であった。
――再び、ヴァリエール王宮の執務室。
ジュリアンから報告を受けたアイラは、静かに溜息を吐いた。
「人間至上主義ね……。過去の歴史でも、そういう極端な思想に走る国は何度かあったけれど、今回のラシスム新王国は本格的に危険そうね」
「ああ」
ジュリアンは険しい表情で頷いた。
「彼らは単に異種族を嫌っているだけではない。古代の異物や魔法無効化の技術を独自に発掘・再現し、軍事力として実戦投入しようとしている。すでに近隣の小国や亜人の集落が数か所、完全に壊滅させられたという情報が入っているんだ」
「魔法を無効化する兵器……」
アイラは自分の手を見つめた。
大魔女としての膨大な魔力を持つアイラであっても、世界の理そのものを揺るがすような特殊な兵器や広域陣地が展開されれば、思わぬ制限を受ける可能性がある。
そこへ、執務室の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
飛び込んできたのは、エマ【シュシュエル】であった。
その金色の瞳は激しい怒りに燃え上がっていた。
シュシュエルは手にした羊皮紙を無言のまま、ドカンと机の上に叩きつけた。
「『神聖ルシエラ教国は神の威光を汚す異端であり、セレス教皇は即刻退位して処刑されるべきだ。さもなくばルシエラ全土を血の海に変える』だと!? 我ら天界を差し置いて、神の地上代理者たる天使セレスを処分するなどと、神を愚弄するつもりか!」
シュシュエルの背後から光の羽が激しく逆立ち、強い神聖気が部屋中に満ち溢れた。
続いて、部屋の影から音もなく姿を現したのは、王家の『影』の筆頭であった。
「国王陛下、王妃殿下。ラシスム新王国の第一陣と思われる大軍勢が、我がヴァリエール王国と神聖ルシエラ教国の国境付近へ向けて進軍を開始いたしました。その数、およそ二十万。さらに、国境沿いのエルフの森にも、火炎兵器を携えた別動隊が接近中との報が入っております」
「二十万の大軍、それにエルフの森への侵攻か……」
ジュリアンは静かに立ち上がり、壁に掛けられた大陸地図を見つめた。
「本格的に僕たちを潰しに来たというわけだね」
室内には一瞬、重苦しい緊張感が走り抜けた。
しかし、ジュリアンの隣に立つアイラの表情に、恐れや動揺の色は一切なかった。
アイラは可愛らしく首を傾げると、ふっと不敵で力強い笑みを浮かべたのである。
「やれやれ。せっかくカードで世界中が仲良くなって、美味しいお茶やタルトを楽しめる平和な時代になったというのに……。それを台無しにしようとするおバカさんには、ちゃんとお仕置きをしてあげないとダメみたいね」
ジュリアンもまた、アイラの言葉に柔らかく、しかし冷徹な笑みを返した。
「そうだね、アイラ。僕たちの愛する国と、手に入れた大切な平和を、そのような狂信的な思想で壊させるわけにはいかない。エルフの友人たちも、ルシエラ教国の仲間たちも、全員で守り抜こう」
「ええ! ヴァリエール王国とエルフの絆、そして神々の教えを説くルシエラ教国連合の底力、あの子たちに見せてあげましょう!」
アイラの青玉の瞳が、大魔女としての絶対的な威厳と輝きを宿して光り輝いた。
世界を繋いだミニモンカード交流大会の歓声は遠ざかり、大陸は再び、激動の戦乱の渦へと巻き込まれようとしていた。
人間至上主義を謳うラシスム新王国との、世界の平和と尊厳を賭けた新たなる闘いの火蓋が、今まさに切って落とされようとしていたのである。




