ホラーの対処法と教育マザー登場
アイラとジュリアン、リリアとエドワードの二手に分かれた囮捜索は、驚くべき速さで成果を上げることになった。
王都の美しい貴族街を歩き始めてから、わずか十数分後のことだった。
それぞれのペアの目の前に、信じられないことに全く同じ顔をした美しい女性が同時に姿を現したのだ。
「あら、見ない顔ね」
女性はふてぶてしい笑みを浮かべ、男たちを誘惑するように一歩踏み出してきた。
アイラとリリアは、それぞれ一目で彼女たちの正体を見破った。
かつて未来の時間軸で遭遇した、あの無限に増殖する怪異「フエル」で間違いなかった。
しかし、さすがに白昼堂々、王都のただ中から王宮へこの怪しげな怪異を連れていくわけにはいかなかった。
そこで一同は、人目を避けるためにアルジェント公爵邸の離れへと彼女たちを誘導することにした。
離れの静かな一室に集まったのは、アイラ、ジュリアン、リリア、エドワードの四人と、捕獲された二人のフエルだった。
四人はさっそく、並んで座る同じ顔の二人の事情聴取を始めることにした。
「さて、おとなしく話しなさい。あなたの名前は何というのですか?」
アイラが冷ややかな視線を向けると、一人の女性が髪を弄びながら尊大に答えた。
「私の名前はアルファよ。平民にしては美しすぎるでしょう?」
「フエル、あなたの本名はフエルでしょう。私たちはあなたの正体を知っているのですよ」
リリアがその名を指摘すると、二人のフエルは少しだけ意外そうに眉をひそめたが、すぐにふてぶてしい態度を取り戻した。
「あら、その名前を知っているなんて、あなたたちも物好きね。まあいいわ、私の目的はただ一つ、自分の美しさを心の底から理解してくれる素敵な男性を探しているだけよ」
「ですが、あなたの言う素敵な男性とやらは、最終的にあなたを殺してしまうのでしょう?」
エドワードが冷静に問いかけると、もう一人のフエルがけらけらと笑った。
「そうなのよね。何故か最後にはみんな、私をバラバラに殺したくなっちゃうみたいなの。でも、殺されると私は増えるから問題ないわ」
「増えたあなたたちは、その後どうするのですか?」
ジュリアンの問いかけに、フエルはまるで「今日の夕食は何?」と聞かれたかのような軽さで胸を張った。
「増えた私たちは、それぞれが全く別々の場所で、別々の新しい人生を歩むことになるわ。お互いにある程度の距離まで近づけば、そこに別の私がいるって認識できるのよ」
「お互いの仲は悪くないのですか?」
アイラが尋ねると、二人のフエルは顔を見合わせて肩をすくめた。
「基本的には仲が良いわよ。でもね、一人の男を巡って、私たち同士で殺し合いをすることだってあるわ」
「殺し合っても、どうせまた生き返って増えるだけだから、お互いに一切の遠慮がないのよね」
「それに、これ以上無駄に増えないように、死んだ私の身体がちゃんと生き返るまで、他の私が見届けるようにもしているわ」
彼女たちの口から語られる生態は、あまりにも常軌を逸したホラーそのものだった。
すると、二人のフエルは、目の前にいるジュリアンとエドワードをじっと見つめ始めた。
「ねえ、ところでさ。あなたたち二人、どうして私を見ても平気なの?」
「私に興味を示さない男なんて初めてだわ。しかもよく見たら、二人ともものすごい美男子じゃない」
「王太子のジュリアン様と、第二王子のエドワード様でしょう? 超有料物件じゃない、もしかしたら、この二人なら私を殺さないで愛してくれるかもしれないわ」
フエルたちが獲物を見つけた肉食獣のような目を向けた瞬間、部屋の空気が一気に凍りついた。
アイラとリリアの身体から、底冷えするような凄まじい魔力の圧力が膨れ上がったのだ。
「……ジュリアンは私のものですわ。気安くその汚い目を向けないでいただけますかしら?」
「エドワード様も、私の婚約者です。これ以上不快な言葉を口にしたら、タダでは済ませませんよ」
双子の姉妹から放たれる圧倒的な威圧感に対しても、フエルたちは太々しく、挑発的な目で見返してきた。
「なによ、ただの子供のくせに。男が誰を選ぶかは男の自由でしょう?」
フエルのふてぶてしい態度に、アイラとリリアは静かに目を細めた。
「ねえ、リリア。この怪異はバラバラにされると増えるけれど、塵一つ残さずに一瞬で消滅させれば、生き返ることもできずにそのまま消えるのかしらね」
「どうでしょう、お姉様。一度試してみる価値はありそうです。もし消滅してしまえば、この世から鬱陶しいゴミが二つ消えるだけですものね」
「死ぬのは怖くないけれど、塵も残らない無は嫌――」
その言葉を聞いた途端、不死身を自負していたフエルたちの顔からみるみる血の気が引き、本能的な死の恐怖にガタガタと震えだした。
「ひっ……! な、なによあなたたち、本気なの?」
「わ、分かったわよ! もう二度とその男たちには手を出さないから、落ち着きなさいよ!」
怯えるフエルたちを見て、アイラは一度深呼吸をして魔力の圧力を収めた。
「一旦落ち着いて、建設的な話をしましょう。ミスティに、あなたたちの精神干渉能力を封じる特別な魔道具を作ってもらいますわ」
「それをあなたたち全員に装着させ、さらに旅先で出会った他のフエルに対して、ヴァリエール王国のアルジェント公爵家のアイラかリリアを訪ねるように、あなたたち自身の手で伝えて回ってもらうというのはどうかしら?」
アイラの提案に対し、二人のフエルは即座に嫌そうな顔をした。
「は? 何言ってるのよ、そんな面倒くさいこと、絶対に嫌よ」
「そうよ、どうして私たちがそんな他人のために働かなきゃいけないの? 勝手に増えて自由に生きさせてもらうわ」
その言葉を聞いた瞬間、アイラとリリアの瞳から完全にハイライトが消えた。
二人は無言のまま、手のひらに極大の消滅魔力を練り上げ始めた。
あまりの魔力の密度に、周囲の空間がぐにゃりと歪み始める。
ジュリアンとエドワードは、そんな二人を止める素振りすら見せず、ただ静かに見守っていた。
「ちょっと! 何する気よ! やめなさいってば!」
「本当に消される! 助け――」
フエルたちの悲鳴が響き渡る前に、アイラとリリアの手から放たれた目も眩むような光が、二人の身体を完全に包み込んだ。
光が収まったとき、そこには服の繊維一枚すら残されていなかった。
二人のフエルは、この地上から完全に消滅していた。
「……あ」
アイラはぽつりと声を漏らした。
「やってしまいましたわね、お姉様」
「ええ、やってしまいましたわね、リリア。怒りのあまり、後先考えずに完全に消し去ってしまいましたわ」
二人が呆然としていると、ジュリアンが苦笑しながら歩み寄ってきた。
「まあ、君たちの気分が晴れたのならそれでいい。だが、これで交渉の糸口は完全に振り出しに戻ってしまったね」
「そうですね。あの様子では、大人しくこちらの指示に従うとも思えません。やはり、見つけ次第すべて消滅させる、見敵必殺【サーチアンドデストロイ】しか選択肢はなさそうです」
エドワードが生真面目な顔で提案すると、ジュリアンも深く頷いた。
「同感だ。王都の平和と、何より私たちの精神の安寧のためにも、それしかないだろう」
「問題は、どうやって彼女たちをすべて見つけ出すかですわ。一時的な対応として、私とリリアの魔力分身を王都中に放ち、フエルを探索してみましょう」
アイラはそう言うと、自身の魔力を練り上げて数多くの小さな光の分身を作り出した。
「現代の王都に、一体どれだけの数のフエルが存在しているのかを、まずは把握したいのですわ」
「最終的に王都から彼女たちが居なくなれば儲けもの、という行き当たりばったりな解決策ではありますが、やらないよりはマシですものね」
リリアも同様に分身を放ち、探索を開始した。
しかし、より効率的な方法を求めて、四人は一度、新米男爵のミーナに相談してみることにした。
王宮の工房で相談を受けたミーナは、人差し指を顎に当てて少し考え込んだ。
「なるほどです。フエル同士が一定の距離でお互いを感知できる生態を持っているのでしたら、その生態魔力を応用した『フエル探知レーダー』を作れるかもしれません!」
「まあ、それは素晴らしいアイデアですわね!」
アイラが喜びの声を上げたのも束の間、ミーナは困ったように眉を下げた。
「ただ、そのためには、フエル同士が感知し合っている時に放出される『特有の魔力波形』を解析する必要があるのです。ですから、近くにいる二人のフエルを観察させていただけませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、アイラとリリアは、先ほど二人のフエルを塵も残さず消滅させてしまったことを激しく後悔した。
「……お姉様、私たちは取り返しのつかないことをしてしまいました」
「ええ、リリア。あの二人をサンプルとして生かしておけば、今すぐレーダーが完成していましたのに」
二人はがっくりと肩を落としたが、すぐに気を取り直した。
「仕方がありませんわ。レーダー開発のために、もう一度王都からフエルを探し出すしかありませんね」
「王都のどこかに、まだ別の個体が居てくれると嬉しいのですが」
それから七日間、アイラたちは魔力分身を駆使して王都中を徹底的に捜索した。
しかし、信じられないことに、王都内にはもう一人のフエルも残っていなかった。
どうやら、先に騒ぎを起こした個体たちが消えたことで、他の個体はすでに別の街へと移動してしまったようだった。
「なんてことでしょう。まさか、既に王都には一人も残っていないなんて」
アイラは絶望に満ちた表情で天を仰いだ。
「こうなったら、一時的な王都の捜索ではなく、私たちの魔力分身を王国全土に放つしかありませんわね」
「ええ、お姉様。ヴァリエール王国中を徹底的に探し回って、次のサンプルを確保しましょう」
こうして、当初の想定よりも遥かに規模が大きくなってしまった追跡劇に、アイラたちは少しだけ遠い目をしながらも、再び新たな探索へと乗り出すのだった。
アイラとリリアが放った数多くの魔力分身たちは、王都の枠を超えて王国全土へとその捜索網を広げていた。
二ヶ月もの気の遠くなるような時間を費やし、分身たちはついに、別々の街に潜伏していた二体のフエルを無傷で捕獲することに成功した。
これでようやく、魔道具開発のための貴重なサンプルが揃ったことになる。
アイラたちが確保したフエルの監視を行っている間、ジュリアンとエドワードは王宮へと向かい、国王ジェラールへとこれまでの調査の中間報告を行っていた。
「なるほど、せっかく捕らえた最初の二体を、怒りに任せて完全に消滅させてしまったのか」
報告を聞いたジェラールは、思わずおかしそうに肩を揺らして苦笑した。
しかし、すぐにその表情を引き締め、真剣な眼差しを息子たちに向けた。
「ジュリアン、エドワード。アイラとリリアの持つ力は、我々人間の常識を遥かに超越している。あれほどの強大な力がひとたび感情の暴走によって解き放たれれば、国家を根底から揺るがしかねない。あの二人の力が決して『悪』とならないよう、お前たちがしっかりと寄り添い、ストッパーとなってやるのだぞ」
ジェラールは、彼女たちが持つ魔女としての規格外の価値観を十分に理解し、許容していた。
だが、それと同時に、あまりにも人間離れしたその力は、人間社会の秩序においては決して褒められたものではないとも感じていた。
「あの二人の行動を常に注視し、正しい方向へと導くのがお前たちの役目だ。強すぎる力には、それを制御するための精神的な支えが不可欠なのだからな」
「父上のおっしゃる通りですね。アイラたちが時折見せる危うさは、私たちが隣で支えていかねばならないと痛感しております」
ジュリアンは静かに頷き、その言葉を深く胸に刻んだ。
エドワードもまた、隣で真剣な面持ちで同意を示していた。
一方その頃、アイラとリリアは、ミーナによる探知魔道具の完成を待つ間、回帰メンバーである自分たちの家族の元へと足を運んでいた。
かつて過ごした未来の時間軸で遭遇したフエル事件が、この時代でも全く同じように発生していたという話の続きを聞かせるためだった。
暖炉の火が優しく爆ぜる居間で、アイラは少し決まり悪そうに頬を掻いた。
「実は、囮捜査で捕まえた最初の二人のフエルなのですが……。あまりにも太々しくて癪に障る態度を取られたので、つい勢い余って消滅させてしまいましたの」
「まあ、お姉様ったら、私も一緒になって魔力を練り上げてしまいましたけれど、すっかり塵一つ残さずに消し飛ばしてしまいましたわね」
リリアも苦笑しながら、姉の言葉に同意した。
その告白を聞いた母親のエレオノーラは、呆れたようにため息をつきつつも、優しい眼差しを娘たちに向けた。
「アイラ、リリア。あなたたちは元々、強大すぎる魔女としての精神を持っています。けれど、今のあなたたちの肉体は、紛れもなく成長途中の子供のものです。肉体の幼さに引っ張られて、知らず知らずのうちに感情の制御が難しくなっているのではないかしら。いくら精神が大人でも、子供の脳の衝動には勝てないものよ。私たちは客観的に手綱を引いてあげる必要があるわね。人間としての価値観を十分に持ち合わせていて、なおかつあなたたちの暴走を物理的にも止められる、そんな魔女のお目付け役を立てるのが一番だわ。私、さっそく適任の魔女を探してみることにするわね」
エレオノーラの言葉に、アイラとリリアはハッとしたように顔を見合わせた。
確かに、以前の自分たちであれば、どれほど不愉快な相手であっても冷静に状況を分析し、利用価値を見出してから対処していたはずだった。
それが、今回は本能的な怒りのままに消滅魔法を放ってしまっていた。
「言われてみれば、確かにその通りかもしれませんわ。無意識のうちに、子供の脳の衝動に流されていましたのね」
アイラが納得したように呟くと、エレオノーラは満足そうに頷いた。
エレオノーラが提案したその解決策は、奇しくも王宮でジェラール国王が懸念していた事柄と、完全に一致するものであった。
この問題を解決するため、アイラたちは魔女世界へと赴き、すべての魔女たちの意見をまとめる機関である「マザーシックス」に相談することにした。
魔女世界に君臨する偉大なる六人の魔女たち。
マーリン、ルサールカ、エマニエル、フルフル、オフィーリア、ローリエが、円卓を囲んでアイラたちの相談に耳を傾けていた。
「ふむ、現世の肉体に引っ張られて感情の制御が効かなくなるとは、魔女としては珍しい経験をしているな」
最初に口を開いたのは、円卓の奥に座るマーリンだった。
彼女は数ある魔女の中でも、長い年月を人間の世界で過ごし、誰よりも深く人間の価値観や温かさを理解することに成功した稀有な魔女であった。
現在はとある大国の深い森の奥に隠住しており、周囲の人間たちからは親しみを込めて「森の魔女」と呼ばれている。
人間たちは彼女を本物の魔女とは知らず、ただの非常に腕の良い、親切な人間の魔法使いだと思い込んで頼りにしていた。
「アイラにリリア、お前たちのその有り余る若さと力を、人間の世界で正しく導く役目。……他ならぬ私がお引き受けしようじゃないか」
マーリンは穏やかに微笑み、深く刻まれた目元の皺を和らげた。
「まあ、マーリン様が自ら名乗りを上げてくださるのですか?」
アイラが驚きに目を丸くすると、マーリンは嬉しそうに頷いた。
「ああ。私にお弟子ができるのは、一体いつ以来のことだろうね。強すぎる力は時として持ち主の心を蝕むもの。私がしっかりと、お前たちに人間としての優しさと自制の心を教えてあげよう」
こうして、マーリンが正式にアイラとリリアの師匠、そして人間社会における教育係兼お目付け役として、彼女たちを指導していくことが決定したのだった。
師匠が決まったのとほぼ同時期に、王宮の工房で作業を続けていたミーナから、ついに新しい魔道具が完成したとの知らせが届いた。
一同はさっそく、新開発された魔道具の性能テストを行うことにした。
捕獲していた二体のフエルのうち、一体をあえて王都の郊外へと一度解き放ち、それを探知レーダーで追跡する実験である。
今回は前回の反省を活かし、フエルを無駄に消滅させるようなことは決してしない。
フエルのふてぶてしく自由奔放な性格を考慮した結果、ブレスレットなどの身につけるタイプの魔道具では、すぐに自分の意志で外されて捨てられてしまうことが目に見えていた。
そこでアイラたちは、ミーナに作らせた「精神干渉封印の魔道具」を、フエルたちの体内に直接魔法的に埋め込むという手法を採用することにした。
ミーナが作り上げた探知レーダーの画面には、魔力の波形がはっきりと光る点となって表示されていた。
「作戦はいたってシンプルですわ。探知レーダーで居場所を特定したら、背後から音もなく近づいて魔法で眠らせます。そのまま安全な場所へ誘拐し、体内に封印の魔道具を埋め込んだら、何事もなかったかのように元居た場所にそっと捨ててくるのです」
アイラが冷徹な笑みを浮かべて作戦を説明すると、ジュリアンたちは一様に複雑な表情を浮かべた。
「捕獲して眠らせて埋め込んでポイ捨てか。……人道的かどうかはさておき、あのフエル相手ならこれ以上ないほど確実で効果的な作戦だね」
ジュリアンが苦笑しながら言うと、実際にその作戦が実行に移された。
レーダーの精度は極めて高く、王都の雑踏に紛れたフエルの位置を正確に指し示していた。
放たれた魔力分身たちは、レーダーの指示に従ってフエルを迅速に追跡し、一切の抵抗を許さずに眠らせて、その体内に封印魔道具を埋め込んでいった。
この封印魔道具の効果により、フエルが他者に対して放つ強力な殺害衝動や精神干渉の波形は、完全に無力化されることになる。
数が非常に多いため、今後の王国全土での本格的な捜索と埋め込み作業は、アイラとリリアの魔力分身たちにすべて任されることとなった。
今回の多大なる貢献に対し、ジェラール国王からミーナへ、破格の報酬が授与されることとなった。
王宮の謁見の間にて、ミーナには国家の危機を救ったとして栄えある勲章が授けられ、さらに金一封として、驚くべきことにアルジェント公爵家が保証する国家秘密研究費としての『金貨一億枚の預かり証』が手渡された。
「ミーナ、これからも我が国の平和のため、 そして何より私や国民の安寧のために、素晴らしい魔道具をたくさん作っておくれ。大いに期待しているぞ」
ジェラールは満面の笑みでそう告げたが、その言葉の端々からは、これで我が国の魔導技術は百年は進むぞと裏でニヤニヤしている、国王としてのしたたかな下心が透けて見えていた。
勲章と想像を絶する額の預かり証を前に、ミーナはただただ目を丸くし、嬉しさと困惑が入り混じった表情で立ち尽くしていた。
こうして、王都を恐怖と混乱に陥れかけた不気味な増殖怪異「フエル」の事件は、新たな師匠マーリンの導きと、最新鋭の魔道具の力によって、今度こそ見事に決着を見たのであった。
魔女世界のマザーシックスであるマーリンが、地上に下りてくる準備を整えてアルジェント公爵邸の門前に姿を現していた。
門番は、あらかじめアイラとリリアの新しい家庭教師がやってくるという報告を受けていた。
そのため、怪しむことなく丁重に礼を尽くし、すぐに屋敷の中へと案内する者を呼びつけた。
門番の呼びかけに応じて現れた案内役の使用人は、アルジェント公爵家のすべてを取り仕切る執事長であった。
執事長は、門前に立つマーリンの姿を一目見た瞬間、背筋に極上の冷水が走るような錯覚を覚え、その場に縫い付けられたように息を呑んだ。
豪奢なドレスをまとっているわけでもないのに、彼女のまとう雰囲気は、ただの家庭教師と呼ぶにはあまりにも不釣り合いなほどに、底知れぬ気品と圧倒的な存在感に満ちあふれていた。
肌を刺すような冷たい威圧感がある一方で、それ以上にすべてを受け入れて包み込むような、聖母のような底なしの包容力を感じさせた。
執事長は、かつて数多くの国々の使節や王族を目にしてきたが、目の前の女性からはそれらを遥かに凌駕する絶対者の風格を感じ取っていた。
このお方は、間違いなくどこかの大国の王族、あるいはそれを超える高貴な身分に違いない。
執事長はそう直感し、自身のこれまでの経験のすべてを総動員して、最上級の敬意を込めた完璧な礼を捧げた。
「ようこそアルジェント公爵邸へお越しくださいました、マーリン様。私、当家の執事長を務めております。さあ、こちらへどうぞ」
執事長は一寸の隙もない優雅な動作で、マーリンを屋敷の中で最も格式高い最上級の応接室へと案内した。
彼女をふかふかのソファーへと促すと、執事長はすぐに主人のレオンハルトと、これから生徒となるアイラとリリアを呼びに走った。
やがて、部屋へとやってきたレオンハルトは、緊張した面持ちでマーリンの前に立った。
「はじめまして、マーリン殿。アルジェント公爵家のレオンハルトだ。娘たちの指導を引き受けてくださり、心から感謝する」
「お初にお目にかかります、レオンハルト公爵。私はマーリン。あの子たちの危うさを少しばかり正しに、こうして地上へと参りました」
二人はお互いに深くお辞儀をし、静かに挨拶を交わした。
レオンハルトは、アイラたちから事前にマーリンが魔女世界を統べる「マザーシックス」の代表格であることを聞いていた。
それゆえに、一国の王にすら匹敵する、いやそれ以上の権力と力を持つ彼女に対し、公爵として礼儀を尽くして接していた。
なお、長男のセオドアは、現在騎士団の訓練で朝から屋敷を空けているため、この場には居合わせていなかった。
「マーリン様、よくぞお越しくださいましたわ! これからよろしくお願いいたしますね」
「よろしくお願いします、マーリン様。地上での暮らしが少しでも快適なものになるよう、私たちもお手伝いいたしますわ」
アイラとリリアが嬉しそうに声をかけると、マーリンは目元の皺を和らげて優しく微笑んだ。
「ああ、よろしくね、可愛いお弟子さんたち。さて、挨拶もそこそこにすまないが、これからジュリアン殿下を通じて国王陛下に謁見することになっているのだろう? さっそく王宮へ向かうとしようかね」
マーリンの提案に従い、一同は公爵家の馬車に乗り込んで王宮へと移動した。
王宮の格式高い控室に到着すると、そこにはすでにアイラたちの到着を心待ちにしていたジュリアンとエドワードが待機していた。
「お待ちしておりました、マーリン様。私は第一王子のジュリアンです。こちらが弟のエドワードです」
「エドワードと申します。我が国の王都へ、 そして王宮へようこそお越しくださいました」
二人が丁寧に頭を下げると、マーリンは慈愛に満ちた瞳で二人を見つめた。
「ジュリアン殿下に、エドワード殿下だね。アイラとリリアから話は聞いているよ。あの子たちの隣を歩むにふさわしい、実に聡明で真っ直ぐな若者たちのようだ」
マーリンが静かに微笑みながら挨拶を交わし、一同が謁見の時間まで談笑しながら待とうとした、その時のことだった。
控室の重厚な扉が静かに開き、驚くべき人物たちが姿を現した。
「待たせてしまったかな。いや、私の方から出向くのが筋だと思ってね」
そこに立っていたのは、他ならぬ国王ジェラールと、その傍らに寄り添うテレーゼ王妃であった。
一国の王が、まだ正式な謁見の儀も執り行っていない相手の控室に自ら足を運ぶなど、通常の人間の世界ではあり得ないほどの破格の待遇であった。
しかし、ジェラールにとっては当然の判断であった。
相手は他国どころか、全く異なる世界の頂点に立つ、人智を超えた存在である「魔女」の代表なのだ。
さらに、愛する息子たちの未来を案じる父親として、またアイラたちの危うい力に胃を痛めていた王として、その懸念を解決してくれるという大恩人に最大限の敬意と感謝を示したかったのである。
ジェラールの顔をじっと見つめたマーリンは、フフッと小さく喉を鳴らした。
「なるほど。あなたが、あの子たちの力を案じて、夜も眠れぬほどに頭を悩ませていたという国王陛下ですね」
マーリンは一目で、ジェラールがアイラたちの超常的な力と人間社会との折り合いについて、深く葛藤し、悩んでいたことを看破して見せた。
「……いかにも、その通りです。彼女たちの力は、我々人間の常識では到底コントロールできない。だからこそ、あなたのような存在が手を差し伸べてくださることに、言葉では言い表せないほどの感謝を抱いております」
ジェラールが真摯に答えると、マーリンは満足そうに深く頷いた。
「陛下の人柄は、実によく分かりました。あの子たちがこの国に身を置くことを選んだ理由が、今ならはっきりと分かります。合格ですよ、ジェラール陛下」
マーリンは穏やかな口調の中に、絶対的な決定権を持つ者の威厳をにじませて告げた。
もし、この国の王が己の私欲にまみれた暗愚であったり、魔女の力を利用することしか考えない無能であったりしたならば、マーリンは即座にアイラとリリアの手を引いて魔女世界へと連れ帰るつもりだった。
しかし、ジェラールはどこまでも誠実で、国を愛し、息子たちの幸せを願う良き王であったため、その心配は杞憂に終わったのである。
一方で、ジェラールはマーリンの瞳と対峙した瞬間に、冷や汗が背中を伝うのを覚えていた。
この人物には、絶対に勝てない。
ジェラールは直感的に、己がこれまでに培ってきたすべての王としての手腕や、政治的な駆け引きの技術が、彼女の前では赤子同然であると悟った。
どのような策略を巡らせようとも、すべてを優しく見透かされ、完全敗北する未来しか見えなかった。
しかし、その敗北感は決して不快なものではなかった。
目の前にいる女性は、底知れぬ力と知性を持ちながらも、その根本にある精神は大地のように穏やかで、すべての生命を慈しむ聖母そのものであったからだ。
魔女世界のすべての魔女から「マザー(母親)」と慕われるだけのことはある。
このお方がアイラたちの後ろ盾となり、教育係としてお目付け役に付いていてくれるのであれば、この国も、アイラたちの未来も、絶対に大丈夫だ。
ジェラールは心の底から安堵し、肩の荷が下りるのを感じながら、心からの笑みを浮かべた。
「過分なお言葉、光栄の至りです。マーリン殿、ぜひ今夜は、我が国が誇る最高の宮廷料理でおもてなしさせてください。歓迎の晩餐会を用意させております」
「おや、それは嬉しいね。地上の美味しいお料理をいただけるなんて、今から楽しみだよ」
マーリンが嬉しそうに応じると、その日の夜は、王宮のきらびやかな大食堂にて、マーリンの歓迎を兼ねた盛大な晩餐会が催された。
国の重鎮や王族が見守る中、マーリンは非常に優雅な所作で地上の料理を楽しみ、ジェラールやテレーゼ、そして子供たちと和やかに言葉を交わした。
すべての食事が終わり、宴がお開きになると、アイラたちは満足げな表情でアルジェント公爵邸へと帰還する馬車へと向かった。
しかし、馬車に乗り込む直前、アイラは思い出したようにくるりとジェラールの方を振り返った。
「ジェラール様。今回のフエル事件の解決報酬として、王宮の厨房を好きなだけ使って良いというお約束、覚えていますわよね?」
「ああ、もちろん覚えているとも。好きなだけ使って、腕を振るうといい」
ジェラールが苦笑しながら頷くと、アイラは満面の笑みを浮かべて嬉しそうに告げた。
「ふふ、ありがとうございます。それではさっそく、明日、王宮の厨房を使わせてもらいますわね!」
アイラはそう言い残すと、リリアやマーリンと共に、夜の闇に消えていく馬車へと乗り込んでいった。
こうして、魔女の母であるマーリンという、これ以上ないほどに心強く、そして絶対に敵に回してはならない偉大な導き手を地上に迎えたアイラたちは、新たなる平穏と美味しい食事を求めて、また一歩を踏み出すのだった。




