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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
回帰編

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未来からのホラー

王都の喧騒から少し外れた平民街の薄暗い酒場では、夜な夜な不気味な噂話が囁かれていた。


「おい、聞いたか? 例の猟奇殺人の話だよ」


若い職人の男が、ジョッキを片手に声を潜めて仲間に問いかけた。


「ああ、男が惚れ込んでいたはずの女を、突然バラバラにしたってやつだろ。確か、五つに解体されていたとか……、想像するだけで鳥肌が立つな」


仲間は身震いをしながら、強い酒を喉に流し込んだ。


「それがさ、犯人の男は捕まった後、ひどく取り乱して深く反省しているらしいんだ。何でそんなことをしたのかって聞かれても、『突然、どうしても殺したくなったんだ』としか言わないらしい」


「狂ったのか、それとも魔術的な催眠や洗脳の類なのか?」


「警備兵たちが念入りに調べたが、そんな形跡は一切なかったそうだ。おまけに、最も気味が悪いのはここからんだが……、翌朝には衛兵所の安置室から、その五つに解体された女性の死体が丸ごと消えちまったらしい」


「なんだって? 死体が消えた?」


「ああ、それだけじゃない。最近、平民街では妙な噂が飛び交っているだろ。同じ時間に、同じ顔をした女性が五人、別々の場所で同時に目撃されているって話だ」


「ああ、その噂なら俺も聞いた。ただの他人の空似にしては、目撃情報が多すぎるよな」


男たちは怪訝な顔を見合わせ、再び怪しげな噂に花を咲かせ始めた。


その頃、美しい白壁が立ち並ぶ王都の貴族街では、きらびやかな展示会場でチャリティー絵画展が開催されていた。


この催しは、才能ある若手画家を支援するために開かれたもので、会場には数多くの貴族たちが家族連れで訪れていた。


王国の重鎮であるアルジェント公爵家も、当主であるレオンハルトを筆頭に、息子のセオドア、そして双子の姉妹であるアイラとリリアが、護衛の侍女マリーを伴って総出で参加していた。


会場を彩る数々の絵画を眺めていたアイラは、ふと、一枚の肖像画の前で足を止めた。


「……?」


アイラはその絵に描かれた美しい女性の顔をじっと見つめた。


どこかで確実に見覚えがあるはずなのに、どうしてもその名前や詳細が思い出せない。


「お姉様、どうなさったのですか?」


隣を歩いていたリリアが、立ち止まった姉に気づいて声をかけた。


「リリア、この肖像画の女性、見覚えがない?」


アイラに促され、リリアもその肖像画に視線を向けた。


「え……? はい、確かに。私もこの方をどこかで知っているような気がします。ですが、どうしても思い出せませんね」


双子の姉妹が揃って眉をひそめていると、心配したレオンハルトとセオドアが近寄ってきた。


「アイラ、リリア、何か気になる絵でもあったのかい?」


「お父様、お兄様。この絵の女性に、どこかで見覚えはありませんか?」


レオンハルトとセオドアは、アイラたちが指し示す肖像画を真剣な表情で見つめた。


しかし、二人は首を横に振った。


「いや、私には見覚えがないな。これほど特徴的な美女であれば、一度会えば忘れないはずだが」


「僕も見たことがありませんね。王都の社交界にいる令嬢や、他国の貴族でもなさそうだ」


二人の反応に、アイラとリリアはますます首を傾げた。


その様子を後ろで静かに見守っていた侍女のマリーが、わずかに目を細めて肖像画を見つめた。


マリーの目には、その女性の顔に確かな見覚えがあった。


つまり、この世界が巻き戻る前の『未来の時間軸』を知る回帰メンバーだけが、この女性に見覚えがあるということだった。


アイラたちは会場にいた主催者の画家に、この肖像画のモデルについて尋ねてみることにした。


「ああ、その絵のモデルですか。彼女の名前は『アルファ』と言います」


画家は誇らしげに、しかし少し困惑したように語った。


「平民にしては、驚くほど美しく、そしてどこか尊大で気高い気質を持った女性でした。ただ、私としても、それ以上の詳しい素性は知らないのです。ただ一度だけ、私のモデルを務めてくれただけの通りすがりですので」


「アルファ、ですか……」


アイラはその名前を口の中で繰り返したが、やはり霧がかかったように記憶の糸は繋がらなかった。


絵画展を終え、アルジェント公爵家の馬車が貴族街の通りを進んでいると、外がにわかに騒がしくなった。


「どうした?」


セオドアが窓の外を覗くと、通りの端で人だかりができていた。


「無礼討ちがあったようですね。どうやら、平民の女性が貴族の騎士に斬り捨てられたばかりのようです」


遠巻きに見物人がざわめく中、石畳と血だまりには、まだ生暖かい体温を残していそうな女性が横たわっていた。


「アイラ、リリア、見ない方がいい」


レオンハルトが娘たちの視線を遮ろうとしたが、双子の姉妹は動じなかった。


彼女たちは前世で何度も凄惨な死の光景を目にしてきたため、今さら死体を見ても恐怖を感じることはなかった。


「大丈夫ですよ、お父様。貴族街で平民が無礼討ちされるのは、それほど珍しいことではありませんものね」


アイラが冷静に言うと、リリアも静かに頷いた。


「はい。前の時間軸では実際に目撃したことはありませんでしたが、知識としては知っていました」


冷徹に状況を見極める幼い娘たちの様子に、レオンハルトとセオドアは少し複雑な表情を浮かべた。


やがて、その貴族家の騎士たちが死体を台車に乗せて素早く片付け始めるのを見届けると、公爵家の馬車はそのまま静かに屋敷へと帰還した。


数日後、貴族街で殺されたあの女性の死体が、いつの間にか消え去ったという奇妙な噂が立ち始めた。


アルジェント公爵家には現在、女主人がいない。


そのため、テレーゼ王妃の温かい配慮により、アイラとリリアは王妃が主催するアフタヌーンティーやサロンに頻繁に招かれていた。


この日も、新たに男爵として叙爵された魔道具技師のミーナを伴って、アイラたちは華やかなサロンに参加していた。


集まった貴婦人たちの間では、今、空前の『生物学』ブームが巻き起こっていた。


「本当に不思議なことですわ。何故、優秀な魔力や知性を持つ者同士が結婚して子供を成しても、必ずしも優秀な子供ばかりが生まれるとは限らないのでしょうか」


高位貴族の夫人が、ため息混じりに疑問を口にした。


すると、同席していたミーナが、控えめに、しかし堂々とした態度で一つの仮説を提唱した。


「皆様、それをトランプの『ポーカー』というゲームに例えて考えてみてはいかがでしょうか」


「ポーカー、ですか?」


夫人たちが興味深そうにミーナに視線を向けた。


「はい。例えば、非常に優秀な父親と母親がいたとします。二人の手札には、それぞれ『ロイヤルストレートフラッシュ』や『ストレートフラッシュ』といった、最高に素晴らしいカードが揃っています。しかし、新しく子供という『手札』を作る際、親は自分の意思で都合の良いカードを選んで渡すことはできません」


ミーナは手元に置かれた焼き菓子をカードに見立てて説明を続けた。


「それぞれの親の手札をすべて裏返し、シャッフルした状態から、ランダムにカードを引くことになります。父親から二枚、母親から二枚、そしてさらに片方からもう一枚、合計五枚のカードを子供に託すのです。そして、いざ子供の手札を開いてみると……、揃った役は『ツーペア』だった、ということが起こり得るのです。親の元の手札がどれほど良くても、組み合わせ次第で平凡な結果になってしまう。これが、優秀な親から必ずしも優秀な子が生まれない理由ではないでしょうか」


ミーナの明快でユニークな説明に、サロンの夫人たちは一斉に感嘆の声を上げた。


「まあ、素晴らしい例えですわ! さすがはテレーゼ王妃様が直々に抱え込まれた、若き天才魔道具技師ですこと!」


夫人たちがミーナを絶賛する横で、アイラとリリアは我が事のように誇らしげな笑みを浮かべていた。


すると、別の夫人が声を潜めて新たな話題を切り出した。


「ところで皆様、最近の貴族街の噂をご存じかしら? 先日、無礼討ちに遭って亡くなった平民の女性の死体が、安置場所から忽然と消えてしまったそうですのよ」


「ええ、私も小耳に挟みましたわ。我が家の騎士たちの会話でも、その噂は事実のようだと深刻に話し合っておりました」


「一体、この美しい貴族街で何が起きているのでしょうか……」


夫人たちが不安そうに顔を見合わせる中、アイラとリリアは静かにその言葉に耳を傾けていた。


「ねえ、お姉様。貴族街で一度は安置された死体が消え去るなんて、妙な話ですね」


リリアが耳元で囁くと、アイラも小さく頷いた。


「そうね。でも、先日の無礼討ちの女性は、普通に一太刀で斬られて亡くなっていたわ。特に複雑な事件性があるようには見えなかったけれど……。何かの手違いか、それともただの墓荒らしの類かしらね」


「そうですね。少し考えすぎだったかもしれません」


二人は一度その思考を脇に置き、再び夫人たちの賑やかな会話へと意識を戻した。


平民街で起きている、あの五つに解体された死体の消失や、同じ顔の女性が複数目撃されているという怪異については、当然ながら二人の元には一切届いていなかった。


しかし、展示会から数日後、王都に衝撃的なニュースが駆け巡った。


「あの一枚の肖像画を描いた若手画家が、突然、恐ろしい殺人事件を起こして逮捕されたそうですわ」


屋敷の侍女たちの間で噂されていた内容は、あまりにも不穏なものだった。


アイラたちがチャリティー会場で気になっていた、あの肖像画の画家だった。


そして彼が殺害した相手は、まさに彼が描いたあの肖像画のモデルであり、かつて彼が魅了されたはずの女性、アルファだった。


その殺害方法は非常に猟奇的なものだったということだけが、噂として流れていた。


もちろん、それが具体的にどのようにして殺害され、遺体がどうなっていたのかといった凄惨な詳細までは、公爵令嬢であるアイラたちの耳に届くことはなかった。


この新しい時間軸において、アイラとリリアはかつてのように『探偵』としての活動はしていない。


今はただ、公爵家の可愛い愛娘として、静かで平穏な貴族令嬢の暮らしを楽しんでいたはずだった。


「ねえ、お姉様。なんだか、嫌な予感がしますね」


リリアが窓の外を見つめながら、静かに呟いた。


「うん。私たちはただ、静かに暮らしているだけなのに……。どうしてかしらね、事件の方から、私たちの元へと歩み寄ってきているような気がするわ」


アイラは紅茶のカップを見つめながら、これから始まるであろう新たな嵐の気配を、確かに肌で感じ取っていた。


王都を騒がせる奇妙な事件が起きてから、しばらくの時が流れた。


美しい街並みを誇る貴族街の周辺では、にわかには信じがたい噂がまことしやかに囁かれ、人々を困惑させていた。


その噂とは、かつて貴族街の冷たい石畳の上で命を落としたはずの、あの平民の女性――その「死んだはずの顔」が、街のあちこちで同時に、何度も目撃されているというものだった。


しかも、目撃された場所や時間は多岐にわたり、情報を整理していくと、同一人物と思われる女性が同時に複数存在しているとしか思えない状況だった。


さすがに治安を脅かす怪異として無視できなくなり、王家への陳情としてこの事態が報告されるに至った。


王宮の落ち着いた一室では、テレーゼ王妃を筆頭に、アイラとリリア、そして新たに叙爵された魔道具技師のミーナの三人に加え、ジュリアンとエドワードが集まり、上がってきた資料を精査していた。


そこへ、重々しい足取りでジェラール国王が姿を現した。


「ふぅ、実に厄介なことになってきたな」


ジェラールはため息混じりに椅子に腰掛けると、事の次第を語り始めた。


彼の話によれば、この奇怪な現象の始まりは、平民街で起きたひとつの殺人事件だったという。


一人の才能ある若き彫刻家が、モデルを務めた美しい女性に深く執着した末に、彼女を殺害した。


その殺害方法はあまりにも猟奇的であり、女性の遺体は鋭利な刃物で五つに解体されていた。


しかし、その凄惨な死体は、安置所から忽然と消え去ってしまった。


その後、同じ顔をした女性が、複数の場所で目撃されるという奇妙な現象が始まった。


目撃情報をすべて照らし合わせた結果、信じがたいことに、彼女たちは同じ時刻に別々の場所で同時に存在しているという結論に達したのだという。


「そして、その女性は貴族街へと向かい……。先日、無礼討ちに遭って命を落としたあの女性と、外見の特徴が完全に一致したのだ」


ジェラールの不気味な説明を静かに聞いていたアイラとジュリアンは、顔を見合わせた。


二人の脳裏に、かつて過ごした未来の時間軸における『ある事件』の記憶が、鮮烈に蘇っていた。


それは、彼らが冒険者として活動していた頃に遭遇した、非常に厄介な「増える被害者」の事件だった。


毎回のように猟奇的な手法で殺害され、あろうことか解体されたパーツの数だけ、完全に分裂して復活するという奇妙な人型生物の存在。


人間と寸分違わぬ肉体の構造を持ちながら、明らかに別種のルールで動く、呪術的とも言える生物だった。


アイラとジュリアンがその正体に気づいたのと同時に、リリアとエドワードもまた、同じ答えに辿り着いていた。


四人は静かに頷き合うと、声を揃えて言った。


「「「「『フエル』が現れましたね」」」」


突如として発せられた聞き慣れない言葉に、ジェラールとテレーゼは目を丸くした。


アイラたちは、自分たちが未来の時間軸で遭遇した「フエル」と呼ばれる増殖する怪異について、その詳細を説明し始めた。


「実は以前、ジャンパニア帝国の皇都で同じ怪異に遭遇したことがあるのです」


ジュリアンが苦笑しながら、当時を振り返るように語り始めた。


「あの時は本当に大変でしたのよ。せっかく名物の厚切り肉のローストやフルーツのタルトを楽しもうとしていましたのに、ジュリアンが衝動を抑えきれずに彼女をバラバラにしてしまいましたからね」


アイラが少し呆れたように言うと、ジュリアンは慌てて手を振った。


「人聞きが悪いな、アイラ。あれは囮捜査の検証のために、あえてその殺害衝動に身を任せてみたんだよ。もちろん、被害者のフエルが接触してきた際、確かに脳を支配されるような異常な衝動を実感したのも事実だ」


「そして検証の結果、アイラ様の亜空間収納から出てきたのは、五人の全く同じ顔をした女性たちでした。自分がバラバラにされて分裂したというのに、全員が『私の方が美しいわ!』とふてぶてしく主張し合うのですから、本当に頭が痛くなりましたよ」


エドワードが肩をすくめながらその時の様子を補足した。


「しかも、その分裂した彼女たちは、自分たちの生態系を無視したあり得ない状況にも全く動じていませんでした。結局、美味しいご飯を食べる大切な時間を邪魔されたのが不本意でしたので、私たちは彼女たちをまとめて冒険者ギルドへと転移させてしまいました」


リリアが思い出すようにクスクスと笑いながら言った。


「ギルドマスターのミラーアリスに丸投げしたのですね。その後は、彼女たちを危険な迷宮の下層へと放り込んでもらうことで、地上の都市伝説として処理していただきましたわ」


アイラが優雅に紅茶を口に運んだ。


そこまでの壮絶かつ型破りな昔話を聞かされたジェラール国王は、複雑な表情で深く思案に暮れた。


「未来で解決不可能として放っておくことになったとはいえ、現在は我々の時代だ。我々は責任ある立場として、この事件の解決に努力しなければならない。最善策を模索して、全力で対応しよう」


ジェラールは毅然とした態度で告げると、この一件の調査と解決の全権を、第一王子であるジュリアンに一任した。


さらに、第二王子であるエドワードをその補佐として任じ、事件解決に向けた体制を整えた。


二人は真剣な面持ちで、その大役を拝命した。


しかし、ジェラールは物理的なアプローチだけでは「フエル」の根本的な解決が難しいことも、十分に理解していた。


そこで、ジェラールは悪戯っぽく微笑みながら、アイラとリリアに向き直った。


「アイラ、リリア。お前たち二人の力も、どうか貸してほしい。報酬は、王族の食事に影響が出ない範囲で、王宮の厨房を好きなだけ使って良いという権限でどうだろうか。さすがに我々も、毎日飢えるわけにはいかないからな」


その冗談交じりの言葉に、アイラとリリアは顔を見合わせ、満足そうに満面の笑みを浮かべた。


「その条件でしたら、喜んでお引き受けいたしますわ!」


こうして、ジュリアンを筆頭とした面々は、王都を侵食し始めた不気味なホラーミステリー事件の解決に向けて、再び動き出すのだった。


王宮の落ち着いた一室に、張り詰めた沈黙が流れていた。


アイラたちの語った未来の怪異「フエル」の生態は、国王夫妻にとってあまりにも衝撃的なものだった。


「なるほど、殺せば殺すほど無限に増殖する怪異か……」


ジェラール国王は深く息を吐き出し、険しい表情で顎に手を当てた。


「ええ。しかも最も厄介なのは、その対象に近づいた者は、脳細胞の有無に関わらず、肉体を通した精神体に直接干渉されて強烈な殺害衝動を抱いてしまうことですわ」


アイラは真剣な面持ちで、かつてジュリアンが衝動を抑えきれずに犯行に及んだ時のことを振り返った。


「ジュリアンとエドワード様が、再びその衝動に当てられてしまっては元も子もありません。ミイラ取りがミイラになっては、事件解決どころか事態を悪化させるだけですものね」


リリアも姉の意見に深く頷き、隣のエドワードを心配そうに見つめた。


「その通りだね。かつて私も、あの時は人形の身体でありながら疑似的な衝動に呑まれてしまった。何らかの対策がなければ、また同じ過ちを繰り返しかねない」


ジュリアンは己の額を抑えながら、苦々しげに同意した。


「……となとなると、まずはその精神干渉を完全に防ぐ魔道具が必要になりますね」


エドワードが生真面目な顔で、冷静に状況を分析した。


すると、それまで静かに聞いていた新米男爵のミーナが、ポンと手を叩いた。


「それでしたら、私の出番ですね! 魔女の世界で工房を営むミスティ様でしたら、すでにその手の精神干渉を遮断する技術を人形に組み込んでいましたから、魔道具への転用も直ぐに対応してくれる筈です」


ミーナはそう言うと、懐から一台の小さな、しかし極めて精緻な金属製の魔道具を取り出した。


それは、魔女の世界にいるミスティといつでも会話や物品の転移を行える、特製の連絡魔道具だった。


「今すぐミスティ様に連絡を取ってみますね」


ミーナが魔道具を操作すると、魔力が通って柔らかな光が溢れ出した。


連絡用魔道具の奥から、聞き覚えのある落ち着いた声が響き渡った。


『あら、ミーナ。どうしたの? そちらの地上世界で何か困ったことでも起きた?』


魔女世界で魔道具工房を営むミスティの声に、ミーナは嬉しそうに微笑んだ。


「ミスティ様、実は大変な事件が発生しているのです。以前、アイラ様たちが未来のジャンパニア帝国で遭遇した、あの『フエル』という増殖する怪異が、この時代の王都に現れました」


その言葉を聞いた途端、魔道具の向こう側で短い沈黙が降りた。


『フエルですって……? あの、無限に増えてふてぶてしく美しさを主張し合う、あの面倒極まりない生き物が?』


「はい。それで、ジュリアン様とエドワード様が囮調査を行うにあたって、あの精神干渉と殺害衝動を完全に遮断するための安全装置装置が必要なのです。ミスティ様、人形に使っている技術を魔道具へ転用していただけませんか?」


ミーナの問いかけに、ミスティはすぐに納得したように声を弾ませた。


『なるほどね。確かに、あの精神汚染に人間が素手で立ち向かうのは無謀よ。ちょうどいいわ、未来の私――つまり今の私が、あの事件の後に開発した技術を魔道具『精神守護のブレスレット』にして作るわ。フエルの精神干渉波を完全に中和して、精神体を取り巻く魔力膜を保護する術式が組み込まれているの。今から作ってそっちに転移で送るから、受け取ってちょうだい』


「ありがとうございます、ミスティ様!」


ミーナが連絡用魔道具の転移機能を起動すると、目の前の空間が歪み、小さな光の粒子が収束していった。


光が収まると、そこには美しい銀色の金属で編み込まれた、細身のブレスレットが三つ現れていた。


中央には、魔力を帯びた淡い青色の魔石がはめ込まれており、静かにその輝きを放っている。


ミーナはそれらを大切そうに両手で受け取ると、アイラたちに向けて差し出した。


「無事に届きました! これがミスティ様特製の『精神守護のブレスレット』です!」


「さすがはミスティ、仕事が早いですわ。これでミイラ取りがミイラになる心配はなくなりましたね」


アイラは満足そうに微笑み、まずはジュリアンにブレスレットを手渡した。


「ありがとう、アイラ。これを身につけていれば、あの不気味な衝動に私の心が支配されることはないのだね」


ジュリアンはブレスレットを左手首に装着すると、すぐにその効果を実感したように目を細めた。


「不思議な感覚だ。精神が非常にクリアになり、外からの不自然なノイズが一切入ってこないのを感じるよ」


「本当ですね。これなら、フエルがどんなに近くに寄ってきても、冷静に対処できそうです」


エドワードも同様にブレスレットを装着し、頼もしそうに腕を見つめた。


アイラは残った最後の一つのブレスレットを手に取ると、ジェラール国王の元へと歩み寄った。


「ジェラール様、この最後の一つはジェラール様が身につけてくださいませ」


「ん? 私がか? だが、実際に外へ出て調査を行うのはジュリアンたちだろう?」


不意の提案に、ジェラールは驚いたように目を瞬かせた。


「いいえ、用心に越したことはありませんわ。何せあの精神干渉は、人間には決して抗えない絶対的な力なのです。もし万が一、フエルがこの王宮に入り込み、ジェラール様と接触してしまったら大変なことになります。これは国を守るための、絶対なる安全策ですわ」


アイラの真剣な言葉に、テレーゼ王妃も強く頷いた。


「陛下、アイラさんの言う通りですわ。あなたがもしその怪異に魅入られてしまったら、この国そのものが揺らいでしまいます。どうか、お守りとして身につけてくださいませ」


「……ふむ、確かにその通りだな。私の安全まで気にかけてくれるとは、本当に心強い。ありがたく使わせてもらおう」


ジェラールは深く感じ入った様子で、アイラからブレスレットを受け取り、自身の手首へと装着した。


その瞬間、身体全体を温かい魔力の膜が優しく包み込むような感覚を覚え、国王は感嘆の声を上げた。


「おお、これは素晴らしい。まるで強固な精神の盾を得たかのようだ。さすがは未来の英知だな」


「しかし、皆様。これで精神汚染は完全に防ぐことができますが、だからと言って油断はできませんわ」


アイラが表情を引き締め、ジュリアンたちを見つめた。


「フエルそのものの物理的な捕獲は、非常に骨が折れますの。不用意に彼女を傷つけて肉体が細かく切り刻まれでもしたら、その破片の数だけフエルは街に増殖することになりますわ。つまり、拘束する際は無傷、あるいは一撃で完全に無力化しなければならないのです」


リリアも真剣な声で続けた。


「そうですね。精神はブレスレットで守られても、戦闘中や捕獲の際、絶対に彼女を攻撃して切り裂いてはならないという縛りがあるのですから。なかなかにスリリングな捕獲作戦になりそうです」


そのルールを聞いたジュリアンは、少し挑戦的な笑みを浮かべた。


「なるほど。精神は守れても、肉体的な捕縛には特有の難しさがあるわけだね。傷をつけずに捕らえるというのは、かえって私たちの技量が試されるな」


「はい。うかつな攻撃は事態の悪化を招くことになります。くれぐれも慎重に行動しましょう」


エドワードも表情を引き締め、深く頷いた。


「これで準備は完璧ですわね、お姉様」


リリアがやる気満々といった様子で、アイラに向かって微笑みかけた。


「ええ。安全装置も揃ったことですし、さっそく行動を開始しましょう。今回は二つのペアに分かれて、貴族街を徹底的に調査しますわ」


アイラはジュリアンの隣に並び、作戦を説明し始めた。


「私とジュリアン、そしてリリアとエドワード様の二手に分かれて貴族街を歩き回ります。私たちはかつてフエルの顔を見ていますから、遭遇すればすぐに気づくことができますわ。向こうから接触してくるのを待つ囮捜査です」


「私たちは、ただの仲睦まじい恋人同士のように装って歩けばいいんだね。リリア嬢、私と共に来てくれるかい?」


エドワードが少し照れくさそうに手を差し伸べると、リリアは頬を染めながらも、嬉しそうにその手を取った。


「はい、エドワード様! 喜んでお供いたしますわ!」


「はは、二人ともすっかり自分の世界に入っているね。よし、私とアイラも負けてはいられないな。さあ行こうか、愛しい私の主殿」


ジュリアンが優雅にアイラの手を引き、二人は王宮の部屋を後にした。


こうして、絶対的な安全策を手にしながらも、傷一つつけられないという困難な任務に挑む一同は、王都に潜む不気味なホラーミステリーの真相を暴くため、怪異の目撃情報が相次ぐ美しい貴族街の通りへと、静かに足を踏み出すのだった。



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切り殺せば復活する、刻めばフエルの名の通り増える。 水死させても復活しそうなので殺した後、すぐに獄炎で跡形もなく燃やしてしまったらどうでしょう? 増殖の仕組みとか細胞レベルの調査ができなくなるからダメ…
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