これからの事と同化のこと
王宮の奥深くにある厳重に結界が張られた秘密の会議室には、重苦しくもどこか現実離れした異常な空気が漂っていた。
上座に座るこの国の国王ジェラールは、深く眉間を揉みほぐしながら、今日何度目か分からない深い嘆息を漏らした。
彼の目の前に広がる光景は、一国の王としての常識や威厳を根底から揺るがすほどに、にわかには信じられないものであった。
なんと、自分の愛する息子である第一王子のジュリアンと第二王子のエドワードがそれぞれ二人ずつ存在し、頼れる臣下であるアルジェント公爵と小公爵までもが、二人ずつ揃っている。
極めつけには、亡くなったはずの公爵夫人までもがそろって席に座っているのだ。
「これが質の悪い冗談で終わってくれれば、どれほど良かったことか……」
ジェラール国王は疲労困憊といった様子で力なく呟き、ずらりと並んだ未来から回帰してきた大人たちと、現在を生きる子供の彼らを交互に見比べた。
「お疲れのところ申し訳ありません、父上。ですが、これも我々の国と世界を救うための避けられない事態なのです」
未来から回帰した大人のジュリアンが、かつての王太子時代と変わらぬ極上の愛想笑いを浮かべて答える。
「ええ、陛下。私たちも最初は驚きましたが、彼らがもたらした情報と武力は、我がアルジェント公爵家にとっても王国にとっても不可欠なものです」
現在のレオンハルト公爵が、隣に座る未来の自分自身をチラリと見やりながら、冷静さを保って国王をフォローした。
話し合いの議題は、すでにこの場にいる天使シュシュエルからもたらされた悪魔の存在と、隣国サイフリート王国の不穏な侵略行為、そして何より一番重要な東の超大国であるアウストラル帝国の脅威についてまで及んでいた。
十数年後に世界を滅ぼすほどの力を持つという帝国を今のうちから警戒し、根を絶つ必要があることは、全員の共通認識となっていた。
「東のアウストラル帝国につきましては、表立って軍を動かすわけにはいきません。私とリリアを除く、大人の回帰メンバー全員と王家の影を総動員して、極秘裏に徹底的な調査と無力化を進めることでよろしいですね」
アイラが会議の進行役として確認を取ると、ジェラール国王は重々しく頷いた。
「うむ、その方針で頼む。……では、目前に迫っているサイフリート王国の侵略行為についてはどう対応するつもりだ?」
「それにつきましては、現在の時間軸にいるジュリアン殿下とエドワード殿下の、お二人の王子に当たっていただこうと考えております」
アイラの提案に、現在の若いジュリアンとエドワードは少し驚いたように顔を見合わせた。
「私と兄上が、直接サイフリート王国の軍勢と対峙するということかい?」
エドワードが真面目な顔つきで尋ねると、アイラの隣に座るリリアが天使のような微笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、そうですわ。もちろん、私とお姉様がしっかりとサポートに入りますので、命の危険はありません」
「基本的には見守りに徹し、いざという時の撤退支援や、敵の調査・捕縛に関する最低限のサポートのみを行うことにします。これは、王子二人のこれからの教育を含めての『試練』として扱うことにしたのよ」
アイラがニシシと悪巧みをするように笑うと、大人のジュリアンも楽しそうに同意した。
「未来の王を担う君たちには、良い実戦経験になるだろう。私たち大人がすべてを解決してしまっては、君たちの成長の機会を奪うことになるからね」
「もし手遅れになりそうだと判断した時は、私とリリアが容赦なく手を出して敵を物理と魔法で消し飛ばしますから、安心してくださいな」
アイラが黒魔法使いの杖を撫でながら物騒な保証をすると、現在の王子二人は引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
「お、お待ちください! 愛しの妹たちが前線に出るというのなら、私も黙って見ているわけにはいきません!」
「そうだ! 万が一のことがあってはならない、私と父上も王子たちのサポートとして同行させてもらうぞ!」
会議室の隅で話を聞いていた現在のレオンハルトとセオドアが、親バカとシスコンの血を騒がせて勢いよく立ち上がった。
「もう、お父様とお兄様は過保護すぎるんですから。……まあ、サポートが増える分には構いませんわね」
アイラが呆れたようにため息をつきつつも許可を出し、サイフリート王国の侵略に対する方針はこれで完全に固まったのである。
重苦しい会議が終わり、ジェラール国王が執務へと戻った日の午後。
王宮の美しい花々が咲き誇る庭園に設けられた白亜のガゼボでは、穏やかな春の風に包まれながら小さな茶会が開かれていた。
テーブルを囲んでいるのは、テレーゼ王妃と、アイラ、リリア、そして未来から回帰してきたエレオノーラ公爵夫人の四人である。
彼女たちの少し後ろには、完璧超人メイドのマリーと、天使シュシュエルをその身に宿すエマが静かに控えていた。
「それにしても、アイラとリリアがこの世界では結婚しないと決めているなんて、本当に残念でなりませんわ」
テレーゼ王妃が、用意された紅茶を優雅に傾けながら、心底惜しむようなため息を漏らした。
「我が息子のジュリアンもエドワードも、貴女方をお慕いしているというのに……本当に、どうにかならないのかしら」
「申し訳ありません、王妃様。私たちには、天国からついてきてくれた愛する旦那様たちがすでに居りますので、こればかりは譲れませんの」
アイラが用意された特製のフルーツタルトを美味しそうに頬張りながら、キッパリと答える。
「ええ、私たちにとって、ジュリアン様とエドワード様はたった一人のかけがえのない方ですわ」
リリアもまた、幸せそうな笑顔を浮かべて静かに頷いた。
「あなたたちのその一途な想いは素晴らしいと思いますわ。でも、天国や魂のお話を聞いていると、どうしても不思議に思ってしまうことがあるの」
テレーゼ王妃はカップをソーサーに置き、真剣な眼差しでアイラたちを見つめた。
「現在のジュリアンとエドワードの魂は、一体何処から来たのかしら? 未来の彼らがそこにいるということは、彼らは別々の存在ということなの?」
王妃の素朴でありながらも核心を突いた質問に、アイラとリリアは顔を見合わせた。
「そのことに関しては、専門家である天使様に聞いた方が早いですね。……エマ、お願いできるかしら」
アイラが背後に控えるメイドに声をかけると、エマは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
次に目を開いた瞬間、彼女の瞳は神々しい金色に輝き、背後には美しい白い羽の幻影が揺らめいた。
「……ふぁぁ。人間は本当に、次から次へと面倒な疑問を抱く生き物だな」
エマの体を借りて表に出てきた天使シュシュエルが、大きな欠伸をしながらも、尊大な態度で語り始めた。
「王妃よ、よく聞くがいい。現在の時間軸にいる人間たちは、未来の時間軸からそのまま過去に遡り、生前の肉体に宿っているのだ。彼らの未来の記憶は、魂の奥底にしっかりと刻まれている」
「魂に刻まれている……それでは、ふとした拍子に記憶が戻ることもあるのですか?」
テレーゼ王妃が驚いて尋ねると、シュシュエルは静かに頷いた。
「ああ。ふとした拍子に記憶が戻る可能性は決して否定できない。特に、魂の力を直接使えるような人間の場合は、既視感を覚えることも多いだろう」
「では、アイラたちと契約して未来からやってきた大人のジュリアンたちは、どうなっているのじゃ?」
「彼らは『株分け』と言う形で、元の魂から分離して独立した存在となっているのだ」
シュシュエルの説明によれば、彼らは同じ時間軸に存在していても、魂同士のパスがしっかりと繋がっているため、魂の欠損が原因で起こるような異常事態は決して起こらないのだという。
「先日のマリーのように、過去の自分の魂と同化することも可能だ。その場合、彼らが使っている人形の体は、異次元の世界である魔女の世界か、あるいは天界で保管することになる」
「同化した後は、記憶と人格はもともと同じ存在のため、最終的には回帰した大人たちの意識が強くなると思われるわ。私の場合は、既に死んでいたため同化しましたが、後の日々を追体験したこの時間軸の魂は今の私でもあるもの」
エレオノーラが、シュシュエルの言葉を補足するように優しく微笑んで付け加えた。
「同化するということは、記憶を共有し、互いの人生を追体験するようなものだからね。成熟した思考に引っ張られるのは仕方がないことであるが、決して片方が消えてなくなるわけではないのだ」
しかし、ふと思い出したように言葉を付け加える。
「……何かの要因があり、どうしても一つにならない場合は、エマと私の様な状況になるだろう。つまり、一つの体に二つの意識が同居すると言うやつだ」
シュシュエルがそこまで説明を終えると、テレーゼ王妃は全てを理解したようにパッと顔を輝かせた。
「と言う事は……もし回帰してきた大人のジュリアンとエドワードが、現在の彼らと同化すれば、アイラとリリアは我が王家に嫁いできてくれるのかしら?」
王妃の期待に満ちた問いかけに、アイラとリリアは顔を見合わせ、やがてフフッと嬉しそうに笑い合った。
「ええ、そうなれば喜んで結婚させていただきますわ」
アイラが照れくさそうに、しかしハッキリとした声で答える。
「人間であった頃の、あの温かい生活に未練が無いとは言えませんもの。……それに」
リリアが天使のような微笑みを浮かべ、少しだけ寂しそうに、そして愛おしそうに目を細めた。
「私たち、元の世界で授かった可愛い子供たちを、もう一度この手で育てたかったのです」
二人の偽らざる本音と、家族に対する深い愛の言葉を聞いて、テレーゼ王妃は感動のあまり目元をハンカチで押さえた。
「ああ、なんて素晴らしいのでしょう。その日が来るのを、私は心待ちにしておりますわ」
王宮のガゼボは、温かい春の日差しと、美味しいお菓子、そして未来への希望に満ちた甘い空気に包まれていた。
最強の魔女たちと愉快な仲間たちの、二度目の人生における新しい日常は、これからも賑やかに、そして最高に美味しく続いていくのだった。
一方その頃、王宮の秘密会議室は、数分前までの賑わいが嘘のような静寂に包まれていた。
ジェラール国王は重厚な革張りの椅子に深く腰掛け、両手を組んで視線を落としている。
その表情には、一国の王としての威厳と、二人の息子を案じる父親の苦悩が複雑に混ざり合っていた。
現在の時間軸に生きるジュリアンとエドワードは、緊張した面持ちで未来から来た自分たちを見つめている。
現在の彼らにとって、目の前にいる『未来の自分』は、ある種、尊敬する兄のような存在であり、同時にいつか乗り越えなければならない途方もなく高い壁でもあった。
重苦しい沈黙が続く中、会議室の重厚な扉が静かに開き、庭園での茶会を終えたテレーゼ王妃が優雅な足取りで入室してきた。
彼女の顔には、先ほどまでの穏やかな微笑みではなく、すべてを知った者だけが浮かべられる、慈愛に満ちた静かな表情があった。
「ジェラール様、ジュリアン、エドワード……皆様、お待たせいたしました」
テレーゼ王妃は全員を見渡し、ゆっくりと頷いた。
「先ほど、アイラさんやリリアさんと、これからのことについてお話ししてまいりました」
その言葉に、部屋にいた全員の視線が集中する。
「彼女たちは……私たちの息子たちが『同化』するのならば、喜んで我が王家に嫁ぎ、子供を授かると申しておりました。彼女たちもまた、今の私たちと同じように、この国の未来を誰よりも案じておられるのです」
王妃の言葉を聞き、未来から来たジュリアンとエドワードは、わずかに目元を潤ませながら、未来の妻である二人の愛の深さを噛みしめているようだった。
そして、二人は顔を見合わせると、静かに、しかし確かな決意を持って頷き合った。
「……我々がアウストラル帝国を討ち果たした後、この時間軸の自分たちと一つになりましょう。それが、この国を――そして、アイラとリリアの未来を守るための唯一の答えです」
未来のジュリアンが、静かに、しかし決然とした口調で告げた。
その言葉の重みに、現在のジュリアンは言葉を詰まらせ、ただ力強く頷くことしかできなかった。
王族としての責任や世継ぎとしての義務と、愛する人たちとの未来。
そのすべてを天秤にかけた時、導き出される答えは一つしかなかったのだ。
ジェラール国王は深く安堵の息を吐き、立ち上がって未来のジュリアンたちの肩を叩いた。
「……分かった。それが、私たちが選ぶべき道なのだろうな」
王はわずかに唇を震わせ、苦渋を飲み込むように目を伏せてから、力強く告げた。
「アウストラル帝国の脅威を去らせるという、その崇高な任務を託そう。……頼むぞ、息子たちよ」
「……はい、父上。必ずや世界を救い、この手でこの国に平和を持ち帰ってみせます」
会議室での短いやり取りを終え、未来から回帰した五人は、すぐに旅支度を整えて王宮を後にした。
東の超大国、アウストラル帝国。
十数年後に世界を滅ぼすほどの力を持つという、未知の脅威に立ち向かうために。
彼らが去った日の夜。
王宮の自室で穏やかな時間を過ごしていたアイラとリリアの元に、マリーが恭しく銀の盆に乗せて一通の手紙を持ってきた。
「出立の際、ジュリアン様よりお預かりいたしました」
そう告げるマリーが差し出したのは、差出人の記名がない、ただ王家の封蝋だけが押されたシンプルな手紙だった。
二人は顔を見合わせ、静かに封を切った。
『――アウストラル帝国の脅威を去らせた後、我々は己の存在をこの時間軸の自分たちへと同化させることに決めた。ヴァリエール王国の未来と、愛する君たちの側に居続けるために。……勝手な決断だと思うだろう。だが、これが我らの出した、君たちと王国への最大の愛の証明だと思ってほしい。――ジュリアン・エドワードより』
二人は手紙を読み終えると、まるで最初からこうなることを知っていたかのように、互いに微笑み合った。
「……やっぱりね」
アイラがクスクスと笑うと、リリアもまた、幸せそうに頷いた。
「ええ。テレーゼ王妃様から魂の話を聞いた時から、なんとなく予想はついていましたわ。彼ららしい、不器用で真っ直ぐな愛の形ですわね」
窓の外には、静かな夜の王都が広がっている。
アウストラル帝国へ向けて旅立った愛しい人たち。
彼らが無事に帰還して現在の彼らと同化し、再び王家の絆を結ぶ未来。
その眩い光景を予感しながら、二人は夜空を見上げ、静かに祈りを捧げるのだった。




