二度目の世界の残酷な欠落と魂の救済
国王との面会のセッティングは、大人のジュリアンと十五歳の若いジュリアンが王宮で連携して手筈を整えることになった。
アイラたちアルジェント家の面々と仲間たちは、面会の当日までの数日間の猶予を利用し、この時間軸に存在する自分たちの同位体について手分けして調べることにしたのだ。
一番遠いクラエス王国出身であるミーアについては、魔女世界にいるエレノワールが直々に調べに行くことになった。
数時間後、エレノワールから念話で報告を受けたアイラは、ホッと胸を撫で下ろした。
「ミーア、ちゃんとクラエス王国に存在していたみたいね」
「本当ですか、お姉様!」
「ええ」
アイラは応接室のソファで紅茶を飲みながら、嬉しそうに頷いた。
「しかも、九歳にして既に天才魔導具技師の片鱗を見せているらしくて、エレノワールお姉様が『この子は私が育てるわ!』って大変喜んで、そのまま魔女世界にスカウトしちゃったみたい」
「まあ、さすがはミーアさんですわね」
「これで将来の調理魔導具の開発も安泰ね」
アイラはニシシと悪巧みをするように笑った。
「ちなみに、天国にいる大人のミーアと区別するために、あの子はこれから『ミスティ』と名乗ることにしたそうよ」
「ミスティちゃんですか、可愛らしいお名前ですわ」
リリアも天使のような微笑みを浮かべて手を叩いた。
問題は、この王都や近郊にいる他の仲間たちの調査である。
セレス、セリア、オルフィア、ノア、クロードに関しては、本人同士が鉢合わせするとドッペルゲンガーのようで色々と問題があるため、天国組は動けない。
そこで、元の世界から記憶を持ったまま九歳の姿で戻ってきたアイラとリリア、そして天使シュシュエルの器となっているエマの三人が、彼らの様子を確認しに行くことになった。
「なるべく目立たないように、リリアは白魔法の【隠蔽】をお願いね」
「はい、お姉様」
三人は気配を消し、まずは王都の教会や貴族街、そして平民街を巡った。
結果として、彼らの存在は無事に確認できた。
「セレスとセリア、ちゃんと教会にいたわね」
「ええ、少し遠目から魔力を視ましたが、間違いなく聖女と教皇の素質を持っていましたわ」
リリアがホッと息を吐く。
「あの二人も、天国にいる本人たちと名前が被るとややこしいから、改名することになったらしいぞ」
エマの姿をしたシュシュエルが、呆れたように肩をすくめる。
「セレスは天使名である『セレスティア』を名乗り、セリアも『セリアリア』という洗礼名を名乗ることにしたそうだ」
「セレスティアにセリアリアね、覚えやすくていいじゃない」
アイラは頷き、調査の続きを思い返す。
「ノアとクロード、それにオルフィアもちゃんと存在していて、素質も持っていたわね」
「はい、嬉しい知らせですわ」
仲間たちの無事が確認できたことは、この微妙にズレた世界線において大きな安心材料だった。
だが、調査を終えて公爵邸への帰路につくアイラの心には、どうしても拭いきれない暗い影が落ちていた。
それは、会議の際に判明した、マリーやスラムの孤児たちの不在についてである。
「……ねえ、シュシュエル」
アイラは、重い足取りのまま俯きがちに尋ねた。
「どうして、この世界のマリー姉ちゃんたちは、スラムに存在していなかったの?」
シュシュエルは歩みを止め、黄金に輝く瞳でアイラを見下ろした。
「……私と天界のネットワークで、この世界の過去の記録を少し調べてみたのだ」
その声は、かつてないほど重く、残酷な響きを帯びていた。
「結論から言うと、この時間軸のマリーやスラムの孤児たちは……すでに全滅している」
「っ……!」
アイラとリリアは息を呑み、絶句した。
「どういう、ことですか……?」
「この世界の廃教会メンバーは、厳しい冬の寒さと飢えを凌ぐことができなかったのだ」
シュシュエルの言葉に、アイラはギリッと奥歯を噛み締めた。
「そんなはずないわ!」
アイラは声を荒げた。
「マリー姉ちゃんは強いのよ! どんなに過酷なスラムでも、光の種の力と、あの異常なまでの身体能力で、ギャングたちを一人で壊滅させて私たちを守ってくれていたじゃない!」
「そうよ、アイラ」
シュシュエルは悲痛な顔で目を伏せた。
「元の世界では、マリーは『光の種』を持っていたから生き残れた。だが、この時間軸のマリーは……光の種を持っていなかったのだ」
「光の種を、持っていなかった……?」
リリアが震える声でオウム返しにする。
「ただの非力な少女だったマリーに、孤児の兄弟たちを育てながらスラムの厳しい現実を生き抜く術はなかったのだ」
シュシュエルの言葉は、冷たい刃のようにアイラの胸を突き刺した。
「この時間軸のアイラ……つまり記憶を取り戻す前の九歳の同位体も、栄養失調で目覚める前に命を落としたようだ」
「だから、私たちがこの世界に戻ってきた時、私は路地裏で死にかけていて、そこに魂が融合したのね……」
アイラは、転生直後の泥水とカビの匂いを思い出し、身震いした。
「でも、どうしてよ!」
アイラはシュシュエルに詰め寄った。
「なんでこの世界のマリー姉ちゃんは、光の種を持っていなかったの!? あの種は、幼い頃に天使様から直接授かったものだって、マリー姉ちゃんが言っていたわ!」
「……その通りだ」
シュシュエルは、静かに、そして絶望的な真実を口にした。
「可能性として、マリーに光の種を渡すはずだった天使が、アイラたちがいた時間軸で『既に死んでいた』可能性があるのだ」
「天使が、死んでいた……?」
「ああ」
シュシュエルは空を見上げ、忌々しげに顔をしかめた。
「我々天使は、人間とは異なり、時間軸を跨いで存在が『固定』されている」
「だから、未来で死んだ天使は、神が時間を過去に巻き戻したとしても、この世界ではすでに存在しない者として処理されてしまうのだよ」
その言葉の意味を理解し、アイラは愕然とした。
「つまり……時間を巻き戻しても、死んだ天使は生き返らないってこと?」
「そうだ」
シュシュエルは重々しく頷いた。
「天使を蘇生できるのは、唯一、全能なる神だけだ」
そして、その神は「うっかり」時間を巻き戻した後、どこかへ行ってしまったのだ。
あまりに身勝手な神の所業に、アイラはギリッと唇を噛み締め、大切な家族の命をなんだと思っているのかと心の中で激しい怒りを覚えた。
マリーが光の種を授からなかったことで、孤児たちが全滅するというバタフライエフェクト。
それは、この世界が単なる「やり直し」ではなく、残酷な欠落を抱えた別の世界であることを、アイラたちに痛烈に突きつけていた。
「そんな……リックも、セナも、ポルもベルもココも……みんな、死んでしまったのね」
アイラは、かつて身を寄せ合い、泥水を啜ってでも共に生き抜いたスラムの家族たちの顔を思い浮かべ、胸を掻き毟られるような痛みに顔を歪めた。
「アイラお姉様……」
リリアが悲痛な顔でアイラの肩を抱き寄せるが、アイラから溢れ出る悲しみは止めようがなかった。
「案ずるな、アイラよ」
エマの姿をしたシュシュエルが、少しだけ声音を和らげて告げた。
「お前たちが使い魔として契約し、共に天国へ至った元の世界の魂たちは、すでに神の領域に近い場所にある」
「それじゃあ、この世界で死んでしまったリックたちの魂はどうなるの?」
「彼らのような一般的な人間の魂は、天国で元の世界の魂と同化する処理が行われるのだ」
シュシュエルの説明によれば、二つの世界の魂が同化した場合、記録として長く生きた方の人生の記憶が強く定着するため、この世界で短くして終わった過酷な記憶は、彼らの中で薄い夢のように処理されるだろうとのことだった。
「よかった……それなら、リックたちは天国で、私たちと過ごした楽しい記憶を持ったまま平和に暮らせるのね」
アイラは心底安堵したように息を吐き出したが、シュシュエルの金色の瞳はさらに重く沈んだ。
「だが、マリーの魂だけは例外なのだ」
「えっ……マリー姉ちゃんが?」
「ああ。他の孤児たちは元の世界で天寿を全うし、あるいは天国へ導かれる条件を満たしていたが、この時間軸のマリーは親よりも先に死んでしまった子供なのだ」
「親より先に死んだ子供は、天国には行けない……そういうことですか?」
リリアが震える声で尋ねると、シュシュエルは静かに頷いた。
「その通りだ。この世界で死んだ十歳前後のマリーの魂は、天国へ行くことも地獄へ落ちることもできず、今も意志を持たない亡者として、この王都の地上を彷徨っているはずだ」
「彷徨っている……マリー姉ちゃんが、たった一人で、冷たいスラムの路地裏を……っ」
元の世界の記憶を持った大人のマリーが、今まさに自分たちの専属侍女として温かい公爵邸にいるというのに、この二度目の世界で命を落とした幼いマリーだけが、冷たい世界に取り残されているという残酷な現実に、アイラはたまらずポロポロと涙をこぼして泣き出した。
「アイラ、落ち着くのだ。お前の強い精神が、肉体の幼さに引っ張られて感情の制御が効かなくなっているようだな」
シュシュエルが冷静に分析する言葉を聞きながら、アイラは袖で乱暴に涙を拭い、ギュッと拳を握りしめた。
ダメだ、泣いているだけじゃ何も解決しない、マリー姉ちゃんを救う方法が何かあるはずだ、とアイラは必死に思考を巡らせた。
そして、ある一つの可能性を思いついた。
「……ねえ、シュシュエル。この世界で死んで彷徨っている子供のマリー姉ちゃんの魂を、私たちが使い魔にしている大人のマリー姉ちゃんの魂に同化させることはできないの?」
「同化、だと?」
「ええ。もともとは一つの同じ魂だったはずだわ。なら、規則的にも何の問題もないはずじゃない!」
アイラが食い下がるように身を乗り出すと、シュシュエルは腕を組んで少し考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。
「確かに、元を辿れば同一の魂だ。お前とマリーの間に強い魔力のパスが通っている状態ならば、強引に魂を引き合わせて定着させることも不可能ではないだろう」
「言質とったわ! リリア、すぐにお屋敷に帰ってマリー姉ちゃんを呼んできて!」
「はいっ、お姉様!」
公爵邸に戻ったアイラたちは、事情を説明して大人の姿のマリーを連れ出し、シュシュエルの案内で再び夜の王都のスラム街へと向かった。
「シュシュエル様、本当に私の……この世界の私の魂が、あんな過酷な場所に一人で取り残されているのでしょうか」
マリーが不安そうに胸元を握り締めると、シュシュエルは指先でマリーとアイラの額に軽く触れた。
「一時的に、地上を彷徨う魂を視認できるようにしてやろう。……心して見よ」
シュシュエルの魔法がかかった瞬間、アイラとマリーの視界がぐにゃりと歪み、普段は見えない世界の裏側が鮮明に映し出された。
「ひっ……!」
マリーが思わず短い悲鳴を上げてアイラの背後に隠れた。
夜のスラムの冷たい石畳の上や、崩れかけた建物の隙間には、天国にも地獄にも行けず、死神の恩恵にあずかることのできなかった半透明の魂たちが、無数に彷徨っていたのだ。
虚空を見つめながら寒さに震え続ける者や、助けを求めるように力なく手を伸ばす者など、その姿はあまりにも痛ましかった。
「こんなにも……地上を彷徨う魂が、こんなにも居るっていうの……」
アイラは、意志を失い、ただ虚ろに揺らめく無数の亡者たちの姿に、背筋が凍るようなゾッとする感覚を覚えた。
「病や飢え、あるいは不慮の事故で命を落とした子供たちの魂だ。彼らは自分が死んだことすら理解できず、ただこの場所に縛り付けられている」
シュシュエルが淡々と語る中、アイラは必死に魔力を研ぎ澄まし、使い魔の契約の糸を辿ってマリーの魂の波長を探り当てた。
「あそこよ! あの路地裏の奥!」
アイラが指差した先、冷たい雪が積もる残飯のゴミ箱の横に、薄汚れ、透き通った十歳前後の少女の魂がぽつんと踞っていた。
「マリー姉ちゃん……!」
アイラは駆け寄り、その小さな半透明の体を力強く抱きしめた。
しかし、子供のマリーの魂は、虚ろな目をしたままピクリとも動かず、アイラの温もりに反応する様子は全く無かった。
「もう数年が経過しているからな。すでに自我も年月と共に摩耗し、意識が殆ど消えかかっているのだろう。完全に消滅してしまう前で良かったと言うべきだ」
シュシュエルの言葉に、アイラはギリッと唇を噛み締め、背後で立ち尽くしている大人のマリーを振り返った。
「マリー姉ちゃん! 早く、この子を……この世界の姉ちゃんを、強く抱きしめてあげて!」
「はい、アイラお嬢様……っ」
大人のマリーは涙を零しながら進み出ると、冷たい石畳に膝をつき、凍えるように丸まっている子供のマリーの魂を、その温かく豊かな胸に深く、強く抱きしめた。
「もう大丈夫よ……。一人で寂しかったわね、痛かったわね……でも、もう私がいるから、絶対に離さないからね」
大人のマリーが慈愛に満ちた声で語りかけると、子供のマリーの虚ろだった瞳に、ほんの一瞬だけ、微かな光と意識が宿った。
子供のマリーは、目の前にいる大人の自分を見上げてポロリと透明な涙をこぼし、そして、心の底から安心したような、ふわりとした微笑みを浮かべた。
次の瞬間、子供の魂は温かい光の粒子となって、大人のマリーの体の中へとゆっくりと吸い込まれ、完全に同化して消えていった。
「……これで同化は完了だ。子供のマリーが抱えていた記憶は、大人のマリーと共有されることになるだろう」
シュシュエルが静かに告げると、マリーは自分の胸に手を当て、ポロポロと涙を流しながら深く頷いた。
「はい……彼女の感じていた寒さも、寂しさも、すべて私の中に温かく溶けていきました。……アイラお嬢様、シュシュエル様、本当にありがとうございます」
「ふむ。しかし、同じ魂とはいえ、生きた次元が違う完全に一致しない魂同士が同化したのだ」
シュシュエルが腕を組み、一つだけ付け加えるように言った。
「おそらく、大人のマリーがいずれ伴侶を得て子供を産んだ時、その子供のマリーの魂が、そのまま新しい命の魂として使われることになるだろうな」
「私が子供を産んだら、この世界の私が私の子供として生まれ変わってくる……なんて素敵な奇跡なんでしょう」
マリーが感動で両手で顔を覆うと、アイラも嬉しそうに目を細めてニシシと笑った。
「よかったわね、マリー姉ちゃん。その体は人間の身体と同じように受精から出産までできるわよ。お相手は私たちが厳しく審査するわ! ……さあ、シュシュエル、もう見たくないからこの魔法を解いてちょうだい」
シュシュエルが指を鳴らすと、視界を埋め尽くしていた彷徨う魂たちの姿が一瞬にしてかき消え、そこにはただの、静かで少し寂れた普通の王都のスラムの光景が広がっていた。
アイラは冷たい夜気を胸いっぱいに吸い込み、ふうっと白く濁った息を吐き出した。
そして、隣で涙を拭う大人のマリーの手をギュッと握り直した。
「これで心置きなく、美味しいご飯を食べに帰れるわね! ほら、お屋敷に戻るわよ!」
アイラがいつもの食いしん坊な笑顔を取り戻して足取り軽く歩き出し、マリーとエマ【シュシュエル】もそれに続いた。
公爵邸に帰還し、ホカホカの夕食を食べてホッと息をついていたアイラたちの元へ、王宮から戻ってきたジュリアンが優雅な足取りでサロンへと入ってきた。
「やあ、私の愛しいアイラ。今日も君の顔を見られて幸せだよ」
「お疲れ様です、ジュリアン様。それで、今日は何かいい知らせでもあったの?」
アイラが食後の紅茶を飲みながら尋ねると、ジュリアンは翠緑の瞳を腹黒く、そして楽しげに細めた。
「ああ。君たちが解決した様々な事件の報告を父上に行ったところ、ようやく国王陛下との顔合わせの日程が正式に決まったよ」
ジュリアンの言葉に、アイラは青玉の瞳をキラリと輝かせ、新たな波乱と美食の予感に胸を躍らせるのだった。




