動く死体と美食の聖都
神聖ルシエラ教国、聖都ルシエラにそびえ立つ壮麗な大聖堂の一室で、教皇セレスは小さな頭を抱えて深く悩んでいた。
彼女の机の上に山積みにされている報告書には、各地で相次いで目撃されている「動く死体」に関する被害状況が記されている。
最初はごく少数の目撃談に過ぎなかったが、その数は日を追うごとにだんだんと増え続けており、もはや看過できない事態へと発展していた。
例えば、先日派遣された騎士団の精鋭部隊からの報告では、数人がかりで取り押さえようとしたにも関わらず、たった一体の動く死体の異常な膂力に押し負け、複数名の負傷者を出してしまったという。
さらに恐ろしいことに、その動く死体に襲われて噛みつかれた者は、やがて同じように動く死体となって生者を襲い始めるのだという。
悪魔の仕業か、あるいは新種の呪いの類だろうと推測したセレスは、聖女であるセナと共に現場へ出向き、直接強力な浄化の奇跡を行使した。
しかし、神聖な光をどれだけ浴びせようとも、動く死体たちにはまったく効果がなかったのである。
神聖魔術の最高峰である教皇と聖女の浄化が効かないとなれば、彼らがどういう理屈で動いているのかさっぱり分からない。
「うむむ、私とセナの浄化が通じないとなると、教国の騎士団を動かしても被害が広がるだけじゃな」
「セレスちゃん、どうしよう……このままじゃ、村の人たちがみんな動く死体さんになっちゃうよ」
「仕方がない、神の威光に頼るのが難しければ、物理的な解決策に長けた専門家を呼ぶとしよう」
セレスは教国の面子よりも実利を重んじ、腕利きの冒険者たちに助けを求めることを決断したのだった。
その頃、アイラとジュリアンは、活気にあふれる神聖ルシエラ教国の聖都ルシエラに足を踏み入れていた。
ジャンパニア帝国での奇妙な事件を強引に迷宮入りさせて放置した後、二人は聞き捨てならない魅力的な噂を耳にしたのだ。
現在の聖都ルシエラは「世界の美食が集まる聖域」と呼ばれており、名実ともに美食の聖地として発展を遂げているという。
三度の飯より美味しいものが好きなアイラがこんな噂を聞いて、居ても立ってもいられなかった。
「思い立ったが吉日ですわ、直に行きましょう!」
アイラが宣言するや否や、二人は空間転移の魔法を使い、一瞬にして聖都へと到着したのである。
聖都ルシエラの目抜き通りは、美食の町という名前に違わぬ素晴らしい香りに包まれており、多種多様な屋台や立派なレストランが立ち並んで二人を歓迎していた。
ジュージューと肉の焼ける音や、香辛料の刺激的な匂い、そして美味しい食事を楽しむ人々の活気ある笑い声が、街のあちこちから溢れている。
「んんーっ! この串焼き、外はカリッとしているのに中は肉汁で溢れていて、今まで食べた屋台の味でもトップクラスですわ!」
「ははっ、君がそんなに美味しそうに食べる姿を見られるなら、ここに来た甲斐があったというものだ。好きなだけ食べるといい、資金ならいくらでもあるからね」
両手に美味しいものを抱えて幸せそうに頬張るアイラに、ジュリアンが甘やかすような優しい笑みを向ける。
聞くところによると、現在の教皇が推し進める「餓鬼対策」という名目で、世界中から食物の流通を大々的に整備した結果がこの惨状……いや、素晴らしい光景を生み出したらしい。
十中八九、教皇自身が美味しいものをたらふく食べたいだけという個人的な欲望が理由だろうとアイラは呆れつつも推測した。
とはいえ、結果として教皇として民を飢えから救い、豊かさをもって神の教えを広めることには熱心であるため、実益もしっかり兼ねているのだろう。
「セレスったら、天界の食事が不味いからって地上に追放されて教皇をやっているくせに、相変わらず自分の欲望には忠実ですのね」
「ああ、彼女らしいと言えば彼女らしい政策だ。おかげで君の胃袋を満たすには最適な場所になっているのだから、感謝すべきかもしれないな」
美食を心ゆくまで堪能し、腹ごなしを兼ねて冒険者ギルドに何か良い依頼がないか探そうと足を踏み入れたとき、二人は見慣れた姿を発見した。
フードを深く被り、お忍びの変装でギルドの受付に依頼を発注しに来ていた聖女セナと、偶然にも遭遇したのである。
「あれ? その金髪と魔力配分、もしかしてセナではありませんの?」
「あっ……その声、アイラお姉様!?」
アイラの声にビクッと肩を揺らしたセナが振り返り、顔を覆っていたフードをバサリと外して満面の笑みで飛びついてきた。
「えへへ、お姉様たちに撫でてもらうの大好き!」
「まあまあ、……相変わらず純真無垢で可愛らしいですわね」
無邪気に甘えてくるセナの頭を優しく撫でながら、アイラは彼女がなぜ冒険者ギルドにいるのか事情を聞き出した。
セナは浄化の効かない動く死体の件を話し、姉であるアイラに対して救いを求め、冒険者ギルドを通して正式に彼女たちへの指名依頼を出すことになったのだった。
セナの案内で大聖堂の奥深くへと招き入れられたアイラとジュリアンは、数十年ぶりに教皇セレス、そしてシスターの姿をしたエマと再会を果たした。
「おおっ、アイラにジュリアンではないか! よくぞ来てくれた、お前たちが居れば百人力じゃ!」
「お久しぶりです、アイラ様、ジュリアン様。相変わらずお元気そうで何よりです」
教皇の豪奢な法衣を身に纏いながらも態度は昔のままのセレスと、落ち着いた笑みを浮かべるエマの姿に、アイラは懐かしさを感じて目を細めた。
「久しぶりですわね。エマの中のシュシュエルは元気にしてるのかしら?」
アイラが挨拶代わりに、道中の屋台で買ってきた絶品のフルーツタルトをテーブルの上に広げた瞬間、エマの雰囲気がガラリと変わった。
「ふぁぁ……。相変わらず、お前の作る供物や用意する菓子は天界の食事を遥かに凌駕するな。このサクサクとした生地と濃厚なカスタードのハーモニー、五臓六腑に染み渡るぞ」
スイーツの甘い気配に敏感に反応し、エマの中で眠っていた天使シュシュエルが一時的に表に出てきて、威厳ある声でタルトを頬張り始めたのだ。
「シュシュエルも相変わらずで安心しましたわ。それにしても、セナやセレスの浄化が効かない動く死体なんて、少し厄介そうですわね」
「うむ、どういう理屈で動いているのかさっぱり分からんのじゃ。噛まれた者も同類になってしまうし、今は結界を張って被害を村の中に封じ込めている状態じゃ」
タルトの最後の一口を飲み込んだシュシュエルが、エマの意識に主導権を戻すと、エマが冷静な口調で補足説明を行った。
「はい、アイラ様。現在その動く死体たちは、聖都から少し離れた一つの村に集中しており、完全に彼らの巣になっております」
「なるほど、事情は分かりましたわ。美味しいご飯をたくさん提供してくれたルシエラ教国の危機となれば、一肌脱ぐしかありませんわね」
「君の原動力は相変わらず食欲だな。まあ、君がそう決めたのなら、私も全力でサポートしよう」
ジュリアンが優雅に微笑みながら同意すると、アイラたちは詳しい場所を聞き出し、さっそく問題の村へと向かうことにした。
教国が張った強力な結界によって完全に封鎖されたその村は、どんよりとした不気味な静寂に包まれていた。
動く死体、すなわちゾンビを外に出さないための結界であるが、アイラとジュリアンはその結界を壊すことなく、空間魔法で滑らかに内部へと入り込んだ。
村の中は荒れ果て、虚ろな目をしてうめき声を上げながら徘徊するゾンビたちの姿が至る所に確認できる。
「さて、浄化が効かないというからには、呪いや悪魔の類ではなく、何らかの物理的、あるいは人工的な要因があるはずですわ」
調査を開始しようと歩みを進めた時、ふと、徘徊するゾンビの一体が身につけている朽ちた装備に目が留まった。
二人はその特徴的な防具の残骸と異様な魔力反応に息を呑んだ。
「この妙に頑丈な骨格の作りと、肉体が腐りながらも動き続ける様は……見覚えがあるな」
「ええ、まさかこんなところでお目にかかるとは思いませんでしたわ」
それは、数百年前のアウストラル帝国が引き起こした世界統一戦争において、二人の祖国を滅ぼした軍勢が使っていた「無敵の兵士」そのものであった。
かつての因縁であり、家族や友人の仇とも言える忌まわしき存在に、ここルシエラ教国で再び巡り合うとは何たる偶然だろうか。
「まさか、あの時の負の遺産が未だに存在しているとは思わなかったよ」
「戦争の時は、私が真の魔女として覚醒して、怒りに任せて力技で消滅させてしまいましたからね」
アイラは過去の壮絶な戦いを思い出しながら、目の前で蠢くゾンビを冷ややかに観察した。
あの時は規格外の黒魔法と白魔法で一気に塵も残さず吹き飛ばしてしまったため、彼らを「普通に倒すにはどうやるのか」は全く知らなかったのである。
「天使の浄化が効かない人工的な無敵の兵士……これは良い実験材料になりそうですわね」
「君の悪い癖が出たな。だが、彼らがかつて我々の日常を奪った兵器であるならば、完膚なきまでに弱点を暴き出してやるのも一興か」
美味しいご飯の恩返しと、かつての因縁の清算のため、アイラは不敵な笑みを浮かべて杖を構えた。
「さあ、まずはどの部位から破壊すれば活動を停止するのか、色々試してみることにしましょうか!」
ジュリアンには威勢よく色々と試してみると言ったアイラであったが、実はこの動く死体の弱点には既にある程度の見当がついていた。
彼女が持つ現代日本の知識、すなわちホラー映画やゲームの定番である『ゾンビ』の性質から推測すれば、脳を潰せば活動を停止するはずなのである。
とはいえ、推測を確信に変えるための実験は必要不可欠であったため、アイラはジュリアンに指示を出して検証を始めることにした。
「ジュリアン、邪魔されない安全な作業場を私が作りますわね」
アイラが杖を振るうと、周囲に不可視の強固な結界が展開され、外部からのゾンビの侵入を完全に遮断した。
「そして、結界の中に一体だけを招き入れて拘束しますの」
アイラは結界の一部を開いて徘徊していたゾンビを一体だけ誘い込み、瞬時に魔法の鎖でその四肢を縛り上げて身動きを封じた。
「さあジュリアン。まずはその剣で、彼の手足を綺麗に切り落としてみてくださらない?」
アイラは、まるでお茶でも淹れるかのような優雅な仕草で微笑みかけた。
「承知したよ、愛しい私の主殿」
ジュリアンは一切の躊躇なく剣を抜き放ち、目にも留まらぬ速さでゾンビの両手と両足を切断した。
予想通り、手足を失ってもゾンビは苦痛の声を上げることもなく、胴体だけで蠢き続けている。
既に生命活動を停止しており心臓も動いていないため、切断面から血が噴き出すようなこともなかった。
「次は首を切り落としてみてちょうだい」
アイラの指示に従い、ジュリアンが一太刀でゾンビの首を刎ね飛ばす。
首を失った胴体はついにピクリとも動かなくなったが、地面に転がった頭部はなおも虚ろな目で宙を睨み、顎をガチガチと鳴らして噛みつこうとしていた。
「なるほど、首から下は活動を停止しても、頭部だけは動いているというわけだね」
「ええ、そして最後は……こうですわ!」
アイラが杖の石突きで地面に転がるゾンビの頭部を力任せに叩き潰すと、ピクピクと痙攣していたゾンビはついに完全に活動を停止し、ただの動かない肉塊へと変わった。
一連の実験を終え、アイラは自分の予想が完全に的中したことに満足げに頷いたが、ジュリアンはその異常なまでの活動力に戦慄を覚えていた。
「首を落とされてもなお動き続けるとは……何という執念と呪わしい術式だろうか」
「あの有名な傘のマークの会社が開発したウイルス兵器と全く同じですわね」
「傘の会社? ……ああ、君の持っていた知識にある別の世界の物語のことか」
アイラは深刻な表情を浮かべ、この動く死体がもたらす真の脅威について語り始めた。
「ええ、もしこれが世界中に広まれば、あっという間に人類は滅亡し、世界はゾンビだけが住まう地獄絵図と化してしまいますわ。それに魔物も同じことになるかもしれないわ」
噛まれた者が感染して同類になるという性質上、ネズミ算式に増殖する動く死体を通常の軍隊や騎士団で対処するのは不可能に近い。
更にこのゾンビを捕食する魔物が出たら目も当てられない。
これを完全に根絶するためには、決して感染しないという絶対の条件を満たし、かつ世界中に散らばって迅速に掃除を行える専門の適役を配置しなければならなかった。
「私たち二人だけで世界中を回って掃除するのも面倒ですし、一旦教国へ戻って作戦会議ですわね」
「ああ、君の美味しいご飯の時間を守るため programmaticに手を打つ必要があるだろう」
二人は早々に村での実験を切り上げ、空間転移で神聖ルシエラ教国の大聖堂へと帰還したのだった。
大聖堂の一室に戻ったアイラとジュリアンは、教皇セレス、聖女セナ、そしてシスターのエマを交えて今後の対策を練り始めた。
アイラが村での実験結果と、動く死体が持つバイオハザード的な感染の危険性を説明すると、一同の顔は一様に険しくなった。
「うむむ……首を落としても動くとは、いよいよ騎士団では手が出せんな」
「噛まれたらおしまいなんて、絶対に村の人たちを外に出しちゃ駄目だよ!」
セレスとセナが頭を抱える中、黙って話を聞いていたエマの雰囲気がふたたびガラリと変わり、威厳ある声が響き渡った。
「ふぁぁ……。なるほど、地上はまた厄介なことになっているようだな」
スイーツの匂いもないのにエマの中で眠っていた天使シュシュエルが表に出てきたことに、アイラは少し驚いた。
「あら、シュシュエル。あなたから出てくるなんて珍しいですわね」
「……お前たちの話を聞いていれば、嫌でも事の重大さが分かるからな。…………私から一つ、解決のための提案がある」
シュシュエルは腕を組み、かつての世界統一戦争を共に戦った戦友たちを見回して静かに告げた。
「アルジェント家を復活させ、天国のメンバーを地上の各都市に配置してゾンビの掃除に当たらせるのだ」
その突拍子もない提案に、アイラとジュリアンは顔を見合わせた。
「天国にいるお父様やお兄様たちを、再び地上に呼び戻すというのですか?」
「そうだ。あれから数百年が経過しているにも関わらずこの動く死体が存在しているということは、この教国の周辺だけでなく、世界中の他の地域にも密かに潜伏、あるいは増殖している可能性が高い」
シュシュエルの言葉は、アイラが抱いていた懸念を正確に突いていた。
「つまり、広範囲にわたる同時多発的な掃討作戦が必要になる、ということだね」
ジュリアンが合いの手を入れると、シュシュエルは深く頷いた。
「その通りだ。しかし通常の軍隊では感染のリスクが高すぎる。そこで、彼らに『人形』の身体を与えて地上に派遣するのだ」
「人形の身体、ですか?」
「ああ。彼らは既に死を迎えて天国に居る身であり、生者の肉体を持たない。つまり、動く死体に噛まれても決して感染することはないのだ」
「なるほど、それなら感染の恐れはないな。人形の身体を持つ者たちに掃除を任せるのが、最も確実で効率が良いというわけだね」
ジュリアンが納得したように頷くと、シュシュエルはさらに言葉を続けた。
「通常、人間同士の戦争でどれだけ死者が出ようと我ら天使が直接介入することはないが、今回の件は地上の人類が絶滅する可能性がある。ならば緊急対応として、天国から信用のおける者たちを派遣するのが一番早いだろう」
「確かに、お父様やお兄様たちなら腕も立ちますし、これ以上ない適任ですわね」
「それに、派遣する人員がアイラたちの身内や知り合いであれば、私が身元を保証できるため、天界からの特別許可の申請も通りやすいのだ」
シュシュエルの合理的かつ完璧な提案に、反対する者は誰一人としていなかった。
「お父様もお兄様たちも……腕は立ちますけれど、少しばかり個性が強すぎますのよね。ああ、またあの騒がしい日々が戻ってくるのかと思うと、頭が痛いですわ」
アイラは嬉しそうに、けれど少しだけ辟易したように息を吐いた。
かくして、人類の危機を救うため、そして何よりアイラの美味しいご飯を楽しむ平和な日常を守るため、大規模な人員派遣計画が動き出した。
数百年という途方もない時を越えて、かつて最強と謳われたアルジェント家と愉快な仲間たちが、再び地上へと復活を果たすのであった。




