魔女編24
ここからは、続編を書籍になるかもしれないという希望を残しつつ、ダイジェスト?な感じで投稿していこうと思います。
エベレンズピーク付近にそびえ立つ、万年雪に覆われた過酷な雪山。
その中腹に、かつてのアルジェント公爵邸を完璧に模した壮麗な邸宅が魔法によってひっそりと建てられていた。
アイラとジュリアンが勇者を育成するための拠点として用意した、愛の巣であり修行場でもある新しい家である。
そして数ヶ月の時が経ち、その白亜の邸宅に元気な赤ん坊の産声が響き渡った。
「ああ、私の愛しいアイラ! よく頑張ってくれたね、なんて愛らしい私たちの子供だろうか!」
ジュリアンが完璧な美貌を感動の涙で濡らしながら、ベッドで横になるアイラと、彼女の腕の中で眠る小さな命を愛おしそうに抱きしめた。
「ええ、本当に可愛いわね。……この子の名前は、ヴァリエにしましょう」
アイラが優しく微笑みながら、金糸のような産毛と、うっすらと開いた青玉の瞳を持つ赤ん坊の頬を撫でた。
ヴァリエという名前は、かつてジュリアンが王太子として背負っていたヴァリエール王国の名に由来している。
数百年前に滅びたヴァリエール王国のアルジェント公爵家の血筋であり、魔女の母と使い魔の父を持つ、極めて特殊な生い立ちを持つ命の誕生であった。
「奥様、そしてジュリアン様、ご出産おめでとうございます。……さて、シュシュエル様も何かお祝いの言葉があるそうです」
邸宅にお祝いに駆けつけていたメイドのエマが恭しく一礼した後、静かに目を閉じて雰囲気を一変させた。
「ふぁぁ……。わざわざ天界から出向いてやったぞ。まずは無事の出産、大儀であった」
エマの体を借りた天使シュシュエルが大きな欠伸をしながら歩み寄り、ヴァリエの小さな寝顔を興味深そうに覗き込んだ。
「我々天界陣営も光の種を与えて勇者を立てたが、そちらの魔女陣営の勇者がどれほどのものに育つか、せいぜい楽しみにさせてもらおう。……悪魔の知識を持つ異常者たちを、派手に討ち払ってくれることを期待しているぞ」
エマ・シュシュエルが疲れたように言い残して天界へと帰っていくと、アイラとジュリアンの育児生活が幕を開けたのである。
人間だった頃にも二人は結婚しており、双子の息子を授かっていたという過去がある。
しかし当時は、アウストラル帝国の世界統一戦争でジュリアンが命を落とし、アイラが魔女として大覚醒して次元の壁を越えたため、まともな育児など到底不可能であったのだ。
だからこそ今回は、乳母も使用人も一切雇わず、自分たちの手で最初から最後まで愛情を注いで育てることを二人は決意していた。
しかし、いかに強大な魔力を持つ魔女といえども、赤ん坊の気まぐれな夜泣きを魔法で止めることはできない。
「よしよし、ヴァリエ。どうしたのかな、おむつかな? それともお腹が空いたのかな?」
深夜の寝室で、かつて大陸中から恐れられた冷徹な為政者であるはずのジュリアンが、モフモフのライオンのぬいぐるみの姿に変身し、必死にヴァリエをあやしていた。
「ふふっ、ジュリアンたら、すっかりパパの顔ね。……はい、私が特製ミルクを作ってきたわよ」
アイラが眠い目を擦りながら、温度と栄養価を魔法で完璧に調整した哺乳瓶を手渡す。
食欲の魔女であるアイラにとって、我が子の食事は何よりも重要なミッションであった。
離乳食が始まれば、雪山で採れた最高級の魔物の肉や珍しい野菜を自ら狩ってきては、栄養満点で最高に美味しいペースト状にして食べさせたのである。
二人の過剰なまでの愛情と、魔女特製の美味しいご飯を食べて育ったヴァリエは、病気一つすることなくすくすくと成長していった。
やがて月日が流れ、ヴァリエが五歳の誕生日を迎えた頃から、ついに勇者としての基礎修行が開始された。
「いいかい、ヴァリエ。剣を振るう時は、ただ力任せにするのではなく、相手の動きを読んで最小限の動きで急所を突くんだ」
雪の積もった広い中庭で、ジュリアンが木剣を構えながら、基礎的な剣術の型をヴァリエに教え込んでいる。
「はい、お父様! こうですね!」
ヴァリエが小さな木剣を真剣な表情で振り下ろすと、五歳とは思えない鋭い風切り音が鳴り響いた。
「うふふ、剣術ばかりじゃ駄目よ。私からは、魔法の基礎と美味しいご飯の作り方を教えてあげるわ!」
アイラが手製の美味しいクッキーをご褒美に用意しながら、魔法による魔力操作と料理の基本を教え込んだ。
魔女であるアイラの遺伝子を色濃く受け継ぐヴァリエの吸収力は凄まじく、教えられたことはスポンジのように瞬時に理解して自分のものにしてしまう。
彼は白と黒の魔力だけでなく、すべての属性の魔法を操る才能を秘めていた。
厳しい修行の合間には、アルジェント公爵邸の図書室を模した部屋で、ジュリアンから帝王学や歴史、政治の裏側といった為政者としての知識も徹底的に叩き込まれた。
「いいかい、ヴァリエ。この大陸には、世界を裏から操ろうと企む『影の国家』と呼ばれる不穏な組織が存在している」
ジュリアンが机の上に広げた古びた大陸地図を指差しながら、静かな、しかし確かな警戒を込めた声で語りかけた。
「影の……国家ですか?」
「ああ、そうだ。彼らは人々の恐怖や混乱を糧とし、歴史の影で暗躍する愉快犯の異常者集団だよ。君はいつか、彼らと対峙する運命にある」
ヴァリエは真剣な表情で地図を見つめ、父の言葉を胸に深く刻み込んだ。
そんなある日のこと、ヴァリエにとって大きな試練となる初めてのお買い物の日がやってきた。
「ヴァリエ、今日は雪山の麓にある村まで降りて、このメモにあるスパイスを買ってきてちょうだい。一人で行けるわね?」
アイラがお手製の空間収納の鞄とメモを渡すと、ヴァリエは目を輝かせて力強く頷いた。
「はい、お母様! 僕、立派にお使いを果たしてきます!」
ヴァリエが小さな足で雪道を元気に下っていく。
そのわずか数歩後ろでは、アイラとジュリアンが多重の認識阻害魔法に加えて気配遮断、匂い消し、足跡隠蔽といった最高位の隠密魔法を完璧に展開し、息を殺して這いずるように尾行していた。
「ああっ、あんな段差が! もしヴァリエが転んで怪我をしたらどうしよう! 私が魔法で道を平らにしてあげようか!」
「落ち着くんだアイラ! これは彼のための試練だ。……だが、もしあの木陰に潜んでいるスノーウルフが彼に牙を剥くようなら、私が一瞬で塵にしてやろう」
親バカを極めた二人は、ヴァリエが小石につまずきそうになるだけで地面を平らにする地形変動魔法を放とうとし、魔物の気配がするだけで黒魔法剣を抜いて一帯の森ごと消し飛ばそうとする有様であった。
そして恐れていた通り、道中の木陰から飢えたスノーウルフが飛び出してきた。
「ああっ、私の可愛いヴァリエに牙を剥く気だわ! ジュリアン、あれを消し炭に!」
「案ずるなアイラ、すでに極大魔法のロックオンは完了している!」
ジュリアンの指先から放たれそうになった極大魔法の余波が、チリッと空気を焦がした。
しかし、二人の心配をよそに、ヴァリエは微かに感じたその極大魔法の余波の熱を背後からの追い風のように巧みに利用し、全属性の初級魔法で器用にスノーウルフの視界を奪ってみせた。
そのまま落ち着いて木剣で峰打ちにしてスノーウルフを気絶させると、ヴァリエはホッと息をついてアイラ特製のクッキーを齧り、素早く魔力を回復させて村へと歩みを進めた。
そして見事にスパイスを買って帰ってきたのである。
「お母様、お父様! ただいま戻りました!」
「ああ、ヴァリエ! よく一人で頑張ったわね、えらいわ!」
「さすが私の息子だ。これで君も立派な勇者への第一歩を踏み出したね」
二人は涙を流しながら我が子を抱きしめ、その日の夕食はヴァリエが買ってきたスパイスを使った超豪華な肉料理のフルコースとなった。
しかし、ヴァリエが可愛く立派に成長すればするほど、アイラとジュリアンの心にはある葛藤が生まれ始めていた。
「ねえ、ジュリアン。……ヴァリエがあんなに可愛くて良い子に育ってくれたのは嬉しいけれど、あの子をあの気味の悪い影の国家と戦わせるなんて、やっぱり可哀想じゃないかしら」
ある夜、寝酒のワインを傾けながら、アイラがぽつりと本音をこぼした。
「奇遇だね、アイラ。実は私も全く同じことを考えていたところだ。あんな愉快犯の異常者ども、あの子の綺麗な手を煩わせるまでもない。……いっそのこと、我々の手で大陸の端から端まで一掃してしまおうか」
かつて大陸を震え上がらせた冷徹な為政者の貌が戻り、ジュリアンの翠緑の瞳に、国を一つ二つ滅ぼしかねない極めて物騒な光が宿った。
二人が本気で大陸全土を消し飛ばしかねない決断を下そうとしたその時、邸宅のサロンの空間がゆらりと歪んだ。
「あらあら、過保護な親バカさんたちは、子供の成長の機会を奪おうとしているのかしら?」
空間の裂け目から姿を現したのは、豊穣な緑色の髪を持つマザーシックスの一人、生命と森の魔女ローリエであった。
「マザーローリエ……! でも、私たちの可愛いヴァリエが、あんな悪党どもの血で汚れるなんて許せないんです!」
アイラが食い下がると、ローリエは困ったように微笑みながら首を振った。
「ダメよ、アイラ。これは神々の遊戯であり、彼自身の運命の試練でもあるのだから。親がすべてを解決してしまえば、あの子は真の勇者にはなれないわ」
「しかし、もしヴァリエの身に万が一のことがあれば……」
「安心して、ジュリアン。死なないように影からこっそり守ることや、ピンチの時に少しだけ助言を与えることは許されているわ。……だから、親としてあの子の力を信じて、しっかりと見守りなさい」
ローリエの優しくも厳しい忠告を受け、アイラとジュリアンは渋々と納得し、大陸を滅ぼす計画を思い留まったのである。
それからさらに年月が流れ、ヴァリエは十六歳の誕生日を迎えた。
彼はジュリアンによく似た金髪と緑の瞳を持つ、息を呑むほど完璧な美青年に成長していた。
そして今日、旅立ちを控えたヴァリエの修行の総仕上げとして、中庭で両親との手合わせが行われていた。
「さあ、来いヴァリエ! お前の十六年間の成果を、私に見せてみろ!」
ジュリアンが本物の黒魔法剣を構え、為政者としての重圧と圧倒的な剣気を放つ。
「行きます、お父様!」
ヴァリエが魔女の血から受け継いだ白と黒の魔力をはじめとする全属性の魔法を剣に纏わせ、流星のような速度でジュリアンに斬りかかった。
激しい剣戟の音が雪山に響き渡り、衝突の衝撃で周囲の万年雪が大きく舞い上がった。
ジュリアンは手加減をしながらも、息子の剣筋の鋭さと、その細腕から繰り出される重い一撃に確かな成長を感じ取っていた。
「いいわよ、ヴァリエ! 今度は私の魔法を避けてみなさい!」
アイラが楽しそうに笑いながら、手加減した混沌魔法の弾幕を容赦なく放つ。
ヴァリエは冷静に魔力の流れを読み切り、炎と氷の複合魔法の盾で防ぎながら、隙を突いてアイラの懐へと飛び込んだ。
「……素晴らしい。私の剣術と、アイラから受け継いだ全属性の魔法を見事に融合させ、完璧に自分のものにしている。合格だ、ヴァリエ」
ジュリアンが剣を収めて満足そうに頷くと、アイラも嬉しそうに拍手を送った。
「ええ、とっても強くなったわね。これならどんな敵が来ても、ご飯を食べる余裕があるくらい安心だわ」
ついにやってきた旅立ちの朝。
邸宅のエントランスで、アイラは涙ぐみながら巨大な空間収納の鞄をヴァリエに手渡した。
「ヴァリエ、これにはママ特製の美味しいお弁当と、保存が利くスイーツがいっぱい入っているからね。お腹が空いたらすぐに食べるのよ。……それから、悪い大人には絶対に騙されないようにね!」
「ありがとうございます、お母様。お母様のご飯があれば、どんな敵にも負ける気はしません」
ヴァリエが優しく微笑んで鞄を受け取ると、ジュリアンが一振りの美しい剣を差し出した。
「これは、かつて私が人間だった頃に使っていた愛剣だ。これを君に託そう。……ヴァリエ、君は私たちの誇りだ。魔女陣営の勇者として影の国家の野望を打ち砕き、必ず無事に帰ってくるんだぞ」
「はい、お父様。僕の命に代えても、この世界の平和と、お母様が美味しいご飯を食べられる環境を守り抜いてみせます!」
ヴァリエは両親からの愛情と期待を胸に深く一礼し、力強い足取りで雪山を下りていった。
アイラとジュリアンは、愛する息子の背中が見えなくなるまで、ずっとその場で見送っていた。
「……行っちゃったわね。なんだか、急に家の中が静かになっちゃったみたい」
「ああ、そうだな。……だが、感傷に浸っている暇はないぞ、アイラ。私たちも裏から彼を全力でサポートする準備を始めなくては」
「ええ。まずは不可視の浮遊城を上空に配備して、ヴァリエがいつでも特製フルコースを食べられるように専属の転移門を繋ぎましょう!」
「名案だ。私は彼に近づく羽虫どもをいつでも星の彼方へ消し飛ばせるよう、全大陸を射程に収めた神話級の追尾魔法陣を展開しておくよ」
過保護な両親による、勇者ヴァリエのための壮大なバックアップ計画が、息子の旅立ちと同時に静かに始動しようとしていた。




