魔女編プロローグ
「世界よ! 私は帰ってきた!」
誰もいない荒野の中心で、私は両手を天に向かって突き上げ、高らかに叫んだ。
……うん。
これ、前世の記憶を思い出した時から、一度やってみたかったのよね。
後悔はしていない。
「さてと。ここは……かつて私とリリアが『概念崩壊・極』で丸ごと蒸発させた、アウストラル帝国の皇都の跡地ね」
私は周囲を見渡した。
地平線の彼方まで続く、巨大で滑らかなクレーター。
かつて百二十万の軍勢を率い、私たちの愛する家族や仲間を奪った憎き帝国の中心地は、完全に更地となっていた。
「私とリリアの共鳴極大消滅魔法の威力、凄まじいわね。あの頃は愛するジュリアン様たちを失った絶望と怒りではっちゃけちゃったけど、今になって冷静に見ると、我ながらちょっと引くレベルの破壊力だわ」
私は自分の手を見下ろした。
異次元の魔女の世界での長い暮らしを経て、今の私の姿は、十代後半の大人びた姿から、なぜか『十二歳ほどの少女の姿』へと若返っていた。
魔力による生命力の循環が極まった結果らしい。特徴的な光り輝く銀色の髪と、青玉のような瞳は変わっていない。
外見年齢は自分で操作出来るから別に良いけど、基本が十二歳というのも精神年齢相応だと言われてる様で、大人の女性としてはショックだ。
「天界のシュシュエルやエマ、それに教国のマリー姉ちゃんやミーア、ザックたちの働きで、あの戦争に巻き込まれそうだった子供たちは全員無事に避難できていたからこそ、ここまで思い切りぶっ放せたんだけどね。みんなには本当に感謝しかないわ」
私は小さく息を吐いた。
私が地上に降り立つのは、あの絶望の戦争の直後にエレノワールお姉様に導かれて異次元へ旅立って以来だ。
体感として、あの「二百年後にまた会おう」と宣戦布告して逃げ去った最高位悪魔が動き出すには、まだ少し早い時期のはずだ。
「まあ、狂気の魔女として歴史に語り継がれている私たちが、今さらノコノコ表舞台に顔を出すのは得策じゃないわね。でも、遠くから子供たちの様子を見るくらいは許されるでしょ」
その前に、一つだけ気になっていることがあった。
天界の監視網やシュシュエルの話から、帝国が世界統一に乗り出した背後に『悪魔』が絡んでいないことは分かっている。
では、なぜあの帝国は、いきなり百二十万というあり得ない数の軍勢を動かして、世界を飲み込もうとしたのか。
「この名探偵アイラ様が、その謎を解き明かしてあげるわ!」
私は空間収納から愛用の『黒魔法使いの杖』を取り出し、地面に突き立てた。
今の私は、白魔法も黒魔法も完全に極めた真の魔女。リリアが得意としていた『過去視』の魔法を広範囲に展開することなど造作もない。
「見せなさい、帝国の歴史を。……【真実の記憶】!」
私の足元から光と闇の魔力が波紋のように広がり、更地となったクレーターの空間に、かつてこの場所にあった皇都の幻影が浮かび上がった。
早送りで再生される歴史の映像。
「うわぁ……どろどろの後継者争いね」
私は幻影の中で繰り広げられる血みどろの愛憎劇を見て、顔をしかめた。
兄弟で毒を盛り合い、暗殺者を放ち、最終的には前皇帝を実の息子が殺害して帝位を簒奪している。
「新皇帝、完全に狂ってるわね。自分の権力と猜疑心を満たすために、手当たり次第に近隣諸国を侵略し始めたってわけ?」
私が呆れ果てて映像を見ていると。
ズズンッ……!
不意に、私の展開していた過去視の映像がノイズのように乱れ、周囲の空間が禍々しい赤黒い瘴気に包まれた。
「……ッ!」
私は咄嗟に杖を構え、魔力を限界まで高めた。目の前の空間が裂け、そこから二十歳前後の男性の姿をした『最高位悪魔』が姿を現したのだ。
二百年後の約束にはまだ早いが、まさか私の気配を察知して現れたのか。
(来るなら来なさい! 今の私のカロリー(魔力)なら、アンタくらい一瞬で……!)
私が黒炎の呪弾を放とうとした、その瞬間。
「ちょ、ちょっと待ってください! 降参です! 白旗! 白旗ですから!!」
「……はい?」
最高位悪魔は、なんと両手に持った『真っ白な旗』をパタパタと振りながら、土下座の勢いで私の前に平伏したのである。
「え、なに? 何しに来たの?」
私が完全に拍子抜けして杖を下ろすと、最高位悪魔は冷や汗をダラダラと流しながら、必死に弁明を始めた。
「い、いえ! 貴女が地上に降り立った気配を感じたので、誤解のないように先に言っておきたいなと思いまして! 我々悪魔は、あのアウストラル帝国には一切合切、関与しておりませんよ、と!」
「関与してない? 本当に?」
「本当です! あんな、悪魔より悪魔らしい狂った人間の国に関与することなんてありませんよ! うっかり捕まって帝国の魔法使いに研究されたら嫌ですし! 悪魔は帝国には一切、手を出してません!」
神話の化け物であるはずの最高位悪魔が、人間の狂気を本気で恐れてドン引きしている。
なんという情けない姿だろうか。
「それと、ですね……。以前、地下遺跡で『二百年後に動き出す』と宣戦布告した件ですが……あれ、撤回しますね。当分というか、数千年は動かないつもりです」
「……はぁ? なんでまた急に」
「新しい魔女……つまり貴女とリリア様が『完全覚醒』したせいで、地獄も今、大混乱してるんですよ。貴女が完全に地上に興味をなくして、魔女の世界に帰るまでは、我々も絶対に動くことはありませんから!」
悪魔は涙目で訴えかけた。
「そもそも、最高位も高位も数が少ないんですよ、我々。しかも知っての通り、強い悪魔は地獄の門が開かないと地上に来られませんからね。指揮官不足になってからじゃ、地獄の門を開く悪魔がいなくなってしまいますし」
「……そうね。私に物理と魔法で消し炭にされるよりは、引きこもってる方が得策でしょうね」
私が呆れてため息をつくと、最高位悪魔はホッと胸を撫で下ろした。
「そういうことで、伝えることは伝えたので帰りますね! どうか、無暗に悪魔を殺さないでくださいよ!」
「えぇ、さようなら」
私が手を振ると、悪魔はそそくさと空間の裂け目へと逃げ帰り、二度と姿を見せなくなった。
(……まさか、悪魔から『たたかう』のコマンドを放棄される日が来るなんてね。まあ、面倒事が減って美味しいご飯を探す時間に専念できるから、言質とったし良しとしましょうか)
私は気を取り直し、中断していた帝国の『過去視』の続きを再生することにした。
「さて、気を取り直して。続き、続きっと」
私は、最高位悪魔が土下座して引きこもり宣言をした後、再び静寂を取り戻したクレーターの底で杖を構え直した。
中断していた『過去視』の映像が、再び空間に展開され、早送りで歴史が流れていく。
(あの皇帝が権力と猜疑心に取り憑かれた狂人だったのは分かったわ。でも、いくら皇帝がイカれてたからって、あんな百二十万もの大軍勢をどうやって用意できたのよ? 大国とはいえ、純粋な人間の兵力だけであの数はあり得ないわ)
私は、映像を帝国軍の『軍事施設』や『研究機関』のような場所へと絞り込んだ。
そこに映し出されたのは、薄暗い地下の実験施設で、嬉々として怪しげな薬液や魔導具を弄り回している、いかにも「マッドサイエンティスト」といった風貌の男だった。
「ふーん……」
私は映像を拡大し、その男が作り出している『兵士』の製造過程を視て、顔をしかめた。
「『生ける屍』……。これが、帝国の圧倒的な兵力の正体ってわけね」
映像の中では、戦争で死んだ兵士や、他国から攫ってきた平民たちの遺体が、冒涜的な魔導技術によって『自我のない操り人形』として大量に蘇生させられていた。
「やっぱりね。百二十万なんて、どう考えても純粋な人間の数じゃないと思ったのよ。倒しても倒しても湧いてくるし、恐怖も痛みも感じないわけだわ。……でも、これだけじゃないわよね?」
私の視線は、マッドサイエンティストがさらに奥の特別室で造り出している『巨大な何か』に釘付けになった。
あの絶望の戦場で、クロードたちの攻撃すら弾き返した『重装甲機兵』の中身だ。
「……キメラ? ちょっと待って、これ……材料、全部『人間』じゃない」
私は思わず口元を手で覆った。
無数の人間の肉体をツギハギに繋ぎ合わせ、無理やり巨大化させた、人間の形をしただけの『木偶人形』。
それが、あの強固な装甲の中に詰め込まれ、莫大なパワーを生み出す動力源として機能していたのだ。
「人間って……本当に恐ろしいわね。悪魔なんて目じゃないくらい、邪悪で残酷だわ」
ウイルスや細菌兵器を使っていないだけで、やっていることは完全に前世のゲームで見た『バイオハザード』の世界観そのものだ。
「……うん。やっぱりこの帝国、あの時私とリリアで丸ごと蒸発させて大正解だったわね。ナイス判断よ、過去の私たち」
私は深く頷き、忌まわしい帝国の映像をバツンッと強制終了させた。
これ以上、あんな胸糞の悪い映像を見ても食欲が減退するだけだ。
「……さてと。帝国のからくりも分かったし、次に行きましょうか」
私は杖を握り直し、今度はもっと優しく、温かい魔力を練り上げた。
私が見たいのは、あんな狂った帝国の歴史じゃない。
「見せて。ああ、私の愛する子供たち……すっかりおじいちゃんになった彼らの姿を」
過去視に遠視の焦点を加えて場所と時間を変える。
映し出されたのは、帝国の脅威が去り、平和を取り戻した王都の風景。そして、懐かしい屋敷の庭園だった。
「あっ……」
そこにいたのは、すっかり白髪のおじいちゃんとおばあちゃんになった、見慣れた顔ぶれだった。
「ミーア……! ザック……!」
王宮の専属魔導具技師として私の食欲を支え続けてくれたミーアと、優秀な情報屋だったザック。
どうやらあの後、二人は結ばれたらしい。そして、彼らを囲むようにして笑い合っているのは――。
「……みんな、大きくなって」
私とジュリアン様、そしてリリアとエドワード殿下の間に生まれた、四人の双子の男の子たちだった。
立派な青年に成長した彼らの隣には、ミーアとザックの間に生まれた可愛らしい娘たちが、妻として寄り添っている。
大家族が、大きなテーブルを囲んで、私が残した『魔導オーブン』や『魔導炊飯器』で作られた美味しいご飯を笑顔で食べている。
その中心で、年老いたミーアとザックが、子供や孫たちに囲まれながら、穏やかに大往生を遂げていく姿が映し出された。
「……よかった。あの戦火の中を生き抜いて、みんな、本当に幸せになってくれたのね。安心したわ」
私の目から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
あの絶望の戦争の後、狂気の魔女となってしまった私とリリアは、エレノワールお姉様に導かれて異次元へと旅立つしかなかった。
残された幼い子供たちを抱きしめることも、成長を見守ることもできずに。
(今ならば、『本当は私が育てたかった』なんて言えるけど……当時の私たちは、ジュリアン様たちを失った絶望で完全に狂ってしまっていたからね。あんな状態で地上に残っていたら、子供たちにまで危害が及んでいたかもしれないわ)
エレノワールお姉様が私たちを異次元に連れて行ってくれたことには、心から感謝している。
「人間界への過度な干渉を禁ずる」という魔女の掟は絶対だからこそ、私たちはこうしてそっと見守ることしかできなかったけれど。
「……それにしても」
私はふと、涙を拭ってジト目になった。
「セレスが一緒に異次元へ行けたのは、魔女たちが『彼女が死後に天使化する』って知ってたからよね? ……っていうか、知ってたなら、初めに私たちにこっそり教えてくれてもよかったじゃない! 私のあの悲壮な涙を返してほしいわ!」
天界のシュシュエルやエレノワールお姉様の顔を思い浮かべ、私はチッと舌打ちをした。
まあいい。
お土産話がたくさんできたから、こんど天国の貸し会議室に行った時にでも、みんなに報告してあげよう。
「ミーアの娘とアイラの息子が結婚したぞ!」なんて言ったら、お父様とお兄様はショックで発狂するかもしれないし、リリアは「まあ! 素敵ですわ!」と面白がりそうだ。ニシシ。
「さて……」
私は杖をしまい、大きく伸びをした。
「地上に降りるのも久しぶりだし。過去ばっかり見てないで、そろそろ美味しい食材でも探しに行きましょうか!」
私は、まだ見ぬ未知のスパイスと究極のカロリーを求めて、新たなる大地へと元気よく足を踏み出すのだった。
遠視と過去視で子供たち(おじいちゃんたち)の幸せな結末を見届けた私は、大きく伸びをしてクレーターの底から空を見上げた。
「さて! 過去の映像鑑賞はここまでにして、そろそろ『現在』を楽しまないとね!」
私が地上に降り立った一番の目的。
それはもちろん、数十年(体感)の時を経てこの世界がどのように復興し、そして……どんな『未知のスパイスと美味しいご飯』が新たに生まれているのかを調査することだ。
異次元の魔女の世界の不思議な食材も悪くはなかったけれど、やはり人間の泥臭い欲望と探求心が生み出した、ジャンクで高カロリーな料理の数々には敵わない。
「私の見立てでは、このクレーターの南側に新しい大きな街が発展してるはずなのよね」
私は上空へふわりと舞い上がり、風の魔法で一気に南へと飛んだ。
*
到着したのは、活気に満ちた巨大な商業都市だった。
かつてのアウストラル帝国が滅びた後、生き残った人々が集まって独自に発展を遂げた街なのだろう。
レンガ造りの建物が立ち並び、大通りには無数の屋台がひしめき合っている。
「ん〜っ! いい匂い!」
私は石畳の通りに降り立ち、思い切り空気を吸い込んだ。
香ばしく焼ける肉の匂い、甘辛いタレの香り、そして何やら未知のスパイスの刺激的な香りが鼻腔をくすぐる。
私の中の『暴食の代償』が、早くご飯をよこせと歓喜の雄叫びを上げていた。
「よし、まずはあの串焼き屋台から……って、あれ?」
屋台に向かって突撃しようとした私は、周囲の視線に気づいてピタリと足を止めた。
すれ違う街の人々が、皆一様に足を止め、私の顔をジロジロと見ているのだ。
いや、顔というよりは、私の『特徴』を。
「……あの子、銀色の髪……」
「それに、あの透き通るような青い目……なんて珍しいんだ」
「どこかの高貴な貴族のお嬢様が、迷子になったんじゃないのか?」
ヒソヒソという囁き声が聞こえてくる。
(あ、なるほど。銀髪と青い目は、珍しいのか)
私とリリア、そしてお父様たちが持っていたアルジェント公爵家の『銀髪と青玉の瞳』は、五千年前の魔女の血を色濃く受け継ぐ証だ。
普通の人間界では、確かに悪目立ちしすぎる。
「目立って騒ぎになったら、ゆっくり買い食いもできないわね。……仕方ない、少しおめかし(変装)しましょうか」
私は人目を避け、薄暗い路地裏へとスッと身を隠した。
そして、自分自身の姿を強くイメージしながら、変装の魔法を展開する。
「【姿態偽装】」
淡い光が全身を包み込んだ。
私は『アイテムボックス(亜空間収納魔法)』から手鏡を取り出し、自分の顔をチェックする。
「うんうん、完璧ね」
鏡の中に映っていたのは、光り輝く銀髪から『少しクセのある亜麻色の髪』になり、青玉の瞳が『ごく一般的な茶色の目』に変わった、年相応の十二歳ほどの少女の姿だった。
服装も、目立つ上質なドレスから、どこにでもいるような少し古びた平民の服へと変えてある。
「これなら、この辺りのスタンダードな色みたいだし、誰にも注目されずに屋台の端から端まで食べ歩きができるわね! ニシシ!」
私は自画自賛しながら鏡をアイテムボックスにしまい、再び大通りの美味しい匂いの元へと駆け出そうと、クルリと振り返った。
――その時だった。
「……あの娘か? 確かに、似ているな」
「えっ?」
背後から、不意に野太い男の声がした。
振り返ると、そこには屈強な体格をした、いかにも『護衛』か『暗部』といった風貌の男たちが数人、路地裏の入り口を塞ぐようにして立っていた。
(ん? なんだか、ものすごい『デジャブ』を感じるわね……?)
私の前世の意味記憶が、激しく警鐘を鳴らした。
あれは確か、九年前。私がまだスラムの孤児としてゴミ箱を漁ろうとしていた時だ。
突然、氷のように冷たい顔をしたお父様が現れて、私をリリアの身代わりとして拉致した、あの光景と全く同じ構図ではないか。
「あ、あの……おじさんたち、誰?」
私が、あの日と同じようにおずおずと尋ねてみると。
「連れていけ」
リーダー格の男が顎をしゃくると、背後の男たちが無言で私の両脇をヒョイッと抱え上げた。
「は?」
抵抗する間も、説明を求める隙もない。
有無を言わさぬ完全な強制連行。かつての私なら、ここで「離せ!」と暴れていたかもしれない。
……だが、今の私は完全無欠の『魔女』である。
こいつらなど、指先一つで文字通り空間ごとサイコロ状に切り刻むことができるし、黒魔法で一瞬にして消し炭にすることだって造作もない。
(おぉ? 本当にこのまま拉致されるのね)
私は両脇を抱えられながら、心の中で冷静に状況を分析した。
普通ならここで大暴れして逃げ出すところだが、私の脳裏に一つの「打算」が浮かんだのだ。
(待てよ。わざわざこんな路地裏で『似ている』って理由で子供を攫うってことは、またどこかの貴族か金持ちが『身代わり』を求めてるってことよね? ということは……)
私はごくりと唾を飲み込んだ。
(誘拐犯の懐に潜り込めば、面倒な交渉なしで、上等な『美味しいご飯』にありつけるんじゃないかしら!?)
そう、九歳のあの日、私は公爵邸でホカホカのシチューと無限のお肉を手に入れたのだ。
今回も、このまま大人しく流されていれば、屋台の串焼きよりも遥かに高級なフルコースが待っているかもしれない。
「……よし」
(とりあえず、流されてみることにしましょう)
私は一切の抵抗を放棄し、まるで手足の力を抜いた猫のように、ダラーンとした体勢で男たちに運ばれていった。
数分後。
私は窓に目張りがされた、やたらと乗り心地の良い高級そうな馬車の中に押し込まれていた。
向かいの席には、先ほど「連れていけ」と指示を出したリーダー格の男が座り、鋭い目で私を値踏みするように見つめている。
馬車が動き出し、しばらく沈黙が続いた後、男が訝しげに口を開いた。
「……ずいぶんと大人しいな。スラムの孤児だと聞いていたが、泣き叫びもしないのか」
男の言葉に、私は内心で(そりゃ、美味しいご飯のためにあえて流されてみてるんだから、逆らいませんよ?)とツッコミを入れつつ、表面上は小首を傾げてみせた。
「泣き叫んだら、お腹が空いちゃうもの。それに、おじさんたち、私を殺すつもりならこんなふかふかの馬車に乗せないでしょ?」
「……ふん。肝の据わったガキだ。お前の言う通り、命は取らん。むしろ、お前にはこれから『重要な役目』を果たしてもらう」
男は腕を組み、冷たい声で続けた。
「お前は運がいい。スラムで飢え死にするはずだった命が、今日から『貴族の令嬢』として扱われるのだからな」
(ああ、やっぱり! デジャブすぎるわ、この展開!)
私の予想通り、これは身代わり令嬢のパターンだ。
どんな理由で身代わりが必要になったのかは知らないが、貴族の令嬢として扱われるということは、つまり「三食おやつ付きの最高級の食生活」が確約されたということだ。
「貴族の令嬢……。ってことは、毎日お肉が食べられるの?」
私が目を輝かせて尋ねると、男は拍子抜けしたように顔をしかめた。
「は? 肉だと? ……ああ、お前が大人しく言うことを聞くなら、肉でも菓子でも好きなだけ食わせてやる」
「言質とったわ!!」
私はガッツポーズをした。
よし、これでこの誘拐劇は、私にとって『最高の美食ツアー(無料)』へと昇華された。
「……変なガキだ。まあいい、すぐに屋敷に着く。くれぐれも粗相のないようにしろよ」
男が呆れながら窓の外を見る中、私はこれからどんな極上の料理が出てくるのかと、ワクワクしながら馬車の揺れに身を任せていた。
馬車に揺られること数十分。
到着したのは、新しく発展したこの街でも一際目立つ、立派な公爵家の屋敷だった。
「公爵閣下、娘を連れてきました。……こっちへ来い」
護衛の男に促されて屋敷の奥の豪華な応接室に入ると、そこには青ざめた顔の当主らしき初老の男性と、その奥様がソワソワと待っていた。
私の顔を見た瞬間、二人は息を呑んで立ち上がった。
「おお……! 驚いたな、本当に外見だけはそっくりだ」
「ええ、あなた。これなら、なんとか誤魔化せるかもしれませんわ……!」
(うんうん。そりゃそうよ、だってこの展開、九歳のときにアルジェント公爵邸で経験済みだもの。デジャブすぎて笑っちゃうわね)
「よく来てくれたね。突然こんなところに連れてこられて驚いたろう。……実は、お前に頼みたいことがあるのだ」
公爵様が、深刻そうな顔で切り出した。
「明後日、我が家の娘が『婚約者との初顔合わせ』を控えているのだが……数日前から行方不明になってしまってな」
「行方不明で顔合わせをすっぽかせば、相手の家から『傷物』扱いされ、破談になってしまう。それだけはどうしても避けたいのよ……!」
奥様がハンカチを噛み締めて泣き崩れる。
なるほど。
行方不明で傷物認定されると困るから、偶然見つけた娘にそっくりな私を拉致して、代わりに顔合わせに出させたいってわけね。
本物が見つかるまでの『一時凌ぎの身代わり』だ。
「わかりました。それで、私は何をすればいいんですか? あ、その前に……」
私はぐぅぅと鳴ったお腹をさすりながら、満面の笑みを浮かべた。
「馬車の中で『好きなだけ肉でも菓子でも食わせてやる』って言質とったんで。まずは美味しいご飯をお願いできますか?」
「えっ? あ、ああ、構わんが……」
公爵様が戸惑いながら使用人に指示を出し、私は豪華なダイニングへと案内された。
目の前に並べられたのは、分厚いステーキや色鮮やかなスープ、そして焼き立てのパン。「ん〜っ! いただきまーす!」
私はナイフとフォークを手に取り、優雅に、かつ猛烈なスピードで料理を胃袋に収めていった。
背筋をピンと伸ばし、食器の音を一切立てず、ソースを一滴もこぼさない。
かつて王太子妃として王宮の厳しいマナーを極め尽くした私の食事作法は、どう見てもスラムの孤児のものではなかった。
「な、なんだあの完璧なテーブルマナーは……!?」
「食事中も、歩き方も、本物の貴族令嬢そのものですわ……!」
公爵夫妻と使用人たちが、私の完璧すぎる振る舞いを見て目を丸くしている。
(ふふん、驚いてる驚いてる。ニシシ!)
食後の紅茶を優雅に啜りながら、私は満足げに息を吐いた。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったですわ」
「す、素晴らしい……! お前なら、間違いなく顔合わせを乗り切れる! 一時凌ぎの身代わりとして、見事合格だ!」
公爵様が歓喜の声を上げた。
しかし。
(美味しいご飯をもらったのはいいけど……明後日の婚約者との顔合わせなんて、どう考えても面倒くさいわよね。ボロが出たら厄介だし)
なら、手っ取り早い解決策は一つしかない。
「公爵様。美味しいご飯のお礼に、私が『本物のお嬢様』を見つけて連れてきてあげましょうか?」
「……は?」
「明後日の顔合わせには、本物に出てもらうのが一番でしょ? 婚約者との顔合わせとか私には面倒だし」
私が立ち上がり、空間収納から『黒魔法使いの杖』を取り出すと、公爵夫妻はギョッとして後ずさった。
「な、魔法使い!? お前、ただの孤児では……」
「お嬢様がよく身につけていた物はありますか?」
奥様から震える手で渡されたリボンを受け取り、私は魔力を練り上げた。
得意のダウジング……ではなく、魔女としての全能の力で、リボンの『持ち主』の現在地を過去視と組み合わせて特定する。
「……見えた。街の東側、地下に隠された違法な建物ね。どうやら、タチの悪い奴隷商人に捕まってるだけみたい」
「ど、奴隷商人だと!?」
公爵様が顔面を蒼白にさせた。
「待っててください。すぐに連れて帰ってきますから」
私は屋敷の窓を開け放ち、風の魔法で一気に夜の街へと飛び立った。
街の東側、人気のない薄暗い建物。その地下に、奴隷商人たちのアジトは、在った。
私は『認識阻害』の魔法で気配を消し、あっさりと地下室へ潜入する。
そこには、鉄格子の中で泣いている本物の公爵令嬢と、他にも攫われてきた数人の人たちの姿があった。
「へっへっへ、この公爵家の娘は高く売れそうだぜ」
「明日には他の街へ運ぶ。それまで見張りを怠るなよ」
下劣な笑い声を上げる奴隷商人たち。
その胸糞の悪い光景に、私は容赦なく漆黒の魔力を解放した。
「……お掃除(物理)の時間よ」
「な、なんだお前は!?」
驚く商人たちをよそに、私は杖を軽く振り下ろした。
「『概念崩壊』――ちょっと手加減バージョン!」
ドゴォォォォォンッ!!
アジトの天井が吹き飛び、分厚い鉄の扉も壁も、一瞬にして瓦礫の山と化した。
「ぎゃあああっ!?」
商人たちは悲鳴を上げる間もなく、私の魔法の衝撃波で全員が壁に叩きつけられ、白目を剥いて気絶した。
「ふぅ。さて、皆お待たせ。もう大丈夫よ」
私は鉄格子を素手(物理)でひん曲げ、震えているお嬢様と人質たちを無事に保護した。
「あ、あなたは……私とそっくり……」
お嬢様が私を見て目を丸くしている。
「細かいことは気にしないで。さあ、帰るわよ」
勿論、他に攫われていた人たちも無事だ。
全員を安全な地上へ逃がした後、私は瓦礫の山となったアジトを振り返った。
(このままにしとくと、また悪い奴らが集まってくるかもしれないわね。序に、この町の治安を守っている人たちに『ここに悪党がいましたよ』って分かりやすく教えてあげないと)
「よーし。ドカンと景気良くいくわよ!」
私は限界まで魔力を高め、アジトの残骸に向けて極大の爆発魔法を放った。
ズドドドォォォォォォォンッ!!!
夜空を焦がすほどの巨大な火柱が上がり、奴隷商人のアジトの建物は文字通り建物ごと吹き飛んで、巨大なクレーターだけが残された。
これだけ派手にやれば、街の警備隊もすぐに駆けつけて、気絶している悪党どもをしょっぴいてくれるだろう。
「ん。綺麗さっぱりお掃除完了! 悪党は一網打尽だし、建物ごと吹っ飛ばしてあげたから治安維持もバッチリね。私って本当に優しいわね!」
私は自画自賛しながら、助け出したお嬢様の手を引き、待っているであろう公爵邸へと意気揚々と帰還するのだった。
奴隷商人のアジトを跡形もなく吹き飛ばし、本物のお嬢様と攫われていた人々を無事に保護した私は、夜の王都を風の魔法でひとっ飛びし、公爵邸へと帰還した。
「お、お父様! お母様!」
「おおおお! 無事だったか、私の可愛い天使よぉぉっ!!」
「神に感謝いたしますわ……っ!」
エントランスに駆け込んできたお嬢様を、公爵夫妻が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら力強く抱きしめた。
その光景を見て、私は思わず遠い目になった。
(……うん。娘を溺愛するあまり、感情が限界突破して崩壊する親バカの姿。かつてのレオンハルトお父様を彷彿とさせる、見事なデジャブね)1
感動の再会を涙ながらに喜んだ後、公爵様は私の方を向き、ハッと我に返ったように居住まいを正した。
「……君が、娘を救い出してくれたのだな。何と礼を言えば良いか。そして、あの卑劣な奴隷商人どもは今どこに?」
「アジトごと物理的に吹き飛ばしておきましたから、今頃は瓦礫の下で気絶しているはずですよ。あ、他に攫われていた人たちも無事に地上へ逃がしてありますし、悪党の拠点の場所と証拠もバッチリ押さえてあります」
私が事も無げに報告すると、公爵様の顔から安堵の表情がスッと消え、代わりに夜叉のような恐ろしいオーラが立ち昇った。
「……私の愛娘に手を出した害虫どもめ、ただで済むと思うなよ」公爵様はギリッと奥歯を鳴らすと、背後に控えていた騎士たちに向かって怒号を飛ばした。
「全軍、直ちに出撃する! 瓦礫の下から害虫どもを引きずり出し、裏で糸を引く組織ごと根絶やしにしてくれるわ!!」
鬼のような形相で騎士団を率い、嵐のように出撃していく公爵様。
その背中を見送りながら、私は「残業お疲れ様です」と心の中で密かにエールを送った。
ドタバタとした騒動がひと段落し、泥と埃を落として綺麗に着替えた本物のお嬢様が、応接室で私の前に座っていた。
私と同じ、亜麻色の髪に茶色の瞳。現在の私の変装後の姿と完全に瓜二つの、十二歳ほどの可愛らしい少女だ。
(うん、十二歳の少女は可愛いわね。流石、私似の女の子)
私が内心で自画自賛していると、お嬢様はキラキラと目を輝かせ、私の両手をギュッと握りしめた。
「あの! 助けていただいて、本当にありがとうございました! まるで私自身の分身のようなあなたが、炎と風を纏って悪党たちをやっつけてくれる姿……とってもかっこよかったです!」
「あはは、どういたしまして。美味しいご飯をいただいたお礼ですから、気にしないでくださいね」
私がニシシと笑うと、お嬢様はさらに顔を紅潮させた。
そこへ、騎士団の事後処理の指揮を部下に任せ、少しだけスッキリした顔で戻ってきた公爵様と奥様が同席した。
「さて……。改めて、我が公爵家を救ってくれた君に、最大限の礼をしたい」
公爵様は深く頭を下げた後、真剣な眼差しで私を見た。
「君のその規格外の魔法の力……とてもスラムの孤児とは思えない。君は一体、何者なんだ? 本当の身寄りはないのか?」
「えっと……」
私は少し視線を泳がせた。
実際、私は異次元から数十年(体感)ぶりに地上へ降り立った魔女であり、この時代には戸籍も身分も存在しない完全な「不法滞在者」だ。今の地上だと身分が無いから、適当な孤児として生きるには少し不便だなとは思っていたのだ。
「私、物心ついた時から孤児で……身寄りなんて誰もいないんです。今日美味しいお肉をいただいたのが、生まれて初めての贅沢だったくらいで……(嘘泣き)」
私が前世のサスペンスドラマ仕込みの完璧な演技で瞳を潤ませると、公爵夫妻とお嬢様は「なんと可哀想に……!」と一斉に涙ぐんだ。
「ならば! 君さえよければ、我が公爵家の『養女』として迎え入れたい!」
公爵様が、身を乗り出して力強く提案した。
「えっ」
「これだけの恩人に、金貨だけを渡してスラムへ放り出すような真似、我が家の誇りにかけて絶対にできん! どうか、娘の姉妹として、この家で暮らしてはくれないか!」
「お姉様!! ぜひ、私のお姉様になってください!」お嬢様が、私にすがりついて上目遣いで懇願してくる。
……デジャブだ。
凄いデジャブだ。九歳の時、アルジェント公爵邸でリリアを助け出した時と、全く同じ構図ではないか。
(でも、今の地上だと身分が無いから助かるのは事実よね。それに……)
私は、公爵様を真っ直ぐに見つめ返した。
「三食おやつ付きで、毎日美味しいお肉とケーキを出してくれますか?」
「当然だ! 君の胃袋を満たすためなら、我が領地の専属シェフたちをフル稼働させよう!」
「言質とったわ!!」
私はガッツポーズをして、満面の笑みで頷いた。
「分かりました! 喜んで、公爵家の養女になります!」
色々公爵家で話し合った結果、私は正式にこの家の養女として迎え入れられることになった。
ただし、戸籍上の手続きや年齢の調整の結果、どうやら本物のお嬢様の方が数ヶ月早く生まれていたという設定になり、私は『妹』のポジションに収まることになった。
「ふふっ。お養父様、お養母様、お義姉様……と呼べばいいのかな」
私が可愛らしく(猫を被って)微笑むと、新しい家族たちは「おおおっ、我が家に天使がもう一人……!」と歓喜の涙を流して私を抱きしめた。
その日の深夜。
ふかふかの最高級ベッドに潜り込んだ私は、ぽっこりと膨らんだ胃袋をさすりながら、静かな夜空を見上げていた。
「……世界が平和になって、美味しいご飯が食べられて、新しい家族までできちゃった」
私はクスクスと笑い声を漏らした。
異次元の魔女として覚醒し、すべてを終わらせたあの絶望の戦争から、数十年。悲しみを乗り越えた私は、こうして再び人間の世界で、新しい日常を手に入れたのだ。
「フフフ。最高のお土産話ができたわね。こんど天国(の貸し会議室)に行ったら、みんなに話してあげよっと」
私の報告を聞いた時の、天国の家族たちの顔を想像してみる。
『私に新しいお父様とお義姉様ができたの! 今度は私が妹よ!』なんて報告したら。
レオンハルトお父様とセオドアお兄様は、「アイラに新しい父親だと!? 私という父親がいながら、どこの馬の骨とも分からん公爵に寝取られたというのかァァッ! 許さん、今すぐ天国から出撃してその公爵家を微塵切りにしてやるぅぅっ!」と血の涙を流して発狂するに違いない。
リリアは、「まあ! お姉様が妹になるなんて、とっても不思議な感覚ですわ! ふふっ、私にも妹ができたみたいで素敵ですね!」と、ニコニコしながら面白がりそうだ。
そして、腹黒王太子のジュリアン様は、「やれやれ。君というやつは、時代が変わっても、どこに行っても誰かに溺愛され、食欲で権力者を振り回すのだな。……まあ、君が幸せそうに笑っているなら、それでいいさ」と、呆れながらも極上に甘い微笑みを向けてくれるだろう。
「ニシシ……。みんなの反応を見るのが、今からすっごく楽しみだわ」
私は毛布を頭まですっぽりと被り、これからの生活に思いを馳せた。
明日からは、新しいお義姉様と一緒に、この街の美味しいスイーツと未知の食材を探すための、優雅で騒がしい日々が始まるのだ。
世界の終わりを経験した私が手に入れた、新たなる大地での、新しい始まり。
腹ペコ魔女の果てしない食欲と、それを包み込む新しい家族たちのドタバタな日常が、今、高らかに幕を開けたのである。
魔女編始まりました。
打ち切り!?と心配してくださった方も居た様で、申し訳ございません。
元から王太子妃編は、最後にはこの構想だったので普通に書いてました。
実は王太子妃編までがアイラの物語としてはプロローグの位置付けです。
最終的には作中で数千年規模のお話になる予定です。




