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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
王太子妃編

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王太子妃編7

「ん〜っ! やっぱりミーアが改良してくれた最新型の『魔導オーブン』で焼き上げた特大ミートパイは最高ね! 肉の旨味とスパイスの香りが、サクサクのパイ生地の中に完璧に閉じ込められてるわ!」


王宮の特別ダイニングルーム。


私は出来立てのミートパイを大きな口で頬張りながら、至福の吐息を漏らした。


私の名前はアイラ・ド・ラ・ヴァリエール。


元々はスラムの孤児だったけれど、縁あってアルジェント公爵家の長女として引き取られ、紆余曲折の末にこの国の王太子であるジュリアンの妻になった。


現在19歳。黒魔法と白魔法を極めた『魔女』であり、摂取したカロリーを莫大な魔力に変換できるという、とても燃費の悪い(素晴らしい)体質を持っている。


「お姉様、口元にパイの欠片がついていますわよ」


隣の席でクスクスと笑いながら優雅に紅茶を傾けているのは、私の双子の妹であるリリアだ。


純真無垢で天使のような優しさを持つ彼女も、第二王子のエドワード殿下と結婚し、今は立派な公爵夫人である。


「相変わらず、君の食べっぷりを見ているとこちらの胃袋まで満たされる思いだよ、私の愛しい妃」


向かいの席から、金糸の髪とエメラルドの瞳を持つ完璧な美青年――私の夫である腹黒王太子、ジュリアンが、甘く蕩けるような微笑みを向けてきた。


「ジュリアン様、またそんなこと言って。ちゃんとご自身も食べないと、過酷な政務は乗り切れませんよ?」


「ああ、そうだな。君の作ってくれたこの料理こそが、私にとって一番の活力源だからね」


ジュリアンは私の頬に軽く触れ、切り分けたパイを口に運ぶ。


結婚して数年が経つというのに、この男の私に対する溺愛ぶりと甘い言葉は、とどまるところを知らない。


「エドワード様、こちらのお野菜のスープもどうぞ。最近お疲れのようですから」


「ありがとう、リリア。君の優しい心遣いのおかげで、どんな疲れも一瞬で吹き飛んでしまうよ」


隣では、エドワード殿下とリリアが、いつものようにキラキラとしたピンク色のオーラを放ちながら、私たちに負けず劣らずの甘い空間を形成していた。


「……ったく。どいつもこいつも、朝から甘ったるくて胃がもたれそうじゃ!」


そんな私たちの空間をぶち破るように、豪快な声でドカッと席についたのは、見た目は16歳の可憐な少女――神聖ルシエラ教国の教皇、セレスだった。


「セレス! またお忍びでうちの国まで遊びに来たの? 教国の執務はどうしたのよ」


「ふははは! 固いことは言うな! お主の作る極上の飯の匂いが、遠く教国まで届いたのじゃ!」


のじゃロリ口調で笑うセレスの横には、妹分のセナ(16歳)が、「教皇様、栄養バランスを考えてサラダも食べてくださいね!」と甲斐甲斐しくお世話を焼いている。


平和だ。


かつては身代わりの偽物令嬢として冷遇されかけたり、悪魔の陰謀で国が滅びかけたり、他国のクーデターに巻き込まれたりしたこともあったけれど。


私たちはその全てを「美味しいご飯」への執念と、圧倒的な物理・魔法の暴力で薙ぎ払ってきた。


(こんな風に、大好きな家族と仲間たちに囲まれて、毎日美味しいものを食べる。この幸せな日常が、ずっとずっと続くんだって……この時の私は、本気でそう思っていたのよね)


――バンッ!!


突如、ダイニングルームの重厚な扉が、乱暴に開け放たれた。


「アイラ! リリア!」


血相を変えて飛び込んできたのは、王国最強の黒魔法剣士であるお父様レオンハルトと、お兄様セオドアだった。


二人の顔には、いつもの過保護な親バカ・シスコンの緩みは微塵もない。


戦場に立つ騎士としての、極めて冷酷で切羽詰まった表情だった。


「お父様? お兄様? どうしたの、そんなに慌てて。一緒にミートパイ食べる?」


私が呑気にフォークを差し出すと、お父様はギリッと奥歯を噛み締め、ジュリアンに向き直った。


「ジュリアン殿下。……緊急の凶報です。国境の斥候部隊より、魔導通信が入りました」


「凶報? ……まさか」


ジュリアンのエメラルドの瞳が、スッと細められ、王太子としての鋭い光を宿す。


「アウストラル帝国が、動きました。東部の隣接国家群が……昨日未明、完全に制圧されたとのことです。降伏した国は吸収され、抵抗した国は……一つ残らず、灰にされたと」


「なっ……!」


その言葉に、ダイニングルームの空気が完全に凍りついた。


アウストラル帝国。


この大陸の東方に位置し、数年前から急激に軍事力を拡大していた謎多き超大国だ。


独自の魔導技術と圧倒的な軍備を持ちながら、これまで不気味なほどの沈黙を保っていたが、ここに来てついに牙を剥いたのだ。


「……ついに、世界統一に乗り出したというわけか」


ジュリアンが、テーブルに置かれたグラスを強く握りしめた。


「敵の戦力規模は?」


セオドアお兄様が、青ざめた顔で絶望的な数字を口にした。


「……現在確認されているだけでも、歩兵、魔導兵、重装甲機兵を含め……総勢、百二十万」


「ひゃく、にじゅうまん……!?」


私が思わず叫んだ。


百二十万。そ


れはもはや、軍隊という枠組みを超えた、天災そのものだ。


大国である我がヴァリエール王国の全兵力をかき集めても、到底届く数字ではない。


「我がヴァリエール王国と、西のクラエス王国。そして神聖ルシエラ教国の三国同盟による『連合軍』を結成したとしても、動かせる最大兵力は十万が限界です……」


お兄様の言葉が、冷たい現実として私たちに突き刺さる。


十万対百二十万。勝負にもならない、圧倒的な戦力差。


「……どうやら、私の美味しいティータイムは、しばらくお預けになりそうじゃな」


セレスが、持っていたフォークを静かにテーブルに置いた。教皇としての彼女の瞳には、神聖な覚悟の光が宿っている。


「セレス。教国へ戻るのね?」


「うむ。私がトップとして教国の信徒たちをまとめ、連合軍の士気を高めねばならん。この戦争、神の御名にかけて絶対に終わらせるぞ」


「ええ。私たちも、必ず勝って、またこのテーブルで一緒にご飯を食べましょう」


私とセレスは、固く拳を突き合わせた。


「アイラ」


ジュリアンが、私の肩を力強く抱き寄せた。


その手は微かに震えているように感じた。


「……絶対に、君を失うわけにはいかない。私たちが前線で奴らを食い止める。君とリリアは、王都の最も安全な結界の中で待っていてくれ」


「何言ってるのよ、ジュリアン様」


私は、ジュリアンの手を優しく、けれどしっかりと握り返した。


「私がただ守られてるだけの、か弱いお姫様だとでも思ってるの? 私は『魔女』よ。百二十万だろうと何だろうと、私のカロリー(魔力)で一人残らず消し炭にしてあげるわ」


「私もです、エドワード様!」リリアも、不安を押し殺すように強い瞳でエドワード殿下を見つめた。「私の白魔法が、皆様の盾になります。……だから、一緒に戦わせてください!」


お父様とお兄様が、「ダメだ! 愛しい娘たちを戦場になど!」「俺が黒魔法剣で百二十万すべてを微塵切りにしてやる!」といつものように叫ぼうとしたが、私の冷たい視線に射抜かれて口を噤んだ。


「美味しいご飯の邪魔をするヤツは、帝国だろうが何だろうが、物理と魔法で消し炭にしてあげるわ」


私は空間収納から漆黒の『黒魔法使いの杖』を引き抜き、ドンッと床に突き立てた。


これが、私たちの平和な日常の、本当の『終わり』の始まりだった。


そして、私たちが経験したことのない、最も過酷で、悲壮な戦いの火蓋が切って落とされた瞬間でもあった。


王都を出発する日、私は厨房に籠もりきりだった。


「アイラ様、携帯食糧の魔導圧縮パック、三百食分の準備が完了しましたぅ!」


「ありがとう、ミーア。これだけあれば、最前線でも魔力カロリー切れを起こさずに済むわ」


天才魔導具技師であるミーアが開発した最新型の保存容器に、私は自らの手で焼き上げた極上のフルーツパウンドケーキや、高カロリーな特製ミートパイを次々と詰め込んでいった。


戦場という最も過酷な場所において、美味しいご飯はただの栄養補給ではない。


それは、黒魔法使いである私の莫大な魔力を生み出すための「燃料」であり、絶対的な兵器なのだ。


「お姉様。私も、回復用の白魔法を込めた聖水と、保存食の仕分けを手伝いますわ。……物理で粉砕するためにも、体力は必要ですからね(笑顔)」


リリアが天使のような微笑みを浮かべながら、テキパキと準備を進めている。


彼女のその純真無垢な笑顔の下に秘められた逞しさは、間違いなく私の影響だ。


「完璧なカロリー摂取プログラムを組み上げました! これでアイラお姉様とリリアお姉様は、常に最大出力で魔法を撃ち続けられます!」


天使のハーフであるセナが、分厚いノートを抱えて鼻息を荒くしている。


私たちが慌ただしく準備をしていると、ジュリアン様が静かに厨房へ入ってきた。


金糸の髪とエメラルドの瞳。


完璧な美貌を持つ私の夫は、すでに王太子としての豪奢な軍服ではなく、実践的な漆黒の甲冑に身を包んでいる。


「私の愛しき妃よ、君の胃袋は一生私が面倒を見るさ。……そう約束したはずだが、今回は君自身にも無理をさせてしまうことになりそうだ」


ジュリアン様が、私の頬にそっと触れ、腹黒さを隠した、どこか切なげな微笑みを向けた。


「何を仰いますか、ジュリアン殿下。美味しいご飯の邪魔をするヤツは、物理と魔法で消し炭にしてあげるわ。それが私の流儀ですから」


私は力強く微笑み返し、彼の手を握りしめた。


ヴァリエール王国、クラエス王国、そして神聖ルシエラ教国の三国同盟による『連合軍』十万。私たちが国境の最前線に布陣を終えた時、その視界の先には、言葉を失うほどの絶望が広がっていた。


アウストラル帝国軍、総勢百二十万。


地平線の果てまでを真っ黒に埋め尽くす、歩兵、魔導兵、そして巨大な重装甲機兵の群れ。


隣接する国家を次々と滅ぼし、あるいは吸収してきたその軍勢は、もはや軍隊というより、世界そのものを呑み込む災厄のようだった。


「……僕の計算によれば、敵との戦力比はおよそ一対十二。戦術や地形で覆せる確率すら存在しません。胃に穴が空きそうです」


連合軍の魔法部隊を指揮するノアが、ずり落ちた眼鏡を押し上げながら絶望的な数値を口にした。


「ふん、素人どもめ。僕の完璧な計算式と古代魔法があれば、何十万いようが関係ない。すべて塵にしてやるさ」


宮廷魔法師団副団長のリュカが、虚勢を張るように鼻で笑い、杖を構える。


「おおおお! 私の愛しい娘たちが、あのような悍ましい戦場に立つなど……! 害虫どもめ、この黒魔法剣で塵一つ残さず消し去ってくれる!」


「愛しの妹たちに近づく害虫は、俺が物理的に排除します。一歩たりとも近づけさせはしない!」


父様レオンハルトとセオドアお兄様が、血走った目で巨大な黒魔法剣を抜き放ち、圧倒的な殺気を帝国軍に向けていた。


「リリア嬢、君の背中は私が絶対に守るからね」


「エドワード様……はい、私も皆様の盾になります!」


エドワード殿下とリリアが、悲壮な戦場の空気を一瞬だけピンク色の甘々空間で上書きし、互いの決意を確かめ合う。


「おう、師匠! 腹減ったぜ、飯食わせてくれ! 腹さえ膨れりゃ、百万だろうと真っ二つにしてやる!」


大剣ヴァルムを肩に担いだクロードが、いつものように豪快に笑う。


「アイラ嬢! リリア嬢! 私がお守りしますぞ!」


カイルもまた、近衛騎士として盾を構え、最前線に立っている。


「少々『お掃除(物理)』の範囲を広げてもよろしいでしょうか?」


私の背後では、専属侍女のマリー姉ちゃんが銀のナイフを両手に持ち、般若のようなオーラを放っていた。


「聖なる一撃フルスイングで神の裁きを下しますわ! 筋肉の隅々までタンパク質が染み渡ります!」


教国の聖女セリアが、木剣を構えて筋肉を躍動させる。


これまでの数々の事件を共に乗り越えてきた、最強の仲間たち。


誰一人として、逃げる者はいない。


「……ふははは! さあ、行くぞ! この教皇セレスと神聖ルシエラ教国の名にかけて、世界を滅ぼす悪党どもに神の裁きを!」


教皇セレスが高らかに号令を下し、圧倒的な神聖魔力を最前線に展開した。


「全軍、突撃ィィィッ!!」


ジュリアン様の冷徹で力強い声が、戦場に響き渡る。


地鳴りのような轟音とともに、十万対百二十万の、歴史上最も無謀で悲壮な決戦の火蓋が切って落とされた。


「言質とったわ! あんたたちの命、私がいっぺんに刈り取ってあげる!」


私はアイテムボックスから特製ミートパイを一口で頬張り、莫大なカロリーを一瞬にして黒魔法の魔力へと変換した。


「『絶望の黒杭ダークネス・ピアス』!!」


私が黒魔法使いの杖を振り下ろすと、大地を割って漆黒の魔法の杭が無数に噴出し、押し寄せる帝国軍の前衛を串刺しにしていく。


「『聖なる大海オーシャン・バプティズム』!!」


リリアと、水魔法使いのミアが同時に極大魔法を放ち、敵の軍勢を津波のように洗い流す。


クロードの爆炎が敵の装甲機兵を粉砕し、お父様とお兄様の黒魔法剣が空間ごと敵兵を消し去る。


リュカとノアの連携魔法が敵の陣形に大穴を開け、マリー姉ちゃんとセリアが物理的な『お掃除』と『神の裁き(フルスイング)』で敵の懐を荒らし回った。


私たちの圧倒的な個の力は、帝国軍の最前線を確実に削り取っていた。


しかし――。


「クソッ、キリがない! 倒しても倒しても、後ろから湧いてきやがる!」


クロードが、血と汗に塗れた顔で叫ぶ。


「僕の計算が追いつきません! 敵は吸収した各国の魔法部隊を後方に配置し、こちらを物量で完全に押し潰す気です!」


ノアの絶望的な悲鳴が、通信魔導具越しに響く。


アウストラル帝国の真の恐ろしさは、個の力ではなく、その無尽蔵の『物量』にあった。


私たちの魔法で一万人を消し飛ばしても、即座に新しい二万人がその穴を埋めてくる。


帝国は、吸収した各国の兵士を使い捨ての駒として、一切の感情を持たずに突撃させ続けていたのだ。


「はぁっ、はぁっ……!」


私の呼吸が荒くなる。用意していた三百食のカロリー圧縮パックを次々と消費しているが、魔力の変換速度が敵の波状攻撃に追いつかない。


魔女である私の力をもってしても、百万を超える圧倒的な『数の力』には、抗いきれなかったのだ。


「アイラ! リリア! 下がれ!」


ジュリアン様が、血に濡れた剣を振るいながら私たちの前に立ち塞がった。


「ダメです、ジュリアン様! 私たちが退いたら、防衛線が……!」


「戦力差が開きすぎている! このままでは連合軍は全滅する……退却だ! 全軍、直ちに後退せよ!!」


ジュリアン様の苦渋に満ちた撤退命令が下された。


しかし、帝国軍は私たちが背を向けることすら許さなかった。


重装甲機兵の部隊が両翼から回り込み、連合軍の退路を完全に断ち切ろうと迫ってくる。


「……お父様、ここは我々が食い止めます。アイラとリリアを連れて、先に王都へ!」


セオドアお兄様が、決死の覚悟で黒魔法剣を構え直した。


「馬鹿なことを言うなセオドア! お前こそ未来の公爵だ、私が殿しんがりを務める!」


「二人とも、退いてください! 愛するリリアの未来を守るのは、私の役目だ!」


エドワード殿下も、ボロボロになった甲冑で前に出る。


愛する家族たちが、私たちを逃がすために命を投げ出そうとしている。


その事実が、私の心臓を氷のように冷たく締め付けた。


「ダメ……ダメよ! みんな一緒に帰るの! 美味しいご飯を、またみんなで食べるって約束したじゃない!!」


私が涙声で叫んだ、その瞬間だった。


ドゴォォォォォォンッ!!!


帝国の後方から放たれた、山を吹き飛ばすほどの極大の砲撃魔法が、ジュリアン様やエドワード殿下、お父様たちが立つ最前線の防衛陣地へ向かって、無慈悲に降り注いだ。


「アイラァァァッ!!」


爆炎と土煙がすべてを呑み込み、私の愛する人たちの姿が、絶望的な光の中に消えていった。


「…………え?」


これが、私たちに訪れた『終わりの始まり』だった。


狂気と絶望が、私の心を完全に塗り潰していく音がした。


「ジュリアン様……? お父様……お兄様……?」


巻き上がった土煙と爆炎が、ゆっくりと晴れていく。


だが、そこに私の愛する家族の姿はなかった。極大の砲撃魔法が直撃した最前線の防衛陣地は、大地ごと抉り取られ、黒焦げのクレーターと化していた。


「嘘……嘘でしょ? ねぇ、冗談はやめてよ。みんな、どこにいるの……?」


私は、震える足で一歩、また一歩とクレーターへ近づいた。


私の手から、特製ミートパイの欠片がポロリとこぼれ落ちる。


「エドワード様……! お父様、お兄様!!」


リリアの悲痛な絶叫が、戦場に響き渡った。彼女の青玉の瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出ている。


クレーターの底に、ボロボロになった二振りの『黒魔法剣』が突き刺さっていた。


お父様とセオドアお兄様が愛用していた剣だ。


彼らは、私とリリア、そして後方の連合軍を砲撃から守るため、己の全魔力と生命力を刃に込めて盾となったのだ。


その代償として、彼らの肉体は灰すら残さず消滅してしまった。


「あ、ああああ……っ!!」


リリアがその場に崩れ落ちた。


その彼女の目の前で、エドワード殿下の姿が、淡い光の粒子となって崩れていくのが見えた。


彼は、砲撃の余波からリリアを守るため、己の命を代償にした絶対防御の結界を展開していた。


『……愛しているよ、リリア。君の笑顔を、もっと見ていたかったな……』


最期に、幻のような優しく真っ直ぐな微笑みを残して、エドワード殿下は完全に消え去った。


「エドワード様ぁぁぁっ!! いやあああああっ!!」


リリアの絶叫が、私の鼓膜を劈く。だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。


「……っ、アイラ師匠! 後ろだ!」


「キャアッ!」


怒涛のように押し寄せる帝国軍の重装甲機兵が、防衛線を突破して雪崩れ込んできた。


私を庇うように飛び出してきたのは、大剣ヴァルムを血に染めたクロードだった。


「クロード!」


「へへっ、どうやら俺の筋肉と剣も、ここまでのようだぜ……。アイラ師匠、あんたの角煮丼、最高に美味かった……」


無数の槍に貫かれながら、クロードは私に向かってニカッと笑い、そのままドウッと地面に倒れ伏した。


「クロードさんっ! 嫌だ、嫌あああっ!」


水魔法使いのミアが駆け寄ろうとするが、無慈悲な魔法兵の魔法が彼女の小さな体を吹き飛ばす。


「ミア!!」


「……僕の計算によれば、生存確率は……ゼロ、ですね。ですが、最後まで足掻いてみせますよ、リュカ様……」


「ふんっ。生意気な助手だ。僕の完璧な術式で、一万人は道連れにしてやるさ……!」


満身創痍のノアとリュカが、背中合わせで極大の古代魔法を展開する。


だが、その光も一瞬で帝国軍の漆黒の砲撃に呑み込まれ、跡形もなく消え去った。


「カイル様ぁっ! お兄様サミュエル!」


教国の聖女セリアが、木剣を振るいながら泣き叫ぶ。


その視線の先では、近衛騎士のカイルがリリアを庇うように立ち塞がったまま息絶え、豪快な武人であったサミュエルも、無数の機兵に押し潰されていた。


「筋肉の……隅々まで……神の御加護を……ッ!」


セリアもまた、特攻を仕掛け、敵陣のど真ん中で壮絶な光となって散った。


「マリー姉ちゃん! リック! ポル! ベル!」


セナが、スラムの家族たちの名を呼びながら泣き叫んでいる。


少し離れた場所で、マリー姉ちゃんが孤児の仲間たちを庇い、全身に矢を受けながらも立ち続けていた。


「……アイラお嬢様、セナ。……ごめんなさい、私のお掃除は、ここまでですわ……」


完璧超人だったマリー姉ちゃんが、般若のようなオーラを失い、静かに崩れ落ちる。


リックや幼いココたちも、帝国軍の冷酷な進軍の足元に踏み躙られていく。


「あ……ああ……」


私の心の中で、何かが完全に壊れていく音がした。


仲間たちが、家族が。虫ケラのように、無慈悲に、次々と殺されていく。


「アイ……ラ……」


その時、微かな、掠れた声が聞こえた。


「ジュリアン様……!?」


私は狂ったようにクレーターの瓦礫を掻き分け、その奥に倒れている愛する夫の姿を見つけた。


金糸の髪は血と泥に汚れ、完璧だったその顔は土気色に染まっていた。彼の腹部には、致命的としか言いようのない巨大な風穴が空いていた。


「ジュリアン様! ダメ、死なないで! リリア、回復魔法を! 早く!」


「だ、ダメです……魔力が、もう……!」


リリアが泣き叫びながら杖を振るが、エドワードを失った絶望と魔力の枯渇で、彼女の白魔法は淡い光すら生み出さない。


「アイラ……」


ジュリアンは、血まみれの手を震わせながら伸ばし、私の頬にそっと触れた。


「……すまない。君の胃袋を、一生私が面倒を見ると……約束したの、に」


「バカなこと言わないで! まだ約束守ってもらってないじゃない! 王宮の厨房で、また私に文句を言ってよ! 美味しいフルコース、食べさせてよ!!」


私は彼の胸に縋り付き、ポロポロと大粒の涙をこぼした。


「……泣かないでくれ、私の愛しき探偵令嬢。君のその……強気な笑顔が、何よりも……好きだった……」


ジュリアンのエメラルドの瞳が、ふっと優しく細められた。


「君の作る料理は……本当に、美味しかった。……どうか、生き、て……」


その言葉を最後に、ジュリアンの手から力が抜け、私の頬から冷たく滑り落ちた。彼の瞳から、永遠に光が失われた。


「ジュリアン……? ねぇ、ジュリアン!! いやああああああああっ!!」


私の絶叫が、血と硝煙の匂いに満ちた戦場に虚しく響き渡る。


「ウソだ……こんなの、ウソじゃ……。神よ、なぜ……なぜこのような残酷な真似を……っ」


教皇セレスが、血の海と化した戦場にへたり込み、子供のように泣きじゃくっている。


「アイラお姉様……リリアお姉様……みんな、死んじゃった……っ」


セナが、震える手で私のドレスの裾を強く握りしめた。


残されたのは、私とリリア、セナ、そしてセレスの四人だけ。


かつて一緒にテーブルを囲み、美味しいご飯を笑い合いながら食べた家族も、仲間たちも、夫たちも。


百二十万という圧倒的な『数の暴力』の前に、一人残らず蹂躙され、肉片と灰になって消えた。


(……美味しいご飯が、食べたい。みんなで、笑いながら……)


私の頭の中に、前世の『意味記憶』が走走灯のように駆け巡った。


オムライス、角煮丼、フレンチトースト、極厚のカツサンド、ツヤツヤの銀シャリ。


ジュリアンの呆れた笑顔。お父様とお兄様の暑苦しい絶叫。


クロードの豪快な笑い声。マリー姉ちゃんの完璧な給仕。


(……でも、もう誰もいない)


みんながいない世界で、私一人が美味しいご飯を食べたところで、何の意味がある?この世界は、私のすべてを奪った。


私の幸せな日常を。私の愛する人たちを。


私を形作っていた「美味しいご飯への執念」は、真っ黒な絶望の底で、ドロドロとした別の感情へと変質していった。


それは、純粋で、底知れぬ『憎悪』だった。


「…………許さない」


私は、血だまりの中に落ちていた『黒魔法使いの杖』を拾い上げた。


私の体から、これまでとは比べ物にならないほど禍々しく、巨大で、ドス黒い魔力が爆発的に吹き上がり始めた。


「許さない……許さない許さない許さない!! 私の家族を、私の愛する人を、私の平和な日常を奪ったヤツら……!!」


ズゴゴゴゴォォォォォッ!!私の絶望を食らい、黒魔法のオーラが天を衝くほどの巨大な嵐となって渦巻いた。


隣で、リリアの青玉の瞳からも光が消え、彼女の白魔法が黒く反転していく。


セナの天使の力が憎悪に染まり、セレスの神聖な祈りが呪いへと堕ちる。


「世界統一? 大国? そんなもの、知ったことじゃないわ。お前たちが私のすべてを奪ったように……私も、お前たちのすべてを奪い尽くしてやる!!」


アイラの瞳は、かつての食いしん坊な公爵令嬢のものではなかった。それは、すべてを滅ぼす災厄そのもの。


「殺してやる。一匹残らず……この世から、跡形もなく消し炭にしてやるわぁぁぁぁっ!!」


アイラの血を吐くような絶叫が、世界を終わらせる始まりの合図となった。


四人の少女たちは、涙を流しながら、地獄の底から這い上がってきたような狂気と復讐心をその身に宿した。


もう、誰も彼女たちを止めることはできない。


美味しいご飯と笑顔に溢れていた探偵令嬢の物語は、ここで完全に終わりを告げた。後に残るのは、世界を焼き尽くす「大量虐殺の狂気の魔女」の誕生という、凄惨な現実だけだった。


「ジュリアン……っ、あああああぁぁぁっ!!」


私の絶叫に呼応するように、体中から溢れ出した漆黒の魔力が、天を衝くほどの巨大な嵐となって吹き荒れた。


私の愛する人。


私に美味しいご飯を食べさせ、いつも小言を言いながらも、誰よりも私を溺愛してくれた彼。


その温もりが、私の腕の中から完全に消え失せてしまった。


その隣で。


「……エドワード様」


リリアは、エドワード殿下が光の粒子となって消滅した空間に、虚ろな瞳で手を伸ばしていた。


純真無垢で、誰よりも優しかった私の妹。


エドワード殿下といる時は、周りが見えなくなるほどの甘いピンク色のオーラを放っていた彼女の青玉の瞳からは、光が完全に失われていた。


「私の白魔法は、エドワード様を守るためのものだったのに……。私の『物を探す力』は、彼との甘い未来を見つけるためのものだったのに……っ」


リリアの震える手から、これまで彼女を象徴していた純白の魔力が漏れ出した。


しかし、その光はかつての温かいものではなかった。


愛する者を理不尽に奪われた絶望と、世界に対する底知れぬ憎悪が、彼女の純白の魔力を、ドス黒く、禍々しい色へと反転させていく。


「こんな世界……エドワード様も、お父様も、お兄様もいない世界なんて……もう、いりませんわ」


リリアがゆっくりと立ち上がった。


彼女の口元には、天使のような微笑みが浮かんでいた。


だが、それは完全に壊れてしまった、狂気の笑みだった。


「お姉様。私たちの愛したものを奪った害虫どもを……塵一つ残さず、お掃除しましょう?」


「ええ、リリア。全部、消し炭にしてあげるわ」


双子の魔女の魔力が、絶望のどん底で完全に共鳴し、融合した。


「マリー姉ちゃん……リック……みんな……っ。許さない、お前たち、絶対に許さない……!」


セナの背中から、かつては美しかったネフィリムの羽が、真っ黒に染まって顕現した。彼女の癒やしの力は、敵の生命力を無慈悲に奪い取る呪いへと堕ちた。


「神よ……この残酷な世界に、もはや救いなどない。ならば私が、神に代わって貴様らに終末の裁きを下してやる……!!」


教皇セレスの瞳から涙が枯れ果てた。


彼女が放つ圧倒的な神聖魔力は、帝国への純粋な殺意の塊となって具現化した。


百二十万の帝国軍。


先ほどまでは、私たちを絶望の淵に追いやった圧倒的な暴力だった。


しかし、今の私たちにとって、それはただの「掃除すべきゴミの山」でしかなかった。


「いくわよ。一匹たりとも逃がさない」


私とリリアが同時に杖を振り上げた。


「『概念崩壊・カタストロフィ・スマッシュ』!!」


「『死の記憶デス・サーチ』!!」


私が放った漆黒の暴風が、迫り来る重装甲機兵の群れを一瞬にして空間ごと消滅させる。


リリアの白魔法は、もはや物を探すためのものではない。


敵の『命の在り処』を正確にダウジングし、ピンポイントでその命の灯火を摘み取っていく絶対的な死の魔法へと変貌していた。


リリアが微笑みながら杖を振るうたび、数万の帝国兵が音もなくバタバタと倒れ伏していく。


「死ね! 死ね死ね死ね!!」


セナの黒い羽から放たれる呪いの羽が、敵兵の肉体を腐らせ、灰に変える。


セレスの放つ裁きの光が、帝国軍の魔導兵どもを塵すら残さず蒸発させていく。


「化け、物だぁぁっ!?」


「逃げろ! あいつら、人間じゃない! 狂ってる!!」


先ほどまで無慈悲に私たちを蹂躙していた帝国兵たちが、今度は恐怖に顔を引き攣らせ、背を向けて逃げ出した。


しかし、遅い。遅すぎる。私たちは歩みを止めなかった。


愛する者たちの血を吸った大地を踏み締めながら、ただひたすらに、帝国軍の波を文字通り蒸発させながら前進した。


私たちの目指す場所はただ一つ。この全ての元凶である、アウストラル帝国の『帝都』だ。


数日後。


私たちは、大陸の東方に位置する巨大な都市――アウストラル帝国の帝都の前に立っていた。


ここまで来るのに、何十万の兵を殺したか覚えていない。


私たちの心は、もはや美味しいご飯を求めていた頃の温かさを完全に失い、冷たく凍てついた復讐の刃と化していた。


「……ここが、憎き帝国の中枢ですわね」


リリアが、見上げるような巨大な防壁と、その奥に広がる帝都を見据えて、静かに微笑んだ。


「世界統一? 大国? ……くだらないわ。私たちの幸せな日常を奪っておいて、自分たちだけがのうのうと生きているなんて、絶対に許さない」


私は、空間収納からありったけの食料――かつてジュリアン様やみんなと一緒に食べるはずだった、特製のケーキやミートパイを取り出し、狂ったように口に詰め込んだ。


涙で味がしない。


でも、今は味なんてどうでもいい。必要なのは、この巨大な帝都を丸ごと消し去るための、莫大な『カロリー(魔力)』だ。


限界まで魔力を高めた私と、完全に魔力が同期したリリアが、手を繋ぎ合わせた。白と黒の魔力が、螺旋を描きながら天を衝くほどの巨大なエネルギーの渦となる。


「世界から、消えなさい」


私とリリアが、同時に杖を振り下ろした。


ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


閃光。


音すらも遅れてやってくるほどの、絶対的な破壊の光。


私たちが放った白黒の極大魔法は、帝都の強固な結界も、防壁も、そしてその中にいた皇帝も、軍の中枢も、全てを等しく包み込んだ。


一瞬の内に、巨大な帝都は文字通り『蒸発』した。


悲鳴を上げる間もなく、瓦礫の破片一つ残さず、アウストラル帝国の帝都は地図上から完全に消滅し、後には巨大で滑らかなクレーターだけが残された。


こうして、私たちは、お伽話に語られるような「大量虐殺の狂気の魔女」となったのだ。


「……終わった、のね」


何もかもが灰になり、静寂だけが残った帝都の跡地で、私は杖を落とし、その場にへたり込んだ。リリアも、セナも、セレスも、膝をつき、空を見上げていた。


復讐は果たした。


私たちから全てを奪った帝国を、この世から完全に消し去った。


……でも、心が満たされることはなかった。


どれだけ敵を殺しても、帝都を蒸発させても。


ジュリアン様も、エドワード殿下も、お父様たちも、二度と帰ってこない。美味しいご飯を一緒に食べて、笑い合う日は、もう二度と来ないのだ。


「う、あ……あぁぁっ……!」


その絶対的な虚無感と孤独に押し潰されそうになり、私が再び泣き崩れようとした、その時だった。


パリンッ!


私たちの目の前の空間が、まるでガラスが割れるように砕け散った。そして、その次元の裂け目から、眩い光と共に一人の女性が姿を現した。


「……よくやったわ、私の可愛い子孫たち。でも、もう十分よ」


輝く銀糸の髪に、青玉のような瞳。五千年前から生きる私たちの先祖であり、異次元へと退避していた伝説の魔女、エレノワールお姉様だった。


「エレノワール……お姉様……」


「アイラちゃん。リリアちゃん。……辛かったわね」


エレノワールお姉様は、私とリリアを優しく抱きしめてくれた。


その温もりに触れた瞬間、私たちが纏っていた狂気と憎悪のオーラが、嘘のようにスッと霧散していった。


「五千年の叡智を刻む魔女の血脈よ。あなたたちは、この人間界でもう十分に戦い、そして全てを成し遂げたわ」


エレノワールお姉様は、私たち四人の顔を順番に見渡した。


「憎しみと悲しみに囚われたまま、この世界で『狂気の魔女』として生き続ける必要はないの。……さあ、私と一緒に来なさい。幻想と神秘の世界……『異次元の魔女の世界』へ」


「異次元の……魔女の世界……」


「そうよ。そこには、戦いも、理不尽な奪い合いもないわ。ただ静かに、五千年を生きる魔女たちが暮らしている場所。……あなたたちの傷ついた心を癒やすには、そこしかないわ」


私は、振り返って自分たちが焦土と化した大地を見た。


もう、この人間界に私たちの居場所はない。


愛する人たちがいないこの世界に、未練など何もなかった。


「……行きます。私たちを、連れて行ってください」


私が答えると、リリアも、セナも、セレスも、静かに頷いた。


「ええ。よく決心したわね」


エレノワールお姉様が優しく微笑み、次元の裂け目を大きく広げた。


私たちは、愛と絶望、そして美味しいご飯の記憶が詰まった人間界に背を向けた。


残された悲しみを胸に抱いたまま、私たちはエレノワールお姉様に導かれ、次元の裂け目の向こう側――幻想と神秘の『魔女の世界』へと、静かに旅立っていったのである。


「異次元の魔女の世界」


――そこは、私たち人間の常識が一切通用しない、完全なる幻想と神秘の世界だった。


空は常に淡い紫と青のグラデーションに染まり、手が届きそうなほど近くに巨大な星々が瞬いている。


大地は空中に浮かぶ無数の浮島からなり、クリスタルのように輝く植物や、重力を無視して逆流する滝など、まさにお伽話に描かれるような風景が広がっていた。


エレノワールお姉様に導かれてこの世界にやってきた私たちは、静かに暮らすことにした。


戦いも、権力闘争も、そして理不尽な死も存在しない、ただ五千年を生きる魔女たちが静寂の中で時を紡ぐ場所。


「……お姉様。今日のお茶は、カモミールと星屑草のブレンドですわ」


「ありがとう、リリア。いい香りね」


浮島の一つに建てた小さなコテージのテラスで、私たちは毎日お茶を飲んだ。


狂気と憎悪に身を任せ、帝都を蒸発させたあの破壊の嵐はすでに過ぎ去った。


けれど、復讐を果たしたからといって、私たちの心にぽっかりと空いた穴が塞がるわけではない。


ジュリアン様、エドワード殿下、お父様、お兄様。クロードやノア、マリー姉ちゃんや孤児の仲間たち。


彼らの温かい笑顔や、賑やかな声は、二度と戻ってこない。


私は悲しみを紛らわすように、異次元の不思議な食材を使って毎日料理を作った。


「アイラお姉様、今日の『魔力茸のシチュー』も最高に美味しいです!」


「ふははは! やはりアイラの飯は異次元でも宇宙一じゃな! おかわりじゃ!」


セナやセレスが、昔と変わらない笑顔で私のご飯を食べてくれる。


それが、今の私にとって唯一の救いだった。


そんな静かで穏やかな日々が、何年、何十年と過ぎていった。


私たちには、時間という概念がほとんど意味を持たなかった。


完全なる『魔女』として覚醒した私とリリア、そして天使のハーフ(ネフィリム)であるセナの三人は、肉体の成長が完全に止まり、不老の存在となっていたからだ。


いつまで経っても、私たちは十九歳の、あるいは十代の少女の姿のままだった。


しかし――神聖ルシエラ教国の教皇とはいえ、セレスは『人間』だった。


彼女には、残酷なまでに明確な『寿命』が存在していたのだ。


月日が流れるにつれ、見た目は十六歳のままだったセレスの身体にも、少しずつ変化が訪れた。


輝いていた金糸の髪には白いものが混じり、歩くスピードは遅くなり、豪快な笑い声も徐々に小さくなっていった。


そして、私たちが異次元に来てから数十年という途方もない時間が過ぎた頃。


「……アイラ。リリア、セナ……」


静かなベッドの上で、完全に年老いて弱々しくなったセレスが、掠れた声で私たちを呼んだ。私たちは彼女のベッドを囲み、その手を強く握りしめた。


「セレス……ダメよ、まだ死なないで。今日、美味しいケーキを焼いたのよ? あなたの大好きな、フルーツたっぷりのタルトよ……っ」


私が涙をこらえきれずに言うと、セレスは皺くちゃになった顔で、ふわりと優しく微笑んだ。


「すまんのう、アイラ……。じゃが、もう私の胃袋は、お主の極上のケーキを受け付けられそうにないわい……。人間としては、十分に、長生きさせてもらった……」


「セレス様……嫌です、行かないでください……っ!」


セナがセレスの手にすがりついて泣きじゃくり、リリアもポロポロと青玉の瞳から大粒の涙をこぼしている。


「泣くな、お主ら……。お主らと出会えて、美味い飯を食って、世界を救って……本当に、本当に楽しい人生じゃった」


セレスの呼吸が、徐々に浅くなっていく。


「……ジュリアンや、エドワード……うちのバカサミュエルのところへ……一足先に、行っておるぞ。……お前たちは、これからも……ずっと……」


ゆっくりと、セレスの瞼が閉じられた。


繋いでいた手から力が抜け、静かに、彼女の寿命の灯火が消え去った。


「セレス……? ねぇ、セレス!!」


「いやああああっ! セレス様ぁぁっ!」


「ああ……神様、どうして……っ」


私たち三人の悲痛な泣き声が、異次元の静寂な空に響き渡った。


愛する家族を戦争で失い、ようやく見つけた穏やかな世界で、またしても私たちは大切な親友を失ってしまった。


その深い絶望と悲しみに、私はベッドに突っ伏して泣き崩れた。


感動的で、悲壮な別れ。


涙なしには語れない、美しき教皇の最期――。


……のはずだった。


パァァァァァァァァッ!!


「……え?」


セレスが息を引き取ってから数秒後。突如として、ベッドの上に横たわっていたセレスの遺体が、目を開けていられないほどの眩い黄金の光に包み込まれたのだ。


「お、お姉様!? セレス様の体が光っていますわ!」


「なっ、何が起きてるの!?」


私たちが涙を拭う暇もなく目を丸くしていると、光の奔流が部屋中を乱舞し、やがてスッと収束していった。


そして、光が晴れたベッドの上には――。


「――ふははははっ!! なんだか急に体が軽くなったぞ! 肩こりも腰痛も消え失せておるわい!!」


先ほどまでシワくちゃの老婆だったはずのセレスが、見慣れた『十六歳の可憐な少女の姿』に戻り、おまけに背中に神々しい【純白の天使の羽】を生やして、ピンピンした状態で空中に浮かんでいたのだ。


「「「…………は?」」」


私とリリア、セナの三人は、見事にハモった間の抜けた声を上げた。


「おお! これが私の新しい体か! なんだか凄まじい神聖魔力が全身からみなぎってくるぞ! アイラ、やっぱりさっきのケーキ食べるのじゃ!」


「いやいやいや、ちょっと待ちなさいよ!!」


私は涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、空中に浮かぶセレスに向かって思い切りツッコミを入れた。


「あんた、さっき死んだじゃない! 『一足先に行っておるぞ……ガクッ』って、あんなに感動的なお別れをしたじゃない!! 私の涙を返してよ!!」


「す、すまんすまん! 私も本当に死んだと思ったんじゃが、なんか死んだ瞬間に自分の中の『光の種』がバーン!と弾けて、気付いたらこうなっておったのじゃ!」


セレスが頭を掻きながら笑う。


どうやら、神聖ルシエラ教国の教皇として彼女の血脈に代々受け継がれていた『光の種』が、寿命を迎えて肉体から魂が離れた瞬間に完全に開花し、死して神格化し、天使の末席に加えられたということらしい。


「……あの悲しみをどうしてくれるんですか。私、本当に心が張り裂けそうだったんですからね」


リリアがジト目でセレスを睨み、セナも「もう、セレス様のバカァ!」とポカポカとセレスを叩いている。


感動の別れシーンは、たった十数秒で見事に打ち砕かれ、いつものドタバタなカオス空間へと逆戻りしてしまった。


「――騒々しい新入りが誕生したと思えば。相変わらずだな、お前たちは」


その時。


私たちのコテージの空間がガラスのようにパリンッと割れ、そこに『次元の裂け目』が開いた。


裂け目の向こうから姿を現したのは、完璧にアイロンのかかった漆黒のメイド服に身を包んだ、一人の女性だった。神々しい金色の瞳。背後に揺らめく白い羽の幻影。


「エ、エマ!?」


「シュシュエル様!?」


私は目を見開いて絶叫した。そこにいたのは、かつてアルジェント公爵邸で私の専属侍女を務めていたエマ――そして、その体を器としていた天使・シュシュエルだったのだ。


「なんで生きてるの!? あんたも、あの帝国の戦争で……!」


「ふん。我を人間と同じように数えるな」


エマ(シュシュエル)は、呆れたように鼻を鳴らした。


「あの忌まわしい戦争の際、我が愛用していたこの『エマの肉体(器)』を戦火で失いたくなくてな。エマ本人の同意を得て、完全に契約を交わし、魂と同化することで戦火から退避したのだ。……おかげで、我もエマも無傷だ」


「えっ……じゃあ、エマも一緒なのね!? 本当に良かった……っ!」


私は安堵のあまり、エマの首に抱きついた。エマの意識が少しだけ表に出て、「お嬢様、ドレスがシワになりますよ」と、かつてと同じように優しく微笑んでくれた。


「まったく、騒がしい魔女だ。……さて」


シュシュエルが、ポンと私の頭を叩いて引き剥がし、空中に浮いているセレスを見上げた。


「我は、そこの『新しい天使セレス』を天界へ案内するために迎えに来たのだ。……それと」


シュシュエルの金色の瞳が、極上の悪戯を思いついたように細められた。


「お前たち三人が、異次元で美味い飯を食いながらも、失った家族を想って泣いていると聞いてな。……私が、少しばかり『面白い場所』を用意してやったぞ」


「面白い場所……?」


「そうだ。お前たちの、その終わらない未練を晴らすためのな」


シュシュエルは、次元の裂け目を大きく広げた。


その向こうに見えるのは、異次元の神秘的な風景ではなく――なぜか見覚えのある、現代の『オフィスビル』のような無機質な空間だった。


「さあ、来るがいい。……『永遠の始まり』の場所へな」


「さあ、来るがいい。……『永遠の始まり』の場所へな」


エマの体を器とした天使シュシュエルに導かれ、私たちは次元の裂け目へと足を踏み入れた。


その向こう側に広がっていたのは、雲海が広がる神々しい天界でも、花畑が続く楽園でもなく――。


「…………はい?」


真っ白な壁紙。等間隔に並んだ長方形の蛍光灯。


中央には無機質なグレーの長机と、キャスター付きのオフィスチェアがズラリと並んでいる。


おまけに部屋の隅には、給湯室とホワイトボードまで完備されていた。


「ちょっと待って。ここ、どう見ても前世の『オフィスビルの貸し会議室』じゃないの!?」


私の前世の意味記憶が、全力でツッコミを入れた。


神話の存在である天使に連れられてきた場所が、あまりにも近代的な無機質空間すぎる。


「何を驚いている。天国というのはな、普段は広大な惑星一つ分の場所で、死者の魂がそれぞれ静かに暮らしているのだ。だが、それだとお前たちが特定の相手を探して会いに来るのに不便だろう?」


シュシュエルが、パイプ椅子にドカッと座りながら説明する。


「だから、天国の中枢にある『オフィスビルのように部屋が区切られているフロア』の一室を、お前たち専用の面会室として借りておいてやったのだ。……入れ、お前たち」


シュシュエルが指を鳴らすと、会議室の奥にあった無機質なドアが、ガチャリと開いた。


「――アイラ!!」


その声に、私の心臓が大きく跳ねた。ドアの向こうから飛び出してきたのは、あの絶望の戦場で爆炎に飲まれ、永遠に失われたはずの私の愛する人だった。


「ジュ、ジュリアン様……っ!?」


金糸の髪、エメラルドの瞳。


血と泥に塗れていたはずの彼は、王太子としての優雅な礼服姿のまま、駆け寄ってきて私を強く、息が止まるほど強く抱きしめた。


「ああ、私の愛しき妃よ……! 天界のこの部屋で待っていれば、君が来ると天使殿から聞いていたが……本当に、また君をこの腕に抱けるなんて」


「ジュリアン様……っ! ジュリアン様ぁっ……!」


私は彼の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。温かい。


本物のジュリアン様だ。


「リリア! 君も無事でよかった!」


「エドワード殿下! ああ、またお会いできましたわ……っ!」


隣では、エドワード殿下とリリアが涙を流して抱き合い、いつものようにキラキラとしたピンク色の超甘々空間を形成している。


「おおおお! 私の愛しい娘たちよォォォッ!! 天国にまで会いに来てくれるとは、お父様は嬉しくてまた死んでしまいそうだよ!!」


「害虫の気配がしないこの天国の密室で、愛しの妹たちと永遠に過ごせるなんて……神に感謝します!!」


父様レオンハルトとセオドアお兄様が、親バカとシスコンを限界突破させながら私たちに飛びついてきて、見事なまでに涙と鼻水の海を作っている。


「アイラ師匠ー! やっと来たか! 腹減ったぜ、天国には美味い飯がねえんだよ!」


巨大な大剣ヴァルムを背負ったクロードが、ニカッと笑って腹をさする。


「……僕の計算によれば、死者に胃袋はないはずですが。しかし、アイラ嬢たちの規格外な生存能力には、僕の頭脳も安堵のバグを起こしそうですよ」


ノアが、ずり落ちた眼鏡を中指で押し上げながら、ふっと優しい笑みを浮かべる。


「アイラ様、リリア様……! またお会いできて、本当に……っ」


あがり症を克服した絶世の美少女ミアがポロポロと涙を流し、近衛騎士のカイルが「おおお、我が女神リリア嬢!」と暑苦しく叫んでいる。そして、その後ろからは。


「アイラお嬢様、リリアお嬢様。……天国での『お掃除』も完璧に済ませてお待ちしておりましたわ」


完璧超人メイドのマリー姉ちゃんが、スラムの孤児の仲間たちを引き連れて、いつものように優雅なカーテシーでお辞儀をした。


セナが「マリー姉ちゃん! リック!」と孤児の家族たちに飛びついていく。


死んでしまった愛する家族。最高の仲間たち。彼らが、あの日常のままの姿で、全員この「天国のオフィス」に勢揃いしていたのだ。


「みんな……みんな、本当に……っ」


私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭い、ジュリアン様を見上げた。


「でも、どうして? 私たちは異次元の魔女の世界にいるのに、どうやって天国の人たちと……」


「簡単なことだ」


シュシュエルが、会議室のホワイトボードの前に立って、ペンで図を書きながら言った。


「お前たちアイラとリリアは、もはや人間の枠を外れ、完全に『異次元の魔女』になったのだ。……次元の壁など容易く越えられるだろう。だから、お前たちはいつでも好きな時に、この天国のオフィスに遊びに来て良いのだぞ」


「……え?」


私は、ピタリと涙を止めた。


「い、いつでも来ていいの?」


「ああ。誰も『最後の別れ』だとは言ってないぞ? なにしろ異次元の魔女なのだからな。お茶を飲みに来る感覚で次元の扉を開けばいい」


シュシュエルは、ポカンとする私を見て、心底不思議そうな顔をした。


「というか……お前、戦場で何を勘違いしてあんなにこの世の終わりのように泣き叫び、帝都を蒸発させていたのだ? 誰も二度と会えないなんて言ってないだろうに。……何言ってるんだこいつ、という目でお前を見ていたぞ、我は」


「~~~~~っ!!」


私は、顔から火が出るほど真っ赤になった。


あんなに! あんなに悲壮な覚悟で! 愛する人を失った絶望で狂気の魔女にまで堕ちたのに!


「ちょっと!! なら戦場のあの時に言いなさいよ!! 『あとで天国の貸し会議室で会えるから蒸発させるのはやめとけ』って!!」


「知らん。お前が勝手に暴走したのだろう」


「くやしぃぃぃぃっ!! 私のあのピュアな絶望と感動の涙を返してよ!!」


私が床を地団駄踏んで悔しがっていると、ジュリアン様が堪えきれないように吹き出した。


「ふっ……くくくっ、あはははははっ! 相変わらずだな、君は。世界の終わりだろうが天国だろうが、君のその図太さと騒がしさには本当に救われるよ」


「ジュリアン様まで笑わないでください!」


「すまない。……だが、これで本当に『言質とった』な、アイラ」


ジュリアン様は、私の手を取り、その手の甲に深く口付けを落とした。


「君の胃袋は、天国でも、異次元でも、永遠に私が面倒を見ると約束しよう。……愛しているよ、私のただ一人の魔女」


その腹黒くも極上に甘い微笑みと愛の言葉に、私は悔しさも忘れて、ふにゃりと笑い返してしまった。


「……ええ。私も愛しています、ジュリアン様」


「よし! 再会を祝して、大宴会の始まりじゃな!」


十六歳の姿で天使の羽を生やしたセレスが、会議室の机の上を指差した。


「アイラ! ここには飯がない! 早くお主のアイテムボックスから、とびきり美味い飯を出すのじゃ!」


「おう! 頼むぜ師匠! 角煮丼が食いてえ!」


「クロードさん、天国に来てまでお肉ですか……。アイラ様、私にはお紅茶をお願いします」


「筋肉の隅々まで染み渡るプロテインの準備はできていますわ!」


仲間たちが、次々と私に要求を突きつけてくる。


いつもの、騒がしくて、カオスで、最高に大好きな私の日常だ。


「はいはい、分かったわよ! 異次元の食材を使った、究極の『天国持ち込みフルコース』を振る舞ってあげるわ! お父様、お兄様、机をくっつけてちょうだい!」


「おおおっ! アイラの天界の手料理! 今すぐ並べるぞセオドア!」


「はい父上! リリアの隣の席は私が死守します!」


「義兄上、そこは夫である私の席ですが」


真っ白なオフィスビルの一室。


そこは、世界の終わりを経験した私たちが手に入れた、誰にも邪魔されない永遠の楽園。


人間としての日常は、あの戦争で終わりを告げたかもしれない。


でも、ここからまた、異次元と天国を股にかけた、新しい私たちの日常が始まるのだ。


「美味しいご飯の準備はいいわね!? 今日は永遠に食べ放題よ!」


世界の終わりと始まりは、私の始まり。


腹黒王太子と規格外の魔女、そして愉快な仲間たちの、最高に美味しくて騒がしい『永遠の日常』が、今ここに高らかに幕を開けたのだった。

序盤のネタが尽きてしまったので、ヴァリエール王国編終わりです。

アイラとリリアが完全に魔女として覚醒しました。

セレスも光の種が開花して天使に転職?しました。

セナは変わらずハーフです。

エマはシュシュエルの器として生存、同じく永遠を生きます。

ここから先は五千年以上を生きる魔女の世界で料理研究したり天国に行ってジュリアンたちと会ったりします。

偶に地上に出て、あの後どうなったかな?とか、そういえば悪魔は?とか探してみたりします。

そして、魅力的な彼女は男を引き付けるかもしれません。

アイラの心はジュリアンと共にあるんですけどね。

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子供はどこへ行ったの? ミアちゃんいるけど、ミーアちゃんは?
あ、飽きたの!? いくら何でも超展開過ぎる!? 読者離れ起こすよ!? これまで影の国家が脅威=世界自体は安定してる様子だったのに、急に影も形もなかった帝国なんて現れるわ、序盤に回避しようとした絶望展…
いくら何でもジャンプの打ち切りみたいなやっつけすぎですよ。 子供生まれたばかりで何してるんですかと。 謎多き超大国って悪魔が関わってる可能性があるのに何も言及されてない。 いっその事ジャンプらしく〇…
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