王太子妃の事件簿_File_001
起、承、転、結、エピローグを1~5に区切って書きました。
1:平和な市場と、踏みにじられた美食
「……素晴らしいですわ、ジュリアン様。この活気、この芳醇な香り! エルフィア王国からの『水精麦(お米)』の輸入ルートが確立したことで、周辺の市場もこれほどまでに潤っているのですね!」
ヴァリエール王国が誇る物流の要衝、ヴォルデン伯爵領。
その中心街に広がる巨大な市場の喧騒の中、一人の美しい令嬢が目を輝かせていた。
輝くような銀髪を揺らし、露店から漂う様々な匂いに鼻をヒクつかせている彼女は、アイラ・ド・ラ・ヴァリエール(旧姓アルジェント)。アルジェント公爵家長女にして、この国の王太子妃である。
そして彼女の隣を歩くのは、変装用の魔導具で髪と瞳の色を変え、平民の商人に扮した王太子、ジュリアン・ド・ラ・ヴァリエールその人だった。
「ああ、そうだねアイラ。君の『食に対する並々ならぬ情熱』……もとい、素晴らしい先見の明によって整備された魔導冷蔵コンテナ馬車の恩恵も大きい。このヴォルデン領は海にも近いからね。新鮮な魚介類が内陸まで安全に運べるようになったのは画期的だ」
ジュリアンは、周囲の目を惹きつけないよう穏やかな微笑みを浮かべつつ、愛おしそうに妻を見つめている。
本日は「新しい物流網と市場の抜き打ち視察」という名目での、いわばお忍びのデートであった。少し離れた場所では、平服に大剣を背負った近衛騎士団特別遊撃隊長クロードが、鋭い眼光で周囲を警戒している。
「ふふふ……私の本日の目的は、ずばり『ご飯のお供』の発掘ですわ! ミーアさんが開発してくれた『IH式魔導炊飯器』によって、毎日最高に美味しい銀シャリが食べられるようになりました。となれば、次に求めるべきはその白米のポテンシャルを極限まで引き出す最高のおかず! このヴォルデン領特産の『紅蓮エビ』を使った、秘伝のスパイス焼きの屋台があるという事前情報は入手済みですのよ!」
鼻息を荒くして力説するアイラ。彼女の脳内はすでに、炊きたての白いご飯と、スパイシーで香ばしいエビの組み合わせで満たされていた。
この特異な「暴食の魔女」にとって、食の喜びは何にも勝る。ジュリアンもそれを熟知しているため、決して彼女の歩みを止めることはない。
「おや、あそこじゃないかな? 人だかりができている」
ジュリアンが指差した先には、確かに香ばしい煙を上げる小さな屋台があった。
しかし、その周囲の空気は、市場の活気とは少し異なっていた。客が集まっているというよりは、何事かと遠巻きに見ているような、不穏な空気が漂っている。
アイラたちが近づくと、怒鳴り声が聞こえてきた。
「ふざけるな! 先月『特別流通税』が倍になったばかりだろうが! これ以上みかじめ料を取られたら、店を畳むしかないんだぞ!」
「うるせえ! ヴォルデン伯爵様が定めた正当な税だろうが! この領地で商売したけりゃ、黙って払え!」
柄の悪い数人の男たちが、恰幅の良い屋台の店主を小突いていた。
男たちの胸元には、ヴォルデン伯爵家の紋章を崩したような、非正規の自警団――いや、どう見てもゴロツキの証が付けられている。
「……ジュリアン様。あれは」
「うん。どうやら、随分と古臭い『寄生虫』が我が国の市場に巣食っているようだね」
ジュリアンの目が、スッと細められた。王太子としての冷徹な眼光が覗く。
このヴォルデン伯爵。表向きは王家の政策に従順で、物流ルートの整備にも協力的だった。
だが裏では、何年もの長い間、巧妙に準備を進めていたのだ。
長年かけて構築した、裏社会のならず者たちを使った独自の『搾取網』。
王家が莫大な予算を投じて整備した新しい物流ルート。それに乗じて流通する高価な食材や特産品に、独自の「特別税」と称するみかじめ料を課し、従わない者からは商品を安値で買い叩き、別のルートで密輸して莫大な利益を得る。
王家の目が届きにくい地方都市の利を活かし、念願の『完全なる裏の流通支配計画』がもうすぐ成就しようとしていた。
「おい、金が払えねえなら、この商品は俺たちが『適正価格』で買い取ってやるよ。銀貨一枚で全部置いていきな!」
「ば、馬鹿な! この紅蓮エビと秘伝のスパイスを揃えるのに、どれだけ金と手間がかかっていると……やめろっ!!」
店主の制止を振り切り、ゴロツキの一人が屋台に積まれていた新鮮な紅蓮エビの入ったカゴを蹴り飛ばした。
――バラバラッ!
輝くような赤い殻を持った極上のエビが、無惨にも土埃の舞う地面に散らばり、さらにゴロツキの汚いブーツによって踏み躙られた。
「あーあ、手が滑っちまった。まあいい、ゴミは自分で片付けとけよ。明日はきっちり税を払えよな!」
下劣な笑い声を上げながら、ゴロツキたちは去っていった。
店主は地面に崩れ落ち、踏み潰されたエビを見て涙を流している。
その光景を、アイラは無言で見つめていた。
「…………」
「アイラ?」
ジュリアンが声をかけると、アイラはゆっくりと顔を上げた。
その美しい瞳には、絶対零度の冷気が宿っていた。
「……私の、銀シャリのお供が」
ギリッ、とアイラの拳が強く握られる。
彼女の周囲の空間が、魔力の上昇によって微かに歪み始めていた。最上位悪魔の力をも凌駕する『魔女』の規格外の魔力が、静かな怒りとともに漏れ出している。
「領民を虐げる悪徳貴族。それ自体も王国の法に照らして許されるべきではありませんが……何より」
アイラは、地面に散らばった無惨な食材を指差した。
「生産者の方々が手塩にかけ、運送者の方々が鮮度を保って運んでくれた、あの至高の食材を……あんな、あんな形で無駄にするなど……! あまつさえ、私の『本日の最高の一食』を奪うなど……!!」
ゴゴゴゴゴ……と、アイラの背後に幻の黒いオーラが見えるかのようだった。
少し離れた場所にいたクロードが、「あ、これ師匠がブチギレたわ。あの領主、終わったな……」と小さく呟き、静かに大剣の柄に手をかける。
「……絶対に、絶対に許しませんわ。物理的にも、社会的にも、塵一つ残さず抹殺して差し上げます」
「ふふっ……頼もしいね、アイラ」
ジュリアンは、激怒する愛妻の様子を見て、困るどころか酷く嬉しそうに、そして最高に腹黒い笑みを浮かべた。
「長年かけて領民の血肉を啜り、私腹を肥やしてきた悪徳伯爵。彼が今まで積み上げてきた『努力』とやらを、私たちが根底から徹底的に、愉快にぶち壊してあげようじゃないか」
王太子と王太子妃。
王国最強の権力と武力を持つチート夫婦による、理不尽な悪に対する容赦のない「探偵(物理)」の幕が、今ここに切って落とされた。
2:チート探偵たちの優雅なる証拠収集と、完璧な計画の綻び
ヴォルデン領の視察拠点として手配されていた、領都で最も格式高い迎賓館の一室。
先ほどの市場での一件を終え、部屋に戻ったアイラたちは、すぐさま「探偵」としての行動を開始していた。
「――というわけで、私の本日のランチを台無しにしたヴォルデン伯爵を、社会的に塵一つ残さず抹殺することに決定いたしました」
アイラは、テーブルの上に置かれた大きな銀の洗面器に向かって、事の顛末を宣言した。
洗面器に張られた水面には、王都の宮廷魔法師団の執務室にいるノア・ウィンザー、そしてフローレス領から通信を繋いでいるミア・フローレスの姿が鮮明に映し出されている。
ミアの固有スキル【聖なる水底】を応用した、遠隔地の光景を映し出す通信魔法である。かつてあがり症だった彼女も、今や絶世の美少女として自信に満ちた表情を浮かべている。
『……なるほど。アイラ様が食べ物の恨みで動く時の恐ろしさは、学園時代に骨の髄まで理解しています。既に私の手元には、ヴォルデン伯爵領の過去五年間における公式な税収記録と、王家からの助成金の使途明細のデータが揃っていますよ』
水鏡の向こうで、エリート魔道士であるノアが呆れたように、しかし手際よく羊皮紙の束を捌きながら応じた。彼の【古代魔法の最適化】と高度な情報処理能力にかかれば、領地一つの公的記録を洗い直すなど造作もないことだ。
『ふむ。表向きの帳簿は完璧ですね。計算式に一切の矛盾がありません。……しかし、完璧すぎます。市場の規模と流通量を考えれば、裏で相当な資金をプールしているはずですが、それがどこにも記載されていない』
「ええ、その通りですわノア。だからこそ、直接『答え』を見てしまうのが手っ取り早いですの」
アイラは優雅に微笑むと、部屋の隅に目を向けた。
そこには、先ほど市場で屋台を荒らしていたゴロツキのリーダー格の男が、ロープでぐるぐる巻きにされ、猿轡を噛まされて転がっていた。クロードが大剣の腹で軽く「峰打ち」をして、気絶したところをこっそりお持ち帰りしてきたのだ。
「むーっ! むぐぅーっ!!」
「大人しくしろ。俺の師匠の『最高の一食』を奪った罪は重いぞ」
暴れる男を、クロードが冷たい目で見下ろしている。
アイラは男の前にしゃがみ込むと、自身の指先を少しだけナイフで傷つけ、血の雫を男の額にポトリと落とした。
「固有スキル――【深淵の記憶】。さあ、貴方たちの『ボス』の隠し事、すべて見せていただきますわよ」
アイラの目が赤く輝く。
血液を媒介にした、対象の精神深層への直接ダイブ。泥臭い尾行や聞き込みなど一切不要の、究極の情報収集能力である。
数秒後、アイラはパチリと瞬きをして立ち上がった。
「分かりましたわ。ゴロツキたちの元締めは、やはりヴォルデン伯爵の筆頭家令。そして彼らが集めた『裏の税金』の記録と、横流ししている密輸品の取引帳簿は、伯爵邸の地下書庫、隠し金庫の中に保管されています」
『隠し金庫の暗号キーとなる魔力波長と、錠前の物理的な構造式は分かりますか?』
水鏡の向こうでノアが羽ペンを構える。
「ええ。伯爵本人の魔力と、特定の重量の銀貨を同時に載せる天秤式の二重ロックですね。波長のパターンと構造は今読み取った通りです」
アイラが読み取った情報を口にすると、ノアの周囲に魔法陣が展開され、すさまじい速度で数式が組み上がっていく。
『……解析完了。暗号解除の術式と、偽造の魔力鍵を組み上げました。後ほどそちらの魔導具にデータを転送します。これで金庫はいつでも開けられますよ。あとは中身を物理的に押収すれば、起訴状は私が一時間で書き上げます。言い逃れ不可能な、完璧なやつをね』
「さすがノア! 頼りになりますわ!」
「それにしても……」
水鏡の端から、ひょっこりと顔を出したのは、アイラの妹であり第二王子エドワードの妻となったリリアだった。彼女はアイラと共に歴史改変前の記憶を持つ、もう一人の特異点である。
『相変わらずお姉様たちは、敵のプライバシーを木端微塵にする容赦のない調査をしますね。私の【物体の記憶】の出番もありませんでした』
「ふふっ、リリア。今回は相手が『食の恨み』という私の逆鱗に触れましたからね。最短距離で終わらせますの」
笑い合う姉妹を背に、ジュリアンがゆっくりと口を開いた。
「ノア、裏帳簿の押収と起訴状の作成、よろしく頼むよ。だが、ただ捕まえるだけでは面白くない……いや、王家の威信を示すには不十分だ」
ジュリアンは、極上のワインを転がすように、低く甘い声で言った。
「明後日、ヴォルデン伯爵は我々を歓迎するための大規模な夜会を主催する。そこにこの領地の主要な貴族や商人たちをすべて集めさせているそうだ」
「まあ。ジュリアン様、もしかして……」
アイラが期待に満ちた目を向ける。
「ああ。せっかく彼が『完璧な計画』の集大成として用意した晴れ舞台だ。王家の名代として、彼の『素晴らしい流通管理』を大勢の前で褒め称えてあげようじゃないか。……一番高いところまで持ち上げてから突き落とす方が、絶望の顔がよく見えるからね」
その場にいた全員が、ジュリアンの腹黒すぎる提案に(ノア以外は)大いに賛同し、嬉々として頷いた。
――同刻。ヴォルデン伯爵邸、執務室。
「ククク……はーっはっはっ!」
恰幅の良い初老の男、ヴォルデン伯爵は、最高級のブランデーが注がれたグラスを揺らしながら、ご機嫌な笑い声を上げていた。
「順調ですな、伯爵様。市場での裏税の徴収も滞りなく。例の極上エビの密輸ルートも、来月にはさらに拡大できそうです」
腹心の家令が、揉み手をしながら報告する。
「ああ、笑いが止まらんよ。王家が莫大な金をかけて整備したエルフィアへの流通ルート。あれのおかげで、我が領を通過する富は莫大なものになった。表面上は規定の税だけを納め、あとは自警団という名のゴロツキに回収させる……王家の連中は、この私が裏で市場を完全に支配しているなど、夢にも思っていまい」
伯爵は窓の外、領都の夜景を見下ろしてほくそ笑む。
長年かけて構築した裏社会とのパイプ。誰にも見つからない隠し金庫。完璧に二重化された帳簿。
「現在、お忍びでジュリアン王太子殿下とアイラ王太子妃殿下がご滞在ですが……」
「案ずるな。あの若造どもは、視察という名目で観光気分を味わっているだけだ。明後日の夜会で、表面上だけ媚びへつらい、適当にもてなしてやればいい。彼らが王都へ帰れば、この領地の『闇の富』は完全に私のものとして完成するのだ!」
伯爵はグラスを高く掲げた。
「我が完璧なる計画と、輝かしい未来に乾杯だ!」
彼らの足元がすでに完全に崩れ去り、王国の最高権力と規格外のチート集団によって、退路はおろか言い逃れの余地すら1ミリも残されていない包囲網が完成していることなど、愚かな伯爵は知る由もなかった。
3:完璧な包囲網と、天まで昇る悪徳伯爵
「――というわけで、お義父様と義兄上には、王都側におけるヴォルデン領からの『非公式な荷物』の受け取り拠点を、物理的に制圧していただきたいのです」
夜会を翌日に控えた迎賓館の通信室。
ジュリアンが水鏡越しに語りかけると、王都の公爵邸にいる二人の男――王国最強の武力を誇るレオンハルト公爵と、その長男セオドアが、夜叉のような形相で立ち上がった。
『なんだと!? 我が愛しのアイラの、その日の最高の一食を台無しにしただと!? 許せん……ヴォルデンごときが、万死に値する!!』
『お父様、今すぐ黒魔法剣の準備を! 領主の館ごと消し飛ばしてやりましょう!』
「お待ちください、お二人とも。ここで館を吹き飛ばしては、せっかく集めた『確たる証拠』まで消えてしまいます。それに、美味しいところはアイラに譲ってあげてください」
ジュリアンが苦笑交じりになだめると、水鏡の端からアイラがひょっこりと顔を出した。
「お父様、お兄様。王都の密輸倉庫の制圧、よろしくお願いいたしますね。裏ルートの買い手まで一網打尽にしてこそ、完全な『ざまぁ』ですわ」
『おお、アイラ! 任せておきなさい! お前の食事を邪魔する羽虫は、お父様がすべて駆逐してあげよう!』
『騎士団の精鋭を連れて、今夜中に王都の地下組織を物理的に更地にしておくよ!』
重度の親バカとシスコンを拗らせている最強の親子は、アイラの言葉に意気揚々と通信を切った。これで王都側の退路と、密輸の証拠隠滅の可能性は完全に断たれた。
「……身内ながら、相変わらず苛烈ですわね」
「頼もしい限りだよ。さて、こちらも準備は万端だ。ノアが作成した起訴状は既にクロードの手にあるし、騎士団の遊撃隊もヴォルデン伯爵邸の周囲に『見えない壁』を構築済みだ」
ジュリアンは、腹黒い笑みを深める。
「あとは、明日の夜会で彼が『自らの偉大な功績』を、大勢の前で声高に宣言してくれれば完璧だね」
そして翌日の夜。
ヴォルデン伯爵邸の大広間は、豪華絢爛なシャンデリアの光に包まれ、領地周辺の有力貴族や大商人たちで埋め尽くされていた。
「いやあ、素晴らしい夜会ですな、ヴォルデン伯爵様。これほど盛大な宴を開けるとは、やはりこの領地の豊かさの証明ですな」
「エルフィア王国からの物流を一手に担う伯爵様の手腕、我らもぜひ見習いたいものです」
取り巻きの貴族たちが、次々とヴォルデン伯爵に媚びを売る。
最高級のシルクで仕立てられた夜会服に身を包んだ伯爵は、得意絶頂といった様子でふんぞり返っていた。
「はっはっは、当然のこと。このヴォルデン領は、今や我が国の物流の心臓部。私の『完璧な管理』があってこそ、この繁栄があるのだ。……おっと、今夜の主役がお見えになったようだ」
大広間の扉が開き、従者が高らかに名前を読み上げる。
「ジュリアン・ド・ラ・ヴァリエール王太子殿下! ならびに、アイラ王太子妃殿下のお成りです!」
その瞬間、会場の空気が一変した。
漆黒の礼服を身に纏ったジュリアンと、夜空に輝く星々のような銀糸の刺繍が施されたドレスを着こなしたアイラが入場する。圧倒的な美貌と、王族としての絶対的なオーラ。二人が歩を進めるだけで、周囲の貴族たちは息を呑み、自然と道をあけた。
(ふん、見た目だけは立派な若造どもめ。だが、所詮は王宮の温室育ち。私の作り上げた『裏のシステム』など見抜けるはずもない)
ヴォルデン伯爵は心の中でほくそ笑みながら、最も恭しい態度を作って二人を出迎えた。
「殿下、妃殿下。本日は我がヴォルデン領の夜会へようこそおいでくださいました。辺境の粗末な宴ではございますが、どうかお楽しみください」
「素晴らしい夜会だ、ヴォルデン伯爵。君の領地に対する献身と、その豊かな手腕には、王家としても大変感謝しているのだよ」
ジュリアンが、極上の笑みを浮かべて伯爵の手をとった。
その言葉に嘘偽りがないかのように、ジュリアンの瞳は優しげに細められている。
「殿下の勿体なきお言葉、身に余る光栄に存じます!」
「特に、エルフィア王国からの『水精麦』をはじめとする特産品の流通管理。あれは実に見事だ。市場の商人たちも皆、君の定めた『税の仕組み』のおかげで、統制の取れた商売ができていると聞いている」
ジュリアンの言葉に、伯爵の顔が一瞬引きつったが、すぐに得意げな笑みに戻った。
(なんだ、ただ市場を見ただけで、私が市場を完全に掌握していると勘違いして感心しているのか。やはり愚かな王太子だ!)
「恐縮です! 私めはただ、王家の定めた法を遵守し、領民たちに『適切な指導』を行っているだけに過ぎません。すべては、この国の発展のためでございます!」
「素晴らしい。その『透明性の高い』素晴らしい流通管理の功績を称え、後ほど君には特別な言葉を贈らせてもらうよ」
ジュリアンがそう言うと、伯爵は有頂天になり、深く頭を下げた。
周囲の貴族たちも、「やはりヴォルデン伯爵の権力は盤石だ」「王太子殿下のお墨付きが出たぞ」と囁き合っている。
一方、アイラはジュリアンの隣で優雅な微笑みを保ちつつも、会場に並べられた豪華な料理の数々――特に、大量に振る舞われている『紅蓮エビの極上スパイス焼き』を、絶対零度の瞳で見つめていた。
(……市場の屋台から不当に巻き上げ、あるいは密輸ルートから横流しした食材で開く宴。本当に、吐き気がするほど愚かですわね)
アイラの静かな怒りは、すでに沸点を突破していた。
「さあ皆様! 今宵は王太子殿下ご夫妻の御来訪を祝し、我がヴォルデン領の永遠の繁栄を誓い、大いに飲み、語り合いましょう!」
ヴォルデン伯爵の声が、大広間に高らかに響き渡る。
自分が世界の頂点に立ったかのような、完璧な勝利の宣言。
彼は気づいていなかった。
大広間の扉の向こうで、大剣を構えたクロードと、起訴状を手にした宮廷魔法師団の役人たちが、今まさに突入のカウントダウンを始めていることに。
そして、目の前で優雅に微笑む美しい王太子妃が、すでに彼を「社会的・物理的塵芥」として処理する算段を終えていることに。
天高く舞い上がった悪徳伯爵が、奈落の底へ叩き落とされるまで――残り、数分。
4:圧倒的カチコミと、崩壊する砂上の楼閣
「素晴らしい。その『透明性の高い』素晴らしい流通管理の功績を称え、後ほど君には特別な言葉を贈らせてもらうよ」
王太子ジュリアンからのその言葉に、ヴォルデン伯爵は歓喜に打ち震えていた。
王家からの完全なる承認。これでこの領地の裏の富は、永遠に自分のものとなる。
「さあ、殿下! 妃殿下! ヴォルデン領が誇る特産品の数々、どうぞ心ゆくまでご堪能を――」
伯爵が満面の笑みで料理を勧めようとした、まさにその時。
――ドゴォォォォンッ!!!
大広間の頑丈な両開きの重厚な扉が、爆発したかのような轟音とともに吹き飛んだ。
煌びやかな夜会の空気が一瞬で凍りつき、貴族たちの悲鳴が上がる。
「な、なんだ!? 何事だ!?」
土埃が舞う中、吹き飛んだ扉の向こうから、二つの影が悠然と姿を現した。
一人は、身の丈ほどもある巨大な剣――天界の魔剣『ヴァルム』を肩に担いだ、近衛騎士団特別遊撃隊長クロード。
もう一人は、純白の修道服を見事に着こなしながらも、その下から圧倒的なオーラ(と物理的な躍動感)を放つ神聖ルシエラ教国の聖女、セリアである。
「失礼いたしますわ! 扉が少し『脆かった』ようですの!」
爽やかな笑顔で恐ろしいことを言う聖女の後ろから、宮廷魔法師団の制服を着た役人たちが次々と雪崩れ込んでくる。彼らは大広間の出入り口を瞬く間に封鎖した。
「き、貴様ら! 王太子殿下の御前であるぞ! 近衛騎士とはいえ、このような狼藉――」
激昂するヴォルデン伯爵の言葉を遮るように、ジュリアンが冷たく、そして最高に楽しげな声で告げた。
「ああ、気にするな伯爵。彼らは私が呼んだのだ。……君への『特別な言葉』を贈るためにね」
ジュリアンの纏う空気が、温和な青年から、絶対的な権力を持つ冷酷な支配者へと一変した。
その変化に、伯爵は背筋に氷をねじ込まれたような悪寒を覚えた。
「クロード。用意したものは?」
「はっ。こちらに」
クロードが投げ捨てた分厚い羊皮紙の束が、伯爵の足元にバサリと落ちる。
「それは……?」
「君がこの五年間、裏で集め続けてきた『特別流通税』の全記録と、エルフィアからの輸入食材を横流ししていた密輸の裏帳簿だよ。ああ、暗号化と天秤式の二重ロックは実に見事だったが、我が宮廷の天才の手にかかれば一時間で丸裸だ」
「なっ……!?」
伯爵の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
絶対に誰にも見つからないはずの、地下の隠し金庫。その中身がなぜここにあるのか。
「お、恐れながら殿下! それは何かの間違いです! 誰かが私を陥れるために用意した偽造――」
「見苦しい言い訳は聞きたくありませんわ、ヴォルデン伯爵」
それまで沈黙を保っていたアイラが、一歩前に出た。
彼女の美しい銀髪が、魔力によってふわりと逆立ち、その瞳には深淵のような冷たさが宿っている。
「貴方が市場の屋台から不当に巻き上げた食材。この紅蓮エビは、まさに昨日、貴方の手駒が市場で暴れ回っていた際に『調達』したものですね? 私の【深淵の記憶】は、貴方の腹心の脳内からすべての悪事のプロセスを抽出済みです。今さらどんなロジックを組もうと、ノアが作成したこの起訴状の計算式からは、一ミリも逃げられませんわよ」
「……っ!!」
頭脳と魔法による、完全なる証拠の突きつけ。
言い逃れの道がすべて塞がれたことを悟った瞬間、伯爵の顔に浮かんでいた「善良な貴族」の仮面が完全に剥がれ落ちた。
「……ええい、こうなれば致し方ない! どうせこの領地の兵はすべて私の息がかかっている! お前たち、やれ!!」
伯爵が絶叫すると、大広間の影から、黒ずくめの武装集団が十数人、一斉に飛び出してきた。
彼らは他国の裏社会から高額で雇い入れた凄腕の傭兵団『赤銅の牙』。しかもその体には、王都では禁止されている「違法な身体強化魔導具」が埋め込まれており、通常の騎士数人分の力を発揮する、伯爵の『最強の持ち駒』だった。
「王太子ご夫妻には、不運な事故で命を落としていただく! かかれ!!」
重武装の傭兵たちが、殺意を剥き出しにしてアイラたちに襲い掛かる。
だが。
「……ふん。私の師匠の『最高の一食』を奪い、あまつさえ危害を加えようとは。万死に値する」
クロードが、大剣ヴァルムを軽々と振るう。
ゴウッ!! と爆炎が巻き起こり、先頭にいた数人の傭兵が、武器ごと丸焦げになって壁まで吹き飛ばされた。
「筋肉の神(物理)に逆らう愚か者には、聖なる鉄槌を下しますわ!」
続くセリアが、目にも留まらぬ素早さで懐に潜り込み、神聖魔法で強化された拳を傭兵の鳩尾に叩き込む。
ドゴォッ! という鈍い音と共に、重武装の男たちが紙くずのように宙を舞い、シャンデリアに激突して白目を剥いた。
「バ、バカな……!? 強化魔導具を埋め込んだ百戦錬磨の傭兵団が、たった二人の若者に……秒殺だと!?」
自慢の持ち駒が、文字通り手も足も出ずに一瞬で全滅していく光景に、伯爵は腰を抜かして床にへたり込んだ。
そこに、アイラがゆっくりと歩み寄る。
「伯爵。貴方は二つの致命的な過ちを犯しました」
アイラの背後に、黒魔法の漆黒のオーラが渦巻く。その威圧感だけで、周囲の貴族たちは息をするのすら忘れて震えていた。
「一つは、王家の目を欺き、領民の生き血を啜るような真似をしたこと。……そしてもう一つは」
アイラは、冷酷な微笑みを浮かべて宣告した。
「私から、『最高の極上スパイスエビ定食』を取り上げたことですわ」
「ヒィィッ……!?」
食の恨みという、何よりも重い罪。
完全に心がへし折られ、恐怖で失禁しながら震えるヴォルデン伯爵を見下ろし、ジュリアンがトドメの言葉を放った。
「ヴォルデン伯爵。国家反逆および横領の罪で、貴様の爵位を剥奪し、領地を没収する。……王都の地下牢で、長年かけて作り上げた『完璧な計画』が崩れ去る様を、一生かけて噛み締めるがいい」
こうして、長年領民を苦しめてきた悪徳伯爵の野望は、圧倒的な力と証拠の前に、一夜にして塵と消えたのだった。
5:極上のスパイスエビと、終わらない美食の日常
「――はぁぁぁっ……至福ですわ!!」
王都への帰還から数日後。
王宮のプライベート・ダイニングルームに、アイラの歓喜に満ちた声が響き渡った。
長テーブルの中央には、ミーアが開発した『IH式魔導炊飯器』が鎮座している。パカッと蓋を開けると、真珠のように輝くエルフィア産「水精麦(お米)」の甘い香りと湯気が、部屋いっぱいに立ち込めた。
そしてその横には、あの日ヴォルデン領の市場で理不尽な目に遭っていた屋台の店主から、特別ボーナスを支払って大量に買い付けてきた『紅蓮エビ』が山のように積まれている。秘伝のスパイスとニンニク、そして香ばしい焦がしバターの香りが、食欲を暴力的なまでに刺激していた。
「このプリップリのエビに、スパイシーで濃厚なソース! それを熱々の銀シャリの上でワンバウンドさせて、一気に掻き込む……! んんん~~っ!!」
アイラは目を閉じ、頬を手で押さえながら限界まで咀嚼を堪能している。最上位悪魔の力をも凌駕する『魔女』が、ただの食いしん坊な令嬢に戻る瞬間である。
「ふふっ、ゆっくり食べなさいアイラ。エビはまだ山ほどあるからね。……ほら、口元にソースがついているよ」
隣に座る王太子ジュリアンが、甘く蕩けるような微笑みを浮かべながら、手にしたナプキンで優しくアイラの唇の端を拭う。
冷酷に悪役を追い詰めた時の顔とは打って変わって、ただの愛妻家としての一面を隠そうともしない。
「ありがとうございます、ジュリアン様! ジュリアン様もぜひ! このソース、ご飯が無限に進みますわよ!」
「ああ。君が美味しそうに食べる姿を見ながら食べる食事が、私にとって一番のスパイスだからね」
「まぁっ、ジュリアン様ったら……!」
「……相変わらず、胃もたれするほど甘ったるい夫婦ですね。エビのスパイスが砂糖漬けになりそうです」
その正面の席で、エリート魔道士であるノアが、呆れたように眼鏡を押し上げながらエビの殻を剥いていた。
「文句を言いつつ、ノアもしっかり食べているじゃないですか。今回の起訴状作成と、裏帳簿の事後処理、本当にお疲れ様でした」
「リリア様の【物体の記憶】で裏付け調査がサクサク進んだおかげですよ。……それにしても、まさかレオンハルト公爵閣下たちが、王都の裏組織を一晩で『物理的に更地』にしてしまうとは計算外でしたが」
ノアが溜息をつきながら視線を向けた先では、王国最強の武力を誇るレオンハルト公爵と、その長男セオドアが、ビールが入った大ジョッキを片手に豪快に笑っていた。
「がっはっは! 愛しのアイラの食事を邪魔する羽虫どもなど、この黒魔法剣の錆にしてくれるわ!」
「お父様、次の休日はまたアイラのために、海へ巨大イカでも討伐に行きましょう!」
親バカとシスコンを極めた二人の暴走に、ノアが「また計算式が狂う……」と頭を抱える。
「エドワード様、こちらのエビは私が殻を剥きました。あーん、してくださいな」
「ありがとう、リリア。君の剥いてくれたエビは、世界で一番美味しいよ」
その横では、第二王子エドワードとリリアの夫婦が、ジュリアンたちに負けず劣らずの平和で甘いオーラを放ちながらイチャイチャと食事を楽しんでいた。
「ふむ! 師匠! この紅蓮エビは、タンパク質が豊富で非常に筋肉に良いと見ました! バターの脂質も、大剣を振るうエネルギー源になります!」
「ええ、クロードさんの言う通りですわ! スパイスの力で血流が促進され、神聖魔法による超回復の効率も上がりますの! まさに『聖なるエビ』ですわ!」
そしてテーブルの端では、近衛騎士のクロードと聖女セリアが、なぜかエビと筋肉の相関関係について熱く語り合いながら、凄まじいペースでエビとご飯を消費している。
「みんな、本当に美味しそうに食べてくれて嬉しいです! 次はエビの殻から取った出汁で、お味噌汁を作ってみますね!」
通信用の水鏡ではなく、今日は直接王宮に招かれたミアが、花が咲くような笑顔で新しい料理の提案をした。
誰もが笑顔で、最高の食事を楽しんでいる。
その光景を見渡しながら、アイラは心の底から満たされた思いで息をついた。
(……ヴォルデン伯爵は今頃、王都の冷たい地下牢の中で、自分の犯した罪の重さと、決して手に入らないこの温かい食事の尊さを思い知っていることでしょうね)
権力と武力を笠に着て、弱者から搾取し、美味しい食事の流通を邪魔する者。
そんな悪党には、容赦のない鉄槌と絶望を与え、そして自分たちは愛する仲間と共に、この上ない幸せな食卓を囲む。これこそが、完全無欠の『ざまぁ』の完成形である。
「アイラ」
ふいに、ジュリアンが真剣な声で名前を呼んだ。
アイラが振り向くと、ジュリアンは彼女の手を優しく取り、その甲に口付けを落とした。
「君がもたらしてくれたこの平和と、豊かな食の光景を、私は王として必ず守り抜くよ。……だからこれからも、私の隣で、誰よりも幸せそうに笑って、食べていてほしい」
「ジュリアン様……」
アイラの頬が、エビの殻のように赤く染まる。
大好きな夫からの、愛に満ちた言葉。これ以上ないほどの幸福感に包まれながら、アイラは満面の笑みで力強く頷いた。
「はいっ! これからも、この国をより美味しく、より豊かにして差し上げましょう! ……というわけで、ジュリアン様。お米のおかわり、よろしいでしょうか!?」
「……ふふっ、ああ。君の望むままに、いくらでも」
王太子夫婦の甘い笑い声と、仲間たちの賑やかな声が、いつまでも温かくダイニングルームに響き渡っていた。
王国最強のチート探偵たちによる、美食と平和を守るための容赦ない戦いは、これからも続いていく――かもしれない。
楽しんで頂けたでしょうか?




