王太子妃の事件簿_File_002
今回はちょっと長くなりました。
1:違法奴隷売買組織と怒りのカツサンド
「……できました! 王宮専用に改良を加えた最新型魔導具、『魔導・超高圧・瞬間遠赤外線オーブン・極』ですぅ!」
王宮の広大な厨房の一角で、魔導具技師のミーアがドヤ顔で胸を張った。
彼女が指し示す先には、鈍い銀色に輝く、まるで小型の金庫のような重厚なフォルムのオーブンが鎮座している。
「素晴らしいわ、ミーア! さすが天才魔導具技師ね!」
「お姉様、ミーアちゃん、すごいです! これで、分厚いお肉も中まで一瞬で火が通るんですね!」
私――アイラと、妹のリリアは、完成したばかりの最新鋭調理器具を取り囲み、目をキラキラと輝かせていた。
今日は、王太子としての執務に追われている愛しの夫・ジュリアン様と、同じく激務をこなすエドワード殿下への差し入れを作るため、三人で厨房に集まっていたのだ。
「ええ! しかも外側はカリッと、旨味を一切逃さずに閉じ込める特殊な魔力コーティングを施してあります! さぁ、アイラ様、早速テスト稼働を!」
「任せて!」
私は用意しておいた、最高級のエルフィア牛の極厚ブロック肉に、塩コショウと特製スパイスをすり込む。さらに、軽く小麦粉をはたき、卵をくぐらせてから、サクサクの生パン粉をたっぷりと纏わせた。
それを、高温の油が入った魔導フライヤーでサッと表面だけ揚げた後、ミーアの新作オーブンへ投入!
魔力炉を起動させると、オーブン内部がほんのりと赤い光に包まれる。
チーン!
わずか数十秒後。軽快な音とともに扉を開けると、そこには……。
「わぁあっ……! 完璧なキツネ色です!」
「ジュウジュウと、お肉と脂の焼ける最高の音がしますぅ!」
美しい琥珀色に輝く、超特大の『極厚牛カツ』が完成していた。
包丁を入れると、ザクッという心地よい音の後に、ルビーのように美しいミディアムレアの断面が顔を出し、とめどなく肉汁が溢れ出してくる。
「完璧ね。リリア、パンの準備はいい?」
「はい! 今朝焼き上がったばかりの、ふわふわのミルクパンに、特製のマスタードソースとシャキシャキのキャベツを敷き詰めました!」
私たちは、その極厚牛カツをパンに挟み、食べやすいサイズにカット。
出来上がったのは、見ているだけで脳がとろけそうな『極厚ジューシー・特製牛カツサンド』だ。
「よし、冷めないうちにジュリアン様たちの執務室に持っていきましょう!」
*
王宮の奥深くにある王太子専用の執務室。
そこでは、ジュリアン様とエドワード殿下が、険しい顔で山積みの書類と睨めっこをしていた。
「……兄上。最近王都の裏で暗躍している『黒牙の蛇』と呼ばれる違法奴隷売買組織ですが、やはり尻尾を掴ませませんね」
「ああ。貧民街の孤児や、借金を抱えた平民を攫っては、他国へ不正に売り飛ばしているという確かな情報はある。だが、アジトの場所が巧妙に隠蔽されていて、王都の地下水路のさらに奥深く、旧時代の遺跡群を利用しているという噂しか掴めていない」
エドワード殿下が眉間を揉みほぐしながらため息をつく。
「貴族の中にも、彼らの顧客となっているクズ……いえ、愚か者がいるという話もあります。中途半端に手を出せば、証拠隠滅を図られるでしょう。一網打尽にするには、正確なアジトの特定と、確たる証拠が必要不可欠ですが……」
コンコンッ!
「ジュリアン様ー! エドワード殿下ー! 休憩にしましょう!」
「お茶の準備ができましたよー!」
重苦しい空気をぶち破るように、私とリリア、ミーアが元気よく執務室に入室した。
その瞬間、二人の顔から険しい表情がスッと消え去り、デレデレの甘い表情へと劇的に変化した。
「おお、私の愛しいアイラ! 君の顔を見たら、疲労という概念が消え去ったよ」
「リリア! 君の淹れてくれるお茶の香りで、私の魔力は完全に回復した!」
先ほどまでの深刻な会議はどこへやら、二人は立ち上がって私たちを熱烈に歓迎してくれた。
「ふふっ、今日はお肉の差し入れです。最新型の魔導オーブンで作った、特製の牛カツサンドですよ」
「さあ、冷めないうちに召し上がってくださいね」
執務机の端にクロスを敷き、淹れたてのコーヒーとカツサンドを並べる。
ジュリアン様が一口かぶりついた瞬間、目を丸くした。
「……美味い!! なんだこの肉の柔らかさと、溢れる旨味は! サクサクの衣とマスタードの酸味が、肉の脂を完璧に調和させている……!」
「ああ、美味しい……。リリアが用意してくれたこのパンの甘みも最高だ。これならいくらでも食べられそうだよ」
男二人が無我夢中でカツサンドを頬張る姿を見て、私たちは満足げに微笑み合った。
「それで、お二人はどんなお話をされていたんですか? 入ってくる前、すごく難しい顔をしていましたけど」
私が尋ねると、ジュリアン様はカツサンドを飲み込み、コーヒーで一息ついてから口を開いた。
「実は、王都で暗躍している違法な奴隷売買組織を摘発しようと動いていてね。しかし、アジトの場所が地下水路のどこか、ということしか分かっておらず、攻めあぐねていたんだ」
「奴隷売買……許せないですぅ!」
「無理やり家族から引き離すなんて、酷すぎます……」
ミーアとリリアが顔をしかめる。私も深く頷いた。
誘拐や不法監禁など、言語道断だ。
「……ちなみに、その組織に関する調査報告書って、見せてもらってもいいですか?」
「構わないが……アイラには少し刺激が強いかもしれない。奴らの非道な行いが書き連ねてあるからね。気分が悪くなったらすぐ読むのをやめるんだよ?」
ジュリアン様から渡された羊皮紙の束をパラパラとめくる。
そこには、誘拐の被害件数や、劣悪な環境での監禁の様子などが密偵の報告として克明に記されていた。
「……ふむふむ。なるほど、ええ、許せないわね。……ん?」
報告書の終盤に差し掛かったところで、私の視線がとある一文に釘付けになった。
『――組織の幹部たちは連日、アジトにて最高級の肉や海鮮を大量に仕入れては酒池肉林の宴会を開き、食べきれずに残った料理を大量に廃棄して遊興に耽っている』
『――一方、捕らえられた奴隷たちには、廃棄されるはずの腐りかけの野菜のクズや、泥水同然のスープしか与えず、それすらも「犬のように這いつくばって食え」とゲーム感覚で取り上げ、飢えに苦しむ姿を見て嘲笑っている』
ピキッ。
私の中で、何かが完全にキレる音がした。
執務室の空気が、急激に冷たく、そしてドス黒く重たくなった。
カタカタと窓ガラスが震え始め、部屋の中の魔力濃度が異常な数値に跳ね上がる。
「「「「あ」」」」
「…………食べ物を、遊びで粗末にして……しかも……」
私の背後に、赤黒い禍々しいオーラが実体を持って渦を巻き始める。
空間収納から、かつて黒魔法使いのシュシュエルから譲り受けた『黒魔法使いの杖』の柄に手が掛かった、その時――。
「お待ちください、お姉様!!」
リリアが、私の手をガシッと両手で掴んだ。
「……リリア。止めないで。食べ物を粗末にして、飢えた人たちを笑うなんて、私が一番許せないことよ。今すぐ地下水路ごと更地にして……」
「ダメです! お姉様のお怒りはごもっともです! 私だって許せません! でも、ここで下っ端の幹部たちを吹き飛ばしても、一時しのぎにしかなりません!」
リリアの真剣な眼差しに、私はハッと我に返った。
「組織の本当の目的は『利益』です。そして、奴隷を買っている『顧客(黒幕)』の貴族や悪徳商人がいるはず。アジトを更地にすれば証拠も燃え尽き、黒幕たちは尻尾を巻いて逃げてしまいます!」
「……っ! そうだわ。実行犯だけ吹き飛ばしても、大元のスポンサーどもが残っていたら、また同じことが繰り返される……!」
スーッと怒りが引き、代わりに冷徹な『探偵』としての思考が頭を巡り始めた。
「ごめんなさい、リリア。危うく大事な証拠を灰にするところだったわ。……ええ、そうね。全員残らず、社会的に抹殺しないと割に合わないわね」
私が杖から手を離すと、ジュリアン様とエドワード殿下がホッと安堵の息を吐いた。
「で、ではアイラ、何か良い案が?」
「はい。……先ほどの報告書にあった『連日、最高級の肉や海鮮を大量に仕入れている』という部分に引っかかりました」
私は報告書の該当箇所を指さした。
「これだけの大量の高級食材を、地下水路の奥深くまで誰が運んでいるのでしょうか? 腐らせないように氷魔法の使い手も必要ですし、定期的な納入ルートが必ず存在します」
「なるほど……! 食材の流れを追えば、アジトの正確な位置が割れるというわけですね」
エドワード殿下が目を輝かせる。
「それだけじゃありません」
私はニヤリと笑った。
「奴らは毎日宴会を開くほど『食』に貪欲です。ならば……『極上の料理』を餌にすれば、警戒心の強い幹部たちも簡単に釣れるはずです」
*
数日後。
王都の地下水路、第6区画の奥深く。旧時代の遺跡を利用した『黒牙の蛇』のアジトでは、幹部たちが豪勢なテーブルを囲んでいた。
「おお! 今日の肉は一段といい匂いじゃねぇか!」
「へへっ、実は馴染みの商会から『王宮をクビになった天才シェフ』を安く買い叩きましてね。今日は特別にケータリングさせているんですよ」
幹部の言葉に、ドッと下品な笑い声が上がる。
その部屋の隅で、深くフードを被った二人の『給仕係』――私とリリアは、静かに彼らの様子を窺っていた。
食材の納入ルートは、スラムの裏事情に通じるリックたちに頼んで一晩で特定させた。そして、悪徳商人を少しばかり「魔法で説得」し、私たちをケータリング業者として潜入させる手はずを整えたのだ。
「さあさあ、皆様。本日のメインディッシュ、『エルフィア牛の極厚カツ・特製ワインソース仕立て』でございます」
私が恭しく大皿をテーブルの中央に置くと、芳醇な肉の香りと赤ワインソースの香りが部屋中に充満した。
「うおおっ、美味そうだ! 食え食え!」
幹部たちが我先にと肉に群がり、一口食べた瞬間、全員が雷に打たれたように硬直した。
「な、なんだこれは……! 柔らかい……噛まなくても溶ける! それでいて、溢れる肉汁の旨味が……っ!」
「ソースの酸味が絶妙だ……! こんな美味いもの、食ったことがねぇ!」
彼らは完全に理性を失い、獣のように料理を貪り始めた。
……ふふっ、ミーアの魔導オーブンで極限まで旨味を引き出した特製カツよ。貴族ですら滅多に食べられない代物を前に、下劣な悪党が抗えるはずがないわ。
「……お姉様。今のうちに」
「ええ」
幹部たちが料理に夢中になっている隙に、リリアが小さく指を鳴らした。
微弱な『認識阻害』の魔法。これで、周囲の人間は私たちの存在を一時的に認識できなくなる。
私たちは足音を消して部屋の奥、重厚な扉で閉ざされた「ボスの執務室」へと侵入した。
「ありました! 金庫です!」
「リック、出番よ」
私が声をかけると、換気口の影から、スラムで鍛え上げた軽業師のような身のこなしでリックが降りてきた。
「任せな、アイラ姉ちゃん。こんな旧式の鍵、三秒で開けてやるよ」
リックが針金のようなピッキングツールを取り出し、カチャカチャと音を立てる。
ガチャリ。
宣言通り、あっという間に金庫が開いた。
中から出てきたのは、分厚い羊皮紙の束。
「……ビンゴ。奴隷の売買記録と、『顧客』である貴族たちの名前がびっしり書き込まれた裏帳簿ね」
私が中身を確認して冷たく微笑むと、リリアも頷いた。
「これで、根本解決のための『証拠』は完璧に揃いましたね」
私たちが帳簿を空間収納にしまい、ボスの執務室を出ると、宴会場では幹部たちが満腹で動けなくなり、床に寝そべってゲップをしていた。
「あー、食った食った。おい、そこの奴隷! 余った骨でもしゃぶっていいぞ! ぎゃはは!」
満腹になってもなお、鉄格子の中の子供たちを嘲笑う下劣な声。
「…………」
証拠は揃った。
もう、我慢する必要はない。
「リリア。結界を」
「はい、お姉様。王都の地下が崩れないよう、最高強度の防護結界を展開しました」
私はフードを脱ぎ捨て、空間収納から禍々しいオーラを放つ『黒魔法使いの杖』を引き抜いた。
かつてシュシュエルから譲り受けた、強大すぎる魔力を秘めた業物だ。
「な、なんだお前!? 料理人はどこに……」
「ごちそうは美味しかったかしら? クズども」
私は杖を構え、般若の形相で言い放った。
「美味しい思いをしたんだから、たっぷりお代は払ってもらうわよ。まずはその下劣な性根から、じっくりと叩き直してあげる!!」
「ひぃっ!?」
「――【戒めの黒茨】!!」
私が杖を振り下ろした瞬間、石畳を突き破って漆黒の茨が大量に噴出した。
鋭い棘を持つ茨は、まるで意思を持っているかのように幹部たちに絡みつき、あっという間に全員を簀巻きにして宙吊りにした。
「ぎゃあああっ!? 痛ぇっ、棘が刺さって……!」
「さらにサービスよ。【悪夢の微睡み(ナイトメア・スリープ)】!」
茨に巻かれた幹部たちの額に、禍々しい魔法陣が浮かび上がる。
途端に彼らの目が虚ろになり、ピクピクと痙攣しながら白目を剥いて泡を吹き始めた。
「……ふふっ。これはね、永遠に『飢えの苦しみ』と『化け物に追われる恐怖』に苛まれる悪夢を見続ける呪い付きの睡眠魔法よ」
私は宙吊りにされてうなされるボスに冷たく言い放つ。
「この呪いは、あなたたちが王宮の地下牢に入れられて、その重い鉄の扉が完全に閉まるまで絶対に解けない仕様にしておいたわ。それまで、せいぜい地獄を楽しみなさい」
*
その日の夜。
王宮の執務室には、茨でぐるぐる巻きにされ、白目を剥いて「お許しを……ご飯をください……ヒィィッ!」とうわ言を繰り返す『黒牙の蛇』の幹部たちと、アイラたちが持ち帰った『裏帳簿』が積まれていた。
「……素晴らしい。見事な手際だよ、アイラ、リリア」
ジュリアン様が、うなされる幹部たちから少しだけ距離を取りつつ、興奮気味に帳簿をめくる。
「ええ。これで元凶は根絶やしです。捕らわれていた孤児や平民の方々も、王宮の医療棟でリリアの白魔法を受けて順調に回復していますし、みんな温かいご飯をお腹いっぱい食べて眠りにつきました」
私が報告すると、ジュリアン様は嬉しそうに私を抱き寄せた。
しかし、その直後、彼の顔からスッと笑みが消え、王太子としての冷徹な表情に戻った。
「だが、アイラ。どうやら事態は我々が思っていた以上に根深いらしい」
「えっ?」
ジュリアン様が指を鳴らすと、執務室の暗がりから音もなく一人の男が姿を現した。
身軽な平民の服に身を包んだその男の顔を見て、私は思わず声を上げた。
「ザック! あなた、どうしてここに?」
「お久しぶりです、アイラお嬢様。いや、今は王太子妃殿下ですね」
ザック。
かつて私たちが『探偵』として活動していた頃、裏社会で情報屋として暗躍していた男だ。とある事件で彼を捕らえた際、ジュリアン様が彼に『司法取引』を持ちかけたのだ。
『罪を問わない代わりに、その情報網と潜入スキルを王家のために使え』と。
それ以来、彼は王太子の直属の平民諜報員として、表に出せない汚れ仕事を担っていたはずだった。
「実は、ザックには別件で王都の不穏な資金の流れを追わせていてね。今回の『黒牙の蛇』の顧客名簿にあった筆頭……ダドリー伯爵の下に、下働きとして潜り込ませていたんだ」
「はい。殿下のご命令で伯爵の懐事情を探っていたのですが……今回のアイラ様たちのド派手な摘発騒ぎで、危うく私も伯爵の連帯責任で茨に巻かれるところでしたよ」
ザックが苦笑いしながら肩をすくめる。
「ご、ごめんなさい。巻き込んじゃったわね。でも、伯爵の下にいたということは……何か掴んだの?」
私の問いに、ザックは真剣な表情で頷き、懐から一枚の羊皮紙を取り出してジュリアン様に渡した。
「ええ。ダドリー伯爵は確かに奴隷売買の元締めとして甘い汁を吸っていましたが、彼自身が得ていた利益は、全体のほんの三割程度に過ぎませんでした」
「残りの七割は?」
「上納金として、さらに上の『本命』に流れていました。……裏の資金洗浄ルートを辿って行き着いた先は、『バルディア侯爵家』です」
その名前に、エドワード殿下がピクリと反応した。
「バルディア侯爵家だと……? 待ってくれ。あの家は数年前の領地の不作と投資の失敗で、深刻な財政難に陥っていたはずだ。これほど大掛かりな闇組織を裏で統括できるような資金力も、権力も残っていないはずだが」
「エドワード殿下の仰る通りです。不自然ですよね?」
リリアが口元に手を当て、探偵時代を彷彿とさせる鋭い視線を向けた。
「財政難の侯爵家が、突然巨大な奴隷売買組織の上位に立つ。……つまり、バルディア侯爵家もまた、真の黒幕が用意した『隠れ蓑』、あるいは『資金洗浄のためのトンネル』に過ぎないのではないでしょうか」
「ああ。リリアの推測通りだろう」
ジュリアン様が重々しく頷く。
「非道な奴隷売買で得た莫大な資金を、伯爵から侯爵へとロンダリングさせ、最終的に『正体不明の何者か』が全てを吸い上げている。つまり……我々が今日潰した組織は、真の黒幕が推進している巨大な計画の、ほんの『小遣い稼ぎ』の一部でしかないということだ」
執務室に、重苦しい沈黙が降りた。
私は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
人攫いという最低の手段で、罪のない人々から搾取したお金。それを資金源にして、さらに巨大な悪事を企んでいる者がいる。
「……許せません」
「アイラ?」
「つまり、その『真の黒幕』は、人々の血と涙で稼いだ汚いお金を使って、のうのうと最高級の食材を貪り、安全な場所でふんぞり返っているということですよね?」
私の言葉に、ジュリアン様とエドワード殿下が同時にビクッと肩を震わせた。
再び、私の背後にドス黒いオーラが立ち上り始める。
「食べ物を粗末にするクズの、さらに上に立つ巨悪……。絶対に、絶対に引きずり出して、一番不味い泥水を啜らせてやります……!」
「あ、アイラ、落ち着いて……っ。君の魔力で執務室の窓ガラスがまた割れそうだ……!」
「お姉様! 気持ちはわかりますが、まずは相手の正体を突き止めるのが先決です!」
リリアに宥められ、私は深呼吸をして魔力を引っ込めた。
「そうね。……どんな巨悪だろうと、私たち『探偵』が必ず暴いてみせます。ザック、引き続きバルディア侯爵家の内情と、資金の最終目的地を探ってちょうだい」
「了解しました、妃殿下」
ザックが一礼し、再び影の中へと溶けるように消えていった。
「ジュリアン様、エドワード殿下。これは長丁場になりそうですね」
「ああ。この国を裏から蝕む巨大な寄生虫……必ず尻尾を掴んでみせるさ」
「ええ。ですが、腹が減っては戦はできませんからね」
私はパンッと両手を叩いて気合を入れた。
「明日の朝は、気合を入れるために特大の『魔導・特選カツ丼』を作りますよ! サクサクのカツを甘辛い出汁とトロトロの卵で綴じた、脳天に直接響く美味しさですから、お腹を空かせておいてくださいね!」
「おおっ! それは楽しみだ!」
「徹夜で書類仕事をやっつける活力が湧いてきました!」
新たなる、そしてかつてないほど巨大な陰謀の気配。
しかし、私たちの前には美味しいご飯と、頼もしい仲間たちがいる。
王太子妃(元スラムの孤児で最強の魔女)の、容赦ない悪党狩りは、まだ始まったばかりだ。
2:人工魔王兵器の影と癒やしの薬膳シチュー
翌朝。
王宮の広大な厨房には、甘辛い極上の出汁の香りが充満していた。
「さあ、お待たせしました! 徹夜明けの頭と体に染み渡る、『魔導・特選カツ丼』の完成です!」
サクサクに揚がった極厚の豚カツを、特製の出汁と醤油で煮立てたタレにくぐらせ、ミーアの新作『魔導炊飯器』で炊き上げたツヤツヤの銀シャリの上に乗せる。そして、そこへ魔力で絶妙な半熟に仕上げたトロトロの卵をたっぷりとかけた、至高の一杯だ。
執務室のテーブルでは、ジュリアン様、エドワード殿下、そして報告に集まっていたザックやリックたちが、無言で特大の丼をかき込んでいた。
「美味い……! 甘辛いタレが染みた衣と、卵のまろやかさが見事に調和している……!」
「豚肉のビタミンが、徹夜で疲労した体に直接叩き込まれるようです……!」
「アイラ姉ちゃんの飯は相変わらずヤバいな! スラムのダチにも食わせてやりてぇ!」
男たちの見事な食べっぷりに満足しつつ、私は食後のコーヒーをテーブルに置いた。
「さて、エネルギーも補給できたことですし。バルディア侯爵家とダドリー伯爵家の周辺の『徹底的な洗い出し』について、報告を聞かせてもらえるかしら?」
私が切り出すと、ジュリアン様はカツ丼の最後の一口を名残惜しそうに飲み込み、王太子の冷徹な顔へと切り替わった。
「ああ。君たちの持ち帰った裏帳簿と、ザックからの報告を元に、今朝方、騎士団の一部を動かして両家の屋敷と主要な領地を完全封鎖した。物資も帳簿も全て押さえたよ」
「それで、金の流れの終着点は掴めましたか?」
ザックが口の周りをナプキンで拭い、書類の束を広げる。
「それが厄介でして。ダドリー伯爵が窓口となり、複数のダミー商会を経由して侯爵家に資金が流れていたことは確実なのですが、侯爵家の金庫はすでにもぬけの殻でした。莫大な資金は『別の用途』に形を変えられた後だったんです」
「逃げ足が早いわね。……でも、お金だけじゃないはずよ。人や、物の流れはどう?」
リリアが、探偵時代の手帳を開きながら尋ねた。
「そこなんだよ」
リックが、真剣な顔つきで身を乗り出す。
「俺たちスラムの情報網を使って、最近王都周辺に出入りした怪しい馬車や、特殊な荷物の流れを徹底的に追ってみたんだ。そしたら、奴隷として売られた平民たちとは別に、『特定の人間』が集められている裏ルートが見つかった」
「特定の人間?」
「ああ。魔力適性が異常に高い孤児や、没落した貴族の魔法使い、それに……『魔獣学者』や『錬金術師』といった専門知識を持つ連中だ。借金取りに追われて夜逃げしたってことになってるが、明らかに意図的に集められてる」
エドワード殿下が眉をひそめる。
「ただの奴隷売買ではない、ということか。彼らを集めて、一体何を……」
「さらにですぅ!」
厨房の奥から、ゴーグルを頭に乗せたミーアが、奇妙な形の魔導具を抱えて駆け寄ってきた。
「アイラ様! 昨夜、お姉様に頼まれて王都周辺の『不自然な魔力反応』をこの『広域生体魔力探知レーダー(試作型)』で探っていたんですが……バルディア侯爵領の辺境の森の奥深くに、強力な結界で隠蔽された巨大な施設を見つけました!」
「結界で隠蔽された施設……。怪しすぎるわね」
私は腕を組んだ。
「複雑な資金洗浄、優秀な魔法使いや学者の拉致、そして隠蔽された施設。……ねえ、これってもしかして」
「ただのマネーロンダリングのトンネルじゃなくて、侯爵領で『何かを作っている(あるいは研究している)』可能性がありますね」
リリアと顔を見合わせ、頷き合う。
「その施設に、拉致された人たちがいる可能性が高いわ。それに、裏帳簿の端書きに『特別な荷物』という記載があったの。人間以外の、何か違法なものを飼育、あるいは保管しているかもしれないわ」
私は立ち上がり、空間収納から再び漆黒の杖を引き抜いた。
「ジュリアン様。その施設、私たちが直接調べに行ってもいいですか? もちろん、騎士団より早く、隠密で」
「……アイラがそう言うなら、止めはしない。だが、相手が何を隠しているか分からない。十分に気をつけてくれよ」
「お任せください!」
*
数時間後。
バルディア侯爵領の辺境、鬱蒼と茂る森の奥深く。
「見事な認識阻害の結界ですが……私の白魔法と、お姉様の魔力で無理やり中和します!」
リリアが杖を振るうと、空間がぐにゃりと歪み、巨大な石造りの隠し施設が姿を現した。
「よし、リックたちスラム組は周辺の警備の無力化と退路の確保をお願い。ミーアは通信と結界の解析。私とリリアで内部に突入するわ」
「了解!」
施設の内部は、冷たい石の壁に囲まれ、カビと薬品の入り混じったような酷い臭いが立ち込めていた。
音を消して奥へと進むと、開けた巨大な地下空間に出た。
そこにあったのは――。
「……何、これ」
リリアが息を呑む。
地下空間には無数の巨大な鉄の檻が並び、その中には、王都では絶対に見ることのできない「希少な魔獣や幻獣」たちが閉じ込められていた。
美しい銀色の毛並みを持つ神聖な獣『星屑狼』の親子。
本来は高山にしか生息しないはずの『火竜の幼体』。
どれもこれも、太い魔封じの鎖で繋がれ、劣悪な環境で痩せ細り、虚ろな目をしている。
そして檻の向こう側には、同じく魔力封じの首輪をつけられ、青白い顔でフラスコや魔導炉に向かって不気味な液体の調合をさせられている学者や魔法使いたちの姿があった。
「おとなしく働け! 貴様らは侯爵様、いや『あのお方』の偉大なる計画のための道具だ! 餌の時間を減らされたくなければ手を動かせ!」
見張りの男たちが、鞭を鳴らしながら彼らを急かしている。
「……人だけでなく、罪のない動物や魔獣までこんな目に遭わせているなんて」
私の頭の中で、何かが完全にプツンと切れた。
「――リリア。見張りの拘束をお願い。学者さんたちには絶対に怪我をさせないように」
「はい、お姉様。……【聖なる光鎖】!」
リリアの放った光の鎖が、見張りの男たちを一瞬にして縛り上げる。
「な、なんだ貴様ら!?」
私は喚く見張りたちを完全に無視して、一番近くにあった星屑狼の檻の前に歩み寄り、素手で太い鉄格子を『物理的』にへし折った。
「グルルゥゥ……ッ!」
人間への不信感と恐怖から、やせ細った星屑狼の親が、仔狼を庇うように牙を剥いて威嚇してくる。
「大丈夫。怖くないわよ」
私は空間収納から、今朝の残りの極厚豚カツと、特製出汁を使った「魔獣用・特製スタミナペースト(ミーア監修・超美味)」を取り出し、皿に乗せてそっと差し出した。
星屑狼はビクッと体を震わせたが、暴力的なまでの美味しい匂いに抗えず、恐る恐るペーストを舐め……その瞬間、カッと目を見開いた。
「ワフッ!? ワフゥゥゥン!」
信じられないほどの勢いでガツガツと食べ始め、あっという間に皿を舐め回す。そして、警戒心を完全に解き、尻尾を千切れんばかりに振りながら私にすり寄ってきた。
「よしよし。美味しいご飯は、どんな傷も癒す魔法だからね。いっぱいお食べ」
私は星屑狼の頭を撫でながら、他の檻の魔獣たちにも次々と極上のご飯を振る舞っていく。火竜の幼体も、気高い幻獣たちも、皆ご飯の虜となり、私にゴロゴロと喉を鳴らして甘え始めた。
「……信じられない。あの凶暴で警戒心の強い魔獣たちを、たった一食で手懐けるなんて……」
助け出された魔獣学者の一人が、腰を抜かしたまま呟いた。
「さあ、皆さんももう大丈夫ですよ。リリア、彼らの首輪を外してあげて」
「はい!」
私は怯える学者たちに向き直り、静かに、だが確かな怒りを込めて尋ねた。
「あなたたちは、ここで何をさせられていたの? 黒幕は、莫大なお金と、人と魔獣を集めて……何を創り出そうとしているの?」
学者の一人が、震える手で部屋の最奥、厳重に封鎖された巨大な培養槽を指さした。
そこには、赤黒い液体の中に浮かぶ、おぞましい『何か』の影があった。
「我々は……集められた魔獣の因子と、人間の魔力を強制的に融合させ、『人工的な魔王兵器』を創らされていました。バルディア侯爵は、それを『あのお方』に献上するためだと……!」
「人工的な……魔王兵器?」
「はい。資金も、人材も、魔獣も、すべてはその実験のために集められていたのです。我々はこれ以上、命を弄ぶような真似はしたくなかった……っ!」
泣き崩れる学者たち。
その涙を見て、私の心の中で、怒りの炎がさらに静かに、そして熱く燃え上がった。
金儲けのための奴隷売買など、彼らの計画の氷山の一角に過ぎなかった。
真の黒幕は、命を材料にして、この国に再びとんでもない災厄をもたらそうとしている。
「……許さない」
私は『黒魔法使いの杖』を握りしめた。
「命を、食べ物を、そして生きる権利を弄ぶ悪魔は、私が一人残らず、消し炭にしてあげるわ」
施設の制圧と、人と魔獣の保護は完了した。
だが、これは真の戦いの始まりに過ぎない。
私とリリアは、培養槽に浮かぶおぞましい影を睨みつけながら、必ず黒幕の心臓を物理と魔法と美味しいご飯の力で抉り出すことを誓ったのだった。
バルディア侯爵領の辺境、深い森に隠された巨大な地下施設。
冷たい石壁に囲まれた最奥の部屋で、私とリリアは、赤黒い液体で満たされた巨大な培養槽を見上げていた。
「これが……人工的に作られようとしていた『魔王兵器』……」
リリアが息を呑む。
液体の中には、様々な魔獣の部位を縫い合わせたような、おぞましくも痛ましい肉塊が浮かんでおり、それはドクン、ドクンと微かな鼓動を打っていた。
「……こんなおぞましいものを創るために、罪のない人や動物を攫っていたなんて」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
怒りで魔力が暴走しそうになるのを必死に抑え込む。
「アイラ様、リリア様! お下がりください! その培養槽の液体は高濃度の汚染魔力です! 迂闊に破壊すれば、森中に毒が撒き散らされてしまいます!」
解放された魔獣学者の一人が、青ざめた顔で叫んだ。
なるほど。物理でブチ破るだけでは、周囲の環境や助け出した魔獣たちに被害が及ぶということね。
「なら、どうすれば……!」
「ご安心ください、お姉様」
焦る私を制して、リリアがスッと前に出た。
彼女の手に握られた純白の杖から、神々しいほどの光が溢れ出す。
「汚染された魔力なら、私が根源から浄化します。……【聖女の抱擁】!」
リリアが杖を振り下ろすと、圧倒的な光の波動が培養槽を包み込んだ。
赤黒かった液体が、みるみるうちに澄んだ透明な水へと浄化されていく。
「すごい……! 特級の汚染魔力が、一瞬にしてただの真水に……!?」
学者たちが驚愕の声を上げる中、私は空間収納から漆黒の大剣を引き抜いた。
「リリア、見事よ! それじゃあ、ただの水になったところを……」
私は大上段に剣を構え、魔力を限界まで叩き込む。
「未練ごと、物理的にチリにしてあげるわぁっ!! 【概念崩壊・極】!!」
ドゴォォォォォォンッ!!!
私が振り下ろした一撃は、分厚い魔導ガラスの培養槽を粉砕し、中に浮かんでいた未完成のキメラの素体ごと、跡形もなく消し飛ばした。
後には、浄化された水が床を濡らすのみ。
「よし! これで『人工魔王兵器』は完全消滅ね」
「はいっ! お姉様との連携、完璧でした!」
ハイタッチを交わす私たちの姿を見て、学者たちやスラムの仲間たちは、言葉を失ってただただ呆然としていた。
「さあ、みんな! 施設の証拠になりそうな書類や機材は、全部私のアイテムボックスに詰め込んで! 攫われた人たちと魔獣を連れて、王宮に帰還するわよ!」
*
数時間後。王宮の広大な医療棟。
リリアの白魔法と、王宮の治癒士たちの尽力により、救出された学者たちや魔獣たちは一命を取り留め、清潔なベッドや魔獣用のふかふかな藁の上で休息を取っていた。
しかし、長きにわたる劣悪な環境のせいで、彼らの体力と魔力は底を突いている。
「さあ、お待たせしました! 栄養満点、心も体も極限まで回復する『アイラ特製・エルフィア牛スジの薬膳魔力シチュー』の完成です!」
私が巨大な鍋を台車に乗せて現れると、医療棟中に信じられないほど食欲をそそる香りが充満した。
「わぁ……! デミグラスの深い香りと、なんだかスーッとする爽やかなハーブの香りがします!」
「ミーアの圧力鍋で、牛スジ肉が歯がいらないくらいトロトロに煮込まれてるわよ。それに、魔力回復効果の高い希少な『月光草』と『星屑の根』をスパイスとしてブレンドしたの」
私は深皿にたっぷりのシチューをよそい、オーブンで焼き上げたばかりの、外はカリッ、中はふかふかの丸パンを添えて、学者たちに配っていく。
「さあ、冷めないうちに召し上がれ」
痩せ細った学者が、震える手でスプーンを持ち、シチューを一口含む。
その瞬間、彼の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
「おい……しい……。肉がとろけて、野菜の甘みが体に染み渡る……。それに、枯渇していた魔力が、体の奥底からポカポカと湧いてくるのがわかる……っ!」
「うおおぉぉん! もうこんな美味い飯は一生食えないと思ってた……っ!」
彼らは泣きながら、パンをシチューに浸して無我夢中で平らげていく。
「グルルゥゥ……ワフッ!」
「キュイィィ!」
部屋の隅では、星屑狼の親子や火竜の幼体たちも、魔獣用に味付けを調整したシチューを顔中ドロドロにしながらガツガツと食べていた。
美味しいご飯の前では、人間も魔獣も関係ない。
その光景を満足げに眺めていると、執務室からジュリアン様とエドワード殿下が険しい顔でやって来た。
「アイラ、リリア。こちらでの救護と炊き出し、ご苦労だったね」
「ジュリアン様! そちらはどうでしたか? バルディア侯爵は捕らえられましたか?」
私の問いに、二人は重々しく首を横に振った。
「一足遅かった。我々が騎士団と共に侯爵邸に踏み込んだ時、バルディア侯爵はすでに自室で死んでいたよ」
「えっ……!?」
「服毒自殺を偽装されていたが、検死の結果、侯爵の口封じのために何者かが致死性の毒を無理やり飲ませた痕跡があった。侯爵家で雇われていた使用人たちも、一晩のうちに全員姿を消している」
エドワード殿下の言葉に、医療棟の空気がピリッと凍りついた。
「し、口封じ……。自分たちの計画の手足として使っていた侯爵すら、躊躇いなく切り捨てるなんて」
リリアが口元を覆う。
「奴隷売買の資金集め、魔獣の密輸、そして人工魔王兵器の創造。これほど大規模な悪事を裏で糸引く『あのお方』とやらは、相当に用意周到で冷酷な人物のようだ」
ジュリアン様はそう言うと、懐からゴロリとした「小さな黒い石」を取り出した。
「だが、黒幕も完璧ではなかった。侯爵は死の直前、この『記憶媒体の魔石』を自らの胃袋に飲み込んで隠していたんだ。解剖の際に発見された」
「記憶の魔石……! それはつまり……」
「ええ。侯爵が万が一切り捨てられた時のための保険として、黒幕との通信記録や、指示の全容を記録していた可能性が高いですぅ!」
いつの間にかシチューのおかわりを持っていたミーアが、目を輝かせて説明に加わった。
「ミーア、君の技術でこの魔石のロックを解除し、中身の情報を引き出せるかい?」
「もちろんお任せください殿下! 王宮魔導具技師のプライドにかけて、明日の朝までには全ての暗号を解読してみせますぅ!」
ミーアは魔石を受け取ると、シチューの皿を抱えたまま足早に研究室へと駆けていった。
「侯爵の口は封じられましたが、残された魔石と、救出した彼らからの証言があれば、必ず黒幕の正体に辿り着けるはずです」
ジュリアン様が、力強く宣言する。
「ええ、絶対に暴き出しましょう」
私はギュッと拳を握った。
命を冒涜し、私たちが暮らすこの国に災厄をもたらそうとする見えない巨悪。
相手がどれほどの権力者だろうと、あるいは他国の何者であろうと関係ない。
「どんなに巧妙に隠れていようと、パン粉に包んで揚げた上で、完膚なきまでに叩き潰してやりますからね……!」
「あ、アイラ……? 頼むからその黒魔法の杖を撫でながら微笑むのはやめてくれないか。殺気が隠しきれていないよ」
「お姉様、エドワード様が少し引いています」
こうして、バルディア侯爵の死という衝撃の展開を迎えながらも、私たちは確実に真の黒幕へと迫りつつあった。
アイラ特製の薬膳シチューで英気を養った王太子陣営による、逆襲の推理戦がいよいよ幕を開ける。
3:豪華カジノ船の潜入と黄金の極上オムライス
翌朝。
王宮の厨房には、バターの芳醇な香りと、甘酸っぱいトマト、そして深く煮込まれた肉の香りが立ち込めていた。
「ミーア、徹夜での解析作業、本当にお疲れ様! さあ、疲れた脳と体にエネルギーを補給する『黄金の極上オムライス〜特製デミグラスソースがけ〜』よ!」
私がテーブルに大皿を置くと、徹夜でフラフラになっていたミーアの目に、カッと光が宿った。
「おおおおっ……! ま、眩しいですぅ!」
お皿の上には、チキンライスを包み込む、半熟でトロトロの黄金色の卵。その上から、昨日から煮込んでいた濃厚な特製デミグラスソースがたっぷりと掛けられている。
今回使った卵は、王室専用の牧場で大切に育てられた希少な「コッコ鳥(魔獣の一種)」の卵だ。普通の卵より黄身が濃く、魔力回復効果も抜群に高い。
「いただきますぅぅっ!」
ミーアがスプーンを突き立て、一口頬張った瞬間、彼女の顔が文字通りとろけた。
「ふぁぁぁぁ……っ! 卵がふわっふわで、口の中で溶けていきますぅ! そしてこのデミグラスソースの深いコクと、チキンライスの酸味が絶妙に絡み合って……徹夜で枯渇した魔力と脳細胞が、一気に再生していくのがわかりますぅ!!」
「ふふっ、良かったわ。ジュリアン様やエドワード殿下、ザックたちも遠慮せずに食べてね」
執務室のテーブルには、すでに王太子陣営の面々が揃っていた。皆、オムライスの暴力的なまでの美味しさに無言でスプーンを動かしている。
「美味い……! アイラ、君の料理は毎日食べているのに、毎朝新しい感動をくれるね。この卵の甘み、王太子としての重圧すら忘れさせてくれるよ」
「ええ、兄上……。リリアが淹れてくれた紅茶と合わせると、もはやここは天国かと思えます……」
ジュリアン様とエドワード殿下が至福の表情を浮かべる中、見事な速度でオムライスを完食したミーアが、ビシッと姿勢を正した。
「ふぅ……完全復活しました! それではアイラ様、殿下。バルディア侯爵が残した『記憶媒体の魔石』の解析結果をご報告します!」
ミーアがテーブルの中央に、黒い魔石と、そこから出力した数枚の羊皮紙を広げた。
「侯爵の魔石には、何重もの呪いと暗号化が施されていましたが、私の『特製・魔導解読ツール(物理破壊機能付き)』で全て突破しました! 中には、黒幕と思われる人物との通信記録と、『今後の取引』に関する情報が残されていました」
「今後の取引?」
私が身を乗り出すと、ミーアは得意げに頷いた。
「はい! 実は侯爵は、明日、王都から南に下った港町『レヴァント』に停泊している豪華客船で、黒幕の代理人と密会する予定だったんです!」
「港町レヴァント……」
ジュリアン様が顎に手を当てて目を細める。
「あそこは我が国でも有数の貿易港だが、同時に裏社会の人間が集まる無法地帯でもある。その豪華客船というのは?」
「『海神の宴』号です。表向きは他国の貴族が所有する遊覧船ですが、裏では違法なカジノや、希少な魔獣・奴隷の闇オークションが行われているという噂がありますぅ」
「なるほどね……。じゃあ、侯爵の死を隠れ蓑にして、私たちがその船に乗り込めば、代理人と接触できるわね」
私がそう言いかけた、その時だった。
「…………待って。おかしくないかしら?」
探偵時代に培った私の勘が、チリッと警鐘を鳴らした。
「どうしたの、お姉様?」
「バルディア侯爵は昨日、黒幕側の手によって『口封じ』のために毒殺されたのよね?」
私の言葉に、ジュリアン様とエドワード殿下がハッとして顔を見合わせる。
「……っ! そうだ! 黒幕が自らの手で侯爵を殺したのなら、明日のカジノ船での取引に『侯爵が来ない』ことなど、百も承知のはずだ!」
「それなのに、わざわざ魔石に『明日の取引』の情報が残されていて、私たちがそれを解読するのを待っていたかのように……」
部屋の隅にいたザックが、血の気を引かせて立ち上がった。
「しまった……! 俺としたことが、侯爵の死を王宮内で秘匿できていることに胡坐をかいて、完全に希望的観測に陥っていました……! つまり、この魔石の取引情報自体が……!」
「ええ。私たちをおびき寄せるための『罠』ね」
私は冷たい声で断言した。
「わざと侯爵の胃袋に魔石を残し、私たちが解析してのこのこカジノ船にやって来るのを待っている。……陸から離れた海の上なら、どんな強力な魔法使いや騎士団だろうと、船ごと沈めてしまえば確実に始末できるから」
執務室に、ヒンヤリとした沈黙が落ちた。
敵は単なる悪党ではない。こちらの動きを完全に予測し、一網打尽にするための盤面を用意して待ち構えているのだ。
「……なんて用意周到な連中だ。となれば、この潜入ミッションは中止すべきですね」
エドワード殿下が悔しそうに拳を握る。
「いいえ。行きましょう、ジュリアン様」
私はニヤリと、最高に悪役顔負けの笑みを浮かべた。
「アイラ……? 罠だと分かっていながら、飛び込むと言うのかい?」
「ええ。だって、海の上で逃げ場がないのは、向こうも同じでしょう?」
私は空間収納から、かつてスラム時代に愛用していた「いかさま防止用・ミスリル製メリケンサック」を取り出して指にはめた。
「罠を張って待ち構えている気になっている連中の喉元に、直接乗り込んで絶望を味わわせてやるんです。街中と違って、海の上なら周りの被害を気にせず『物理と魔法』をフル稼働できますからね」
「なるほど。逆に言えば、敵の代理人を確実に仕留められる『最高のステージ』というわけですね!」
リリアもポンッと手を叩き、天使のような笑顔で物騒なことに同意した。
「ああ、君たち姉妹のそういうところ、本当に最高だよ」
ジュリアン様は呆れたように息を吐いた後、王太子としての、いや、かつての『探偵』としての挑戦的な笑みを浮かべた。
「上等だ。敵の用意した最高級のデストラップ、極上オムライスで英気を養った我々が、正面から食い破ってやろうじゃないか」
「アイラ様、ジュリアン様!」
ミーアがバンッとテーブルを叩いた。
「潜入任務なら、私にも同行させてください! カジノ船には強力な魔導セキュリティや罠が張られているはずです。私の技術が絶対に役に立ちますぅ!」
「ええ、頼りにしてるわよ、ミーア」
私が微笑むと、ミーアは嬉しそうに「はいっ!」と元気よく返事をした。
「お姉様……どうかお気をつけて。エドワード様と共に、王都から後方支援を行っていますね。万が一船が沈んでも助けに行けるよう、飛行魔獣の手配もしておきます」
「ありがとう、リリア。お土産に、港町の美味しい海鮮を買ってくるわね」
*
翌日の夜。
潮の香りが漂う港町レヴァント。
黒い波が打ち寄せる港に、一際眩い光を放つ巨大な客船が停泊していた。
『海神の宴』号。
船上からは陽気な音楽と、欲望にまみれた歓声が微かに漏れ聞こえてくる。
「……さて。準備はいいかい、アイラ」
船へと続くタラップの前。
そこには、漆黒のタキシードを身に纏い、前髪を下ろして普段の王太子としての気配を完全に消し去った、危険なほど魅力的なジュリアン様の姿があった。
「ええ、いつでも」
私は、深いスリットの入った真紅のイブニングドレスに身を包み、妖艶な微笑みを浮かべながらジュリアン様の腕に手を添える。
アイテムボックスの中には、愛用の大剣も黒魔法の杖も、ミーアの作ったヤバい魔導具の数々もバッチリ収納済みだ。
「さあ、カジノ船で待つ愚かな悪党どもに、私たちが『最高のディナー』をご馳走してあげましょうか」
「ああ。メインディッシュは、罠が破られた時の奴らの絶望の顔だな」
私たちは、他国の富豪の若夫婦という偽の身分を纏い、欲望と死の罠が渦巻く豪華カジノ船へと足を踏み入れた。
真の黒幕の尻尾を掴み、全ての悪を物理と魔法で叩き潰すための、華麗なる逆襲劇の幕開けである。
4:豪華カジノ船と国際犯罪網、そして幻の深海魚カルパッチョ
夜の海に煌々と光を放つ巨大な客船、『海神の宴』号。
船内へと足を踏み入れた瞬間、外の潮風から一転して、むせ返るような高級香水と葉巻の匂い、そして軽快なオーケストラの生演奏が私たちを包み込んだ。
「……驚いたな。船の中とは思えない広さと豪華さだ」
「ええ。天井のシャンデリアには、惜しげもなく最高級の光魔石が使われていますわ」
他国の若き富豪夫婦に変装した私とジュリアン様は、腕を組みながらメインホールを悠然と歩く。その後ろには、大きなトランク(中身は全て物騒な魔導具)を持った従者姿のミーアが控えている。
ホールには数え切れないほどのカジノテーブルが並び、着飾った紳士淑女たちがルーレットやカードゲームに興じていた。
「さあて、まずは状況把握(情報収集)からね。ジュリアン様、あそこのバカラのテーブルにいるふくよかな男性……」
私が扇子で口元を隠し、視線だけで合図を送る。
「ああ。隣国である商業国家連合の、大商会のトップだ。表向きは誠実な取引で有名だが……なるほど、裏の顔があったというわけか」
ジュリアン様もグラスを傾けながら、冷徹な『探偵』の目でホール全体をスキャンしていく。
「あちらのルーレット台で騒いでいるのは、北の帝国の軍高官だ。それに、あそこのバーカウンターで密談しているのは、西の小国の財務大臣……」
次々と上がってくる名前に、私は内心で舌を巻いた。
ただの国内の悪徳貴族や商人の集まりではない。
「……参加者の規模が、想定よりもずっと大きいですわね」
「ええ。これだけ多くの他国の要人が、非公式に、しかも一つの船に集まっている。ダドリー伯爵やバルディア侯爵は、あくまで我が国内の『窓口』に過ぎなかったということだ」
ジュリアン様が、低い声で鋭い推測を口にする。
「奴隷売買、希少な魔獣の密輸、そして人工魔王兵器の開発……。これらを統括する真の黒幕は、一国に留まらず、大陸中を股に掛ける『超巨大な国際犯罪シンジケート』を構築していると見て間違いない」
「国を跨いだ犯罪組織……。厄介ですね。もしこれを取り締まろうとしても、他国の要人が絡んでいるとなれば、下手に我が国の騎士団だけでは動けませんし、外交問題に発展しかねません」
私が眉をひそめると、ジュリアン様はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「普通の国なら、ね。だが、今のヴァリエール王国(私たち)には、国際的な問題を強引にねじ伏せるだけの『最強のカード』が揃っている」
「……ああ、なるほど」
私もつられて、悪い笑顔になってしまう。
「教皇セレスが治める『神聖ルシエラ教国』。そして、かつて悪魔の陰謀から国ごと救い出し、特大の恩を売ってある『クラエス王国』ですね」
「その通り。教皇セレス殿下とは、君の妹のリリアを通じて強固な信頼関係がある。さらにクラエス王国は、我々には頭が上がらないからね。いざとなれば、この三国で連携し、他国の腐った要人ごとシンジケートを国際的に包囲・物理的殲滅することが可能だ」
「ふふっ。それを聞いたら、心置きなくこの船で暴れられますわね」
私たちが物騒な国際包囲網の構築について(笑顔で)語り合っていると、タキシード姿の給仕が、銀のトレイに色鮮やかなオードブルを乗せて近づいてきた。
「お客様、歓迎の一品でございます。『幻の深海鮭のカルパッチョ〜南大陸産・紅蓮香辛料を添えて〜』です」
「あら、ありがとう」
私は小皿を受け取り、フォークで薄切りの美しい魚の身を口に運んだ。
……瞬間、ピタッと動きが止まる。
「アイラ様? どうかされましたか?」
後ろに控えるミーアが小声で尋ねてくる。
「……ええ。この魚、そしてこのスパイス。ミーア、この船が『真っ黒』だという何よりの証拠よ」
私はフォークを置き、ジュリアン様にだけ聞こえる声で告げた。
「幻の深海鮭は、国際条約で捕獲が固く禁じられている超希少な保護魔獣よ。おまけに、この紅蓮香辛料……南大陸の奥地でしか採れず、正規の貿易ルートでは絶対に手に入らないはずの麻薬指定スレスレの代物だわ」
「なるほど……。提供される食事そのものが、彼らの密輸ルートと資金力を見せつける『権力の誇示』というわけか」
「それだけじゃないわ」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
「せっかくの超高級食材なのに、血抜きの処理が甘いせいで生臭さが残っているし、香辛料をただぶっかければいいと思っていて、素材の味を完全に殺してる! 料理に対するリスペクトが一切ないわ! 許せない!!」
「あ、アイラ、落ち着いて! フォークがひん曲がっているよ!」
私が怒りのあまり純銀のフォークを飴細工のようにぐにゃりと曲げたのを見て、ジュリアン様が慌てて宥める。
「……失礼いたしました。やはり、食べ物を雑に扱う組織は一刻も早く壊滅させなければなりませんね」
私がスゥッと深呼吸をして怒りを鎮めたその時。
メインホールの奥、屈強な用心棒たちが立ち並ぶ、一際豪華な両開きの扉が開いた。
「……皆様。本日は『海神の宴』にお越しいただき、誠にありがとうございます。まもなく、VIPルームにて『特別なオークション』および、今後の事業に関する秘密会議を執り行います」
現れたのは、顔の半分を仮面で隠した、異様な魔力を放つ司会者らしき男だった。
「ビンゴですね。あの奥が、黒幕の代理人が待つ罠のど真ん中(VIPルーム)です」
「ああ。招待状を持った選ばれた人間しか入れないようだが……どうする? アイラ」
ジュリアン様の問いに、私は空間収納から「ダドリー伯爵やバルディア侯爵の屋敷から(物理で)押収したVIP用・黒金色の招待状」をスッと取り出した。
「もちろん、正々堂々と正面から乗り込みますよ。……最悪の罠と、最高に不味い料理を用意したことを、たっぷりと後悔させてあげましょう」
私たちは顔を見合わせ、欲望が渦巻くVIPルームの扉へと、優雅な足取りで向かっていった。
*
重厚な扉を抜け、VIPルームへと足を踏み入れる。
そこは外の喧騒が嘘のように静まり返り、薄暗い照明の中、選び抜かれた各国の重鎮たちだけが革張りのソファーに深く腰を掛けていた。
入室した瞬間、私たちの肌をチリッとした微かな殺気が撫でた。
「……なるほど。どうやら、歓迎されているようね」
「ああ。我々が何者で、どういう経緯でこの招待状を手に入れたのか……向こうは既に気づいているみたいだな」
私が扇子で口元を隠しながら小声で囁くと、ジュリアン様もグラスを傾けたまま視線だけを鋭く走らせた。
「ミーア、状況は?」
「壁の裏や天井、それに給仕に扮した者まで……気配を完全に殺した暗殺者クラスの手練れが、優に二十人は潜んでいますぅ。私たちの一挙手一投足を監視していますね」
後ろに控えるミーアが、ゴーグルの奥の瞳を光らせながら報告する。
「すぐには襲ってこないということは、様子見として泳がされているのね。私たちがどこまで情報を掴んでいるのか、あるいは他に伏兵がいるのかを探っているのかしら」
「まったく、いやらしい連中だ。だが、泳がせてくれるというのなら、その間にこちらもしっかりと『自国のゴミ掃除』の目星をつけさせてもらおうか」
ジュリアン様が冷たく微笑む。
部屋を取り囲む見えざる刃。常人であれば恐怖で足がすくむような死地であっても、私たちの心に焦りは微塵もなかった。
なぜなら、今のこの潜入メンバーのスペックは、完全に『規格外』だからだ。
ジュリアン様は、現代の人間の中では間違いなくトップクラスの手練れ。王室に伝わる至高の剣技と、探偵時代に裏社会で培った冷徹な戦術眼を併せ持ち、並の暗殺者など束になっても赤子扱いできる。
ミーアは、自身の開発したチート級の魔導具を十全に使いこなす天才。彼女が抱えているトランクの中には、この船ごと消し飛ばせるだけの凶悪な火力が静かに眠っている。
そして私、アイラ・アルジェント。
前世でスラムの孤児だったド根性に加え、五千年前の魔女・エレノワールから強大な魔力を受け継いだ。さらに、毎日の『美味しいご飯』の力で魔力回路はパンパンに増幅され続けている。
控えめに言っても、人外や悪魔がダースで押し寄せてきても、呪文一つで自分のペースに巻き込んで完封できるだけの力がある。
つまり、どんな罠が張られていようと、最後は力技で『物理的に更地』にできるという絶対の自信があるのだ。
「……ふむ。見つけたぞ、アイラ」
ジュリアン様が、部屋の奥のテーブルを視線で指し示した。
「あそこで葉巻を吹かしているのは、我が国の魔法省で重鎮を務める『ガウェイン侯爵』。そして、その向かいで愛想笑いを浮かべているのは、表向きは王家派を気取っている『チェスター伯爵』だ」
「あら。バルディア侯爵という重要なパイプ役が死んだばかりなのに、随分と余裕そうにお酒を飲んでいるのね。彼らもトカゲのしっぽ切りの一枚噛んでいるのかしら」
「だろうな。彼らがバルディア侯爵のさらに上に立つ、国内の本当の『窓口』というわけだ」
私は彼らの顔を、しっかりと記憶に(そして復讐リストに)刻み込んだ。
「さて、自国の犯罪者の特定も済んだことだし……黒幕の代理人さんは、私たちに対してどう立ち向かってくるつもりなのかしらね?」
「ふふ。これだけ泳がせておいたんだ。ただの毒殺や、そこらの暗殺者をけしかけるような退屈な真似はしないと思いたいが」
私たちが余裕の笑みを交わしていると。
VIPルームの中央に立つ仮面の司会者が、不敵な笑みを浮かべてこちらを向いた。
「――さて、各国の重鎮の皆様。本日の特別なオークションを始める前に、まずは招かれざる『迷い鳥』の方々に、特別な余興をご用意いたしました」
司会者がパチンと指を鳴らす。
その瞬間、VIPルームの全ての扉が一斉に重苦しい音を立ててロックされ、部屋の四隅から、禍々しくも圧倒的な魔力が噴出した。
「さあ、王太子の首と最強の魔女の命……。私たちの『作品』がどれほどのものか、その身を以て味わっていただきましょう!」
黒幕側が用意した、規格外の潜入者たちを確実に屠るための『切り札』。
欲望の船は今、絶海の密室闘技場へと姿を変えたのだった。
5:魔女の系譜と酔えない毒殺防止アミュレット
VIPルームの全ての扉が一斉に重苦しい音を立ててロックされ、部屋の四隅から禍々しくも圧倒的な魔力が噴出した。
「さあ、王太子の首と最強の魔女の命……。私たちの『作品』がどれほどのものか、その身を以て味わっていただきましょう!」
仮面の司会者が高らかに宣言すると同時、部屋の隅の壁がスライドし、四体の巨大な人型の『何か』が姿を現した。
「……グルルルゥッ!」
それは、複数の魔獣のパーツをツギハギにされ、全身から赤黒い汚染魔力を垂れ流す『完成形の人工魔王兵器』だった。バルディア侯爵領の地下施設で見たものより遥かに完成度が高く、禍々しいオーラを放っている。
「ヒィィッ!? な、なんだあれは!?」
「我々を巻き添えにする気か!」
各国の重鎮たちや、ガウェイン侯爵らが悲鳴を上げて逃げ惑う。だが、扉は完全にロックされ、逃げ場はない。
「……なるほど。これが『余興』ね」
私は扇子をパチンと閉じ、ドレスの裾を少しだけ持ち上げた。
「ジュリアン様、ミーア。どうやら私たち、かなりナメられているみたいですよ?」
「ああ。最高に不愉快だ。王太子の首を獲るのに、あんな不格好なガラクタ四体で足りると思っているとは」
ジュリアン様が呆れたようにため息をつく。
「アイラ様。敵の攻撃が来る前に、アレの稼働テストをしておきましょう!」
後ろに控えるミーアが、ゴーグルを光らせながらトランクから三つの『銀色のペンダント』を取り出した。
「私が徹夜で組み上げた最新作、『完全毒物分解・オートクリーンアミュレット(極)』ですぅ! これをつけていれば、空気中の猛毒ガスだろうが、致死性の汚染魔力だろうが、人体に害のある成分は【自動・即座・完全】に分解して無害化してくれます!」
「素晴らしいわ、ミーア! さすが、現代において『最新の魔導具技術』を世界で唯一十全に使いこなす天才ね」
「ふふん! アイラ様にそう言っていただけると光栄ですぅ!」
私たちはそれぞれペンダントを首から下げた。
実はこのアミュレットには、一つだけ厄介な『欠点』がある。それは、「アルコールも毒として認識・分解してしまうため、どれだけお酒を飲んでも絶対に酔えなくなる(シラフのまま)」ということだ。
カジノの高級ワインで少し酔ってみたい気もしたが、今は命優先である。
「よし、これで毒対策は完璧。あとは……」
私が空間収納から、漆黒の『黒魔法使いの杖』を取り出そうとした、その時。
パリンッ!
VIPルームの空間の一部が、まるでガラスが割れるように砕け散り、そこから異次元へと繋がる光と闇の混ざり合ったゲートが開いた。
「な、なんだ!?」
仮面の司会者が後ずさる中、そのゲートの中から、凄まじい神聖力と魔力を放つ二人の人影が悠然と姿を現した。
「……天を穢す忌まわしき瘴気を感じ、様子を見に来てみれば。相も変わらず厄介事に巻き込まれておるのだな、アイラよ。我の案内で次元を越えて参ったというのに、我の舌を満足させる『供物(美味しいご飯)』は用意されておらぬのか?」
「まったく。わたくしの可愛い子孫が、こんな下等な羽虫どもに舐められた真似をされていると聞いて、次元の壁を越えてやってきましたわ。シュシュエル、案内ご苦労様」
そこにおられたのは、エマの体に間借りしている美味しいご飯が大好きな天使・シュシュエル様と、私たちアルジェント公爵家(魔女の血筋)の始祖であり、五千年の時を生きる美しき伝説の魔女・エレノワールお姉様だった。
「シュシュエル様! それに、エレノワールお姉様まで! どうしてこちらへ?」
私が驚きと喜びの声を上げると、エレノワールお姉様は艶やかに微笑みながら私を見つめた。
「ふふっ。可愛いアイラのためですもの、駆けつけるのは当然ですわ。それにしても、あんなチンケなガラクタ相手に、シュシュエルの野蛮な杖を使うつもりでしたの?」
「い、いえ……」
「魔女たるもの、もっとエレガントに、かつ圧倒的に絶望を与えてやらなくてはダメですわよ」
圧倒的な存在感を放つ神聖な天使と伝説の魔女の出現に、ジュリアン様すらも感嘆の息を吐いた。
「これは……とんでもない助っ人が来てくれたものだ。ご無沙汰しております、エレノワールお姉様、シュシュエル様」
「ええ、ジュリアン。相変わらず良い男ですわね。わたくしのアイラを泣かせたら、五千年分の呪いをかけますからそのつもりで」
「肝に銘じておきましょう」
「……何!? なんだ、その異常な気配は……貴様ら、どこから入ってきた!」
仮面の司会者がパニックに陥りながら叫ぶ。
「うるさい羽虫ですわね。少しわたくしの美学で、お掃除をしてさしあげますわ」
エレノワールお姉様が、扇子を優雅に広げて前に出た。
「さあ、いらっしゃいな、不格好な肉塊ども」
エレノワールお姉様が指をクイッと曲げて挑発すると、四体のキメラが咆哮を上げ、猛毒のガスを撒き散らしながら一斉に襲いかかってきた。
「死ねェッ!」
仮面の男が叫ぶ。
だが、キメラの放った猛毒ガスは、私やジュリアン様に届く前に、ミーアの『毒殺防止アミュレット』が放つ銀色の光によってシュウゥゥと音を立てて無害な酸素へと完全分解された。
「な、なんだと!? 猛毒が全く効いていない!?」
「現代の天才の技術を甘く見ないことですわね。そして……」
迫り来る四体のキメラに対し、エレノワールお姉様は杖も剣も使わず、ただ優雅に右手を掲げた。
「五千年の叡智を、その身に刻みなさい。――【絶対的空間断絶】」
パチン、とエレノワールお姉様が指を鳴らした瞬間。
キメラたちがいた空間そのものが、まるでガラスの箱のように『四角く』切り取られ、完全に周囲から隔絶された。
「……!?」
キメラたちは透明な壁に激突し、困惑したように檻の中を暴れ回る。
「な、空間魔法!? 詠唱もなしに、これほどの規模の結界を……!」
「結界? 違いますわ。これは『解体』の準備ですのよ」
エレノワールお姉様がニコリと微笑み、そのまま掲げた右手を、スッと横に薙ぎ払った。
ズパァァァンッ!!!
空間ごと、四体のキメラが『寸分違わぬ完璧な断面』で、縦横無尽に細切れにスライスされた。
血一滴、汚染魔力の一欠片も外に漏らすことなく、ただ静かに、そしてあまりにもエレガントに、最強の切り札だったはずの人工魔王兵器は、サイコロ状の肉塊へと姿を変えた。
「…………あ」
仮面の司会者、そして隠れていた暗殺者たちが、完全に理解を超えた光景を前に、絶望で言葉を失った。
「あら、ごめんなさい。あまりに弱すぎて、手応えがありませんでしたわ」
エレノワールお姉様がふうっと息を吐き、私に向き直る。
「さて、わたくしの出番はこれくらいかしら。あとは現代のあなたたちで、その羽虫どもを好きに料理しなさいな。行くわよ、シュシュエル」
「……此度の働きに対する供物は、極上のスイーツを要求する。我の期待を裏切らぬよう、せいぜい気張るが良い、アイラよ」
二人はそう言うと、再び開いたゲートを通って、嵐のように異次元へと帰っていった。
空間断絶の魔法によってサイコロ状になったキメラの残骸を一瞥し、私は仮面の男に向かって、極上の悪役スマイルを向けた。
「さて、司会者さん。あなたの用意した『特別な余興』とやらは、ものの五秒で終わってしまったみたいですけど」
私は空間収納から、愛用の『ミスリル製メリケンサック』を両手にはめた。
「罠で私たちを仕留められると本気で思っていたのなら、あまりにも想像力が足りなすぎます。……さあ、今度は私たちが『物理的』な余興をお見せする番ですね」
「……っ! や、やれ! 全員で殺せ!!」
パニックに陥った仮面の男が叫ぶと、天井や壁の裏から二十人近い暗殺者たちが一斉に飛び出してきた。
「アイラ、私が十人引き受けよう。君は残りを」
「ジュリアン様、ありがとうございます。ミーアは、あのガウェイン侯爵たち(国内のゴミ)が逃げないように拘束をお願いね」
「お任せくださいですぅ! 魔導スタンガンで黒焦げにしてやります!」
密室のカジノ船は、私たち『規格外の潜入者』による、一方的すぎる殲滅戦の舞台へと完全に切り替わった。
6:沈みゆくカジノ船と双子魔女の共鳴魔法
VIPルームの全ての扉が一斉に重苦しい音を立ててロックされ、部屋の四隅から禍々しくも圧倒的な魔力が噴出した。
「さあ、王太子の首と最強の魔女の命……。私たちの『作品』がどれほどのものか、その身を以て味わっていただきましょう!」
仮面の司会者が高らかに宣言すると同時、部屋の隅の壁がスライドし、四体の巨大な人型の『何か』が姿を現した。
「……グルルルゥッ!」
それは、複数の魔獣のパーツをツギハギにされ、全身から赤黒い汚染魔力を垂れ流す『完成形の人工魔王兵器』だった。バルディア侯爵領の地下施設で見たものより遥かに完成度が高く、禍々しいオーラを放っている。
「ヒィィッ!? な、なんだあれは!?」
「我々を巻き添えにする気か!」
各国の重鎮たちや、ガウェイン侯爵らが悲鳴を上げて逃げ惑う。だが、扉は完全にロックされ、逃げ場はない。
「……なるほど。これが『余興』ね」
私は扇子をパチンと閉じ、ドレスの裾を少しだけ持ち上げた。
「ジュリアン様、ミーア。どうやら私たち、かなりナメられているみたいですよ?」
「ああ。最高に不愉快だ。王太子の首を獲るのに、あんな不格好なガラクタ四体で足りると思っているとは」
ジュリアン様が呆れたようにため息をつく。
「アイラ様。敵の攻撃が来る前に、アレの稼働テストをしておきましょう!」
後ろに控えるミーアが、ゴーグルを光らせながらトランクから三つの『銀色のペンダント』を取り出した。
「私が徹夜で組み上げた最新作、『完全毒物分解・オートクリーンアミュレット(極)』ですぅ! これをつけていれば、空気中の猛毒ガスだろうが、致死性の汚染魔力だろうが、人体に害のある成分は【自動・即座・完全】に分解して無害化してくれます!」
「素晴らしいわ、ミーア! さすが、現代において『最新の魔導具技術』を世界で唯一十全に使いこなす天才ね」
「ふふん! アイラ様にそう言っていただけると光栄ですぅ!」
私たちはそれぞれペンダントを首から下げた。
実はこのアミュレットには、一つだけ厄介な『欠点』がある。それは、「アルコールも毒として認識・分解してしまうため、どれだけお酒を飲んでも絶対に酔えなくなる(シラフのまま)」ということだ。
カジノの高級ワインで少し酔ってみたい気もしたが、今は命優先である。
「よし、これで毒対策は完璧。あとは……」
私が空間収納から、漆黒の『黒魔法使いの杖』を取り出そうとした、その時。
パリンッ!
VIPルームの空間の一部が、まるでガラスが割れるように砕け散り、そこから異次元へと繋がる光と闇の混ざり合ったゲートが開いた。
「な、なんだ!?」
仮面の司会者が後ずさる中、そのゲートの中から、凄まじい神聖力と魔力を放つ二人の人影が悠然と姿を現した。
「……天を穢す忌まわしき瘴気を感じ、様子を見に来てみれば。相も変わらず厄介事に巻き込まれておるのだな、アイラよ。我の案内で次元を越えて参ったというのに、我の舌を満足させる美味しいご飯は用意されておらぬのか?」
「まったく。わたくしの可愛い子孫が、こんな下等な羽虫どもに舐められた真似をされていると聞いて、次元の壁を越えてやってきましたわ。シュシュエル、案内ご苦労様」
そこにおられたのは、エマの体に間借りしている美味しいご飯が大好きな天使・シュシュエルと、私たちアルジェント公爵家(母のエレオノーラの実家も)の始祖であり、五千年の時を生きる美しき魔女・エレノワールお姉様だった。
「シュシュエル! それに、エレノワールお姉様まで! どうしてこちらへ?」
私が驚きと喜びの声を上げると、エレノワールお姉様は艶やかに微笑みながら私を見つめた。
「ふふっ。可愛いアイラのためですもの、駆けつけるのは当然ですわ。それにしても、あんなチンケなガラクタ相手に、シュシュエルの野蛮な杖を使うつもりでしたの?」
「い、いえ……」
「魔女たるもの、もっとエレガントに、かつ圧倒的に絶望を与えてやらなくてはダメですわよ」
圧倒的な存在感を放つ神聖な天使と魔女の出現に、ジュリアン様すらも感嘆の息を吐いた。
「これは……とんでもない助っ人が来てくれたものだ。ご無沙汰しております、エレノワール様、シュシュエル様」
「ええ、ジュリアン。相変わらず良い男ですわね。わたくしのアイラを泣かせたら、五千年分の呪いをかけますからそのつもりで」
「肝に銘じておきましょう」
仮面の司会者が、二人の異常な気配に目を細める。
「うるさい羽虫ですわね。少しわたくしの美学で、お掃除をしてさしあげますわ」
エレノワールお姉様が、扇子を優雅に広げて前に出た。
「さあ、いらっしゃいな、不格好な肉塊ども」
エレノワールお姉様が指をクイッと曲げて挑発すると、四体のキメラが咆哮を上げ、猛毒のガスを撒き散らしながら一斉に襲いかかってきた。
「行けッ!」
仮面の男が命じる。
だが、キメラの放った猛毒ガスは、私やジュリアン様に届く前に、ミーアの『毒殺防止アミュレット』が放つ銀色の光によってシュウゥゥと音を立てて無害な酸素へと完全分解された。
「……ほう。猛毒が全く効いていない」
司会者が興味深そうに呟く。
「現代の天才の技術を甘く見ないことですわね。そして……」
迫り来る四体のキメラに対し、エレノワールお姉様は杖も剣も使わず、ただ優雅に右手を掲げた。
パチン、とエレノワールお姉様が指を鳴らした瞬間。
キメラたちがいた空間そのものが、まるでガラスの箱のように『四角く』切り取られ、完全に周囲から隔絶された。
「……!?」
キメラたちは透明な壁に激突し、困惑したように檻の中を暴れ回る。
「結界? 違いますわ。これは『解体』の準備ですのよ」
エレノワールお姉様がニコリと微笑み、そのまま掲げた右手を、スッと横に薙ぎ払った。
ズパァァァンッ!!!
空間ごと、四体のキメラが『寸分違わぬ完璧な断面』で、縦横無尽に細切れにスライスされた。
血一滴、汚染魔力の一欠片も外に漏らすことなく、ただ静かに、そしてあまりにもエレガントに、最強の切り札だったはずの人工魔王兵器は、サイコロ状の肉塊へと姿を変えた。
「あら、ごめんなさい。あまりに弱すぎて、手応えがありませんでしたわ」
エレノワールお姉様がふうっと息を吐き、私に向き直る。
「さて、わたくしの出番はこれくらいかしら。あとは現代のあなたたちで、好きになさいな。行くわよ、シュシュエル」
「……此度の働きに対する供物は、極上のスイーツを要求する。我の期待を裏切らぬよう、せいぜい気張るが良い、アイラよ」
二人はそう言うと、再び開いたゲートを通って、嵐のように異次元へと帰っていった。
空間断絶の魔法によってサイコロ状になったキメラの残骸を一瞥し、私は仮面の男に向かって、余裕の笑みを向けた。
「さて、司会者さん。あなたの用意した『特別な余興』とやらは、ものの五秒で終わってしまったみたいですけど」
私は空間収納から、愛用の『ミスリル製メリケンサック』を両手にはめた。
「罠で私たちを仕留められると本気で思っていたのなら、あまりにも想像力が足りなすぎますね。……さあ、大人しく捕まって、黒幕の正体を吐いてもらいましょうか」
私が一歩踏み出した、その時。
パチ、パチ、パチ……。
静まり返ったVIPルームに、仮面の司会者のくぐもった拍手が響き渡った。
「……素晴らしい。さすがは王太子殿下と、伝説の魔女の系譜。あの程度の『失敗作』では、皆様の足止めすらできませんでしたか」
「強がりにしては堂々としているな。だが、天井裏に隠れている暗殺者たちで、我々をどうにかできると本気で思っているのか?」
ジュリアン様が冷たく言い放つ。だが、司会者は顔色一つ変えずに首を横に振った。
「まさか。一流の『宴』には、相応の引き際というものが必要です。ここで無様に足掻くのは三流のやることでしょう」
司会者は懐から、銀色の『魔導スイッチ』を取り出した。
「……本日はこれにてお開きといたしましょう」
カチッ。
一切の躊躇いもなく、彼がそのスイッチを押し込んだ瞬間。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
船底から、鼓膜が破れるほどの連続した爆発音が響き渡り、巨大な豪華客船がグラリと大きく傾いた。
「きゃあああっ!?」
「ふ、船が沈むぞ! 助けてくれっ!」
「おい、扉が開かない! 開けろ!!」
VIPルームに閉じ込められていた他国の重鎮たちや、ガウェイン侯爵らが、悲鳴を上げてパニックに陥る。
「自ら船ごと爆破しただと!? ここにはお前たちの組織の重要な顧客も多数いるはずだろう!」
ジュリアン様が叫ぶと、司会者は薄く笑った。
「顧客など、またいくらでも探せます。我々にとって最も重要なのは、秘密が漏れないこと。ここで貴方たちもろとも海の底へ沈んでいただければ、万事解決ですから」
ズズズ……と床が傾き、爆発で開いた壁の亀裂から、冷たい海水が滝のように流れ込んでくる。
その狂乱の只中で、仮面の司会者の足元に、淡く光る魔法陣が展開された。
「あれは……!」
私は目を見張った。あの複雑な術式構造、見間違えるはずがない。
「昔、リュカが盗まれた『空間跳躍』の術式!?」
「ご名答。すでに我々は、この技術を完全に実用化しております。……では、またいずれお会いしましょう、王太子殿下、最強の魔女殿。冷たい海の底から、無事に生還できればの話ですがね」
司会者が芝居がかったお辞儀をした直後、空間が歪み、彼の姿は瞬時にしてその場から掻き消えた。
「くっ、逃げられたか……!」
「完全にこちらの行動を読んだ上で、使い捨ての船と駒を用意していたのね。食えない連中!」
私は舌打ちをしたが、慌てふためくことはなかった。
彼が空間跳躍で逃げるというのなら、こちらも『相応の手段』で帰るだけだ。
「ミーア! 手筈通りに!」
「了解ですぅ!」
ミーアがトランクから高出力の魔導スタンガンを取り出し、悲鳴を上げて逃げ惑うガウェイン侯爵とチェスター伯爵の背後に忍び寄り……バチィィッ!! と容赦なく電撃を浴びせた。
「あべばばばばっ!?」
白目を剥いて気絶した自国の裏切り者二人を、ミーアは手早く魔法のロープで簀巻きにする。
「ジュリアン様、お捕獲完了しましたぁ!」
「よくやったミーア。さて、アイラ。潮時だな。船が真っぷたつに折れるぞ」
ジュリアン様が傾く床でバランスを取りながら私に頷く。
私は胸元の通信用魔導具を握りしめ、魔力を通した。
「リリア! 聞こえる!?」
『はい、お姉様! 船の爆発音、こちらでも魔力探知で確認しました!』
王宮の安全な場所で待機しているリリアの、凛とした声が響く。
「座標固定! 行くわよ!」
『はいっ! 共鳴魔法、展開します!』
私とリリア、二人の双子の魔女の魔力が、遠く離れた海の上と王宮とで完全に共鳴する。
私が『黒魔法使いの杖』を海水の流れ込む床に突き立てると同時に、空間がねじ切れ、王宮の執務室へと直通する「巨大な光と闇のゲート」が開いた。
「そりゃっ!」
ミーアが、簀巻きにしたガウェイン侯爵たちを容赦なくゲートの中へ蹴り込む。
「さて、私たちが残した『極上オムライスのレシピ』は、海の底の魚たちへのプレゼントということにしようか」
「ええ。それじゃあ帰りましょうか。シュシュエルの『極上スイーツ』も作らなきゃいけませんしね」
私とジュリアン様、そしてミーアがゲートに飛び込んだ直後。
『海神の宴』号は轟音と共に真っぷたつに折れ、欲望と数多の秘密を乗せたまま、冷たい海の底へと完全に沈んでいった。
*
王宮の執務室。
「お帰りなさい、お姉様、ジュリアン様、ミーアちゃん!」
ゲートから飛び出してきた私たちを、リリアとエドワード殿下が安堵の表情で出迎えてくれた。
「ただいま、リリア。共鳴魔法のサポート、完璧だったわ」
「ええ。ですが、少しドレスの裾が濡れてしまいましたね。すぐにお着替えと、温かい紅茶を用意します」
床に転がっている白目を剥いたガウェイン侯爵たちを騎士団に引き渡した後、ジュリアン様は濡れたタキシードを脱ぎながら、険しい表情で息を吐いた。
「……敵は、我々が罠に気づいて乗り込んでくることすら計算に入れていた。その上で、トカゲの尻尾切りとして豪華客船ごと顧客を沈める冷酷さと、何処で手に入れたのか、リュカの空間跳躍の術式を自在に操る技術力を持っている」
「ええ。ただの悪徳貴族の集まりなんかじゃない。本気でこの世界を裏から支配しようとしている、とんでもない巨大組織ね」
私は、濡れた髪を拭きながら、不敵に笑った。
「でも、相手がどれだけ大きくても、やることは変わりませんよ。尻尾は必ず掴んでみせます」
「頼もしいね、私の妃は」
「当然です。……せっかくの極上ディナーを、生臭い魚と爆発で台無しにされた恨み。絶対に、宇宙の果てまで追いかけて完膚なきまでに叩き潰してやりますからね!」
巨大な国際犯罪シンジケートとの戦いは、このカジノ船の沈没を皮切りに、さらなる激化の途を辿ることになる。
だが、最強の魔女と王太子、そして頼もしい仲間たちの歩みが止まることは決してないのだった。
7:国際犯罪網の影と癒やしの極上海鮮丼
王宮の執務室。
カジノ船から共鳴魔法で帰還し、濡れたドレスとタキシードを着替えた私とジュリアン様は、ホッと温かい紅茶を口にしていた。
「……なるほど。バルディア侯爵は単なる使い捨ての駒。そして真の黒幕は、複数の国を跨いで活動する巨大な国際犯罪シンジケート、というわけですね」
エドワード殿下が、私たちが持ち帰った情報と、ミーアが簀巻きにしたまま転がしている国内の裏切り者(ガウェイン侯爵とチェスター伯爵)を見下ろしながら、眉間を揉みほぐした。
「ああ。奴隷売買、違法な魔獣の取引、人工魔王兵器の開発……。これらを統括し、さらに『空間跳躍』の術式まで実用化している。我々が想定していたよりも、遥かに厄介で巨大な組織だ」
ジュリアン様も、王太子としての厳しい表情で頷く。
「この規模の組織を相手にするとなれば、もはや我が国だけの問題ではありません。……お姉様、エドワード様。すぐに『神聖ルシエラ教国』と『クラエス王国』に親書を送りましょう」
リリアが、探偵の手帳を開きながら力強く提案した。
「教国のセレス教皇聖下と、聖女となったセリアちゃんには、私から直接手紙を書きます。クラエス王国のリュカ国王陛下には、悪魔の事件で私たちが国を救った『大きな貸し』がありますから、必ず協力してくれるはずです」
「ええ、リリアの言う通りだ。あの三カ国で強固な連携網(包囲網)を敷けば、いかに巨大な裏組織であっても必ずボロを出す。……ザック」
「はっ」
ジュリアン様が声をかけると、影から諜報員のザックが姿を現した。
「捕らえたこの二人……ガウェイン侯爵とチェスター伯爵の身柄を、王宮の地下牢の最も厳重な区画へ移せ。目を覚まし次第、徹底的に尋問して組織の情報を吐かせるんだ。自殺や口封じには細心の注意を払え」
「承知いたしました。スラムの連中も使って、彼らの屋敷の裏帳簿も完全に洗い出しておきます」
ザックが、まだピクピクと痙攣している二人を引きずって部屋を出ていく。
「……ふぅ。これでひとまず、やれることはやったわね」
私はソファーに深く背中を預け、大きく伸びをした。
「ああ。敵の巨大すぎる全容の端っこが見えただけでも、今回のカジノ船への潜入は大きな収穫だった。……アイラ、君の度胸と機転にはいつも助けられるよ」
ジュリアン様が隣に座り、私の肩を優しく抱き寄せる。
「本当にお疲れ様でした、お姉様、ジュリアン様。それにミーアちゃんも」
リリアが労いの言葉をかけ、執務室にはようやく、張り詰めていた糸が解けるような穏やかな空気が流れ始めた。
「さて、と」
私はポンッと膝を叩いて立ち上がった。
「ジュリアン様、エドワード殿下。今後の難しい政治的な対策は、明日以降のあなたたちのお仕事です!」
「えっ?」
「今日はもうおしまい! カジノ船でクソ不味い(保護魔獣の)カルパッチョを出されたせいで、私の胃袋は最高に美味しいお魚を求めて暴動寸前なんです! ……今回は疲れたから、思いっきり食べるわよ!!」
私の力強い「食事宣言」に、部屋にいた全員の顔がパァッと明るく輝いた。
「賛成ですぅ! 私も、極度の緊張とスタンガンのフル稼働で、お腹がペコペコですぅ!」
「ふふっ、アイラの料理が食べられるなら、今日の疲れなど一瞬で吹き飛ぶよ」
「お姉様、私もお手伝いします!」
*
一時間後。王宮の大食堂。
広大なテーブルの上には、王宮の料理長が王都の市場から厳選して仕入れた、最高級の「近海モノの新鮮な魚介類」を使った暴力的なまでのごちそうが並べられていた。
「さあ! アイラとリリア、そしてミーアの魔導具が奇跡のコラボを果たした、『極上・海鮮尽くしの大宴会』の始まりよ!」
「うおおおおおっ!! 眩しい! 海の宝石箱やぁっ!」
報告に上がってきたリックたちスラムの仲間も合流し、テーブルに並んだ料理を見て歓声を上げる。
メインに鎮座しているのは、船を模した巨大な器に盛られた『特大舟盛り・極上海鮮丼』。
ミーアの魔導炊飯器で炊き上げたツヤツヤの酢飯の上に、脂の乗った大トロ、プリプリの車海老、濃厚なウニ、そしてルビーのように輝くイクラが、これでもかと山盛りに敷き詰められている。
さらに、私が最もこだわった一品。
「カジノ船の不味い料理へのリベンジ、『王都近海産・真鯛とホタテの特製カルパッチョ』よ!」
完璧な血抜きと温度管理によって旨味を極限まで引き出した薄切りの白身魚に、王室専用農園で採れた爽やかな柑橘の果汁、上質なエキストラバージンオリーブオイル、そして隠し味に特製醤油を数滴垂らした和洋折衷の逸品だ。
「いただきます!」
全員で声を揃え、一斉に箸を伸ばす。
ジュリアン様が、カルパッチョを口に運んだ瞬間、目を大きく見開いた。
「……美味い!! なんだこの魚の弾力と、口いっぱいに広がる上品な甘みは! 柑橘の酸味とオリーブオイルの香りが、魚の旨味を見事に引き立てている……! これを食べたら、もう他のカルパッチョは食べられないよ!」
「んん〜っ! 海鮮丼も最高ですぅ! 酢飯のサッパリとした味わいと、濃厚な大トロの脂が合わさって、いくらでも胃袋に吸い込まれていきますぅ!」
ミーアが、顔にご飯粒をつけながら特大のスプーンで海鮮丼をかき込んでいる。
「エドワード様、こちらのアラ汁もどうぞ。魚の出汁がしっかりと出ていて、疲れた体に染み渡りますよ」
「ありがとう、リリア。ああ……五臓六腑に染み渡る美味しさだ。これなら徹夜で他国への親書を書き上げられそうだよ」
エドワード殿下とリリアは、相変わらずの甘々空間を展開しながら食事を楽しんでいた。
「おうおう! スラムじゃ魚なんて骨しか食えなかったのに、こんな美味いもん腹いっぱい食えるなんて、生きてて良かったぜ!!」
リックたちも、涙を流しながら海鮮丼にがっついている。
「ふふっ。美味しいご飯は、どんな魔法よりも人を元気にする最高の力だからね」
私は、みんなの笑顔を見渡しながら、大トロのお刺身を口に運んだ。
舌の上でとろける極上の脂と、酢飯のハーモニー。
カジノ船での苛立ちも、疲労も、この一口で全てが浄化されていく。
「……アイラ。今日は本当に危険な任務に付き合わせてしまって、すまなかったね」
ジュリアン様が、隣でそっと私の手を取った。
「ふふ。いいえ、楽しかったですよ。それに、どんな危険な目に遭っても、帰る場所にはこうして美味しいご飯と、大切な人たちがいるんですから」
「ああ。……これだけ美味いものを食べて英気を養ったんだ。どんな強大な組織だろうと、必ず我々が叩き潰してみせるさ」
「ええ、もちろん。パン粉に包んで揚げるか、お刺身にして物理的にスライスしてあげますわ」
私たちは、グラスに注がれた果実水で、小さく乾杯を交わした。
巨大な国際犯罪組織との長きにわたる戦いは、まだ始まったばかり。
神聖ルシエラ教国、クラエス王国を巻き込んだ大陸規模の頭脳戦と魔法戦が、すぐそこまで迫っている。
だが、どんな困難が待ち受けていようとも、私たち『規格外の探偵チーム』は、美味しいご飯の力で全てを乗り越えていける。
(……あっ、そういえば。シュシュエル様に約束した『極上スイーツ』、まだ作ってなかったわ! 明日の朝は、とびきり甘い濃厚魔力プリンを作らなきゃ!)
私は迫り来る強敵のことなど一旦頭の片隅に追いやり、明日の朝ごはんのメニューに思いを馳せながら、プリプリの車海老を頬張るのだった。
決着つかずの巨大組織のお披露目です。
事件簿の最大の相手となります。
この巨大組織をどう料理していこうか…




