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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
第二部

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学園編8

本日二度目の投稿になります。

今回はアイラの欲望の赴くままの魔道具開発回です。

大天使ラジエルによる時間遡行という神話レベルの荒業を経て、クラエス王都の滅亡を未然に防いでから数日。


私たち『最強の6人組』と教皇セレスのお忍び留学生活は、表向きはすっかり平和な日常を取り戻していた。 悪魔の脅威が去った今、私の最大の関心事は、言うまでもなく「毎日の食事」に向けられている。


クラエス王国王立魔法学園の広大な敷地内。 私はベンチに座り、マリー姉ちゃんが用意してくれた極上の紅茶を飲みながら、深く、深いため息をついていた。


「……足りないわ」


「お姉様? どうかされましたか?」 隣で優雅にクッキーをかじっていたリリアが、不思議そうに小首を傾げる。


「最近の私の食生活には、決定的に欠けているものがあるのよ。……精密な『機械の力』がね」


私は空を見上げ、前世の記憶に焼き付いている「あれら」の姿を思い浮かべた。 ボタン一つで完璧な水分量と熱加減を調整し、米をふっくらと炊き上げる『炊飯器』。 人間の腕力では到底不可能なスピードで卵白を泡立て、究極のふわふわメレンゲを生み出す『ハンドミキサー』。 庫内の温度を一寸の狂いもなく保ち、ケーキのスポンジを理想のきめ細かさに焼き上げる『オーブンレンジ』。


王宮や学園の料理長たちは確かに超一流だ。私が口出しをして、素材の味を活かした調理法を伝授すれば、神がかった料理を出してくれる。 でも、どれだけ一流の料理人でも、限界がある。手作業の撹拌速度や、薪と炭の火加減では、どうしても前世の「調理家電」が生み出す究極のテクスチャーには届かないのだ。


「私、どうしても食べたいの。雲みたいにふわふわのスフレパンケーキとか、ボタン一つで炊き上がる最高のお米とかが……! 料理人の腕だけじゃなくて、文明の利器の力が必要なのよ!」


言い切った直後、私はハッと気がついた。 (あれ? そういえば私、転生してからこのかた、一度も『お米』を探したことがないわね……!?)


前世の主食だったのに、肉やスイーツに夢中になるあまり、すっかりその存在を忘れていた自分のポンコツ胃袋に愕然とする。 もしこの世界にお米があるのなら、絶対に探し出して、ふっくらツヤツヤの銀シャリを頬張りたい。


(……でも、お米探しは広大な世界を巡る長期戦になりそうだし、今後の最重要課題として一旦保留ね。今は目の前の欲望、スイーツのレベルを引き上げる『調理魔導具』の開発が先よ!)


私が一人で目まぐるしく思考を巡らせて自己完結していると、リリアは不思議そうに目を瞬かせた。


「お姉様の仰る『文明の利器』や『お米』というのはよく分かりませんが……要するに、手作業では難しい調理を自動で、正確に行ってくれる『魔導具』があればいいということですか?」


「……それよ!!」 私はガタッと立ち上がった。


「魔力で動く魔導具なら、私の前世の『調理家電』の代用品が作れるかもしれない! モーターの代わりに風や回転の魔法陣を組み込んで、火の魔法陣で温度を一定に保つ……いけるわ!」


とはいえ、私は黒魔法と白魔法の使い手であって、緻密な術式を器物に定着させる魔導具制作の専門家ではない。 ノアなら理論は組めるだろうが、ここは隣国のクラエス王国なので自国の令嬢たちから狙われることはないものの、彼は天才魔道士リュカから授かった五千年前の対悪魔用古代魔法の解読・習得で忙しい。それに彼は魔法理論の天才であって、魔道具の職人ではないのだ。


「誰か、魔導具の制作に熱中していて、私の無茶振りに付き合ってくれる真面目な技師の卵はいないかしら……」


そう呟いた瞬間、私の脳裏に一人の少女の姿が浮かんだ。


薄紅色の髪を持った、愛らしくも真面目な努力家である、クラエス王国の平民特待生・ミーアだ。 時間逆行後の今の歴史では、私がクリームパンを落として彼女とぶつかる事件は起きなかったため、今の私と彼女は「直接の接点がない」状態だ。


しかし先日、悪魔に憑依されて暴走していたエドガー王太子たちから直接の謝罪を受けた後、彼女が彼らを許し、「立派な魔導具技師になるためにこれからも勉強を頑張る」と前向きな決意を固めていたのを、私は木陰から密かに見守っていた。


「いるじゃない。この学園に、うってつけの人材が」 私はニシシと悪党のような笑みを浮かべた。


「お姉様、もしかして……平民特待生のミーアさんのところへ行くのですか?」 リリアもすぐに察したらしい。


「ええ。今の彼女にとって、私はただの『他国から来た次期王太子妃』っていう雲の上の存在だろうけど。……私の胃袋のためなら、遠慮なんてしてられないわ」


私は足取りも軽く、学園の図書室へと向かった。



クラエス王国王立魔法学園の大図書室。 その静かな片隅の席で、山のように積まれた魔導工学の専門書と格闘している薄紅色の髪の少女がいた。


「……ここの術式回路を、風の魔石で経由させれば……」


ブツブツと呟きながら、羽ペンを走らせるミーア。 エドガーたちからの悪質な付きまといから解放され、魔道具技師になるための勉強に励む彼女の横顔は、真剣で、どこか生き生きとしていた。


私は足音を殺して彼女の背後に回り込み、その肩をポンと叩いた。


「こんにちは。あなたがミーアさんね?」


「ひゃっ!?」


不意に声をかけられたミーアは、小動物のように肩を跳ねらせて振り返った。 そして、私と、後ろに控えるリリアの顔を見るなり、みるみるうちに顔面を蒼白にさせた。


「あ、ア、アイラ・アルジェント様!? そ、それにリリア様も!? な、なぜ、大国ヴァリエール王国の次期王太子妃殿下が、私のような平民の特待生に……っ!」


ガタッと椅子から立ち上がり、今にも土下座しそうな勢いで慌てふためくミーア。


「まあまあ、落ち着いて。そんなに怯えなくても取って食ったりしないわよ」 私は彼女を宥めるように両手を振った。 「実は、あなたにちょっと頼みたいことがあって探しに来たの」


「わ、私に……頼み事、ですか?」 ミーアは信じられないというように、瞳を瞬かせた。


「ええ。あなた、立派な魔導具技師を目指して猛勉強してるんでしょう?」 私が尋ねると、ミーアはビクッとしながらも、しっかりと頷いた。


「は、はい……。家族への仕送りのためにも、絶対に立派な技師になりたくて……」


「素晴らしい心がけね。なら、その腕を見込んで、私の『野望』に協力してほしいの」 私はニヤリと笑い、ミーアの前のテーブルに手をついて、顔を近づけた。


「野望……ですか? い、いったいどのような魔導具を……」


「『調理魔導具』よ」 「……ちょうり?」


ミーアがぽかんと口を開ける。


「そう。例えば、食材をボウルに入れて魔力を流すだけで、一定の速度で高速回転して究極のメレンゲを作ってくれる『魔導ミキサー』。それに、火魔法の術式を制御して、庫内の温度を一寸の狂いもなく保ち続ける『魔導オーブン』……」


私は前世の記憶にある「調理家電」の魅力を、身振り手振りを交えて熱く語り始めた。


「これが完成すれば、手作業じゃ絶対に不可能な、雲みたいにふわふわの極上スイーツが作れるの! どう!? 魔導具の歴史を変える画期的な発明だと思わない!?」


「え、ええっと……」 熱量が高すぎる私のプレゼンに、ミーアは完全に目を白黒させている。 他国の次期王太子妃がいきなり現れたと思ったら、「美味しいお菓子を作る機械を開発してくれ」と迫ってきたのだ。無理もない。


「もちろん、タダ働きなんてさせないわ。開発に必要な魔石や素材の資金は、アルジェント公爵家の財力で全額スポンサーになってあげる。それに、完成した魔導具で作った極上スイーツの試食会には、あなたも特等席で招待するわ!」


「えっ……! し、資金援助まで……!?」


魔導具の試作には莫大なお金がかかる。平民特待生の彼女にとって、スポンサーの申し出は喉から手が出るほどありがたいはずだ。


私はトドメとばかりに、彼女の目を見つめた。


「あなたの魔導具技師としての才能と、私の料理に対する執念のコラボレーション。……きっと、素晴らしいものが生まれるわ。どう? 私の専属魔導具技師として、協力してくれない?」


ミーアは、私とリリアの顔を交互に見比べ、やがてその瞳に、不安を打ち消すような強い光を宿した。


「……私で、お役に立てるのなら。アイラ様の『調理魔導具』作り、ぜひ協力させてください!」


「言質とったわ! よし、さっそく設計図の打ち合わせよ!」


時間遡行によって接点を持たなかったはずの二人が、こうして「食への執念」という私のブレない欲望をハブにして、新たに強固な結びつきを持った瞬間だった。


私がミーアに「調理魔導具」の野望を打ち明けてから数日後。


学園の空き教室を借りた即席の工房で、私とミーアは固唾を呑んでテーブルの上の「試作機」を見つめていた。


「……いくわよ、ミーア。スイッチ、オン!」 「はいっ、アイラ様!」


カチッという音と共に、銀色のボウルに差し込まれた二つの泡立て器が、ウィィィィン!と小気味良い回転音を立てて回り始めた。 風の魔石の動力を回転エネルギーに変換する、記念すべき調理魔導具第一号――『魔導ハンドミキサー』だ。


ボウルの中に入れたたっぷりの生クリームと少量の砂糖が、人間の手では到底不可能なスピードと均一なリズムで攪拌されていく。 ものの数十秒で、液体だったクリームはふんわりと空気を含み、ピンと美しいツノが立つ極上のホイップクリームへと姿を変えた。


「おおおおっ!! 完璧な泡立ち! 回転のブレも全くないわ!」


「や、やりました! 風の魔石の出力を三段階に調整できるようにして、魔力が暴走しないよう制御回路に水魔法の滑らかさを応用してみたんです!」


私はすぐさまスプーンでクリームを掬い、一口舐めた。


「……ん〜っ! 最高! 舌の上でとろけるわ! ミーア、あんたは天才よ!」


「えへへ……アイラ様の設計アイデアが素晴らしいからです」


はにかむミーアを前に、私の頭の中ではすでに、この極上クリームを使ったデザートの数々がパレードを行っていた。 だが、私の食欲はこんなものでは満足しない。


「よし、ミーア! この攪拌技術が確立できたなら、次は『あれ』ね!」 「あれ……ですか?」


「『魔導アイスメーカー』よ!」


私は鼻息を荒くして、ミーアの肩をガシッと掴んだ。


「このクリームに卵と牛乳を合わせて、氷の魔石を使ってボウル全体を急速に冷やしながら、同時に中身をゆっくりと攪拌し続けるの! これができれば、口の中で雪のようにとろける、究極のひんやりデザート『アイスクリーム』が完成するわ!」


「冷やしながら……混ぜる?」 ミーアの瞳が、驚きに見開かれた。 「氷の魔石と風の魔石の同時制御……。相反する術式が干渉し合うので、回路の構築は非常に難しいです。でも……」


ぶつぶつと呟きながら、ミーアの目に魔道具技師としての探求の炎がメラメラと宿り始める。


「熱を奪いながら全体を均一に混ぜ続ければ、確かに液体の結晶化を防いで滑らかな状態を保てます……! アイラ様、それ、魔導具の歴史を変えるくらい画期的な発想です!」


私の食欲への執念が、彼女の知的好奇心を完全に刺激したらしい。


「よし、善は急げよ! 設計図の理論組み、よろしくね!」


「はいっ! すぐに図書館で文献を調べてきます!」


あふれんばかりの料理愛(という名の食欲)に忠実な私の無茶振りに感化され、ミーアはすぐさまノートを抱えて駆け出していった。



クラエス王国王立魔法学園の大図書室。


平民特待生であるミーアは、抱えきれないほどの分厚い専門書を胸に抱き、ふらふらと通路を歩いていた。


(氷の魔石による絶対零度の術式と、風の魔石の回転ギミック……。二つの魔法陣をひとつの基盤に定着させるには、絶縁材となる特殊なミスリル合金の比率を再計算しないと……)


アイラの突飛な発想を形にするための理論構築に没頭するあまり、ミーアの視界は完全に塞がっていた。


「あ、っと……」 グラッ、とバランスを崩し、山積みの本が崩れ落ちそうになった、その瞬間。


「おっと。危ねえな」


横から太く逞しい腕がスッと伸びてきて、崩れかけた本をひょいと軽々と支えてくれた。 見上げると、そこには大きな剣を背負った、ツンツンに逆立った茶髪の男子生徒が立っていた。他国からの特命留学生の一人、クロード・ベルンハルトだ。


「あ、ご、ごめんなさい……! ありがとうございます」


「図書室でそんな前が見えねえほど大荷物抱えてウロウロすんなよ。ほら、半分貸してみろ」


クロードはミーアの抱えていた本の山を半分以上自分の腕に移し、ニカッと気さくに笑った。


「お前、確か特待生のミーアだったよな? 俺は留学生のクロードだ。……こんな難しい本ばっかり読んで、お前もアイラ師匠の無茶振りに付き合わされて大変だな」


「アイラ……師匠? あ、アイラ様のことですか?」


「おう。あいつ、飯のことになると周りが見えなくなるからな。俺もよくしごかれてるぜ」


クロードが肩をすくめて苦笑するのを見て、ミーアはふっと表情を和らげた。


「いえ、大変だなんてことないです。アイラ様の発想は、私が思いもよらないことばかりで……次はどんなことができるんだろうって、すごくワクワクするんです。私、実家に仕送りをするために、立派な魔道具技師になりたくて。だから、これくらい全然平気です」


一生懸命に語るミーアの真っ直ぐな瞳を見て、クロードは少し驚いたように目を丸くし、それから嬉しそうに歯を見せて笑った。


「そっか。お前、すげえ頑張り屋なんだな。俺も平民の特待生だから、お前が一人で頑張ってるのはなんとなく知ってたぜ」


「クロードさんも、平民の特待生なんですか?」 「おう。貴族ばっかりの学園だけど、お互い負けずに頑張らなきゃな。それに……」


クロードは、持っていた本をミーアの目的の机に置きながら、思い出し笑いをした。


「アイラ師匠の作る飯は、世界一美味いからな。……アイスクリーム? っていう冷たい菓子、完成したら俺にも一番に食わせてくれよな!」


「……はいっ! 絶対に、最高の魔導具を完成させてみせます!」


クロードの裏表のない明るい励ましに、ミーアの胸の奥がじんわりと温かくなった。 かつてエドガー王太子たちから受けていた、権力を笠に着た重苦しい付きまといとは全く違う、同じ平民同士の、対等で落ち着いた会話。


(アイラ様も、クロードさんも……本当に素敵な人たちだな)


「じゃあな、無理すんなよ!」


と手を振って去っていくクロードの大きな背中を見送りながら、ミーアは再びペンを握り直した。


彼女の魔道具技師としての設計図は、アイラの食欲と、温かい仲間たちの期待を乗せて、次々と新しい形を描き出していくのだった。


「魔導アイスメーカー」の開発は、まさに未知との闘いだった。


学園の空き教室を改造した私たちの即席工房では、連日連夜、ミーアの悔しそうな声と、小さな爆発音(魔力のショート)が響き渡っていた。


「……またダメです! 氷の魔力出力を上げると、冷却が強すぎて風の魔力で作った回転軸まで凍りついて止まってしまいます。逆に回転を強めると、今度は摩擦と魔力干渉の熱で冷却が追いつかず、ただの生温かいクリームのまま……!」


煤で顔を汚し、目の下に濃い隈を作ったミーアが、机に突っ伏して頭を抱えた。 彼女の目の前には、ただの氷の塊と化したクリームや、逆に分離してドロドロになった液体など、数々の失敗作が並んでいる。


「冷やしながら混ぜる」


料理の工程としては単純な言葉だが、それを魔道具の回路として落とし込むのは、相反する二つの属性(氷と風)を一つの基盤で同時に作動させるという、魔導工学の常識に挑むような難題だった。


絶縁材となるミスリル合金の比率を変え、回路の長さを調整し、幾度となく徹夜で設計図を引き直すミーア。 その努力と執念は、平民から特待生にまで這い上がった彼女の真骨頂だったが、どうしても最後の一壁が越えられずにいた。


「ミーア、ちょっと休憩しましょ。糖分が足りてないわよ」


私は、昨日完成したばかりの「魔導ハンドミキサー」で作った極上のシフォンケーキと温かい紅茶をテーブルに置いた。


「アイラ様……申し訳ありません。莫大な開発資金をいただいているのに、私の実力不足で……」


「バカ言わないで。魔導具の革命を起こそうってんだから、一筋縄でいかないのは当然よ。ほら、まずは食べて」


促されてケーキを口に運んだミーアは、そのふわふわの食感と優しい甘さに、ホッと緊張の糸を解いた。


「あのね、ミーア。料理のソース作りでも同じようなことがあるのよ」


私は自分のシフォンケーキを齧りながら、ふと思いついた料理のコツを口にした。


「水と油みたいに、本来混ざり合わない相反するものを無理やりくっつけようとすると、大抵分離して失敗するの。でもね、そこに『繋ぎ』となる素材……例えば卵黄なんかをクッションとして少しずつ馴染ませていくと、驚くほど滑らかに一つにまとまる(乳化する)のよ」


「……繋ぎ、ですか?」


ミーアが、紅茶のカップを持ったままピタリと動きを止めた。


「そう。氷と風が直接ぶつかって反発するなら、間にワンクッション挟んで、お互いの力を上手く逃がしつつ連動させる『滑らかな繋ぎ』があればいいんじゃないかなって」


私の料理理論からの(適当な)思いつきだったが、ミーアの魔導具技師としての脳内では、その言葉が劇的な化学反応を起こしていた。


「……滑らかな、繋ぎ。相反する魔力を中和し、循環させるクッション……」


ミーアのアメジストの瞳に、カッと強い光が宿る。


「……水だわ! 私の得意な『水魔法』の術式! 氷と風の魔法陣を直接繋ぐのではなく、間に水属性の魔力回路を緩衝材バイパスとして挟み込み、冷却液のように循環させれば、凍結も防げるし熱も逃がせる……!」


「えっ? あ、いけそう?」 「いけます! いえ、いかせてみせます! アイラ様、素晴らしいヒントをありがとうございます!」


ミーアはケーキを一口で飲み込むと、凄まじい勢いで新しい羊皮紙を広げ、羽ペンを走らせ始めた。 その目にはもう、失敗の疲労はない。確かな完成のビジョンを捉えた職人の狂気すら宿っていた。



それから三日後。


「アイラ様! できました……ついに、回路が完成しました!」


工房に呼び出された私は、リリアと共に駆けつけた。 さらに、「なんだなんだ、美味い飯ができたのか?」と匂いを嗅ぎつけたクロードと、「僕の計算通りなら、そろそろ試作機が完成する頃合いですね」とすまし顔のノア、さらには「私も筋肉の回復に冷たい甘味が欲しかったところだ!」とセリアまでがゾロゾロとついてきていた。


工房の机の中央に鎮座しているのは、銀色の美しいボウルと、それを包み込むように設置された冷却と攪拌の魔導ユニット。 記念すべき『魔導アイスメーカー・試作一号機』だ。


「……いくわよ。スイッチ、オン!」


ミーアが震える指で魔力起動のボタンを押す。


ウィィィィィン……!


静かな、しかし力強い回転音が響き始めた。 氷の魔石が放つ冷気が、水魔法の緩衝回路を通じてボウル全体を均一に、そして急速に冷やしていく。 同時に、風の魔石による回転翼が、凍りつくことも熱を持つこともなく、計算し尽くされた滑らかな一定のリズムで、ボウルの中の卵と牛乳、そして砂糖とクリームの混合液を攪拌し続ける。


「すごい……! 回転が全くブレていないし、ボウルの外側に霜がついてるのに、中の歯車は凍ってないわ!」


私が身を乗り出して見つめる中、液状だった中身は徐々に冷やされ、空気を含みながら、ゆっくりとふんわりとした半固形状のクリームへと姿を変えていった。


ものの数十分後。 タイマー代わりの魔力回路がカチリと音を立てて停止する。


ボウルの中に完成していたのは、氷の結晶が一切ない、シルクのように滑らかで純白の『極上アイスクリーム』だった。


「「「おおおおおっ……!!」」」


私たちの中から、感嘆のどよめきが漏れた。


「や、やりました……っ。アイラ様の仰る通りに、口の中でとろける究極の状態です……!」


ミーアが、涙ぐみながらボウルを掲げる。


「ミーア……あんた、本当に魔導具の歴史を変えちゃったわよ!」


私はスプーンをひったくるように手に取り、その純白のクリームを掬って口に含んだ。


「……ッ!!」


瞬間、舌の上で冷たい雪が溶けるように、濃厚なミルクとバニラの甘さが爆発した。手作業では絶対に不可能な、空気をたっぷり含んだ究極の口溶け。


「最高!! 美味しすぎるわ!!」


私が歓喜の声を上げると、待ちきれなくなった仲間たちも次々とスプーンを伸ばした。


「冷てえっ! なんだこれ、冷てえのに口ん中で一瞬で消えちまった! すげえ美味え!」


クロードが目を丸くして二口、三口と放り込む。


「お姉様、とっても甘くて冷たいです! 幸せな味がします!」


リリアが両手で頬を押さえて微笑む。


「……僕の事前の味覚計算を、遥かに上回る美味しさですね。冷却という工程が、これほど甘味を引き立てるとは」


ノアも眼鏡を光らせながら、信じられないというように舌鼓を打つ。


「素晴らしいタンパク質と糖分の冷製スイーツだ! これなら特訓の後でも無限に食べられるな!」


セリアも大絶賛だ。


みんなの笑顔と、「美味しい」という称賛の声。 それを受けて、徹夜続きでボロボロだったミーアの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「よかった……! 私の作った魔導具で、みんながこんなに笑顔になってくれて……本当に、諦めなくてよかったですぅ……!」


「ミーアさん、よく頑張りましたね! さあ、一緒に食べましょう!」


リリアが優しくミーアの涙を拭い、アイスクリームを差し出す。


極上のスイーツと、努力が報われた達成感。 平民の特待生として縮こまっていた少女が、仲間と共に大きな壁を乗り越え、魔導具技師としての確かな第一歩を踏み出した瞬間だった。


「ふふふ。ハンドミキサーにアイスメーカー……最高の滑り出しね!」


私は溶けかけのアイスを堪能しながら、さらなる野望に目をギラつかせた。


「よーしミーア! 休憩したら、次はいよいよ庫内の温度を絶対一定に保つ『魔導オーブン』の開発よ! スフレパンケーキが私を待ってるわ!」


「は、はいっ! 私、なんだって作ってみせます!」


食欲と探求心のタッグは止まらない。 私たちの「魔導具革命」は、甘く冷たい成功の味とともに、さらなる高みへと加速していくのだった。


「魔導アイスメーカー」の奇跡的な成功から数日。 私たちの即席工房には、さらなる熱気……いや、文字通りの熱がこもっていた。


「ミーア、調子はどう? 庫内の温度を完璧に一定に保つための火魔法の回路は組めそう?」


私がテーブルの上の設計図を覗き込むと、ミーアは少しだけ目の下に隈を作りながらも、力強く頷いた。


「はい、アイラ様。火の魔石の出力を風魔法の気流で循環させることで、庫内全体を均一な温度に保つ理論は完成しました。……ただ、問題がありまして」


「問題?」


「はい。その超高温に耐え、かつ熱を外に逃がさないためには、外装に分厚い耐熱鋼と高純度のミスリル板を何層も重ねる必要があります。……つまり、試作機はとんでもなく重く、巨大なものになってしまうんです」


ミーアの指差した先には、工房の隅に運び込まれた大量の金属板の山があった。 一つ一つが重厚で、とてもではないが十五歳の少女一人の腕力で組み上げられるような代物ではない。


「なるほど……。組み立てるための物理的な『腕力』が足りないってわけね」


「そうなんです。台車で運ぶだけでも一苦労で……。でも、私、立派な魔導オーブンを完成させるために頑張ります!」


ミーアは健気に拳を握りしめた。 その真面目な努力家っぷりに、私はフッと口角を上げた。


「ふふっ。何も全てを一人で背負い込む必要はないわよ。……こういう『物理的な壁』にぶち当たった時は、うってつけの適任者がいるじゃない」


私が意味ありげに笑った、その日の放課後のことである。



「ううっ……お、重い……っ!」


学園の資材庫から、ミーアは追加の耐熱鋼の板を台車に乗せ、ふらふらと工房へと向かっていた。 ただでさえ重い金属板に、段差を乗り越えるたびに台車がガタガタと揺れ、彼女の細い腕から悲鳴が上がりそうになる。


「あともう少し……アイラ様のために、絶対に最高のオーブンを……きゃっ!?」


段差に台車の車輪が引っかかり、積まれていた金属板がバランスを崩して崩れ落ちそうになった。 ミーアが咄嗟に目をつぶった、その瞬間。


「おっと。危ねえな」


ガシッ、と。 ミーアの目の前で、崩れかけた数十キロはあるはずの金属板の山を、逞しい腕が軽々と、しかも片手で受け止めた。


「え……?」


「お前、また一人で無茶してんのか。アイスの次は鉄の塊と格闘とは、アイラ師匠の無茶振りも大概だな」


見上げると、そこには大きな魔剣を背負い、腕まくりをしたクロードがニカッと気さくに笑っていた。


「ク、クロードさん!?」


「おう。アイラ師匠から『ミーアが力仕事で困ってるから、あんたの無駄な筋肉を貸してきなさい』って言われてな。ほら、その台車の荷物、全部俺が持ってやるよ」


クロードは言うが早いか、台車に乗っていた重厚な金属板をひょいひょいと持ち上げ、軽々と両脇に抱え込んだ。


「そ、そんな! 悪いですよ、クロードさんも放課後の特訓があるのに……!」


「気にすんなって! 俺の取り柄は剣と筋肉くらいだしな。それに……」


クロードは、ミーアと並んで歩きながら、ふっと優しい目を向けた。


「同じ平民の特待生がこんなに頑張ってんだ。応援したくなるのが人情ってやつだろ。それに、俺もアイラ師匠の作る飯には頭が上がらねえし、お前が作る新しい魔導具にはすげえ期待してるんだぜ」


「クロードさん……」


エドガーたちからの権力ハラスメントに苦しんでいた頃は、誰かに頼ることすら恐れていたミーアだったが、クロードの裏表のない真っ直ぐな言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「……ありがとうございます。クロードさんのおかげで、すごく助かります」


「おう! さ、工房まで運んで、パパッと組み上げちまおうぜ!」



「おおー! すごいじゃないクロード! さすがは我がチームの誇る力仕事担当ね!」


工房に戻ると、アイラがすでに準備万端といった様子で、エプロン姿で待ち構えていた。


「アイラ師匠! 荷物、全部運んできたぜ! 組み立ても俺が手伝うから、指示してくれ!」


「頼もしいわね! ミーア、設計図通りにクロードに指示を出して!」


「は、はいっ! クロードさん、まずはこの基盤の四隅に、その一番分厚い鉄板を立ててください!」


ここからは、三人の完璧な連携作業だった。 ミーアが魔導回路の理論と設計図を読み解き、クロードが持ち前の怪力で重いパーツを正確な位置へ組み上げていく。そしてアイラが、「もっと庫内の密閉性を高めて! 熱が逃げたらスポンジが膨らまないわ!」と食欲を原動力にした的確(?)なダメ出しを飛ばす。


「よし、ここのネジは俺が締める! ミーア、回路の接続はどうだ?」


「はい! 風と火の魔石、バイパスの定着、完璧です!」


平民同士のクロードとミーアの息の合った作業に、アイラがニシシと笑いながら見守る。 やがて、数時間の悪戦苦闘の末――。


「……完成しました! 『魔導オーブン・試作一号機』です!」


ミーアが歓喜の声を上げ、クロードが「っしゃあ!」と拳を突き上げた。 工房の中央に鎮座するのは、重厚な耐熱鋼で覆われた、一寸の狂いもない完璧なフォルムのオーブンだった。


「よくやったわ、二人とも! さあ、いよいよ実食……じゃなくて、実証実験よ!」


アイラはすでに、横で手際よくメレンゲと卵黄を合わせ、ふわふわのパンケーキの生地を準備していた。


「温度設定、160度! スイッチ、オン!」


ミーアが魔力起動のボタンを押すと、オーブン内部の火の魔石が静かに輝き始め、風の魔石が庫内へ均一に熱を循環させ始めた。 アイラが生地を流し込んだ型をオーブンに入れる。


「……どうだ? ちゃんと焼けてるか?」


「クロードさん、温度のブレは全くありません。完璧に一定を保っています……!」


数十分後。 チーン!という軽快な音とともに、アイラが耐熱グローブをつけてオーブンの扉を開けた。


「おおおおおっ……!!」


そこには、手作業の火加減では絶対に不可能な、均一なきつね色に焼き上がり、雲のように高く、高く膨らんだ『究極のスフレパンケーキ』が完成していた。


「や、やりました! 大成功です!」 「すげええ! なんだこれ、めっちゃいい匂いがするぜ!」


アイラはすぐさまパンケーキを切り分け、上にたっぷりのバターとシロップをかけた。


「さあ、二人とも! 私たちの血と汗と食欲の結晶、温かいうちに食べるわよ!」


「いただきます!」


三人は同時に、ふかふかのパンケーキを口に運んだ。


「……ッ!! 溶けた!? 噛んでないのに口の中で消えたぞ!?」


クロードが目を丸くして驚愕する。


「本当に……雲を食べているみたいにふわふわで……甘くて、幸せな味がします……っ」


ミーアが、感動のあまり両手で頬を押さえて微笑んだ。


「最高……! この究極の口溶け、まさに私が求めていた『文明の利器』の味よ!」


アイラも至福の吐息を漏らし、二口、三口とフォークを進める。


アイラの突飛な発想、ミーアの魔導具技師としての執念、そしてクロードの力強いサポート。 それぞれ違う境遇から集まった三人の力が合わさって生み出された魔導オーブンは、今後の彼らの食生活(と学園生活)を、さらに豊かで美味しいものへと変えていくのだった。


華やかなワルツの調べが流れる、クラエス王宮の大広間。 今夜は王族が主催する盛大な夜会が開かれており、特命留学中の私たちも、他国からの賓客として招待されていた。


私は会場の隅に設けられた特等席のソファーに座り、お皿に盛られた色とりどりの料理を次々と平らげていた。


「ん〜っ! クラエス王国の夜会料理もなかなかね! 特にこのフルーツタルト、甘酸っぱくて最高だわ」


「相変わらず、君の食べっぷりは見ていて飽きないな」


隣で優雅にワイングラスを傾けているのは、私の婚約者であり、ヴァリエール王国から特使としてやってきている第一王子、ジュリアン殿下だ。 完璧な美貌と王太子の威厳を放つ彼が隣にいるおかげで、面倒な貴族の令息たちも私に近づいてこないため、心置きなく美食に集中できている。


「だって美味しいんですもの。でも……美味しいものを食べていると、どうしてもあの子の顔が浮かんでくるのよね」


私はタルトを一口飲み込み、ふぅと息を吐いた。


「あの子とは、最近君が入り浸っているという、その平民特待生の魔導具技師のことか?」


ジュリアン殿下が、エメラルドの瞳を細めて尋ねてくる。


「ええ、ミーアのことよ。私の無茶振りに応えて、『魔導ハンドミキサー』に『魔導アイスメーカー』、さらには分厚い耐熱鋼を使った『魔導オーブン』まで次々と形にしてくれたの」


私は、最近のミーアの働きぶりを思い返した。クロードの力仕事のサポートがあったとはいえ、相反する氷と風の魔石を水魔法の回路で繋ぐなど、彼女の柔軟な発想と努力は本物だ。


「彼女、まだ学生で一人前の技師じゃないわ。でも、学園の厳しい授業や課題と両立させながら、徹夜続きで私の魔導具開発に付き合ってくれているの。苦労としては、間違いなく本職の職人以上よ。……だからね、タダ働きはさせないって約束したし、開発資金は私の(アルジェント公爵家の)財力で出してるんだけど、彼女個人への『報酬』をどうしようかと思って」


ただ作らせるばかりでは、スポンサーの名が泣くというものだ。 ミーアは実家に仕送りをするために立派な魔導具技師を目指しているという、真面目な努力家である。


「それで、王宮の伏魔殿を生き抜く腹黒……いえ、聡明な王太子殿下に、何か良い知恵がないか相談しようと思ったわけ」


私がニシシと笑ってすり寄ると、ジュリアン殿下は呆れたように肩をすくめながらも、面白そうに口角を上げた。


「腹黒とは失礼な。だが、君がそこまで高く評価する人材だ。平民とはいえ、無下に扱うべきではないな」


ジュリアン殿下はグラスをテーブルに置き、王太子としての冷徹で計算高い顔つきになった。


「ただ、金貨を山積みにして渡すような真似は避けた方がいい。彼女は平民の特待生なのだろう? 学生の身分で分不相応な大金を持たせれば、周囲の貴族生徒から嫉妬を買うか、最悪の場合、裏社会の泥棒に狙われる危険がある」


「……確かに。ただでさえ権力ハラスメントの被害に遭いやすい環境だったんだし、目立つのは危険ね」


私はジュリアン殿下の的確な指摘に深く頷いた。


「君の目的は、彼女に報いることと同時に、これからも君の『専属』として優秀な魔導具を作らせ続けることだろう?」


「ええ、もちろんよ! まだまだ作ってほしい調理家電……調理魔導具は山ほどあるんだから!」


「ならば、彼女の『目標』そのものを確約する形の報酬が良いのではないかな」 ジュリアン殿下は、私の手を取り、その手の甲に優しく指を滑らせた。


「彼女は魔導具技師として身を立て、家族を楽にさせたいと願っているのだろう? ならば、今回開発した『調理魔導具』の特許や販売権利を、君と彼女の共同名義で正式に登録してやるんだ。その上で、学園を卒業した暁には、ヴァリエール王国のアルジェント公爵家……いや、王家御用達の専属技師として、独立した工房と地位を保証してやるのはどうだ?」


「……っ!」 私は目を丸くした。


「それなら、学生の今は安全に勉学に集中できるし、将来への不安も完全に消え去る。彼女の実家への仕送りも、王家からの『先行投資(奨学金)』という名目で安全に送金してやることができる。……どうだ? これなら、スポンサーとしての君の顔も立つだろう」


「……最高じゃない!!」


私は思わず立ち上がりそうになり、ジュリアン殿下の手をギュッと握り返した。


単なる一時的なお金ではなく、彼女の人生の夢そのものをパトロンとして保証してあげる。これなら、ミーアも安心して学業と開発に打ち込めるし、私にとっても最高の調理魔導具が継続的に手に入るという、完璧なウィンウィンの関係だ。


「さすが殿下! こういう実利と権力を絡めた悪魔的な……じゃなくて、合理的な提案をさせたら右に出る者はいないわね!」


私が手放しで絶賛すると、ジュリアン殿下は楽しそうに笑い声を上げた。


「ははっ、君の役に立てたのなら光栄だよ。彼女が卒業するまでの契約書や身の安全の保護は、私が王太子の権限で手配しておこう。君は心置きなく、その魔導具で美味しいものを作ることだけを考えればいい」


「言質とったわよ! よーし、これで報酬の件は完璧にクリアね!」


私は心底ホッとして、残っていたローストビーフに意気揚々とフォークを突き立てた。


「ふふふ、ミーアにこの話をしたら、きっと泣いて喜ぶわね。よし、明日は早速、お米を炊くための『魔導炊飯器』の設計図を相談しに行かなくちゃ!」


「君のその食への探求心は、本当に底なしだな」


呆れながらも甘く見つめてくるジュリアン殿下を横目に、私の頭の中はすでに、次なる極上グルメを生み出すための調理魔導具開発でいっぱいになっていた。


「魔導オーブン」が見事に完成し、究極のスフレパンケーキを堪能した翌日の放課後。


私は、いつもの即席工房で次の魔導具の構想を練っているミーアの前に、数枚の羊皮紙の束をドンッと置いた。


「アイラ様? これは……?」


ミーアが不思議そうに羊皮紙を見つめる。


「昨日の夜会で、ジュリアン殿下に相談して作ってもらった『契約書』よ」


私がニシシと笑うと、ミーアはビクッと肩を跳ねらせた。


「け、契約書……!? わ、私、何か粗相を……っ!?」


「違う違う! あんたへの『報酬』の話よ」


私は羊皮紙の内容を指差しながら、ミーアに説明を始めた。


「今回開発した『魔導ハンドミキサー』『魔導アイスメーカー』、そして『魔導オーブン』。これらは画期的な発明よ。だから、この魔導具の特許や販売権利は、私とあなたの『共同名義』で正式に王宮に登録したわ」


「えっ……! 共同名義……!?」


「それだけじゃないわよ。あなたが学園を卒業した暁には、ヴァリエール王国のアルジェント公爵家……いえ、王家御用達の『専属魔導具技師』として、独立した工房と地位を保証するわ。もちろん、学生の今のうちから、実家への仕送りは王家からの『奨学金』という名目で安全にサポートしてあげる」


私がジュリアン殿下と取り決めた完璧な報酬プランを読み上げると、ミーアはぽかんと口を開けたまま、完全にフリーズしてしまった。


「……ミーア?」


「あ、アイラ様……これ、本当ですか……? 私なんかが、王家御用達の技師に……家族への仕送りも……」


ミーアのアメジストの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。


「当然でしょ。あんたは私の胃袋……じゃなくて、食の革命を支えてくれる最高のパートナーなんだから。これで安心して勉学と開発に打ち込めるでしょ?」


「アイラ様ぁぁ……っ!」


ミーアは感極まって、私の胸に飛び込んできた。 「私、一生アイラ様についていきます! アイラ様のためなら、どんな魔導具でも作ってみせます!!」


「言質とったわよ! よーし、これで気兼ねなく次の野望に進めるわね!」


私はミーアの背中をポンポンと叩きながら、ニヤリと笑った。


ミーアが涙を拭い、気合を入れ直したところで、私は本題を切り出した。


「さて、調理魔導具という『文明の利器』が揃ってきたところで、私にはどうしても探さなきゃいけない食材があるの」


「食材、ですか? アイラ様のことですから、きっとまた凄いお肉か甘いお菓子……」


「違うの。私が求めているのは……白くて、小さくて、丸っこい『穀物』よ。お水をたっぷり張った泥の畑で育って、炊き上げるとふっくらツヤツヤになって、どんなおかずにも合う最強の主食……前世の言葉で『おライス』って言うんだけど」


「お米……?」


ミーアは首を傾げた。クラエス王国の平民である彼女も、聞いたことがないらしい。 パンや芋が主食のこの世界で、私は転生してこのかた一度もお米を見たことがなかった。


「ヴァリエール王国に帰る前に、このクラエス王国、あるいは近隣の国にお米が存在するかどうかだけでも絶対に突き止めたいのよ! さあ、図書室に行くわよ!」



クラエス王国王立魔法学園の大図書室。


私とミーアが、大陸の広域地図と気候・植生分布の分厚い資料を広げて格闘していると、そこへ「また何か厄介事を企んでいるんですか」と、分厚い魔導書を抱えたノアが呆れた顔でやってきた。


「ちょうどいいわノア! あんたのその明晰な頭脳と計算能力を貸しなさい!」


私はノアの襟首を掴んで、地図の前に座らせた。


「私が探している『お米』の栽培条件はね、とにかく温暖な気候と、大量の『水』が必要なの。クラエス王国やヴァリエール王国の気候じゃ、ちょっと乾燥しすぎてて大規模な栽培は難しいはずなのよ。この大陸で、条件に合う場所を計算して!」


「はぁ……また食欲のための情報処理ですか。ですが、気候と地勢のクロスリファレンスなら僕の得意分野です」


ノアはズレた眼鏡を中指でクイッと押し上げ、地図と気候データを瞬時に脳内で照らし合わせていく。


「温暖湿潤な気候帯で、かつ水源が豊富……大きな河川や水郷地帯を持つ地域……」 ノアの視線が地図上を滑り、やがて大陸の南東部に位置する一つの国を指差した。


「計算上、最も適合率が高いのはここです。クラエス王国の南東に国境を接する『エルフィア王国』」


「……それよ!! 絶対それよ! エルフィア王国に『お米』があるのよ!」


私が興奮のあまり図書室で叫びそうになり、ミーアに「シーッ!」と止められた直後。 私は地図をバンバンと叩きながら高らかに宣言した。


「王都の市場でエルフィア王国の商人を捕まえて、お米の『種籾たねもみ』ごと買い叩いて、アルジェント公爵家の領地で稲作を始めるわ!!」


私の完璧な野望に、しかしノアが冷静に冷や水を浴びせた。


「……アイラ嬢。僕の計算をもうお忘れですか? 先ほど『ヴァリエール王国の気候じゃ乾燥しすぎてて栽培は難しい』と結論を出したばかりですが。アルジェント公爵領で無理に水田を作っても、気候と土壌が合わずに全滅する確率が99.9%です」


「…………あ」 私はピタリと硬直した。


言われてみればその通りだ。大量の水と温暖な気候が必要な植物を、乾燥した大国ヴァリエールで育てようとしても無理がある。前世の知識でも、米作りには気候と風土が何より重要だったはずだ。


「そ、そうだったわね……! 危ない、危ない、危うく公爵家の資金をドブに捨てるところだったわ」


私が冷や汗を拭うと、ミーアもホッとしたように胸を撫で下ろした。


「で、でもアイラ様。自分の領地で作れないとなると、お米を毎日食べるのは難しいのでは……?」


「いいえ、諦めないわ!」


私はすぐさま思考を切り替え、再び地図のエルフィア王国をビシッと指差した。


「自分の国で作れないなら、作れる国から『買えば』いいのよ! エルフィア王国は弱小の農業国家なんでしょ? なら、彼らは大国であるヴァリエール王国との太い貿易パイプを喉から手が出るほど欲しがっているはずだわ!」


「なるほど。国家間の正式な『輸入契約』を結ぶというわけですか」 ノアが眼鏡をクイッと押し上げる。


「ええ! 私、これでもヴァリエール王国の『次期王太子妃』よ。ジュリアン殿下に話をつけて、国と国との正式な貿易協定を結ばせるわ。エルフィア王国には我が国が農業支援と資金援助を行い、代わりに最高品質の『お米』を独占的に買い上げるの!」


「しかしアイラ嬢。エルフィア王国からヴァリエール王国まではかなりの距離があります。長旅で穀物の鮮度が落ちるだけでなく、輸送コストも馬鹿になりませんよ」


ノアの的確な指摘に対し、私は隣の薄紅色の髪の少女に視線を向けた。


「そこで! 私たちの天才魔導具技師、ミーアの出番よ!」 「えっ!? わ、私ですか!?」


「そう! 食材の鮮度を保つための『魔導冷蔵コンテナ』や、湿度を完璧に管理する『魔導保存庫』を搭載した輸送馬車を開発するの! そうすれば、エルフィアからヴァリエールまで、お米の鮮度を一切落とさずに運べるわ!」


ミーアは目を丸くした後、魔導具技師としての探求心に火がついたように真剣な顔で頷いた。


「なるほど……! 先日作ったアイスメーカーの応用ですね。氷と風の魔石で温度を保ち、私の水魔法の理論で湿度を一定に保つ術式を馬車の荷台に組み込めば……理論上は可能です!」


「完璧よ! その魔導コンテナを積んだ馬車が安全かつ迅速に走れるように、国境までの街道やインフラも徹底的に整備させるわ! 次期王太子妃としての権力、ここで使わずしていつ使うのよ!」


私の壮大すぎる計画(という名の食欲のためのインフラ整備)を聞き、ノアは呆れ果てて頭を抱えた。


「……一人の令嬢の胃袋を満たすために、国家間の貿易協定が結ばれ、物流インフラが整備され、新型魔導具まで開発されるとは。僕の計算式がまたしても崩壊しそうです」


「ふふん。ヴァリエール王国に帰ったら、次期王太子妃としてやるべき仕事が山積みになったわね! ジュリアン殿下にも手伝わせなきゃ!」


私は胸を張り、ニシシと笑った。


「でも、その前に……まずはこのクラエス王都で、エルフィア王国の商人を捕まえて『試食』をしないとね! 本当に私のお眼鏡にかなうお米かどうか、確かめに行かなくちゃ!」


「ええ、行きましょうアイラ様! 試食用のお米を炊く『魔導炊飯器』の構想も、早く試してみたいです!」


「やれやれ……。僕も荷物持ちとして同行しますよ。僕の頭脳を雑用で酷使するなんて、あなたくらいなものですがね」


こうして、調理魔導具の開発から始まった私の「食の革命」は、ついには国家間の貿易とインフラ整備という、王族レベルの特大プロジェクトへと発展していくのだった。


「よし、それじゃあ放課後になったし、王都の市場へお米探索ツアーに出発よ!」


私が学園の入り口で意気揚々と宣言すると、待ち合わせをしていたミーアとノアだけでなく、なぜかそこには見慣れた面々がズラリと勢揃いしていた。


「お姉様、私ももちろんお供しますわ! 市場での護衛と、お目当ての食材のダウジングはお任せください!」


妹のリリアがやる気満々で杖を握りしめている。


「おう! 市場に行けば美味いもんの試食がいっぱいあるって聞いたぜ! 荷物持ちなら任せとけ!」


魔剣を背負ったクロードがニカッと笑い、その後ろには


「クロードさんが行くなら、私も……!」


と恥じらいながらもついてきた絶世の美少女・ミア(水魔法使い)の姿がある。


「私も行きます! 良質なタンパク質を探さねばなりませんからね!」


教国の聖女セリアも拳を鳴らして合流し、これで『最強の留学生6人組』が勢揃いしてしまった。


さらに。


「ふはははっ! ご当地グルメの匂いがしたぞ! 私も市場の視察に同行しよう!」


どこから聞きつけたのか、お忍びで留学に同行している教皇セレス(見た目は16歳の美少女)までが、目を輝かせて駆けつけてきた。


「ちょっと、みんなどうしたのよ。ただのお米探しなのに、なんでこんな大所帯になってるの?」


私が呆れていると、極めつけとばかりに、豪奢な装飾が施された馬車が目の前に横付けされた。


「他国の王都の市場などという、スリや泥棒が蔓延る場所に私の愛しき婚約者を向かわせるわけにはいかないからな。特使としての公務の合間を縫って、私が直々に護衛とエスコートを務めよう」


馬車の扉が開き、完璧な微笑みを浮かべた王太子ジュリアン殿下が颯爽と降り立った。


「……殿下まで。完全にただの視察デート気分じゃないですか」


「当然だろう? 君の胃袋を満たす冒険に同行するのは、未来の夫の務めだからな」


殿下が私の手を取って優雅に微笑むと、周囲の令嬢たちが遠巻きに黄色い悲鳴を上げた。


「……僕の計算では、目立たずにエルフィア王国の商人と接触するはずだったのですが。これだけ各国の要人と目立つ人間が揃えば、隠密行動など不可能です。完全に大名行列ですよ」


ノアが胃を押さえて分厚い眼鏡を押し上げる。


「まあいいじゃない! 人数が多い方が荷物もたくさん持てるし! さあ、王都の大市場へ出発よ!」


私の号令で、総勢9名という異例の大所帯による市場視察ツアーが幕を開けた。



クラエス王都の中央に位置する大市場は、各国の商人や市民でごった返していた。 私とジュリアン殿下が先頭を歩き、その後ろを賑やかな面々がついてくる。


「殿下、足元気をつけてくださいね。この辺り、昨日の雨で水たまりができててぬかるんでますから」


私が注意を促すと、ジュリアン殿下は忌々しげに泥はねを避けた。


「ああ。王都の中心部とはいえ、市場の周辺は馬車の行き来も激しく、すぐに道が傷んでしまう。……君が言っていた、エルフィア王国からお米を輸入する物流インフラを作るという計画だが、まずはこの『劣悪な道路状況』をどうにかせねば、輸送中に食材が傷んでしまうな」


「そうですね。だから、ヴァリエール王国に帰ったら、まずは『絶対に水たまりができず、馬車が揺れない最強の道』を国中に敷き詰めるんです!」


私は、前世の現代知識をフル稼働させて、ジュリアン殿下にインフラ整備の提案をぶち上げた。


「土を固めただけの道じゃダメです。まず地面を掘り下げて、一番下に大きな砕石を敷き、その上に中くらいの石、さらにその上に細かい砂利を重ねてローラーのような魔導具でカチカチに押し固めるんです」


「ほう? 石の層を作るのか」


「ええ! そうすれば、雨が降っても水は石の隙間を通って地下に抜けるので、表面に水たまりができません。さらに、その表面を火魔法と土魔法を応用してドロドロに溶かした特殊な鉱物(アスファルトの代用品)でコーティングして平らに焼き固めるんです!」


私の提案に、ジュリアン殿下の緑の瞳が鋭く光った。


「……なるほど。それならば天候に左右されず、馬車の車輪が泥に足をとられることもない。輸送の速度は劇的に上がり、荷の損傷も防げるというわけか」


「その通りです! さらに、ミーアの作ってくれる『魔導冷蔵コンテナ』をより効率よく運ぶために、移動手段も馬ではなく『魔石を動力源とした専用の大型輸送車トラック』を開発します!」


私は後ろを歩いていたミーアを振り返った。


「ミーア! コンテナに車輪をつけるだけじゃなくて、車輪と車体の間に風魔法の反発力を利用した『クッション(サスペンション)』の回路を組み込めるかしら!?」


「えっ!? か、風魔法で衝撃を吸収するんですか? ……ああっ、なるほど! 常に下向きに弱い風を放出し続ければ、路面の凹凸の揺れを相殺して、中の荷物を一切傷つけずに運べます……! アイラ様、それ凄いです! 帰ったらすぐに設計図を描いてみます!」


ミーアが魔導具技師としての探求心に火をつけ、ブツブツと計算を始めた。 ノアも隣で「……僕の魔力理論を応用すれば、魔石の出力を長期間安定させる動力炉の構築が可能です。物流コストが現在の十分の一以下に圧縮できますね」と眼鏡を光らせている。


「どうですか、殿下! 水はけの完璧な舗装道路と、揺れない魔導輸送車! これを国中に張り巡らせれば、ヴァリエール王国の物流は世界一になりますよ!」


私がドヤ顔で言い放つと、ジュリアン殿下は心底感嘆したように息を吐き、悪魔のように艶やかな笑みを浮かべた。


「……素晴らしい。お米という一つの食材への執念から、国家の根幹を成す物流とインフラの歴史を丸ごと塗り替えてしまうとは。君のその悪魔的な頭脳は、まさに私の妃にふさわしい」


「美味しいご飯のためなら、国の形くらい変えてみせますよ」


私がニシシと笑っていると、不意に、後方を歩いていたリリアが「あっ!」と声を上げた。


「お姉様! 私のダウジングが反応しました! あの奥の穀物エリアに、お姉様がイメージしていた『白い穀物』の気配がします!」


「本当!? でかしたわリリア!」


私たちは急いで市場の奥、様々な香辛料や穀物が積まれたエリアへと向かった。 そこには、少し小柄で、日に焼けた肌に質素な服を着た商人たちが、見慣れない麻袋を並べて店を出していた。


「す、すみません! これ、なんですか!?」


私が一番大きな麻袋に駆け寄り、中を覗き込む。 そこにあったのは――白くて、小さくて、丸っこくて、ほんのりと甘い穀物の香りがする、間違いなく前世の主食であった『お米』だった。


「おや、お嬢ちゃんたち、お目が高いね。これはエルフィア王国特産の『水精麦すいせいばく』っていう穀物だよ。泥に水を張った特殊な畑でしか育たなくて、炊くとふっくらして甘みが出るんだが……こっちの国の連中には、パンの方が人気でなかなか売れなくてねぇ」


商人が困ったように苦笑する。


(水精麦……! 間違いない、絶対にお米だわ!!) 私は歓喜のあまり、その場で天に向かってガッツポーズをした。


「おじさん!! ここにあるお米……じゃなくて、水精麦、全部買うわ!!」


「ええっ!? ぜ、全部かい!?」


「ええ! クロード、ノア、荷物持ちお願いね! ジュリアン殿下、お財布は任せました!」


「ははっ、いいだろう。いくらでも出しなさい」


「おう! 任せとけ!」


商人が目ん玉を飛び出させるほどの金貨をジュリアン殿下がポンと支払い、クロードとノア(とセリア)が次々と重い麻袋を肩に担いでいく。


「よしっ! お米ゲットよ! 早速学園の厨房を借りて、試食のための『炊飯』と、お米に合う最高のおかずを作るわよ!」


私が両手を挙げて宣言すると、メンバーたちから一斉に歓声が上がった。


インフラ革命の構想から始まり、念願のお米の確保まで。 私のブレない食欲と探求心は、周囲の天才たちや王族を巻き込みながら、またしても新たな「美味しい伝説」を打ち立てようとしていた。


市場での大興奮の「水精麦(お米)」調達から翌日のこと。


王都に滞在している私たちが拠点としているホテルのサロンでは、静かで優雅な時間が流れていた。 アイラはといえば、早朝から平民特待生のミーアを捕まえ、買ってきた水精麦を完璧に炊き上げるための『魔導炊飯器』の開発と試作に、即席の工房で文字通り付きっきりになっていた。


そのため、サロンに残されていたのは、妹のリリアと、前半の特使として公務の傍ら私たちの護衛(という名のエスコート)をしてくれているジュリアン殿下の二人だけだった。


「ジュリアン殿下。少し、お伺いしてもよろしいでしょうか」


書類に目を通していたジュリアン殿下に、リリアが少し言いにくそうに、しかし真剣な眼差しで切り出した。


「どうかしたかな、リリア嬢。アイラなら、ミーア嬢と工房で『お米』とやらの炊飯実験に熱中していて、当分戻ってきそうにないが」


「ええ、お姉様のことですから、きっと最高のご飯を炊き上げて戻ってくると思います。……私が殿下にお伺いしたかったのは、そのミーアさんのことなのです」


リリアは、背筋をスッと伸ばして問いかけた。


「お姉様は、ミーアさんの魔導具技師としての腕を見込み、将来アルジェント公爵家……いえ、王家御用達の専属技師としてヴァリエール王国へ迎える約束をなさいました。殿下がその契約書までご用意くださったと聞いております」


「ああ。アイラの胃袋を満たすための先行投資としては、安いものだ」 「ですが……ミーアさんは、クラエス王国の平民です」


リリアの青玉の瞳に、深い懸念が宿る。



「一国の平民が他国の王家と専属契約を結び、国を跨いで移住するとなれば、彼女が属する領地の法や、クラエス国の法に触れるのではありませんか? もし何の手続きもなく勝手に引き抜いたとなれば、国家間の摩擦を生む火種になりかねないのではと……。お姉様は調理魔導具のことに夢中で、その辺りの法的な手続きについてすっかり抜けていらっしゃるようでしたので」


ジュリアン殿下は、リリアの言葉に少し驚いたように目を見開いた。 そして、フッと柔らかく、どこか感心したような笑みを浮かべた。


「……なるほど。アイラは目的(食欲)のためなら手段を問わず最短距離を突走るが、君はその後ろで生じる実務的な足跡をしっかりと見据えているというわけだ」


ジュリアン殿下は手元の書類を置き、リリアに惜しみない賛辞を送った。


「君の懸念はもっともだ。平民は領主や国家の重要な財産であり、他国が無断で引き抜けば、間違いなく外交問題に発展する」


「では、やはり……」


「安心していい。その辺りの『地固め』は、私がすでにクラエス王室と交渉を済ませている」


ジュリアン殿下は、腹黒くも頼もしい緑の瞳を細めた。


「先日、我々がこの王都の地下で悪魔どもを一掃したことは記憶に新しいだろう? その際、クラエス国王には『我が国が極秘裏に王都の危機を救った』


という莫大な貸しを作ってある。それに加え、表向きは『両国間の魔法技術の発展を目的とした技術交流』という名目で、ミーア嬢の移住と契約を合法的に認めるよう手配済みだ。彼女の実家にも、クラエス王国を通じて正当な補償金が支払われる仕組みになっている」


「まあ……! すでにそこまで手配されていたのですね。さすがはジュリアン殿下です」


リリアがホッと胸をなでおろすと、ジュリアン殿下は優雅に紅茶を口に運んだ。


「アイラの悪魔的な発想力と突破力は、時に国家の枠組みすら超えてしまう。だが、それゆえに法的なしがらみや細やかな摩擦を見落とすきらいがある。……そこを的確にフォローし、心配できる君の視野の広さは、上に立つ者として非常に得難い資質だよ」


「私なんて、まだまだです。ただ、お姉様が後で面倒なことに巻き込まれないか心配なだけで……」


「いや、君は素晴らしい令嬢だ。……私の弟は、本当に見る目がある」


ジュリアン殿下の言葉に、リリアの頬がポッと赤く染まる。


「真面目で不器用なエドワードには、君のように細やかな気配りができ、広い視野で物事を考えられるパートナーが絶対に必要だ。君ならば、彼を立派に支えられると確信したよ」


ジュリアン殿下は窓の外、ヴァリエール王国の方向を見つめながら、少し楽しげに口角を上げた。


「私はもうすぐ、前半の特使としての公務を終え、エドワードと交代して帰国することになる。……彼がこちらへ到着して交代する際には、君という素晴らしい婚約者と共に、今のうちから『国家間の摩擦や法的な問題』などについて色々と学んでおくよう伝えておこう。君たち二人なら、きっと良い学び合いができるだろうからな」


「殿下……。はいっ! 私、エドワード殿下と共に、たくさん学んで成長してみせますわ!」


リリアが花が咲いたような笑顔で、力強く頷いた。


「……お待たせー!!」


その時、サロンの扉がバンッと勢いよく開き、顔に少し煤をつけた私が、輝くような笑顔で湯気を立てるおひつ(のような銀色の魔導具)を抱えて飛び込んできた。 その後ろには、同じく煤だらけのミーアと、荷物持ちとして駆り出されたクロードが続いている。


「見てよジュリアン殿下、リリア! ミーアと徹夜で理論を組み上げて作った『魔導炊飯器』で、エルフィア王国の水精麦……いえ、『お米』が完璧に炊き上がったわ! ほら、ツヤツヤよ!」


私がバッと蓋を開けると、ふっくらと炊き上がった真っ白な銀シャリから、甘く芳醇な香りがサロンいっぱいに広がった。前世の記憶が歓喜の涙を流しているのが分かる。


「すごいですね、お姉様! まるで真珠のように輝いています!」


「ふふっ、これでおにぎりを作って、さっそく塩で……」


「やれやれ。国家摩擦の心配などどこ吹く風で、今度は異国の穀物か。君のそのブレない食欲には、いっそ清々しさすら覚えるよ」


ジュリアン殿下は呆れながらも、婚約者である私の満面の笑みに毒気を抜かれたように優しく微笑んだ。


私の食への執念(と若干の抜け)を、有能な妹と頼もしい王族たちが完璧にカバーしてくれる。 こうして、私のお米ライフは誰にも咎められることなく、合法的に、そして最高に美味しい形で幕を開けるのだった。



お楽しみいただけましたでしょうか?

そろそろエドワード回に変更の時期ですね。

次はリリア回になりそうです。

恋愛要素というかあまあま空間多めに行く感じになるかと。

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