学園編7
禅話からの続きになります。
悪魔にまんまと利用されてしまったアイラでしたが、反撃開始です。
「……で。消えた元王太子たちの行方と、悪魔の痕跡はどうなってるの?」
クラエス王立魔法学園の特別サロン。
ジュリアン殿下から「元王太子たちの消失事件」の特命依頼を引き受けた翌日、私たち『最強の6人組』と教皇セレスは、重苦しい空気の中で円卓を囲んでいた。
「僕の計算と、各実家から放たれている密偵たちの情報網をフル稼働させましたが……完全に『ゼロ』です」
ノアが、徹夜明けの青白い顔で分厚い眼鏡を押し上げた。
「エドガー元王太子とその取り巻きたちの魔力反応も、彼らを連れ去ったと思われる高度な空間魔術の痕跡も、王都からは一切検出されません。……まるで、文字通りこの世界から蒸発してしまったかのように」
「空間魔術の痕跡すら残さないなんて、人間の魔道士じゃ絶対に不可能だぜ。……やっぱり、アイラ師匠の言う通り『悪魔』の仕業か」
クロードが腕を組み、背中の魔剣を忌々しげに睨みつける。
隣国での平和な(?)食べ歩きと学園生活を満喫していたのも束の間、事態は完全に国家の存亡を揺るがす神話レベルの危機へと突入していた。
「……ええ。しかも、事態は私たちが考えている以上に、最悪の方向に転がっているみたいよ」
私が冷たく言い放つと、リリアやセリアたちがハッと顔を上げた。
「最悪って……どういうことですの、お姉様?」
「シュシュエルよ」
私が短く呼ぶと、背後に控えていた専属侍女のエマが、静かに一歩前に出た。
彼女が目を閉じ、深く息を吸い込むと――その瞳は神々しい金色に染まり、背中には美しい白い羽の幻影が顕現した。
「相変わらず、人間どもは面倒な爆弾をこしらえてくれるな」
天使シュシュエルの登場に、室内の空気がピンと張り詰める。
例外として、少女の姿の教皇セレスだけが「おおおっ! 今日も神々しいのう!」と目を輝かせていたが、シュシュエルはそれを華麗にスルーして、重々しい口調で語り始めた。
「アイラ。以前、お前たちがこの王都で誘拐事件を防いだ時、我は言ったな。『天界から調査団を呼ぶ』と」
「ええ。応援の天使たちが来るまで、無理な戦闘は控えて情報収集にとどめろって言われたわ」
「そうだ。……そして昨夜、我が要請した『天使の軍勢による調査団』が、密かにこの王都へ到着した。彼らが王都全域の『魂の汚染度』を測定した結果……我々は、絶望的な事実を突きつけられた」
シュシュエルの金色の瞳が、スッと細められた。
「手遅れだ。このクラエス王都は、すでに『詰んで』いる」
「「「……え?」」」
全員の息が止まった。
「詰んでるって……どういうことだよ!」
クロードが身を乗り出して叫ぶ。
「言葉の通りだ。……お前たちの活躍(物理と社会的抹殺)により、エドガー王太子は廃嫡された。だが、それは同時に、彼を支持していた多くの高位貴族たちに『巨大な絶望と混乱』をもたらしたのだ」
シュシュエルは淡々と、しかし恐ろしい真実を告げた。
「悪魔は、その絶望の隙を見逃さなかった。エドガー本人だけでなく、権力闘争に敗れて絶望した数十人もの貴族たちの魂が……すでに悪魔の手に落ち、憑依されている」
「す、数十人……!?」
ミアが顔面を蒼白にして口元を覆った。
あの日、路地裏で見た黒い霧(悪魔)。あれが数十体も、王都の中枢にいる貴族たちに取り憑いているというのだ。
「彼らは水面下で結託し、膨大な負の感情を集め……王都の地下で『地獄の門』を開くための大規模な儀式を、すでに最終段階まで進めている。連れ去られたエドガーたちも、その生贄の核として使われるのだろう」
「僕の計算では……数十人の悪魔憑きの貴族を一斉に制圧し、儀式を止める確率は……0.0001%以下。不可能です」
ノアが胃を押さえて机に突っ伏した。
「……つまり、私たちが気づいた時には、もう王都が吹っ飛ぶ(地獄の門が開く)一歩手前だったってわけね」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
美味しいクリームパンの恨みから始まり、カテリーナたちを助けるために打った手が、結果的に貴族たちの絶望を加速させ、悪魔に塩を送る形になってしまったのだ。
「クソッ……! なら、どうすりゃいいんだよ! 天使の軍勢が来たなら、そいつらで一気に悪魔を叩き潰せねえのか!?」
クロードの問いに、シュシュエルは首を振った。
「相手が完全に顕現していれば可能だが、奴らは人間の肉体と魂に隠れている。我ら天使が物理的に地上を焦土にすれば、憑依されている人間もろともクラエス王都が消滅する。……それは、お前たちが望む解決策ではないだろう?」
「当たり前ですわ! カテリーナ様やミーアさんたちを見捨てるなんて、絶対に嫌です!」
リリアが涙目で叫ぶ。
重苦しい沈黙が、サロンを支配した。
その時だった。
「――その通り。我々も、無用な犠牲を出してこの美しい地上を穢すことは本意ではない」
不意に、サロンの空間がぐにゃりと歪んだ。
圧倒的な光。先ほどのシュシュエルとは比べ物にならない、目を開けていられないほどの眩い神聖魔力が、空間を切り裂いて顕現した。
「なっ……!?」
セリアが咄嗟に防御の構えをとり、クロードが魔剣を抜く。
光の中から現れたのは、純白の鎧を纏い、背に六枚の巨大な光の翼を持った、中性的な美貌の存在だった。
「我は天界より遣わされし調査団の隊長、大天使ラジエル。……よくぞここまで耐え抜いたな、若き魔女よ」
「だ、大天使……!」
ノアが白目を剥きかけ、教皇セレスは「おぉぉぉっ!! 最高位の天使じゃあああ!!」と感動のあまりその場に平伏しそうになっていた。
シュシュエル(エマ)が、静かに跪いて首を垂れる。
「ラジエル様。人間たちに状況の説明を終えたところです」
「うむ。ご苦労だった、シュシュエル」
大天使ラジエルは、静かな、しかし有無を言わせぬ威厳に満ちた瞳で私たちを見下ろした。
「人間たちよ。状況はシュシュエルの言う通り、すでに盤面は悪魔どもに制圧され、このクラエス王都が滅びるのは時間の問題だ」
「……アンタら天使も、諦めるってこと?」
私が睨みつけると、ラジエルはふっと微かに微笑んだ。
「いや。天界の総意として、これ以上の悪魔の横暴は看過できん。……よって、我々天使の軍勢は、この事態を根本から解決するための『特例措置(荒業)』を実行する」
「特例措置?」
「――『時間の巻き戻し』だ」
「「「…………は?」」」
私たちの声が見事にハモった。
時間を、巻き戻す?
「我が軍勢の全魔力を結集し、この王都周辺の時空間そのものを、決定的な破滅の要因が生まれる前……すなわち『お前たちがこの王都に到着した日』まで逆行させる」
ラジエルの言葉は、あまりにも常軌を逸していた。
魔法の次元を超えている。まさに、神の奇跡そのものだ。
「ちょ、ちょっと待って! 時間を戻すなんて、そんな無茶苦茶なことが……」
「不可能ではない。そういう能力を持った大天使が居るのだ」
ラジエルは厳しい顔つきになった。
「時間を巻き戻しても、すべての人間は『記憶』を失い、再び同じ歴史を繰り返すだけだ。歴史を変えるためには、巻き戻る前の記憶を保持したまま過去へ飛び、悪魔の陰謀を先回りして物理的に叩き潰す『特異点』が必要となる」
「つまり……強くてニューゲームしろってことね」
前世の知識で即座に理解した私が頷くと、ラジエルは満足そうに頷いた。
「しかし、私が人間の魂を記憶を保持したまま時間逆行を行えるのは、二人が限界だ」
「二人……」
私たちは顔を見合わせた。
この最強の六人組(+教皇)の中から、たった2人だけで過去に戻り、数十人の悪魔憑きの貴族と、エドガーの暴走と、巨大な陰謀をすべて未然に防がなければならない。
「誰が行く? 当然、一人は……」
クロードが言いかけた時、私はドンッと机を叩いて立ち上がった。
「私が行くわ」
私はラジエルを真っ直ぐに見据えた。
「カロリーを魔力に変換できる私の体質と、魔女としての魂なら、時間逆行の負荷にも耐えられるはずよ。……それに、私のクリームパンを粉砕した連中の陰謀を、このまま黙って見過ごすなんて私の胃袋が許さないわ」
「……相変わらず、動機が食欲なのか正義感なのか分からん御仁じゃな」
セレスが呆れたように笑う。
「もう一人は、私が行きますわ!」
私の隣で、リリアがスッと立ち上がった。
その手には、白魔法の光が淡く宿っている。
「私の『物体の記憶(過去視)』と白魔法の探知能力なら、隠れている悪魔憑きを見つけ出すことができます。それに……お姉様を一人で危険な時間遡行に行かせるなんて、妹として絶対にできません!」
「リリア……」
「良いだろう。強靭な魔女の魂と、白き魂。この2名ならば、確実に記憶を保持したまま過去へ飛べる」
ラジエルが深く頷いた。
「……クロード、ノア、セリア、ミア。そしてセレス」
私は仲間たちを振り返った。
「あんたたちは記憶を失うことになる。戻った過去で、私たちが急に突拍子もない行動に出るかもしれないけど……」
「馬鹿言ってんじゃねえぞ、師匠」
クロードがニカッと笑い、私の拳に自分の拳を軽くぶつけた。
「俺たちが師匠のやることに文句言ったことがあるか? 記憶が無くたって、あんたが『殴れ』って言えば、俺は一秒で相手をぶっ飛ばすぜ」
「ええ。アイラ様とリリア様の決断です。私は何も疑わずに、その筋肉(物理)に従うのみです」
セリアも力強く頷く。
「僕の頭脳は、アイラ嬢という天災を完全に例外処理していますからね。過去に戻ろうが何だろうが、計算が狂うことはありません」
ノアがズレた眼鏡を押し上げ、ミアも「アイラ様、リリア様……どうかご無事で!」と涙ぐみながら応援してくれた。
「ふはは! 私の記憶が消えるのは少し惜しいが、まあよい! 神の奇跡と探偵令嬢の活躍、過去の私も存分に楽しませてもらうぞ!」
セレスが高らかに笑う。
最強の仲間たちからの、絶対の信頼。
「……ありがとう。任せてちょうだい。私が全員の分までカロリーを摂取して、悪魔どもを跡形もなくミンチにしてやるわ!」
「お姉様、食べすぎは体に毒ですわよ?」
私とリリアが決意を固めたのを見て、大天使ラジエルは背中の六枚の翼を大きく広げた。
「時は満ちた。これより、天界の全魔力をもって『時間逆行の儀』を執り行う! 魔女よ、白き魂よ。過去に戻り、悪魔の根源を断ち切れ!」
ラジエルの両手から、太陽そのもののような目を開けていられないほどの光が溢れ出した。
サロンの景色が白く染まり、重力が消失する。
「――アイラ師匠、リリア嬢! 頼んだぜ!」
「絶対、絶対助けてみせますわ!」
「カロリー全開で、タイムアタックカチコミの始まりよぉぉぉっ!」
光の奔流が私たちを包み込み、すべての意識が、白く、白く塗り潰されていった。
*
「あーっ、美味しかった! やっぱり他国の王都だけあって、食べ歩きのレベルが違うわね!」
「はい、お姉様! ガラス細工の小物もたくさん買えましたし、大満足ですわ!」
「むふふ、あの新食感のスイーツとやら、教国にも持ち帰りたいものじゃな!」
「あ、アイラ様、私もお供します!」
「うむ、万が一の襲撃に備え、私が物理的な盾となろう」
……やかましい声と、両手いっぱいの紙袋の重み。
そして、口の中に残る、甘酸っぱい果実のクレープの味。
私がハッと目を開けると、そこはクラエス王都に到着した初日。
私たちが貸し切っているホテルの、最高級スイートルームの扉の前だった。
「……戻って、きた」
私は自分の手を見つめ、隣に立つリリアと視線を合わせた。
リリアもハッと息を呑み、そして力強く頷いた。
周囲には、まだ「何も知らない」セリア、ミア、そしてセレスが、観光気分の抜けない笑顔で立っている。
「ただいまー! ノア、クロード! すっごく美味しい串焼き買ってきたわよー!」
私は、あの日と全く同じセリフを口にしながら、応接室の扉を開けた。
そこには、王都の地図を広げて深刻な顔をしているノアとクロードの姿があった。
あの日――路地裏で誘拐事件を防ぎ、犯人から黒い霧(悪魔)が逃げ去ったのを目撃して帰ってきた、直後の彼らだ。
「…………」
ノアとクロードが、こちらを見て口を閉ざす。
ここから、一周目ではノアの報告を聞いて誘拐事件の捜査に移ったわけだが……今の私は、未来の知識を持つ『二周目』の魔女だ。
「みんな、聞いて。実は――」
私がすぐに未来の情報を共有し、先手必勝でエドガー王太子たちを物理的に制圧しようと口を開きかけた、その時だった。
「――待て、アイラ」
不意に、隣にいたエマの瞳が金色に染まり、天使シュシュエルが顕現した。
さらに、応接室の空間がぐにゃりと歪み、眩い光と共に大天使ラジエルが姿を現したのだ。
時間逆行の余波に乗って、彼らの意識だけがこの過去に同期してきたらしい。
「アイラ、リリア。お前たち二人にだけ話がある。他の者たちは少し席を外してくれ」
ラジエルの厳かな声に、私は事情を察した。
「……ごめんみんな。ちょっと天使たちと極秘の作戦会議をするから、別室で待機してて。あ、買ってきた串焼きは食べてていいわよ」
「おおっ! ならば私がその串焼きとやらを味見してやろう!」
セレスがノリノリで紙袋を受け取り、狐につままれたような顔のノアたちを連れて隣の部屋へと移動していった。
静まり返った応接室。
残されたのは、記憶を保持している私とリリア。
そしてシュシュエルとラジエルの四人だけだ。
「ラジエル、どうしたの? すぐに動いて、あのバカな王太子たちをボコボコにすれば……」
「それが『根本的な間違い』だと言っているのだ、魔女よ」
ラジエルが、ひどく真剣な表情で私を窘めた。
「そもそも、お前は疑問に思わなかったのか? なぜ、クラエス王国の次期国王たる王太子や、国を背負う高位貴族の子息たちが、あそこまで異常な行動をとっていたのかを」
「え?」
「いくら愚かとはいえ、王族としての誇りや責任を完全に放り出し、公衆の面前で平民に執着し、有能な婚約者たちを蔑ろにする。……それは、人間の『愚かさ』の範疇を逸脱している。普段のお前なら、その不自然さに気づき、真っ先に『悪魔の精神操作(憑依)』を疑ったはずだ」
ラジエルの指摘に、私はハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
(……確かに) 一周目の私は、目の前で繰り広げられた光景を「前世の乙女ゲームの逆ハーレム展開と悪役令嬢のテンプレだ」と決めつけ、深く考えようとしなかった。
でも、ここは現実だ。ゲームの強制力なんてものはない。
ならば、あんな不自然な行動の裏には、必ず『合理的な理由』があるはずなのだ。
「私としたことが……テンプレ展開に気を取られて、一番重要な可能性を見落としていたわ……っ」
「無理もない。……なぜなら、この王都にはすでに高位の悪魔が潜み、王都全域に巧妙な『認識阻害』の術式を展開していたのだからな」
ラジエルが手をかざすと、私の視界に薄っすらと、黒い靄のようなものが王都全体を覆っているのが見えた。
「この術式のせいで、人間は彼らの異常な行動を『ただの愚行』として処理し、その背後にある悪魔の気配から無意識に目を逸らされていたのだ。我も、時間逆行の術を使った際、お前たちの魂に絡みついていたこの異物にようやく気づいた」
「認識阻害……。では、エドガー殿下たちは……」
リリアが震える声で尋ねると、ラジエルは静かに頷き、放った天使の力で私とリリアにまとわり付いていたその黒い靄(認識阻害)をパリンッと破壊した。
その瞬間。私の頭の中から霧が晴れ、すべてのピースが完璧な論理で繋がった。
「……そういうことだったのね。エドガー王太子とポンコツ令息たち、そして没落した貴族たちには、とっくの昔に『悪魔が憑依』していたのよ」
私の推理に、リリアもハッと目を見開いた。
「ミーアさんに異常に執着して嫌がらせをしたのも、カテリーナ様たちを怒らせて冤罪を被せようとしたのも……すべては、国の中枢を混乱させ、権力闘争と『絶望』を生み出すための、意図的な工作活動だったんだわ」
「その通りだ。奴らは国を二分する対立を煽り、最終的に王太子が廃嫡されるという『最大の絶望(生贄の核)』を完成させるために、自ら愚者を演じていたのだ」
シュシュエルが忌々しげに補足する。
私はゾッと背筋が寒くなった。
もし一周目と同じように中庭に突入し、エドガーたちを物理でボコボコにして拘束したとしても、それは彼ら(悪魔)が望む「王太子の失脚」を早めるだけで、根本的な解決にはならない。 悪魔は気絶した宿主から抜け出し、また別の貴族に憑依して水面下で儀式を進めるだけだ。
「物理的なカチコミじゃ、悪魔の連鎖は止められない。王都に潜む『すべての悪魔憑き』を正確に特定し、同時に浄化して無力化しなければ、何度時間を戻してもクラエス王都は滅びるってわけね」
「そうだ。だが、人間の魔力に隠れた悪魔を見つけ出すのは至難の業だ。白魔法の探知ですら、微弱な反応では断定しきれん」
ラジエルが顔を曇らせた、その時だった。
「――ふははは! ならば、私の出番ではないか!」
バンッ!と勢いよく扉が開き、隣の部屋で待機していたはずのセレス(教皇)が、串焼きを片手に乱入してきた。
「セレス! アンタ、盗み聞きしてたの!?」
「まあよいではないか! 話は聞かせてもらったぞ。記憶は無いが、私がお主らの切り札になるということじゃろう?」
セレスはふんすっ、と胸を張り、神聖なオーラを纏って自信満々に宣言した。
「私には教皇としての絶大な神聖魔力がある! 私の魔力で『特製の聖水』を創り出せばよいのだ。その聖水を少しでも摂取した悪魔憑きは、魔力が反発して必ず逃げ出すはずじゃ!」
「……なるほど!」
私はポンッと手を打った。
「学食や夜会で、容疑者であるエドガー王太子や高位貴族たちの料理や飲み物に、その聖水をこっそり混ぜる。そして、反応が出た奴らを一人残らずリストアップして、一網打尽にする……完璧な作戦ね!」
「……ええ。力任せの制圧ではなく、確固たる証拠を集めて犯人(悪魔)を炙り出す。これこそまさに『探偵』の仕事ですわね、お姉様!」
リリアの瞳が、探偵助手としての好奇心と使命感でキラキラと輝き始めた。
「そういうことよ。大天使様、認識阻害を解いてくれてありがとう。おかげで目が覚めたわ」
私はニシシと悪党のような笑みを浮かべ、スカートの裾を翻した。
「ここからは、事実と証拠だけを積み上げる論理の時間よ」
記憶を保持した二人の令嬢と、天使たちによる極秘の作戦会議は、ここに明確な方針を打ち立てた。
「さあ、探偵令嬢団の真骨頂! クラエス王都『悪魔憑き炙り出し(聖水混入)』大作戦の始まりよ!!」
かくして、物理による脳筋タイムアタックから一転、私たちは教皇の聖水を武器にした、地道でスリリングな「捜査と推理」の戦いへと足を踏み入れるのだった。
「……というわけで、これが私の絶大な神聖魔力によって創り出された『悪魔炙り出し特製聖水』じゃ!」
少女の姿をした教皇セレスが、ドヤ顔で無色透明の液体が入った小さな小瓶をテーブルの上にズラリと並べた。
クラエス王立魔法学園の広大で豪華な学生食堂の片隅で、私たち『最強の6人組』は、本日の大作戦の最終確認を行っていた。
「無味無臭だから、料理や飲み物に混ぜても絶対にバレない優れものよ。これを悪魔憑きが口にすれば、神聖魔力との強烈な反発で、中身の悪魔だけが耐えきれずに外へ飛び出してくるってわけね」
私はテーブルの上の小瓶を一つ手に取り、陽の光にかざしてその透明度を確認した。
「お姉様、ノア様の計算通りだとすると、この学園内だけでも相当な数の悪魔憑きが潜んでいることになりますわ」
リリアが周囲を警戒するように視線を巡らせながら、声を潜めて言った。
「ええ。僕の計算と、各実家から放たれている密偵たちの情報網を照らし合わせた結果、エドガー殿下たち以外にも、行動パターンに異常が見られる生徒が……なんと四十二名もいます」
ノアがズレた眼鏡を中指で押し上げながら、恐ろしい数字を口にした。
「四十二人もいるの!? いくらなんでも多すぎじゃない!?」
「昨日の今日でこれだけの数が潜伏しているとは、悪魔どももこの学園を監視の拠点として相当な戦力を割いているようだな」
ウェイターの制服という絶妙に似合わない格好に身を包んだ大天使ラジエルが、渋い顔で腕を組んだ。
「今回の悪魔は非常に慎重だ。正体がバレた、あるいは聖水で炙り出されたと悟った瞬間、すぐさま憑依体を捨てて黒い霧となって空へ逃げようとするだろう」
「だから、逃げられる前に確実に『器』に閉じ込めて回収する必要があるのよね」
私はラジエルの隣で、同じくメイド服姿のシュシュエルが持っている謎の壺を指差した。
「うむ。これが天界特製の『悪魔封じの壺』だ。黒い霧が出た瞬間にこの壺の口を向ければ、吸い込んで完全に封印できる」
シュシュエルがポンと壺を叩いて説明してくれた。
「よし、役割分担の最終確認よ! クロードとセリアは素早さを活かして、ターゲットの料理に一瞬の隙を突いて聖水を数滴混入させる実行役ね!」
「おう!かなり繊細な作業だが、任せておけ!」
「筋肉の制御力を見せる時だな。一滴たりとも無駄にはせん!」
「ミアは風魔法を使って、遠くのターゲットの飲み物に聖水の飛沫をピンポイントで飛ばす狙撃役よ!」
「は、はいっ! 魔法の精密コントロール、頑張ります!」
「ノアは全体を俯瞰してターゲットの動線を計算、次に誰の料理に聖水を入れるか指示を出す司令塔よ!」
「……了解しました。僕の頭脳は、すでに食堂内の全生徒の食事ペースを完全に把握しています」
「リリアは白魔法の探知で、確実に悪魔が飛び出したかどうかの確認と、憑依が解けて倒れた生徒の介抱ね!」
「はい、お姉様! 白魔法の準備は万端ですわ!」
「そして天使組の二人は、悪魔が飛び出した瞬間にウェイターのフリをして急行し、壺に回収する掃除係よ!」
「我ら天使を掃除係と呼ぶのはお前くらいなものだが……まあ良い、この地上の穢れは我々が速やかに払拭しよう」
ラジエルが溜息をつきながらも、銀のトレイの上に悪魔封じの壺を乗せてスタンバイした。
「で、アイラ師匠は何をするんだ?」
クロードの純粋な疑問に、私はニシシと笑ってフォークとナイフを構えた。
「私は、この特大のチーズインハンバーグカレーを堪能しながら、全体の進捗状況をチェックする最高責任者よ!」
「結局食べてるだけじゃないですか!」
ノアの鋭いツッコミを華麗にスルーして、私は高らかに宣言した。
「さあ、探偵令嬢団による『悪魔憑き炙り出し&回収タイムアタック』の始まりよ! 第一目標、あの頭のお花畑なエドガー王太子とポンコツ令息たちのテーブル! 行きなさい!」
私の号令とともに、最強の6人組が学園の食堂という名の戦場へと散開した。
「……ターゲットA、エドガー殿下。今、スープの皿から目を離しました」
「おう! そぉい!」
ノアの的確な指示を受け、クロードが目にも止まらぬ速さでエドガーの背後を通り抜けながら、手元の小瓶から聖水を一滴、スープの中に正確に落とした。
「あー、やっぱり学食のスープは最高だね。ミーアにもこの味を教えてあげたいな」
エドガーは何の疑いもなく、聖水入りのスープをスプーンで口に運んだ。
「……む? なんだか、急に胃の辺りが……熱く……っ!」
エドガーの顔色が突如として青ざめ、彼は喉をかきむしるようにしてテーブルに突っ伏した。
「で、殿下!? どうされましたか!」
「ぐあぁぁぁっ……!」
次の瞬間、エドガーの口からドス黒い霧がブワッと吹き出した。
「バレたか……! ええい、この肉体は捨てて逃げるぞ!」
悪魔がそう叫んで空へ逃げようとした、そのコンマ一秒後。
「お客様、お皿をお下げいたします」
どこからともなく滑るように現れたウェイター姿の大天使ラジエルが、にこやかな笑顔のまま、銀のトレイに乗せた壺の口を黒い霧に向けた。
「なっ、天使!? なぜこんな所に……ぎゃああああああっ!!」
シュポンッ!という小気味良い音とともに、黒い霧は一切の抵抗も許されず、壺の中へと完全に吸い込まれていった。
「はい、一丁上がりだ。……次行くぞ」
ラジエルが壺の蓋を閉め、何事もなかったかのように優雅なお辞儀をしてその場を立ち去る。
「え、エドガー殿下! しっかりしてください!」
取り巻きの令息たちが、白目を剥いて気絶しているエドガーを揺さぶっている。
「ターゲットBからE、取り巻きの令息四名。現在、エドガー殿下の介抱に気を取られ、自身のグラスから完全に注意が逸れています」
ノアの声が、通信用の魔導具から静かに響いた。
「ミア、今よ!」
「はいっ! 風の精霊よ、私の魔力を運びなさい……『微風の運び手』!」
離れた席からミアが杖を振ると、空中に浮かんだ四滴の聖水が、風に乗って正確に取り巻きたちのグラスの中へとポチャリと落ちた。
「まったく、殿下はどうして急に……ん? 喉が渇いたな」
令息の一人がグラスの水を一気に飲み干す。
「……っ!? ごはぁっ!?」
彼もまたエドガーと同じように白目を剥いて倒れ、その口から黒い霧が飛び出した。
「ひぃっ!? ま、またか! 逃げろ!」
「お客様、空いたグラスをお下げいたします」
今度はメイド服姿のシュシュエルが、恐ろしいほどの無表情でスッと背後に立ち、壺の口を向けた。
「ぎゃあああああっ!!」
シュポンッ! シュポンッ! シュポンッ! シュポンッ!
連続して飛び出した四体の悪魔の霧が、あっという間に壺の中へと吸い込まれていく。
「……ふぅ。これで5体目。まだまだ先は長いぞ」
シュシュエルが前髪を払いながら、次のテーブルへと向かっていく。
「いいわよ、みんな! その調子で次々炙り出して、片っ端から回収していくわよ!」
私はハンバーグカレーを美味しく咀嚼しながら、通信機越しにノアたちへ檄を飛ばした。
「お姉様、先ほど倒れたエドガー殿下たちですが、脈拍も正常ですし、悪魔が抜けたことによる一時的な魔力欠乏のようですわ。後で保健室に運んでおけば問題ありません」
リリアが白魔法の光でエドガーたちの状態を確認し、安心したように報告してくる。
「オッケー! じゃあ放置でいいわ! ノア、次のターゲットは!?」
「食堂の北側、窓際の席に固まっている貴族生徒のグループです。あそこには監視役の悪魔が七体潜んでいます」
ノアの計算と分析により、食堂内の悪魔憑きが次々と丸裸にされていく。
「おう! 今度は俺とセリアの同時攻撃で行くぜ!」
「物理的な素早さなら誰にも負けん! いざ、聖水投入!」
クロードとセリアが、まるで残像を残すかのようなスピードで食堂内を駆け抜け、次々と生徒たちの料理に聖水を仕込んでいく。
「ぐはっ!?」
「あばばばばっ!?」
あちこちのテーブルで、急に生徒たちが白目を剥いて倒れ、黒い霧が吹き出すという異常事態が発生し始めた。
「な、なんだ!? 急にみんな倒れ始めたぞ!?」
「集団食中毒か!?」
食堂内がパニックになりかけるが、ここですかさず教皇セレスが動いた。
「皆の者、落ち着くのじゃ! これは最近流行りの『急激な眠気を催す魔法病』じゃ! すぐに治るゆえ、安心してお弁当を食べ続けるのじゃ!」
少女の姿とはいえ、教皇としての絶大な神聖オーラと説得力(物理的な威圧感)を放つセレスの言葉に、周囲の生徒たちは「そ、そういう病気なのか……」と妙に納得して席に座り直した。
認識阻害を逆手に取った、見事なまでの強引な隠蔽工作である。
「チィッ! なんだこの空間は! ここはヤバい、全員撤退だ!」
異常を察知した残りの監視役の悪魔たちが、食事を放棄して一斉に逃げ出そうと黒い霧を噴出させる。
「逃がすか。天界の威信にかけて、一匹残らず回収する」
「ふぁぁ……面倒だが、仕事はきっちりこなすぞ」
ラジエルとシュシュエルの天使コンビが、神速の動きで食堂内を縦横無尽に飛び回り、壺の口を向け続ける。
「ぎゃあああっ!」
「吸い込まれるぅぅぅっ!」
シュポンッ! シュポンッ! シュポンポンポンッ!
もはや作業と化したテンポの良さで、何十体もの悪魔たちが次々と壺の中へ封印されていく。
「……三十八、三十九、四十、四十一、四十二。……アイラ嬢。僕の計算上のターゲット、全員の浄化と回収が完了しました」
ノアから、作戦完了の報告が入った。
「よし、よくやったわみんな!悪魔の駆除、見事コンプリートよ!」
私は最後の一口のハンバーグを飲み込み、空になったお皿を満足げに前に押し出した。
「ふぅ、さすがに疲れましたわ……。でも、これで学園内の悪魔は一掃できましたね」
リリアが額の汗を拭いながら、私の隣の席に腰を下ろす。
クロードやセリア、ミア、ノアたちも、任務を終えて続々とテーブルに集まってきた。
「お疲れ様、人間ども。……まったく、何十回も壺の口を開け閉めさせられるとは、我々をなんだと思っているのだ」
ラジエルが、パンパンに膨れ上がったように見える悪魔封じの壺をテーブルの上にドンッと置いた。
「そう言うなラジエル。おかげでこの学園の空気は随分と澄んだ。……それにしても、これだけの数の悪魔が一つの学園に潜んでいたとはな」
シュシュエルも呆れたように、もう一つの壺を置く。
二つの壺の中からは、微かに「出せぇぇ!」「狭いぃぃ!」という悪魔たちの怨嗟の声が聞こえてくるが、天使の封印術式の前では無力なようだ。
「これで学園の安全は一旦確保されたわね。エドガーたちも、憑依が解けたことで少しはまともな頭に戻るでしょうし」
私は食後の紅茶を優雅に啜りながら、気絶して保健委員に運ばれていくエドガーたちの姿を見送った。
「ええ。ですが、問題はこれからです、アイラ嬢」
ノアが、仏のように穏やかだが、どこか冷徹な光を宿した瞳で眼鏡を押し上げた。
「学園のサポート役や監視役は駆除できました。しかし、本命である『王都の重鎮たち(大人たち)』に憑依している数十体の高位悪魔は、まだ地下で儀式の準備を続けているはずです」
「そうね。あいつらは学食で聖水を飲ませるみたいに簡単にはいかないわ。警戒も強固だろうし、何より儀式が最終段階に入っているなら時間がない」
私が真剣な表情で頷くと、仲間たちの顔つきも再び引き締まった。
「……お姉様。私たちは、どうやって王都の地下に潜む本命の悪魔たちを倒すのですか?」
リリアの問いに、私はニシシと悪党のような笑みを浮かべた。
「決まってるじゃない。今度は隠れてコソコソ聖水を入れるんじゃなくて……正面から堂々と、カロリーと物理と神聖魔力の暴力で『カチコミ』をかけるのよ!」
最強の6人組と天使たちによる、クラエス王都の存亡を懸けた最終決戦の足音が、すぐそこまで迫っていた。
波乱に満ちた時間遡行の物語は、いよいよ核心へと突き進んでいくのだった。
「さあ、いよいよ本丸へのカチコミよ!」
私は、王都の地下深くへと続く、隠された巨大な石扉の前で高らかに宣言した。
私の背後には、リリアたち最強の仲間と教皇セレス、そして大天使ラジエルが率いる純白の鎧に身を包んだ天使の軍勢がズラリと並んでいる。
学園での悪魔掃討を無事に終えた私たちは、各実家からの密偵の情報を元に、王都の地下に広がる忘れ去られた古代遺跡――悪魔たちが『地獄の門』を開こうとしている儀式場の入り口へと辿り着いていた。
「……しかし、魔女よ。この先は我々天使にとって、少々厄介な造りになっているようだ」
大天使ラジエルが、忌々しげに石扉を見据えて目を細めた。
「厄介って、どういうこと?」
「この扉の先、地下遺跡の全域にわたって、我々天使の侵入を阻む強力な『天使除け』の結界が何重にも張り巡らされているのだ。悪魔どもめ、五千年前の戦争から小賢しい知恵をつけおって」
シュシュエルが、舌打ちをしながら説明を加えた。
天使除けの結界がある限り、強大な力を持つ天使の軍勢は、その結界が解除されるまで部屋の中に入ることができないらしい。
「なるほどね。つまり、人間である私たちが先行して結界の核(魔導具)を破壊し、道を切り開く必要があるってわけね」
私が状況を理解して頷くと、ノアが分厚い眼鏡を押し上げて一歩前に出た。
「僕の計算では、地下遺跡はいくつかの区画に分かれており、各区画の入り口に天使除けが設置されていると推測されます。本来なら部隊を分けて同時制圧したいところですが……」
「ダメよ。相手は未知数の悪魔なんだから、戦力を分散させるのは自殺行為だわ」
私はノアの言葉を遮り、全員の顔を見渡した。
「時間はかかるかもしれないけれど、私たちは全員で一つのフォーメーションを組んで、一部屋ずつ確実に突破していくわよ」
「はいっ! お姉様、どのような陣形で行きますか?」
リリアが杖を構えて尋ねてくる。
「まず、私が入り口から出力最大の攻撃魔法をぶっ放して、扉ごと中の悪魔どもを吹っ飛ばすわ。その直後、リリア、セリア、セレスの白魔法組は、私たちの前方に最大強度の『多重バリア』を展開して敵の反撃を防ぐのよ」
「承知いたしましたわ!」
「任せておけ! 筋肉と信仰の力で、絶対に破られない光の壁を作ってやろう!」
「ふはは! 私の教皇としての神聖魔力も存分に使うがよい!」
三人が力強く頷くのを確認し、私は次にノアとクロードを見た。
「ノアはミアと連携して、バリアの隙間から牽制魔法を撃ち込み、敵の動きを封じてちょうだい。……そしてクロード、アンタがこの作戦の要よ」
「おう! 俺はどうすればいい!?」
「ノアたちが牽制している隙に、アンタのその足の速さで敵陣に突っ込み、部屋のどこかにある『天使除けの魔導具』を魔剣で粉砕してきなさい。それが壊れれば、後ろで待機している天使の軍勢が一気になだれ込んで、残りを制圧してくれるわ」 私の完璧な作戦を聞き、仲間たちは迷うことなく武器と杖を構えた。
「素晴らしい作戦だ。我々天使は、お前たちが結界を破り次第、即座に掃討を開始しよう」
ラジエルも剣を抜き、私たちの背後に控える。
「よし……カロリーチャージ、完了よ! 行くわよ、みんな!」
私は、先ほど学食から持ち出してきた特大の激甘ドーナツを一口で飲み込み、その莫大なカロリーをすべて黒魔法の魔力へと変換した。
私の両手から、ドス黒く禍々しい、それでいて圧倒的な熱量を持った魔力の塊が生成されていく。
「吹き飛べぇぇぇっ!!」
私が両手を前方に突き出すと、極太の黒い閃光が轟音とともに放たれ、地下遺跡の分厚い石扉を木っ端微塵に粉砕した。
「なっ、なんだ!? 敵襲か!?」 扉の奥の広間から、儀式の警備をしていたと思われる悪魔憑きの男たちや、下位の悪魔たちのうろたえる声が響いた。
「今ですわ! 『聖なる光盾』!」
「私の筋肉と信仰も乗せるぞ!」
「神の加護じゃ!」
リリア、セリア、セレスの三人が瞬時に前に躍り出ると、彼女たちの杖と拳から溢れ出した黄金の光が重なり合い、遺跡の通路を完全に塞ぐほどの分厚い多重バリアが展開された。 直後、広間の奥から放たれた悪魔たちの黒い炎や呪いの矢が雨あられと降り注ぐが、三人の白魔法による鉄壁の防御は、それらをすべて無効化して弾き返した。
「ミア嬢、右奥の術士グループに風の刃を! 僕は左の悪魔の足元を凍らせます!」
「は、はいっ! 『風牙の刃』!」 ノアの冷静な指示に従い、ミアがバリアの隙間から精確な狙撃魔法を放ち、ノア自身も計算し尽くされたタイミングで牽制の氷結魔法を打ち込んだ。
「ぐああっ!」
「足が、動かん……!」
牽制魔法によって、敵の動きが一瞬だけ完全に止まった。
「ここだぜ! うおおおおっ!!」
その僅かな隙を見逃さず、クロードが地を蹴ってバリアの中から飛び出した。 彼の標的は、広間の中央にある不気味な黒い石柱すなわち天使の侵入を阻む『天使除けの魔導具』だ。 「させぬわ!」 悪魔憑きの一人がクロードに飛びかかろうとするが、伝説の剣聖の血を引く彼のスピードに追いつけるはずもなかった。
「邪魔だ! 砕け散れぇぇっ!!」
クロードが魔剣を大上段から振り下ろすと、黒い石柱は乾いた音を立てて真っ二つに両断され、粉々に崩れ去った。 その瞬間、遺跡の広間に張り巡らされていた見えない結界が、パリンッと音を立てて霧散した。
「よくやった、人間ども! さあ、地上の穢れを払うぞ!」
「逃がさん」
結界が消滅したのを確認したラジエルとシュシュエル、そして無数の天使たちが、凄まじい速度で私たちの背後から広間へと雪崩れ込んだ。
「ひぃぃっ! て、天使の軍勢だと!?」
「なぜここに……ぎゃあああっ!!」
神聖な光の剣が振るわれるたびに、悪魔憑きの中から黒い霧が引きずり出され、天界の壺へと次々に回収されていく。
ものの数分で、最初の広間の制圧は完全に終了した。
「……ふぅ。これで第一区画の突破ですね。僕の計算通りの完璧なフォーメーションですが……やはり、一部屋ごとにこれを繰り返すとなると、かなり時間がかかります」
ノアがズレた眼鏡を直し、周囲の安全を確認しながら息を吐いた。
「仕方ないわ。悪魔を相手に戦力を分散させるほど、私たちは数に余裕がないもの。確実に、一つずつ潰していくしかないわよ」
私は、次の区画へ向かうために、新しく取り出したチョコレートバーをかじりながら答えた。
「ええ。それに、時間をかけてでも安全に進むことが、最終的な勝利への近道ですわ」 リリアもコクリと頷いた。 私たちは焦る気持ちを抑え、このアイラの砲撃と白魔法の防御とノアの牽制とクロードの破壊と天使の掃討という黄金のパターンを繰り返し、地下遺跡を少しずつ、しかし確実に深部へと進んでいった。
第二区画、第三区画と、奥へ進むにつれて敵の抵抗も激しくなり、悪魔の罠も巧妙になっていく。
だが、記憶を保持した私たちの連携と、天使の軍勢による圧倒的な掃討力の前では、それらもすべて無力だった。
何時間も続く神経をすり減らすような攻略の中、私はひたすらカロリーを摂取し続け、仲間たちも疲労を隠せない様子だったが、誰一人として足を止める者はいない。 やがて、私たちは地下遺跡の最深部である、ひときわ巨大で、おぞましい装飾が施された石の扉の前に辿り着いた。
「……お姉様。この奥から、今までとは比べ物にならないほど巨大で、ドス黒い負の感情を感じますわ」
リリアが、杖を握る手を微かに震わせながら、青ざめた顔で扉を見つめた。
「間違いねえ。ここまでとはプレッシャーの桁が違う……ラスボスの部屋だぜ」 クロードが魔剣を強く握り直し、額に滲んだ汗を拭った。
「ノア、中の様子は計算できる?」
私が尋ねると、ノアは静かに首を横に振った。 「ダメです。扉の向こう側の魔力密度が異常すぎて、僕の計算がすべてエラーを吐き出しています。……ただ一つ言えるのは、この扉には『天使除け』が仕掛けられているということだけです」
「つまり、いつも通り私たちが最初に扉をぶっ飛ばして、中の結界を壊すまで天使たちは入れないってことね」
私は大きく深呼吸をし、最後のカロリー補給として特大の肉まんを二つ、一気に胃袋へと流し込んだ。
「ラジエル。私たちが結界を壊したら、一秒でも早く飛び込んできてちょうだい。……中の奴は、たぶん私たちが束になっても時間を稼げるかどうかのバケモノよ」
「承知した。お前たちこそ、結界を破壊する前に死ぬなよ、魔女」 ラジエルが険しい顔で頷き、天使の軍勢が扉の前に布陣した。
「さあ、探偵令嬢団、最終決戦よ! 気合入れなさい!」
私は仲間たちに発破をかけ、両手に今日一番の、いや、私の人生で最大出力の黒魔法の魔力を収束させた。
莫大なカロリーが燃え尽き、圧倒的な熱と破壊の力が扉へと向けられる。
「これで……終わりよぉぉぉっ!!」
私の放った漆黒の閃光が、巨大な石の扉を、その周囲の壁ごと完全に消し飛ばした。
土煙が舞い上がり、開かれた最深部の広間から、むせ返るような血と絶望の匂いが溢れ出す。
「……なっ」
扉の奥の光景を見た瞬間、私たちは全員、息を呑んで立ち尽くした。
そこは、王都の地下とは思えないほど広大な空間だった。
床には、人間の血で描かれたであろう、禍々しく巨大な地獄の門を開くための魔法陣が描かれている。
しかし、その魔法陣は光を失い、儀式が行われている気配は全くなかった。
周囲には、生贄や儀式の要員として集められたであろう数十人の高位貴族たちが、糸の切れた操り人形のように倒れ伏している。
そして、その静まり返った魔法陣の中心には、完璧な仕立ての夜会服に身を包んだ、見目麗しい一人の青年が立っていた。
「よく来たね、人間のお嬢さんたち。そして、天界の羽虫ども」
静寂を切り裂くように、ひどく穏やかで、紳士的な声が響いた。 その青年から立ち昇るオーラは、人間のそれとは次元が違った。
赤黒く、濃密で、空間そのものを歪ませるほどの圧倒的なプレッシャーが放たれている。
「赤黒い霧……! シュシュエルが言っていた、絶対に戦うなと言われた『高位悪魔』の……いや、違うわ!」
私は本能から来る恐怖に歯の根を鳴らしながら、叫んだ。
「ただの高位じゃない……あいつは、悪魔の軍勢を束ねる『最高位悪魔』よ!」
青年は、まるで客人でももてなすかのように、優雅に胸に手を当てて一礼した。
「ご名答。私はすでに、地獄の門を開く儀式を諦めてね。君たちをこうして、紳士的にお迎えしようと待っていたのさ」
彼が微笑んだ瞬間、凄まじい重圧が私たちを襲い、指一本動かすことすらできなくなった。
天使たちの支援はない。 結界はまだ壊れていない。
そして、目の前には、儀式すら放棄するほどの余裕を持った最悪の化け物が立っている。
クラエス王都の地下深くで、絶望という名の絶対者が、私たちを静かに見下ろしていた。
圧倒的な重圧の中、私たちは誰一人として動くことができなかった。
最高位悪魔は、身動きが取れない私たちを見て、ふっと優しく微笑んだ。
「怯えなくてもいい。私は今日、君たちと戦うつもりはないのだからね」
彼は倒れ伏した貴族たちを一瞥し、大げさに肩をすくめた。
「せっかくこの国の王太子たちを唆し、最高の絶望を仕込んでいたというのに。まさか、ここまで完璧に盤面をひっくり返されるとは思わなかったよ」
彼はゆっくりと歩き出し、私たちに向かって一つずつ指を立ててみせた。
「私が儀式を諦め、撤退を決めた理由は四つある。一つ目は、天使による時間の巻き戻しだ。まさか、天界の連中が世界律を捻じ曲げてまで、時間を遡行させるという荒業に出るとはね」
結界の外で、大天使ラジエルが忌々しげに舌打ちをした。
「二つ目は、時間を戻した後の君たちの対応の正確さだ。学園に潜ませていた私の可愛い駒たちが、聖水という古典的かつ確実な手段で、次々と的確に炙り出され、一網打尽にされてしまった」
最高位悪魔は、まるで楽しい演劇でも見たかのように笑い声を上げた。
「三つ目は、この地下遺跡への攻め込み方だ。少数精鋭でコソコソと潜入してくるかと思えば、まさか天使の軍勢を丸ごと引き連れて、正面から物理と魔法でカチコミをかけてくるとは。悪魔の私でも、少し引いたよ」
クロードが悔しそうに顔を歪めるが、重圧で声も出せない状態だ。
「そして、四つ目……これが最大の誤算だ。アイラ・アルジェント」
最高位悪魔の赤い瞳が、私を真っ直ぐに射抜いた。
「新しい魔女が誕生していたこと。五千年前の忌まわしい記憶が蘇るよ。君のような規格外の魂を持つ魔女が、この時代に存在しているという事実が、私の計画をすべて狂わせたのだ」
彼は優雅に頭を下げ、まるで敗北を認める騎士のような態度をとった。
「これだけ想定外の事態が重なれば、いかに私といえども分が悪い。だから、今回は潔く撤退しよう」
撤退という言葉に、私は微かに安堵の息を漏らした。
しかし、彼の次の言葉が、再び私たちを凍りつかせた。
「だが、勘違いしないでほしい。我々悪魔は、無限の時を生きる存在だ。数十年など、瞬きをするようなものに過ぎない」
彼は顔を上げ、結界の外にいる天使たちに向かって、不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな……君たちのような厄介な人間が、老衰でこの世を去った後。おおよそ二百年後に、また活動を再開するとしよう」
「二百年後、だと……?」
ラジエルが、神聖な魔力を高めながら低く唸った。
「ああ。これは天界への挑戦状だ。二百年後、君たちが育てた人間どもの子孫が、我々の絶望に耐えられるかどうか……楽しみにしているよ」
最高位悪魔がそう宣言した瞬間だった。
器にされていた青年の肉体が限界を迎え、その目や口から、尋常ではない量の赤黒い霧が爆発的に噴出した。
「ぎゃあああああっ!」
青年が絶末の悲鳴を上げる。
膨大な赤黒い霧は、広間の天井を突き破り、分厚い地下の岩盤を粉砕しながら、王都の空の彼方へと猛スピードで消え去っていった。
轟音が収まり、パラパラと瓦礫が崩れ落ちる音だけが残る。
「……消えた……」
圧倒的なプレッシャーが消失し、私は耐えきれずにその場にへたり込んだ。
リリアもセリアも、大きく肩で息をして床に膝をつく。
「結界が、消滅したぞ! 全軍、残存する悪魔の気配を索敵しろ!」
ラジエルの号令で、天使の軍勢が広間へとなだれ込んでくる。
ノアが荒い息を吐きながら、ずり落ちた眼鏡を直した。
「……信じられません。最高位悪魔が、僕たちとの戦闘を避けて自ら退くなんて」
「あいつら、人間の寿命を計算に入れてやがったんだ。俺たちが死んだ後を狙うなんて、卑怯にも程があるぜ……っ」
クロードが、魔剣を床に突き立てて悔しそうに叫んだ。
「でも、これで……クラエス王都の危機は、本当に去ったのよね?」
私が天井に空いた巨大な穴を見上げながら呟くと、シュシュエルが静かに頷いた。
「ああ。二百年という猶予を押し付けられはしたがな。だが、お前たちがこの時代を救ったという事実に変わりはない」
教皇セレスが、ポンポンと私の肩を叩いた。
「うむ! 先のことは先の子孫に任せればよい! 私たちは見事、世界を守り抜いたのじゃ!」
これは、二百年後への挑戦状であった。
それが意味するのは、私たちがこの先もずっと、悪魔との長き戦いの歴史の一部に組み込まれたということだ。
それでも、今はただ生き延びたことに感謝すべきだろう。
「……そうね。とりあえず、お腹が空いたわ」
私は重い体を起こし、ふにゃりと笑った。
「帰ったら、ジュリアン殿下の奢りで、クラエス王国の王室厨房を空っぽにするくらい、極上スイーツを食べ尽くしてやるわよ!」
仲間たちが、ホッとしたような笑い声を上げる。
天使による時間逆行と、私という魔女の存在がもたらしたのは、神話レベルの番狂わせであった。
クラエス王国の特命留学は、途方もない未来への宿題を残しつつも、私たちの完全勝利という形で、無事に幕を閉じたのである。
地下遺跡での最高位悪魔との決戦から、数日が経過した。
クラエス王宮の、王族専用の豪奢なサロン。
そこでは、約束通りジュリアン殿下の奢りによる「王室厨房貸し切り・極上スイーツ食べ放題パーティー」が盛大に開催されていた。
「ん〜っ! この特製フルーツタルト、クリームの甘さと果実の酸味が絶妙で、何個でもいけちゃうわ!」
私は、すでに五皿目となるケーキの山を前に、満面の笑みでフォークを動かしていた。
「アイラ、いくらカロリーを消費したからといって、あまり一気に食べるとお腹を壊すぞ」
私の向かいの席で優雅に紅茶を傾けているジュリアン殿下が、呆れたように、しかしどこか甘やかな瞳で私を見つめている。
「お気遣いなく、私の胃袋はブラックホールと直結してますから」
私がニシシと笑ってタルトを頬張ると、殿下は小さく肩をすくめた。
「それにしても……時間を巻き戻した上で、王都中の悪魔憑きを聖水で炙り出し、地下に潜む最高位悪魔まで退かせるとはな」
ジュリアン殿下は、報告書をテーブルに置き、感嘆の息を漏らした。
「我が国の次期王太子妃と、その仲間たちは、本当に私の想像を軽く超えていく」
「まあ、最後は相手が二百年後に再戦を申し込んで、勝手に逃げていっただけですけどね」
私が紅茶を啜りながら言うと、殿下はフッと腹黒い笑みを浮かべた。
「二百年後、か。気が長くて、かつ迷惑な挑戦状だな。だが、我々が生きている間は、もうあのような神話レベルの厄介事は起きないということだろう」
「ええ、そうですね。先のことは、私たちの遠い子孫に任せましょう」
「うむ! 我々はこの時代を全力で楽しみ、生き抜くだけじゃ!」
隣で特大のパフェを食べていた少女の姿の教皇セレスが、元気よく同意した。
「……僕の計算では、二百年後の子孫たちも、アイラ嬢の血を引いているなら、相当な規格外の天災に育っているはずですからね。悪魔の方こそ、同情に値しますよ」
ノアが胃薬ではなくハーブティーを飲みながら、極めて冷静な分析を口にする。
「ちょっとノア、それどういう意味よ」
私がジト目で睨むと、クロードやセリアたちがドッと笑い声を上げた。
厄介な事件はすべて片付き、私たちの周りには、ただ甘いお菓子の匂いと、平和で騒がしい仲間たちの笑い声だけが満ちていた。 そして、その数日後。
クラエス王立魔法学園の中庭では、一つの小さな、しかし重要な「区切り」の場面が訪れていた。
「……カテリーナ。それに、ミーア嬢」
中庭の噴水の前で、静かに頭を下げたのは、かつてこの国の王太子であったエドガーと、その取り巻きの令息たちだった。
彼らの顔色は青白く、かつてのような傲慢さや、お花畑な雰囲気は微塵も残っていない。
「エドガー様……」
カテリーナたち元婚約者の令嬢たちと、平民特待生のミーアが、戸惑ったように彼らを見つめている。
私とリリアたちは、少し離れた木陰から、その様子を静かに見守っていた。
「……私たちの調査で、彼らが悪魔に憑依され、精神を操られていたという事実は、クラエス王国の国王陛下にも極秘裏に伝えられたわ」
私が小声で説明すると、リリアが痛ましそうに頷いた。
「ええ。シュシュエル様も『普通の人間が悪魔の憑依に抗うことなど絶対に不可能だ』と証言してくれましたからね。そのおかげで、廃嫡という最悪の事態は免れたそうですわ」
「まあ、優秀な跡取り息子たちを一度の不可抗力で切り捨てるのは、国としても痛手だしね。でも、お咎めなしってわけにはいかないわよ」
エドガーたちに下された新たな処分は、王太子および次期当主としての品位維持費を三年間全額没収し、その間、スラム街での慈善活動と復興支援を強制するというものだった。
これは単なる罰ではない。 己の足で泥に塗れ、民のために汗を流すことで、王族や貴族としての真の矜持を取り戻させるための試練だ。
そして同時に、彼らが本当に改心し、立派な行いを続ければ、愛想を尽かしたはずの婚約者たちが、私財を投げ打ってでも彼らを支えようと戻ってくるかもしれない。
そんな、婚約者との絆を試す意味合いも込められていた。
エドガーたちは、今日からその過酷な三年間を始めるために、この学園を去ることになっていた。
その前に、彼らはどうしても謝罪をしたいと、カテリーナたちを呼び出したのだ。
「本当に、すまなかった。……悪魔に憑依されていた間も、僕たちの意識は、体の奥底に確かにあったんだ」
エドガーが、ギリッと唇を噛み締めながら、苦しげに語り始めた。
「自分が、国の要である君たちを蔑ろにし、あまつさえ無実のミーア嬢にストーカーのように付き纏い、権力を振りかざして嫌がらせをしている……。そのすべてを、ただ見ていることしかできなかった」
「僕たちも同じだ。自分の体が勝手に動き、愛する婚約者に向かってあんな暴言を吐くのを、止められなかった……っ」
令息の一人が、涙をこぼして地面に膝をついた。
悪魔は、彼らに「絶望」を与えるために、あえて意識を保たせたまま、最悪の行動をとらせていたのだ。
自らの手で、国と、愛する者たちを壊していくのを、ただ見せつけられる絶望。
それは、どれほどの地獄だっただろうか。
「だから、許してほしいなんて言わない。……ただ、これだけは信じてほしい」
エドガーが、深く、深く、地面に額がつくほどの勢いで頭を下げた。
「カテリーナ。僕が本当に愛し、王妃として隣に立ち、共に国を支えてほしいと願っていたのは……後にも先にも、君だけだったんだ」
「殿下……」
エドガーの、魂からの痛切な謝罪。
中庭に、重苦しくも、悲痛な沈黙が降りた。
カテリーナは、持っていた扇子で顔を半分隠し、しばらくの間、じっとエドガーを見つめていた。
やがて、彼女は静かに扇子を閉じ、真っ直ぐな瞳で彼に向き合った。
「……顔を上げてくださいませ、エドガー様」
カテリーナの声は、氷のように冷たかった以前とは違い、静かで、穏やかなものだった。
「あなた方が悪魔という恐ろしい存在に操られていたことは、すでに伺っておりますわ。……ですから、あのような暴挙の数々も、本意ではなかったと理解しております」
「カテリーナ……」
「ですが」
カテリーナは、凛とした声で言葉を継いだ。
「私たちが受けた心の傷や、あなた方が失ってしまった国からの信用が、元に戻ることはありません。……ですから、今すぐに以前のような関係に戻ることは不可能ですわ」
その言葉に、エドガーたちは悲痛に顔を歪めながらも、深く頷いた。
「ああ。分かっている。君たちは、僕なんかには勿体ないくらい、有能で素晴らしい女性だ」
「……けれど」
カテリーナは、ふっと意地悪く、しかしどこか期待を込めたような笑みを浮かべた。
「これから三年間、あなた方は泥に塗れて民のために働くのでしょう? その働きぶりと、真に国を思う覚悟……私たちが、遠くから厳しく監視させていただきますわ。もし、その試練を見事乗り越え、真の貴族としての誇りを取り戻せたなら……その時、もう一度だけ、お茶会くらいには付き合って差し上げてもよろしくてよ」
「え……?」
エドガーが弾かれたように顔を上げる。
令息たちも、信じられないというように目を見開いた。
それは、彼らに残された一筋の光明。
有能で誇り高い彼女たちなりの、最大の譲歩であり、絆を試す愛の鞭だった。
「カテリーナ……! ああ、必ず! 君たちに再び顔向けできるよう、命懸けでやり遂げてみせる!」
「カテリーナ様たちの言う通りです。……あの、私も」
ミーアが、おずおずと一歩前に出た。
「殿下たちのせいじゃないって分かって、少しホッとしました。……だから、もう気にしないでください。私は立派な魔導具技師になるために、これからもここで勉強を頑張りますから」
「ミーア嬢……本当に、すまなかった。君の未来が、素晴らしいものであることを祈っているよ」
「……綺麗に終わったわね」
私が木陰からポツリと呟くと、リリアが「ええ」と優しく微笑んだ。
「あの愚か者たちも、最後には少しだけ、立派な顔をしていましたわね。これなら、クラエス王国もカテリーナ様たちがいれば安泰ですわ」
「まったくだ。人間というのは、時に悪魔よりも残酷で、時に天使よりも気高い。……だからこそ、観察していて飽きないのだな」
セレスが、大人びた口調で腕を組んで頷く。
「さてと! 面倒な事件も、人間関係のゴタゴタも、これで全部スッキリ片付いたわね!」
私は大きく伸びをして、中庭の澄み切った青空を見上げた。
私たちの、悪魔の陰謀を探るという「裏の任務」は、これにて完全なる終了を迎えたのだ。
「ここからは、ただの学生として、残りの特例留学を全力でエンジョイする時間よ!」
私が高らかに宣言すると、仲間たちが一斉に笑顔を向けた。
「おう! 俺はまだまだ、隣国の強い奴らと手合わせしたいぜ!」
「私は、この国の筋肉の発達について、独自の研究を進めるつもりだ!」
「僕は……どうかこれ以上、胃薬のお世話になるようなトラブルが起きないことを祈りますよ」
「お姉様、今日は図書室で、クラエス王国の歴史について一緒に調べませんか?」
それぞれが、平和な学園生活への期待に胸を膨らませている。
「図書室の前に、まずは学食よ! 今日は月に一度の『ジャンボカツカレーの日』なんだから! 売り切れる前にダッシュよ、みんな!」
私が足早に駆け出すと、「また食べ物ですか師匠!」「お姉様、走ると転びますわよ!」という賑やかな声が後ろからついてくる。
悪魔の気配など微塵もない、平和で、騒がしくて、最高に美味しい日常。
これこそが、私たちが命懸けで守り抜きたかったものだ。
「さあ、留学生活後半戦! カロリーの限界に挑戦よ!」
クラエス王国での私たちの特命留学は、これ以上ないほどの晴れやかな青空と、満腹の笑顔とともに、幸せな幕引きを迎えるのだった。
楽しんで頂けたでしょうか?
悪魔と天使の戦いは一旦これで終了になります。




