学園編4
学園編で婚約と婚約発表が出来ました。
そして世界観で重要な役割も一つ登場です。
「ふぅぅ……。やっぱり、命懸けで高位悪魔をぶっ飛ばした後の『特製角煮丼』は、五臓六腑に染み渡るわねぇ……」
王立学園、大食堂。
長机の端を陣取った私、アイラ・アルジェントは、湯気を立てる大盛りの角煮丼をウットリと見つめながら、分厚い豚肉を頬張っていた。
『暴食の代償』——食べたカロリーをそのまま膨大な魔力に変換する私にとって、この濃厚な豚肉の脂と甘辛いタレは、最強の魔力回復ポーションに等しい。
「おう! 師匠の言う通りだぜ! 悪魔と戦って減った腹には、このタレと肉が最高だ! おばちゃん、俺にも特盛のおかわり頼む!」
向かいの席では、私の指導対象であり、すっかり「炎の魔法剣士(兼・角煮信者)」として覚醒したクロードが、空になった巨大な丼を掲げて元気に叫んでいた。
「ふふっ、よく食べてよく育ちなさい、クロード。筋肉は裏切らないわよ」
「ええ、アイラ様の言う通りです! 良質なタンパク質と糖質の摂取こそが、正しき神への信仰と鋼の肉体を育む第一歩ですからね!」
教国の聖女でありながら筋肉を崇拝する親友のセリアが、優雅にプロテイン入りの特製スープを飲みながら深く頷く。
そんな、学園の優雅さの欠片もない肉と筋肉の宴を繰り広げている私たちの背後から、やれやれという呆れ声が降ってきた。
「……お前という奴は。あれだけの死闘の数日後だというのに、相変わらず自分の欲望(食欲)にだけは忠実だな」
「アイラ嬢たちの規格外の回復力には、私も驚くばかりだよ」
振り返ると、輝くような金髪を持つ第一王子ジュリアン殿下と、誠実そうな顔立ちの第二王子エドワード殿下が立っていた。周囲の令嬢たちが、遠巻きに黄色い悲鳴を押し殺している。
「あら、殿下。ごきげんよう。角煮丼、召し上がります? 今なら特別に一口五千ゴールドで分けてあげてもいいわよ?」
「公爵令嬢が学食の残飯をぼったくり価格で王族に売りつけるな。……だが、今日は商談ではなく、お前たちに『依頼』を持ってきた」
ジュリアン殿下が私の隣にドカッと座り、エドワード殿下は自然な動作でリリアの隣に腰を下ろした。
「リリア嬢、今日の君もとても美しいね。怪我の後遺症はないかい?」
「まあ、エドワード殿下……。殿下がすぐに駆けつけてくださったおかげで、私はピンピンしておりますわ」
……はいはい。あっちでは相変わらず、愛の巣にでもいるかのようなキラキラとしたピンク色の空間(二人だけの世界)が形成されている。
「で? 依頼ってなんですか、腹黒王太子殿下」
私がジト目で尋ねると、ジュリアン殿下は声を一段落とし、真剣な表情になった。
「演習林の地下での一件だ。教団『黒蛇の目』の幹部であり、高位悪魔だったベルゼは退けたが……連中がそもそも、なぜこの学園の演習林に目をつけたのか。その目的が分かっていない」
「不適合者に魔導具を配って暴走させ、学園を混乱させるためじゃなかったの?」
「それだけなら、わざわざ高位悪魔を呼び出し、結界を張って地下に潜伏するリスクを冒す必要はない。奴らには、この学園の敷地内に『どうしても手に入れたいもの』があったはずだ。……あるいは、内通者の手引きでそれを探していたか」
ジュリアン殿下の言葉に、同席していたノアとミアの顔がサッと強張った。
学園のどこかに、まだ悪魔教団の影が潜んでいるかもしれないというのだ。
「騎士団や魔法師団を大々的に動かせば、生徒たちにパニックが広がる。そこで、学園最強の成績と実力を誇るお前たち6人に、秘密裏に学園内の調査をお願いしたい。もちろん、王家からの特別報酬は弾むぞ」
「報酬……学食のプレミアムチケット一年分と、新作スイーツの開発費無制限援助なら手を打つわ」
「交渉成立だ。相変わらずそういう計算だけは早いな、お前は」
ジュリアン殿下がニヤリと笑った、その時だ。
「あの! お姉様!」
突如、リリアがバンッと机を叩いて立ち上がった。その瞳は、何か面白いおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと好奇心に輝いている。
「私、やります! 秘密の調査……つまり『探偵』ですね!」
「リリア、ちょっと声が大きいわよ。それに、悪魔絡みかもしれないのよ?」
「私の能力、『物体の記憶』が輝く時が来たんです! 鏡や窓ガラスに残された過去の映像を読み取って、学園に潜む怪しい人物を特定してみせますわ!」
リリアの白魔法による『物体の記憶』の読み取り能力は、入学当初より格段に向上していた。今なら、数日前にガラスに映った人物の顔すら鮮明に読み取ることができる。まさに探偵のためにあるような力だ。
「よし。じゃあ今日から私たちは『アルジェント探偵令嬢団』よ」
私もニシシと面白そうに笑い、仲間たちを見渡した。
「リリアはチーフ探偵として現場の遺留品調査。セリアとクロードは開かない扉や怪しい壁があったら物理(筋肉)で破壊する係。ミアは微細な魔力痕跡の探知をお願い」
「おう! 任せとけ!」
「は、はいっ! 頑張ります!」
テキパキと役割が振られていく中、ノアが分厚い眼鏡を押し上げながら、恐る恐る手を挙げた。
「……あの、アイラ嬢。僕の明晰な頭脳と計算処理能力は、いったいどのポジションで火を噴けばいいんですか?」
ノア・ウィンザー。
没落貴族の三男であり、当初は魔力ゼロの落ちこぼれだったが、今や魔法師団のリュカにも一目置かれる天才魔法使い。おまけに儚げで知的な美貌を持つ彼は、先の夜会以降、学園の令嬢たちにとって「実家が没落しているため、自分たちの家に婿入りさせやすい超・優良物件」として、熾烈な争奪戦の的になっていた。
私とリリアは顔を見合わせ、ニヤリと悪党のような笑みを浮かべた。
「ノア様。探偵には『情報収集』が不可欠です」
「……嫌な予感がするんですが」
「貴族令嬢の独自ネットワークは、王宮の密偵にも勝るわ。最近、学園で怪しい行動をしている生徒はいないか……それを最も効率よく聞き出せるのは、学園一の『お買い得な婿候補』であるあんたしかいないわね」
「嫌だぁぁぁっ!! 断固拒否します!!」
ノアは頭を抱えて机に突っ伏した。
「だ、だいたい、あの肉食獣のような令嬢たちは怖すぎるんです! 情報は素直に教えてくれますけど、タダじゃないんですよ!? 『この件をお教えしたら、今度の休日は私とお茶会をしてくださる?』とか『私への永遠の愛を誓う数式を解いて』とか、等価交換という名の精神的拷問を要求してくるんですから!」
「素晴らしいわね。僕の計算では〜とか言ってるあんたにピッタリの相手じゃない」
「他人事だと思って! 僕の明晰な頭脳が、彼女たちの打算と欲望の前にエラーを吐きそうなんですよ!?」
悲鳴を上げるノアの肩を、ジュリアン殿下が「国のためだ。……その、強く生きろよ」と、ひどく同情的な手つきでポンポンと叩く。
こうして、カロリーと筋肉と、情報網と引き換えに身を削る「生贄の婿候補」を武器にした、前代未聞の「探偵令嬢団」による学園調査が、賑やかに幕を開けたのである。
「というわけで、安全第一。単独行動は禁止よ。白魔法の『物体の記憶』が使える人間を一人ずつ配置して、二人一組のバディで調査にあたります」
放課後の空き教室に集まった私たち『探偵令嬢団』の面々に、私は黒板を叩きながら宣言した。
リリアは元々白魔法の天才だが、私とセリアも先の夏休みの特訓と高位悪魔との死闘を経て、鏡やガラスに定着した過去の映像を読み取る『物体の記憶(過去視)』を習得していた。(私の場合は、膨大なカロリーを消費して力技で過去の映像を無理やり引っ張り出しているだけだが、細かいことは気にしない)
「班分けはこうよ。私とクロードで旧校舎周辺。リリアとミアで図書室や資料室の記録と魔力痕跡の調査。そして……」
私はニヤリと笑い、一番端で胃を押さえている青白い顔の少年に視線を向けた。
「セリアとノア。あんたたちは、中庭の薔薇園で開催されている『ご令嬢たちの秋の新作スイーツお茶会』に潜入。学園内の不審人物の噂を集めてきなさい」
「……アイラ嬢。僕の計算では、あそこは生存率が限りなくゼロに近い戦場なのですが」
「大丈夫よ。万が一ノアが令嬢たちに物理的に押し倒されそうになっても、セリアの筋肉が木っ端微塵に防いでくれるわ」
「任せておけ。ノアの貞操と引き換えに、有益な情報をもぎ取ってこよう」
セリアが力強く親指を立てるが、ノアは「貞操が引き換えになってるじゃないですか!」と頭を抱えた。
*
——数時間後。
「なるほど。旧校舎の窓ガラスに残っていた映像でも、夜な夜なローブを着た人物がうろついていたのね」
「ああ、師匠の言った通りだったぜ。でも、顔までは見えなかったな」
私とクロードが旧校舎の調査を終えて部室(仮)に戻ると、リリアとミアもすでに帰還していた。
「お姉様! 図書室の立ち入り禁止エリアの鏡にも、同じようにローブ姿の人物の記憶が残っていました。ただ、生徒にしては背が高すぎますし、手口が巧妙すぎます」
「ええ……。残された魔力の痕跡も、生徒が使うような一般的なものではありませんでした。もっと、こう……熟練した大人のような……」
リリアの過去視とミアの魔力探知を合わせても、「ローブの不審者」というところまでしか分からない。
決定的な手がかりに欠けるわね、と私が腕を組んだ、その時だった。
「——ガチャッ!」
勢いよく扉が開き、セリアに肩を担がれたノアが、文字通りボロ雑巾のようになって帰還した。
その手には、可愛らしいリボンが巻かれた手作りクッキーの箱や、ラブレターの束が山のように抱えられている。
「ノ、ノア!? 大丈夫!? すっごい甘ったるい匂いがするけど!」
「……ゲホッ。アイラ嬢……僕の、僕の明晰な頭脳と、致死量の砂糖入りのクッキー五枚、そして『次の休日に王都の劇場で愛を囁き合う』という法外な対価を支払って……完璧なデータを、集めてきました……」
ノアは眼鏡をズレたままにし、フラフラと長机に地図を広げた。
その目は死んでいたが、頭脳だけは恐ろしいほど冴え渡っていた。
「リリア嬢たちの言う通りです。怪しいのは……生徒ではありません。学園内を自由に歩き回り、深夜に立ち入り禁止エリアに入っても咎められない存在……『教師』です」
ノアが広げた学園の地図には、赤いペンで無数のバツ印と時間が書き込まれていた。
「令嬢たちの情報網は恐ろしい。彼女たちは『夜会に着ていくドレスの相談』や『星空観察』という名目で、夜の学園を密かに監視しているようなものです。僕が彼女たちの要求(デートの約束)に応えるごとに、ピースが揃っていきました」
「えっと……ノア様? その赤い印は?」
「『深夜に特定の教師を目撃した』という令嬢たちの証言データと、僕が計算したその人物の移動ルートです」
ノアは、くいっとズレた眼鏡を中指で押し上げた。その瞬間、いつものヘタレな彼ではなく、天才魔法使いとしての鋭い知性が顔を出した。
「旧校舎、図書室の立ち入り禁止エリア、そして……演習林への地下通路。このルートを深夜に堂々と行き来し、かつ高度な隠蔽魔法を使える人物。さらに言えば、先日ミア嬢が提出した『魔力理論』の課題に対して、異常なほど地下遺跡の構造について執拗に質問をしてきた人物が一人います」
ノアの指先が、地図の中心にある「教職員棟」の一室をトントンと叩く。
「——歴史学専攻、ベイツ教授。彼が、悪魔教団の内通者である確率は、計算上98.7%です」
「……っ!!」
私たち全員が息を呑んだ。
ノア・ウィンザー。自らの貞操(?)と胃袋を犠牲にして、令嬢たちの断片的な噂話から見事に真実を導き出したのだ。
「でかしたわ、ノア! さすが私たちの情報屋(生贄)ね!」
「もう嫌だ……。今度の日曜日、僕は令嬢三人と同じ時間帯に別の場所でデートするという、物理的に不可能なスケジュールをこなさなきゃいけないんですよ……」
机に突っ伏して泣き崩れるノアの背中を、クロードが「男だなぁ!」と笑いながら叩く。
「よし! 目標はベイツ教授の特別研究室よ! 探偵令嬢団、いよいよ強行調査にいくわよ!」
かくして、ノアの尊い犠牲によって暴かれた内通者の尻尾を掴むため、私たちは夕闇に沈む教職員棟へと向かうのだった。
「よし、教職員棟の裏手に到着したわ。……でも、いきなり突入するのは下策ね。万が一逃げられたり、証拠隠滅されたりしたら元も子もないわ」
すっかり夕闇に包まれた教職員棟。その分厚い生け垣の陰に身を潜めながら、私は仲間たちに小声で告げた。
「そこで、これの出番よ。……『影渡り(シャドウ・ウォーク)』!」
私は、先ほどノアが令嬢たちから巻き上げ……いや、頂戴してきた激甘クッキーを二枚ほど口に放り込み、そのカロリーを黒魔法の魔力へと一気に変換する。
私の足元の影がぐにゃりと歪み、立体的に立ち上がり——一羽の真っ黒なカラス(使い魔)へと姿を変えた。
「お姉様! 今度は黒魔法ですか! 素敵ですわ!」
「フフン、伊達に『最後の魔女』なんて物騒な称号をもらってないわよ。白魔法の『過去視』だけじゃなく、現在進行形の監視ならこっち(黒魔法)の専門ね」
影のカラスは音もなく飛び立ち、二階にあるベイツ教授の特別研究室の窓辺に、影の一部として溶け込んだ。
私は目を閉じ、使い魔の視覚と自分の視覚をリンクさせる。私の脳内に、研究室の内部の映像が鮮明に映し出された。
(……ビンゴね)
研究室の中では、神経質そうな顔をした初老のベイツ教授が、慌ただしくカバンに荷物を詰め込んでいた。
分厚い古文書、魔力を帯びた奇妙な短剣、そして……禍々しい黒い石。あれは夏休みに見た、高位悪魔の召喚に使われていた魔導具の破片だ。
「……アイラ嬢、どうなっていますか?」
隣で息を潜めるノアが囁く。
「教授の奴、逃げ支度をしてるわ。……ううん、違う。机に広げているのは……演習林の地下遺跡の図面よ」
「僕の計算通りですね。彼が求めているのは、学園の地下に封印されているという『初代国王の遺物』……おそらく、強大な力を持つ魔導書か何かでしょう」
「動き出したわ。ランタンを持って部屋を出る……行き先は間違いなく演習林よ。尾行するわよ!」
私が目を開けて立ち上がると、全員が一斉に頷いた。
*
夜の演習林は、薄気味悪い静寂に包まれていた。
私たちは、上空を飛ぶ影のカラスの視界を頼りに、一定の距離を保ちながらベイツ教授の背中を追いかけた。
「ぜぇ……はぁ……っ、アイラ嬢、僕の体力は、もう、限界、です……」
「情けねえなノア! さっき令嬢たちからお茶会で散々ケーキ食わされてただろ! ほら、乗れ!」
「ひっ! や、やめてくださいクロード君、男におんぶされるなんて僕の尊厳が……っ!」
へばって足が止まったノアを、クロードが米俵のように小脇に抱えて走り出す。
その様子を横目に、魔力探知を続けていたミアがピンと耳を立てた。
「アイラ様! 教授が……地下への隠し通路に入りました。魔力反応、どんどん深層へ向かっています……!」
「追い詰めたわね。セリア、筋肉の準備はいい?」
「ああ。いつでも物理的障壁を粉砕できるよう、大胸筋も上腕二頭筋も完璧に温まっている」
セリアが両拳を打ち合わせると、ゴキボキッと物騒な音が鳴った。
地下通路は、夏休みに高位悪魔と戦った広場よりもさらに深く、複雑に入り組んでいた。
しかし、教授は迷うことなく最深部へと進んでいく。
やがて彼が足を止めたのは、巨大な石の扉の前だった。扉には、王家が施したと思われる厳重な封印の術式が刻まれている。
使い魔の視界越しに、ベイツ教授がニヤリと歪んだ笑みを浮かべるのが見えた。
彼は鞄から黒い石を取り出し、封印の扉に押し当てて何やら不吉な詠唱を始める。扉の術式が、黒い瘴気に侵食されパキパキと音を立てていく。
「……そろそろいいわね。決定的瞬間(言い逃れできない証拠)は押さえたわ」
私は使い魔とのリンクを切り、石の扉の前に立つ仲間たちを振り返った。
「さあ、お楽しみの突入の時間よ。セリア、クロード、扉の強度は?」
「ふん、この程度の封印と石の厚みなら、私の魔力強化パンチとクロードの剣で十分ぶち破れる!」
「おう! 俺たちに任せとけ!」
ベイツ教授の詠唱が最終段階に入り、扉が開こうとした——その瞬間。
「「せーのっ!!」」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!
セリアの神聖なる正拳突きと、クロードの魔力障壁ごと断ち切る大剣の一撃が、巨大な石の扉を木っ端微塵に粉砕した。
「な、なんだ貴様らァッ!?」
粉塵が舞う中、腰を抜かして尻餅をつくベイツ教授。
その前に、私たちは悠然と足を踏み入れた。
「探偵令嬢団、御用改めである! 悪魔教団の内通者、ベイツ教授! あなたの悪事もそこまでよ!」
私の決め台詞とともに、リリアとミアが杖を構え、セリアが拳を鳴らす。
クロードの脇に抱えられたままのノアだけが、「僕の計算では、探偵はこういう脳筋な突入はしないはずなんですが……」と死んだ目で呟いていた。
かくして、密かな学園調査は終わりを告げ、悪魔教団の残党との最終決戦の火蓋が切って落とされたのである。
「な、なんだ貴様らァッ!?」
粉塵が晴れた地下遺跡の最深部で、尻餅をついたベイツ教授が裏返った声を上げた。
私たちが悠然と足を踏み入れると、彼の背後にある祭壇のような場所に、巨大な『何か』が鎮座しているのが見えた。
それは、無機質な金属と石で構成された、全高3メートルほどの古びた人型兵器――『ゴーレム』だった。
「ひぃっ! ええい、こうなったらこいつを起動させて、貴様らごとこの学園を火の海にしてくれるわ!」
教授は半狂乱になりながら、持っていた黒い魔導具の石をゴーレムの胸部にある窪みにガコンッ!と乱暴に押し込んだ。
途端に、黒い石から禍々しい瘴気が吹き出し、ゴーレムの全身に刻まれた古代文字の術式に魔力が流れ込んでいく。
「さあ! 目覚めよ、五千年の眠りにつく破壊の遺物よ!!」
教授が両手を広げて高らかに叫ぶ。
ゴゴゴゴ……と遺跡全体が微かに揺れ、ゴーレムの目が赤く発光した。
私たちも一斉に身構え、セリアが拳を握り、クロードが剣を構えた。
――カチッ。プスゥゥゥゥ……。
「…………え?」
「…………あれ?」
赤く光ったゴーレムの目は、数秒後に明滅すると、何かのガスが抜けるような情けない音を立てて完全に沈黙した。
ピクリとも動かない。
「な、なぜだ!? 動け! 動かんか、このポンコツがぁっ!」
教授がバンバンとゴーレムの脚を叩くが、石の塊は微動だにしない。
クロードの小脇に抱えられたままのノアが、ずり落ちた眼鏡を中指で押し上げた。
「……僕の計算と見立てによれば、魔力回路が完全に焼き切れていますね。控えめに言って、ただの粗大ゴミです」
「ふざけるなァァッ! ならば私の魔法で貴様らを!」
ヤケを起こした教授が杖を振り上げ、黒い炎を放とうとした、その瞬間。
「……遅いです」
「えっ?」
ミアが詠唱すらなしに放った水の圧縮弾が、教授の杖をピンポイントでへし折った。
さらにセリアが縮地で懐に潜り込み、「神の裁き(という名の鳩尾への正拳突き)」を叩き込む。
「ぐふぉぉっ……」
白目を剥いたベイツ教授は、カエルのように床に突っ伏し、あっけなく気絶したのだった。
*
「……で、終わってみればあっけなかったけど。これ、何なの?」
縛り上げた教授をクロードに任せ、私は沈黙したままの巨大なゴーレムを見上げた。
悪魔教団がわざわざ高位悪魔を喚んでまで手に入れたがっていた『遺物』。それがただの壊れたゴーレムだなんて、どうも腑に落ちない。
「ねえ、お姉様。ここはあの人を呼んだ方が早いのではありませんか?」
リリアの提案に、私はポンと手を打った。
「そうね! 古代の遺物なら、文字通り『古代から生きてる存在』に聞くのが一番だわ」
私は足元の影を広げ、公爵邸にある自分の部屋の影と空間を繋ぐ『影の扉』を展開した。
「エマー! 起きてるー!? ちょっと顔貸してー!」
影の泥沼に顔を突っ込んで叫ぶと、数分後、ナイトガウンの上にメイド服を羽織ったエマが、お盆に夜食用のサンドイッチを乗せてひょっこりと現れた。
「お嬢様。いくら魔女の力とはいえ、深夜の徘徊と空間魔法の無駄遣いはおやめください。……それで、シュシュエル様ですね?」
有能すぎるメイドは状況を一瞬で察し、目を閉じて深く息を吸い込んだ。
次に彼女がゆっくりと目を開けた時――その瞳の色は神々しい金色に輝き、背後には幻影のような白い羽が揺らめいた。
「……ふぁぁ。夜更けに我を呼び出すとは、相変わらず人使いの荒い魔女だな」
口調と纏うオーラが完全に天使シュシュエルへと変わった彼女は、大きな欠伸をした後、祭壇のゴーレムに視線を向けた。
その瞬間、シュシュエルの金色の瞳が、微かに揺れた。
「……ほう。これはまた、ひどく懐かしいものを見つけたな」
シュシュエルは静かに歩み寄ると、慈しむような手つきで、冷たいゴーレムの装甲を優しく撫でた。
「シュシュエル、これがいったい何か知ってるの?」
「ああ。五千年前の、我ら天使と悪魔の戦争の遺物だ。……お前たちは、我々のような高位の霊体は、地上に顕現するために『人間の器(体)』が必要だという話は知っているな?」
「ええ。だからあんたもエマの体を借りてるんでしょ?」
私が頷くと、シュシュエルはゴーレムを見上げたまま静かに語り始めた。
「五千年前の戦争の末期、激しすぎる戦いで、地上では我々が受肉するための『器』が枯渇してしまったのだ。……その時、当時の『魔女』に頼み込んで作ってもらったのが、この人工の器……魔導ゴーレムだ」
「「えっ!?」」
私とリリアは思わず声を上げた。
「じゃ、じゃあ、これは兵器じゃなくて……」
「そうだ。天使も悪魔も、当時はこれに魂を移して地上を歩んだのだ。なるほど、悪魔どもがこれを欲しがるわけだ」
シュシュエルは納得したように頷く。
「現代において、悪魔が地上に顕現するには契約と生贄が必要不可欠。だが、この『人工の器』の構造を解析し、量産することに成功すれば……奴らは生贄なしで、好きなだけ地上に悪魔の軍勢を送り込めるようになる」
「……ッ!!」
その言葉に、私たちは背筋が凍る思いがした。
もしベイツ教授がこいつを持ち出し、教団が量産に成功していたら、王都は本当に火の海になっていたかもしれない。
「安心しろ。中身の魔力回路はとうに死んでいるし、現代の人間には解析不可能なブラックボックスだ。……だが、念のため、これは我が天界に持ち帰って管理させてもらうとしよう」
シュシュエルが指を鳴らすと、巨大なゴーレムが光の粒子に包まれ、フッと空間から消失した。天界の宝物庫へ転送したのだろう。
「やれやれ、思わぬ落とし物を拾ったな。これを作った魔女は、とっくに異次元へと去ってしまったが……まあ、あいつは気まぐれに地上に現れるからな。その時にでも会って返しておくとしよう」
「…………はい?」
シュシュエルが何気なくポロリと零した言葉に、私とリリア、そして他のメンバーも全員、口をポカンと開けて固まった。
「い、異次元!? っていうか、私以外にも『魔女』っているの!?」
「ん? ああ、お前には言ってなかったか。魔女というのは一つの魂の系譜であってだな……おっと、これ以上は世界の理に関わる。今の人間にはまだ早い知識だ」
「ちょっと待ちなさいよ! 気になるじゃない! 異次元って何!? その魔女って今どこに……!」
「ふぁぁ、エマの体が睡眠を要求している。我はもう寝るぞ。さらばだ、若き魔女よ」
私が詰め寄るより早く、エマ(シュシュエル)は金色の瞳を閉じ、カクンと首を垂れた。
次に目を開けた時には、いつもの冷静なエマに戻っていた。
「……お嬢様? なぜ皆様、そんなに呆然とされているのですか? お夜食のサンドイッチ、冷めますよ?」
「エマーーーッ!! シュシュエルをもう一回呼び出して!! 気になって今夜は眠れないわよ!!」
地下遺跡に、私の絶叫と、事切れた教授を米俵のように担ぎ直したクロードの笑い声が響き渡る。
かくして、探偵令嬢団の秘密の学園調査は、世界の根幹に関わる「異次元の魔女」という超弩級の爆弾(謎)を残したまま、幕を閉じるのだった。
「――というわけで、内通者だったベイツ教授は騎士団に引き渡し済み。地下遺跡の『遺物』は天界の宝物庫へ無事回収されたわ。学園調査任務、これにてコンプリートよ!」
王立学園内にある王太子専用の特別サロン。
ふかふかのソファに深々と腰掛けた私は、テーブルに用意された高級なマカロンを次々と口に放り込みながら、事の顛末を誇らしげに語り終えた。
「素晴らしい手際だ、アイラ。まさか内通者が歴史学の教授だったとはな」
向かいの席で紅茶を傾けるジュリアン殿下が、満足げに微笑む。
「エドワード殿下、これで学園の安全は守られましたわ!」
「ああ、ありがとうリリア嬢。君たちの活躍のおかげだよ。……怪我がなくて本当に良かった」
隣の席では、リリアとエドワード殿下が、いつものように甘くキラキラした空間を形成し、互いの手をギュッと握り合っていた。
「それにしても、『五千年前の戦争の遺物』とはな。教団の連中が量産化に成功する前に阻止できたのは、王国の歴史に残る大功績だ。父上にもしっかり報告しておくよ」
ジュリアン殿下が真剣な表情で頷く。
私はマカロンを飲み込み、肩をすくめた。
「まあ、遺物の件はこれで一件落着だけど。……シュシュエルがポロリと零した『異次元の魔女』ってキーワードだけは、どうしても引っかかるのよね。私以外にも魔女がいるなんて」
「ああ。そちらについても王家の情報網を使って、古い文献を洗わせてみる。……とはいえ、差し迫った危機は去ったのだ。今は、お前たち自身の平和と青春を享受してくれ」
「そうね。しばらくは、クロードたちの指導と学食の新メニュー開拓に専念するわ」
私が大きく伸びをして、さて解散しようかと立ち上がりかけた、その時だった。
「ああ、そうだ。大事な報告を忘れていた」
ジュリアン殿下が、ティーカップをことりと置き、極めて自然な動作で、さらりと爆弾を投下した。
「無事、我々の婚約が成立したぞ」
「…………はい?」
私とリリアは、同時に間の抜けた声を上げた。
「こ、婚約って……殿下たちと、私たちのですか?」
リリアが目を丸くしてエドワード殿下を見つめると、彼は耳まで赤くして「ああ、その通りだ」と力強く頷いた。
「ちょっと待ちなさいよ! お父様が『娘を王族なんぞにくれてやるものかー!』って、お兄様と一緒に公爵邸に立て籠もって徹底抗戦してたはずじゃない!」
親バカの極みであるレオンハルトお父様と、超絶シスコンのセオドアお兄様。
彼らが、私たちの婚約(王家への嫁入り)をそう簡単に認めるはずがないのだ。
私のツッコミに対し、ジュリアン殿下はフッと腹黒い笑みを浮かべた。
「ああ。公爵とセオドア殿の抵抗は、なかなかに見事だった。だが、父上と母上(国王夫妻)を交えた三日三晩に及ぶ『説得』の末、ついに首を縦に振らせたよ」
「『説得』って……またあの手を使ったのね?」
「『今ここで婚約を白紙に戻せば、娘たちから一生口をきいてもらえなくなりますよ』という、データに基づいた事実を突きつけただけだ。公爵は絨毯の上で転げ回って号泣していたがな」
……目に浮かぶようだ。我が父ながら、本当にちょろい。そして国王夫妻と殿下たちは、相変わらず公爵家の弱点の突き方が容赦ない。
「正式な婚約発表は、今年の冬に行われる王族主催の『デビュタント・ボール(社交界デビューの舞踏会)』で行う。王国の貴族がこぞって集まる場で、アイラとリリア嬢が我々の婚約者であると大々的にお披露目する」
ジュリアン殿下の言葉に、リリアは「まあ……!」と顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。
「ただし」
ジュリアン殿下は少しだけ苦笑いを浮かべた。
「デビュタントの会場への入場エスコートだけは、公爵とセオドア殿に譲ることになった」
「えっ、殿下たちがエスコートするんじゃないの?」
「『娘たちの晴れ舞台でのエスコート権だけは、何があっても絶対に渡さん! もし奪うなら王城から飛び降りてやる!』と、公爵たちが窓枠にしがみついて泣き喚いてな。……さすがに可哀想になったので、そこは妥協した」
「……お父様、お兄様、ご迷惑をおかけしました……」
私は頭を抱え、公爵家の長女として深く謝罪した。
「気にするな。入場のエスコートは譲ったが、婚約発表後のファーストダンスと、『生涯の伴侶』という最大の実はこちらが勝ち取ったのだからな」
ジュリアン殿下は立ち上がると、私の前に歩み寄り、恭しく片膝をついた。
そして私の右手を取り、手の甲に優しく口付けを落とす。
「アイラ。ずっと言いたかった。……私と、結婚してくれないか。君の作る美味しい料理と、その規格外の強さで、どうか私とこの国を支えてほしい」
「殿下……」
いつもは意地悪で腹黒い王太子が見せた、真剣で熱を帯びた瞳。
これにはさすがの私も、心臓がトクンと跳ねて、顔が熱くなるのを止められなかった。
「……もう。カロリーの高い料理ばっかり作って、殿下を太らせちゃっても知りませんからね」
「望むところだ。君の手料理で太れるなら本望だよ」
照れ隠しにそっぽを向いた私を、ジュリアン殿下が愛おしそうに抱き寄せる。
隣を見れば、エドワード殿下とリリアも見つめ合い、幸せそうに微笑み合っていた。
悪魔教団の陰謀、地下に眠る古代の遺物、そして「異次元の魔女」という新たな謎。
私たちの周りには、まだまだ波乱の種が尽きそうにない。
でも、今は――。
「さーて! 婚約成立のお祝いに、今日は私が腕によりをかけて『超特大・お祝いハンバーグタワー』を作るわよ! クロードとノアたちも呼んで、大宴会よ!」
「ああ、楽しみだ。胃薬を用意しておくよ」
今はただ、大切な人たちと過ごす、このドタバタで騒がしくも温かい日常を、お腹いっぱい噛み締めよう。
かくして、波乱万丈の「学園調査編」は、最高に甘くてカロリー過多なハッピーエンドとともに幕を閉じたのである。
春。
王立学園の広大な敷地に植えられた『桜桃の魔力樹』が、淡いピンク色の花びらを風に舞い散らせる季節。
「エドワード殿下が……学園をご卒業されてしまうなんて……っ」
学園の大講堂の前。
真新しい卒業の証である黒いマントを羽織ったエドワード殿下を前にして、リリアはポロポロと大粒の涙をこぼしていた。
「泣かないでくれ、リリア嬢。君の涙を見ると、私の心まで張り裂けそうになる」
「だって、明日から学園の図書室や中庭で、殿下とお会いできないと思うと……寂しくて……」
エドワード殿下は困ったように、けれどこの上なく愛おしそうに微笑むと、自分の胸元に輝いていた『第二魔力ボタン(王家の紋章入り校章)』を外し、リリアの小さな掌にそっと乗せた。
「これは、私が君を生涯愛し抜くという誓いの証だ。学園では会えなくなるが、私はすぐにでも君を迎えに行く。……デビュタントの日を楽しみに待っていてほしい」
「殿下ぁ……っ! はい、私、殿下のボタン、一生大切にしますわ!」
春のうららかな陽気の下、周囲に満開の花を散らすようなピンク色の空間が形成されていく。
相変わらず、あの二人は絵本から飛び出してきたかのような完璧なカップルだ。
「……で。お前は泣かないのか、アイラ?」
隣から降ってきた少し意地悪な声に、私は呆れたように肩をすくめた。
「もう。殿下はすでに学園をご卒業されて、王宮で毎日お忙しくされているはずでしょう? わざわざ抜け出してきて、お仕事は大丈夫なんですか?」
「ははっ、弟の晴れ姿を見に来るくらい、有能な王太子である私には造作もないことだ」
弟の卒業式に来賓として参列するため、王家の正装に身を包んだジュリアン殿下が、腹黒くも美しい笑みを浮かべる。
殿下は私たちが入学するより前に学園を卒業しており、今は立派に王宮で執務をこなす大人の男性だ。
「それに、だ。これからはエドワードも学園を去り、公務に就く。学園でお前の周りをうろつく悪い虫を牽制する『王家の目』が手薄になるからな」
「悪い虫って……そんなの寄り付くわけないじゃないですか」
「さて、どうかな。まあいい、これからは私が直接囲い込むとしよう。王城の厨房の全権限を与えよう。好きなだけ最高級の肉と魚を取り寄せていいぞ。だから、学園が終わったら毎日私に美味い飯を作りに(妃教育に)来い」
ジュリアン殿下が私の髪に付いた桜桃の花びらを、長い指で優しく払い落とす。
ただそれだけの仕草なのに、心臓がトクンと鳴って、顔が少し熱くなった。……悔しいけれど、やっぱりこの人はずるい。
「アイラ師匠ーっ!! リリア嬢ーっ!!」
甘い空気を切り裂くように、聞き慣れた元気な声が響いてきた。
振り返ると、クロード、ノア、ミア、そしてセリアの四人が、こちらに向かって走ってくる。
「おう! 見てくれよこれ! 無事に『2年生』の新しい学年章をもらったぜ!」
クロードが、制服の襟に輝く新しい銀のバッジを誇らしげに見せつけてきた。
「よかったじゃない! クロードも、ノアも、ミアも! これで『ボトム3』は完全に卒業ね!」
私がハイタッチを交わすと、クロードは「アイラ嬢の角煮丼のおかげだぜ!」と笑い、ミアも「アイラ様たちのご指導のおかげです……!」と嬉しそうにはにかんだ。
「まあ、僕の完璧な計算と学習計画があれば当然の結果ですがね。……問題は、2年生になっても、あの恐ろしい令嬢たちの『ノア様包囲網』が継続されるという絶望的な事実についてですが」
ノアが分厚い眼鏡を押し上げながら、深いため息をつく。
彼の学園生活の苦難は、まだまだ続きそうだ。
「気にするなノア! 万が一の時は、私の筋肉が令嬢たちの壁となってお前を守ってやろう!」
「セリア嬢に守られると、僕の生命の危機(物理的な圧死)が高まるので結構です!」
相変わらずのドタバタなやり取りに、私とリリアは顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
「まったく、君たちは本当に賑やかだな。……アイラ、残りの学園生活も楽しむといい。だが、冬のデビュタントの準備だけは忘れないようにな」
ジュリアン殿下が、私たちの騒ぎを温かい目で見守りながら告げる。
「ええ、分かっていますわ。……私たちの、正式な『婚約発表』の舞台ですものね」
「ああ。公爵たちの妨害(エスコート権の奪取)に負けず、最高の夜にしよう」
悪魔教団の陰謀を退け、無事に1年生を終えた私たち『最強の6人組』。
卒業していくエドワード殿下を見送りながら、私たちは春の光の中で、次なる舞台――華やかな社交界デビューと、まだ見ぬ2年生の生活への期待に胸を膨らませていた。
そして季節は巡り。
公爵家の、いや王国中を巻き込む『デビュタント・ボール(社交界デビューの舞踏会)』の足音が、すぐそこまで近づいていた。
王城、大舞踏会場。
天井を埋め尽くすシャンデリアの輝きが、王国の名だたる貴族たちの豪奢なドレスや正装を照らし出している。
今夜は、十六歳を迎えた貴族の子女たちが正式に社交界の仲間入りを果たす『デビュタント・ボール』。
そして私たちにとっては、あの親バカ公爵(お父様)の意地と王族の思惑が激突した、因縁の夜でもある。
「……さあ、アイラ。胸を張って歩きなさい。今日のお前は、世界で一番美しい」
「リリアもだ。お前をエドワード殿下になんて、本当は絶対に見せたくないが……今日だけは我慢してやる」
私とリリアは、それぞれレオンハルトお父様とセオドアお兄様のエスコートを受け、大階段をゆっくりと降りていた。
深紅のドレスを纏った私と、水色の可憐なドレスを纏ったリリア。会場中の視線が私たちに集まるのを感じる。
お父様たちとの「入場エスコート権の死守」という約束は、こうして見事に果たされたわけだ。
「まあ、これでジュリアン殿下たちの顔も立てたし。あとは自由時間ね」
階段を降りきり、お父様たちの手から離れた私たちは、すぐさま迎えに来たジュリアン殿下とエドワード殿下と合流した。
お父様とお兄様が背後でハンカチを噛みちぎりそうな顔をしているが、見ないふりをする。
「今日の君は本当に綺麗だ、アイラ。……あまり他の男に見せたくないな」
「殿下こそ、王太子の正装が似合っていますわ。腹黒さが三割増しに見えます」
「ははっ、褒め言葉として受け取っておこう」
ジュリアン殿下が私の腰に手を回し、エドワード殿下も甘い言葉を囁きながらリリアの手を引いて、私たちは会場の壁際——少し小高いバルコニー状の歓談スペースへと移動した。
ここからは、煌びやかな会場全体を見渡すことができる。
「……おや? あそこを見ろ、アイラ。君の可愛い教え子たちが、随分と『歓迎』されているようだぞ」
ジュリアン殿下がグラスを傾けながら、会場の中心を顎で示した。
そこには、私たちと同じく今日がデビュタントであるセリアとミア、そして彼女たちのエスコート役を務めるクロードとノアの姿があった。
しかし、彼らの様子は明らかにおかしい。
「うおっ!? な、なんだアンタら! 近い近い!」
「ひぃぃっ! ご、ご令嬢だけでなく、今度はご当主様たちまで僕を囲んでくるなんて……僕の計算の範疇外です!」
クロードとノアが、脂ぎった笑顔を浮かべる高位貴族の当主や夫人たちに、何重にも取り囲まれているのだ。
セリアが筋肉で物理的な壁を作ろうとしているが、貴族たちの「圧」に押され気味である。ミアに至ってはノアの背中に隠れて震えている。
「あらら。見事にロックオンされてるわね」
私はクスクスと笑いながら、目の前で繰り広げられる「社交界の狩り」を眺めた。
「当然だろうな。平民であり学園最下位だったクロードと、没落貴族の三男であるノア。本来ならこのデビュタントに参加できる身分ではない」
ジュリアン殿下が、まるでチェス盤を俯瞰するような冷徹な目で解説する。
「だが、彼らを参加させるために、王家だけでなく、近衛騎士団の団長や宮廷魔法師団のリュカが裏で推薦状を書いた。……耳聡い高位貴族たちが、その『裏情報』を嗅ぎつけないわけがない」
「なるほどね。つまりあの貴族たちは……」
「『王家と軍の上層部が、あの二人の少年を何としても囲い込もうとしている。ならば、青田買いして自分の派閥に取り込めば莫大な利益を生む逸材に違いない』……そう判断したのさ」
エドワード殿下も苦笑いしながら頷いた。
「ノア君はともかく、クロード君は自分がどれだけ価値のある(と見なされている)存在か、全く自覚していないようだけどね」
「ああ……可哀想なノア様。あんな恐ろしい空間に放り込まれるなんて……私の指導不足ですわ」
リリアが、青い顔で震える自分の教え子を見て、胸を痛めるように両手で顔を覆った。
「君のせいじゃないさ、リリア嬢。彼もやがて貴族社会の荒波を渡っていくのなら、これも良い経験になる。……だからどうか、今日ばかりはその美しい顔を曇らせないでくれ」
エドワード殿下が、リリアを庇うようにそっと肩を抱き寄せ、甘く優しい声で囁きかける。
「エドワード殿下……!」
途端に、彼らの周囲にいつもの甘ったるいピンク色の空間(お花畑)が形成されていく。
「……で、あっちの脳筋バカ(クロード)の方は『美味い飯が食えるから来た』くらいにしか思ってないでしょうね。ノアの方はもう、半分魂が抜けてるけど」
私は隣の甘い空間を華麗にスルーしつつ、眼下の子羊たちを哀れんだ。
令嬢たちだけでなく、今度はその親世代(権力者たち)からも「うちの娘をぜひ」「いや、我が家の養子に」と凄まじい勧誘を受けているノアは、眼鏡が完全にズレたまま、白目を剥きかけていた。
まさに、無縁だった恐ろしい政治の世界に放り込まれた、哀れな子羊二匹である。
「可哀想に。あのままだと、クロードは丸め込まれて変な契約書にサインさせられそうだし、ノアはストレスで胃に穴が空くわね。……少し助け船を出してあげましょうか」
「そうだな。私の婚約者(未来の王妃)の直属の部下を、勝手に横取りされては困る」
私たちがグラスを置き、子羊たちを救出すべく立ち上がろうとした、その時。
——カァァァァン……!
会場の空気を震わせるように、高く澄んだ鐘の音が鳴り響いた。
国王夫妻の入場と、重大発表の合図だ。
「おっと。助け船は後回しだな。……さあ、行こうか、アイラ。リリア嬢」
ジュリアン殿下が私の手を引き、エドワード殿下がリリアの手を取る。
会場中の視線が、大階段の上に現れた国王夫妻と、その傍らに進み出た私たち四人に一斉に集まった。
喧騒がピタリと止み、水を打ったような静寂が訪れる。
国王陛下が、威厳に満ちた声で、会場全体に響き渡るように宣言した。
「皆の者、今宵のよき日に集まってくれたことを感謝する。……本日は、我が王家の慶事を発表しよう」
さあ、特大の爆弾投下の時間だ。
親バカ公爵(お父様)がハンカチを噛み締めて涙ぐむ中、私たちは堂々と胸を張り、王国中にその名を轟かせるのだった。
「皆の者、今宵のよき日に集まってくれたことを感謝する。……本日は、我が王家の慶事を発表しよう」
国王陛下の威厳ある声が、静まり返った大舞踏会場に響き渡った。
大階段の上。国王夫妻の傍らに立つ私たち四人に、会場中の数百の視線が突き刺さっている。
「我が第一王子であり王太子であるジュリアンは、アルジェント公爵家長女、アイラ・アルジェント嬢と。そして第二王子エドワードは、同じく次女リリア・アルジェント嬢と、それぞれ正式に婚約を結ぶ運びとなった!」
一瞬の、空白。
それから、シャンデリアが揺れるほどの凄まじい歓声とどよめきが沸き起こった。
「おおお……! アルジェント公爵家の双子の令嬢が、お二人とも王家に嫁ぐだと!?」
「ただでさえ王国の要である公爵家の権力が、これでさらに盤石のものに……!」
「なんて美しい二組のカップルだ。まるで絵画のようじゃないか」
祝福の拍手と、貴族たちの打算に満ちた囁き声が波のように押し寄せてくる。
無理もない。公爵家の娘が揃って二人の王子に嫁ぐなど、王国の歴史でも異例中の異例なのだから。
隣に立つジュリアン殿下が、満足そうにフッと微笑んだ。
「これでもう、誰にも文句は言わせない。君は名実ともに、私のものだ」
「……はいはい。これでお父様たちからの妨害工作も、少しは大人しくなるでしょうね」
「どうかな。あちらを見てごらん」
ジュリアン殿下の視線の先、階段の下の特等席では。
レオンハルトお父様とセオドアお兄様が、ハンカチをギリギリと噛み締めながら、この世の終わりのような顔で膝から崩れ落ちていた。
(……ごめんなさい、お父様、お兄様。でも、ちゃんと入場のエスコート権は守ったから許してね)
私が心の中で密かに合掌していると、国王陛下の隣に立つ王妃様が一歩前に進み出た。
その手には、優雅な羽扇子が握られている。
「皆様。若き二組の喜ばしい婚約を祝し、今宵のデビュタントの幕開けは、彼らの『ファーストダンス』から始めたいと思いますわ」
王妃様がパチンッと扇子を閉じると、楽団が流れるように美しいワルツの演奏を始めた。
「さあ。愛しき我が息子たちよ、未来の妻をエスコートなさい」
王妃様の言葉は、どこか悪戯っぽく、楽しげに響いた。
それは明確な、そして誰も文句の言えない『王族からの仕返し』だった。
(なるほどね。入場のエスコートを譲った代わりに、一番目立つファーストダンスという『実』を、大義名分付きで堂々と奪いに来たわけだわ)
「そういうことだ。母上の粋な計らいに感謝しないとな」
ジュリアン殿下は私の心を読んだように笑うと、私の前に恭しく片膝をつき、右手を差し出した。
「アイラ。私と踊ってくれるか?」
「ええ。ですが、ステップを間違えて殿下の足を踏んでしまっても、文句は言わないでくださいね?」
私は殿下の手を取り、優雅にカーテシーを返した。
同時に、隣ではエドワード殿下がリリアの手を引き、彼女が顔を真っ赤にして頷いている。
階段を降り、モーゼの十戒のように開かれた会場の中心へ。
音楽のテンポが上がり、ジュリアン殿下の大きな手が私の腰をしっかりと抱き寄せた。
「っ……」
滑り出すようなステップ。
殿下のリードは完璧で、私はまるで羽が生えたように軽やかにフロアを舞った。深紅のドレスが円を描いて大きく広がり、シャンデリアの光を反射してキラキラと輝く。
「今日の君は本当に綺麗だ。……このまま城の寝室まで連れ去ってしまいたい気分だよ」
「バカなこと言わないでください。それに、私を連れ去ったら、学食のおばちゃんが悲しみます」
「ははっ、こんな時でも君の頭の中は食べ物のことばかりだな。だが、そんな君だからこそ、私はどうしようもなく惹かれたのだ」
クルリとターンを決めながら、殿下が見せる熱を帯びた瞳に、私の心臓がトクンと跳ねた。
隣では、エドワード殿下とリリアが、見つめ合いながらふんわりと優しいワルツを踊っている。
水色のドレスが波打つたびに、彼らの周囲にはいつものピンク色の甘い空間が、会場全体を包み込むように広がっていた。
「美しい……! なんてお似合いの二組なんだ!」
「王国は安泰ですな……!」
貴族たちがうっとりと見惚れ、ため息を漏らす。
しかし、その完璧な空間の端で、ただ二人だけが地獄の底にいた。
「あああああ!! 私の、私の可愛いアイラとリリアがああああ!! 王族の毒牙にぃぃぃぃ!!」
「クソッ……! 入場エスコートの次はファーストダンスを要求してくるなんて、王室の強欲(腹黒)どもめ……!!」
レオンハルトお父様とセオドアお兄様が、壁際の柱にしがみつきながら、血の涙を流して絶叫している。
「ふふふ。レオンハルト公爵、セオドア。あなたたちも、もう諦めてお二人の幸せを祝福して差し上げなさいな。……ねえ、あなた?」
「うむ。娘の巣立ちを受け入れるのも、父親の務めであるぞ」
王妃様が扇子で口元を隠して「おーほっほっほ」と高笑いし、国王陛下が腹を抱えて笑っている。
王族と公爵家。国を束ねるトップ同士の、容赦のない(そして最高に大人げない)権力闘争とマウントの取り合いである。
「……お父様たち、完全に王妃様に遊ばれてるわね」
「彼らも公爵家の男だ、あの程度のストレスでは死なないさ。それより、アイラ」
ジュリアン殿下が、私の顔をぐっと引き寄せた。
「今は、私だけを見ていろ」
音楽がクライマックスを迎え、殿下に抱き上げられるようにして、私は大きく宙を舞った。
割れんばかりの拍手と歓声が、私たちを包み込む。
親バカたちの悲鳴と、強かな王族の笑い声、そして、不憫な子羊たち(クロードとノア)の受難。
私たちのデビュタントの夜は、最高に騒がしく、そして甘く華やかに更けていくのだった。
夢のようなファーストダンスが終わり、会場は和やかな自由歓談の時間へと移った。
私たち二組の婚約の話題で持ちきりの会場の端で……先ほど助け船を出しそびれた不憫な子羊たちが、再び絶体絶命の危機に陥っていた。
「ささ、ノア殿! ぜひ我が娘と一度お茶会を! 結納金ならいくらでも用意しますぞ!」
「クロード君といったか! 剣の腕が立つそうじゃないか。どうだ、我が家系の専属騎士として高待遇で……」
「ひぃぃ……っ! 頭が、僕の脳の処理能力が追いつきません……っ!」
「おう! 飯なら食うぜ! でも契約書ってなんだ!?」
欲望に目をギラつかせた高位貴族たちが、ノアとクロード、そして彼らと組んでいるミアとセリアを壁際まで追い詰めている。セリアが物理的に威嚇しているが、百戦錬磨の貴族たちには通じていないようだ。
「……そろそろ限界みたいね。行くわよ、殿下」
「ああ。未来の王妃の部下を、ハイエナどもに食い物にされては王室の恥だからな」
ジュリアン殿下が私の腰を抱き寄せ、エドワード殿下がリリアの手を引いて、私たちは堂々たる足取りで包囲網へと向かった。
私たちが近づくと、貴族たちがハッとして道を空ける。
「皆様。歓談の最中に申し訳ありませんが、その辺りにしていただけませんか?」
私が余裕のある笑みを浮かべて扇子を広げると、貴族たちは一瞬怯んだものの、食い下がるように口を開いた。
「こ、これはアイラ様、ジュリアン殿下。いえ、我々はただ、この将来有望な若者たちと親睦を深めようと……」
「親睦、ですか?」
ジュリアン殿下が、絶対零度の冷たい瞳で貴族たちを見下ろした。
「彼らは、私の婚約者であるアイラとリリアが手塩にかけて育てた直属の部下だ。つまり、王室肝いりの逸材ということ。……それを、無断で自分たちの派閥に引き入れようとするのは、いささか強引すぎやしないか?」
「うっ……し、しかし殿下! いくら公爵令嬢の教え子とはいえ、一方は平民、もう一方は没落貴族の三男。我々のような高位貴族が庇護してやった方が……」
貴族の一人が見え透いた言い訳を口にした、その時だった。
「――お言葉ですが。その『平民』は、我ら王国近衛騎士団が総力を挙げて目をかけている男ですよ」
凛とした声と共に現れたのは、近衛騎士団の純白の軍服に身を包んだ、騎士団長の息子・カイルだった。
エドワード殿下の戦友であり、密かにリリアを巡るライバルでもある彼は、鋭い視線で貴族たちを射抜く。
「クロードは、伝説の剣聖の末裔。いずれ近衛騎士団を背負って立つ男です。貴族の私兵に収まるような器ではありません」
「カイル様……!」
カイルの登場に貴族たちがざわめく中、今度はひどく気怠げな、それでいて底知れぬ魔力を秘めた声が響いた。
「まったく。私の可愛い『頭脳』を、よってたかって苛めないでほしいな」
「リュ、リュカ様!?」
黒いローブを羽織った宮廷魔法師団のトップ、リュカが、面倒くさそうに首を鳴らしながら歩み出てきた。ノアが「リュカ先生ぇ!」と涙目で彼を見る。
「ノア・ウィンザーの明晰な頭脳と計算能力は、我が魔法師団の宝だ。いずれ私の右腕として酷使……いや、活躍してもらう予定なんでね。つまらない縁談で彼の脳みそを鈍らせないでもらえるかな」
「騎士団長の御子息に、魔法師団のトップまで……!?」
貴族たちの顔から、サァァッと血の気が引いていく。
だが、とどめとばかりに、背後から神々しいまでの光と重厚な足音が近づいてきた。
「おお、我が教国の誇る聖女セリアよ。それに、世界を救いし尊き乙女たちよ」
荘厳な法衣を纏った初老の男――教国の重鎮であり特使のサミュエル大司教が、穏やかな、しかし圧倒的な威圧感を放つ笑顔で現れた。
「こ、今度は教国の特使様!?」
「我が教国の聖女とその友人に、何か御用ですかな? もし彼らを不当に扱うようなことがあれば、教国としても黙ってはおりませんが」
サミュエル大司教の言葉に、ついに貴族たちの心がボキリと折れる音がした。
王家(次期国王夫妻)。
近衛騎士団。
宮廷魔法師団。
そして、教国。
彼らが「手駒にしてやろう」と群がっていた哀れな子羊たちの背後には、国家と世界の全権力を握るトップ層が、文字通り「要塞」のように立ちはだかっていたのである。
「ひぃぃぃっ!! も、申し訳ありませんでしたぁっ!!」
「し、失礼いたしますぅぅ!」
蜘蛛の子を散らすように、いや、魔王から逃げる村人のように、貴族たちは我先にと逃げ出していった。
「ふう……助かりました、アイラ嬢、殿下たち……」
ノアがズレた眼鏡を直し、その場にへたり込む。
クロードは「おう! なんかよく分かんねえけど助かったぜ!」と呑気に笑っている。ミアとセリアも安堵の息を吐いていた。
「まったく。あんたたちはもう少し、自分たちの価値と周りの大人たちの腹黒さを自覚しなさいな」
私が呆れてため息をつくと、ジュリアン殿下が私の肩を優しく抱いた。
「まあいい。これで面倒な害虫は駆除できた。……さあアイラ、今度こそ二人でゆっくり食事でもどうだ? 君の好きなローストビーフの特大サイズを用意させてある」
「本当ですか!? 行きます! 絶対に行きます!」
私は扇子を放り投げんばかりの勢いで頷いた。
背後では、エドワード殿下とカイルがリリアを挟んで静かな火花を散らし、リュカがノアに新しい魔法陣の計算課題を押し付け、セリアとクロードが「この会場で一番タンパク質が多い料理はどれか」と盛り上がっている。
波乱に満ちたデビュタントの夜は、最高の後ろ盾と最高の仲間たちと共に、ようやく平和で美味しい時間へと突入するのだった。
「さあ! 心の底から待ちわびていた、栄光の肉よ!」
王族専用の設えが施された、広々とした特別バルコニー席。
大舞踏会場の喧騒を足元に見下ろすその特等席で、私は目の前に運ばれてきた山盛りの特大ローストビーフに、感動の涙を流さんばかりの勢いでナイフを入れた。
「うおおお! この肉、口の中で溶けるぞ師匠!」
「クロード、お肉ばかりではなく、こちらの高タンパクな白身魚のカルパッチョも食べなさい。筋肉の形成にはバランスが大事よ」
「おう! セリアの言う通りだな!」
長机の向こうでは、すっかり元気を取り戻したクロードが肉と魚を交互に平らげ、セリアが武闘派聖女らしからぬ優雅な手つきでプロテイン入りの(?)特製スープを飲んでいる。
「ふう……。やっと、僕の脳が正常な処理速度を取り戻しました。社交界という名の魔境は、高位悪魔との戦闘より精神をすり減らしますね……」
「お疲れ様です、ノア様……。でも、リュカ先生やカイル様たちが来てくださって、本当によかったです」
ノアがズレた眼鏡を拭きながら温かいハーブティーをすり、その隣でミアが色とりどりのマカロンを皿に取り分けている。
「まったく。あんたたち、自分たちがもう『最下位の落ちこぼれ』じゃないってこと、そろそろ自覚しなさいよ」
私は分厚い肉を咀嚼して飲み込むと、呆れたように、けれど誇らしい気持ちで彼らを見た。
「クロードの剣撃はすでに騎士団の精鋭レベルだし、ノアの頭脳と魔法陣構築はリュカのお墨付き。ミアの火力だって、下手な魔法師団員より上よ。……自信を持ちなさい。あんたたちは、私たちが背中を預ける立派な仲間なんだから」
私の言葉に、クロードは「おうよ!」と力強く笑い、ノアは少し照れくさそうに眼鏡を押し上げ、ミアは嬉しそうに「はいっ!」と頷いた。
学園に入学した当初はバラバラで、頼りなかったボトム3。それが今では、誰もが認める『最強の6人組』の一員なのだから。
「アイラお姉様。ジュリアン殿下が、お姉様のあまりの食べっぷりに少し引いていらっしゃいますわよ?」
「リリア嬢、君の口元にクリームがついている。……ふふ、甘くて美味しいな」
「きゃっ……殿下ぁっ……」
私の斜め向かいでは、リリアとエドワード殿下が、イチゴのタルトを互いに食べさせ合いながら、極彩色の甘ったるい空間を展開していた。うん、こっちは平常運転ね。
「別に引いてなどいないさ。これだけ気持ちよく食べてくれると、最高級の肉を手配した甲斐があるというものだ。……それに、カロリーを魔力に変換する君にとって、食事は重要な『補給』だからな」
隣に座るジュリアン殿下が、自分のグラスに注がれた琥珀色の果実酒を揺らしながら、柔らかく微笑んだ。
いつもの腹黒い王太子の顔ではなく、年齢相応の、心から安らいだような表情だ。
「まあね。今日は魔法を使ってないから、ただの食欲だけど」
「ははっ、正直でよろしい。……だが、今日くらいは私も、君のその食欲に付き合うとしよう」
ジュリアン殿下はそう言うと、私の皿からヒョイッとローストビーフを一切れ奪い、口に放り込んだ。
「ああっ! 私の肉!」
「美味いな。君がそこまで執着する理由がわかる」
「もう、殿下の分はそっちにあるじゃないですか!」
私がジト目で抗議すると、殿下は楽しそうに声を上げて笑った。
やがて、眼下の会場では、デビュタントの最後を飾る穏やかなワルツの演奏が始まった。
煌びやかなドレスと正装が、音楽に合わせてゆっくりとフロアを回っていく。まるで、万華鏡のように美しい光景だった。
「アイラ」
不意に、ジュリアン殿下がグラスを持って立ち上がった。
それに合わせて、エドワード殿下も、そしてクロードたちも姿勢を正してグラス(あるいはティーカップ)を手にする。
「……今日という佳き日に。私とアイラ、そしてエドワードとリリア嬢の婚約を祝して。そして何より、君たち『最強の6人組』が、間もなく迎える2年生の輝かしい日々に……乾杯」
「「「乾杯!!」」」
クリスタルグラスが触れ合う、涼やかな音が夜空に響いた。
お父様たちへの説得から始まり、エスコート権の攻防、そして怒涛の婚約発表と、子羊たち(クロードとノア)の救出劇。
思い返せば、私たちのデビュタントは、一筋縄ではいかないドタバタと波乱の連続だった。
(でも……悪くないわね)
グラスの果実水を飲み干しながら、私は隣で微笑む婚約者と、笑顔で語り合う仲間たちを見渡した。
地下遺跡でシュシュエルが語った「五千年前の器」の存在。
いまだ行方の知れない悪魔教団の残党。
そして、どこかの次元をふらふらしているらしい、私以外の「異次元の魔女」。
私たちの周りには、まだまだ厄介な火種と謎がゴロゴロと転がっている。
きっと、2年生になっても、私たちは平穏無事な学生生活なんて送れないのだろう。美味しいご飯と引き換えに、次から次へと事件に巻き込まれるに違いない。
けれど、今の私には、この背中を預けられる仲間たちと、強かで腹黒いけれど誰より頼りになる彼がいる。
「……何を見ているんだ? 私の顔に何かついているか?」
「いえ? ただ、これからの学園生活も、退屈しなくて済みそうだなーって思っただけです」
「違いない。お前がいる限り、王国の平穏と私の胃袋は、常にスリリングな刺激に満ちているだろうからな」
ジュリアン殿下が私の手を取り、そっと指を絡めてきた。
眼下から聞こえるワルツの旋律が、私たちの新しい季節の幕開けを祝福しているようだった。
かくして。
少女たちを大人の社交界へと迎え入れる華やかなデビュタントの夜は、最高級の肉の味と、仲間たちの賑やかな笑い声とともに、優しく幕を閉じるのだった。
楽しんで頂けましたか?
一段落と思わなくもないですが、学園編はまだ続きます。




