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偽物令嬢にされて冷遇に文句を言ったら改善されたので本物の令嬢を探してあげました【連載版】  作者: ウナ
第二部

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学園編5

他の話の修正をしつつ執筆中です。

1話分の切の良いところまで書けたのでアップしました。

華やかで騒がしかったデビュタントの夜から数週間。


私たちはいよいよ二年生へと進級する直前の、短い春休みをアルジェント公爵邸で過ごしていた。


「……というわけで、美味しいお茶とケーキも用意したことだし。そろそろ、あの時の話の続きを聞かせてもらえるかしら?」


公爵邸にある私の私室。


ローテーブルに並べられた最高級のイチゴのタルトと紅茶を前に、私は向かいに立つ専属侍女に向かって声をかけた。


「……お嬢様。いくら美味しいお茶をご用意いただいても、私には『あの時』の話などさっぱり」


「エマじゃなくて、あんたの中に引きこもってる天使の方よ。ほら、シュシュエルに代わって」


私が指を鳴らすと、エマは「やれやれ」と小さくため息をつき、静かに目を閉じた。


そして深く息を吸い込み、ゆっくりと目を開く。


その瞬間、彼女の瞳は神々しい金色へと染まり、背後には美しい白い羽の幻影が揺らめいた。


「ふぁぁ……。我を呼び出す時の供物が、肉ではなく甘味になったのは評価しよう。だが、相変わらず天使使いが荒いな、若き魔女よ」


「文句はタルトを食べてからにしなさいな。地下遺跡で言い残した『異次元の魔女』ってキーワード、気になって最近夜も(8時間しか)眠れないのよ」


私の隣で、リリアも「そうですわ! お姉様以外の魔女が存在するなんて、妹として聞き逃せません!」と鼻息を荒くしている。


シュシュエル(エマの姿)は優雅にティーカップを傾けると、金色の瞳をスッと細めた。


「よかろう。だが、それを理解するには、まず今の人間どもが忘れてしまった『世界の基礎知識』から語らねばなるまい。……五千年前の、我らと悪魔たちの全面戦争についてだ」


シュシュエルの声に、空気がピンと張り詰める。


「五千年前。当時の悪魔どもは、アイラ、お前のような強大な魂を持つ人間を『供物』と呼んでいた。その魂に、苦痛や絶望といった負のエネルギーを限界以上に溜め込ませ……負の魂を物質化させることで、この地上に『地獄の門』を開いたのだ」


「地獄の門……」


「そうだ。その門から、悪魔、地獄の亡者、そして神に背いた堕天使どもが大量に地上へと溢れ出し、世界を地獄絵図に変える……それが奴らの儀式だった」


紅茶の湯気の向こうで、シュシュエルが語る神話レベルの惨劇。


夏休みに戦った高位悪魔のような存在が、文字通り大軍勢となって押し寄せてくる光景を想像し、私は思わず身震いした。


「……で、あんたたち天使は黙って見てたわけ?」


「まさか。だが、地獄の門が開いたことで我々は完全に後手に回った。反撃のためには、地上の『白き魂』を媒介にして、天界から天使の軍勢を召喚する必要があったのだ」


白き魂。それはつまり、人間にしか使えない『白魔法』を扱える者のことだ。


「幸運だったのは、当時の地上に、特に卓越した『魔女』がいたことだ。彼女は単独で天使の大軍勢を召喚する大術を行い、それにより我々は早期に地獄の門を閉じることに成功した。あとは、天使が堕天使を、魔女が悪魔を討伐することで、なんとか戦線を維持していたのだ」


「すごい……! さすがはお姉様と同じ、魔女の系譜ですわ!」


リリアが目を輝かせる。しかし、シュシュエルの表情は暗かった。


「戦況が不利になると、悪魔たちは世界中に散らばり、堕天使は地獄へと逃げ帰った。……そこからだ。人間にとっての『暗黒時代』が到来したのは」


「どういうこと?」


「奴らは正面切っての戦争から、裏での暗躍に切り替えたのだ。権力者に魅入って国を滅ぼし、猜疑心を煽り……人間を『駒』として扱い始めた。悪魔に魅入られる者と、討滅しようとする者に分かれた人間は、ひどく疲弊し、やがて極限の疑心暗鬼に陥った」


シュシュエルは、静かにイチゴのタルトにフォークを入れた。


「そして……疑心暗鬼に狂った人間どもは、超常の力を扱う『魔女』を恐れ、迫害するようになったのだ。自分たちを救ってくれたはずの、恩人をな」


「……なんて身勝手な」


「魔女は絶望し、人間界を見限って『異次元の世界』へと逃れた。……それが、我ら天界の天使、人間界の人間(と暗躍する悪魔)、地獄の堕天使と悪魔、そして異次元の魔女という、現在の世界の構図の始まりだ」


壮大すぎるスケールの歴史の真実に、私とリリアはしばらく声を出せなかった。


私たちが学園で学んでいる歴史より、はるかに古く、そして残酷な真実。


「……なるほどね。よく分かったわ」


私は冷めた紅茶をひとくち飲み、シュシュエルをまっすぐに見据えた。


「じゃあ、私が天界からもらってる『最後の魔女』って称号は、何なの? 異次元に別の魔女がいるなら、私は最後じゃないじゃない」


私の問いに、シュシュエルは「くくっ」と悪戯っぽく笑った。


「勘違いするな。あれは『地上で生まれた、現時点で最後の魔女』という意味に過ぎん。もしこの先、地上で次の魔女が誕生すれば、お前の『最後』という称号は消え、ただの『魔女』になる。それだけの話だ」


「……は? なにそれ」


私はポカンと口を開けた。


私がいつか世界を滅ぼすラスボスだから「最後の魔女」という物騒な称号がついているのかとハラハラしていたのに、単に「最新モデルの魔女」という程度の意味だったのだ。


「ちょっと! そんなしょうもない理由で、私がどれだけ悩んでたと思って……っ!」


「我は最初から言っていたぞ? 『ただの称号だ』と。勝手に勘違いして怯えていたのはお前だろう」


「ああもうっ! 返してよ私の深刻な悩み! このカロリー泥棒!」


私がクッションを投げつけると、シュシュエルはそれをヒョイと避けながら、ふわりと白い羽の幻影を散らして元のエマの姿へと戻っていった。


「……お嬢様。クッションを投げるなど、はしたないですよ。タルトのおかわりはお持ちしますか?」


「持ってくるついでに、もう一回その天使呼び出して! 往復ビンタしてやるから!」


静かな春の午後の公爵邸に、私の怒号とリリアの笑い声が響く。


だが、私の胸の奥には、確かな真実が刻み込まれていた。


五千年前の因縁。暗躍する悪魔と、地獄の門。


そして、異次元に去ったという、強大で孤独な魔女の存在。


私たちがこれから迎える二年生の生活が、決して平穏なものでは終わらないことを、その時の私はすでに確信していたのである。



春。


いよいよ私たち『最強の6人組』が、晴れて王立学園の二年生として新しい学生生活をスタートさせる――はずだった、その数日前のこと。


「というわけで、お前たち六人には、来週から『隣国』の魔法学園へ留学してもらうことになった」


王城にある王太子専用の執務室。


分厚い書類の束から顔を上げたジュリアン殿下は、まるで「明日からちょっと隣町までお使いに行ってきてくれ」とでも言うような、極めて軽いトーンでとんでもないことを言い放った。


「…………はい?」


私を含む六人の声が、見事にハモった。


「りゅ、留学!? しかも、隣国にですか!?」


リリアが目を丸くして尋ねると、ジュリアン殿下は静かに頷き、一枚の報告書をテーブルに滑らせた。


「表向きは、我が国と隣国との魔法技術の親善を目的とした『特例留学』だ。だが、真の目的は違う。……最近、隣国で不自然な魔力暴走や、貴族の行方不明事件が多発している。我が国の密偵の報告によれば、悪魔教団『黒蛇の目』の残党が関与している可能性が極めて高い」


「悪魔教団の……!」


その言葉に、クロードやセリアたちの顔つきが、学生から戦士のものへと変わる。


先日シュシュエルから『地獄の門』の真実を聞いたばかりの私とリリアにとっても、それは決して見過ごせない情報だった。


「隣国は悪魔に対するノウハウが乏しい。そこで、高位悪魔を討ち果たした経験を持つ『専門家』であるお前たちに、白羽の矢が立ったというわけだ」


ジュリアン殿下の説明は理に適っている。


だが、ノアが青い顔をして分厚い眼鏡を押し上げた。


「殿下、僕の計算では、それは国家間の外交プロトコルから大きく逸脱しています。……いくら実力があるとはいえ、一国の次期王太子妃であるアイラ嬢や、王子の婚約者であるリリア嬢を、他国の危険な任務に放り込むなど、本来なら絶対にあり得ない事態のはずですが?」


「その通りだ、ノア。通常であれば、国王陛下も公爵も、そして何より私が全力で反対する」


ジュリアン殿下はフッと口角を上げ、組んだ両手の上に顎を乗せた。


「だが、今回は『教国』が全面的に動いた。教国の特使であるサミュエル大司教が同行し、教国の全権を以て君たちの安全と便宜を図ると約束してきたのだ」


「……教国が、そこまで?」


セリアが不思議そうに首を傾げる。いくら彼女が聖女とはいえ、教国が他国の事件にそこまで肩入れするのは珍しい。


「ああ。さらに言えば……教国のトップである『教皇聖下』自らが、私に直接『取引』を持ちかけてきてね」


ジュリアン殿下の瞳の奥に、いつもの腹黒い、それでいて極上の獲物を手に入れたような光が宿った。


「教皇はこう言ったよ。『もしアイラたちを隣国へ派遣してくれるなら……アイラと私、リリア嬢とエドワードの結婚、そして今回同行するお前たち全員が将来結婚する際、教皇自らが最大の祝福を与え、国を挙げての結婚式の全費用と準備を【教国の権威】を以て確約しよう』とね」


「「「…………っ!!」」」


全員が絶句した。


教皇からの直接の祝福と、結婚式の全面プロデュース。


それはつまり――。


「……なるほど。教国の最高権威トップの決定となれば、いくらうちのお父様(親バカ)やお兄様でも、絶対に口出しや妨害工作ができなくなるわね」


「ご名答だ、私の賢い未来の妻よ。公爵家の茶番を完全に無力化し、お前を確実に私のものにする……これ以上の好条件はない。だから私は、お前たちを隣国へ送り出すことに同意したのだ」


自分の婚約者を危険な目に遭わせたくはないが、それ以上に「確実な結婚の保証」という巨大なメリットを天秤にかけ、最大限の利益を搾り取ったのだ。


相変わらず、この男の政治力と執念(私への溺愛)は恐ろしい。


「……僕たち他のメンバーの結婚まで保証してくれるなんて、教皇様ってすごく太っ腹なんですね……。まあ、僕は令嬢たちから逃げるのに必死で、結婚なんて当分先の話ですが」


ノアが胃を押さえながら呟くと、ジュリアン殿下は「ああ、それについてだが」と、少しだけ呆れたようにため息をついた。


「もう一つ、重大な報告がある。……その太っ腹な教皇聖下についてだが。今回、サミュエル大司教と共に、隣国へ同行されるそうだ」


「…………は?」


私は思わず聞き返した。


「教皇が? 隣国に? ……えっと、視察とか、外交のトップ会談とかで?」


「いや。完全に『お忍び』だ。私宛の親書には、こう書かれていたよ」


ジュリアン殿下が、美しい装飾が施された手紙を読み上げる。


『最近、教国の執務が退屈で仕方がない。悪魔関係の厄介事には、必ずあの面白い探偵令嬢アイラが絡むと聞いた。絶対面白い事になるに決まっているから、私も学生のフリをして付いていくことにする。内密にな』


「「「…………」」」


王太子の執務室に、重苦しい沈黙が降り下りた。


「……あの、アイラ師匠」


クロードが、顔を引き攣らせながらおずおずと手を挙げた。


「宗教国家のトップが……俺たちと一緒に、学生のフリをして隣国に留学するって……ことか?」


「みたいね。……ノア、このメンバーで隣国に行った場合、胃に穴が空く確率ってどれくらい?」


「計算するまでもありません。致死率(ストレス死)100%です」


ノアがその場で崩れ落ちる。


「最高権力者の自由すぎるお忍び同行」という、悪魔よりもタチの悪い爆弾を抱え込まされたのだ。


「フッ。まあ、教皇が一緒なら、隣国の貴族どもも迂闊に手は出せまい。存分に暴れて(調査して)くることだな、アイラ」


「……殿下、絶対に面白がってますよね?」


私がジト目で睨みつけると、ジュリアン殿下は優雅に微笑み、私の頬にそっと口付けを落とした。


こうして、世界の真実に触れたばかりの私たち『最強の6人組(+教国のトップ)』による、波乱しか予感させない隣国への特命留学が、幕を開けたのである。



アイラたちが王都を出発する数日前のこと。


王城の最奥、国王のプライベートサロンでは、国を動かす王族たちが、真剣な面持ちで密談を交わしていた。


「――というわけで、父上。来月予定されている隣国との魔法技術協定の締結ですが、特使としてこの私、王太子ジュリアンが自ら赴くべきかと存じます」


「兄上、それはずるい! 締結の特使なら、第二王子である私でも十分に務まります。リリア嬢が危険な任務に就いているのです、私が側で支えなければ!」


ジュリアンとエドワード。


有能で知られる二人の王子が、国の外交という大義名分を隠れ蓑にして、「いかにして愛する婚約者を追いかけるか」で激しい火花を散らしていた。


「まあまあ、二人とも落ち着きなさい。……おほほ、あなたたちのその深い愛情、母はとても嬉しく思いますわ」


「うむ。若き二組の愛は国を豊かにする。それに……ここで特使の口実を作ってやれば、またレオンハルト(公爵)が『ずるい! 私も行く!』と地団駄を踏んで悔しがるからな。あれを見るのが最近の余の密かな楽しみでな」


国王と王妃も、公爵への嫌がらせ(からかい)を込みで、息子たちの愛の暴走を完全に肯定・支援する構えだった。


「とはいえ、王太子と第二王子が同時に国を空けるのは安全保障上まずいわ。……前半の協定締結はジュリアンが。後半の視察と合流はエドワードが、交代で特使として赴くということで手を打ちましょう」


「母上、感謝いたします。……アイラめ、学園の厨房が使えないからといって、他国で変な虫を寄せ付けていないか、私が直接監視しなくては」


「ありがとうございます! 私は今から、リリア嬢との再会に向けたプレゼントを手配してまいります!」


次期王太子妃アイラと、次期王子妃リリアを愛してやまない王子たちの暗躍により、隣国への「特使」という名の追跡劇が、密かに決定したのである。



時を同じくして。


王都から隣国へと続く街道を、教国の紋章を掲げた一台の馬車が、他の護衛もつけずにひっそりと進んでいた。


「……本当に、このまま向かわれるのですね、聖下」


教国の重鎮であるサミュエル大司教は、馬車の中で深いため息をついた。


「うんむ、もちろんじゃ! ああ、なんという素晴らしい景色! 執務室に閉じこもっているのとは大違いじゃな!」


サミュエルの向かいの席で、窓の外の景色を見て大はしゃぎしているのは――王立学園の真新しい制服に身を包んだ、金髪碧眼の可憐な『少女』だった。


年齢はアイラたちと同じ十六歳ほどに見える。だが、彼女が放つ神聖な魔力と、その底知れぬ威厳は、紛れもなく宗教国家のトップのものであった。


「いいかサミュエル。私のことは教皇ではなく、『セレス』と呼ぶのじゃぞ。私はこれから、あの面白き探偵令嬢たちの同級生となるのだからな! ああ、悪魔の残党と探偵令嬢たちの共演……どんな奇跡トラブルが起きるのか、今から楽しみでならんわ!」


少女の姿をした教皇――セレスは、子供のように無邪気に笑った。


巻き込まれる学生たち(特にノア)の胃痛など露知らず、最高権力者の自由すぎるお忍び旅行が、一足先にスタートしていた。



そして、現在。


アイラたち『最強の6人組』を乗せた大型の魔法馬車は、国境の山越えを前に、最も大きな宿場町へと到着していた。


「さあさあ皆の者! 危険な悪魔調査任務の前に、まずは英気を養うわよ! 目指すはご当地グルメの全制覇よ!!」


馬車から降りるなり、私、アイラ・アルジェントは高らかに宣言した。


手にはすでに、馬車の中で食べていた特製サンドイッチ(三人前)の空箱が握られている。


「おう! 師匠についていくぜ! この町の名物は『大猪の魔力直火焼き』だって聞いたからな!」


「クロード、お肉もいいですが、大豆を発酵させたというご当地スープも忘れてはいけませんよ。長旅の筋肉疲労を回復させる至高のタンパク質です」


私の両脇で、クロードとセリアが完全に「食と筋肉の修行」モードに入っている。


「……あの、アイラ嬢。僕の計算では、これは隣国の不穏な動向を探るための『極秘調査任務』のはずですが。……完全に、ただの修学旅行のノリですよね?」


ノアが分厚い眼鏡を押し上げ、早くも胃薬の瓶を取り出しながらツッコミを入れた。


「何言ってるの、ノア。これも立派な調査よ。その土地の料理を食べれば、その土地の魔力濃度や経済状況が分かるってもんでしょ? ほら、さっさと美味しい屋台のルートを計算しなさい」


「結局食べたいだけじゃないですか!」


ノアの悲痛な叫びを華麗にスルーし、私は屋台から漂ってくる香ばしい肉の匂いに向かって駆け出した。


すぐ隣には、エドワード殿下と離れ離れになって少し寂しそうにしていたリリアも、楽しそうに笑いながらついてくる。


「お姉様、あっちの屋台には珍しい果実のクレープがありますわ!」


「よし、とりあえず一人五個ずつ買いましょう!」


「アイラ様、私も手伝いますっ!」


ミアも小銭入れを握りしめ、小走りで私の後に続く。


悪魔教団の影が蠢き、世界を揺るがす真実が眠るかもしれない隣国への旅。


だが、どれだけ壮大な使命があろうとも、カロリーと美味しいご飯を求める私の本能(暴食の代償)が止まることはない。


王子たちの暗躍と、自由すぎる教皇の先行。


波乱の予感しかない役者たちが揃いつつある中、私たちの賑やかでカロリー過多な特命留学は、ご当地グルメの串焼きを片手に、陽気に幕を開けたのである。


隣国の王都に到着する前日。


私たちは、王都手前にある最後の大きな宿場町で一泊することになった。


「かんぱーい! 明日からの隣国ライフに祝して!」


私たちが泊まった高級宿の一室。


広めのテーブルには、昼間の食べ歩きで買い込んだご当地スイーツやフルーツ水がずらりと並べられ、華やかな「女子会」が開催されていた。


「この果実のタルト、甘酸っぱくて美味しいですわ! エドワード殿下にも食べさせてさしあげたい……」


「リリア様、こっちの焼き菓子も絶品ですよ!」


「ふむ。このクッキーは少し大豆粉が足りないが、まあ許容範囲のタンパク質だな」


リリア、ミア、セリアの三人が、パジャマ姿で楽しそうに笑い合う。


さらにその輪の中には。


「おお! これが庶民の女子会というやつか! なんと素晴らしい、城で出される堅苦しいフルコースよりずっと美味いではないか!」


ちゃっかり私たちの部屋に遊びに来た、教皇改め「セレス(16歳の少女の姿)」が、口の周りにクリームをつけながら大はしゃぎしていた。


一足先に王都を出発していた彼女とサミュエル大司教は、数日前に途中の街で私たちの馬車と合流したのだ。


表向きは「隣国へ入るための学生用身分証(偽造)を直接渡すため」と言っていたが、こうして見ると、ただ私たちに交ざって道中を楽しみたかっただけなのは明白である。


神聖な威厳などどこへやら、完全に修学旅行の夜を楽しむ女子学生だ。


「まあ、明日の王都入りは長旅になるし、今日は思い切り羽を伸ばしましょうか」


私もベッドにダイブしながら、のんびりとタルトを頬張った。


波乱万丈の特命留学も、こうして見ればただの楽しい旅行にしか思えない。


——しかし、壁を一枚隔てた隣の『男子部屋』では、全く別の地獄が展開されていた。



「……はぁ、はぁっ……僕の、僕の計算が……エラーを……」


男子部屋のベッドの端。


ノア・ウィンザーは頭を抱え、今にも吐きそうなほど青白い顔で震えていた。


その瞳の焦点は定まっておらず、口からはブツブツと呪文のような計算式が漏れている。


「隣室には教国の最高権力者セレス……万が一暗殺者が来たら国家間の戦争……アイラ嬢の今日の摂取カロリーは成人男性の五日分……セリア嬢の筋肉による馬車のサスペンションへの負担……そもそもなぜ僕はこんな任務に……」


ノアの優秀すぎる頭脳は、この数日間、常に周囲の「規格外の事象」を処理しようとフル回転していた。


その結果、彼のストレスゲージと脳の処理能力は、見事に限界を突破オーバーヒートしようとしていたのだ。


「おいおいノア、大丈夫か? 顔色が死人のそれだぜ?」


床で黙々と腕立て伏せをしていたクロードが、顔を上げて心配そうに声をかけた。


「……クロード君。あなたのその、何も考えていない筋肉質な脳が羨ましいです。僕の頭脳は今、この理不尽な状況を理解しようと悲鳴を上げているんですよ……っ!」


ノアが涙目で訴えると、クロードはヒョイと立ち上がり、タオルで汗を拭いながら豪快に笑った。


「なんだ、そんなことで悩んでたのか。お前は頭が良いから、何でもかんでも『理解』しようとするんだな」


「当たり前です! 予測と計算こそが、僕の武器なんですから!」


「あのなぁ、ノア。俺のじいちゃんが、昔よく言ってたぜ」


クロードが、ふと真面目な顔になって窓の外の星空を見上げた。


彼の祖父といえば、かつて王国を救った『伝説の剣聖』の血を引く偉大な武人だ。ノアも、思わずその言葉に耳を傾けた。


「じいちゃんは言った。『クロード。もしとんでもねえ嵐が来たら、雨粒がどう降ってくるかなんて計算するな』ってな」


「雨粒の計算……?」


「ああ。『嵐の中で雨粒の数を数えようとする奴はバカだ。嵐が来たら、ただ傘を差すか、小屋に入って寝ろ。通り過ぎるのを受け入れりゃ、それでいいんだ』……ってな」


クロードはニカッと笑い、ノアの細い肩をポンと叩いた。


「アイラ師匠も、セリアも、隣の部屋の偉い嬢ちゃん(セレス)も、俺から見りゃ『嵐(天災)』みたいなもんだ。お前は天災をいちいち理解しようとしてるから疲れるんだよ。考えんな、スルーしろ!」


「……嵐。天災……」


ノアの脳裏に雷が落ちた。


そうだ。彼女たちは、人間の常識の枠組み(計算)に当てはめてはいけない存在なのだ。


アイラ嬢の底なしの胃袋も、セレスのお忍び旅行も、すべては「そういう気象現象」だと思えばいい。台風に向かって「なぜ風が吹くのか」と問い詰める人間はいない。


ただ、傘を差して、通り過ぎるのを待つ。究極の『スルースキル』である。


「……なるほど。計算するからエラーが出る。最初から『理解を放棄』すれば……僕の脳のメモリは、無駄に消費されずに済む……!」


「おう! 分かってくれたか! さ、寝ようぜ!」


ノアの分厚い眼鏡の奥で、カッと一条の光が閃いた。



そして、翌朝。


「おっはよー! さあ、いよいよ王都に入るわよ!」


私が元気いっぱいに馬車の前にやってくると、すでに全員が集合していた。


「……おはようございます、アイラ嬢。今日も良き朝ですね。太陽の光が、この身を浄化してくれるようです」


「……えっ?」


私は思わず二度見した。


馬車の前で微笑んでいるノアの顔が……なんだか、ものすごく清々しいのだ。


昨日までの「ストレスで死にそうな没落貴族」の面影は消え去り、まるで長年の修行を終えて悟りを開いた高僧のような、後光が差すほど穏やかな仏の笑みを浮かべている。


「の、ノア様……? なんだか、雰囲気が変わられましたね?」


リリアも困惑したようにノアの顔を覗き込む。


「ええ。僕は気付いたんです。この世界には、僕の頭脳で計算すべきでない『大自然の摂理』があるということに。僕はただ、吹く風を受け入れ、流れる川のように生きればいいのだと」


「なにそれ怖い。クロード、ノアに何があったの?」


私がこっそりクロードを小突くと、彼は得意げに鼻をこすった。


「いや? 昨日の夜、俺のじいちゃんの話をしただけだぜ」


「じいちゃん……?」


どうやら、クロードの祖父の教えが、ノアのパンク寸前の脳を何かおかしな方向へ「覚醒」させてしまったらしい。


(……まあ、私たちやセレスが原因でストレスを溜めさせてたのは事実だしね。とりあえず、元気になったならいっか)


私は少しの罪悪感を抱きつつも、「よかったわね、ノア!」と笑って誤魔化した。


ミアも「ノア様が元気になってよかったです!」と純粋に喜んでいる。


「ふふふ、皆の者、揃っておるな! さあ、王都へ向かって出発じゃ!」


少女の姿のセレスが、馬車の窓から身を乗り出して楽しそうに号令をかけた。


こうして、新たな「スルースキル(悟り)」を獲得して無敵になった情報屋を仲間に加え、私たちの魔法馬車は、いよいよ不穏な影が落ちる隣国の王都へと足を踏み入れるのだった。



私たちの滞在先として用意されていたのは、王家御用達の最高級ホテルをワンフロア丸ごと貸し切った、広大で豪華な専用スイートルームだった。


「よし! 荷物も置いたし、早速『王都の視察』に行くわよ!」


「はい、お姉様! 私、王都のメインストリートにあるガラス細工のお店が見たいですわ!」


「おお、良いな! 我も最新のスイーツというやつを視察したいぞ!」


「あ、アイラ様、私もお供します!」


「うむ、万が一の襲撃に備え、私が物理的な盾となろう」


ホテルに到着するや否や、私を筆頭とする女子組(+セレス)は、嬉々として王都の街へと繰り出していった。


……まあ、表向きは『悪魔教団の潜伏先を探るための現地調査』だが、実態はご当地グルメとショッピングである。


一方、その賑やかな嵐が去った後のホテルのロビーでは。


「ふう。やっぱりアイラ師匠たちは、あっという間に消えちまったな」


「ええ。ですが、これで僕たちの仕事に集中できます」


クロードとノアの男子コンビは、静かに地図を広げていた。


「俺たちは、裏通りを中心に現地の地理と治安状況の把握だな。……ノア、お前、本当に大丈夫か? アイラ嬢たちのあのテンションに振り回されて、また胃が痛くなったりしてねえか?」


クロードが心配そうに尋ねると、ノアはクイッと分厚い眼鏡を押し上げ、仏のように穏やかな笑みを浮かべた。


「全く問題ありませんよ、クロード君。あなたの祖父の教えのおかげで、僕は『余計な乱数ノイズの取捨選択』を覚えましたから」


「乱数?」


「はい。アイラ嬢の食欲や、セレス様のような『大自然の脅威』をいちいち計算に組み込もうとするから、僕の脳のメモリはパンクしていたんです。ですから……彼女たちに関する予測データは、すべて【例外処理(計算除外)】の箱に放り込みました」


そう。


悟りを開いたノアは、「どうせ予測不能なのだから、最初から計算しない」という究極のスルースキルを会得したのだ。


結果として、無駄なリソースを消費しなくなったノアの脳の演算・処理能力は、以前に比べて『一割強』も性能が向上していた。


「今の僕の頭脳は、極めてクリアです。さあ、行きましょうか」



隣国の王都の路地裏。


表通りの華やかさとは打って変わり、石畳には薄暗い影が落ちている。


ノアは周囲の建物の配置、人通りの数、さらには微細な魔力の残滓までを瞬時に脳内で処理し、頭の中の地図マッピングを更新し続けていた。


「……クロード君。ストップ」


不意に、ノアが足を止めた。


「どうした? 敵か?」


クロードが背中の魔剣『ヴァルム』の柄に手をかける。


「僕の計算が、前方の路地裏から『極めて不自然な行動パターン』を弾き出しました。ジュリアン殿下から渡された報告書にあった、『隣国で多発している行方不明事件』……その手口の初期段階と、行動係数が95%一致します」


「……つまり、今まさに誘拐事件が起ころうとしてるってことだな」


ノアが鋭く頷く。


「前方、十五メートル先の丁字路。右の物陰に大人二名。魔力反応あり。……クロード君、いけますか」


「おう。俺のスピードなら、相手が魔法を撃つ前に制圧できるぜ」


二人は無言で頷き合い、足音を殺して路地を進んだ。


角を曲がった先では、ノアの予測通り、黒いローブを目深に被った二人の男が、身なりの良い地元の子供に魔力で眠り薬を嗅がせようとしていた。


「――そこまでだ!!」


クロードが地面を蹴った。


『伝説の剣聖の末裔』の脚力と、魔法剣士としての身体強化。そのスピードは、ただの暴漢が反応できるレベルを遥かに超えていた。


「なっ……!?」


「ぐはっ!!」


男たちが魔法の詠唱を始めるより早く、クロードは木剣の峰打ちで一人目の腹を正確に打ち抜き、返す刀でもう一人の足を払って転倒させた。


「見事な制圧です。時間はわずか2.4秒。僕の予測より0.2秒も速い」


ノアがゆっくりと歩み寄り、気絶した子供を抱きとめて安全な場所へ寝かせる。


「へっ、俺も毎日セリアとアイラ師匠にしごかれてるからな。これくらい朝飯前だぜ」


「さて、これで誘拐の実行犯を確保できました。目覚めたら、じっくりと組織の背後関係を吐いてもらいましょう」


ノアが見下ろした先で、転倒して呻いていた二人目の男が、ギリッと歯ぎしりをした。


「……おのれぇ……邪魔を、するな……っ」


男の目が、白目まで真っ黒に塗りつぶされたような不気味な色に染まっている。


「クロード君、下がって! 何か様子が……!」


ノアが叫んだ瞬間。


男の口と目から、ドス黒い『霧』のようなものがブワッと吹き出した。


「な、なんだこれ!?」


クロードが剣を構えて警戒する。


黒い霧は意思を持つかのように空中で蠢くと、男の体を捨て、そのまま高い壁を越えて王都の空へと凄まじいスピードで逃げ去っていった。


霧が抜けた後の男は、白目を剥いて完全に気絶している。


「……逃げられましたか。いえ、深追いは危険です」


ノアはズレた眼鏡を直し、上空に消えた黒い霧の残滓を見つめた。


「あれは……」


「ええ。僕のデータにはありませんが、シュシュエル様の言葉から推測するに『悪魔』……おそらく間違いないでしょう」


ノアの声は、冷静だが微かに震えていた。


「あれが、人間の精神に憑依し、この隣国で暗躍している『悪魔』の姿です」


頭脳と物理の完璧な連携により、被害を未然に防いだノアとクロード。


だがそれは同時に、彼らが隣国に巣食う見えない敵――悪魔との戦いの最前線に、正式に足を踏み入れたことを意味していた。



「あーっ、美味しかった! やっぱり他国の王都だけあって、食べ歩きのレベルが違うわね!」


「はい、お姉様! ガラス細工の小物もたくさん買えましたし、大満足ですわ!」


「むふふ、あの新食感のスイーツとやら、教国にも持ち帰りたいものじゃな!」


ホテルの最上階、私たちが貸し切っているスイートルームの扉が開き、賑やかな笑い声が飛び込んだ。


私、リリア、セリア、ミア、そしてセレスの五人は、両手いっぱいの紙袋や食べ物の包みを抱え、完全に「観光を満喫した女子学生」の顔で帰還した。


「ただいまー! ノア、クロード! すっごく美味しい串焼き買ってきたわよー!」


私が能天気に声をかけながら、応接室のソファへと向かった、その時だった。


「…………」


広々とした応接室の中心。


テーブルに王都の詳細な地図を広げ、ノアとクロードが深刻極まりない顔で向かい合っていた。


ノアは神経質にペンを回しながら地図に何かを書き込み、クロードは腕を組んで険しい目でそれを睨みつけている。


いつもなら私が食べ物を掲げれば、クロードは犬のように飛びついてくるはずなのに、チラリとこちらを見ただけで口を閉ざした。


(……空気が、違うわね)


その瞬間。


私の頭の中から、甘いクレープの味も、ショッピングの余韻も、すべてがパツンッと弾け飛んで消えた。


ワイワイと騒いでいた私の口元から笑みがスッと消え去る。


瞳の温度が下がり、思考の回転数が跳ね上がる。私は「ただの学生」から、数々の事件を解決してきた『探偵令嬢(魔女)』のモードへと、コンマ一秒で切り替わった。


「……何があったの?」


私の声は、先ほどまでの弾んだものとは打って変わり、静かで低く、冷徹に響いた。


「お姉様……?」


リリアが私の変化に気づき、ハッと息を呑んだ。


次の瞬間、リリア、セリア、ミアの三人の顔つきも一変した。


彼女たちは無言で持っていた荷物や食べ物を素早く部屋の隅のテーブルに置き、足音を殺して応接室のソファへと集まる。


セリアは無意識に防御の体勢を取り、ミアは魔力を練り始めた。


「さすがですね。素晴らしい切り替えの早さです」


ノアがペンを置き、私たちの顔を見渡して短く感嘆を漏らした。


「観光気分は終わりよ。あんたたちがそんな顔をしてるってことは、最悪の事態トラブルが起きたってことでしょ。……聞かせてちょうだい」


私がノアの対面のソファに腰を下ろすと、他のメンバーも私の背後に控えるように立った。


「はい。アイラ嬢たちが視察(買い物)に行っている間、僕とクロード君は裏通りの治安状況を確認していました。そこで……ジュリアン殿下の報告にあった『誘拐事件』の現場に遭遇したんです」


「誘拐……! クロード、被害者は?」


「安心しろ、アイラ師匠。俺のスピードで、相手が魔法を使う前に腹を殴って気絶させた。子供は無事だ」


クロードの言葉に、私たちは少しだけ安堵の息を吐いた。


「見事な制圧でした。ですが、問題はその後です」


ノアがクイッと眼鏡を押し上げ、ひどく真面目な声で続けた。


「気絶した犯人の目が、急に白目まで真っ黒に染まったんです。そして……犯人の体から『黒い霧』のようなものが抜け出し、王都の空へと逃げ去っていきました。霧が抜けた後の犯人は、ただの人間でした」


黒い霧。


その言葉を聞いた瞬間、私とリリアは顔を見合わせた。


「……間違いないわね。エマ! ちょっと来て!」


私が大声で呼ぶと、隣の控室から、私たちの荷物整理をしていた専属侍女のエマが静かに現れた。


「お呼びでしょうか、アイラお嬢様」


「シュシュエルに代わって。急ぎの案件よ」


「畏まりました」


エマが小さくため息をつき、静かに目を閉じる。

再び目を開けた時、彼女の瞳は神々しい金色に輝き、背後には白い羽の幻影が揺らめいた。


「ふぁぁ……。今度はなんだ? 王都に着いたばかりだというのに、もう厄介事か?」


「ええ。ノア、さっきの話をもう一度シュシュエルに」


ノアが理路整然と、犯人から抜け出した『黒い霧』の描写を伝える。


それを聞いたシュシュエルは、わずかに眉をひそめた。


「……やはりか。それは、人間に憑依して精神を操る、下位から中位の悪魔の姿だ」


「やっぱり、悪魔なのね。……ちなみに、高位の悪魔だとどうなるの?」


私の問いに、シュシュエルの声が一段と低く、そして重くなった。


「高位の悪魔の場合は、ただの黒ではなく『赤黒い霧』となって現れる。……いいか、お前たち。もしその赤黒い霧が出てきて、近くの人間の中に入ろうとするのを見たら、何も考えずに直ちに逃げろ」


シュシュエルの言葉に、場がスッと冷え込んだ。


「人間では絶対に勝てない存在だ。対処法は『逃げる』、それ以外にない。決して戦おうなどと思うなよ」


「絶対に勝てない……」


「そうだ。足掻くことも許されん。我ら天使を呼ぶか、全力でその場を離れることだけを考えろ」


天使からの絶対的な警告。


私たちに緊張が走る中、シュシュエルは少しだけ口調を和らげ、話を戻した。


「今回お前たちが見たのは黒い霧、つまり下位か中位のものだ。五千年前の戦争でも、奴らはそうやって人間に取り憑き、同士討ちをさせたり、負の感情を煽ったりしていた。……しかし、白昼堂々と、しかもただの暴漢ではなく『誘拐』という組織的な動きをしているとはな。背後に、それを統率している悪魔教団の幹部(高位悪魔憑き)がいると見て間違いないだろう」


シュシュエルの言葉に、場が重苦しい沈黙に包まれる。


「おおおおっ!! 本物の天使じゃ!! 話には聞いておったが、まさかここまで神々しいとは!!」


その沈黙をぶち破ったのは、私たちの後ろからぴょこんと顔を出したセレスだった。


彼女は目をキラキラと輝かせ、シュシュエルの顔を至近距離でまじまじと見つめている。


「なっ……なんだこの娘は、この異様なテンションは! 我の威厳を前にしても全く怯えぬばかりか……ん? その底知れぬ神聖な魔力、まさか……。かつて我ら天使が人間に与えた『光の種』が、何代にもわたって継承され、ここまで育ち切ったというのか……?」


「ふふん! 私は教国のトップ、教皇セレスじゃ! 天使シュシュエルよ、以後お見知りおきを!」


人間の宗教のトップ(少女の姿)と、信仰の対象である本物の天使(メイドの姿)が、ホテルの応接室で顔を合わせるという、世界史の教科書が引っくり返るような奇跡の瞬間である。


「教皇だと? ……なるほど、神の代弁者たる一族ならば、あの光の種がここまで開花するのも頷ける。やれやれ、人間のトップまで首を突っ込んでくるとは。この魔女アイラの周りは、相変わらず規格外の嵐だな」


「……ん? ちょっと待て、天使よ」


セレスが目を丸くして、シュシュエルと私を交互に指差した。


「今、お主、この探偵令嬢のことを『魔女』と呼んだか?」


「あ……」


しまった、と私が口を手で覆うより早く、シュシュエルが不思議そうに首を傾げた。

「む? ああ、そうだが。なんだ、この娘には隠していたのか?」


「ま、魔女じゃと!? あの五千年前の伝承に残る、奇跡を操りし伝説の存在のことか!?」


セレスが興奮で顔を真っ赤にして、私にずいっと詰め寄ってきた。


「おおお、なんということじゃ! 私の同級生(予定)が伝説の魔女じゃったとは! どうりでただの令嬢にしては規格外すぎるわけじゃ!」


「ちょっとシュシュエル! 私が魔女だなんて、あんたたち天界と私たちだけの秘密にしておきたかったのに、なんで勝手にバラしてるのよ!」


私が抗議の声を上げると、シュシュエルはフンと鼻を鳴らした。


「知らん。我はそんな約束をした覚えはないぞ。それに、魔女についての正しい認識も持っている様だしな」


「ああもう、絶対に面倒くさいことになったわ……」


私が頭を抱えると、セレスは「ふははは!」と子供のように高らかに笑った。


「安心せい、教皇の権威にかけて秘密は守ってやろう! その代わり、後でたっぷりその力や世界の真実について聞かせてもらうぞ!」


「……教皇が魔女の秘密を知る。本来なら国家間のパワーバランスを揺るがす特大の事象ですが……」


ノアはクイッと眼鏡を押し上げ、仏のように穏やかな笑みを浮かべた。


「教皇の約束という定数に、アイラ嬢の乱数を掛け合わせた結果、我々への悪影響はゼロ……つまり『スルー可能』と算出されました。」


ノアが平然と言ってのけた直後、シュシュエルが真面目な顔で口を開いた。


「教皇の戯れはともかく……事態は深刻だ。この王都に潜む悪魔の正確な規模が分からん以上、我々天界も動かざるを得ない」


「天界が動くって、どうするの?」


「応援を呼ぶ。天界から何名か派遣させ、天使による実態調査と、必要であれば大規模な悪魔の『処理』を進める。……だからお前たちは、決して無理をして戦おうとするなよ。我らが到着するまでの間、あくまで情報収集に留めろ」


そう言い残し、シュシュエルは「ではな」と翼の羽ばたく音を残して消え去った。


どうやら天界に行ったらしい。


「……というわけで、天使からの『無理するな』というありがたい忠告があったわけだけど」


私はパンッと手を叩き、全員の意識を再び一つにまとめた。


「私たちの調査の方針は変わらないわ。悪魔は確実にこの王都で暗躍している。狙いは子供の誘拐。なら、私たちがやることは一つよ」


「ええ。この王都に潜む『黒い霧(悪魔)』の根源を探り出し、天使たちが来る前に叩き潰すことですわね、お姉様」


リリアが、いつもの優美な微笑みの裏に、静かな怒りを滲ませて同意する。


「よし。探偵令嬢団、隣国出張編の始まりよ! まずは確保したっていうその実行犯を、徹底的に尋問して情報を吐かせるわよ!」


かくして、買い食いの観光気分は完全に吹き飛び。


私たちは最強の布陣と、天使と教皇という規格外のバックアップ(と忠告無視)を背に、隣国の闇に潜む悪魔たちとの戦いに本格的に乗り出すのだった。


あの路地裏での誘拐未遂事件から、数日が経過した。


「……完全に沈黙しましたね。僕の情報網と計算をもっても、王都内での怪しい動きは一つも検知できません」


ホテルの応接室。


王都の最新の治安レポートに目を通していたノアが、ペンを置いて小さくため息をついた。


あの日、クロードが犯人を制圧し、黒い霧(悪魔)が逃げ去って以来、隣国の王都で頻発していた行方不明事件はピタリと止んでいた。


「クロードに物理的にぶっ飛ばされたから、ビビって逃げたのかしら?」


私が紅茶を飲みながら首を傾げると、リリアが静かにかぶりを振った。


「いえ、お姉様。いくらクロードの剣撃が鋭くとも、相手は人間の精神を操る悪魔です。それだけで完全に手を引くとは考えにくいかと」


「そうね。……となると、やっぱりアレかしら」


私はチラリと、隣のソファで新作のクッキーを頬張っている「自称・同級生(教皇セレス)」と、その後ろで静かに控えている「専属侍女(天使シュシュエル)」に視線を向けた。


「ああ、なるほど。教皇聖下と天使様から漏れ出る、常軌を逸した『神聖魔力』ですね」


ノアが納得したように眼鏡を押し上げる。


「悪魔にとって、神聖魔力は天敵中の天敵ですからね。これだけ高濃度の『光の気配』が急に王都に現れれば、連中も警戒して身を潜めるでしょう。あるいは、王都を諦めて別の街へ標的を変えた可能性もあります」


「チッ、せっかく筋肉と剣の調子が上がってきたのによ。逃げ足の速い奴らだぜ」


クロードが魔剣の柄を叩きながら舌打ちをする。


「まあ、焦っても仕方ないわ。天界からの応援(調査部隊)もまだ到着していないみたいだし、今の私たちには手掛かりが少なすぎる」


私はパンッと手を叩き、全員の意識を切り替えさせた。


「向こうが尻尾を出さないなら、現状で私たちが悪魔に対して出来ることはないわ。……なら、やるべきことは一つよ」


「ええ! いよいよですね、お姉様!」


「おう! 待ちに待ったぜ!」


私たちが一斉に立ち上がると、全員の着ている『真新しい制服』が擦れて衣擦れの音が鳴った。


深い紺色を基調とした、我が国のものとはデザインの違うブレザー。隣国が誇る最高学府への、特例留学の証である。


そう、悪魔調査はあくまで裏の任務。


私たちの表向きの目的は、今日から始まる『隣国での学園生活』なのだ。


「ふふふっ、どうじゃ! 私もすっかりお主らと同級生の顔になっておろう!」


セレスがくるりと回って、真新しいスカートの裾を翻す。年齢不詳の最高権力者だが、見た目は完全に美少女学生である。


「ええ、とてもお似合いですよ、セレス様。……で、サミュエル大司教様は?」


私が尋ねると、扉が開いて、厳格な法衣から『隣国学園の教師用のローブ』に着替えたサミュエル大司教が現れた。


「お待たせいたしました。私は教国からの『魔法学の特別引率講師』として、堂々と学園に潜り込ませていただきますぞ。ふぉっふぉっ」


「……この国の上層部、よくこんな胡散臭い経歴の特別講師をすんなり受け入れたわね」


「教国の莫大な寄付金(物理)と、ジュリアン殿下の政治的圧力の賜物でしょうね。……隣国の上層部の方々の胃に穴が空いていないか、心から同情しますよ」


ノアが冷静に(そして自分は安全圏にいる悟った顔で)補足する。


「さあ! 準備はいいわね! 目標、隣国王立魔法学園!」


私が高らかに宣言する。


「私たちの第一ミッションは、隣国の学食のメニューを全制覇することよ! 王国にはない未知のスパイスと高カロリーが私を待っているわ!」


「タンパク質の含有量も徹底的に調査せねばな!」


「お姉様、私は王国のエドワード殿下にお手紙を書くための、景色の良い図書室を探したいですわ」


「僕は……この国の上層部と教師陣が、アイラ嬢やセレス様という『天災』にどこまで耐えられるか、高みの見物と洒落込ませてもらいますよ」


それぞれが(悪魔調査とは全く関係ない)野望を胸に抱き、私たちはホテルを出発した。



そして。


隣国の王都の中心にそびえ立つ、巨大で歴史ある学園の正門。


「おおーっ! うちの学園より少し建物がゴツい感じね!」


「なんだか、すれ違う生徒たちの魔力の質も違う気がします」


ミアが周囲を見渡しながら、興味深そうに呟く。


「よし、とりあえず今は悪魔のことは忘れて、普通の学生として学園生活を満喫(潜入調査)しましょう!」


私は意気揚々と正門のアーチをくぐった。


……しかし。


私はこの時、完全に油断していたのだ。


悪魔が沈黙しているからといって、私たちの日常に平穏が訪れるわけではないということに。


私たちの嵐のような特命留学が、いよいよ本当の意味で幕を開けたことを――この時の私は、まだ知る由もなかったのである。



楽しんで頂けましたでしょうか?

次回は3日後、若しくは2日後だと思います。

小説で使う漢字ですが、常用漢字とか、いろいろ難しいですね。

ルールなんてすっかり抜けてましたよ。

勉強しなおさないと。

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― 新着の感想 ―
久しぶりに嵌れる小説でした。 続きを毎日楽しみにしてます。 ただ、今回の話で気になったんですが、探偵編5でサミュエルさんの父親が教皇と書かれていたんですが、今回出てきた教皇は主人公達とそう歳の変わら…
あんまりにもドッカンドッガンやりすぎて、悪魔達を 地 下 に 潜 ら せ て しまったんですね。 文字通り。  厄介事が思いっきり増えすぎた! それにつけても親バカシスコンの度が過ぎて教国トップを引…
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