ジュリアン死す……天使凄い
短い秋休みが終わり、王立学園に爽やかな秋風が吹き込む季節。
波乱に満ちた1学期を乗り越え、彼女たち『最強の六人組(自称)』の二学期がいよいよ本格的にスタートした。
悪魔教団『黒蛇の目』の調査は依然として保留中だが、平和な学園生活も悪くない。
いや、むしろ今は「普通の学生」としての生活を満喫するべき時だとアイラは考えていた。
なぜなら今日は――二学期最初の定期試験の成績発表日なのだから。
「うおおおおっ! 見ろアイラ嬢! 俺の順位、真ん中より上だぜ!!」
学園のメインホールに張り出された成績発表の掲示板の前で、クロードが自分の名前を見つけて雄叫びを上げていた。
「すごいじゃない、クロード! 座学の点数も平均点を大きく超えてるわよ!」
「おうよ! ノアの要点リストと、オルフィアの暗記カード、そしてお前の『特製角煮丼』のおかげで、文字を見ても気絶しなくなったからな! 実技の『魔法剣』の評価は当然満点だったしな!」
かつては最下位の百二十九位だった彼が、今や堂々の六十一位と、見事なジャンプアップだった。
「わ、私も……! 実技試験で、ちゃんと魔法が撃てました……! 順位も、十位に……っ!」
オルフィアも掲示板を見上げながら、ポロポロと嬉し涙をこぼしている。
あがり症を克服し、前髪をピンで留めて素顔を出した彼女は、試験官の前でも堂々と『聖なる水底』の魔法を披露し、高い評価を得たのだ。
「よく頑張りましたね、オルフィアさん! さあ、嬉し涙は私の胸で受け止めますよ!」
「セリア様ぁ……っ!」
セリアが大きく腕を広げ、オルフィアがその胸に飛び込んで感動を分かち合っている。
「……ふん。騒々しいですね」
少し離れた場所で、ノアが腕を組んで掲示板を見上げていた。
「ノア、あんたはどうだったの?」
アイラが尋ねると、彼はすっと中指で眼鏡を押し上げた。
「聞くまでもないでしょう。僕の明晰な頭脳にかかれば、座学など目を瞑っていても満点です。問題は実技でしたが……あなたたちの荒療治のおかげで魔力神経が開通し、僕の緻密な計算式を直接魔法として出力できるようになりました。結果として、実技でも一位のスコアを叩き出し……総合順位は、堂々の第1位です」
ノアは表情こそ淡々としているが、その口元は微かに、しかし確かな満足感で緩んでいた。
魔力ゼロの落ちこぼれだった彼が、天才リュカにも認められた頭脳と莫大な魔力で、一気にトップテン入りを果たしたのだ。
内心ではガッツポーズをしているに違いないと、アイラは推測した。
「これで、連帯責任グループとしての私たちの平均点も爆上がりね!」
アイラはドヤ顔で振り返り、リリアとハイタッチを交わした。
ちなみに、アイラ、リリア、セリアの順位は、ノアに抜かれながらも二位から四位を独占している。
基礎学力も実戦経験もチート級の彼女たちにとって、学園の試験などただの確認作業にすぎなかった。
「ええ、お姉様。これで教官たちから小言を言われることもありませんし、堂々と学園の施設を使えますね」
リリアもニコニコと微笑んでいる。
「よし! ボトム3……ううん、もう落ちこぼれじゃないわね。みんなの成績大幅アップを祝って、今日は学食の特別個室で超豪華な祝勝会よ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
アイラの宣言に、クロード、オルフィア、そしてセリアが歓声を上げた。
ノアも「ふっ、僕の祝賀会というなら、最高級の紅茶を要求しますよ」と満更でもなさそうだ。
場面は変わり、放課後の学食の特別個室。
テーブルの上には、アイラが王宮厨房での無双経験を活かして料理長に伝授した、極上の『裏メニュー・フルコース』が並べられていた。
「かんぱーい!!」
特製の果実水で乾杯し、六人は美味しい料理に舌鼓を打つ。
「うめえええっ! 試験勉強で疲れた脳みそに、この肉の旨味が染み渡るぜ……!」
クロードがステーキを豪快に口に放り込む。
「美味しいです……! 私、学園に入ってから毎日がすごく楽しいです」
オルフィアも、キラキラとした笑顔でシチューを食べている。
一学期の頃の、いがみ合ったり、震えたり、気絶したりしていたポンコツチームの面影はもうない。
互いの弱点を補い合い、一緒に地獄の特訓(と美味しいご飯)を乗り越えてきた彼らは、間違いなく学園で一番結束力の強いチームになっていた。
「でも、油断は禁物ですよ。二学期は学園祭や、他学年との合同演習など、イベントが目白押しだと聞いています」
リリアが紅茶を飲みながら、優しく引き締める。
「ふん。どんなイベントが来ようと、僕の計算と君たちの物理と魔法があれば、全てクリアできるでしょう」
ノアが自信満々に眼鏡を光らせた。
「そうね。せっかくの学園生活だもの。勉強もイベントも、全力で楽しまなきゃ損よ!」
アイラはタルトをフォークで切り分けながら、にんまりと笑った。
悪魔の陰謀も、令嬢たちの打算的な婿争奪戦も、今はひとまず横に置いておこうと彼女は思った。
輝かしい王立学園の二学期。
彼女たち『最強の六人組』の青春は、まだまだこれからが本番なのだ。
王立学園の二学期も中盤に差し掛かった頃。
アイラたちは、学園が所有する広大な『演習林』の入り口に集められていた。
今日は、他学年との『合同演習』の日だ。
ただの魔法の撃ち合いや座学ではない。
この演習の目的は『対魔物戦闘訓練』である。
この世界において、貴族とは単に贅沢をするための身分ではない。
領地に魔物が大量発生した際などには、自らが率先して剣と魔法を取り、民の盾となって街や都市を命懸けで守護する。
それが、王国の貴族に課せられた最大の義務なのだ。
「いいか、お前たち! 今から向かうのは、学園が管理している『人工魔物の巣』だ! 低級とはいえ本物の魔物が相手だ、油断すれば死ぬぞ!」
教官の檄が飛ぶ中、生徒たちは緊張の面持ちで武器や魔導具を点検している。
今回の演習は、経験を積ませるために『1年生のグループに、上級生がサポート役として1名同行する』という形式がとられていた。
「さて。私たち『連帯責任六人組』のサポートに来てくれる上級生って、一体誰なのかしらね?」
アイラが首を傾げていると、背後から爽やかな声が響いた。
「待たせたね、みんな。今回の演習、君たちのチームは私が担当させてもらうよ」
「エドワード殿下!」
現れたのは、第二王子のエドワード殿下だった。
彼は王立学園の最上級生(3年生)であり、学生服に身を包んだ姿も非常に様になっている。
「わぁっ! エドワード殿下が私たちのサポートなんて、心強いです!」
リリアがパッと花が咲いたような笑顔を見せると、エドワード殿下も少し頬を染めて微笑み返した。
「ああ。リリア嬢の戦う姿を間近で見られるなんて、私にとっても至上の喜びだよ。……もちろん、アイラ嬢たちもしっかりサポートするから安心してほしい」
「はいはい。どうせおまけでしょ、私たちは」
アイラはジト目で肩をすくめた。
探偵編の時から薄々というかハッキリと感じていたが、この二人は完全に両思いだとアイラは確信していた。
「よし、全員揃ったな! 演習開始だ! 各班、指定されたルートから魔物の巣を制圧せよ!」
教官の合図と共に、一行は鬱蒼と茂る演習林の中へと足を踏み入れた。
森の奥に進むと、さっそくゴブリンや大蜘蛛といった低級魔物の群れが襲いかかってきた。
「ギシャアアアッ!」
だが、今の彼らにとって、この程度の魔物は全く脅威ではない。
「うおおおおっ! 邪魔だ、どけぇっ!!」
先陣を切るのはクロードだ。
彼は背中の魔剣ヴァルムを抜き放ち、新設された魔法回路から炎の魔力を迸らせる。
炎を纏った大剣の一振りで、数匹の魔物が一瞬にして消し飛んだ。
「素晴らしい筋力と魔力の出力です。ですが、右側面に隙がありますよ。……『氷槍雨』」
ノアが後ろから眼鏡を光らせて指を鳴らす。
完璧に計算された軌道で無数の氷の槍が降り注ぎ、クロードの死角から迫っていた魔物を正確に串刺しにした。
「私だってやれます! 『聖なる水弾』!」
オルフィアも次々と正確な水魔法の射撃で後方の敵を撃ち抜いていく。
前髪を上げた彼女の凛々しい(そして美しい)姿に、他班の男子生徒たちが遠くから見惚れて木にぶつかっているのが見えた。
「みんな、頼もしいわね。私とセリアの出番がないくらいだわ」
「ええ! これなら私の『聖なる一撃』を温存できそうです!」
アイラとセリアは後方で腕を組みながら、下位三人だった彼らの見事な戦いぶりに目を細めていた。
そして、彼女たちの視線の先には、もう一つ別の意味で「見事な」戦いを見せている二人がいた。
「エドワード殿下! 左からオークが来ます!」
「ありがとう、リリア嬢! 私が防ぐ、君は右の群れをお願いできるかい?」
「はいっ! 『聖なる防壁』! 殿下、お怪我はありませんか?」
「ああ、君の魔法があるから安心だ。君の背中は私が絶対に守るからね!」
「まあ、殿下……っ!」
「「「…………」」」
魔物の血飛沫が舞う凄惨な戦場だというのに、エドワード殿下とリリアの周囲だけ、なぜかキラキラとしたピンク色のオーラが漂い、優雅なティータイムのような甘い空気が満ちていた。
二人は背中を預け合い、完璧な連携で魔物を倒しながら、見つめ合って微笑み合っている。
「……ねえ。あそこだけ、別の空間になってない?」
アイラが呆れ果てて呟く。
「ええ。魔物たちも空気を読んで二人の邪魔をしないように見えますね」
セリアも木剣を肩に担いで同意した。
「おう! なんだか知らねえけど、あの二人すげえ仲良しだな!」
魔物を一掃して戻ってきたクロードが無邪気に言う。
「……僕の計算するまでもなく、あれは『婚約間近』のステータスですね。成婚率100%、誤差はゼロです」
ノアが眼鏡をずり上げながら冷静に分析する。
「お二人とも、すごくお似合いです……。まるで物語の王子様とお姫様みたい……」
オルフィアが両手を組んでうっとりとしている。
「まあ、実際王子様と公爵令嬢(お姫様)なんだけどね。……お父様が見たら、泡吹いて倒れるか、エドワード殿下に決闘を申し込むかの二択ね」
親バカで過保護な父レオンハルトの顔を思い浮かべ、アイラは少しだけ殿下に同情した。
「よし! このまま群れの中枢を一気に叩くぞ!」
「「「おおーっ!」」」
一行はエドワード殿下とリリアの「愛の連携」を温かく(半分呆れながら)見守りつつ、森の奥に潜む魔物の巣のボスへと向かっていった。
演習終了後。
「見事だったよ、みんな。君たちの班がダントツで討伐スピードが速かったそうだ」
無傷で魔物の巣を壊滅させたアイラたちは、教官から最高評価の『Sランク』を与えられた。
「サポートが良かったからですよ、殿下」
アイラがニヤニヤしながら言うと、エドワード殿下は照れくさそうに頭を掻いた。
「いや、私は本当に何もしていない。アイラ嬢が鍛え上げた彼らの実力と……あとは、リリア嬢の素晴らしい白魔法のおかげだ」
「殿下……私、殿下のお役に立てて嬉しいです」
またしても、二人の間にキラキラとしたピンク色の空間が発生する。
「はいはい、ごちそうさま。ほら、あんたたち! 演習で疲れたし、腹ペコでしょ! 早く帰って学食の特別個室で打ち上げよ!」
「肉だ肉! 肉食うぞー!」
「僕も、今日は特別に甘いものを要求しますよ」
アイラたちがわざとらしく騒ぎ立てて二人の甘い空間から離れると、リリアが「あ、待ってくださいお姉様!」と顔を真っ赤にして追いかけてきた。
王立学園での貴族の義務。
対魔物戦闘訓練という過酷な演習すらも、彼女たち『最強の六人組』にとっては、絆を深め(ついでにイチャイチャを見せつけられ)るための、楽しいイベントの一つに過ぎないのだった。
見事に魔物の巣を制圧し、「早く学園に戻って打ち上げよ!」と盛り上がっていたアイラたちの空気を、不気味な地鳴りが引き裂いた。
「……何だ?」
クロードがピタリと足を止め、森の奥を振り返る。
彼らはすでに演習林の出口である集合場所に戻り、他の班が続々と帰還してくるのを待っている最中だった。
しかし、森の様子が明らかにおかしい。
バサバサバサッ!! けたたましい羽音を立てて、森中の鳥が一斉に飛び立った。
それだけではない。
茂みを揺らし、鹿やウサギなどの動物たちが、まるで何かから逃げるようにパニック状態で出口へと殺到してきたのだ。
「ど、動物たちだけじゃありません! 下級の魔物まで逃げてきます!」
オルフィアが杖を構える。
彼女の言う通り、先ほど倒したはずのゴブリンや大蜘蛛の生き残りが、こちら(生徒たち)に見向きもせず、泡を食って森から逃げ出していた。
「……僕の計算にないイレギュラーですね。下級魔物が人間を恐れずに逃走するなど、背後に『それ以上の圧倒的な恐怖』が迫っているとしか考えられません」
ノアが眼鏡を光らせ、冷や汗を流す。
「総員、構えろ! 森から何か来るぞ!!」
教官の怒号が響き渡った、その時だった。
ズズンッ……!! ズズズズズンッ!!! 木々がなぎ倒される轟音と共に、森の奥から『それ』が姿を現した。
「な、なんだあれは……!」
「デカすぎるだろ!?」
生徒たちが絶望的な声を上げる。
現れたのは、本来なら体長3メートルほどの『暴食熊』。
……しかし、目の前にいる個体は異常だった。
見上げるような巨体は優に10メートルを超え、全身の毛皮が血のように赤黒く変色している。
さらに、その口からはドロドロとした黒い瘴気のようなものを垂れ流し、目は狂気に満ちた真紅に染まっていた。
「突然変異……いや、強制的に巨大化・狂暴化させられたイレギュラー個体か!」
エドワード殿下が瞬時に状況を判断し、腰の長剣を引き抜いた。
王族であり最上級生である彼は、迷うことなく生徒たちの前に立ち塞がる。
「グガアァァァァァァッ!!!」
巨大熊が咆哮を上げ、巨大な爪を振り下ろした。
「生徒たちは下がれ! 我々教官が抑える!」
数人の教官が一斉に飛び出し、魔法の障壁を展開する。
しかし――。
「ガァッ!?」
「くそっ、毛皮が硬すぎる! 魔法が通らん!」
教官たちの放つ炎や風の魔法は、赤黒い毛皮に弾かれて傷一つつけられない。
逆に、巨大熊の一撃で分厚い魔法障壁がガラスのように粉砕され、教官たちが次々と吹き飛ばされていく。
「陣形を崩すな! リリア嬢、負傷者の治癒をお願いできるか!」
「はい、殿下! オルフィアさん、後方の生徒たちに防壁を!」
「わ、わかりましたっ! 『聖なる防壁』!」
エドワード殿下の的確な指示で、リリアが白魔法で教官たちを癒やし、オルフィアとノアが後方の生徒たちを守る結界を張る。
「殿下、俺も行くぜ! ……出し惜しみしてたら、傷一つつけられねえ気がするぜ!」
歴戦の戦士の血脈が騒いだのか、クロードは野生の勘で巨熊の異常な硬さと強さを察知していた。
彼は背中の魔剣ヴァルムを両手で構え、自身の中に眠る莫大な魔力と闘気を最初から限界まで引き出す。
剣身が真紅の炎を吹き上がり、爆発的な推進力となって彼を巨熊の懐へと弾き飛ばした。
「うおおおおっ! 『爆炎刃』!!」
渾身の、そして全力の一撃が、巨熊の極限まで硬化された赤黒い毛皮を力任せに切り裂き、深い傷を刻み込む。
「グガアァァァァァァッ!?」
初めて通った痛撃と灼熱に、巨大熊が怒り狂い、その真紅の瞳を完全にクロードへと向けた。
圧倒的なヘイト(敵意)が彼に集中する。
「よし、こっち見たなデカブツ! かかってこい!」
「クロードさん、無理しないでください! 『聖なる癒やし(ヒール)』!」
「私の『聖なる防壁』も重ね掛けします!」
「私の『聖なる加護(筋力アップ)』も受け取ってください!」
リリアとオルフィア、そしてセリアが後方から絶え間なく白魔法の援護と強化を飛ばし、クロードは巨熊の猛攻をギリギリで躱し、防ぎ、引きつけ続ける。
最上級生であるエドワード殿下でさえ、その規格外の立ち回りに驚愕し、遊撃に回るのが精一杯だった。
「……見事な囮役ね。クロードがあれだけ完全にヘイトを稼いでくれてるなら、こっちは遠慮なく最大火力をぶち込めるわ」
アイラは深く息を吸い込み、右手に漆黒の魔力を極限まで圧縮し始めた。
ただの魔物ではない。
何らかの呪術で強化された巨体を一撃で消し飛ばすための、全力の黒魔法だ。
「エドワード殿下、クロード! そこから離れて!!」
アイラの叫びに、クロードとエドワード殿下が巨熊から一気に距離を取る。
「消えなさい、イレギュラー! 混沌の次元【カオス・ディメンション】!」
アイラが右手を突き出すと、空間が引き裂かれて混沌の次元が姿を現し、周囲を対消滅させながら広がる。
ギギギギギィイィィィイッ! そして、悲鳴を上げるような音を残して空間が閉じていく。
アイラの放った全力の混沌魔法の直撃を受けた巨大熊は、断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体を呪術のコーティングごと混沌に飲み込まれて跡形もなく消滅した。
「…………」
「…………」
静まり返る森。
他班の生徒たちも、教官たちも、エドワード殿下すらも、目の前で起きた規格外の光景にポカンと口を開けて固まっていた。
「ふう。やっぱり、前衛がしっかりヘイトを稼いでくれると魔法が撃ちやすいわね」
アイラはパンパンと手を払い、クロードやリリアたちとハイタッチを交わした。
「……信じられない。あのイレギュラーを、たった一撃で……」
エドワード殿下が剣を納め、信じられないという目で彼女たちを見る。
「すっげええええ!! やっぱお前らバケモンだな!!」
クロードだけが無邪気に大喜びで駆け寄ってきた。
しかし、教官の一人が青ざめた顔でアイラたちのもとへ歩み寄ってきた。
「見事だった、アルジェント公爵令嬢……。だが、これは由々しき事態だ」
「ええ、分かってます。学園が厳重に管理している『人工魔物の巣』に、あんな得体の知れない突然変異体が自然発生するはずがないわ」
アイラの言葉に、教官とエドワード殿下の表情が険しくなる。
「何者かが意図的に演習林の結界をすり抜け、魔物に呪術を施して暴走させた可能性が高い。狙いは学園の生徒……いや、我々王族や高位貴族へのテロか……!」
エドワード殿下は、巨熊が消滅した跡地に残る黒い焦げ跡を見つめ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「アイラ嬢、リリア嬢。君たちの力には感謝する。この件は、私から直接父上(国王陛下)に報告しなければならない。国を揺るがす重大な事態だ」
「殿下……」
リリアが心配そうに見つめると、エドワード殿下は「心配はいらない」と優しく微笑んだ。
順調に終わるはずだった対魔物演習。
しかし、その裏に蠢く『何者か』の黒い影は、確実に彼女たちの日常を脅かし始めていた。
保留になっていたあの調査が、再び動き出す時は近いのかもしれない。
あの対魔物演習での巨大熊との遭遇から、3ヶ月が経過した。
季節はすっかり冬に差し掛かっていた。
その間、アイラたちは学園祭などのイベントを楽しみつつ平和な学生生活を謳歌していた。
悪魔教団『黒蛇の目』の調査は進展がなく、不気味なほど何事も起きない日々が続いていたのだ。
……だが、それはただの「嵐の前の静けさ」に過ぎなかった。
その日の午後。
学園中に、耳をつんざくようなけたたましい非常警報の鐘が鳴り響いた。
「全生徒は直ちに学園本棟へ避難せよ! 繰り返す、全生徒は――」
教師たちの緊迫した怒号が飛び交う中、アイラたち『六人組』のもとへ、王室近衛騎士団の使いが血相を変えて駆け込んできた。
「アイラ様、皆様! 直ちに演習林の防衛ラインへ向かってください! 緊急招集です!」
「緊急招集? 私たちが?」
「はい! 以前皆様が討伐された『赤黒い毛皮の暴食熊』……あれと同じ突然変異体が、演習林の奥から『三十体』同時に出現しました!!」
「「「さんじゅっ!?」」」
クロードが素っ頓狂な声を上げ、ノアの顔からサァッと血の気が引いた。
「僕の計算が正しければ、あれ一体でも小規模な街が壊滅するレベルの化け物ですよ!? それが三十体同時なんて、国家の存亡に関わる事態です!」
「だからこそ、お父様たち(騎士団)や魔法師団が動いてるんでしょ。そして、前回あれに唯一決定打を与えた私たちにもお呼びがかかったってわけね」
アイラは学生服の袖を乱暴に捲り上げ、戦闘用ブーツの紐をきつく結び直した。
「行くわよ、みんな。私たちの平穏な学園生活を脅かすヤツらは、全員物理と魔法で消し炭にしてあげるわ!」
演習林と王都を隔てる境界線には、すでに急造の強固な防衛陣地が構築されていた。
アイラの父、レオンハルト率いる騎士団と、宮廷魔法師団が総力を挙げて防衛線を張っている。
「放てェッ!! 奴らを防衛線から一歩も出すな!!」
ズドドドドォォォンッ!! 魔法師団による一斉砲撃と、大砲の轟音が響き渡る。
しかし、土煙の中から現れた赤黒い巨熊たちは、全く意に介する様子もなく進軍を続けていた。
「くそっ、普通の魔法や剣撃が全く通らん! 傷一つつけられないぞ!」
「なんて硬さだ! 結界が破られる! 下がれェッ!」
前線の騎士や魔術師たちが次々と弾き飛ばされていく。
普通の武器や魔法では、あの呪術でコーティングされた極限の硬さを誇る毛皮を貫くことは不可能なのだ。
「遅れてごめんなさい、お父様!」
アイラたちが防衛線に到着すると、指揮を執っていたレオンハルトが険しい顔で振り返った。
「来たか、アイラ、リリア! すまないが、学生のお前たちの力も借りねばならん事態だ。魔法剣を使える高位の騎士や、一部の凄腕の魔法使いの攻撃しか奴らにはダメージが通らん!」
「分かってます! クロード、前回と同じよ! ヘイトを限界まで稼いで!」
「おう! 任せとけ!」
クロードが魔剣ヴァルムを抜き放ち、炎の推進力で戦場の最前線へと飛び出していく。
先祖から受け継いだ闘気と莫大な魔力で巨熊の注意を強引に引きつけ、オルフィアの『聖なる防壁』とノアの『氷結の遅延魔法』が完璧なタイミングでサポートに入る。
「いきますよ、セリアちゃん!」
「はい、リリア様!」
「私も合わせるわ!」
巨熊の気が逸れた一瞬の隙を突き、アイラとリリア、セリアの三人が極大の白黒魔法(と物理)を巨熊の弱点に叩き込む。
「『聖なる裁きの光』!!」
「『絶望の黒杭』!!」
「『聖なる一撃』!!」
三人の連携攻撃が直撃し、ようやく巨熊が1体、ドロドロとした黒い瘴気を吹き出しながら崩れ落ちた。
「ふぅ……これで1体。でも、まだまだ数が多すぎるわね」
彼女たちが息をついた、その時だった。
「――全く。人間というのは、本当に世話の焼ける生き物だな」
戦場の喧騒を切り裂くように、場違いなほど冷静で威厳のある声が響き渡った。
アイラたちが驚いて振り返ると、そこには見慣れたメイド服姿の女性が立っていた。
アルジェント公爵家のメイドである、エマだ。
だが、その瞳は神々しい金色に輝き、背後には美しい白い羽の幻影が揺らめいている。
「エマ!? いや、シュシュエル! どうしてこんな最前線に?」
アイラが驚きの声を上げると、エマの体を借りた天使シュシュエルは、静かな足取りで彼らの元へ歩み寄ってきた。
3ヶ月前、最初に現れた魔物の様子を聞いていて、少し気になって上空から見ていたらしいのだ。
「……どうやら、私の嫌な予感は的中したようだな」
シュシュエルは、黒い瘴気を吹き出しながら消滅していく巨熊の残骸を一瞥し、忌々しげに目を細めた。
そして今の戦闘を見て、これは悪魔がらみの魔物実験だと確信した様だ。
同時に、彼女の金色の瞳は、最後尾で結界を張り続けていたノアの異常な計算処理能力を、値踏みするようにじっと捉えていた。
「悪魔が……直接介入しているの?」
アイラが尋ねると、シュシュエルは深く頷いた。
「そうだ。呪術のコーティング等、知識が得られれば人間でも可能な実験だ。だが、これほどの数と異常な狂暴化……明らかに、悪魔が介入していないと出ない強化レベルに達している」
その言葉に、クロードやノアたちも顔色を変えて息を呑んだ。
「どうやらこれは、人間だけの事件では無いようだな。我も同行しよう」
シュシュエルが、背後の光の翼を大きく広げて宣言する。
「天使のシュシュエルが一緒に来てくれるなら、これほど心強いことはないわね。……残るデカブツたちも、全員でさっさと片付けちゃいましょう!」
アイラが黒魔法使いの杖を構え直すと、仲間たちも一斉に武器と魔法を構えて闘志を燃やした。
どうやら黒蛇の目が、悪魔を引き連れて3ヶ月の沈黙を破り、確実に動き出したのだ。
数百年前に滅びたはずの暗殺・呪術教団『黒蛇の目』と、彼らが崇拝する黒く濁った瞳を持つ『邪神(悪魔)』。
演習林に放たれた三十体の巨大熊は、人間界に対する宣戦布告に他ならなかった。
「……ついに、本格的に戦争が始まるってわけね。上等じゃない」
アイラは両手に黒と白の魔力を同時に展開し、残る巨熊の群れを鋭く睨みつけた。
王立学園の平和を、そして彼女たちの美味しい日常を脅かすヤツらは、悪魔だろうが何だろうが絶対に許さない。
王国の存亡を懸けた、悪魔の軍勢との本当の戦いが、今まさに始まろうとしていた。
アイラが両手に練り上げた黒と白の魔力を融合させ、前方に突き出す。
「消えなさい、イレギュラー! 『混沌の次元』!」
空間そのものが捻じ切れ、悲鳴を上げるような音と共に、絶対的な破壊の渦が巨大熊の群れを飲み込んだ。
呪術で強化された極限の毛皮も、悪魔の瘴気も、混沌の次元の前では紙屑のように容易く対消滅していく。
「すごい……お姉様は、あんなに強くて、みんなを守って戦っているのに……」
後方で支援魔法を展開していたリリアが、アイラの背中を見つめながらポツリと呟いた。
その青玉の瞳には、尊敬と同時に、もどかしさと強い渇望が揺らめいている。
「私も、お姉様のようになりたい……。ただ守るだけじゃない、敵を打ち倒す力を、もっとみんなを守れる力を……!」
リリアが胸の前で両手を強く握り締め、心の底から祈るように強く願った、その瞬間だった。
『ピコンッ♪』 戦場の喧騒を切り裂くように、リリアの脳内にあの軽快な電子音が鳴り響いた。
「えっ……?」
リリアが驚いて目を見開くと、彼女の目の前の空間に、半透明の青いシステムウィンドウがポップアップした。
『強き願いと魔力共鳴を確認しました。リリア・アルジェント:黒魔法使いの遺伝子が活性化しました。』
『【黒魔法】が解放されました。【白魔法】と統合され【混沌魔法】が開放されました。魔女に覚醒しました。』
『アイラ・アルジェントとの双子魔女の魔法共有を実行。魔法スキルが同期されました。』
「お姉様と、魔法が同期……私にも、敵を倒す力が……!」
リリアの全身から、これまで彼女を象徴していた純白の神聖魔力に加え、深淵のような漆黒の暗黒魔力が爆発的に吹き荒れた。
二つの相反する力が彼女の内で反発することなく見事に融合し、美しい螺旋を描いて立ち上っていく。
「ほう……遂にもう一人も至ったか」
その規格外の魔力の奔流を見て、前衛で悪魔の気配を追いながら魔物を薙ぎ払っていたエマ【シュシュエル】が、感心したように目を細めた。
「五千年以上前の大戦以来、久しく途絶えていた新しい魔女の誕生。それが同じ世代に二人、しかも双子となれば、異次元の魔女たちもさぞ喜ぶだろうな」
シュシュエルは、迫り来る巨大熊の頭を無造作に光の剣で吹き飛ばしながら、これからの展開に密かな期待を寄せるように、不敵な笑みを浮かべていた。
「そうなれば、悪魔どももうかつには動けなくなるしな。……ふん、少しはこの先の未来が楽しみになってきたぞ」
シュシュエルが不敵な笑みを浮かべている間にも、戦場では仲間たちが死力を尽くして戦っていた。
「オラァァァッ! 燃え尽きろデカブツ!!」
クロードが魔剣ヴァルムの真紅の炎を限界まで引き出し、巨体の懐に潜り込んで強烈な一撃を叩き込む。
「私だって……! 『聖なる光弾』!」
オルフィアも恐怖をねじ伏せ、前髪を上げた凛々しい顔で正確に魔物の急所を白魔法で撃ち抜いていく。
しかし、その激戦の最中で、一人だけ決定打を持たずに苦闘している者がいた。
「くっ……『氷結の遅延』! 視界を奪え、『閃光』!」
ノアが額に大量の汗を浮かべ、分厚い眼鏡を光らせながら次々と魔法を展開する。
だが、彼の完璧な計算式で構築された現代の属性魔法は、悪魔の呪術でコーティングされた毛皮を前にして、文字通り傷一つ傷つけることができなかった。
彼にできるのは、魔物の足元を凍らせて動きを鈍らせるか、強い光で目くらましをして仲間のサポートに徹することだけだった。
「僕の魔法が、全く通じない……! この僕の頭脳が、ただの足手まといだというのか……!」
圧倒的な戦力外という事実が、ノアのプライドを無残に切り裂いていく。
こうして残りの二十九体を討伐し終えた前線基地のテントの中では、ノアが無力感に苛まれていた。
「……くそっ」
天幕の隅で、ノアがギリッと奥歯を噛み締めていた。
普段は冷静沈着で自信満々な彼が、珍しく感情を露わにして膝を叩いている。
「どうしたの、ノア。怪我でもした?」
アイラが声をかけると、ノアは悔しそうに顔を上げた。
「……僕だけです。僕だけが、あの巨大熊の群れに対して何の決定打も持っていなかった。僕の完璧な計算式で構築した魔法ですら、あの呪術コーティングには文字通り『傷一つ』つけられなかったんです」
ノアの言葉に、彼女たちは沈黙した。
魔力神経が開通し、天才的な頭脳で強力な魔法を操れるようになったノアだが、彼の魔法はあくまで「現代の通常の属性魔法」の枠を出ない。
悪魔の呪力で強化された化け物相手には、クロードの魔剣のゴリ押しや、アイラとリリア、オルフィア、セリアの持つ「白と黒の極大魔法(神聖・暗黒属性)」でなければダメージが通らなかったのだ。
「アイラ嬢、リリア嬢、セリア嬢。それにクロードにオルフィア嬢まで……。君たちは全員、第一線で戦える『規格外』の力を持っている。それに比べて、僕は……」
戦力外だったのだ。
その悲しい事実が、彼の高いプライドと仲間への思いを無残に切り裂いていた。
そんな重苦しい沈黙が広がる天幕の中に、エマの姿をしたシュシュエルが静かに足を踏み入れ、ノアの前に立った。
「己の無力さを嘆いているようだな、人間の小僧」
「シュシュエル様……。ええ、僕の現代魔法では、悪魔の力の前には無力でした。僕は、彼らと並び立つことすらできない」
ノアが自嘲気味に俯くと、シュシュエルは腕を組んで冷ややかな、しかしどこか期待を含んだ声で告げた。
「勘違いするな。白魔法や黒魔法を使えないただの魔法使いであっても、昔は悪魔と対等に渡り合った者たちがいたのだぞ」
「本当ですか……? 属性魔法しか使えない人間が、どうやって悪魔と……」
ノアが驚いて顔を上げると、シュシュエルは彼に歩み寄り、その白い指先をノアの額にぴたりと当てた。
「見せてやろう。五千年前、天使と悪魔の全面戦争の時代に、白と黒の魔法を持たぬ人間たちが血反吐を吐いて研究し、創り出した『歴史に埋もれた失われた魔法』をな」
シュシュエルの指先から、莫大な知識の奔流が直接ノアの脳髄へと流れ込んでいく。
それは、現代の魔法体系からは完全に失われたロストテクノロジー、『虚無の魔法』の数式と理論だった。
「がっ……あぁぁっ……! この、複雑怪奇な術式構成は……っ!」
ノアが頭を抱え、あまりの情報量に悲鳴を上げそうになる。
ものによっては黒魔法の攻撃力を上回り、白魔法の防御力をも凌駕する恐るべき禁術の数々だった。
天使たちにとっては禁術など知ったことではないため、シュシュエルは容赦なくその危険な知識を彼に叩き込んだ。
「普通の人間の脳であれば、理解する前に発狂して焼き切れるだろう。だが、お前のその異常な計算処理能力ならば、必ず耐え抜き、己のものにできるはずだ」
シュシュエルが指を離すと、ノアは荒い息を吐きながら床に膝をついた。
しかし、その分厚い眼鏡の奥の瞳には、先ほどまでの絶望の影など欠片もない。
現代の枠を根底から覆す深淵なる数式を前にして、己の知を満たさんとする貪欲で狂気じみた歓喜の炎が燃え上がっていた。
「……素晴らしい。これは、現代の魔法の枠組みを根底から覆す、まさに『神の数式』だ」
ノアはゆっくりと立ち上がり、ズレた眼鏡を中指で押し上げた。
その知識に触れたことで、ノアは現代の魔法使いという見えない壁を、見事に打ち破ることに成功したのである。
「ふふっ、僕の天才的な頭脳があってこその限界突破ですね。……昔は僕レベルの魔法使いがゴロゴロ居たということですが、裏を返せば、このレベルでなければ生き残れなかった過酷な時代だったのでしょう」
ノアは、自身の両手を見つめ、静かに、しかし確かな自信に満ちた笑みを浮かべた。
だからこそ、現代において突出したそのレベルの頭脳を持つノアは、本来なら理解が及ばないはずの禁術までも完全に解析し、理解してしまったのだ。
「感謝します、シュシュエル様。……これで僕も、アイラ嬢たちと共に最前線で悪魔どもを殲滅する計算式を、完璧に構築できますよ」
彼の背後に立ち上る圧倒的な知と魔力のオーラを見て、アイラたちも頼もしそうに微笑み合った。
数時間後。
演習林の防衛陣地に、王家の紋章を掲げた新たな部隊が到着した。
先頭で白馬に跨り、豪奢な甲冑に身を包んで現れたのは――第一王子のジュリアン殿下だった。
「ジュリアン殿下! なぜあなたが最前線に!?」
アイラが驚いて駆け寄ると、ジュリアン殿下は馬から降りて剣の柄に手を当てた。
「事態は王国への明確なテロ行為だ。王家を代表して、私がこの討伐軍の指揮を執る。父上(国王)からの勅命だ」
第一王子であるジュリアン殿下が直々に前線に出る。
それは、この戦いが「演習中の事故」などではなく、「国家を挙げた戦争」であることを意味していた。
「騎士団、並びに宮廷魔法師団の精鋭たちよ! そして、未来の王国を背負う若き獅子たちよ!」
ジュリアン殿下が剣を抜き放ち、集まった討伐軍に向けて高らかに演説を始めた。
「これより我々は、演習林の奥深く……悪魔の瘴気が立ち込める『黒蛇の目』の本拠地へと突入する! 我が王国を脅かし、民の平穏を奪おうとする悪魔崇拝者どもを、地の底まで追い詰め、一網打尽にするのだ!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
騎士たちと魔法使いたちの怒号が、夕闇の森を震わせた。
「行くぞ、アイラ。お前たち六人の規格外の力、この討伐作戦の『特攻部隊』として存分に振るってもらうぞ」
ジュリアン殿下が、幼なじみとしての信頼を込めた目でアイラを見た。
「当然よ。私たちの美味しい学園生活を邪魔した罪、死ぬより辛い目に遭わせてやるわ」
アイラは不敵に笑い、後ろを振り返った。
「準備はいいわね、あんたたち!」
「おう! 悪魔だろうが何だろうが、俺の剣で真っ二つだ!」
クロードが魔剣ヴァルムを肩に担ぎ、炎の闘気を立ち昇らせる。
「はいっ! 皆さんの背中は、私が全力でお守りします!」
オルフィアが杖を握り締め、凛とした表情で頷く。
「さあ、悪人たちに神の裁き(物理)を下す時です!」
「ええ、私たちで道を切り拓きましょう」
セリアとリリアも、それぞれの武器を構えて闘志を燃やしている。
「我もそろそろ天使の軍勢の準備をするか」
そう言うと、シュシュエルの姿がかき消えた。
そして――。
「……古の虚無魔法の最適化、完了。……ふっ、僕の計算処理能力に不可能はありません」
ノアの全身からは、これまでの彼からは想像もつかないほど、神々しく圧倒的な魔力のオーラが吹き荒れている。
「遅れは取りませんよ。僕も、戦力として前衛に立たせてもらいます」
ノアが加わり、彼らの力は完全に一つになった。
「全軍、突撃ィィィッ!!」
ジュリアン殿下の号令と共に、一行は夕闇に沈む森の奥――悪魔教団が潜む深淵へと、決死の突入を開始したのである。
夕闇に沈む演習林の奥深くへ突入してから数十分。
木々を切り払いながら進んでいた先行の騎士団が、鬱蒼と茂るツタに隠された巨大な『人工の洞窟』を発見した。
「ジュリアン殿下! あちらに怪しい洞窟が! 内部から尋常ではない魔力と、黒い瘴気を感じます!」
「よし、各員警戒を怠るな! 突入する!」
ジュリアン殿下の号令とともに、松明と魔法の明かりを頼りに洞窟の内部へと足を踏み入れる。
中は複雑な迷路のようになっており、冷たく湿った空気に、濃密な血と腐敗の匂いが混じっていた。
「……来ます!」
索敵を行っていたセリアが鋭く叫んだ。
その直後、洞窟の奥から不気味な足音と唸り声が響き渡った。
現れたのは、黒いローブを身に纏った数十人の人間たち。
しかし、その瞳は白目がなく、底なしの泥のように濁った『黒一色』に塗りつぶされていた。
以前オルフィアの『聖なる水底』で視た、クロードの過去に現れた男と同じ目だ。
「ギャアアアッ!!」
狂気を孕んだ奇声を上げ、彼らが武器も持たずに素手で襲いかかってきた。
「構えろ!」
最前列の騎士たちが剣や槍を突き出す。
刃が彼らの体を貫くが――黒い瞳の人間たちは痛がる素振りすら見せず、突き刺さった刃ごと騎士に飛びかかり、その喉元に噛み付こうとした。
「ひぃっ!?」
「だ、ダメだ! 普通の武器が効かない! こいつら、人間じゃない!」
「一般の騎士たちは下がれ!! 対悪魔戦闘に切り替える!」
ジュリアン殿下が即座に判断を下し、騎士たちを後退させた。
「あいつら、全員『悪魔に憑依された人間』よ! 普通の物理攻撃じゃ倒せないわ!」
アイラが叫ぶと同時に、特攻部隊である『六人組』が最前線へと躍り出た。
「オラァァァッ!」
クロードの魔剣ヴァルムが真紅の炎を吹き上げ、悪魔憑きの一人を唐竹割りに両断する。
炎の闘気と魔剣の力が、悪魔の再生力を完全に上回っていた。
「『聖なる水弾』!」
オルフィアの放つ清らかな水魔法が、悪魔憑きの体に風穴を開け、黒い瘴気を浄化していく。
「ふっ……。僕の新しい計算式、古の虚無魔法を試させてもらいましょう。『雷霆』展開!」
最後尾からノアが指を鳴らした瞬間。
洞窟の天井に黄金の魔法陣が瞬時に展開され、そこから神々しい黄金の雷が降り注いだ。
「ギャアアアッ!?」
雷に打たれた悪魔憑きたちが、一瞬にして黒い灰へと変わる。
「ノア! さすがね!」
「ええ。僕の脳髄にかかれば、5千年前の術式すら現代に最適化して運用可能です」
ノアがドヤ顔で眼鏡を押し上げる。
アイラとリリア、セリアも極大の白黒魔法(と物理)で次々と敵を浄化していく。
しかし、倒しても倒しても、洞窟の奥から悪魔憑きたちがゴキブリのように湧き出してくる。
「くそっ、キリがないわね! これじゃ体力が削られるだけよ!」
アイラは奥歯を噛み締め、懐からあの『純白の羽飾りがあしらわれた小さな笛』――『天星の呼子』を取り出した。
「エドワード殿下、ジュリアン殿下! みんな耳を塞いで!」
アイラが合図を送り、呼子を力強く吹いた。
ピィィィィィィィィィィィィッ……!!! その音は人間の耳には聞こえないほどの高周波だが、空間そのものを震わせるような神聖な波動となって洞窟内に響き渡った。
直後。
洞窟全体を、圧倒的な展開の力(神聖な魔力)が駆け抜けた。
本来、地上での天使の姿は「光輝く霧」のような不確かなものであり、そのままでは物理的な干渉力を十分に発揮できない。
だからこそ、彼らが降臨し、実体化するための絶対的な『聖域』が、アイラの笛を起点として瞬時に展開されたのだ。
「な、なんだこの光は……!」
騎士たちが目を細める中、洞窟の天井がまるで幻影のように黄金の光に溶け落ちた。
展開された聖域の光の中で、光輝く霧が集束し、純白の翼を広げ、黄金の武具に身を包んだ『天使の軍勢』が次々と実体化して降臨してくる。
『人間界で悪魔の瘴気を撒き散らす愚か者どもめ。我ら天使の軍勢が、等しく浄化してくれよう!』
先頭で白銀の剣を掲げたのは、エマの姿で天界の装備で完全武装したシュシュエルだった。
「おおおっ……! 天使の軍勢!」
騎士たちが畏敬の念に打たれて膝をつく中、天使たちの圧倒的な光の魔法が、洞窟内を埋め尽くしていた悪魔憑きたちを一瞬にして一掃していく。
「すごい……! さすが専門家ね」
アイラたちが息をついていると、シュシュエルが翼を畳んで彼女たちの前に降り立った。
「アイラ。おかげでこの階層のゴキブリどもは粗方片付いたぞ」
「ありがと、助かったわ。これで『黒蛇の目』の本拠地も制圧完了ね」
アイラが笑いかけると、シュシュエルは厳しく首を振った。
「いや、まだだ。この洞窟の最奥……地下へと続く大扉の先にだけ、展開した聖域の力が及ばず、我ら天使がどうしても入れない場所がある」
「天使が入れない?」
ジュリアン殿下が怪訝そうに尋ねる。
「ああ。空間そのものに、強固な『天使除け(アンチ・エンジェル)』の呪術結界が施されているのだ。我々が無理に実体化して触れれば、相反する力が反発して大爆発を起こし、王都ごと吹き飛ぶ危険がある」
シュシュエルの言葉に、その場にいた全員の顔が引きつった。
「だが、人間であるお前たちなら、その結界を素通りできるはずだ。……アイラよ。あの扉の奥に行き、結界の『核』を破壊してきてはくれないか?」
「私たちに奥へ行けってことね。もちろん構わないわよ。ここまで来て引き返すなんてありえないしね」
アイラが二つ返事で頷くと、クロードも魔剣を肩に担いでニヤリと笑った。
「おう! 結界の核だろうが何だろうが、俺がぶっ壊してやるぜ!」
「僕の古代魔法と計算があれば、どんな呪術も解析可能です」
ノアも眼鏡を光らせて同調する。
「よし、決まりだ。我々騎士団と魔法師団はこの場に留まり、残党の掃討と天使殿たちのサポートを行う! アイラ、お前たち六人は最奥へ向かえ――」
ジュリアン殿下がそう指示を出そうとした、その時だった。
彼はハッと何かを思い出したように言葉を切ると、真っ直ぐにシュシュエルへと向き直った。
「……いや、待て。シュシュエル殿」
「なんだ、人間の王子よ」
「かつてアイラが誘拐された事件の際、貴女がレオンハルト公爵とセオドアに『天界の武具』を貸し与えたと聞いている。……この国の第一王子として、そして……一人の男として、彼女を危険な最奥へ向かわせるのに、ここでただ待っているわけにはいかない。私にも、悪魔を断つ剣を貸してはくれないだろうか」
「殿下? 気持ちは嬉しいけど、最奥にいるのは間違いなく高位の悪魔よ。王位継承者に万が一のことがあったら……」
アイラが止めようとしたが、ジュリアン殿下は首を横に振った。
「国を守るのが王族の務めだ。それに……昔から、お前が危険な目に遭う時は、私も共に立ち向かうと決めている」
ジュリアン殿下の決意に満ちた真っ直ぐな瞳を見て、シュシュエルはフッと口角を上げた。
「……よかろう。人間の王族の覚悟、見せてもらうぞ」
シュシュエルが虚空に手を伸ばすと、黄金の光と共に一振りの美しい白銀の長剣が現れ、ジュリアン殿下の手へと渡された。
「天界の宝剣『エクシード』だ。お前のその覚悟があれば、十全に扱えるはずだ」
剣を握った瞬間、ジュリアン殿下の全身を神聖なオーラが包み込んだ。
「感謝する、シュシュエル殿!……よし、騎士団と魔法師団はこの場を死守せよ! 私はアイラたちと共に最奥へ突入する!」
「「「ははっ!!」」」
ジュリアン殿下という心強い(そして少し過保護な)戦力を加え、一行7人はついに洞窟の最奥へと続く大扉へと足を踏み入れることになった。
巨大な石の扉を押し開け、地下へと続く長い階段を降りた先は、不気味な赤い光に照らされた、円形の巨大な儀式の間だった。
「……来たか、人間ども。忌々しい討魔の血族のガキと……小生意気な王族め」
部屋の中央、血の池のような祭壇の上に『彼』は立っていた。
黒いローブに深いフードを被っている。
その指には『双頭の蛇』の紋章が刻まれた指輪が鈍く光っている。
「てめえは……!!」
クロードがギリッと歯を食いしばる。
オルフィアの水鏡で見た、彼の魔法回路を破壊した張本人だ。
男がゆっくりとフードを下ろすと、その両目はやはり、白目すら存在しない真っ黒な闇に染まっていた。
しかし、先ほどの悪魔憑きたちとは、放つプレッシャーの次元が違う。
ただそこに立っているだけで、冷たく重い泥のような瘴気が足元に絡みつき、肺が焼け焦げるように呼吸が苦しくなる。
それは、これまでの悪魔憑きとは次元が違う、本物の『絶望』の気配だった。
「……私の名はベルゼ。この『黒蛇の目』を統べる教祖にして……偉大なる深淵より遣わされし、高位悪魔だ」
ベルゼと名乗った男の背中から、赤黒い瘴気が立ち上り広がって行く。
「あの巨大熊の群れを仕向けたのも、お前ね」
アイラが黒魔法を手に集束させながら睨みつけると、ベルゼは嘲笑うように口角を上げた。
「いかにも。あれは挨拶代わりの余興にすぎん。……さあ、愚かな人間どもよ。天使の加護も届かぬこの密室で、絶望と恐怖に溺れながら死ぬがいい!」
圧倒的な魔力と瘴気が部屋中に吹き荒れる。
ついに、元凶である高位悪魔との、文字通り命を懸けた最終決戦の火蓋が切って落とされた。
地下深くの広大な儀式の間でのことである。
高位悪魔ベルゼとの戦いは、彼らがこれまで経験したどんな死闘よりも過酷で、そして絶望的だった。
「オラァァァッ!!」
クロードが魔剣ヴァルムの炎を限界まで引き出し、ベルゼの腕を斬り飛ばす。
しかし、斬り飛ばされた端から、赤黒い瘴気がうねって一瞬で元の腕を再生させてしまった。
「無駄だ。人間ふぜいの剣で、深淵の肉体を滅ぼせるものか」
ベルゼが指を一振りすると、圧縮された瘴気の塊がクロードを吹き飛ばす。
「クロードさん! 『聖なる水底』!」
「『聖なる裁きの光』!」
オルフィアの浄化の水と、リリア・セリアの白魔法がベルゼに殺到するが、それすらも圧倒的な魔力の壁の前に霧散してしまう。
アイラの黒魔法を急所に直撃させても、すぐに再生されてしまい決定打に至らない。
圧倒的な力の差だった。
アイラが放つ最大火力の黒魔法も、クロードの魔剣の斬撃も、ベルゼの強固な瘴気の鎧には文字通り『傷一つ』つけることができない。
迫り来る赤い瘴気の波を、オルフィアとノアが結界を何重にも展開して必死に防ぐが、それもガラスのように次々と粉砕されていく。
全員が満身創痍になり、魔力が底を突きかけても、誰一人として膝を折ることはなかったが、その死闘は間違いなく彼らを絶望の淵へと追い詰めていた。
「……僕の古代魔法の計算式でも、あの再生力と魔力量を上回る火力を今の僕たちで出し切るのは不可能です。正面から打ち倒す確率は、0%……!」
最後尾で結界を張り続けているノアが、ギリッと唇を噛んで絶望的な分析を口にした。
「倒す必要はない!!」
その時、ジュリアン殿下が鋭く叫んだ。
「あの祭壇の奥で、禍々しい光を放っている巨大な黒い水晶……あれが『天使除けの結界』の核だ! あれさえ破壊すれば、シュシュエル殿たちがこの空間に入ってこられる!」
「なるほど! でも、どうやってあそこまで……!」
「アイラ、クロード! お前たちの全火力で奴の気を引け! その隙に私が、天界の宝剣で核を絶つ!」
ジュリアン殿下が、シュシュエルから借り受けた白銀の宝剣『エクシード』を構える。
「分かったわ! みんな、死ぬ気で魔法を叩き込んで!!」
アイラの号令で、全員が残る魔力を全て解放した。
クロードがヴァルムの爆炎で視界を塞ぎ、ノアの『雷霆』が降り注ぐ。
アイラとリリアたちの極大魔法が混ざり合い、強大な力の奔流となってベルゼを飲み込んだ。
「小賢しい人間どもめ!」
ベルゼが苛立ちと共に魔法を弾き飛ばそうとした、その一瞬の隙だった。
「おおおおおっ!!」
ジュリアン殿下が祭壇へと疾走し、渾身の力で宝剣を振り下ろした。
神聖な白銀の閃光が巨大な黒い水晶を一刀両断し、粉々に打ち砕く。
パァァンッ……!! 空間を縛っていた強固な呪縛が解ける音が響いた。
「なにィッ!?」
結界が破壊されたことを悟り、ベルゼが激昂する。
「忌々しい王族め……! ならば、お前たちから先に消し飛ばしてやる!」
ベルゼの怒りの矛先が、核を破壊したジュリアン殿下……ではなく、その隙を作ったアイラへと向かった。
圧倒的な魔力の突風がアイラを襲い、宙高く吹き飛ばされる。
「きゃあっ!?」
アイラの体は、ジュリアン殿下がいる祭壇の方向へと無残に叩き落とされた。
「アイラ!!」
ジュリアン殿下が倒れ込む彼女を間一髪で受け止める。
だが、顔を上げた彼らの頭上には、ベルゼが生成した全てを貫く巨大な『赤い闇の槍』が形作られていた。
「二人まとめて死ぬがいい!!」
無慈悲に放たれた巨大な闇の槍が、回避する間もなく彼らへと迫る。
(ダメ、防げない……!)
アイラが恐怖に目を閉じた瞬間だった。
強い力で腕を引かれ、彼女は温かく大きな腕の中に、強く、強く抱きすくめられた。
ズドォォォォンッ!!! どすん、という重い衝撃。
アイラを抱きしめるジュリアンの腕に強い力がこもった直後、生温かい液体がアイラの頬にべったりと跳ねた。
……周囲の音が、遠ざかっていく。
アイラが恐る恐る目を開けると、そこには、彼女を庇うようにきつく抱きしめているジュリアン殿下の顔があった。
しかし、その背中から胸にかけて、巨大な闇の槍が深々と貫通していたのだ。
どう見ても、即死レベルの致命傷だった。
アイラの頭の中が、真っ白に染まり、思考が完全に停止した。
「ジュリアン……殿下……?」
闇の槍が瘴気となって消え去り、力なく崩れ落ちる彼の体を、アイラは震える手で支えた。
彼の口から、信じられないほど大量の血が溢れ落ちる。
「アイラ……」
ジュリアン殿下は血まみれの手で、彼女の頬に優しく触れた。
「無事で……よかった……」
その顔には、一人の男として、愛する女を守り抜いた……優しく満足げな微笑みが浮かんでいた。
「嘘……嘘でしょ? なんで……私なんかのために……っ!」
アイラの視界が、一瞬にして涙でぐしゃぐしゃに滲んだ。
彼がいなくなる。
この生意気で、小言が多くて、でも……昔からずっと私を守ると言って、いつも一番近くにいてくれた彼が、いなくなってしまう。
その瞬間、アイラは自分の中にあった感情に初めて気が付いた。
それは幼なじみへの親愛などではない。
彼を失うと分かって初めて自覚した、どうしようもなく深く強烈な『愛』だった。
「いやあああっ! 死なないで! リリア、回復魔法を! 早く!」
「だ、ダメです……! 傷が深すぎて、私の白魔法では命を繋ぎ止められません……っ!」
駆け寄ったリリアも、絶望して泣き崩れた。
「泣く、な……。お前の、その強気な顔が……昔から……好き、だった……」
「ジュリアン……っ! 私も、私もよ! だからお願い、目を開けて!」
アイラの必死の呼びかけも虚しく、ジュリアン殿下の手が、彼女の頬からポロリと滑り落ちた。
そして、その瞳から完全に光が失われた。
「ジュリアン? ……ねえ、ジュリアン!! いやあああああっ!!」
アイラの悲痛な絶叫が、地下空間に響き渡った。
その声に呼応するかのように、天井からまばゆい黄金の光が降り注いだ。
『天使除け』の核が破壊されたことで、ついにシュシュエル率いる天使の軍勢が最奥の儀式の間へと降臨したのだ。
「遅くなってすまない! ……チッ、悪魔め!」
事態を察知したシュシュエルの顔が激しい怒りに染まる。
怒れる天使たちの圧倒的な浄化の光の前に、高位悪魔ベルゼは抵抗する間もなく光に呑まれ、断末魔の叫びと共に跡形もなく消滅した。
戦いは終わった。
高位悪魔は討ち果たされ、世界は守られた。
しかし――。
儀式の間には、勝利の歓声は上がらなかった。
クロード、ノア、オルフィア、セリア、リリア、そしてアイラ。
ただ涙を流し、愛する人の亡骸を抱きしめて泣き崩れるアイラを囲むように、彼らは深すぎる悲しみの中に立ち尽くしていた。
地下深くの儀式の間は、静寂に包まれていた。
高位悪魔ベルゼは天使たちの浄化の光によって完全に消滅したが、彼らの心は深い闇に沈んだままだった。
「ジュリアン……お願い、目を開けてよ……っ」
アイラは、血に染まったジュリアン殿下の冷たい体を抱きしめ、ボロボロと涙を流し続けていた。
クロードは剣を杖にしてうつむき、オルフィアとリリア、セリアも声を上げて泣いている。
ノアでさえ、眼鏡を外して目元を拭っていた。
いくら白魔法を極めても、死んでしまった人間を生き返らせることはできない。
その残酷な現実が、アイラの心をズタズタに引き裂いていた。
その時だった。
「……いつまでメソメソと泣いている、アイラ」
光輝く翼を畳み、一人の天使が彼女の傍らに静かに歩み寄ってきた。
「シュシュエル……っ。でも、ジュリアンが……私を庇って……!」
アイラがしゃくり上げながら顔を上げると、シュシュエルはそっと、彼女の肩に温かい手を置いた。
「心配するな。ジュリアンは私が生き返らせる」
「……え?」
その力強い言葉に、アイラは息を呑んだ。
泣いていた仲間たちも、信じられないという顔でシュシュエルを見つめる。
「い、生き返らせるって……そんなこと、天使にできるの!?」
「大体の天使は普通に人間の蘇生くらいできる。本来、人間の生死に天界が直接干渉することは無いのだ。だが、彼は天界の宝剣『エクシード』を正しく振るい、我らをこの場へ導いて悪魔を討ち果たした勇気ある男。それに……」
シュシュエルはフッと優しく微笑んだ。
「世界のために戦い続けたお前たちの絆への、天使からのささやかな褒美だ。それに、お前のその情けない泣き顔は、どうにも見慣れなくて調子が狂うからな。今回だけは、特別に蘇生してやろう」
シュシュエルはアイラの隣に膝をつき、ジュリアン殿下の額に静かに手を置いた。
「ジュリアンよ、生き返れ」
シュシュエルの手から、これまでのどんな白魔法とも比較にならない、純粋で絶対的な生命の輝きが放たれた。
パァァァァァァァッ……!! ジュリアン殿下の体が、まばゆい黄金の光に包み込まれる。
光の中で、悪魔の槍に貫かれた彼の胸の傷が瞬く間に塞がっていく。
失われた血の気が顔色に戻り、失われた魂が戻ってくる。
止まっていたはずの心臓が、再びトクン、トクンと力強い鼓動を打ち始めた。
そして、光がふっと収まった直後のことだった。
「……かはっ!……」
ジュリアン殿下の長いまつ毛が震え、その瞳がクワッ! と見開かれた。
「……ここは? 私は、確かに悪魔の槍に貫かれて……」
「ジュリアン!!」
アイラは我慢できずに、身を起こそうとしたジュリアン殿下の首に思い切り抱きついた。
「ぐっ!? 痛い、痛いぞアイラ! 生き返ったばかりの病人にダイブする奴があるか! 全く、お前は相変わらず乱暴だな……」
文句を言いながらも、ジュリアン殿下は彼女を突き飛ばすことはせず、その大きな手でアイラの背中を優しく、愛おしそうに撫でてくれた。
「よかった……っ! 本当に、よかったああぁぁっ!!」
アイラは彼の胸に顔を埋め、今度は嬉し涙をボロボロとこぼして大泣きした。
「おおおおっ! ジュリアン殿下! よくぞご無事で!!」
「殿下ぁぁ! よかったですぅぅ!」
クロードが感極まって吠え、オルフィアやリリア、セリアも抱き合って歓喜の涙を流している。
「ふん。世話の焼ける王族だ。……あとは若い者同士で勝手にするがいい」
シュシュエルは呆れたように肩をすくめると、天使の軍勢を黄金の光と共に天界へと帰還させ、自身は肉体の主導権をエマへと戻した。
「心配かけたな、アイラ。……お前がそんなにボロボロ泣くのを見るのは、初めてだな」
ジュリアン殿下が、アイラの涙を指ですくって優しく笑う。
「うるさいっ……! あんたが勝手なことするからでしょ……! いつも偉そうに私を守るって言ってた癖に……! もう二度と、私を置いて死ぬなんて許さないからね!」
「ああ、約束する。私はずっと、お前の側にいる」
二人は見つめ合い、自然とお互いの顔が近づいていく。
戦いの泥と血にまみれた地下室が、まるでロマンチックな花畑のような甘い空間へと変わりつつあった。
――しかし、このグループには、空気を読まない男が約一名存在していた。
「……ふむ。見事なハッピーエンドですね」
ノアが、ずり落ちた眼鏡を中指でクイッと押し上げながら、極めて冷静な声で呟いた。
「僕の計算によれば、自分の命を投げ打って守り抜いたという『究極の吊り橋効果』と、先ほどのアイラ嬢の涙による『愛の自覚』。……これで、アイラ嬢とジュリアン殿下の婚約もほぼ確定したと見て間違いないでしょう」
「「……は?」」
ノアは、ロマンチックな空気を一刀両断するようなズレた分析を、一人で淡々と続けている。
「元々、公爵家に引き取られてからの長い付き合いというアドバンテージに加え、今回の事件での共闘。公爵家と王室のパイプはこれでより強固なものになります。アイラ嬢を筆頭とした僕たちのアルジェント派閥(いつの間にか結成している)の政治的権力は盤石ですね。非常に合理的で、素晴らしい展開です」
「ちょっ、ノア! あんたってヤツは……っ!!」
「この空気で何を言っているんだ君は!?」
アイラとジュリアン殿下は、顔を茹でダコのように真っ赤にして、同時にノアに向かって叫んだ。
「おや? 僕の計算式に何か間違いがありましたか?」
ノアが不思議そうに首を傾げると、クロードが腹を抱えて大爆笑し始めた。
「あっははは! 違いねえ! ノアの言う通りだ! 良かったな、アイラ、殿下!」
「お二人とも、おめでとうございます!」
「これでお姉様も、晴れて王族の仲間入りですね!」
オルフィアやセリア、リリアまでが悪ノリして祝福し始め、儀式の間は一気に賑やかで騒々しい空間へと早変わりした。
「もう! あんたたち、本当にデリカシーってものがないんだから!!」
アイラは照れ隠しに大声で怒鳴り散らしたが、その顔はどうしようもなく緩んでしまっていた。
ジュリアン殿下も、やれやれと頭を抱えながらも、彼女と同じように笑っている。
クロードの落とし前である暗殺教団『黒蛇の目』、そして王国にとって数百年越しの因縁である悪魔の脅威を退け、彼らは全員揃って生きて帰ることができた。
そして、アイラの中には、今まで気付かなかった彼への『愛』という、とびきり甘くて温かい新しい感情が芽生えていた。
波乱に満ちた王立学園のバカンスは、こうして最高のハッピーエンド(とカオス)と共に幕を閉じるのだった。
演習林の地下深くで高位悪魔ベルゼを討ち果たし、ジュリアン殿下が奇跡の生還を遂げた数日後のことである。
事態の重大さから、アルジェント公爵家と王家は、王宮の謁見室にて緊急の非公開会議を開くことになった。
参加者は国王陛下、王妃様、レオンハルト、そして当事者であるアイラ、リリア、ジュリアン殿下、エドワード殿下の7名だ。
悪魔教団『黒蛇の目』の本拠地壊滅と、事の顛末の報告は早々に終わった。
しかし、国王陛下が本当にしたかった話は、悪魔のことなどではなかったのだ。
「――というわけでだ、レオンハルトよ。我が国を救った若き英雄たちの未来について、王家から『至高のご提案』がある」
国王陛下が玉座から立ち上がり、パチンと指を鳴らす。
すると、宮廷魔術師が操作する『魔法の幻灯機(プロジェクターのような魔導具)』が起動し、謁見室の巨大な壁に一枚の光るスライドがデカデカと投影された。
そこには、デカデカと『王家とアルジェント公爵家の恒久なる絆 ~次世代の至高なる婚姻プロジェクト~』と書かれていた。
「……は?」
レオンハルトがポカンと口を開ける。
「さあ、よく見てくださいな、レオンハルト公爵!」
王妃様がウキウキとした足取りで壁の前に立ち、長い指示棒でスライドをビシッと叩いた。
「まずはケース1! ジュリアンとアイラ嬢です! 悪魔の凶刃から身を呈してアイラ嬢を守ったジュリアンと、彼を失う恐怖から真実の愛に覚醒し、美しい涙を流したアイラ嬢! この『究極の吊り橋効果』を経た絆は、もはや何人(たとえ父親であっても)にも引き裂くことは不可能ですわ!」
「なっ……!?」
レオンハルトの顔がみるみる青ざめていく。
「続いてケース二! エドワードとリリア嬢! 演習林での対魔物戦闘において、二人が見せた完璧な連携と相互補完! 戦場であるにも関わらず発生したあのピンク色のオーラは、教官たちも『成婚率100%』と公式に認定しております! 慈愛と守護の象徴として、国民から最も愛される夫婦となること間違いありません!」
「そ、そんな……! 私の可愛いアイラとリリアが……二人まとめて王家に奪われるなど……ッ!」
レオンハルトがワナワナと震えながら膝から崩れ落ちそうになる。
「待てレオンハルト、悲観することはない。これは貴殿にとっても最大のメリットがあるのだぞ」
国王陛下がニヤリと笑って、スライドを切り替えさせた。
壁にでかでかと『公爵家への提供価値:権力と安心のダブル獲得!』という文字が踊る。
「王家の直系たる二人の優秀な王子が、貴殿の大切な娘たちを一生かけて守り抜く。我が王家とアルジェント公爵家の結びつきは、これ以上なく盤石なものとなるのだ! 素晴らしいだろう!」
「い、いや、しかし! 娘たちはまだ15歳です! 早すぎます! 父親として、そんなホイホイと嫁に出すわけにはいきません!」
レオンハルトが涙目で必死に抵抗する。
だが、国王夫妻の『本命』はここからだった。
「……そうですか。反対なさるのですね。では、この『致命的リスク』の分析結果を見ても、同じことが言えますかな?」
国王陛下が合図をすると、壁に真っ赤な文字と、不吉な警告マークが投影された。
『【重要】反対した場合の致命的リスク』と大写しになる。
「よく聞け、レオンハルト。ご令嬢たちはすでに王子たちに深く心を開き、愛を自覚している。もし親の権力でこの至高の婚約を妨害した場合……」
王妃様が指示棒でバンッと壁を叩き、冷酷な事実(計算結果)を突きつけた。
「娘たちから『お父様なんて大嫌い!』と宣告される確率は、なんと計算上100%ですわ!」
「なっ……!?」
「最悪の場合、ご令嬢たちが王宮に駆け落ちし、公爵家に一生寄り付かなくなる可能性があります。……さあ、父親としての尊厳か、娘からの愛情か。どちらを失う恐怖が勝るか、賢明なご判断を!」
「嫌だぁぁぁぁぁっ!! アイラたちに『大嫌い』なんて言われたら、私は生きていけなーーいっ!!」
レオンハルトは頭を抱え、絶望のあまり謁見室の絨毯の上でゴロゴロと転げ回り始めた。
「さあ! 笑顔でこの婚約承諾書(サイン済)に押印を!」
「嫌だぁぁ! でも娘に嫌われたくなぃぃぃ!」
王国のトップである国王夫妻が、一人の親バカ公爵をよってたかって脅迫(説得)している。
……なんともシュールで、頭の痛くなるような光景だった。
その一部始終を、当事者であるアイラ、リリア、ジュリアン殿下、エドワード殿下の4人は、玉座の少し離れた柱の陰から、冷ややかな呆れ顔で見守っていた。
「わざわざ幻灯機まで使って、何をプレゼンしてるのよ……。恥ずかしくて死にそうなんだけど」
アイラが額を押さえると、ジュリアン殿下が深く、深いため息をついた。
「同感だ。まさか父上たちが、我々の色恋沙汰を国家防衛レベルの機密会議のノリでプレゼンするとはな。……お前の親父殿、泡を吹いて倒れかけてるぞ」
「お父様、可哀想に……。でも、私たちがお二人のことを大切に思っているのは、事実ですから」
リリアが少し頬を染めてエドワード殿下を見上げる。
「ああ。やり方はともかく、父上たちの言う通り、私は君を一生守り抜くと誓うよ、リリア嬢」
エドワード殿下も、周囲の騒音など聞こえないかのように、甘く微笑んでリリアの手を取った。
「……おいおい。こっちはこっちでピンク色の空間作らないでよ」
アイラが呆れていると、ジュリアン殿下が彼女の頭にポンと手を乗せた。
「まあ、親たちの茶番は放っておこう。……アイラ。あの死闘の時、お前が私のために流してくれた涙は、本物だろう?」
ジュリアン殿下が、いつもの小言を言う時とは違う、真剣で優しい瞳でアイラを見つめてきた。
あの地下室で、彼を失いかけた時に気づいた、アイラの本当の気持ちである。
「……当たり前じゃない。あんたがいなくなったら、誰が私のワガママや買い食いに付き合って小言を言ってくれるのよ」
アイラは顔が熱くなるのを感じながら、わざとそっぽを向いて答えた。
「ははっ、そうだな。一生、お前のそのワガママに付き合ってやるさ」
ジュリアン殿下が嬉しそうに笑い、彼女の手をそっと握りしめた。
大騒ぎする親たちをよそに、二人の間には、確かに甘くて温かい空気が流れていた。
こうして、王室からの強引すぎるプレゼンの結果、アイラとジュリアン殿下、リリアとエドワード殿下の婚約は(レオンハルトの涙とともに)半ば確定事項として、王国の歴史に刻まれることになったのである。
楽しんで頂けましたでしょうか?
まだ真の魔女には程遠いですが、ここで定義的にはリリアも魔女になって双子魔女の誕生。
シュシュエルが色々匂わせている段階です。




