第二話 勇者の師【1/2】
第二話 勇者の師
ウィンドミルの朝は、風の音から始まる。丘の上の風車がゆっくり羽根を回し、街中の屋根にうすく積もった露を揺らす。
露店の台が引き出され、パン屋の窯が赤く息をするころ――ハルトは石畳に向かって、ホウキを滑らせていた。
「はぁ……」
ハルトは深くため息をついた。
脳内には昨日の冒険者登録の際の記憶が想起される。
異世界に召喚されて、不安でいっぱいだったけど、冒険者というロマンに満ち溢れた職業に期待してしまっていた自分もいたが、冒険者となったハルトの最初の依頼はーー
街の清掃だった。
ギルドカードを受け取った日は、もっとこう……剣と火花、血と勝利の臭いが自分を待っていると、どこかで思っていた。現実は、隅に溜まった枯れ葉と昨日の紙屑だ。
「異世界って言っても、初心者冒険者の依頼はこんなもんだよな……はぁ」
「なんだか元気ないじゃないハルト!初依頼でしょ!もっと気合い入れて行かないと!」
隣でエリナが元気よく落ち葉を集め、麻袋の口をきゅっと縛る。通りがかった老婆に「おはようございます!」と朗らかに会釈し、子どもたちには手を振る。
老婆は笑って言った。
「若いのに偉いねぇ。助かるよ」
「いえいえ、今日も良い一日をー!!」
そんな元気いっぱいのエリナをハルトはジトリと見る。
「エリナは元気いっぱいだな」
「まぁ元気が私の取り柄だからね!」
エリナはガッツポーズをして見せる。
「それで?何でため息なんかついてるの?」
「いや、冒険者になったから、モンスターとの戦闘とかを予想してたから、ちょっと拍子抜けというか……」
「これも立派な冒険者の仕事よ」
「ただの掃除だろ」
「“ただの”じゃないってば」
エリナは胸を張って、ほこりで白くなった手袋をぱん、と叩いた。
「まぁ、モンスター退治に比べれば、街の掃除の依頼は地味に見えるよね」
「私は冒険者になって最初は討伐依頼に踏み出すことができずに一ヶ月もこうやって街で受けられる依頼をこなしていたの」
「その時、気付いたんだ。この期間は二の足を踏んでる訳じゃない。みんなに私という冒険者がいる事を知ってもらう機会なんだって」
「冒険者は大概、街の外でモンスターと戦ってるでしょ?」
エリナの問いかけにハルトは「そりゃまぁ」と答える。
「街の人達の顔がお互いに見える依頼を受けられるには今のうちにだけ……」
「こういう時に元気いっぱい、誠心誠意やる事で『あぁ、今日もあの子たちがいる』って思ってもらう。『あの子達はモンスターを退治してくれている』そう思って貰える様に、関係を築けるいい機会だと私は思ってるの」
その言葉に、ハルトはホウキを握る手をきゅっと強めた。
(俺はどこか……異世界だからって、すぐ情報の手に入る日本にいた俺の方がエリナやここにいる人達より物事を冷静に見れていると勘違いしていた……俺はまだ学生で、物事の外側だけしか知らない世間知らず)
ハルトは反省した様に俯くと笑顔を浮かべている。エリナが目に入った。
エリナの笑顔にハルトは短く息を吐く。
「エリナの言う通りだよ。この依頼。しっかりとやり遂げるよ」
ハルトの言葉にエリナの笑顔が更に明るみを増す。
「よろしい!」
それからは二人は路地から路地へ。埃を掃き、溝をさらい、風車広場の石畳を磨いた。
初日は、ただ疲れた。
二日目は、筋肉痛で泣きそうになった。
三日目になると、住人たちの顔と名前を少しずつ覚えた。
パン屋の娘は朝が苦手、鍛冶屋は口が悪いが猫には甘い――こういう小さな情報が、不思議と胸の不安を薄めていった。
そして四日目の朝。掲示板の端、ブロンズ専用の欄に新しい紙が貼られた。
『街道沿いのスナッチファング出没 討伐若干名 報酬:銀貨五枚/頭 ※ブロンズ帯可』
ハルトが掲示板を眺めているとエリナが声をかけた。
「討伐依頼?」
エリナの目に不安はなく、真っ直ぐとハルトを見ていた。
「止めないのか?」
エリナが紙を指で弾き、にっと笑う。
「ハルトは強いもの!ずっと街にいるような冒険者じゃないわ!」
ハルトの喉が、少しだけ鳴った。
ハルトとエリナは依頼書を剥がし取った。
森は、湿った土と緑の鋭い匂いがした。木漏れ日が斑に落ち、足元の小石がころりと鳴る。二人は短剣と片手剣を点検し、互いの位置を確認する。
「怖かったら、下がってていいからね」
「大丈夫だよ」
自分に言い聞かせるように言って、ハルトは浅く息を吸った。
最初の気配は、風の切り替わりでわかった。茂みが膨らみ、灰色の影が弾ける。
「来た!スナッチファングよ!」
スナッチファングが跳ぶ。同時に、頭の奥にざらりとした“動き方”が流れ込んだ。
重心の落とし方、間合いの測り方、刃の入射角。脳が先回りして体を導く。
ハルトは半歩潜り、肩の外側を擦るように懐へ。短剣が脇の薄皮を斜めに裂き、獣の呻きが裂けた空気に混じる。転がるように離脱、すぐさま構え直し――
「っ!」
二匹目の影。振り返るより速く、爪が薙いだ。
「痛っ……!」
前腕に爪が食い込み、痛みが遅れて追いつく。
「ハルト!」
エリナの声。
「くそっ……!」
ハルトは短剣を焦って振り抜くが、スナッチファングは素早く、後ろに飛んでハルトの攻撃を避けた。
焦って短剣を振り抜いた事でハルトはバランスを崩して、地面に手をついてしまう。
スナッチファングはその隙を逃さなかった。
鋭い爪がハルトに迫った。
(やばい……!)
その時。
低い、乾いた声が背から差し込んだ。
「――甘いな」
風が抜け、鋼の線が走る。
身構えて目を閉じていたハルトは一瞬で当たりが静寂に包まれている事に気がつきゆっくりと目を見開く。
スナッチファングの首がハルトの足元に転がっていた。
先程までハルトが苦戦していた、スナッチファングが割って入った人物によって、一刀両断されていた。
「……」
ハルトはゆっくりと割り込んできた人物を見上げる。
長剣を持つ初老の男。左眉に古い傷、無精髭の奥の口元は固く、目の色は夜のように冷たい。
その人物は肩越しにハルトを見る。
「どう言うわけか、スキルを持っている様だが……」
男は血を払う仕草もせず、ハルトの前腕の傷に一瞥をくれた。
「戦い方が素人にも程がある」
言葉は短く、突き刺さるようだった。
男はひとつも名乗らず、踵を返す。
「あ、ありがとうございます……」
ハルトがそう言うと、男は肩越しにハルトを一瞥し、森の中へと歩みを進めた。
森の影に混じり、気配だけがすっと薄まった。
残された二人は、足元の血を見下ろし、互いに顔を見合わせた。
「……あの人は……一体……?」
「あの人……ギルドで見かけたことはあるけど、名前までは……」
エリナが困惑している様な表情を浮かべる。
(ギルドにいたと言うことは……冒険者……)
ハルトは痛みを噛み、ゆっくりと呼吸を整える。
「あの人がいなかったら俺は……」
ハルトは生唾をごくりと飲み込んだ。
男の言葉が突き刺さる。
『戦い方が素人にも程がある』
(異世界に来て、自分が勇者かもしれないって奢っていた……)
スナッチファングに引っ掻かれた腕から血が滴り落ちる。
(あのままじゃ、セオドアさんに救って貰った命を軽く散らせてしまうところだった……)
ハルトは拳を強く握り締める。
(俺は……戦い方を覚えないと……!)
ハルトは決意の眼差しをあげた。
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