第十五話 毒牙の谷に剥く牙【1/2】
第十五話
──重力に引きずられる感覚と共に、セオドアの意識が落ちていった。
断続的に聞こえる地鳴り。風を切る音。身体が空中を落ちていると気づいたときにはもう、暗闇の中へと深く沈んでいた。
次に目覚めたとき、肺に焼けるような痛みが走った。
「ッ……ごほっ、ごほ……!」
咳き込みながら体を起こす。視界がぼやけ、周囲が靄のようなもので霞んで見える。
どこか甘ったるい、だが明らかに異質な臭いが鼻を突く。
(……何だ、これ……何の匂いだ……?)
喉が焼けるように痛み、目の奥もずきずきとした圧迫感が襲う。明らかに正常な空気ではなかった。
(毒......!?)
セオドアが気付いてマントで口を覆う。
視界の隅で、岩にもたれかかっていた黒い影が身を起こす。
「……無事か、坊主」
そこには満身創痍のザガンが青ざめた表情で笑みを浮かべていた。
「ザ……ザガンさん……!」
ザガンは肩から血を流しながらも、立ち上がると辺りを見渡し、低く唸るように言った。
「……ここは第四階層だ。あのミノタウルスに殴られて崩落……そのまま真下に落ちたらしい」
「第四……?......という事はこの瘴気は毒......」
「ああ。第四階層は“毒牙の谷”とも呼ばれてる。この瘴気を長時間吸ってりゃ、内臓から腐る。動けるうちに安全地帯まで移動するぞ」
ザガンの顔も青ざめている。彼ほどの冒険者ですら焦燥を隠せないほどの毒の濃さなのだ。
セオドアは急いで腰のポーチから小瓶を取り出した。セリカから受け取っていた、万が一のための毒消しだった。
セオドアはザガンの様子を確認する。気丈に振る舞っているものの瘴気に当てられて、青白い表情を浮かべている。
「ザガンさん......これを」
ザガンはゆっくりとセオドアの手のひらにある小瓶に目をやる。
「毒消しか......第三階層までしかいかねぇって言ってたのに準備がいいな」
ザガンの言葉にセオドアは笑みを浮かべる。
「冒険の書の心得に“そなえよつねに”って掲げていますからね」
「ハッ!いい心得だ。今度から俺も肝に銘じさせて貰うよ」
ザガンはセオドアから毒消しを受け取り飲み干すと瓶を放り捨てる。
セオドアはザガンに頷いてみせた。
セオドアもポーチから小瓶を取り出すと一気飲みして小瓶を放る。
「よし。毒消しの効果があるうちについてこい。取り敢えず瘴気のねぇ所まで急ぐぞ」
二人はふらつく足取りで立ち上がる。だが──。
ガシャッ、という金属の鳴る音と共に、通路の奥から異音が響いた。
影が、複数、にじむように近づいてくる。
「来やがったか……落下の音に引き寄せられたな」
ザガンは即座に双剣を抜き、片膝をついて構える。セオドアも斧を握り直し、深く呼吸をした。肺が焼けるように痛んだが、それでも目を逸らさなかった。
瘴気の霧の中から姿を現したのは、全身に腫れを抱えた巨大な甲虫。毒棘を持つムカデのようなものも這い寄ってくる。
「二、三匹……行けるな」
ザガンの声には、まだ殺気が宿っていた。
「ここで止まるわけにはいきません……!」
「じゃあ行くぞ、セオドア。駆け抜けるぞ──!」
二人は瘴気と毒の魔物に囲まれた奈落の中、必死に生を繋ぎながら、闇を切り裂くようにして走り出した。
ザガンの先導で、セオドアたちは瘴気の濃度が比較的薄い通路へと駆け込んだ。
そこは崩れた石柱と苔むした瓦礫が積み重なり、かつて神殿か何かだったことを思わせる構造だったが、今ではただの廃墟だった。
だが、瘴気の流れは岩の裂け目に吸い込まれていき、この一角だけは呼吸が辛くない。
「……ここは瘴気が薄い……?」
「あぁこの階層にも、ごくわずかに空気が抜ける地形がある......」
ザガンは背を岩に預け、乱れた息を整えながら呟いた。
「ザガンさんが......第四階層に詳しくて助かりました」
セオドアも膝をつく。
額から汗が滴る。先ほどの戦闘で斧の刃は鈍り、背中の傷も鈍く疼いていた。だが何より、意識の底に、ひどく冷たい疲労が沈んでいた。
「あぁ......少し休もう......」
ザガンは毒で焼けた外套を剥ぎ取りながら、ぽつりと言った。
しばらく呼吸を整えるとセオドアが口を開いた。
「あのミノタウルスについては......ザガンさんは何か知っていますか?」
セオドアの質問にザガンは眉を顰める。
「あぁ?俺はベルザさんの話に聞いていただけだ。第五階層のフロアボス。凄まじい強さと気を狂わす瘴気を放つミノタウルスって事しか聞いてねぇ。他の階層を移動するフロアボスだなんて聞いたことがねぇよ」
ザガンの言葉にセオドアはある事を思い出す。
「気を狂わす......」
目覚める直前の悪夢。
「目を覚ますまで僕は悪夢を見ていたのですが、もしかしてあのミノタウルスが放っていた瘴気に当てられたせいでしょうか?」
「あぁそういう事だろうな。お陰で寝ても覚めても目覚めが悪りぃ。胸糞の悪い野郎だ」
「っけ」と嫌悪感を露わにする。
「......ザガンさんは第五階層には?」
セオドアの質問にザガンは怪我の箇所に当て布を始める。
「ベルザさんがまだ早いって俺らの代はまだ五階層には入ってねぇ」
「俺らの代......」
セオドアの呟きにザガンはセオドアを横目に見る。
「ベルザさんの前のパーティーはそりゃもう強いパーティーだった。俺もそのパーティーに憧れてクロー・リングに入った。けど、第五階層に挑んで、ベルザさん以外は死んだ」
「......」
ザガンの説明にセオドアは返す言葉が見当たらず、沈黙する。
「俺らを育て、やがて......ベルザさんはあのミノタウルスを倒す為に未だダンジョンに挑んでいる」
ザガンはそう言うとしばらく沈黙して、遠くを見つめた。
「ヴァンベッタとグウェンは付き合ってたんだ」
ザガンは遠い目でそう呟いた。
セオドアはザガンの言葉で納得が行った。
(グウェンさんはヴァンベッタさんがミノタウルスに捕食されているのを見てあれほど激昂していたのにはそういう訳があったのか......)
セオドアは少し俯く。
「......そうだったんですか......」
「くそ!!それなのに......あんな最後......!!」
ザガンは壁に強く拳を殴りつける。
「あのミノタウルス......絶対にぶっ殺してやる......!」
ザガンは歯を剥き出しながら憎悪を露わにする。
セオドアはビジョンでハルトがあのミノタウルスに敗れていた事を想起する。
(ハルトもこのダンジョンに挑んで......そしてあのミノタウルスに敗れた......)
セオドアは一度唇を噛み締める。
「そうですね......僕もあのミノタウルスは絶対に倒しさなくてはならないです......」
「あぁ。取り敢えず......動ける様になったら、第三階層に戻ってベルザさんを探すぞ......あの人は何度もあいつと戦って生還しているんだ。必ず生きてる。体制を立て直してあいつを討伐してやる!」
「そうですね」
セオドアは、乱れた呼吸の中でそう答えた。目は疲れていたが、意思の炎は消えていなかった。
しばらくして、呼吸も落ち着き、傷の手当が済んだ2人は第三階層への帰還の準備を進める。
「ここを抜けた先、谷の中央付近には、“供犠の間”って呼ばれている場所がある。瘴気の流れが少し弱く、上層に通じている」
「わかりました」
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