第10話:最強の助っ人たち
夏も終わりに近づき、朝晩に吹く風に少しだけ秋の気配が混じり始めた頃。
庭の木々も少しずつ色づき始め、日中の刺すような日差しも幾分和らいできた。だが、『Farm Cafe Katze』の厨房は、季節の変わり目など関係なく、別の意味で熱気に包まれていた。
「孝文! 3番テーブルの片付けまだ!?」
「あぁ、今行く! ……っと、その前に2番さんの会計!」
「洗い物が溜まってるよー! コップがない!」
サクラコの悲鳴にも似た指示が飛ぶ。
週末限定の営業に切り替えてから一ヶ月。「営業日が減ったなら楽になるだろう」という俺たちの読みは、甘かったと言わざるを得ない。いや、甘いどころか砂糖を煮詰めたシロップのように激甘だった。
営業日が減った分、その二日間に予約希望が殺到し、以前にも増して密度の濃い営業となっていたのだ。
予約枠は毎回即座に埋まり、キャンセル待ちの問い合わせも絶えない。ありがたい悲鳴とはまさにこのことだが、現実は悲鳴を上げている暇さえない状況だ。
「……はぁ、はぁ。ま、回らねぇ……」
俺は額の汗を拭いながら、シンクに積み上がった皿の山を睨んだ。
水しぶきと洗剤の泡が飛び交う戦場のようなシンク。次から次へと運ばれてくる汚れた食器たちが、俺をあざ笑うかのように増殖していく。これを賽の河原と言わずして何と言うのだろうか。
現在、ほなみには厨房の奥で座って野菜の皮むきなどの軽作業を担当してもらっている。大きくなってきたお腹を抱えながら、それでも手際よく作業を進める彼女の背中を見ると、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
メインの調理は俺が担当しているのだが――これがまた、問題なのだ。
「孝文、火加減! 焦げちゃいます!」
「うおっと! 危ない危ない」
フライパンから立ち上る煙に慌てて火を止める。
悲しいかな、俺の料理スキルは「家庭料理ならそこそこ」レベルだ。男の一人暮らしで培った、あくまで「自分が食えればいい」というレベルの料理。ほなみのような流れるような手際の良さも、繊細な味付けのセンスもない。
レシピ通りに作ってはいるものの、複数のオーダーを同時に捌く並列処理能力が決定的に欠けているのだ。
サクラコはホールとドリンクを完璧にこなしてくれているが、厨房がこの体たらくでは、料理の提供が遅れてしまう。
お客様の期待に満ちた視線が、厨房の扉越しに突き刺さるようだ。あぁ、胃が痛い。
「……ごめんなさい。私が動ければいいんですけど……」
ほなみが心配そうにこちらを見つめる。その顔を曇らせたくて店を開けているわけではないのに。
「謝るなよ、ほなみ。お前は座っててくれ。俺がもっと修行すればいいだけの話だ」
そうは言ったものの、現実は厳しい。精神論でどうにかなるなら苦労はしない。
お客様を待たせているというプレッシャーが、徐々に俺の余裕を削り取っていく。
焦れば焦るほど、手元は狂い、思考は鈍る。負のスパイラルだ。
このままじゃ、店の評判を落とすだけじゃない。無理をして、またほなみに心配をかけてしまう。最悪の場合、彼女が責任を感じて無理をして厨房に立とうとしてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
カランカランッ。
その時、裏口のドアが開く音がした。
普段なら業者さんか、迷い込んだ野良猫くらいのものだが、今の俺には救世主の足音に聞こえた――わけもなく、ただの現実逃避だと思っていた。
「おーい、差し入れ持ってきたぞー」
現れたのは、お馴染みの猫村さんだ。手にはカゴいっぱいの茄子とピーマンを持っている。艶々とした紫と緑が、今の殺伐とした厨房には眩しすぎる。
だが今日、彼の後ろには見慣れない――いや、強烈なオーラを放つ集団が控えていた。
「あらあら、随分と散らかってるねぇ」
「男手が一人じゃ、そりゃあ大変だわな」
「ほら、ボサッとしてないで場所空けな!」
割烹着に三角巾という完全装備で現れたのは、猫村さんの奥さんであるフミさんと、近所に住む農家の奥様方三人衆だ。
彼女たちの醸し出す雰囲気は、まさに歴戦の勇士。長年、大家族の台所を取り仕切ってきた「将軍」たちの威圧感だ。
「え、あ、あの……?」
「見てられなくてねぇ。助っ人に来てやったよ!」
フミさんは豪快に笑うと、持参したマイ包丁を取り出し、瞬く間にシンクの前に陣取った。
その動きには一切の迷いがない。
他のおばちゃん達も、まるで打ち合わせ済みかのようにそれぞれのポジションにつく。長年の付き合いが生み出す阿吽の呼吸とでも言うべきか。
「洗い物は任せな! ほら、アンタは火の前に立ちなさい!」
「サクラコちゃん、これ配ってきて! お客さんに『おばあちゃんの漬物だよ』って言えば喜ぶから!」
「ほなみちゃんはそこで座って、味見役お願いね! 妊婦さんはどっしり構えてるのが仕事だよ」
あっという間に厨房が占拠された。
俺が呆気に取られている間に、凄まじいスピードで野菜が刻まれ、皿が洗われ、鍋が振られていく。
その動きに無駄がない。長年、農作業の合間に手早く、かつ大量の食事を作ってきた「母の技」だ。
大量の食材を前にしても動じることなく、むしろ楽しそうに料理をしていく様は、一種のエンターテインメントのようですらある。
「……す、すごい」
俺がフライパンを振る横で、フミさんが小鍋で何かを煮込み始めた。
香ばしい味噌の香りと、野菜の甘い匂いが漂ってくる。
メニューにはない、茄子とピーマンの味噌炒めだ。
「これ、サービスで出しちゃいな。待たせてるお客さんも、これをつまんでりゃ文句は言わんよ」
「で、でも、店の味とは……」
「細かいこたぁいいんだよ! 美味けりゃ正義だ!」
フミさんに背中をバシッと叩かれ、俺はおずおずと小鉢をお客様に出した。
洗練されたカフェ飯を期待してきているお客様に、この田舎料理が受け入れられるだろうか。店のコンセプトが崩れるんじゃないか。そんな不安がよぎる。
だが、それは杞憂だった。
「うわっ、これ美味しい!」
「なんだか懐かしい味がするね。実家を思い出すなぁ」
「ご飯が進む味だねぇ。これ、メニューにないんですか?」
意外なほどの大好評だった。
ほなみの作る洗練されたカフェ飯とは違う、茶色くて素朴な、田舎のお袋の味。
それが、この古民家カフェの雰囲気と妙にマッチしていたのだ。
おしゃれな空間で食べる素朴な料理。そのギャップが、お客様の心に響いたのかもしれない。あるいは、日本人のDNAに刻まれた「味噌と醤油への郷愁」を刺激したのだろうか。
「あら、好評? じゃあ煮物も追加しようかねぇ」
「キュウリも叩いとくかい? すぐ漬かるよ」
お客様の反応を聞いたおばちゃん達は更にはりきり出し、厨房はもはや戦場というより、賑やかな親戚の集まりのようになってきた。
飛び交う方言、豪快な笑い声、そして次々と生み出される美味しい料理たち。
俺はただただ圧倒されながらも、その温かい空間に心地よさを感じていた。
これだ。この空気感こそが、俺が求めていた「スローライフ」の一つの形なのかもしれない。
「ふふっ、孝文。私、負けちゃいそうです」
椅子に座ったほなみが、楽しそうに笑う。
「悔しいけど、完敗だな。……でも、助かった」
ピークタイムを乗り切った後、俺たちは賄いの食卓を囲んだ。
フミさん達が作った煮物や漬物は、疲れた体に優しく染み渡った。
特に、茄子の味噌炒めは絶品だった。甘辛い味噌が茄子に染み込んでいて、噛むたびにジュワッと旨味が溢れ出す。白米が何杯でもいけそうだ。というか、もう三杯目だ。
「また忙しくなったら呼ぶんだよ。家でテレビ見てるより、よっぽど楽しいからねぇ」
「そうさ。若いモンが頑張ってるんだ、年寄りが支えなきゃバチが当たる」
おばちゃん達は、お茶を啜りながらニカッと笑った。
その笑顔の、なんと頼もしいことか。
彼女たちの手は、長年の労働で節くれ立ち、皺が刻まれている。だが、その手こそが、この地域の食卓を、家族を支えてきた証なのだ。
世界中から注目されるようになっても、この店の根っこを支えているのは、やっぱりこの地域の人たちなんだ。
「ありがとうございます。……あの、これからは『おばあちゃんの気まぐれ小鉢』として、正式にお願いしてもいいですか?」
「がっはっは! そりゃあいい! 高くつくよぉ?」
豪快な笑い声が、夏の終わりの空に吸い込まれていく。
俺たちの店に、また一つ、最強の武器が加わった瞬間だった。
おしゃれなカフェ飯と、心温まる田舎料理。この二つが融合したとき、『Farm Cafe Katze』はまた新しい魅力を手に入れたのだ。
そして何より、俺の料理スキルの低さをカバーしてくれる最強の助っ人を得たことが、一番の収穫かもしれないな。
その夜、片付けを終えて泥のように眠る俺の夢枕には、茄子の味噌炒めを持ったフミさんが現れ、「まだまだ食えるだろう?」と迫ってくるという、なんとも幸せで恐ろしい光景が広がっていたのだった。
烏骨隊長「おふくろの味、というやつであるな」
作者「そうだね。それを実現させたくて、新キャラとして猫村さんの奥さんを召喚したのよ」
クロエ「いいんじゃない? 新キャラ登場でまた管理が大変になるけど」
作者「それは言わないで……裏で人物一覧作って管理するから……」
烏骨隊長「ちなみに我のおふくろの味は太いミミズである」
クロエ「おふくろの味というか大地の味ね……」




