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高卒サラリーマンが脱サラして田舎でスローライフするだけの話  作者: らいお
第二部

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第9話:夏の課題図書とシェフの休息

 八月に入り、蝉の声がいっそう賑やかさを増した頃。

 夏休み真っ盛りの『Farm Cafe Katze』は、今日も予約で満席だ。


「いらっしゃいませ! ご予約の田中様ですね!」


 サクラコの元気な声が響く。夏休みに入った彼女は、ほぼ毎日店を手伝ってくれている。

 その働きぶりは完璧で、ホールの司令塔と言っても過言ではない。


「孝文、3番テーブルの片付け終わったよ! 次の案内いける?」

「あぁ、頼む。俺はドリンク出すから」


 カウンターの中でアイスコーヒーを淹れながら、俺は厨房の方をちらりと見た。

 そこでは、ほなみが額に汗を浮かべながら調理を続けている。

 彼女のお腹は、一ヶ月前よりもさらに目立つようになっていた。動きにくそうに腰を庇いながら、それでも笑顔でフライパンを振る姿に、俺の胸が少し痛む。


「……ほなみ、少し休めよ。椅子に座って」

「大丈夫ですよ。あと少しでランチタイムも終わりますし」


 気丈に振る舞う彼女だが、その顔色には疲労の色が見え隠れしていた。

 完全予約制にしたとはいえ、夏の繁忙期。それにこの暑さだ。妊婦には堪えるに違いない。


 その日の夜。

 閉店後の静かな店内で、サクラコが重そうなファイルをテーブルに置いた。

 表紙には『Farm Cafe Katze 業務効率化計画書 Ver.2.0』と書かれている。


「孝文、ほなみちゃん。ちょっと話があるの」

「なんだ、改まって」

「お店のこと。……このままだと、ほなみちゃんが倒れちゃうよ」


 サクラコの言葉に、俺とほなみは顔を見合わせた。

 彼女はタブレットを開き、グラフや図解が表示されたスライドを見せてきた。


「これを見て。客数とほなみちゃんの稼働時間の相関データ。予約制にしてピークは抑えられたけど、仕込みの時間も含めると、ほなみちゃんの立ち仕事の時間は平均して1日6時間を超えてる」

「そんなに……」

「お腹の赤ちゃんが大きくなるにつれて、負担は倍増するはず。だから、抜本的な改革が必要なの」


 サクラコの提案は具体的だった。

 まず、注文をタブレット方式にしてホールの負担を減らすこと。

 次に、メニュー数を現在の半分以下に絞り込み、仕込みの手間を減らすこと。

 そして、調理工程の一部を外部委託(半調理済み食材の導入など)すること。


「これなら、ほなみちゃんの稼働時間を半分にできる。味のクオリティは少し変わるかもしれないけど、今は『継続すること』が最優先だと思う」


 論理的で、完璧な提案だ。

 IT企業に勤めていた頃の俺なら、諸手を挙げて賛成していただろう。

 だが、今の俺は――そして何より、この店のシェフであるほなみは、首を縦には振れなかった。


「……サクラコちゃん、ありがとう。私のことを考えてくれて、本当に嬉しい」


 ほなみが、優しくサクラコの手を握る。


「でもね、メニューを減らすのはいいとしても、外部委託や機械的な効率化は……ちょっと違う気がするの」


「どうして? 体が大事でしょ?」

「うん。でも、『Katze』の料理は、畑の野菜を見て、その日の天気を感じて、来てくれるお客さんの顔を思い浮かべて作るものだから。効率化してしまったら、それはもう『私の料理』じゃなくなってしまう気がして……」


 ほなみの言葉に、俺も頷いた。

 この店の価値は、効率とは対極にある「手間ひま」と「温もり」だ。それを削ぎ落としてしまっては、本末転倒になる。


「でも! じゃあどうするの!? このままじゃほなみちゃんが……!」


 サクラコが声を荒らげる。その目には涙が溜まっていた。

 彼女なりに必死に考え、悩み抜いた結果なのだ。家族を守るために。


「……なぁ、サクラコ。ほなみ」


 俺は二人の間に入り、静かに言った。


「サクラコの言う通り、今のままじゃ限界だ。でも、ほなみの言う『譲れないもの』も守りたい。……だったら、選択肢は一つしかないんじゃないか?」


 俺の言葉に、二人が顔を上げる。


「店を、休もう」

「えっ?」

「完全に閉めるわけじゃない。『産休シフト』だ。営業日を週末の2日間だけに絞る。メニューは『気まぐれランチ』の1種類のみ。予約枠も今の半分にする」


 それは、経営的には大きなマイナスだ。

 せっかくついた客足が遠のくかもしれない。

 だが、何のために脱サラしたのか。何のために田舎に来たのか。「大切なものを大切にするため」だ。


「それなら、ほなみの負担は大幅に減る。その代わり、開ける日は全力で、今まで通りの『Katze』の味を提供する。……どうだ?」


 しばらくの沈黙の後、サクラコが涙を拭って笑った。


「……もう、孝文ったら。私の完璧な計画書が台無しじゃん」

「はは、悪かったな。でも、このデータのおかげで決心がついたよ」

「ふふっ。ありがとうございます、孝文。……週末だけなら、私、最高のお料理を作ってみせます!」


 ほなみの顔にも、晴れやかな笑顔が戻っていた。


 翌日から、『Farm Cafe Katze』のウェブサイトには「産休シフトのお知らせ」が掲載された。

 コメント欄には、「寂しいけど応援してます!」「元気な赤ちゃん産んでください!」「再開したら絶対行きます!」という温かい言葉が溢れた。


 効率化でもなく、無理な継続でもない。

 「休む」という選択。

 それは、長く走り続けるための、一番大切な仕事なのかもしれない。


 夏の日差しが降り注ぐ庭で、俺たちは冷えたスイカを頬張りながら、これからののんびりとした日々について語り合った。

 蝉の声が、まるで俺たちを祝福しているかのように、賑やかに響いていた。

烏骨隊長「うぅむ、人間は大変であるな」

クロエ「あんたら鶏も卵を産むでしょう?」

烏骨隊長「そうだが……我らは卵生であるからな。サクラコ殿の言う『効率』の方向性が違うのでな」

クロエ「あぁ……産む数がそもそも違うものね。しかも孵化しても、人間の赤ちゃんみたいに何もできないわけじゃないものね」

烏骨隊長「そうなのである。すぐに歩き出すし、餌も自分から求めるようになる。そしてその内、自ら獲物を狩る術を習得する。人間とは、根本的に違うのである」

クロエ「そりゃあバカバカ数増えるわよね……」

烏骨隊長「その言い方は、少し嫌であるな……」

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