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高卒サラリーマンが脱サラして田舎でスローライフするだけの話  作者: らいお
第二部

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第11話:遠くからの便り

 夏の暑さが鳴りを潜め、空が高く感じるようになってきた10月。

 秋の訪れと共に、我が家の食卓にも変化が訪れていた。

 それは、サツマイモやカボチャといった秋の味覚が並ぶようになったこと、そしてほなみのお腹が、誰の目から見てもはっきりと分かるほどに大きくなってきたことだ。


「……そろそろ、動き回るのも大変そうだな」


 俺は庭で薪割りをしながら、縁側で洗濯物を畳んでいるほなみを見て呟く。

 妊娠中期も終わり、いよいよ後期に入ろうとしている。幸い体調は安定しているようだが、やはり動き辛そうだ。

 店の方は、週末のみの営業とフミさん達「最強助っ人軍団」のおかげで、ほなみが厨房に立つ時間を最小限に抑えられている。

 それでも、俺としては心配だ。


「孝文ー! 郵便屋さん来たよー!」


 サクラコの声が響く。

 学校から帰ってきた彼女は、最近少し大人びた顔をするようになった気がする。もう高校生だもんな。

 手には、何やら分厚い封筒と、小包が抱えられていた。


「なんだ、また松田さんから肉でも届いたか?」

「ううん、違うよ。……あ、これ、私宛て」


 サクラコの表情が、少し硬い。

 俺は薪割りの手を止め、彼女の元へ歩み寄る。

 小包の送り主を見て、俺も息を呑んだ。

 『Prof. Jinguji』――神宮寺夫妻。サクラコの両親だ。

 差出人の住所は、スイスの研究機関になっている。


「……開けてみるか?」

「うん」


 俺たちは居間のちゃぶ台に小包を置き、ほなみも呼んで三人で囲んだ。

 かつて、サクラコを無理やり連れ戻そうとした「襲来事件」以来、彼らとは必要最低限の事務的な連絡しか取っていない。

 サクラコが書いた論文(という名の観察日記)を送ったり、向こうから真っ赤に添削されたそれが返ってきたりといったやり取りはあるものの、こうして「物」が送られてくるのは初めてのことだ。


 サクラコが慎重にカッターで封を開ける。

 中から出てきたのは、分厚い洋書が数冊と、最新型と思われるタブレット端末。そして、見慣れないパッケージの箱だった。


「これ……育児書?」


 サクラコが取り出した洋書のタイトルを俺が覗き込むと、『Child Development(児童発達)』や『Nutrition for Infants(乳幼児の栄養)』といった文字が並んでいた。

 しかも、ただの育児書ではない。最新の脳科学や栄養学に基づいた、専門書レベルのものだ。

 パラパラとめくってみると、所々に付箋が貼られ、余白にはびっしりとメモが書き込まれている。

 『3ヶ月目の視覚野の発達にはこの刺激が有効』

 『離乳食の導入におけるアレルギー反応のリスク管理について』

 ……筆跡は、間違いなくあの几帳面な父親のものだ。


「こっちの箱は……?」

 ほなみが恐る恐るパッケージを開ける。

 中には、見たこともない形状の哺乳瓶や、センサーが付いているらしいベビーモニターなど、ハイテクそうなベビー用品が詰め込まれていた。

 そして、一番底には、一枚のカードが入っていた。

 『効率的な育成のために活用されたし』

 たった一言。署名もない、無機質なメッセージカード。


「……相変わらずだな」


 俺は思わず苦笑してしまった。「おめでとう」の一言もない。「元気か」という問いかけもない。ただ、「効率」と「育成」という言葉だけ。

 だが、その冷徹な言葉の裏にある、不器用すぎる関心を感じずにはいられなかった。


「ふふっ……」


 サクラコが、小さな笑い声を漏らした。

 彼女は、父親の書き込みがあるページを愛おしそうに指でなぞっている。


「パパとママ、本気で調べてくれたんだね。……これ、付箋の色が違うの。青はパパで、赤はママだ」

「えっ、わかるのか?」

「うん。パパは理論重視で、ママは実践的なデータ重視だから。……ほら、ここのメモ。『被験者(乳児)の睡眠サイクルは個人差が大きい為、データの蓄積が不可欠』だって。ママらしい」


 「被験者」呼ばわりかよ……。

 つくづく学者の思考回路は理解できないが、彼らなりに孫――厳密には血縁関係はないのだが――の誕生を意識していることだけは確かなようだ。


 彼らはサクラコを「実験」と言い放って去っていった。

 だが、その実験の経過報告であるサクラコからの手紙を、彼らは無視しなかった。そして今、新たな「被験者」の誕生に向けて、彼らなりの――最大限に歪んだ、しかし最高峰の――支援物資を送ってきたのだ。


「……嬉しいね、サクラコちゃん」


 ほなみが、優しくサクラコの背中を撫でる。


「うん。……言葉はないけど、わかるよ。これ、すっごく高いやつだもん。わざわざ取り寄せてくれたんだ」


 サクラコはハイテク哺乳瓶を手に取り、光にかざした。

 その瞳には、寂しさはもうない。あるのは、離れていても繋がっているという確信と、少しの呆れを含んだ温かい感情だった。



 その夜。

 俺は動画のコメント欄をチェックしていた。

 最近投稿した動画『【ご報告】新しい家族が増えます』というタイトルの動画には、世界中から祝福のコメントが寄せられていた。

 英語、スペイン語、フランス語、中国語……。

 様々な言語で綴られた「Congratulations!」の文字。


 『Is Sakurako going to be a big sister? So cute!(サクラコがお姉ちゃんになるの? 可愛い!)』

 『Please take care of your wife.(奥さんを大事にしてあげてね)』

 『Can't wait to see the baby!(赤ちゃんに会えるのが待ちきれない!)』


「……凄いな。世界中の人が、俺たちの家族が増えることを祝ってくれてる」


 俺は画面をスクロールしながら、胸が熱くなるのを感じた。

 最初はただの暇つぶし、そして生活費の足しになればと思って始めた動画投稿。

 それが今や、こうして世界中の人々と繋がる「扉」になっている。

 かつて孤独だったサクラコも、店を守るために必死だったほなみも、そして会社という組織の中で摩耗していた俺も。

 今、この小さな古民家で、世界と繋がりながら、新しい命を待ちわびている。


「ねぇ孝文、このタブレット凄いよ!」

 サクラコが興奮気味にタブレットを持ってくる。


「パパたちの大学のデータベースにアクセスできる権限が入ってる! これで最新の農業論文が読み放題だ!」

「……それは育児のために送ってきたんじゃないのか?」

「え? でも『知識は共有財産だ』ってパパの口癖だし。有効活用しないと非効率でしょ?」


 ニカッと笑うサクラコ。その逞しさは、間違いなくあの両親のDNAを受け継いでいる。

 そして同時に、この田舎で培った「使えるものは何でも使う」という泥臭さも併せ持っている。

 ……最強じゃないか。


「ま、好きに使えばいいさ。でも、ちゃんと『ありがとう』ってメールしとけよ」

「うん! もう送った! 『実験データ、ありがたく受領しました。次のレポートに反映させます』って!」

「……お前も大概だな」


 俺は苦笑しつつ、窓の外を見る。

 秋の虫の声が響く静かな夜。

 遠くスイスの空の下でも、あの不器用な夫婦が同じ月を見ているのかもしれない。

 ……いや、彼らのことだ。顕微鏡か文献を睨んでいるに違いないが。

 それでも、繋がっている。

 小包という形をした、不器用な「便り」を通して。

 俺はほなみのお腹をそっと撫でた。

 「お前には、面白いおじいちゃんとおばあちゃんがいるぞ」と、心の中で話しかけながら。

烏骨隊長「なんというか、似たもの親子であるなぁ」

クロエ「そうね、言動はタカフミとホナミに似てるけど、根っこはあの両親なのね」

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