第12話:嵐の夜の静寂
冬が去り、季節は春へと移ろい始めていた。
庭の梅の蕾が膨らみ、日差しには温もりが混じり始めている。だが、季節の変わり目というのは天候が不安定になるものだ。
その日は、朝から不気味なほど生温かい風が吹いていた。
「春一番」と呼ぶには荒々しすぎる、嵐の予兆。
「……こりゃあ、来るな」
俺は空を見上げ、独り言ちた。
鉛色の雲が、みるみるうちに空を覆い尽くしていく。
今日は土曜日。『Farm Cafe Katze』の営業日だったが、朝の天気予報を見て即座に臨時休業を決めた。この判断は正解だったようだ。
「孝文! 雨戸、全部閉めたよ!」
「ありがとうサクラコ。ほなみは大丈夫か?」
家の中に戻ると、サクラコがタオル片手に走り回っていた。
ほなみは居間のソファに深く座り、大きくなったお腹をさすっている。
出産予定日まで、あと一ヶ月を切った。お腹はパンパンに張り、動くのも一苦労だ。
「はい、大丈夫です。……でも、凄い風ですね」
「あぁ。念のため、懐中電灯とラジオを用意しておこう。停電するかもしれない」
俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、家全体がガタガタと揺れた。
ビューッ! という風切り音が、まるで怪物の咆哮のように響く。
窓の外はすでに薄暗く、激しい雨が叩きつけられていた。
パチン。
不意に、部屋の明かりが消えた。
冷蔵庫のモーター音も、換気扇の音も止まる。
完全な静寂が、家の中を支配した。
「……消えたな」
「停電だね」
「ひゃっ……!」
暗闇の中で、ほなみの小さな悲鳴が聞こえた。
俺は手探りで懐中電灯を点け、テーブルの上に置く。
白い光が、不安そうなほなみの顔と、逆に目を輝かせているサクラコの顔を照らし出した。
「大丈夫か、ほなみ」
「は、はい。ちょっとびっくりしただけです」
「サクラコ、アリスとヤギ達は?」
「アリスはこっちにいるよ! ヤギと烏骨鶏は小屋の中! ちゃんと鍵閉めたから大丈夫!」
アリスが俺の足元に寄り添い、クゥーンと鼻を鳴らす。10歳の老犬になっても、雷や嵐は苦手のようだ。
俺はアリスの頭を撫でながら、ロウソクにも火を灯した。
揺らめく炎が、部屋に幻想的な影を落とす。
「……なんだか、キャンプみたいですね」
ほなみが、少し落ち着いた声で言った。
「そうだな。オール電化じゃなくて良かったよ。ストーブは灯油だし、ガスコンロも使える」
俺はヤカンをストーブの上に置き、お湯を沸かし始めた。
文明の利器が止まっても、火と水さえあれば人間は生きていける。田舎暮らしで学んだ、数少ない真理の一つだ。
外では嵐が吹き荒れている。
だが、家の中は不思議なほど静かだった。
ロウソクの明かりを囲んで、俺たちは肩を寄せ合う。
普段はスマホを見たり、テレビを見たりして過ごす時間だが、今はただ、お互いの存在を感じるだけだ。
「……ねぇ、赤ちゃん」
サクラコが、ほなみのお腹にそっと手を触れた。
「嵐、怖くないかな?」
「ふふ、大丈夫だよ。今も元気に動いてるから」
ほなみが微笑み、自分のお腹に手を重ねる。
「きっと、強い子になるよ。こんな嵐の日でも平気なんだもん」
俺もつられて、そっと手を伸ばした。
手のひらに、ドクン、という確かな胎動を感じる。
生きている。この嵐の夜に、確かにここで、命が育まれている。
「……もうすぐだな」
「はい。……ドキドキします」
「私もドキドキする! お姉ちゃんになれるかなぁ?」
「なれるさ。サクラコはもう、立派なお姉ちゃんだよ」
俺の言葉に、サクラコは照れくさそうに笑った。
彼女は最近、本当に頼もしくなった。
神宮寺夫妻から送られてきた育児書を読み込み、ほなみの体調管理を徹底し、家事も率先してこなしている。
かつて孤独だった少女は、今や家族を守る柱の一つになろうとしている。
「名前、考えた?」
サクラコが唐突に聞いてきた。
「えっ、まだ決めてないのか?」
「候補はいっぱいあるんだけど……決めきれなくて」
ほなみが困ったように笑う。
俺たちは顔を見合わせた。
性別は男の子だとわかっている。
だが、いざ名前となると、責任の重さに押しつぶされそうになるのだ。
「じゃあさ、みんなで考えようよ! 今!」
「今? この嵐の中で?」
「そう! 停電してて暇だし、ちょうどいいじゃん!」
サクラコの提案に、俺たちは苦笑しながらも頷いた。
ロウソクの明かりの下、緊急家族会議の開催だ。
「私はねー、『カイ』がいいと思う!」
「カイ? 海の?」
「ううん、開拓の『開』! 孝文みたいに、自分で道を切り開く子になってほしいから!」
「……お前なぁ、俺を買い被りすぎだ」
照れ隠しに頭をかくと、ほなみがクスクスと笑った。
「私は、『ハル』かなぁ。春に生まれるし、温かい人になってほしいから」
「ハルか。優しい響きで、ほなみらしいな」
俺は、揺れる炎を見つめながら考えた。
この子が生まれてくる世界は、決して楽園ではない。
今日のような嵐もあれば、理不尽なこともあるだろう。
それでも、強く、逞しく生きてほしい。
この大地に根を張り、雨風に負けず、太陽に向かって伸びる木のように。
「……『樹』はどうだ?」
「樹?」
「あぁ。大樹のように、どっしりと構えて、周りの人を守れるような男になってほしい」
俺の言葉に、二人が顔を見合わせる。
そして、同時に頷いた。
「……いいですね。樹くん。強そうで、優しそうです」
「うん! 樹! カッコいい!」
お腹の中の赤ちゃんが、まるで返事をするようにポコッと動いた。
どうやら、本人(?)も気に入ったらしい。
「よし、決まりだ。……生まれてくるのが楽しみだな、樹」
俺はもう一度、お腹を撫でた。
外の嵐はまだ続いている。
時折、何かが飛んでいく音や、枝が折れる音が聞こえる。
明日の朝は、庭の片付けが大変そうだ。
だが、不思議と不安はなかった。
この小さな灯火と、温かい家族がいれば、どんな嵐も乗り越えられる。
そんな確信が、静かに胸を満たしていた。
ストーブの上で、ヤカンがシュンシュンと音を立て始めた。
温かいお茶を飲んで、今日は早めに休もう。
嵐が過ぎ去った後の、新しい朝を迎えるために。
烏骨隊長「良い名であるな!」
クロエ「ほんとにそうね……そういえばあんた、名前ないわよね」
烏骨隊長「我は隊長である!」
クロエ「それは役職というか立場でしょうに……作者、なにかないの?」
作者「そうだねぇ、なんでも良いと言えばそうなんだけど」
クロエ「ちゃちゃっと決めちゃいなさいよ」
作者「うーん……そうだなぁ……うぅむ……」
クロエ「なんであんたはそんなに優柔不断なのよ……」
烏骨隊長「ワクワクであるなぁ!」
作者「悩ましいので次回発表で」
烏骨隊長「そんな……っ!」




