第7話:雨の日の選択
シトシトと降り続く雨音が、ログハウスの屋根を優しく叩く。
ここ数日続く季節外れの長雨が、『Farm Cafe Katze』の窓ガラスに無数の水滴を張り付け、外の景色を水彩画のように滲ませていた。
「……よく降るなぁ」
俺はカウンターで頬杖をつきながら、ぼんやりと外を眺めた。
こういう天気が続くと客足が鈍る。特に今日は平日で、しかも朝からの土砂降りだ。
予約枠も今日は半分ほど埋まっているだけで、店内は静寂に包まれていた。
「でも、雨の音って落ち着きますよね。読書には最適です」
ほなみが、温かいミルクティーを淹れてくれた。
彼女のお腹は、ゆったりとしたワンピースの上からでも分かるほどふっくらとしてきている。
アリスはほなみの足元で丸くなり、規則正しい寝息を立てていた。10歳のシニア犬になったアリスは、こうして静かに過ごす時間を好むようになった。
「孝文、これ見て」
店内の隅にあるPCスペースで作業をしていたサクラコが、手招きをした。
画面には一通のメールが表示されている。
件名には【取材依頼】の文字。差出人は、誰もが知る大手テレビ局の制作会社だった。
「テレビ? ……はぇー、すごいじゃないか」
「うん。でもね、中身がちょっと……」
サクラコが渋い顔をするので、俺はメールの本文に目を通した。
そこには、こんな企画案が書かれていた。
『感動の脱サラ人生! 都会に疲れた男と、孤独な天才少女の再生の物語』
『涙なしでは見られない、絆のドキュメンタリー』
「……なんだこれ」
俺は思わず眉をひそめた。
「再生」だの「孤独」だの、勝手なストーリーが出来上がっている。
彼らが求めているのは、今の俺たちの「楽しいスローライフ」ではなく、視聴者の涙を誘うような「お涙頂戴のドラマ」らしい。勝手に決めつけられるのは、なんだか癪だ。
「取材班が二週間泊まり込みで密着したいんだって。演出のために、昔の辛かった時の話とか、泣けるエピソードを重点的に撮りたいらしいよ」
「お断りだ」
俺は即答した。
ほなみも、心配そうにこちらを見ている。
「私たちの生活は、見世物じゃありませんものね……。それに、今は静かに過ごしたいですし」
「だよね。私も、今の楽しい生活を『辛い過去からの脱却』みたいに編集されるのは嫌だな」
サクラコは迷うことなく「辞退」の返信メールを打ち込み始めた。
バズったことで注目されるのはありがたいが、こういう「招かれざる客」も増える。
俺たちが発信したいのは、作られた感動じゃない。
今日みたいな雨の日の静けさとか、畑の野菜が育つ喜びとか、そういう些細で、でも大切な日常だ。
「よし、送信完了! これでスッキリした!」
サクラコがエンターキーを強めに叩く。
その時、雨脚が少し弱まり、雲の切れ間から薄日が差してきた。
「あ、雨上がったかも」
「本当だ。……ちょっと、畑見てくるか」
俺とサクラコはサンダルを履いて、庭へと出た。
雨上がりの空気は、湿り気を含んで濃厚な土の匂いがする。
畑の野菜たちは、雨の恵みをたっぷりと吸い込んで、生き生きと葉を広げていた。
「見て孝文、サトイモの葉っぱ! 水滴がコロコロしてて綺麗!」
「おぉ、でっかいダイヤモンドみたいだな」
サクラコが葉っぱを指で弾くと、水晶のような水滴が滑り落ちていく。
その横で、雨宿りしていた黒ヤギが「メェ」と鳴いて顔を出した。
初代烏骨鶏たちの後世代にあたる烏骨鶏軍団も、待ってましたとばかりに小屋から飛び出し、敷地内で放し飼いにされている特権をフル活用して濡れた地面をついばみ始める。
どこにでもある、田舎の風景。
でも、俺たちにとっては、どんなドラマよりも価値のある「現実」だ。
「ねぇ孝文。次の動画、こういう雨の日の様子にするのはどう?」
「お、いいな。BGMも雨音だけで、テロップも少なめでさ」
「うんうん! 『何も起きない贅沢』ってタイトルにしよう!」
サクラコがファインダー越しの世界ではなく、自分の目で景色を切り取っている。
その横顔を見て、俺は改めて思った。
テレビになんて出なくても、俺たちの世界はこんなにも鮮やかだ。
「さて、店に戻るか。そろそろランチの予約のお客さんが来る頃だ」
「はーい! 今日は私がホール頑張るから、孝文は厨房手伝ってね!」
俺たちは泥のついたサンダルで、笑いながら店へと戻った。
「世界への扉」は開いているけれど、そこを通すものは自分たちで選んでいい。
そんな当たり前のことを、雨上がりの空が教えてくれた気がした。
●お知らせ
今回は文字数少なめなので、二話投稿です。
こんな感じで、文字数が少なめな回の時は、可能な限り二話投稿していこうと思います。




