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第七話

ある日の夕方。

自室の鏡の前で身だしなみを整えているところに、その知らせは突然やってきた。


豊川紺とよかわ こん様…どなたでしょうか?」

「旦那様の古いご友人の狐神様ですが、奥様に御用があるとのことで。お会いしたことは…?」

「無いです…一体どのようなご用件でしょうか…。」


豊川様という雪也さんの友人を名乗る方が来客し、何故か私を所望していると早苗さんから言伝をいただいた。全く会ったことのない雪也さんの友人が何用なのか、色々気になることはあるけど、無碍にはできない。私は疑問と不安を抱きながら、応接室に向かった。


◇◇◇


応接室の扉を叩くと、奥から『は~い。』と軽い返事が返ってきた。私は室内をよく見ることもなくに入室し、頭を下げて挨拶をする。


「失礼します、かや…篠崎蜜葉です。」

「あ。どもども、雪也の奥様!お話は聞いてます~!」


そこにいたのは、ふわふわの狐の耳と尻尾を生やした若い男性だった。彼が豊川紺様なのだろう。


豊川様は椅子から立ち上がると、私の手を取り甲に口づけをした。私は思わずぽかーんとしてしまい、されるがままになる。


「おや、知りまへんか?西洋の挨拶なんですわ。他にも、頬に口づけしたり抱き締めたりする挨拶もあるんですよ~!」

「そ、そうなんですね。」


そう言って、豊川様は恭しく頭を下げて挨拶をする。雪也さんも西の日ノ本特有の話し方をするけど、彼もまた系統の違う変わった話し方をしているのが気になる。彼も西の日ノ本出身なのだろうか。


「大親友の雪也くんが結婚した言いますねん、挨拶せなあかんと思いまして!あ、これお祝いの品とお土産ですう。」

「あ、ありがとうございます。…?これは…。」

「ご祝儀ってやつですわ!大親友の結婚なんておめでたいこと、滅多にあらへんですからね。受け取ってやってください!」


彼の気迫に押されて、私は思わずそのまま受け取ってしまう。結構な重さと厚みがあるけど、雪也さんを通さず私が受け取っておいてしまっても大丈夫なのだろうか。


とりあえず私はご祝儀とお土産を部屋にあった棚の中に仕舞い、使用人にお茶とお菓子の手配をしてもらう。


「あーあー蜜葉さんお気になさらず!いきなりやってきた私が不躾なんですわ!おもてなしは結構です!」

「いえ、雪也さんのお友達の方ですので。私からもご挨拶させていただきたいです。」

「そうでっか?それなら、ちょっとお邪魔しちゃいましょか!」




「改めてご挨拶させてもらいます。貿易系の会社で営業のお仕事をしてます私、豊川紺と言います!よろしゅうよろしゅう…。」

「私も改めまして、篠崎雪也の妻の蜜葉です。」

「ほんま可愛いお嫁さんもらって、雪也くんは幸せですわ~!羨ましい限りです~!」

「豊川様はお上手ですね。思わず本気にしてしまいそうでした。」

「いやいや、私は本音しか言いませんよ?思ったことを口にしてるだけですねん!」


なるほど、豊川様の口の上手さは仕事柄なのだろうか。取引相手の奥様とお話しする機会もそれなりにあるだろうし、それなら彼のこの人柄にも納得がいく。


「夫の雪也とは、付き合いが長いんですか?」

「そうですそうです!彼のお友達にいる、猫又の足羽克之介くんっておるの知ってます?」

「はい、結婚する時の証人になっていただきました。」

「えっ!雪也くん酷いわあ。克之介くんは重要な場に呼ぶのに、俺のことは呼んでくれんかったんか~。」


そう言いながら、豊川様は両手で顔を覆い、しくしくと声に出しながら泣く真似をしている。そんな様子がおかしくて、私はくすりと笑ってしまった。


「と、茶番はさておき。その克之介くんがぱやぱや毛の子猫、雪也くんが人差し指くらいの大きさの小蛇だった頃からの付き合いですねん!」

「へえ…幼馴染って感じの関係ですか?」

「まあ、そんなもんです!…ところで蜜葉さん。」

「はい?」


豊川様は急に声を潜め、真顔で私に話しかけてくる。何か重要な話でもあるのかと思い、私は前屈みになりながら少し身構える。


「その豊川様っての、他人行儀すぎて悲しいわあ。気軽に紺って呼んでほしいねん。」

「そ、それは流石に、夫のご友人に対して不適切かと思います…。」


何事かと思ったら、私の呼び方が不服だったらしい。頬を膨らませながら流し目気味にこちらを見つめ、何かを目で訴えてくる。しかし、いくらなんでも呼び捨ては距離が近すぎると思う。夫ですら雪也さんと呼んでいるのに、その友人を呼び捨てにするわけにはいかない。


「え~。じゃあせめて、紺さんとか、豊川さんにしてくださいな。様呼びは背中がくすぐったくて。」

「わ、分かりました。じゃあ…豊川さん。」

「うんうん!おおきに!」


豊川様…さんは満足げに頷き、腕を組みながらうんうんと首を大きく上下に動かしている。雪也さんとはまた違った人懐っこい笑みを浮かべ、私のことを見つめている。彼のこの性格は取引相手の方々にもうけがいいだろうな、などと上から目線な感想を思わず抱いてしまった。


「私、もっと蜜葉さんと親しいお友達になりたい思ってますねん。」

「え?」


気が付くと、豊川さんは私の隣の椅子に着席していた。いつの間に移動したのかと考え込む暇すらなく、会話に引っ張られる。


「ほんと、雪也くんにはもったいないほどの奥さんですわ。」

「あの…。」

「優しくて綺麗で、声も可愛らしい。」


そう言いながら、豊川さんは再び私の手を握って口づけを落とす。流石に今度は流れが読めたので、最初ほどの驚きはなかった。

それにしても、どうして彼は今更挨拶なんてしたんだろうか。意図が読めずに戸惑っていると、廊下の方から誰かが走っている大きな足音が聞こえてきた。


その足音は応接室の前で止まり、挨拶もためらいもなく勢いよく扉が開け放たれる。

そこには、息を切らしながら汗をかいている雪也さんがいた。


「豊川ぁ!!お前人の嫁さんになにさらしとんじゃボケェ!!」

「あ、雪也く~ん!お邪魔してま~す!」

「カマトトぶるなや何が雪也くんや!!」


雪也さんはどかどかと音を立てながら、私と豊川さんを引き離す。椅子から引きずり下ろされた豊川さんは、床に落ちることなく綺麗に体勢を立て直した。


「雪也くん酷いやん、克之介くんには奥さん紹介しておいて私にはしてくれへんて。私と雪也くんの仲やん!」

「半紙より薄い仲に弁える礼儀なんかあるか!帰れ!あと雪也くん言うのやめろ!」

「ゆ、雪也さん。豊川さんにはあまり手荒なことは…」

「とよかわさぁん!?あんなのボケ狐呼びで充分や、なあボケ狐?」

「それは酷すぎへん?てか、雪也くん好き勝手言ってくれるけど奥さんドン引きしてますやん。暴力的な夫は嫌われまっせ、ええんか?」


その言葉を聞いてハッとした雪也さんが、悲しそうな目をしながらこちらを見てくる。引く引かない以前に、二人の関係性がよくわかっていないために判断ができていない、というのが正しいかもしれない。

豊川さんの話では、足羽さんと雪也さんと豊川さんは昔馴染みで仲が良いという話だった気がするけど、雪也さんの態度を見ているとどうもそんな気がしない。

どれが正しい情報なのかが分からない。親しいゆえに遠慮がないという関係もあるとは聞いたことあるけど、それなのだろうか。


「あの、雪也さん。豊川さんからいただいたご祝儀とお土産があちらに…。」

「あ?どうせ中身は全部木の葉と石やで。返し。虫さん付いとるかもしれへんで。」

「ちゃんとした日ノ本銀行発行のお札とお菓子でんがな~!雪也くんそういう決めつけよくありませんで。」


やいのやいのと二人の応酬に着いて行けず、私はただただ眺めている以外にできることがない。



「まあ、今度は三人でゆっくりご飯でも食べましょや!それじゃあ、私はこれにて失礼させてもらいますわ。」

「おう、狐の姿焼きとかええな。蜜葉、楽しみやな。」

「あはは…。」


そう言い残し、豊川さんはひらひらと手を振りながら去って行った。雪也さんは終始豊川さんを敵視するかのような態度を崩さず、眉間に皺を寄せたまま彼を見送った。


そういえば、以前雪也さんが苦い顔をしながら、狐は蛇の天敵だと教えてくれたことがあった気がする。もしかして、その時の彼の脳裏にいたのは、豊川さんだったのかもしれない。


「…まあ、応対は仕方なくしたんやろうから別に何も思わへんけど。けどな。」

「はい…?」

「何で手を握らせとったん??何してたん??」

「西洋の挨拶では、こうやって手の甲に口づけをするんだって教えてもらっていて…。」

「ほーう…?お手々にぎにぎされてるようにも見えたけど、それは気のせいやったか…?」


雪也さんは私の手を握り、見えない何かをごしごし拭くように手を動かしている。強くはないし痛くはないけど、擦られて手の甲の一部が少し赤くなる。


「てか、蜜葉も蜜葉や。何一切抵抗しんとされるがままになっとるん?」

「雪也さんのご親友の方とお聞きしたので、粗相をしてはいけないと思い…。」

「………はああああ…。」


雪也さんは大きなため息をつくと、ずるずるとその場に座り込んでしまった。私は彼を追うようにしゃがみ、顔を覗く。彼は拗ねるように頬を膨らませ、片腕で頭を、片腕で膝を抱えるような姿勢のままこちらを見つめている。


「…あいつに惚れたか?俺に幻滅したか?」

「まさか、どちらもあり得ませんよ。私の夫は雪也さんです。」

「………ほうか。」

「でも、古くからのご友人なのは確かなんですよね?お友達は大切にした方が良いと思います。」

「………善処する。」


しゃがみ合った姿勢のまま、二人で見つめ合う。ゆっくりと彼の手が伸びてきたかと思うと、優しく私の頭を撫でる。彼の手は冷たくひんやりとしているはずなのに、今日はどこか温かく感じるのだった。

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