第四話
その日の夜、帰宅した雪也さんと私は同じ食卓を囲んでいた。
ここに来て数日。母と二人暮らししている時には考えられなかった、温かくて味のある食事に私は舌鼓を打っていた。
「で、選んだのが”マリーの大冒険”か。ええ判断や。」
マリーの大冒険は、数十年前に西洋の国で書かれた児童向け冒険譚だった。どこにでもいる普通の少女マリーは、ある日亡くなった祖父の部屋から1冊の本を見つける。そこには、祖父が残したとされる莫大なお宝が記されていた…というのがおおまかなあらすじ。
お宝の場所はもちろん、どこにでもいる少女が織りなす冒険、どこにでもいる優しい祖父だと思っていた彼の正体など、子供にでも分かりやすい謎とわくわくが散りばめられている1冊だった。
「そうですか?」
「おん。俺も昔それ読んだことあるんやけど…おっと、内容言ったらあかんな。」
雪也さんは本の内容を言いそうになったのか、慌てて自分の手で自分の口を塞ぐ動作をする。私は彼のその様子に笑ってしまい、少し咽る。
「だ、大丈夫か?」
「けほ…。はい、大丈夫です。はしたなくてすみません、食事中に大きな声で笑ってしまって。」
「おう…そうか。いや、大丈夫ならええんや。笑うことは悪いことやない、存分に笑い。」
そう言って、雪也さんはニコニコ笑いながら私を見つめる。私は視線に恥ずかしさを感じながら、汁物の中に沈んでいる人参をすくって口に入れる。
「蜜葉の所作は頭から先まで綺麗やな。」
「そ、そうですか?」
「ああ、茅吹家で教わってきたこともあるんやろうけど、蜜葉自身のポテンシャルもあるんやと思う。」
「ぽてんしゃる?」
「えっと…ポテンシャルはな、素質とか潜在能力ってやつや。」
そんなに特殊な教育は受けた記憶がないけど、所作を褒められるのは悪い気はしない。貴族令嬢たるもの、と家庭教師に色々仕込まれたことはあるけど、おそらくどこの家の子供も貴族なら当たり前のことだろう。
「あ、そうだ…雪也さん。」
「なんや?欲しいものでもあるんか?買うたるで。」
「い、いえ、違います…蛇神様について教えていただきたく…。」
「…ほう?」
私は詳しくないのだけど、妖には様々な者が存在する。雪也さんの友人である足羽さんは猫又といって、尻尾が二本ある長寿な猫の妖であると、会ったその日に聞かされた。言い方が適切かは分からないけど、足羽さんは”普通の妖”である。
それに対し、雪也さんは自身の種の名前に神が付く蛇神であり、彼は”神を冠する妖”であることは把握している。逆に言うと、それ以外の知識が私にはないのだった。我々人間は、彼を蛇神様と無意識に崇め恐れてはいたものの、その詳細のことまでは知り得ていない。
「蛇神って言うても、俺以外にも蛇神様はおるんやけどな。俺の場合、西南の都にある白竜弁財天って神社の神様の神格を与えてもらった蛇神なんや。」
雪也さんは元々、白くて小さな普通の蛇の妖だったらしい。そこから紆余曲折あって、蛇神様という妖になったのだとか。
「神様から神格をいただくと、妖は神を冠する種名をいただけるのですか?」
「大雑把に言うとな。日ノ本には八百万の神がいるとされてるんや。」
「へえ…。」
「でもまあ、京之宮で有名な蛇神は、この俺じゃないかって思っとる。他の蛇神はみんな西の日ノ本か、京之宮よりもっと東の雪国にしかおらんって聞いとるし。」
そう話す彼に対し、私はもう一つ疑問をぶつけてみた。
「噂で聞いたことある程度なんですけど、狐の神様の妖もいるんですよね?」
「ぶっ。」
私の言葉を聞くや否や、雪也さんは盛大に水を吹きこぼした。私はびっくりして布巾を片手に駆け寄り、彼の顔と衣服を拭く。
「雪也さん、どうしました…!?」
「…いや、なんでもないんや。そうやな、狐神様もおるんな。合ってるで。流石蜜葉は博識やな。」
褒めている言葉に反して、雪也さんの赤い目が黒く濁って死んでいるように見える。理由は分からないけど、私は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと察し、これ以上は言及しないことに決めた。
「…蜜葉は知らんのかもしれんけどな。」
「…は、はい…。」
「覚えとき…狐は蛇の敵なんや…。」
「わわわ分かりました…。」
その言葉を聞いて、私はようやく理解が及んだ。なるほど、狐は蛇の天敵…。
そんな話は聞いたことないけど、まだ蛇の妖だった時代に狐か狐の妖に酷い目に合わされたりしたのかな。それなら、申し訳ないことを言ってしまった。あれ?でも…
「足羽さんは良いんですか?確か蛇って猫が天敵なんじゃ…。」
「なんでそんな知識はあるん…。せやけど、克之介は特別なんや、あいつは良い猫や。俺のこと食わんし。」
「そ、そうですか…。」
人間には分からない世界があるのだろう。妖の世界、もとい異種族の世界は広く分からないことだらけだと感じた。
(あれ?私、初日に雪也さんに丸呑みしたいって言われたような…?あれは蛇流の冗談…?)
食事を終えた私たちの食器を、使用人の方たちがテキパキと片付けていく。食後に紅茶を用意すると聞いたので、私と雪也さんはそのまま席で待機している。紅茶は私が貴族の暮らしをしている頃には無かった飲み物だけど、ここ数年で日ノ本に伝来し普及しているお茶の一種らしい。主に貴族の間で親しまれ、アフタヌーンティーなるものがあるのだとか?
「そういや、頼んでいた衣服ってどうなったん?」
「あ、すみません。一番最初に言うべきでしたね。全て直しておきました。雪也さんの部屋の収納に入れておいたので、後ほど確認してください。」
「ほうか、おーきに。」
私たちの目の前に、紅茶の注がれたカップと小さな洋菓子が置かれる。洋菓子は四角くて、周りが茶色く中央に行くにつれて黄色くなっている焼き菓子だった。名前は分からないけど、ほのかに香る甘い香りが鼻をくすぐる。
「今日商談相手に貰った洋菓子なんや。フィナンシェって言うらしいで。」
「ふぃなん…変わった名前のお菓子なんですね。」
「海外の言葉は言い慣れんと噛みそうになるよな、分かる。」
雪也さんに勧められ、私はまず紅茶をいただくことにした。熱いので少しずつ口に入れ、味を堪能してみる。日ノ本のお茶とは違う華やかな香りが口と鼻を抜け、舌全体を包んでいくのを感じた。
「美味しい…!」
「…!そうか、そうか!」
私の様子を見届けてから、雪也さんは自分も紅茶を口にした。彼は私の反応を見て、自分のことのように喜んでいる。もしかして、紅茶は雪也さんが買ってきてくれたものだったのかもしれない。
「商談相手のお偉いさんに、『フィナンシェは紅茶と共に嗜むと美味しい!』って力説されてな。そんなええもんなら、蜜葉にも味わって欲しかったんや。」
「そ、そうなんですね…!」
「フィナンシェ、まだまだあるから遠慮しんと食べ。」
「い、いえ一個で充分です…!」
私は彼の気遣いに謎の焦りを覚え、思わず大きくフィナンシェを頬張る。一口で半分以上口に入れてしまって、余計に気まずい。
「ん…んむ…むく…。」
「あむ…フィナンシェって優しい味なんやなあ。クッキーとはまた違った味わい深さがある。バターが効いていて美味いな。」
私は彼の言葉にこくこくと頷く。口いっぱいに頬張ってしまったフィナンシェを懸命に噛み、ゆっくりと飲み込む。
「んく…そういや、俺も言い忘れてたことあるわ。」
「ごくっ…すみません、何でしたか?」
「二週間以内にはなると思うんやけどな、俺と蜜葉お揃いの結婚指輪を作りたい思て。」
「結婚指輪…?」
「海外ではな、結婚した夫婦で左手薬指に指輪を着けるんが主流なんやと。なんか浪漫があってええなって思って。俺もやりたいなーって思って。」
雪也さんはチラチラと私のほうを見ている。指輪は高価な装飾品というイメージが強いため、普段使いする考えが私にはなかった。だけど、話を聞いている限り、結婚指輪とは常に身に着けるものである様子。傷つけたりなくしてしまわないかが心配だけど、彼がやりたいというなら、私には断る理由がない。
「雪也さんが宜しいのでしたら、是非。」
「ほんまか!?じゃあ、日程調整するから、覚えとってな。とっておきの宝石用意するから、蜜葉の好きなやつ選んだらええ!」
欲しかった玩具を買ってもらったような子供のような無邪気な笑顔で、雪也さんは私を見つめる。そんな彼からの視線を誤魔化すように、私は残りの紅茶を口にした。




