第三話
「その薬の調子どう?」
「あ、とてもよく効きます。あんなに治らなかった咳も、すぐに治まりました。」
数日後、朝食を食べた後に、雪也さんに話しかけられた。彼から貰った薬は1日3回、食後に飲むものだった。私は水と共に薬を口に含み、一気に流し込む。
「それならええんや。多分、風邪を拗らせて喉がやられてたんやろ。」
「この薬を調合したのは、雪也さんのお知り合い?」
「そう、俺がよく世話になっとる薬師に頼んで貰ってきた。」
商人として働いている彼のことだから、色々な所に人脈があるのだろう。私は想像もできない彼の仕事の世界に思いを馳せる。
「支度が終わったら、俺の部屋に来てくれん?やってほしいことがあるんや。」
「はい、分かりました。」
◇◇◇
「わあ、こういう西洋風な着物は初めて着ます。」
「着心地はいかがでしょうか?」
「とても体に合っています!あ、でもここ、すみません三浦さん、ボタンが留められなくて。」
「三浦で構いません奥様。私なんぞに畏まった言葉も不要です。」
と、昨日からずっと言われてはいるんだけど、彼女を気軽に呼べるほどの度胸が私にはない。いくら専属の使用人になってもらったとはいえ、砕けた口調になるのには勇気がいる。
「すみません、慣れなくて…。あの、じゃあ、早苗さんって呼ぶのはどうでしょうか。」
「…奥様が呼びやすいのでしたら。私のことは、もっと気軽に顎で使ってくださいまし。」
私はあははと軽く流し、早苗さんに身支度を手伝ってもらう。髪を整え化粧を施し、私は呼ばれていた雪也さんの部屋に向かった。
◇◇◇
控えめに扉を叩くと、奥から雪也さんの『入ってや~』という少し気の抜けた声が響く。私はゆっくり扉を引き、室内に入る。
「やば!呼んでから気が付いた!蜜葉、針仕事できるん?」
「ええ、一通りできます。どうしてですか?」
「ほんまか?よかった~!裁縫頼みたかったんよ!昨日ちょっとやらかしてん!」
そう言うと、雪也さんはいくつかの衣服を見せてきた。確認すると、縫い目がほつれていたりボタンが千切れるように取れた衣服が数点。確かに私でも直せるものではある。
「これを全て直しておけば良いんですか?」
「ああ、頼んます!急ぎやないけど、早めに!」
急ぎか否かどっちなのだろう、と心の中で思いながら、私は彼の声に答える。裁縫道具の場所は早苗さんに聞くとして、この部屋で作業をしてもいいのだろうか。
「雪也さん、あの、ここで作業しても大丈夫ですか?」
「ん?構わんよ。あ、塵がでたらそこの屑籠に入れておいてな。」
『じゃあ行ってくる!』と大きな声で挨拶する彼に対し、私は深く頭を下げる。お見送りをするために、私は急いで彼の後を追った。
「雪也さん!」
「ん?」
玄関の扉を開けようとする彼を呼び止め、着物の襟を正し笑顔で送り出す。雪也さんは小さな声で『はわわわ…』と言っているけど、何か粗相をしてしまったのだろうかと私は焦った。
「す、すみません。お見送りするのも妻の務めかと思いまして…。」
「…良い。」
「え?」
「めっちゃ良い…感動した…めっちゃ嬉しかってん…毎日お見送りして…。」
「え?あ、はい!もちろんです!」
彼は目を輝かせ、放心状態のまま篠崎邸を後にした。大丈夫なのか少し心配になったけど、私は信じて彼を見送った。
◇◇◇
(ここをこうして、留めて…縫って…。)
私は早苗さんに裁縫道具を取ってきてもらい、一人雪也さんの部屋に戻った。早苗さんを含む使用人の皆様は『奥様に頼まなくても我々がやるのに』という雰囲気を醸し出していたけど、私は気付かないふりをしてきた。
「何もやらないのは居心地が悪いから、些細なことでも任せてもらえるとありがたいな…。」
誰に言うでもなく独り言を口にする。ちくちくと針を布に通し、離れていた布と布を繋ぎ留めていく。母と二人暮らしの時は定期的に着物を縫う生活をしていたし、幼い頃にしていた仕事には裁縫も含まれていたからある程度の手順は分かる。
貴族の方は呉服屋に頼んで衣服の修繕をするのが一般的なのに、何故彼は頼らずそのままにしたのだろう。あ、持っていくのが面倒だっただったとか?でも持っていくのは使用人の仕事だから彼の手は煩わないはず。私に任せてお金を浮かせたかった?でも篠崎家の懐がひっ迫している様子はない。実は倹約家とか?
「私のために仕事を作ってくれたとか?」
ただ黙って過ごすだけでは生活に彩りがないからやることを作ってくれたのかもしれない。いずれにしても正解は分からないし、私は言われたことをするだけである。
(でも、裁縫もそんなに時間はかからない。終わったらどうしよう。)
私は次のことを考えながら、黙々と手を動かした。
◇◇◇
「…あ。」
「奥様。いかがなされましたか?」
衣服の修繕が終わり、何か新たな発見がないかと篠崎邸を探索していたら、執事の武邑さんが前から歩いてきた。
「何か私にできることはありませんか?」
「奥様の手を煩わせるわけにはいきません。ご自由にお過ごしください。」
そのご自由に過ごすのが難しいのに、と思うのは贅沢な悩みだと我ながら思う。
「お買い物も自由にしていただいて構わないと旦那様から仰せつかっております。百貨店に向かうのでしたら、馬車を呼んで参りましょう。それとも、外商をお呼びしましょうか。」
「い、いえいえいえ!けっこうです!」
暇だから買い物に行くのは、貴族の奥様あるあるなのだろうか。私の母は病弱だからあまり外に出歩かない人だったから、文化の違いに触れた気分になる。
「あの、では、本とかありますか?」
「本ですか?もちろん。書斎がありますので、案内致しますね。」
「お願いします!」
そうだ、本を読めばいい。知識も吸収できるし、他の使用人の方々にあれこれ気を遣わせずに済む。私は武邑さんに案内され、篠崎家の書斎に向かった。
「わあ、すごい!」
「こちらには古今東西の製本が揃っています。読みごたえは充分かと思われます。」
篠崎家の書斎には、様々な言語の本が揃っていた。日ノ本の言葉はもちろん、西洋、東洋諸国の本もいくつか目につく。
「書斎を使用していただくにあたって、いくつか規則がございます。奥様とはいえ、守っていただけるようお願い申し上げます。」
「は、はい、お聞きします。」
武邑さんから言われたのは二点。
一つ目は、書斎内での飲食は禁止であること。飲食物の持ち込みも不可で、本を持ち出した先でも飲食をしながらの読書はしないようにとのこと。
二つ目は、本を持ち出す場合、本の定位置に印となる代本板を入れておくこと。この書斎の本たちは雪也さんの規則に従って所蔵されているらしく、彼は本の位置の乱れを酷く嫌がるのだとか。
「以上のことを守っていただけるのでしたら、我々使用人も書斎の使用を許可されているのです。」
「へえ、そうなんですね。」
「代本板はこちらの箱の中に入っています。それでは、どうぞごゆっくりと。」
「ありがとうございます、角嶋さん。」
武邑さんは私に一礼すると、書斎を離れた。私は代本板を一つ手に取り、どの本を読もうかと物色を開始する。他国語は分からないので、日ノ本の言葉の本を中心に見ていく。
まだ見ぬ世界へ足を踏み入れるように、私は書斎の奥へ奥へと進んでいった。




