第二話
篠崎邸は、昔私が住んでいた家のような西洋調の造りをしていた。西洋から取り寄せたらしき調度品の数々、照明の多くがガラスで出来ており、キラキラと光を反射している。
馬車に乗りながらここまで来る途中、篠崎邸のような家がいくつもあるのを見かけたから、ここは富裕層が集まる土地なのだと推測した。
篠崎家に来て、最初に私と篠崎様は婚姻の契約書を書いた。
婚姻の書類には仲人が必要らしく、篠崎様は仕事における右腕とも言える…とおっしゃっていたの角嶋勝様と信頼できる友人である猫又の足羽克之介様という方に、私は母と私専属の使用人へと任せられた三浦早苗さんという方になってもらった。篠崎様曰く角嶋様と三浦さんは私と同じ種族、人間とのこと。
篠崎様には両親がいなく、この家には1人で住んでいるらしい。日ノ本の西には遠縁の蛇神一族が少しいるけど、ほとんど交友はないのだとか。
私の母は仲人の欄に記入次第、病院に移送された。
紅葉が綺麗な肌寒い季節。然るべき機関に書類を提出し、私たちは書面上でも形式上でも夫婦になった。
祝言をあげることはなく、夫婦の契りは書類のやりとりのみで済まされた。花嫁姿に夢をみる、なんてことはなかったので、私としてはこれくらいの扱いをされるくらいで丁度よかった。
◇◇◇
夫婦になったその日の夜、私たちは同じ寝室で寝ることになった。恐る恐る入室する私を見て、彼は小さく笑いながら手招きをする。
「し、篠崎様…。」
「なんで俺のこと篠崎様呼びなん?もう俺ら夫婦やろ、雪也って呼び。」
「ゆ、雪也………さん。」
「そうそう、ええ子やな。って、雪也さんて!…まあ、ええけど。」
私の受け答えに概ね満足したのか、雪也さんはニコニコと目尻を細めて笑っている。彼の銀色の髪に真っ赤な目は、暗い夜でも映えて見えるのは気のせいだろうか。
「用意した寝巻、着心地どうや?」
「あ、すごく良いです。可愛いですし、ひらひらしていてドレスみたいで…。」
「ネグリジェっていうんや。そうかそうか。気に入ってくれたならええんやけど。」
言いながら彼は、私の体に視線を向ける。ドレス…もといネグリジェは、白を基調に華やかな桃色の花がデザインされた布が使用されていた。着たことのない衣服だったため、サイズは合っているけど少しそわそわする。
「にしても、蜜葉はちっこいなあ。身長いくつなん?」
「最後に測った時は、4尺9寸(150㎝)でした…。」
「俺より10寸くらい(30㎝)低いのか。そりゃ小さいはずや。」
雪也さんは何かに納得したのか、うんうんと大きく頷いている。私は体の前で両手を合わせたまま、彼の顔を見つめる。私の視線に気が付いたのか、先ほどと同じ笑顔をこちらに向ける。
「えへへ、蜜葉は可愛いなあ。可愛すぎて丸呑みしたいわあ。」
「えっ…。」
「うそうそ、冗談やん。蛇の姿になればできるかもしれんけど。いや、蛇の姿になってもせんで?」
雪也さんは茶目っ気を出すように、舌を出しながらわざとらしく手をぶんぶんと振っている。私を笑わせるための冗談だったのだろうか。その割には、目が笑っていなかった気がするけど。
それにしても、彼は夫婦になってから私のことを事あるごとに褒めてくる。見た目はもちろん、一挙手一投足を見つめられているみたいで少し動きづらい。
本人は完全に善意で言っているようなので責める気にもなれないけど、褒められ慣れていない私はどう対応するのが正解なのか分からず曖昧な返事しかできないのがもどかしい。
「ほな、寝よ寝よ。これは海外から取り寄せた寝台なんや。寝心地ええで。」
寝台には天蓋が付いており、寝台の周りは天蓋にかかっている窓掛けが目隠しのような役割を果たしている。雪也さんはカラカラと音を立てながら窓掛けを開け、寝台への出入口を作る。
「あ、あの…雪也…さん。」
「ん?」
雪也さんは布団をガサガサ捲りながらこちらを見た。
私は目を伏せたまま一呼吸置き、彼に話しかける。
「結婚したからには、妻としての役目はきちんと果たします。」
「おう?ありがとさん。」
「子供を産むためだけの道具としての扱いでも構いません。」
「……んん?」
「使用人にでも、何にでもなります。なのでどうか…むむ。」
雪也さんはいつの間にか私の目の前に立っており、私の口をその大きな手で塞ぐ。冬一歩手前の気温だからだろうか、彼の角ばった手がとても冷たい。
ゆっくり目線を上げると、無表情の彼と目が合った。何故だか彼の顔から、怒りと悲しみが滲んでいる気がした。
「心意気は結構やけどな、俺がそうして欲しいって言ったか?望んだか?」
「そ、それは…。」
「言っとらんやろ?望んどらんやろ?」
「……。」
「俺は蜜葉と対等な関係を築きたいと思っとるんや。…まあ、あんな結婚の仕方したから、どの口が何を言ってんのって話になってまうけど。」
雪也さんは私の口からゆっくり手を離し、寝台の方に歩いていく。履物を脱いでもそもそと布団に足を入れ、寝台に座りながら手招きをしてくる。私は遠慮がちに寝台の縁に座り、そっと布団に足を入れる。素肌に布団の冷たさを感じ、ぶるっと震えながら彼の隣に並ぶ。
「…そんな端に寄らんと、もっとこっち来いや。」
「は、はい…。」
顔に熱が集まるのを感じながら、私は雪也さんに近づく。そんな様子の私に痺れを切らしたのか、彼は私の肩を抱くとぐいっと力強く引き寄せた。
「ひゃ!」
「だから端に寄りすぎって言うたやろ。ここまで来んと毛布に辿り着かへんで。」
雪也さんは私を抱き寄せたまま、布団の中に体を沈めた。私は彼に寄りかかるような姿勢のまま布団に包まれ、腕を枕のように寝かされる。彼はそんな私の体の上にもう片方の腕を通し、抱き締めるような姿勢になる。私を抱き締めて満足したのか、目を細めながらニコニコしている。
「蛇は変温動物言うてな、周りの気温が低いと体温も低くなるんや。」
「だから雪也さんは肌が冷たいんですか?」
「そうやで…って言いたいところやけど、元々体温が低いだけや。今は人の姿やし、関係ないで。」
「…そうなんですね。」
(じゃあ、蛇の姿だとネズミとか食べるのかな。)
そこまで考えて、私は思考を取り払うように、目の前の情景に専念する。やめよう、そのことについて深く考えるのは。
「はあ、蜜葉あったかいな。俺、誰かと一緒にくっついて寝るの初めてなんよ。」
「そうなんですか?」
「物心ついた頃から親はおらずに一人やったからな。近しい親族も恋人もおらんかったし、寝るときは常に一人やったで。」
そう言いながら、雪也さんは私の体を抱き締める腕を強める。少し苦しいけど、彼がとても幸せそうな顔をしているので、それに水を差すのは申し訳なくて私はその息苦しさを受け入れる。
「…私を抱かないんですか?」
「…蜜葉は俺に抱かれたいん?」
「いえ、あの、妻になった私に出来ることは、それくらいかと…。」
「………。」
雪也さんはそっと私の頭に手を置き、するすると私の髪を撫で始めた。毛先を弄ぶようにくるくる巻いてみたり、毛の束が私の頬に落ちる。
「俺は蜜葉を愛しとるよ。でも、蜜葉は今まだその時やないやろ?」
「………。」
「蜜葉に女としての魅力がないとかそんなんやないんや。焦らんでええ。今はこうやって一緒に寝られるだけで、俺は充分や。」
そう言い残すと、彼は小さな声で『おやすみ』と呟いて目を閉じた。私は『おやすみなさい』を返し、彼の寝顔を確認してから目を閉じる。私の頭が枕にしている彼の腕への負担を減らしたく、少し布団に深く沈む。
そういえば、ここに来てから咳が出ていない。雪也さんが処方されたという薬を2回ほど飲んだだけだけど、喉にあった違和感は鳴りを潜めている。
(彼に対して私ができることなら何でもしてあげたい。でも、何ができる…?)
私は彼へのありがたみを噛みしめながら、眠りについた。
いつも感じていた疲労感を感じることなく、私は数年ぶりにぐっすり眠った。




