第十三話
雪はまだまだ残っているけど、突き刺すような寒さが落ち着き、春に向けて暖かくなり始めた頃。
私は雪也さんの私室の本棚の前にいた。立ち入り禁止にされていた訳ではないけど、入室すら恐れ多くてあまり長居はしたことがない。
「わあ、本当に色々な言語の本がある。書斎も書斎ですごいけど、雪也さんの私室も中々…。」
私が語学の勉強をしていることは、雪也さんも把握していた。参考書ではないけれど、様々な国の言葉で書かれた書籍が自室にあるから、勝手に持ち出して読んでも良いと言っていただいた。どうやら、雪也さんの私室には書斎のような規則はないらしい。
「これ、どこの国の言葉だろう?後で調べようかな。」
このように、中には見たこともない言語で書かれた本もあり、私の好奇心を満たしていく。私の語学の勉強の最終目標は、何かしらの仕事に繋げること。まだまだ始めたばかりで実用性は全くないけれど、着実に前に進んではいる気がする。
(あ、これ…。)
私は、ある一冊の本を手にとってみた。表紙に書かれた文字を訳すと、”マリーの大冒険”。以前、私が書斎で借りた本の原書だった。
記憶を手繰り寄せながら、私はマリーの大冒険の原書の最初のページを開いていく。すらすらとは読めないけど、所々わかる単語が出てきて、私は少し嬉しくなった。
「…はっ!立ったまま読み耽ってしまった。」
思わずびくっと肩を振るわせ、私は腕の中にマリーの大冒険の原書を抱える。これは借りて、勉強も兼ねて読ませてもらおうと決めた。
最初から欲張りすぎるのはいけないと思い、私は本棚の前から退こうとしてある違和感を抱いた。本棚の中にあるある一冊の本が、どうも本らしくないというか。背表紙しか見えていないけど、これは何だろうと思い、私は何の迷いもなくその本を手にとった。
「…?本のような見た目の箱、かな。」
手にとってみて、意外とその箱が重くてずっしりとしていることに衝撃を受けた。もしかしたら高価なものかもしれないと思い、持っていた本を机の上に置き直してから慎重に箱を抱える。鍵などがかかっている様子もなく、その箱は少し力を入れると簡単に蓋が開いてしまった。
(あっあっ、しまった。人のものなのに勝手に開けちゃっ…。)
蓋の金具が相当古いものだったのか、開いた拍子にそのまま蝶番の部分が外れて壊れてしまった。床に落ちていく部品を必死に受け止めたが、箱の中に入っていた”それ”も一緒に零れ落ちてしまった。
「………あれ?」
零れ落ちた箱の中身を見て、私は固まってしまった。
入っていたのは、昔私が無くしたと思っていたおもちゃの指輪だった。
「なんで、どうして、…これが、ここに。」
この指輪のおもちゃは、当時父が仕事関係で得た人脈を利用して作ってくれたものだった。おもちゃなので決して高価なものではないけれど、市販に流通しているものではないため、他の人が持っているのはあり得ないはず。
私は思わずその指輪を手に取り、手のひらの上で転がしてみた。あの時より成長して指も太くなってしまった為、着けられそうにはない。だけど、軽い素材と桃色の合成樹脂でできたそれは、昔と変わらない輝きをしていた。
(確かこれ、私の名前が刻印してあるはず…。)
私は、おもちゃの指輪の指馴染みの部分に目を凝らした。そこには、傷もなく減りもしていない文字がくっきりと彫られていた。
”かやぶき みつは”
(…思い出した。思い出した!)
「私、白蛇さんにこれを着けて遊んでいて、でも、白蛇さんいなくなって、指輪もなくして…!」
(あの時の白蛇さん、雪也さんだ…!)
母が冗談半分で言っていたことを思い出した。あの時の白蛇が雪也さんではないかと。
とりあえず、指輪と箱は元の位置に戻して、証拠隠滅を図った。思わぬ形で夫の秘密を知ってしまった私は、どうしようかと悩んでいた。このまま見なかった事にするか、正直に打ち明けて謝るか。
悶々としていた私は、以前雪也さんの寝言を聞いてしまった時を振り返ってみる。私には秘密を秘密として抱える才能がないのか、泳がされた上で本心を白状させられてしまったことを。
「…素直に謝ろう。」
彼の秘密を知ってしまったことで、どうなるかは分からない。だけど、いずれバレてしまうかもしれないなら、誠実に謝りたい。私は、意図せず彼の秘密に踏み込んでしまった事実に落ち込みながらも、彼への謝り方を考える事にした。
◇◇◇
「雪也さん。」
「おお、蜜葉やん。ただいまあ。」
「帰宅して早々恐縮ですが、少しお話良いですか?」
「ん?別にええけど…。どしたん、改まって。」
雪也さんの帰宅を待ち伏せ、私は玄関で彼を迎え入れた。焦る気持ちが先行してしまい、謝罪を後回しにする気持ちにはなれなかった。
「ここでは人目がありますから、雪也さんの自室でお話したいです。」
「………。」
私は雪也さんの返事も聞かず、踵を返して彼の自室に向かった。雪也さんは深く追求することなく、私の後を着いてきているようだった。
戦々恐々とする気持ちを抱えながら、私は雪也さんの前を歩いた。
「単刀直入に言います。」
「…おう。」
「あの箱を壊してしまい、かつ中身を見てしまいました。ごめんなさい。」
入室して向かい同士になり、本棚の中に佇む本に擬態した箱を指差し、私は率直に頭を下げた。頭を下げながらぎゅっと目を閉じ、彼の行動を待った。
「………。」
「…何やあ。そんな事かあ!」
「俺てっきり好きな人ができたから別れようとか言われるんかと思って!」
「いや!いやいや良くはあらへん!え?蜜葉あれ見たん?見たんやな!?」
「えーーー待ってくれ、ちょ、待ってくれ、おーん…。」
雪也さんの狼狽っぷりにびっくりして、私は思わず顔を上げてしまった。両手で頭を抱えながら、雪也さんは百面相をしていた。
「…どこまで思い出したん?」
「…あの日のこと、全部ですかね。」
「あーーー…。」
そう一言言うと、雪也さんは再び頭を抱えて天井を仰いでしまった。私的には彼の重要な秘密を知ってしまったことだから、もっと怒られるものだと思っていたけど、雪也さんの様子を見ているとどうやらそうでもないらしい…?
私は雪也さんの様子が落ち着くまで、しばらくその場に佇んだ。




