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第十二話

入院していた母が退院し、雪也さんの厚意でこの屋敷に住まわせてもらうことになった。母はただ住まわせてもらうだけでは申し訳ないからと、使用人の方たちに混ざって家事に勤しんでいる。病み上がりということもあり、最初は使用人の方々と雪也さんに止められていたけど、じっとしていられない性分だからと周りを説得し、今に至る。


雪也さんの本心を聞いたあの夜から1ヶ月ほど経過していた。


積もるほどではなかった雪は、いつの間にか深く景色を白く染めた。

ふと見た廊下の窓ガラスには細工とは別に、窓霜ができて一種の芸術作品のようになっている。

そんな窓ガラスに手を伸ばし、窓霜に触れようとして思い留まる。私が触れることによってこの綺麗な模様が消えてしまうのは許されない気がした。


(まるで、今の私と雪也さんのようで…。)


後ろ向きな感情に苛まれ、頭を振って意識を逸らす。あれから私は、時々気分が沈みつつもいつも通りに接するように努めた。色々考えてはいるけど、頭の中では思考が堂々巡りをしている。雪也さんは想い人の人を探しているのか、私との婚姻はいつまで続けるのか、などなど、1人の時に気を抜くと、すぐあの夜のことを思い出してしまう。


雪也さんに好意を抱き始めていることに気が付いてしまってからの私は、黒い感情を抑えられなくなっていた。もちろん、誰かにこの胸の内を話したことはないし話すつもりもないし、こんな私を知られたくない。


雪也さんの想い人が見つからないでほしい。


雪也さんには想い人を諦めてほしい。


彼の側にいるのはずっと私でありたい。


彼の想い人は私じゃない。


(…っ、いけない。今日も勉強するんだった。)


この屋敷に来て以来大きな目的のなかった私は、色々考えた末に外国語の勉強をするようになった。


きっかけは、家に外国の商談相手の方を招いてお話ししている雪也さんの姿だった。普段は方言混ざりのような話し方をしている彼だけど、外国語も話せると知ったのはその商談相手との会話をたまたま見てしまった時だった。元々外国語に詳しい人だなとは思っていたけど、詳しいを通り越して母国語のように扱える人だとは知らなかった。そのことについて本人に聞いてみたところ、返ってきたのは『日常会話程度しかできんけどな。』という謙遜だった。


今では学校で外国語の授業があるくらいだし、西洋化の進みつつある今の日ノ本の国において、きっと外国語の取得は武器になると思った。他の国の言語を取得するのは簡単なことではないけど、身につけておいてマイナスになることはないはず。いずれ雪也さんの元を離れることになっても…_。


「…今日は46ページの3行目から。頑張ろう!」




「………。」




◇◇◇


相変わらず、私と雪也さんは同じ寝室の同じベッドで寝ていた。いつものように他愛のない話をして、そろそろ寝ようと思い始めた頃。その時は突然やってきた。


「…最近の蜜葉ちゃんなあ、な〜んか俺に隠し事しとらへん?」

「へっ。」


同じ枕に頭を並べている雪也さんは、微笑みながら私の目をじっと見ている。彼の真っ赤な瞳は暗闇でも光っているように見え、私は蛇に睨まれた鼠のように固まってしまった。


「ここ1ヶ月くらいの話や。いつもは西向きに置いてある棚の置物が、2度くらい東向きになってるような感覚やねん。」

「何ですかその小さすぎる差異怖いです。(そんなことないですよ。)」

「本音と建前逆やで。」

「あっ!」


しまった、つい思っていることをそのまま口走ってしまった。

それにしても、雪也さんに最近の私の様子がバレていたとは。彼の観察眼が鋭いのか、私が分かりやすすぎる間抜けなのか。


「…俺には言えんこと、そりゃ1つや2つはあると思う。けど、今の蜜葉が抱えているのはそういうことじゃないと思うんや。」

「………。」

「じゃあ、俺の秘密、一個教えたる。それ聞いて、答えるかどうか考えや。」

「…はい。」




”俺、酔っ払って帰ってきた晩の話、全部覚えてるんよ。”




「えっ…。」


「酔った自分が何を口走ったのかも、やわこい蜜葉のお膝でおねんねしたことも、みーんな。」


「えっえっ…。」


「別に言うことちゃうから黙ってたけどな。」


微笑みながら私を見つめていた雪也さんの表情は、いつの間にか落ち着いた顔立ちになっている。私は真冬なのに体温が上がり、手にじっとりと汗をかいていた。


「蜜葉、もしかしてあのこと気にしとるんかなって思ってな。俺の言ったこと。」

「………はい。」

「素直でよろしい。」


雪也さんはもそもそと私に近づくと、両腕いっぱいに私を抱きしめてきた。抱きしめられながら、私はあの晩の雪也さんの発言を思い出す。



『俺は…になったら…あの子に…やろな…。』


『一目惚れやったん…俺が…絶対…にしたるって…。』



「雪也さんには、思い出の人がいるんですよね。」

「そうやな、否定はしん。」

「…何だか、その人に申し訳なくて。貴方の隣にいるべきなのは、私じゃないのにって。」


私は、少しだけ嘘をついた。本当はもっと黒いことを考えている。雪也さんの想い人が見つからないでほしいとか、想い人を諦めてほしいとか。口から出る言葉にはほんの少しだけの本音を混ぜて、本心の多くは隠すようにして、言葉を選びながら紡いだ。


「あの夜の俺の発言で、蜜葉のこと不安にさせたんやな。」

「いえ、私が勝手にそう思っただけですから。」

「忘れられない人がいるんは本当やけどな、今の俺が愛しているのは蜜葉や。…と、愛の告白をしたところでネタばらし。」




「俺が言った思い出の人はな、昔に出会った商売の師匠の話や。」




「え?」

「あはは!やっぱり勘違いしてたん?俺が見知らぬ女に思いを馳せているって。」


雪也さんは私を抱きしめたまま、肩を震わせケラケラと笑いを溢した。私は訳が分からないまま、笑っている雪也さんに抱きしめられていた。


「師匠って言っても、見た目は6歳くらいの小さな男の子って感じの、まさに『あの子』って言葉が似合う座敷童子なんや。」

「6歳くらいの男の子…座敷童子…。」

「そそそ。見た目に反して年齢は結構いっとるんやけどな。海外を相手に仕事をしとる凄腕のビジネスマンっちゅうやつや。」


抱きしめられていた体が解放され、私と雪也さんはお互いに向き合う姿勢になった。体温が移っていない枕の冷えた感触が頬に当たり、私は少し冷静さを取り戻した気がした。


「伊山くん…って言うと怒るんやけどな。彼の商才は惚れ惚れするものやった。」


お仕事の師匠こと伊山さんについて語る雪也さんからは、確かに喜びと敬意を感じた。

商才に一目惚れして無理を言って弟子入りした話とか、彼から成長を褒められた話、失敗を糧に前を向いた話など、雪也さんの口からは次々と伊山さんの話題が溢れた。


「っと、蜜葉にとっては知らん人の話やで、そんな聞いててもつまらんよな。これくらいにしとこか。」

「いえ、楽しそうにお話をする雪也さんが見れて、満足です。それに…」

「それに?」

「私の誤解も解けましたし。」

「ははは、そうやったそうやった。」


誤解が解けて力が抜けた私は、掛け布団を手繰り寄せて顔の半分まで埋もれた。雪也さんはそんな私の頭を優しく撫でて、それが微かな眠気を誘う。


私は1ヶ月ほど悶々と雪也さんの寝言に悩まされていたのに、あっさり解決したことと、雪也さんに弄ばれた感じが少し悔しく感じた。掛け布団を多めに手繰り寄せて、雪也さんを布団から追い出す地味な意地悪をした。

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