第03話-1◆値踏み市へ
町の中に入れないまま、町の音だけはやけに近かった。
門の向こうから、歓声が上がる。
朝の市場にしては騒がしい。荷車の車輪、商人の呼び声、鍋を叩く音。その奥に、何かを見世物にしている時の、あの薄い熱が混じっていた。
俺は柵の隅で斧の柄を拭きながら、壁の上を見た。
「祭りか」
「祭りなら、もう少し景気のいい匂いがするねえ」
エイヴァがリリィの肩で丸くなったまま言った。昨日、役場裏から抜けてきたせいで、まだ少し羽がしぼんでいる。寝れば戻ると言っていたが、口だけはいつも通りだ。
「これは値踏み市だよ」
「値踏み?」
リリィが首をかしげた。
新しい靴のつま先が、柵の内側の土をそっと踏んでいる。歩くたびに少し大きい靴が鳴るが、昨日より足の運びは安定していた。布を噛ませたのが効いている。
ただ、靴が新しくなったからといって、腹が膨れるわけじゃない。
俺は黒パンの残りを半分に割り、リリィへ渡した。
「食え」
「グローさんは?」
「あとでいい」
「また」
「まただ」
リリィは一度だけ俺を見た。昨日ならそこで引っ込んだ顔をしていただろうが、今日は少し考えて、パンを小さく割った。
「じゃあ、これだけ」
「いらん」
「食べないと歩けません」
「おまえが言うな」
「言われたので」
俺の言葉を返すようになってきた。良いのか悪いのか、まだ判断がつかない。
仕方なく、差し出された欠片を受け取る。固い。歯に当たる音がした。
エイヴァがリリィの肩で胸を張った。
「アタシの分は?」
「昨日働いた分はもう渡した」
「継続報酬という概念を覚えな」
「鳥に契約を教わる日が来るとはな」
「君は金勘定が雑だからねえ」
「雑なら、もっと飯を買ってる」
「それは雑じゃなくて無謀だよ」
リリィが小さく笑った。
柵の外では、赤札持ちの連中がちらほらと動き始めている。門番は俺たちを見張りながら、眠そうに欠伸を噛み殺していた。
壁の向こうで、また歓声。
今度ははっきり聞こえた。
「勇者さまー!」
「すごいぞ、バラン!」
俺は思わず片目を細めた。
「朝からうるさいな」
「ああ、あの全身が忙しい人」
リリィが真面目に言った。
エイヴァが「ちちっ」と鳴いた。
「君の雑な分類が、子供に定着しているよ」
「正しいだろ」
「まあ、否定はしないけどね」
門番がこちらへ歩いてきた。手には木札の束。俺の赤札もそこに混じっている。
「おい、赤札。出ろ」
「露店ならさっき行った」
「違う。値踏み市だ」
「出る気はない」
「あるかどうかじゃねえ。おまえの危険預かり金、下げられるかもしれん」
俺は手を止めた。
金。
その一言だけで、だいたいの面倒は話を聞く価値が出る。
「どういう仕組みだ」
「町の中庭で、旅人や冒険者の腕を見る。危険値が高い奴は、町に入れていいか、仕事に使えるか、見世物にしてでも判断するんだよ」
「見世物か」
「嫌なら柵にいろ。預かり金は銀貨三枚のままだ」
門番はつまらなそうに言った。
俺はリリィを見た。リリィも俺を見ていた。新しい靴、傷んだ服、細い腕。銀貨三枚があれば、靴どころか服も水も、しばらくの飯もどうにかなる。
ないから、こうして柵にいる。
「町に入れるのか」
「値踏み市の会場までだ。見張り付き。余計なところへ行けば取り押さえる」
「取り押さえられるならな」
「そういうことを言うから九十八なんだよ」
「石が勝手に言った」
門番は嫌な顔をした。
「子供と鳥も一緒か?」
「置いていくわけないだろ」
リリィがぱっと顔を上げた。置いていかれないとわかって、少しだけ肩の力が抜けたのが見える。
エイヴァは小声で言った。
「行くべきだね。値踏み市なら、昨日の白い馬車の絵に近いものが出るかもしれない」
「あそこに?」
「人を測る場所には、測られたい者だけじゃなく、測りたい者も集まる」
「朝から嫌なことを言う鳥だ」
「賢い鳥とお呼び」
「嫌な賢い鳥だ」
俺は斧を肩に担いだ。
「行くぞ。リリィ、歩幅を小さくしろ。新しい靴で急ぐな」
「うん」
「エイヴァ、しゃべるな」
「ぴるる」
「今度は早いな」
門番に連れられて、俺たちは門をくぐった。
町の中の匂いが一気に濃くなる。
焼いたパン。煮込み。馬糞。鉄。濡れた木材。人の汗。柵の外とは違う。こちら側には、金が動く匂いがある。
リリィの目があちこちへ動いた。布屋、靴屋、果物の籠、色のついた飴。見たいものが多すぎて、どれを見ればいいかわからない顔だ。
「前を見ろ」
「あ、うん」
「欲しいものを見るなとは言ってない。転ぶなと言ってる」
「見てもいいの?」
「見るだけならただだ」
「それ、少し悲しいです」
「俺もそう思う」
リリィは少し笑い、それからちゃんと前を見た。
会場は門から近い中庭だった。石畳の広場に簡単な柵が組まれ、中央には木の台と、丸太や荷獣、古い鎧、的が並んでいる。観衆は思ったより多い。商人、職人、子供、冒険者。高いところには役場の人間らしい連中も座っていた。
町が人を見ている。
そういう場所だ。
中央では、金髪の男が剣を振っていた。
バランだ。
昨日の門より、さらに似合っている。陽の当たる場所に立つのが当たり前みたいな顔をしている。剣を抜き、見世物用の小型魔獣を相手に、派手に動く。必要な一撃だけで済む場面でも、わざわざ回る。跳ぶ。観衆へ見えるように剣を返す。
無駄が多い。
だが、下手ではない。
魔獣が跳びかかる瞬間、バランは笑顔のまま半歩ずれて、首筋へ剣の腹を当てた。殺さず倒す。観衆が湧く。
「どうだい!」
バランが剣を掲げる。
歓声が上がった。
「うるさい」
「グローさん、小さい声で」
「聞こえて困ることは言ってない」
「困ります」
リリィが真面目に止めた。
エイヴァは肩の上で首をかしげ、ただの小鳥として拍手代わりに「ぴっ」と鳴いた。器用なやつだ。
バランは観衆の中に俺を見つけると、わざとらしく目を輝かせた。
「おや、君も来たのか。町に入れてもらえたんだね。よかったじゃないか」
「見張り付きだ」
「それは残念。ぼくなら歓迎付きだったけど」
「知ってる。音がでかい」
周囲が少し笑った。バランも笑う。嫌味を笑いに変えるのは上手い。そこがまた腹立たしい。
ベルニーは観衆の端にいた。派手な拍手はしない。目だけで場を見ている。俺、リリィ、エイヴァ。中央の魔獣。役場席。逃げ道。あいつは見ている順番がまともだ。
だから信用しない。
司会役の男が木札を読み上げた。
「次、赤札持ち。危険値九十八。ネームド魔物、グロー」
広場の空気が変わった。
笑いが薄くなる。子供が親の後ろへ隠れる。商人が荷を抱える。警備の兵が槍を握り直す。
数字は便利だ。
俺が何をする前から、周りが勝手に怖がってくれる。
俺は中央へ出た。
石畳の上に立つと、視線が全身に刺さる。豚鼻顔。短い牙。右耳の欠け。鎖帷子。斧。泥の残った外套。
見世物には向いているらしい。
司会役が少し声を上ずらせた。
「試験は、暴れ荷獣の制止。殺傷は禁止。荷の破損も減点。観衆側へ逃がした場合は即中止」
「面倒だな」
「できないなら柵へ戻るだけだ」
俺は返事をしなかった。
会場の端で、太い鎖につながれた荷獣が引き出される。牛に似ているが、肩が高く、頭の両側にこぶがある。荷を引くための獣だろう。目が血走っている。鼻息が荒い。見世物に使うためにわざと興奮させている。
趣味が悪い。
荷獣の背には空の荷箱が二つ括られていた。壊すなということか。
俺は会場を見た。
石畳。砂をまいた場所。観衆までの距離。鎖の長さ。荷獣の右後ろ足に古い傷。左へ踏み込むと遅い。正面から押さえれば荷箱が壊れる。首を狙えば殺傷扱い。足を払えば転倒して荷を潰す。
面倒だ。
でも、できないほどじゃない。




