第22話-1◆壊す
白い手袋の者は、白い扉の前に立ち、リリィへ手を差し出した。
「反応を、こちらへ」
リリィの指先に、白い線が浮いた。
俺は斧を抜いた。
刃が柄の留めを離れる音だけで、近くの兵が息を止めた。
その一拍だけ、国境砦の門前から音が消えた。
荷車の車輪も、人のざわめきも、札をめくる音も止まったように感じた。実際には止まっていない。どこかで馬が鼻を鳴らし、商人が荷を抱え、子供が泣きかけて母親に口を塞がれている。
だが、俺の周りだけは凍った。
白い手袋の者だけが、変わらなかった。
「刃物は、響きを乱します」
「なら近づくな」
俺は斧を下げたまま、リリィの前へ半歩出た。
斧を振るにはまだ近すぎない。だが、槍が伸びるには十分に近い。兵の足、槍の握り、白い腕章の者の位置、バランの剣、ベルニーの弓、エイヴァの体重。
全部見る。
リリィの右足は、踏ん張れていない。痛みを隠そうとしているが、膝が少し内側に入っている。押されれば崩れる。
「国境で抜刀とは、なかなか目立つね」
バランが横に並んだ。剣はまだ抜いていない。だが、柄に置いた手は飾りじゃない。
「おまえほどじゃない」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「捨てろ」
「ひどいな」
ベルニーの声が短く飛ぶ。
「来る」
白い扉の線刻が、淡く光った。
扉が開く前から、向こう側で何かが動いている。石の奥を白い線が走り、壁の中へ潜り、門の石組みへ伸びていくのが見えた気がした。見えた、というより、リリィの手に浮いた白線がそれを教えてくる。
リリィが小さく呻いた。
「グロー、手が……」
「握れ」
俺は左手を後ろへ差し出した。リリィの冷たい指が俺の手首に触れる。
細い。震えている。
強く握れば折れる。だから、逃げ場だけは残して押さえる。
白い腕章をつけた者たちが、白い扉の左右へ動いた。国境兵とは違う。動きに迷いがない。兵が俺を止めようとしているのに対し、白い腕章の連中はリリィではなく、扉の線を見ている。
目的が違う。
兵は危険値九十八を止めたい。白い腕章は、リリィを鳴らしたい。
「兵は殺すな。白い腕章を止めろ」
俺が言うと、バランが軽く笑った。
「命令されるのは癪だが、悪くない判断だ」
「癪なら黙って従って」
ベルニーが弓に矢をつがえた。
「味方への言い方ではないね」
「今は味方」
「今は、が余計だよ」
「余計じゃない」
エイヴァが俺の肩で羽を膨らませる。
「仲が良いねえ」
「どこがだ」
「ぴっ」
「普通の小鳥に戻るな。遅い」
兵長が手を上げた。
「危険値九十八を制止! 子供を確認室へ!」
白い手袋の者は、変わらず穏やかに言った。
「乱さないでください。響きが傷つきます」
「傷つけてるのはそっちだろ」
俺は踏み込んだ。
最初の槍が来る。穂先は胸ではなく肩。殺す気はない。止める気だ。
斧の刃ではなく、背で下げる。金属がぶつかり、槍の穂先が石畳を叩いた。兵の体が前のめりになる。俺は柄尻を兵の肩口へ当て、押し込む。骨は折らない。息だけ抜く。
もう一人の槍が横から来た。
バランの剣が、それを弾いた。
派手な音がした。周囲がそちらを見る。腹立たしいくらい目立つ。
「ぼくが三人分くらい目立とう」
「普段通りだな」
「普段のぼくを高く評価しているようで嬉しいよ」
「評価はしてない」
「しているように聞こえたけれど、ねっ!」
「耳まで派手か」
バランが笑いながら二人目の兵を下がらせる。その間に、ベルニーの矢が飛んだ。
白い腕章の男の手元をかすめる。白い札が弾け、石畳に落ちた。
男は怯まなかった。落ちた札を拾わず、壁に触れる。
壁の線がまた光る。
「そっちじゃない」
ベルニーが低く言った。
次の矢は、壁の線へ向いた。
矢尻が白い細線を叩く。硬い音。線が一瞬だけ途切れ、扉の光が揺らいだ。
リリィの手の震えが少し弱まる。
「今のか」
「一本だけ」
ベルニーが答える。
「多い」
「見ればわかる」
「全部撃て」
「矢が足りない」
「金がないみたいな話だな」
「似てる」
似ているか。いや、似ているのかもしれない。
足りないものを数えながら動くのは、どこでも同じだ。
白い扉が半分開いた。
中から冷たい白が漏れる。
光ではない。部屋の奥の石が、静かにこちらを見ているような白さだった。
リリィの手首に、白い線が伸びた。
「いや……」
細い声だった。
俺は振り返らずに言う。
「リリィ、見るな」
「見てない。見てないのに、来る」
白い手袋の者が、ゆっくり言った。
「怖がらなくて大丈夫です。その響きは、迷子を探す灯りになります」
リリィの息が詰まる。
迷子。
言葉を選んでいる。姉とは言わない。名前を言わない。だが、リリィが何を思うかはわかって言っている。
俺の奥歯が鳴った。
「リリィ」
「探したい」
リリィが言った。
俺は一瞬だけ動きを止めた。
兵の槍が来る。俺は足をずらし、柄を滑らせる。槍は俺の脇を抜けて、石畳をこすった。兵の手首を斧の柄で打つ。落とさせる。折らない。
リリィの声が続く。
「探したい。姉さんを、探したい」
「わかってる」
「でも、勝手に使われるのは、いや」
リリィが俺の外套から手を離した。
右足が石畳を踏む。痛みで肩が震えた。それでも引かない。
「わたしが鳴るなら、わたしが決める」
白い手袋の者は小さく首を傾けた。
「子供が自分で響きを選ぶのは危険です」
「選ばせない方が危険だ」
俺は斧の背で白い腕章の男の腕を払った。男が壁から手を離す。だが、別の白い腕章が扉の内側へ下がった。
まずい。
外で止めるだけでは足りない。
「中だ」
俺は言った。
バランが横目でこちらを見る。
「入るのかい?」
「壊す」
「国境の設備を?」
「嫌なら外で目立ってろ」
「嫌ではないね。問題は、ぼくも壊す側が似合いそうなことだ」
「似合うな」
「認めるのが早い」
俺はリリィの手首を取った。逃がさないためじゃない。引きずらないためだ。
「走るな。足を置け。痛かったら言え」
「今、痛い」
「正直でいい」
「褒めた?」
「今は報告でいい」
リリィが、ほんの少しだけ笑った。




