第21話-4◆白い扉
記録係が兵長らしい男に札を渡す。兵長は白い札を見て、俺を見た。
「危険値九十八の同行者は、確認終了まで別室で待機してもらう」
「断る」
「拘束ではありません」
「言葉が違うだけだ」
「では、監視付き待機です」
「もっと悪くなったな」
バランが軽く笑った。
「言い換えが下手だね。役所向きではあるけれど」
兵長がバランを見る。
「あなたも通行札がない以上、確認対象です」
「ぼくは協力的な冒険者だよ」
「協力的な者は、手続きを妨げません」
「それは違うな」
バランの声が、少しだけ変わった。
いつもの明るさは残っている。だが、その奥に硬いものが混じる。剣を抜く直前の音に近い。
「手続きが人を消すなら、止めるのも冒険者の仕事だ」
俺はバランを見た。
「おまえ、今どっちに立ってる」
バランは肩をすくめた。
「見ればわかるだろう。腹立たしい側だ」
「それ、いつも」
ベルニーが言った。
「今はこっち」
短い。
だが、十分だった。
白い手袋の者は、ほんの少しだけ手を上げた。
門の内側、左奥の通路から、別の兵が出てくる。白い腕章をつけている。通常の国境兵とは違う。巡礼団の者なのか、砦の確認係なのか、境目がわかりにくい。
その奥に、扉が見えた。
白い扉だ。
石壁の中にある小さな扉。表面には細い線が刻まれている。井戸底の記録盤を薄くして、壁に貼りつけたような形。線の一部が欠けた翼に似ている。
リリィの手に、白い線が浮いた。
今度は石に触れていない。
「グロー」
リリィの声が震えた。
「変。手が、勝手に」
「見るな。握れ」
俺は自分の左手を差し出した。リリィがそこに手を重ねる。冷たい。細い指が震えている。
俺は強く握り返さない。潰れる。だが、離さない。
エイヴァが肩の上で息をのんだ。
「あれは……小型の反響壁だね。記録盤より狭い。けれど、子供一人なら十分鳴らせる」
「壊せるか」
「アタシが? この体で?」
「無理か」
「無理とは言わないが、今やったら羽毛だけが立派に散るね」
「やめとけ」
「言われなくてもやらないよ。たぶん」
「たぶんをやめろ」
こんな時でも、口が勝手に返す。
返せるなら、まだ動ける。
白い手袋の者がリリィへ向き直った。
「反応が始まっています。早く整えましょう。怖がらなくて大丈夫です。あなたの響きは、誰かを探す灯りになります」
リリィの目が揺れた。
誰か。
言わない。
姉とは言わない。
だからこそ、たちが悪い。
俺はリリィの手を押さえたまま言った。
「名前を言え」
白い手袋の者が首を傾ける。
「どなたの?」
「おまえが灯りで探す誰かの名前だ」
「それは、確認後に」
「なら黙れ」
白い手袋の指が、ほんの少し動いた。
兵長が命じる。
「危険値九十八の同行者を下がらせろ」
兵が二人、前へ出た。
距離は三歩。槍。腰の短剣。左の兵は足が遅い。右の兵は俺の斧を見ている。後ろに記録係。さらに後ろに白い扉。リリィは俺の左。エイヴァは肩。バランは右前。ベルニーはすでに荷車の陰、弓に手をかけている。
殺す必要はない。
音を出さずに二人の槍を外し、扉までの距離を詰めるなら――。
「グロー」
リリィが言った。
俺は止まった。
「わたし、行かない」
「ああ」
「でも、逃げるだけも、いや」
「今は逃げてもいい」
「うん。でも、決めるのは、わたし」
声は震えている。
足も痛いはずだ。手の白線も気持ち悪いはずだ。白い箱の向こうに、姉かもしれないものを感じている。逃げたい。追いたい。助けたい。怖い。
全部、細い体の中にある。
リリィが一歩、前に出た。
右足が石畳に触れた瞬間、顔が小さく歪む。痛いはずだ。逃げてもいい理由なら、いくらでもあった。
それでも、リリィは俺の外套を離した。震える手を胸元に置き、自分の声を探すみたいに息を吸う。
「わたしは、リリィです。反応じゃないです。名前を預けたりしません」
白い手袋の者は黙った。
国境砦の前で、風が止まった気がした。
バランが剣の柄に手を置く。
「聞こえたかな。本人が嫌だと言っている」
「子供は、自分の危険を理解できません」
白い手袋の者の声は変わらない。
やわらかいままだ。
だから、余計に腹が立つ。
「だから大人が整える必要があります」
「違うね」
バランが言った。
「大人は、子供の名前を勝手に棚へしまうためにいるんじゃない」
俺は思わず横目で見た。
「今のはまともだな」
「君に褒められると、調子が狂う」
「褒めてない。報告だ」
「リリィ君の真似かい?」
リリィが小さく目を丸くした。
こんな場面で、ほんの少しだけ空気がゆるむ。バランはそれをわかってやっているのかもしれない。腹立たしいが、役に立つ。
ベルニーが短く言った。
「来る」
白い扉の向こうで、光が走った。
淡い白線が、扉の線刻に沿って浮かび上がる。欠けた翼。欠けた輪。片側のない形。
リリィの手の線が、それに応じる。
エイヴァが羽を逆立てた。
「まずいね。向こうから鳴らしている」
「止める」
「どうやって?」
「決めてから動く」
「珍しく順番がいい」
「うるさい鳥だ」
兵が一歩出た。
俺は斧の柄を握る。
バランが横に並ぶ。
ベルニーの弓弦が、ほとんど音もなく張られた。
白い手袋の者は、白い扉の前に立ち、リリィへ手を差し出す。
「反応を、こちらへ」
リリィの指先に、白い線が浮いた。
俺は斧を抜いた。
刃が柄の留めを離れる音だけで、近くの兵が息を止めた。
国境の門は、町より高い。
だが、門が高いからといって、こちらが黙って測られる理由にはならない。




