第21話-2◆危険値九十八
門前の兵がこちらに気づいた。
鎧は町の門番より整っている。槍の持ち方も、立ち位置も悪くない。手順で働く兵だ。雑な脅しだけで動く相手ではない。
「次。通行札を」
俺は冒険者登録証を出した。
兵はそれを見て、俺を見上げた。豚鼻顔、牙、斧、鎖帷子、右耳の欠け。慣れている視線だ。三差路の町でも、宿場でも、砦でも何度も見た。
ただ、国境の兵は顔をしかめるだけでは終わらなかった。
「ネームド魔物のオーク。冒険者登録あり。同行者、エルフの子供一名。獣魔一羽」
「一羽は余計だ」
「登録上は獣魔です」
「小鳥前で数えろ」
「何ですか、それは」
「俺も知らん」
兵が一瞬だけ困った顔をした。
リリィが横で小さく笑いかけ、すぐ口を押さえる。エイヴァは肩の上で「ぴっ」と鳴いた。普通の小鳥のふりをしつつ、明らかに俺を馬鹿にした鳴き方だ。
別の兵が石の台を指した。
「確認台に手を。危険値を測ります」
やっぱりな。
台は門の脇に置かれていた。三差路の町の測り石より小さい。だが、石の表面に走る線は細かい。新しく刻み直した線と、古い線が混じっている。端には金属の枠があり、札を差し込む穴がある。
ただの入場確認ではない。
記録するための石だ。
俺は手を置いた。
石が熱を持つ。
赤い筋が走った。兵の目が鋭くなる。金属枠の中で札が跳ね、低い音が三度鳴る。周囲の列の声が少し落ちた。
「危険値、九十八」
近くの商人が、荷車の手綱を引いた。
子供を連れた女が列から半歩下がり、若い兵の槍先がわずかに震える。
ただ、年嵩の兵だけは声を上げなかった。驚いていないのではない。驚いたあとに、手順へ戻る訓練をされている顔だった。
「知ってる」
「国境通行には、保証人または特別通行札が必要です」
「ない」
「では通常通行はできません」
「白い布の連中は?」
兵の眉が少し動いた。
「正式な保護巡礼団です。通行札があります」
「便利な布だな」
「ここでの皮肉は記録に残ります」
「なら書け。白い布は便利だ」
リリィが小さく俺の袖を引いた。
「グロー」
「わかってる」
俺は手を離した。石の赤い筋はしばらく残り、ゆっくり沈んでいく。
兵は次にリリィを見た。
「子供も確認します」
「必要か」
「同行者全員です」
「獣魔もか」
「獣魔は登録確認のみで構いません」
エイヴァが「ぴるる」と可愛く鳴いた。
ずるい。こういう時だけ一番楽をする。
リリィは確認台の前へ出た。右足を少しかばう。兵の一人がそれに気づき、手を出しかけた。
俺はその間へ立つ。
「触るな」
兵の手が止まった。
「支えるだけです」
「要らん」
「グロー、だいじょうぶ」
「だいじょうぶなら、自分で立て」
「立ってる」
「ならいい」
リリィは少しだけむっとしてから、自分で石に手を置いた。
淡い光が浮いた。
危険値そのものは低い。三差路の町と同じだ。小柄なエルフの子供。武器もない。数字だけなら、門は通れる。
だが、石の光は消えなかった。
リリィの手の下で、白い線が一本浮く。
欠けた翼。あるべき片側を失った輪。読めない古い紋様。
兵たちが顔を見合わせた。
「白線反応」
「子供札を」
「別確認だ」
言葉が短く飛ぶ。
誰も意味を説明しない。知っている顔ではない。ただ、手順がある顔だ。わからないものを、わからないまま次の札へ回す。三差路の町より、ずっと整っている。整っているぶん、止めにくい。
記録係が白い木札を取り出し、炭筆ではなく細い金属筆で何かを書いた。
「危険値低。白線反応あり。耳長の子供。同行、危険値九十八のオーク。獣魔一羽」
「名前を書け」
俺は言った。
記録係が顔を上げる。
「反応記録には識別情報を――」
「名前を書け」
声が低くなった。
槍の穂先が少しだけこちらを向く。周囲の列がまた静かになる。俺は動かない。斧にも触れない。ただ、リリィと記録係の間に立った。
「こいつは反応じゃない。リリィだ」
リリィが息を吸った。
小さな手が、自分の胸元を押さえる。
「……リリィです」
声は震えていた。
でも、言った。
記録係は少し困った顔をして、札の端へ小さく書き足した。
「名、リリィ」
「端じゃなく真ん中に書け」
「規定欄が」
「なら欄が悪い」
兵が一歩出た。
「通行者、下がってください」
「下がる理由がない」
「危険値九十八の者が記録台周辺で圧力をかけています」
「まだかけてない」
「今ので十分です」
「便利な十分だな」
リリィが石から手を離した。白い線が細く消える。だが、札には残った。記録係の手元に、白い木札がある。
エイヴァが俺の耳元で小さく言った。
「グロー。札の行き先を見るんだ」
「見てる」
白い札は、通常の通行札の束には入らなかった。
門の内側、左奥の小さな通路へ回された。白い布の列が通っていく方向と同じだ。
腹がさらに冷える。
その時、門前の空気が変わった。
白い巡礼団の列が、こちらのすぐ横を通る。
先頭の大人は白い手袋をしていた。手袋の甲に、銀糸の欠けた翼。顔は頭巾で見えない。声は穏やかで、兵に向けても丁寧だ。
「保護巡礼、三名。荷一つ。国境確認済みです」
「札を」
「こちらに」
兵は札を見て、すぐ頷いた。
荷車の覆いが風で少しだけめくれる。
白い箱の角が見えた。
木でも鉄でもない、白い何か。表面に細い線が入っている。鳴り砂の谷で見た白い箱と、同じような冷たさがあった。
リリィの手に、白い線が浮きかけた。
「見るな」
俺はリリィの手首を軽く押さえた。
強く握らない。逃げようとしたら止められる程度。本人が痛いと言えばすぐ離せる程度。
リリィは震えたまま、目をそらした。
「向こうに、何かある」
「あるかもしれないな」
「姉さんかも」
「断定するな」
「……うん」




