第20話-1◆作業だ
子供は、思っていたより軽かった。
白い外套ごと抱えているのに、腕に重さが乗らない。荷袋の方がまだ重いくらいだ。震えているせいで、余計に小さく感じる。
俺はその子を抱え直し、足元の岩を確かめた。
白い砂の上は歩かない。踏めば鳴る。さっきまで散々、こいつに足を取られた。
ベルニーが少し先を行く。岩の出っ張りに足を置き、次の足場を短く確かめてから、指で合図を出す。右。止まれ。低く。砂を避けろ。
言葉は少ないが、わかりやすい。
バランは二人目の子供を抱えていた。
普段なら「子供を抱えるぼくも絵になる」とでも言いそうな顔をしていたが、今は言わなかった。腕の中の子供が、鈴を握ったまま震えているからだろう。
言いかけた口を閉じたのが見えた。
少しは空気を読むらしい。
「足は」
俺は後ろを振り返る。
リリィは片足をかばいながら、岩の上を歩いていた。右足は靴を履き直したが、足裏に細い傷がある。布を噛ませても、痛みは消えない。
それでも、顔を作る前に答えた。
「痛い。歩けるのは、少し」
「よし。少しでやめろ」
「うん」
返事は素直だった。
だが、足はまだ進もうとしている。
「少しの終わりはこっちで決める」
「……うん」
「不満そうだな」
「少しだけ」
「正直でいい」
リリィは小さく口を尖らせた。怖い顔よりはましだ。
エイヴァは俺の荷袋の上で丸くなっている。さっきまで子供たちを誘導するために飛んでいたせいで、羽がしぼみきっていた。白い丸い小鳥というより、少し濡れた綿みたいだ。
「鳥、起きてるか」
「……年寄りに過酷な道を歩かせるんじゃないよ」
「歩いてないだろ」
「心が歩いている」
「便利な疲れ方だな」
「君の言葉は相変わらず硬いねえ」
そう言いながら、エイヴァは顔だけを子供たちへ向ける。子供の一人が小鳥を見て、ほんの少しだけ目を動かした。
エイヴァは眠そうな顔のまま、「ぴ」と鳴いた。
普通の小鳥だ。
さっき裂け目の奥で白い手袋の者に声を聞かれたばかりだ。今は子供たちの前でも、外でも、喋りすぎない方がいい。
ベルニーが先で止まった。
「ここ」
岩が重なった窪みだった。
谷の壁が少しえぐれ、灰色の岩が獣の肋骨みたいに斜めへ重なっている。風は通るが、白い砂は入り込みにくい。足元には黒っぽい砂が薄く混じり、踏んでも音がぼやけた。
安全とは言えない。
だが、谷の中では息を潜められる場所だった。
「鳴りにくい」
ベルニーが言う。
「安全か」
「少し」
「そればっかりだな」
「ここでは上等」
「違いない」
俺は抱えていた子供を、窪みの奥の岩陰に下ろした。
その子は膝を抱えようとして、まだ鈴を握っていることに気づき、手を固めた。離していいのか、握っていなければならないのか、わからない顔だ。
白い外套の下で、細い肩が小刻みに震えている。
「水」
俺が言うと、リリィがすぐに水袋を出した。
自分の分も残り少ない。だが、迷わず子供へ差し出す。
「少しずつ」
リリィの声はやわらかかった。
子供は水袋を見たあと、リリィの顔を見る。長い耳。白線の残る手。自分と同じように測られた何かを感じたのかもしれない。
リリィは水袋を持ったまま、急かさず待った。
子供が、ほんの少し口をつける。
水が唇に触れた瞬間、子供の目がゆっくり開いた。飲み方を思い出すみたいに、一度だけ喉が動く。
「よし」
俺が言うと、リリィがこっちを見た。
「この子にも?」
「飲めたからな」
リリィは少しだけ笑った。
バランも子供を下ろした。抱かれていた子は、バランの袖を離さなかった。あの派手な男のどこが安心材料になったのかはわからない。
バランも困った顔をしている。
「ええと、離しても大丈夫だよ。ぼくは逃げない」
子供は離さない。
ベルニーが短く言った。
「しゃがんで」
「ぼくが?」
「高い」
「ああ、そういうことか」
バランは膝をついた。子供と目の高さが近くなる。派手な金髪も、磨かれた装備も、少しだけ威圧感が薄れる。
子供の手が、ようやく袖から離れた。
バランは小さく息を吐いた。
「……これは、剣より難しいね」
「今は、かなり役に立った」
ベルニーが言った。
バランが顔を上げる。
「今のはちゃんと嬉しいね」
「事実」
「君の事実は、たまに優しい」
「たまに」
「そこは否定しないんだ」
いつものやり取りに戻りかけて、バランは子供の様子を見て声を落とした。
いい判断だ。
俺は三人目の子供を見る。
首から下げていた白い記録札は、さっき紐を切って外した。札がなくなったからといって傷が消えるわけではない。それでも、子供はさっきより少しだけ呼吸が深くなっている。
鈴を持たされた子は、まだ鈴を握っている。
無理に取ると怖がる。
「その鈴、置けるか」
俺が聞くと、子供はびくっと肩を揺らした。
言い方が硬かった。
リリィが横から声をかける。
「持っててもいいよ。今は鳴らさなければいい」
子供はリリィを見る。
「鳴ったら……戻る」
「戻らない」
リリィはすぐに言った。
そして一瞬、俺を見た。
確約していいか、迷った目だ。
俺は短く言う。
「今ここでは、戻さない」
リリィは頷いた。
「今ここでは、戻さない」
子供はその言葉を繰り返すように唇を動かした。
鈴を握る指が、少しだけゆるむ。
エイヴァが荷袋の上で丸くなりながら、眠たげに言った。
「約束の形を小さくしたね」
「大きいのは持てん」
「悪くない」
「褒めたか」
「半分ね」
「腹は立たないな」
「珍しいこともあるものだ」
リリィが子供たちを見ていた。
救えたのは三人。
奥には、もっといた。
白い箱も逃げた。
白い手袋の者も逃げた。
子供たちを見ているリリィの顔は、泣きそうというより、何を泣けばいいのかわからない顔だった。
「グロー」
「ああ」
「この子たちは、助かりますよね」
来ると思っていた。
けれど、言われると重い。
リリィは俺を見上げる。
「助けるって、言ってください」
「言わん」
リリィの顔が少し傷ついた。
「どうして」
「言うだけなら簡単だからだ」
「……じゃあ、何をするの」
「水を飲ませる。足を見る。追手を避ける。預け先を探す。今できることをやる」
リリィは黙った。
怒っているのではない。考えている。
俺は続けた。
「全部助かるとは言えん。白い連中が来ないとも言えん。国境の向こうに何があるかもわからん」
「うん」
「だから約束はしない」
リリィの目が揺れる。
俺は子供たちを見た。
「ただ、今日ここで死なせない。白い巡礼団にそのまま戻さない。名前を言えないからって、荷物扱いはしない」
言ってから、少し言葉が多かった気がした。
エイヴァが何か言いたそうにくちばしを開いたが、珍しく黙った。
リリィは膝の上で手を握った。
「それは、約束じゃないの?」
「作業だ」
「作業……」
「約束より、手が動く」
リリィは少しだけ目を伏せた。
「グローらしい」
「悪いか」
「ううん。少し、安心した」
それならいい。




