第19話-3◆こっち
俺は手を伸ばし、その子を引き上げる。軽い。リリィよりさらに軽い。白い外套の中で、体が震えている。
「名前は」
俺が聞きかけると、子供はびくっとした。
聞くべきではなかった。
「今はいい」
俺は言い直した。
「息をしろ」
子供は口を開け、小さく息を吸った。
リリィが隣にしゃがむ。
「だいじょうぶ。今は名前、言わなくていい」
子供の目が、頭巾の影からリリィを見た。
リリィは自分の手の白線を隠さなかった。
「わたしはリリィ。今は、それだけ」
子供の指から、鈴が少しだけ離れた。
二人目が動いた。
今度は少し大きい子だ。足元がふらつく。白い飴の匂いが濃い。
エイヴァが岩から岩へ飛ぶ。
羽がしぼんでいる。無理をしている。だが、子供の目は白い小鳥を追った。
バランが左でまた音を出す。
今度は少し大きすぎた。
白い手袋の者の鈴が、それを拾う。
「そちらは、よく目立ちますね」
「ぼくの長所だ!」
バランの声が返る。
その直後、バランの足元の砂が一斉に鳴った。
しまった。
敵に位置を読まれた。
白い影が二つ、バランの方へ動く。
ベルニーが矢を放った。
一人の足元。もう一人の手元。殺さない。止めるための矢だ。
バランは笑いながら後ろへ下がる。
「いいね、ベルニー!」
「喋るな」
「はい」
素直だ。よほど危ないのだろう。
二人目の子供を俺が抱き上げる。
軽い。鈴を握る手に力が入りすぎて、指が白い。俺が無理に外そうとすると怖がる。だから、鈴ごと抱えた。
「鳴らすな」
言ってから、きつすぎたと思った。
子供が震える。
リリィがすぐに言った。
「だいじょうぶ。鳴っても、こっちにいるから」
俺は子供を岩の陰へ下ろした。
三人目。
頭巾がずれ、長い耳が少し見えた。
リリィの息が止まる。
俺は先に言った。
「断定するな」
「……うん」
リリィは唇を噛んだ。
その子はリリィより少し大きい。だが、オリビアではない。少なくとも、リリィがすぐに名前を呼ばない程度には違う。
それでも、長い耳はリリィの足を止めた。
白い手袋の者が奥で言う。
「探している響きに似ていますか」
「黙れ!」
リリィが叫んだ。
砂が鳴った。
白線が浮く。
俺はすぐ縄を引いた。
リリィは自分で戻った。叫んだあと、すぐに口を押さえている。
「ごめん」
「戻れた。よし」
俺は短く言って、三人目へ手を伸ばす。
長耳の子は、鈴を持っていなかった。代わりに、白い札が首から下がっている。文字ではない。黒い点と、欠けた輪。
その子は声を出さず、唇だけ動かした。
「くに、ざかい」
リリィの顔が凍った。
「今、何て」
子供はもう一度言おうとして、白い飴の匂いに咳き込んだ。
その奥で、白い箱が動いた。
黒砂地の向こう。大人二人が担いでいる。小型の箱だ。白布で覆われ、側面に欠けた翼の印がある。
白い手袋の者が、その横へ下がっていく。
逃げる気だ。
俺は踏み出しかけた。
腕の中には子供。
背中側にはリリィ。
足元には鳴る砂。
追えない。
喉の奥が焼けるようだった。
あの箱に、国境への手掛かりがある。リリィが探してきたものに近づく道も、たぶんあそこにある。
だが、足元には震える子供がいる。
追えば、ここにいる子供を置くことになる。
白い手袋の者は、それをわかっている。
「良い付き添いです」
声が、甘く冷たく響いた。
褒められたのではない。値をつけられた。
その口を黙らせたいと思った。斧では遠い。手でも届かない。だから、なおさら腹に残る。
「おまえの相手はあとだ」
「あとがあるとよいですね」
リリィが一歩前へ出ようとした。
俺は縄を引く。
「だめだ」
「でも、箱が」
「だめだ」
「国境って」
「まだ断定するな」
白い手袋の者が、黒砂地の奥で立ち止まった。
顔はまだ見えない。
白い手袋と、銀糸の欠けた翼だけが見える。
「片側の灯りは、もう国境の向こうで整えられています」
リリィの呼吸が止まった。
俺は即座に言った。
「聞くな」
「でも」
「敵の言葉で、餌だ」
「……うん」
リリィは頷いた。
頷いたが、目は揺れている。
白い手袋の者は、少しだけ首を傾げたようだった。
「餌とは乱暴ですね。私たちは、欠けたものを整えているだけです」
エイヴァが低く言った。
「その言い方、昔から嫌いだよ」
白い手袋の者の動きが止まる。
「小鳥」
「ぴるる」
エイヴァは急に普通の小鳥のふりをした。
遅い。
だが、向こうはそれ以上追及しなかった。かわりに、白い箱の方へ手を向ける。
鈴が一度鳴る。
ちりん。
黒砂地の奥が歪んだように見えた。
音が吸われる。
白い箱と白い手袋の者が、岩の影へ消えていく。
ベルニーが矢を放った。
矢は届いた。
だが、黒砂地の上で音もなく落ちた。まるで、見えない布に包まれたように勢いを失う。
「届かない」
ベルニーが悔しそうに言った。
珍しい声だった。
バランが岩場から戻ってくる。服に砂がついている。頬にも切り傷があった。だが、笑っていた。
「追うかい?」
「追わない」
俺は子供を抱えたまま言った。
「追えない、だな」
「そうとも言う」
バランは一瞬だけ白い箱が消えた方を見た。
いつもの軽口は出なかった。
俺たちの周りには、三人の子供がいた。
震えている。
鈴を握っている。
白い外套を着せられ、深い頭巾で耳や顔を隠されている。
三人。
全部ではない。
奥にはもっといた。
白い箱も消えた。
白い手袋の者も逃げた。
だが、ゼロではない。




