第18話-3◆いち、に
笑ったあと、すぐに裂け目を見た。
奥から、また音。
ちり。
りん。
その後に、今度は別のものが聞こえた。
声だ。
小さい。谷の壁に削られて、言葉の輪郭だけがこちらへ届く。
「……いち」
リリィが動きかけた。
俺は肩に手を置く。
「まだだ」
リリィは止まった。
奥から、また声。
「……に」
子供の声だった。
かすれている。怖がっているのか、飴のせいで声が抑えられているのか、そこまではわからない。
さらに奥から、大人の声。
穏やかだった。
「三つまで数えたら、いい子です」
リリィの手が震えた。
俺の肩の上で、エイヴァの羽が逆立つ。
バランの顔から軽さが消える。ベルニーはすでに弓を構えていた。だが、射る相手は見えない。
「……さん」
子供の声。
続いて、鈴。
ちりん。
谷の砂が薄く震えた。
リリィの手の白線が浮かびかける。
「リリィ」
「聞こえた」
「ああ」
「子供です」
「たぶんな」
「たぶんじゃない」
リリィがこちらを見た。
目が濡れていた。けれど、泣いてはいない。
「子供です」
俺は少し黙った。
断定するな、と言うのは簡単だ。
だが、今の声は俺にも子供に聞こえた。
それを否定すれば、リリィは俺の言葉を信用しなくなる。正しさで縛るだけでは、ここでは足りない。
「わかった」
俺は言った。
「子供の声だ。だが、誰かはわからん。何人いるかもわからん。敵が聞かせている可能性もある」
リリィは唇を噛んだ。
「うん」
「それでも行くか」
「行く」
早かった。
怖い顔で、早かった。
俺は頷いた。
「なら、条件を増やす」
「まだ増えるの?」
「増える」
エイヴァが小さく笑った。
「いいねえ。彼は条件で愛情を表現するからね」
「鳥は黙ってろ」
「今のはいい解説だろう」
「悪い」
リリィは少しだけ頬をゆるめた。
俺は指を折る。
「痛いと言う」
「言う」
「怖いと言う」
「言う」
「変だと思ったら止まる」
「止まる」
「名前を呼ばれた気がしても進まない」
「進まない」
「俺が引いたら戻る」
「戻る」
「飯を残さない」
「食べた」
「次もだ」
「次も?」
「生きて戻れば食う。だから条件だ」
リリィは一瞬ぽかんとした。
それから、少しだけ笑った。
「それ、作戦の条件?」
「一番大事だ」
「急に生活感だねえ」
エイヴァが言う。
「一番効く」
俺は返した。
バランが腕を組んで頷く。
「なるほど。帰って食べるところまで作戦に含めるわけだ。いいじゃないか。ぼくも嫌いではない」
「おまえも勝手に死ぬな」
バランが目を丸くした。
「今、ぼくの心配を?」
「高い縄が惜しい」
「照れ隠しがひどい」
「本音だ」
「本音ならもっとひどい」
ベルニーが静かに言った。
「死なないで」
バランの顔から、ふざけた表情が落ちた。
ほんの一瞬だ。
次にはもう笑っていた。
「もちろん。ぼくがいなければ、誰がこの陰気な谷に華を添えるんだい」
「華はいらん」
俺が言うと、リリィとエイヴァがほぼ同時に小さく笑った。
ベルニーも、ほんの少しだけ目元をゆるめた気がした。
それで十分だった。




