第18話-2◆囮
俺はリリィの靴をもう一度見た。
「足、出せ」
「また?」
「まただ」
「ごはん食べながら?」
「食いながらでいい」
リリィは黒パンを持ったまま足を出した。
俺はかかとの布を確認する。まだ少し浮く。裂け目の入口は狭く、岩も砂もある。足が遊べば、すぐ鳴る。鳴るだけならまだいい。転べば引き戻す前に砂を広く踏む。
布を一枚足す。
「きついか」
「少し」
「痛いか」
「痛くはない」
「変なら言え」
「変」
「今か」
「ちょっと、きついのと痛いのの間」
「それを早く言え」
「今言いました」
俺は布を少しずらす。
バランが感心したように覗き込んだ。
「君、子供の靴係が板についてきたね」
「斬るぞ」
「今のは褒めたんだが」
「褒め方が悪い」
ベルニーが言った。
「グローも似てる」
「どっちに言った」
「両方」
バランは笑い、俺は黙って紐を締めた。
リリィが小さく足を動かす。
「今度はいい」
「歩く前に言えた。よし」
リリィは少しだけ嬉しそうにして、それをごまかすように黒パンをかじった。
食べ終える頃には、谷の音が少し変わっていた。
ちり。
りん。
間が短くなっている。
右の裂け目の奥から、音が返るたびに白い飴の匂いが濃くなる。まるで、裂け目そのものが息をしているみたいだった。
ベルニーが先に反応した。
「奥。近い」
全員の視線が裂け目へ向く。
暗い。細い。荷車は無理だ。大人も横向きでなければ通れない場所がある。子供なら通れる。連れて行くには都合がいい。
俺は嫌な想像を頭から追い出した。
想像で動くな。
見たものと聞いたもので決めろ。
「作戦を決める」
俺は言った。
バランが剣の柄から手を離し、わざとらしく姿勢を正す。
「ようやく、ぼくの華麗な出番だね」
「地味にやれ」
「出番の前に翼を折られた気分だ」
「翼なら、ここでは縁起が悪い」
そう言うと、バランは一瞬だけ口を閉じた。
軽口の切れ目。
こういうところで、ただの馬鹿ではないのがわかる。
エイヴァが俺の手から岩へ移り、裂け目の入口を見た。
「鳴りを完全に消すのは無理だね。むしろ消そうとすると、不自然に空白ができる。向こうがそれを聞けば、かえって気づく」
「じゃあ、どうする」
「小さく、決めた形で鳴らす」
エイヴァはくちばしでリリィの手を示した。
「リリィは昨日みたいに踏ませない。まず、白線の揺れを整える。鳴らすなら一度。短く。怖くても、勝手に次を踏まない」
「うん」
リリィは真剣に頷いた。
俺は縄を出した。
「俺は後ろで持つ。引いたら戻る。抵抗するな」
「しません」
「名前を呼ばれた気がしても進むな」
リリィの肩が小さく揺れた。
だが、今度はちゃんと答えた。
「進まない」
「声が聞こえても?」
「進まない」
「オリビアに似ていると思っても?」
リリィの顔から血の気が少し引いた。
言いたくはなかった。
だが、言わないといけない。
この裂け目は、リリィの欲しいものを鳴らす。そういう場所だ。こちらが嫌なことを言う前に、向こうが優しい声で言ってくるかもしれない。
リリィは両手を握った。
「……進まない。グローが引いたら、戻る」
「よし」
今度の「よし」は、少し重かった。
リリィもそれをわかった顔をした。
バランが手を上げる。
「ぼくは?」
「別の場所で一度だけ鳴らせ」
バランの目が輝いた。
「陽動だね」
「派手にするな」
「陽動を派手にしないとは、なかなか難しい注文だ」
「できなければ、やらせない」
「できるとも」
バランは胸を張った。
「ぼくは必要なら、控えめに輝くこともできる」
「控えめな輝きって何だ」
「高級な灯り」
「見えたらだめだ」
ベルニーが短く言った。
「音も大きすぎたらだめ。二つ離れた岩場で、一度。剣の鞘で石を叩く。砂は踏まない」
「ぼくが砂を踏まずに音だけ出す」
「そう」
「地味だ」
「大事」
ベルニーの声は短いが、そこに少しだけ温度があった。
バランはそれに気づいたのか、肩をすくめただけで文句を止めた。
「任されたなら、やるさ」
「任せたわけじゃない。必要だから使う」
俺が言うと、バランはにやりとした。
「君のそういうところ、嫌いではないよ」
「俺は嫌いだ」
「自分を?」
「その返しだ」
リリィが小さく笑った。




