第02話-2◆小鳥を担保に
リリィが黒パンを両手で受け取った。うれしいのを隠そうとして、口元が少しだけ上がっている。
「落とすなよ」
「落としません」
「転ぶなよ」
「まだ転んでないです」
「今日も言うのか」
「言われたので」
その時、店主の視線がエイヴァで止まった。
リリィの肩で、エイヴァがこれ以上ないくらい無害な小鳥顔をしている。丸く、白く、首をかしげ、何も知らない森の小鳥みたいに。
店主の目が商人の目になった。
「その鳥、珍しいな」
エイヴァの羽が一枚だけ立った。
リリィが肩を少し引く。
「エイヴァは売り物じゃありません」
「売れとは言ってないさ。担保だよ」
「たんぽ?」
リリィが俺を見る。
まずい。知らない言葉を真面目に受け取る顔だ。
「借りの代わりに預ける物だ」
「預ける……」
「戻せば返る、はずのものだ」
「はず、なの?」
「商人次第だ」
店主が笑った。
「ひどい言われようだな。いや、こっちも鬼じゃない。白い小鳥は縁起物だ。そいつを半日預けるなら、パンをもう二つ、干し肉少し、ついでに靴も見せてやる」
リリィの視線が、吊るされた子供靴へ跳ねた。
一瞬だ。
だが、俺には見えた。
「だめだ」
俺はすぐ言った。
リリィもすぐ頷く。
「だめです。エイヴァは置いていきません」
いい返事だ。
エイヴァは肩の上で胸を張りかけた。だが、その途中で止まった。店の奥、そのさらに後ろへ視線が行っている。
露店の裏には、荷置き用の小屋がある。粗末な板壁。だが、壁の向こうに石造りの建物の一部が見えた。町役場の裏口だろう。そこへ、担保品や預かり札を運ぶ小僧が出入りしている。
エイヴァの目が細くなった。
嫌な予感がした。
「おい」
「グロー」
「言うな」
「まだ何も言ってないだろう」
「顔が言ってる」
「小鳥の顔でそこまで読むんじゃないよ」
エイヴァはリリィの肩から、露店の台へぴょんと降りた。
店主が目を丸くする。
「おお、慣れてるな」
「ぴっ」
エイヴァは完璧に鳴いたあと、俺たちにだけ聞こえる声で言った。
「担保になってやろうじゃないか」
リリィの顔から血の気が引いた。
「だめ!」
声が思ったより大きく出た。周囲の客が見る。リリィ自身も驚いたように口を押さえた。
俺は店主の手首を見た。細い。折るのは簡単だ。
「鳥、冗談でもそれは言うな」
「冗談ならもっと面白く言うよ。あの裏、町役場の保管室につながってる。さっきから担保札を持った小僧が出入りしているだろう」
「だから何だ」
「あの石板の日報も、同じ裏口から入る」
俺は店主を見た。店主は俺たちの小声までは聞こえていない。ただ、小鳥がやけに大人しく台に乗っているので値踏みしている。
リリィは首を横に振った。
「いやです。エイヴァを置いていくのは、いや」
「置いていくんじゃない。預けるだけだよ」
「同じです」
「違うね。アタシは自分で入って、自分で見て、自分で戻る」
「でも、かごに入れられる」
「小鳥だからねえ」
「エイヴァは小鳥じゃない」
「今は小鳥だよ」
リリィの目が潤みかけた。
俺はエイヴァをつまみ上げようと手を伸ばした。エイヴァは半歩だけ下がる。小さいくせに逃げ足は速い。
「やめとけ」
「君は町に入れない。リリィを一人で役場裏に行かせるのは危ない。アタシなら鳥籠一つで入れる」
「捕まったら?」
「鳥籠に入る」
「出られなかったら?」
「君が壊す」
「最初から壊すぞ」
「だから面倒なんだよ、君ってのは」
エイヴァの声は軽い。だが、目は笑っていなかった。
昨日の石板。欠けた翼の紋様。日報。役場裏。
確かに、見る価値はある。
だが、小鳥を担保にする話を納得するには、俺の気が短すぎる。
「時間を決める」
俺は低く言った。
リリィが俺を見た。
「グローさん」
「三十分だ。それを過ぎたら店を壊す」
「店を壊す前提なのはおやめ」
エイヴァが言う。
「三十分じゃ短い。役場裏まで運ばれて、札を確認して、戻るなら一時間はいる」
「三十分」
「せめて一時間半」
「三十分」
「交渉になってないだろう」
「なってる。俺が譲ってないだけだ」
リリィが小さく息を吸った。
「……わたしも、見ます」
「何を」
「担保札。エイヴァがどこに運ばれるか、札に書くなら、わたしが覚えます」
声は震えている。でも、目は台の上のエイヴァではなく、店主の手元を見ていた。
「置いていくのはいやです。でも、何もしないのもいやです」
エイヴァが一瞬黙った。
俺は右耳の欠けをかく。
こういう時、子供の言葉は面倒だ。正しいことを、危ない形で言う。
「勝手に動くな」
「はい」
「泣くな」
「泣いてないです」
「泣きそうだ」
「それは、まだです」
「まだか」
俺はため息を飲み込んで、店主へ向き直った。
「担保だ」
店主の顔が明るくなる。
「話がわかるじゃないか」
「条件がある」
「何だ?」
「鳥籠はこっちが見る。乱暴に扱うな。羽一本抜けたら、おまえの歯を同じ数だけ抜く」
店主の笑顔が固まった。
「冗談だよな?」
「数えやすくていいだろ」
リリィが俺の袖を引いた。
「グローさん、歯は生えかわりますか?」
「大人は無理だ」
「じゃあ、だめです」
「羽もだめだ」
「それは、そう」
店主が変な顔をした。エイヴァが台の上で肩を震わせている。笑っているな。
「担保札を出せ」
俺が言うと、店主は奥から小さな木札と鳥籠を持ってきた。鳥籠は古いが、壊れてはいない。細い留め具が外側に一つ。内側からでも、器用なやつなら触れそうだ。
エイヴァは自分から鳥籠へ入った。
リリィが両手を握りしめる。
「エイヴァ」
「そんな顔をするんじゃないよ。丸い小鳥が少し籠に入るだけさ」
「丸いって、自分で言った」
「そこを拾うんじゃない」
リリィは唇を噛んだ。泣きそうな顔のまま、でも目をそらさない。
店主が木札に炭筆で書きつける。
白小鳥一羽。担保。パン二。干し肉少。靴見せ。預け先、裏二番棚。
リリィの目が札の上を走った。
エイヴァも鳥籠の中で首をかしげる。普通の小鳥のふりをしながら、文字を読んでいる。
店主はパン二つと干し肉を足し、子供靴を台へ置いた。
「半日だ。夕方までに銅貨三枚持ってこい。なければ鳥は流す」
俺は店主の襟をつかんだ。
持ち上げはしない。まだ。
「三十分と言った」
「言ってねえよ!」
「言った」
「聞いてねえ!」
「今聞いたな」
店主の顔が青くなる。
リリィが慌てて俺の袖を引いた。
「グローさん、三十分だとエイヴァが見る時間が」
「……一時間」
俺は店主を離した。
「一時間で戻る。鳥は流すな。籠を別の場所へ移すな。飯をやるな。変なものを食わせるな」
「飯もだめなのかよ」
「こいつは勝手に食う」
鳥籠の中から「ちちっ」と抗議が来た。
店主は小僧を呼び、鳥籠と担保札を渡した。
小僧は十二、三くらいか。リリィよりは大きいが、まだ子供だ。役場裏へ慣れた足取りで向かう。俺たちは露店の脇、役場裏が見える場所へ移った。
リリィは靴を抱えている。まだ履いていない。履く気にもなれない顔だ。
「履け」
「でも」
「足が痛いだろ」
「……エイヴァが戻ってから」
「靴は逃げない」
「エイヴァは?」
「戻す」
短く言うと、リリィは俺を見上げた。
俺が言葉を選びそこねる前に、エイヴァの籠が役場裏の戸をくぐった。
白い小鳥は首をかしげ、最後まで普通の小鳥の顔をしていた。
戸が閉まる。




