第15話-2◆片側
リリィが拳を握った。
「泣いてないんじゃない」
「何だ」
「泣けないんだと思う」
その言葉は、小さかった。
だが、俺の腹にはよく届いた。
白い手袋の代表が、三人目の子供を壁の前へ立たせた。
「ひとつ」
壁がまた震える。
「ふたつ」
白い線が細く光る。
「みっつ」
代表は少しだけ首を傾けた。
「この子は、こちらへ」
白い巡礼団の大人が、その子を列の後ろではなく、荷車側へ連れていく。
ベルニーの目が動いた。
「反応した子だけ、荷車」
「見えたか」
「うん」
ベルニーはそれだけ言って、視線を別の荷車へ移した。
バランが小声で言う。
「今すぐ止めたいところだね」
「止めるな」
ベルニーが即座に言った。
「わかっているよ」
「今の顔はわかってない」
「顔まで読まれると困るな」
バランは笑おうとして、うまく笑えなかった。子供の列を見ているからだ。
白い手袋の代表がこちらを向いた。
「次に、昨夜保留となったお子さんを」
リリィの肩が強く跳ねた。
兵がこちらを見る。砦番も見る。記録係がリリィの木札を手に取る。
「耳長の子供。白線反応あり」
「名前で呼べ」
俺は言った。
代表は穏やかに目を細める。
「確認前の名は、まだ整っていません」
「整えるな。こいつはリリィだ」
リリィが俺を見た。
怖い顔をしている。けれど、逃げる顔ではない。
リリィは一歩だけ前へ出た。
「……リリィです」
小さな声だった。
けれど、壁の前に届いた。
「わたしは、リリィです」
白い手袋の代表は、一瞬だけ黙った。
本当に一瞬だ。すぐに柔らかな笑みに戻る。
「では、リリィ。こちらへ」
俺はリリィの前から動かない。
兵の槍が少し上がる。バランが動きかけた。ベルニーがその袖をつかむ。
リリィが俺の外套を離した。
「グローさん」
「ああ」
「行きます」
「俺の左から離れるな」
「はい」
「布は外さない」
「うん」
代表が白い手袋をゆっくり広げた。
「構いません。響きは布を嫌いませんから」
「言い方が気に入らん」
「響きは、正直です」
「人は正直じゃないことが多い」
「そうですね」
代表は笑った。
認めるな。腹が立つ。
リリィは壁の前に立った。俺はその横に立つ。兵は緊張している。記録係は白い箱を少し開けた。エイヴァはリリィの肩から俺の肩へ移った。敵前で喋らないためだろう。だが、くちばしが固く閉じられている。
「三つ数えましょう」
代表が言う。
リリィは唇を結んだ。
「数えなければだめですか」
「数えると、怖くありません」
「怖いです」
代表の笑みが微かに揺れた。
リリィは続けた。
「でも、数えます」
俺は思わず片目を細めた。
「先に言えと言ったら、本当に先に言うようになったな」
「言われたので」
「いい」
リリィは壁へ布を巻いた手を近づけた。
「ひとつ」
壁が鳴った。
今までの子供たちとは違う。
昨日、外郭の石壁から返ってきた、あの遅い音だ。今度は音だけじゃない。壁の奥、古い石の継ぎ目まで白く浮き、リリィの手の白線が布の下で強まった。
井戸底の記録盤に触れた時と同じ、腹の奥を押されるような嫌な反応だった。
「ふたつ」
壁の欠けた翼の片側が、細く白く伸びた。
光は欠けた側へ向かって何度も揺れる。そこに足りないものを足そうとしているみたいだった。
リリィの肩が、小さく震えた。
「みっつ」
声が震えた。
壁の線が一瞬だけ強く光った。白い箱の中で、木札がかすかに跳ねる。記録係が息を飲む。砦番の顔が固まる。
代表の白い手袋が、リリィの手へ近づいた。
俺はその手首の前へ、自分の腕を入れた。
「触るな」
代表は止まった。
「支えようとしただけです」
「俺が支えてる」
「よく守りますね」
「おまえに言われると腹が立つ」
「そうですか」
代表は本当に残念そうに手を引いた。
「片側で、ここまで」
その言葉に、エイヴァの羽が逆立った。




