第14話-2◆記録廊
外郭から記録廊へ向かう道は、短い石の通路だった。左右の壁に古い線が刻まれている。ところどころ欠け、苔に埋もれ、その上から新しい木札が打ち付けられていた。
古いものを隠しているのではない。
古いものの上に、今の手順を貼っている。
それが余計に気持ち悪い。
記録廊へ向かう途中、砦の内側から聞き慣れた声がした。
「つまり、ぼくは通っていいが、見てはいけないということかな。なかなか複雑な歓迎だね」
兵の低い声がそれを押し返す。
バランだ。内側でも、順調に面倒を増やしているらしい。
リリィが少しだけ俺を見た。
「元気そうですね」
「あいつはだいたい元気だ」
「少し、すごいです」
「そこは覚えなくていい」
エイヴァが小さく「ちちっ」と鳴いた。今のは笑ったな。
リリィは俺の左後ろを歩く。歩幅は小さい。無理はしているが、崩れてはいない。エイヴァは肩で黙っている。普通の小鳥の顔だ。目だけは動いている。
記録廊の奥には、昼間の記録係がいた。
眠そうな顔ではない。むしろ、夜の方が仕事の顔になっている。机の上には木札、紙札、細い紐、白い塗りの小箱が並んでいた。
白い小箱。
俺たちが来ると、記録係は眉を寄せた。
「何だ」
「白線反応のあと、子供の具合が悪い」
「明朝確認する」
「倒れる前に見ろ」
リリィが少しだけ俺の袖を引いた。
「倒れてはいません」
「倒れる前だ」
「それ、便利に使ってませんか」
「使えるものは使う」
記録係はため息をついた。
「症状は」
「手が疼く。眠れない。壁の音に反応する」
リリィの顔が少し驚いた。
言っていないことまで言われた、という顔だ。
見ていればわかる。
リリィは自分の手を胸元に寄せた。
「……はい」
記録係は面倒そうに紙をめくった。だが、手元は早い。白線反応を扱ったことが何度もある動きだ。
「手順では、反応札を白札確認へ回す。本人確認は明朝。今夜は留め置き」
「その箱か」
俺は白い小箱を見る。
記録係は箱の蓋を押さえた。
「触るな」
「触らん。見る」
「見るものではない」
「子供を反応で書くなら、親でも連れでも見る権利はあるだろ」
「親なのか」
「連れだ」
「なら権利は薄い」
「薄いなら、足せ」
記録係が俺を見た。
「何を」
「本人がここにいる。本人に見せろ」
リリィが息を飲む。
記録係は困った顔をした。怒りではない。手順の外に出された時の顔だ。
「子供に見せるものではない」
「名前を消すものを、大人だけで見るな」
リリィが小さく言った。
「名前が、消えるんですか」
記録係は黙った。
その沈黙で十分だった。
エイヴァがリリィの肩で羽をふくらませる。だが、鳴かない。今は普通の小鳥を守っている。
記録係は渋々、箱の蓋を少しだけ開けた。
中には、細い木札が重ねられていた。ひとつひとつに名前はない。黒い点、白い線、短い記号。年齢らしい数字もない。ただ、反応の種類と、通した場所を示すような印だけが並んでいる。
リリィの顔が強張った。
「名前が、ないです」
「子供の名は巡礼団が持つ。砦では反応と数だけ扱う」
「扱うな」
俺が言うと、記録係は顔をしかめた。
「手順だ」
「その手順、何回言えば子供に聞こえなくなるんだ」
記録係は視線をそらした。
リリィは箱の中を見ていた。怖がっている。だが、目をそらさない。
「この子たちの名前、どこにありますか」
「だから、巡礼団が」
「砦には、ないんですか」
「砦には、ない」
「じゃあ、ここでは……この子たちは、誰でもないんですか」
記録廊が静かになった。
兵も、記録係も、答えなかった。
俺はリリィの肩に手を置いた。軽く。止めるためではなく、そこにいると伝えるためだ。
記録係は蓋を閉めようとした。
「リリィの札は入れるな」
「反応ありは白札確認へ回す」
「本人確認が済んでない」
「明朝する」
「なら、明朝まで札も置け。本人はここにいる。勝手に札だけ送るな」
「そんな規定はない」
「今作れ」
記録係が兵を見る。兵は見なかったふりをした。自分で決めたくないのだろう。だが、ここで無理に札を送って俺が暴れる方が面倒だとわかっている。
記録係は舌打ちしそうな顔をして、別の小皿にリリィの木札を置いた。
「一時保留だ。明朝まで」
「それでいい」
「よくない。手順が増えた」
「飯も増やせ」
「何の話だ」
「こっちの話だ」
リリィが一瞬だけ俺を見た。こんな時に何を言っているのか、という顔だ。だが、少しだけ息が抜けた。
エイヴァが「ぴ」と短く鳴いた。
机の端には、白い巡礼団の通行記録があった。大人四。荷車一。子供欄は空白。空白の横に、白い点が三つ。
点。
白い飴の包み紙にあった黒い点。宿場の軒下で見た、爪でこすった跡。白布の子供たちの静かな顔。
線がつながりそうで、まだ少し足りない。
「その点は何だ」
記録係は紙を裏返した。
「見るな」
「見えた」
ベルニーと同じことを言ってしまった。少し腹が立つ。
記録係が箱を持ち上げる。
「これは奥へ運ぶ。確認役へ渡す」
「どこだ」
「砦裏の荷捌き口だ。巡礼団の荷と一緒に、明朝の確認へ回す」
「なら、そこまで行く」
「行けるわけがない」
その時、廊下の奥から声がした。
「行かせてやればいいじゃないか」
バランの声だった。
兵が振り返る。記録係も顔をしかめる。
奥の通路から、バランが片手を上げて歩いてきた。通行札を首から下げている。堂々としたものだ。堂々としすぎていて、腹立たしい。
「君、内側に行ったんじゃないのか」
「行ったよ。とても丁重に止められた。丁重に止められるのは、雑に止められるより腹が立つね」
「楽しそうだな」
「少しね」
バランは記録係へ爽やかに笑った。
「ぼくは正規通行者だ。荷捌き口で巡礼団の通行確認を見る権利がある、とさっき説明された」
「そんな権利は」
「ないのかい? では、ぼくを止めた兵が嘘をついたことになるね。困ったな。誰に確認しようか」
記録係の額に皺が寄る。
こいつはこういう時だけ便利だ。自分の身分と顔と声を、遠慮なく使える。
ベルニーが入口側から姿を見せた。
「裏は兵二。荷がある。白布」
短い。
だが十分だ。
バランは軽く手を広げた。
「ほら、ぼくは内側へ。君たちは監視付きで荷捌き口へ。皆が手順を守れる。実に平和だ」
「おまえが言うと胡散臭い」
「そこが魅力だよ」
「欠点だ」
「紙一重さ」
記録係は深く息を吐いた。
「監視付きだ。荷には触れるな。白い箱にも触れるな。確認役に会おうとするな」
「注文が多いな」
「守れ」
「破ったら?」
リリィが俺を見る。
俺は口を閉じた。
バランが笑う。
「彼にそういう質問をすると、答えが物騒になるよ」
記録係は頭を抱えたくなる顔をした。




