第14話-1◆夜の留め置き
留め置き区画の夜は、柵よりはましで、牢よりは悪かった。
屋根はある。壁もある。風は少し防げる。だが、出入口には兵が立ち、こちらの都合では出られない。火鉢も一つだけで、近くにいた商人がずっと手をかざしているせいで、温かさは半分も回ってこなかった。
俺は壁を背にして座り、斧の柄に手を置いた。
右にリリィ。壁側だ。左に荷袋。足元に水袋。エイヴァはリリィの膝の上で丸くなっている。寝ているふりだが、片目だけ薄く開いていた。
外郭の石壁の向こうから、時々、低い音がした。
風ではない。水でもない。井戸底の反響ほど深くはないが、似ている。壁の奥で何かが遅れて返事をしているような音だ。
リリィは眠れていなかった。
布を巻いた手を胸元に抱え、目を閉じている。閉じているだけだ。まつ毛が何度も震えていた。
「眠れないか」
俺が訊くと、リリィは少し遅れて目を開けた。
「……起こしましたか」
「起きてた」
「グローさん、寝てないです」
「夜番だ」
「ずっと夜番です」
「交代相手が鳥しかいない」
エイヴァが膝の上で片目を開けた。
「失礼だねえ。アタシは見張りとしては優秀だよ」
「豆の気配でしか起きない見張りがあるか」
「豆も敵も、動けばわかる」
「一緒にするな」
リリィが少しだけ笑った。だが、その笑いはすぐに消えた。
俺は水袋を差し出す。
「飲め」
「さっき飲みました」
「眠れないなら、口だけでも動かせ」
「それ、理由になってますか」
「なってる」
「グローさんは、ときどき強引です」
「ときどきか」
リリィは水袋を受け取り、小さく一口飲んだ。飲んでから、また布を巻いた手を見る。
「名前を返してもらうまで呼ぶなって、どういうことなんでしょう」
その言葉は、留め置き区画の冷えた石に落ちた。
俺はすぐに答えられた。ろくでもない意味だ。だが、それをそのまま投げるほど、俺も雑ではない。たぶん。
「いい意味じゃない」
「そうですよね」
「名前は、預けるもんじゃない」
エイヴァが丸くなったまま言った。声はいつもより低い。
「呼ぶためのものだよ。誰かの手元に置いて、返してもらうまで待つようなものじゃない」
リリィはエイヴァを見下ろした。
「エイヴァ、知ってるの?」
「昔の嫌な手順に、似たものがあるだけさ。名前を伏せる。音を揃える。反応だけを残す。大人は便利だと思うんだろうねえ」
「どうして」
「責任を見なくて済むからだよ」
エイヴァは羽を整えるふりをした。だが、眠そうな羽先が少し震えている。
俺は壁の向こうを見た。
責任を見ないために、名前を消す。代わりに反応を書く。人数を空白にする。木札に印を押す。
ずいぶん器用な臆病だ。
留め置き場の入口で、ベルニーが動いた。
彼女は兵のそばに立っていた。通行許可のある者として外側にいるのに、わざわざ留め置き区画から離れていない。兵は何度か嫌そうに見たが、ベルニーは気にしていない。動かない者ほど、邪魔になることがある。
そのベルニーが、こちらへ短く目を向けた。
「動いた」
俺は立ち上がった。
「記録か」
「うん」
ベルニーは顎だけで、砦の奥を示した。
「係が札を持った。白い箱。巡礼列とは別」
エイヴァが目を細めた。
「夜に動く札なんて、ろくでもないねえ」
「追う」
俺が言うと、リリィがすぐに立ち上がろうとした。
「わたしも行きます」
「ここで待て」
「わたしの記録なら、わたしも見ます」
目がまっすぐだった。
疲れている。怖がっている。足も万全じゃない。それでも、自分のことを自分抜きで決められるのが嫌なのだろう。
その気持ちはわかる。
だが、わかることと行かせることは別だ。
「歩けるか」
「歩けます」
「足」
「少し痛いです」
「手」
「変な感じはします。でも、動きます」
「だいじょうぶか」
リリィは一度だけ口を結んだ。
「だいじょうぶじゃないかもしれません。でも、行きたいです」
いい返事ではない。
だが、悪い返事でもない。
「俺の左から離れるな。勝手に手を出すな。石にも札にも触るな」
「うん」
「エイヴァ」
「わかってるよ。普通の小鳥だろう」
「今回はちゃんとやれ」
「いつもちゃんとやってるだろう」
「途中からだ」
「細かいねえ」
エイヴァはリリィの肩へ跳ねた。跳ねたあと、少しよろける。リリィが慌てて手を添えた。
「だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。ちょっと足場が揺れただけさ」
「肩は動いてません」
「細かいねえ、君も」
親に似る、とは言うな。俺は親じゃない。
俺は出入口へ向かった。兵が槍を横にした。
「どこへ行く」
「記録係を呼べ」
「夜間の確認は明朝だ」
「白線反応の子供が具合を悪くした」
リリィが少しだけ俺を見た。
嘘ではない。石に触れてから、白線は疼いている。顔色も悪い。完全に倒れてから呼ぶよりは、よほどまともだ。
兵はリリィを見た。困った顔になる。
「倒れたのか」
「倒れる前に聞いてる」
「倒れては、ないです」
リリィが正直に言った。
「倒れる前だ」
俺が続けると、兵はさらに困った。
「夜間に動かす手順はない」
「白線反応の子供が倒れた時の手順はあるのか」
「……上へ確認する」
「その上に、今、札が行ったんだろ」
兵の顔が変わった。
当たりだ。
責任を取りたくない顔になる。門番も兵も役人も、こういう顔をよくする。自分で決めたくない。だが、何もしないで面倒が大きくなるのも嫌だ。
そこを押す。
「子供が倒れてから、おまえが説明するか。倒れる前に、記録係に見せるか。どっちが楽だ」
兵は唇を歪めた。
「脅しか」
「計算だ」
「似てる」
「よく言われる」
リリィが小さく袖を引いた。
「グローさん、よく言われるんですか」
「今はそこじゃない」
エイヴァが「ぴ」と鳴いた。笑うな。
兵は別の兵を呼び、短く相談した。やがて、嫌そうに槍を引く。
「監視付きだ。記録廊まで。勝手に動けば拘束する」
「それでいい」
「武器は」
「預けない」
「なら手を柄から離せ」
俺は斧の柄から手を離した。
離しただけだ。届く距離にはある。
兵はそれに気づいたが、何も言わなかった。言えば面倒が増えるとわかっている顔だ。




