第13話-4◆砦は覚えている
しばらくして、記録係が外郭留め置きへ来た。手には木札が三枚。俺、リリィ、エイヴァの分だろう。小鳥に札を作るなと言いたいが、言うと面倒が増える。
「確認待ちの札だ。明朝、白い札の者が来る。それまでここから出るな」
「白い札の者とは誰だ」
「上の確認役だ。巡礼団の通行と、白線反応の記録を扱う」
扱う。
その言葉が気に入らなかった。
「子供を物みたいに言うな」
記録係は一瞬、俺を見た。意味がわからない顔ではない。だが、仕事中に余計な意味を考えたくない顔だ。
「手順だ」
「便利な言葉だな」
「こちらも好きで面倒を増やしているわけではない」
「なら減らせ」
「できるならしている」
記録係はそう言って、木札を置いた。疲れた顔だった。敵の顔ではない。だが、敵の手順を運んでいる顔だ。
それが一番面倒だ。
記録係が去ると、留め置き場の奥にいた女が小さく笑った。笑ったというより、息が漏れた。
「手順、手順ってね。あの人たちは、そればかり」
リリィが女を見る。
「子供さんは」
言ってから、リリィははっとした顔をした。踏み込んでいい言葉ではなかったと思ったのだろう。
女は怒らなかった。ただ、空の毛布を見下ろす。
「先に通すって。巡礼の子たちと一緒なら安全だって。私は札の日付が違うから、あとで来いって」
リリィの指が膝の上で強く握られた。
俺は女に近づきすぎない距離で訊いた。
「いつだ」
「昨日の夕方」
「名前は」
女は口を開きかけて、止まった。
「……返してもらってから呼べって言われた」
リリィの息が止まる。
白布の子供が言っていた言葉と同じだ。名前はあとで返してもらう。泣くと響きが乱れる。
俺は奥歯を噛んだ。
ここで暴れても、子供は戻らない。リリィが危ない。外郭の出入口は一つ。兵は二人。正門側にさらに四人。壁の上に弓が一人。逃げるなら夜だが、リリィの足とエイヴァの体力では山道を下るのは厳しい。
だから今は、見る。
覚える。
面倒だが、それが一番早い。
リリィが小さく言った。
「グローさん」
「ああ」
「わたし、ちゃんと覚えます。あの人の子のことも。記録に書いてないところも」
「無理はするな」
「します」
「するなと言った」
「でも、忘れたら、もっといやです」
俺は少しだけ目を閉じた。
正しいことを、危ない形で言う。
「なら、俺も覚える。おまえ一人で持つな」
リリィは俺を見た。
「うん」
その返事は、少しだけ素の声だった。
夕方の風が、外郭の石壁を抜けた。壁の奥で、ほんのかすかに低い音がした。井戸底の反響より浅い。だが、似ている。リリィの手の布がわずかに白く滲む。
エイヴァが片目を開ける。
「やっぱり、壁も聞いているねえ」
「聞かせるな」
「向こうが勝手に耳を作ったんだよ」
ベルニーが入口からこちらを見た。聞こえたのか、エイヴァの不自然さに気づいたのかはわからない。ただ、短く言った。
「夜、記録が動く」
「見たのか」
「係が札を裏へ運ぶ。巡礼列とは別」
「白い札の者か」
「たぶん」
それだけ言って、ベルニーはまた外を見た。
リリィは座ったまま、背筋を伸ばした。疲れている。怖がっている。それでも目は伏せていない。
俺は荷袋から残り少ない豆を出し、リリィの手に置いた。
「食え」
「今?」
「今」
「こういう時も?」
「こういう時ほどだ」
リリィは豆を見て、少しだけ困ったように笑った。
「グローさんは、本当にいつもそれです」
「効くからな」
「じゃあ、食べます」
エイヴァがすぐ顔を上げた。
「アタシの分は?」
「起きたな」
「豆の気配はわかる」
「賢者じゃなくて鼠だな」
「小鳥だよ」
リリィが豆を一粒、エイヴァへ差し出した。エイヴァは偉そうに受け取り、くちばしで割ろうとして少し手間取った。
「硬いね」
「食う前に文句を言うな」
「食ってからも言うよ」
「知ってる」
リリィが笑った。小さな笑いだが、外郭の冷えた空気にはそれで十分だった。
その夜、俺たちは砦を通れなかった。
追い返されもしなかった。
外郭の石壁の内側で、白い札の者を待つことになった。
通行許可より、ずっと面倒なものを渡された気がした。通っていい、ではない。待て。測る。記録する。分ける。そういう手順の中に、リリィの名前が置かれた。
白い馬車の轍は消えた。
だが、消えた先にあったのは道ではなく、道を覚えている砦だった。
通った荷車。
消された人数。
返してもらうまで呼ぶなと言われた名前。
轍なら、雨で流れる。
だが、あいつらが石と紙に刻んだものは、逃げる子供の足よりもしつこく残る。
リリィは眠っていない。布を巻いた手を胸元に抱え、壁の音を聞かないように目を閉じている。
俺はその外側に座り、斧の柄から手を離さなかった。
明朝、白い札の者が来る。
そいつがリリィを名前ではなく反応として呼ぶなら、その呼び方から間違いだと教えてやる。




