第13話-3◆空の毛布
「ぴっ」
普通の小鳥のふりに戻るのが遅い。
記録係が木札を兵に渡した。
「この一行は外郭留め置き。上役確認待ちだ」
「通行拒否じゃないのか」
「拒否なら追い返す。追い返していい反応ではない」
「通す気もない」
「確認が済むまでだ」
「いつだ」
「白い札の者に回す。明朝になる」
白い札。
井戸の上で聞いた言葉が、腹の底に沈んだ。
リリィも気づいたらしい。俺の袖をつかむ指に力が入る。
記録係は俺たちの顔を見ず、木札に印を押した。仕事の顔だ。人ではなく欄を見ている。
「外郭留め置きへ。武器は預からない。ただし抜けば拘束する」
「抜く前に殴るのは」
リリィが俺を見た。
俺は口を閉じた。
記録係が嫌そうな顔をする。
「冗談に聞こえん」
「冗談じゃないからな」
「グローさん」
「……抜かない。殴らない。今は」
「今は、も小さい声でお願いします」
兵が困った顔をした。エイヴァが俺の腕で肩を震わせている。笑っている場合か。
その時、表道の方で人が少し割れた。
見なくても、だいたいわかる。あの妙に整った金具の音と、無駄に通る声は山道には向かない。向かないくせに、本人だけは似合っているつもりで歩いてくる。
バランだ。
予想より少し遅い。つまり、あいつも表で一度止められたか、止められた相手に余計なことを言ったかのどちらかだ。
「おやおや。山の砦にまで嫌われるとは、君もなかなか筋金入りだね」
「遅いな」
俺が言うと、バランは一瞬だけ目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。
「待っていたのかい?」
「来ると思っていただけだ」
「それを待っていたと言うんだよ」
「言わない」
後ろからベルニーが来る。表道を歩いてきたはずなのに、靴の泥は俺たちより少ない。腹が立つほど無駄がない。
「表も止まった」
ベルニーが短く言った。
「白い巡礼だけ早い」
それで十分だった。
兵がバランの登録証を確認し、顔を変えた。バランは通行札も持っている。こういうところだけ抜け目がない。
「バラン様は通行可能です」
「聞いたかい、グロー。様だそうだよ」
「耳が腐る」
「ひどいな」
ベルニーが記録台の横に立った。兵が警戒したが、ベルニーは手を出さない。ただ紙束を見る。視線だけが動く。
「白い札」
短く言った。
バランが笑顔のまま声を落とす。
「あるのかい」
「ある。昨日の通行。大人四。荷車一」
「子供は?」
ベルニーは記録台の端を指差した。
「別欄。空白」
俺はその言葉だけで十分だった。
空白。
記録盤の片方の輪も空白だった。あれと同じだと決めるには早い。だが、嫌な言葉は嫌な場所で重なる。
エイヴァが俺の腕で小さく鳴いた。普通の小鳥の声ではない。警戒だ。
記録係が紙束を閉じた。
「勝手に見るな」
ベルニーは表情を変えない。
「見えた」
「同じだろうが」
「違う。見せたのはそっち」
バランが両手を広げた。
「まあまあ。ぼくは通れるようだし、少し中を見て――」
「やめて」
ベルニーが即座に言った。
「まだ何もしていないよ」
「する顔」
「ぼくの顔はいつも輝いているだけだ」
「迷惑に」
リリィが小さく笑いかけて、すぐ口を押さえた。怖さの中に少しだけ空気が入る。助かる。腹は立つが、バランはこういう時に場をずらす。
バランは俺を見た。
「で、君たちは外郭留め置きか。追い返されるよりは内側に近いじゃないか」
「通れないのは同じだ」
「同じではないよ。砦が君たちを手放さなかったということだ」
「嬉しくない」
「だろうね」
バランの笑みが、ほんの少し薄くなった。ふざけているが、見ていないわけではない。リリィの手元にも、記録台にも、兵の距離にも気づいている。
ベルニーが短く言った。
「私は残る」
バランが目を丸くする。
「え、ぼくは?」
「通れるなら通って。中を見る。私は外を見る」
「それだと、ぼくが一人で主役みたいじゃないか」
「いつもそう言ってる」
「そうだけど、言われると少し寂しいね」
ベルニーは返事をしなかった。
兵が俺たちを促す。外郭留め置きは、砦の正門から少し外れた石壁の内側にあった。町の危険者待機柵よりはましだ。屋根がある。壁もある。だが、出入口には兵が立ち、内側から自由に出られる造りではない。
牢ではない。
牢ではないと言いたい場所だ。
中にはすでに何人かいた。通行税が足りない商人。札の日付が違う旅人。荷の中身を疑われた獣人。子供だけが先に通されたらしい女が一人、空の毛布を抱いて座っている。
リリィがその女を見た。
女は毛布を抱いたまま、何度も同じ場所を撫でていた。そこに子供の頭があった時の癖だけが残っているような手つきだった。
リリィの顔から色が引く。
俺はリリィを壁側に座らせた。自分はその外側に立つ。荷袋を足元へ置き、水袋を出す。
「飲め」
「グローさんは」
「先に飲め」
「……あとで飲んでください」
「わかった」
「本当に?」
「本当に」
リリィは疑う顔をした。少し前なら、俺の言葉をそのまま信じた。今は疑う。いい傾向だ。たぶん。
水を一口飲んだリリィは、布を巻いた手を見た。
「わたし、また記録されました」
「ああ」
「逃げた方がよかったですか」
「逃げたら、あの槍が動いた」
「じゃあ、触ってよかった?」
「よかったとは言わん」
リリィは少し俯く。
俺は言葉を探した。こういう時の言葉は、いつも足元が悪い。
「悪かったのは、おまえじゃない」
リリィが顔を上げる。
「でも、反応したのはわたしです」
「石や壁が勝手に拾った。おまえが頼んだわけじゃない」
「でも、向こうは使う」
「ああ」
嘘はつけない。
リリィの手が膝の上で握られる。怖さと怒りが混じった顔だった。泣きそうではある。だが、泣くより先に見ようとしている。
「なら、わたしも見ます」
「今は座れ」
「見ます」
「座って見ろ」
リリィは少しだけ目を丸くした。それから、こくりと頷いた。
「それなら、できます」
「いい返事だ」
「今のは、ほめました?」
「今のはほめた」
リリィはまた固まった。疲れているのに、頬が少しだけ赤くなる。
エイヴァがリリィの肩から降り、毛布の端に丸くなった。
「まったく、こういう時に直球を投げるから、この子が止まるんだよ」
「止まってる方が休める」
「乱暴な休ませ方だねえ」
「寝ろ。おまえも羽がしぼんでる」
「誰のせいだと思ってる」
「白い札の者」
「そういう返しだけ早いね」
エイヴァは文句を言いながらも目を細めた。完全には寝ない。片目だけ薄く開けて、出入口と記録係の行き来を見ている。
ベルニーが外郭の入口近くに立っていた。兵には通行許可のある者として扱われているが、動かない。バランは正門の方へ行ったらしい。あいつなら、目立つ。目立てば、誰かが何かを隠す。その時、ベルニーが見る。
いい連携だ。
認めるのは腹が立つので、口には出さない。




