第13話-2◆白線反応
リリィは布を巻いた手を押さえている。白い線が疼いたのかもしれない。
俺は一歩前へ出た。リリィと石柱の間に体を置く。エイヴァは普通の小鳥の顔を作った。今さらだが、敵前では便利な顔だ。
「列に並ぶのかい」
「様子を見る」
「その顔で様子見は難しいねえ」
「顔は置いてこられん」
「残念だ」
「鳥が一番失礼だな」
砦前の列は三つに分かれていた。旅人、商人、巡礼。巡礼の列だけ、やけに進みが早い。荷の中身を見せる時間も短い。白い布を巻いた代表者が札を出し、記録係がそれに印を押す。子供の姿もあるが、深い頭巾で耳や顔はよく見えない。
表道側には、見覚えのある靴跡がいくつかあった。
深く踏まない。泥を避ける。見栄えを気にしているくせに、足運びだけは妙に軽い。バランのものだ。
その横に、もっと細い跡がある。迷いがない。ベルニーだ。
「先に着いてるか」
「いないみたいです」
リリィが列の先を見て言った。
「あいつが先に着いていたら、もっと騒がしい」
「それ、少しわかります」
「覚えなくていい」
つまり、表道でも何かあった。あいつらがまだここにいないなら、通れたか、別の列で止められているか。どちらにしても、こちらの問題は消えない。
俺は巡礼列から目を離さずに、旅人の列へ回った。
すぐに兵の一人がこちらを見た。目が止まる。豚鼻顔、牙、斧、鎖帷子。見慣れた順番で警戒が組み上がっていく。
「止まれ」
「止まってる」
「登録証と通行札」
「通行札はない。登録証はある」
俺は冒険者登録証を出した。兵は受け取ったが、俺の顔から目を離さない。隣にいた記録係が札を覗き込み、眉を寄せた。
「グロー。冒険者登録あり。三差路の町で赤札……危険値九十八」
周囲の空気が少し固くなる。
またか。
数字は足が速い。俺より先に山を越えている。
リリィが俺の外套の端をつかみかけ、途中で止めた。止めたことは褒めていい。つかみたい顔をしているのは、見なかったことにする。
兵が槍の柄を握った。
「危険値九十八の者は、正規通行不可だ。保証人か上役の確認がいる」
「保証人はいない」
「なら通せん」
「追い返すのか」
「それもこちらで決める」
面倒な言い方だ。追い返すでも通すでもなく、こっちを手続きの上に置きたい顔だ。
記録係の目がリリィに移った。
「その子は?」
「連れだ」
「登録は」
「冒険者登録あり。獣魔も登録している」
俺が言うと、リリィは小さく頷いた。エイヴァはリリィの肩で「ぴ」と鳴く。普通の小鳥としては上出来だ。中身を知っていると腹立たしい。
記録係はリリィを見た。長い耳、薄い外套、疲れた靴。俺を見る時とは違う目になった。警戒ではなく、分類する目だ。
「子供は別だ。危険値が低いなら、保護巡礼扱いで先に通せる」
リリィの指が、外套の端を握った。
俺は一拍置いた。怒鳴るより先に、周囲を見る。兵の数、槍の向き、逃げ道、リリィの位置。巡礼列の白い布。記録台の上の札。
「通さない」
俺は短く言った。
記録係が顔を上げる。
「まだ説明の途中だ」
「聞く必要がない」
「子供を危険値九十八の者と一緒に留める方が問題だ」
「その言い方で連れていった子供は、何人いる」
記録係の表情がほんの少し止まった。兵の槍がわずかに上がる。
リリィが前に出かけたので、俺は手で止めた。強くはない。袖を軽く押さえるだけだ。
リリィは俺を見上げた。
「グローさん」
「ああ」
「わたしだけは、いやです」
声は小さかった。けれど、周りに聞こえるだけの強さはあった。
記録係がリリィを見る。兵も見る。巡礼列の白い布の何人かも、こちらへ顔を向けた。
リリィの肩が少し震える。
俺は低く言った。
「言えたなら上出来だ」
リリィは一瞬だけ目を丸くした。怖がっていた顔に、少しだけ別の色が混じる。認められた時の、固まる癖だ。
エイヴァが小さく「ちちっ」と鳴いた。笑うな。いや、少しならいい。
記録係は咳払いした。
「では、確認を取る。子供の手を記録台へ」
「触らせない」
「手順だ。危険値を測る石とは違う。通行記録に反応が残るか見るだけだ」
「余計悪い」
兵が一歩寄った。
「拒めば、砦前での不審行動として拘束する」
俺は兵の足を見た。踏み込みが浅い。怖がっている。だが、怖がっている兵ほど槍を突き出すのが早い。ここで力を見せれば、リリィも巻き込まれる。
リリィが俺の袖を引いた。
「グローさん。わたし、触ります」
「だめだ」
「でも、拒んだら捕まるんですよね」
「捕まる前にどうにかする」
「それは、たぶん、砦が壊れます」
「少しだ」
「少しでもだめです」
真面目な顔で言うな。
リリィは布を巻いた手を見た。怖い顔だ。だが、逃げる顔ではない。
「見ていてくれますか」
「ああ」
「だいじょうぶじゃなかったら、言います」
「先に言え」
「先に?」
「嫌なら、触る前に言え」
リリィは少しだけ考えて、首を横に振った。
「嫌です。でも、見たいです」
面倒だな。
正しいことを、危ない形で言う。子供はいつもそれをする。
俺は記録台を見た。大人の腰ほどの高さの石板だ。三差路の町の測り石ほど大きくはない。表面には黒い線が走り、その間に古い傷のような白い溝がある。文字ではない。絵でもない。通ったものをどこかへ引っかける罠に見えた。
「片手だけだ。布は外さない。何か起きたらすぐ離す」
記録係が渋い顔をした。
「本来は素手だ」
「なら本来じゃなくていい」
「規則が」
「子供が倒れたら、おまえが持つのか」
記録係は黙った。
持てるわけがない。責任も、体も。
俺はリリィの横に立った。リリィが布を巻いた手をそっと記録台に近づける。触れる寸前、エイヴァがリリィの肩から跳ね、俺の腕に移った。
「何かあれば、手を弾くよ」
「できるのか」
「くちばしはある」
「頼りないな」
「ないよりましだろう」
リリィの指先が、布越しに石へ触れた。
音はなかった。
だが、空気が遅れた。
井戸底で聞いた、あの嫌な遅れ。声でも鐘でもない。胸の奥で水が揺れるような感じ。
布の下で、リリィの白い線が細く強まった。光った、というより、石に引き写されたように見えた。
石板の溝が、それを待っていたみたいに淡く灯る。
リリィの肩が、小さく跳ねた。
俺は反射で手を伸ばしかけ、止めた。ここで乱せば、石より先に兵が動く。
だから、見る。
覚える。
あとで壊すなら、どこから壊せばいいかまで。
記録係が息を止めた。
「白線反応……」
兵の一人が、手元の木札を落としかける。
記録係はすぐに炭筆を取った。手順に慣れている。意味を知っている顔ではない。知らないが、書くべき欄だけは知っている顔だ。
「耳長の子供。白線反応あり。連れは赤札、危険値九十八。再確認」
俺はリリィの手を取って石から離した。
リリィの膝が少し抜ける。俺は肩を支えた。
「言え」
「……いやな感じ、しました」
「遅い」
「ごめんなさい」
「謝るところじゃない」
リリィは俺の腕をつかみながら、浅く息をした。布の下の白線は、また薄くなっていく。だが消えない。
エイヴァが羽をふくらませた。
「この砦、壁が長い測り石みたいなものだねえ。通るだけで拾う気だ」
「ここで言うな」




