第13話-1◆生きている廃墟
井戸底から抜けたあと、俺たちは一度だけバランたちと道を分けた。
仲良く別れたわけじゃない。あいつは正規の通行札を持っている。なら、表道から堂々と砦へ向かった方がいい。目立つやつは、目立つ場所を歩かせた方が役に立つ。
俺たちは逆だ。
リリィの手には、まだ白い線が薄く残っている。エイヴァも生活魔法を使ったあとで羽がしぼんでいた。白い札の者を呼べ、という声が上がった場所から、そのまま人目の多い道を歩く気にはなれない。
移動市の外れ、山道へ続く分かれ目で、ベルニーが短く言った。
「表は混む。脇は足に来る」
「どっちが早い」
「表。止められなければ」
つまり、止められるなら同じだ。
バランはそこで、腹立つほど爽やかに笑った。
「では競争だね。ぼくが先に砦で待っていてあげよう」
「待つな。邪魔だ」
「照れなくていい」
「照れてない」
「そういう顔だよ」
「どういう顔だ」
「ぼくに先を越されるのが悔しい顔さ」
「疲れてる子供の足を見る顔だ」
俺がそう返すと、バランは少しだけ黙った。
ベルニーがリリィの靴を見た。
「脇道は石が多い。布、ずれる」
「ああ」
「途中で直して」
「言われなくてもやる」
「ならいい」
それきり、バランたちは表道へ出た。
俺たちは脇の山道を選んだ。リリィの足には悪い。だが、白い布を巻いた連中と同じ列を歩くよりはましだった。
その夜は山裾の灌木の陰で短く休み、夜明け前にまた登り始めた。
山道に入ってから、リリィの足音が少し変わった。
最初は靴底が石を踏む軽い音だった。途中から、かかとが遅れてついてくる音になった。本人は黙っている。黙っている時ほど、だいたい悪い。
「止まるぞ」
「だいじょうぶです」
「聞いてない」
俺は道の端に膝をつき、リリィの足元を見る。中古の靴はまだ形を保っているが、中に噛ませた布がずれていた。山道の石畳は、町道よりずっと性格が悪い。古い石の角が残っていて、柔らかい足を狙うように当たる。
リリィは少しだけ口を尖らせた。
「まだ歩けます」
「歩けるうちに直す」
「止まったら、遅れます」
「足を潰したら、もっと遅れる」
俺が布を引き出して折り直すと、リリィは黙った。言い返したいが、言い返す材料がない顔だ。
肩の上で、エイヴァが白い羽をふくらませた。
「グローの言うことにしては、まともだねえ」
「俺の言うことはだいたいまともだ」
「だいたい、という言葉を覚えたのは進歩だよ」
「鳥に褒められても嬉しくない」
「小鳥前の礼くらい寄こしな」
「さっき豆をやった」
「あれは豆粒だろう」
「小鳥だろう」
エイヴァは不満そうにくちばしを鳴らした。リリィが少し笑ったので、豆粒の価値はあったらしい。
靴の中の布を直し、紐を結び直す。ついでにリリィの手を見る。井戸底の記録盤に触れたあと、薄く残った白い線は布で隠してある。エイヴァの生活魔法で散らしたとはいえ、完全に消えてはいない。
傷ではない。
だから余計に面倒だ。
「手は」
「痛くないです」
「痛いかどうかだけ聞いてない」
リリィは布の巻かれた手を胸元に引いた。
「……少し、変な感じはします。でも、さっきより静かです」
「ざわついたら言え」
「うん」
返事が素直になった。疲れている証拠でもある。
俺は荷袋を背負い直し、道の先を見た。山道は細く曲がり、古い石畳がところどころ途切れている。土の上には荷車の跡があった。片輪だけが深く沈んだ、見覚えのある癖。
白い馬車と同じだ。
だが、その轍は石畳に乗ったところで急に薄くなり、十歩も先で消えていた。馬車が空へ飛んだわけじゃない。ここから先は、跡が残らないように作られているだけだ。
俺は指で石の表面を撫でた。砂が少ない。車輪の鉄が削った細い跡だけが、古い線の上に重なっている。
「ここからは追えない」
リリィが息を飲んだ。
「消えたんですか」
「消したんだ。消せる道に入った」
「道が、味方してるってこと?」
「いい言い方じゃないが、近い」
エイヴァが眠そうな目を開ける。
「馬車じゃなくて、馬車を通した場所を見る段階だね」
「おまえ、もっと早く言え」
「アタシは今、体の半分が眠気でできているんだよ。働かせすぎだ」
「豆を増やす」
「なら働こう」
「安い賢者だな」
リリィがまた小さく笑う。笑ったあと、山の上を見た。
木々の切れ間に、砦が見えた。
壁は半分崩れていた。石の角は風に削られ、上部の見張り台には穴が開いている。遠目には廃墟に近い。だが、煙が上がっている。門の前には人影が並び、荷車が止まり、槍の穂先が鈍く光っていた。
生きている廃墟だ。
嫌なものほど、しぶとい。
「山上の検問砦」
リリィが小さく言った。
「あそこに、記録があるんですよね」
「あるかもしれん」
「白い巡礼団の」
「まだ断定するな」
「うん。……でも、見る」
声は弱くない。ただ、足は弱っている。
俺はリリィの歩幅に合わせて歩き出した。道の外側に俺が立つ。崖とまではいかないが、滑れば足首をやる斜面だ。リリィは気づいたのか、何も言わず少し内側へ寄った。
砦に近づくにつれ、人の声が増えた。
商人が通行税のことで揉めている。荷車の御者が車軸を叩いている。巡礼者らしい白い布を巻いた連中が、低い声で祈りの文句を唱えている。兵は多くない。だが、少ない兵の動きが妙に揃っていた。
古い砦にしては、手順だけが新しい。
門の前には、黒ずんだ石の柱が二本立っていた。片方は割れている。もう片方には、薄く線が刻まれていた。鳥の羽にも、欠けた輪にも見える。三差路の町でリリィが石板に出した紋様と、同じではない。だが、嫌なほど近い。
リリィの足が止まった。
「グローさん」
「ああ。見えた」




