第12話-3◆崩れた道
「エイヴァは」
「いるよ! 羽がもうほぼ飾りだけどね!」
「飾りなら黙ってろ」
「飾りにも口はあるんだよ!」
俺はバランを先に押し込んだ。
「おっと、ぼくを押すとは」
「詰まるな」
「詰まらないさ。少し優雅さに欠けるだけで――」
「詰まってる」
ベルニーの声が向こうからした。
バランが黙った。
俺はバランの背中を片手で押す。
「息を吐け」
「これはなかなか屈辱的な助言だね」
「吐け」
「吐いた!」
バランの体が抜けた。
俺も続く。
肩が石に擦れる。右耳の欠けたあたりに冷たい石粉が落ちた。腹がつかえるほどではないが、斧が引っかかった。舌打ちを飲み込む。斧を少しずらし、体を斜めにする。
背後で通路が崩れた。
石の粉が背中を押す。
「グローさん!」
「出る」
最後は格好悪く転がり出た。
井戸底の石の上に肩から落ちる。リリィが駆け寄りかけたので、手で止めた。
「下がれ。まだ来る」
次の瞬間、横穴の奥が白く光り、低い音を立てて潰れた。
白い布の扉も、低い通路も、記録盤の小部屋も、石の向こうでまとめて沈む。完全に崩れたわけではない。だが、もう同じ道では戻れない。
井戸底に、しばらく石粉だけが舞った。
誰も喋らない。
喋れば、井戸が遅れて返す。
そのことを思い出しているのか、それとも単に息が切れているのか。
最初に動いたのはリリィだった。
彼女は俺のそばに膝をつき、布で包まれた手を差し出した。
「グローさん、手」
「俺より自分だ」
「グローさんの手、切れてます」
見れば、掌に石で切った細い傷があった。大したことはない。だが、リリィの顔は真剣だ。
「布を出します」
「おまえの手を先に見る」
「わたしの手は、冷たいだけです」
「冷たいだけで済むかは、見てからだ」
「……じゃあ、両方」
「欲張るな」
「だめですか」
「だめではない」
リリィが少しだけ笑った。
こういう時に笑うのはずるい。
俺は仕方なく、リリィの手を見た。白線は薄い。完全には消えていないが、動きはない。熱もない。冷たいだけだ。
「痛いか」
「痛くないです」
「嫌な感じは」
「まだ少し。呼ばれてる感じは、もう弱いです」
「よし」
「また、よし」
「隠さなかったからな」
「便利です」
「使えるものは使う」
リリィは今度こそ少し笑った。
エイヴァはリリィの肩でぐったりしている。
「エイヴァ」
「……聞こえてるよ」
「寝るな」
「年寄りは休むものだよ」
「小鳥は落ちる」
「どっちにしても扱いが悪いねえ」
俺は水袋を出し、リリィに渡す。
「先に飲め」
「エイヴァは?」
「くちばしを湿らせろ」
「アタシは豆も欲しい」
「強欲な鳥だ」
「生きてる証拠さ」
エイヴァの返しが弱い。だが、返せるならまだいい。
バランは井戸底の端に座り込み、息を整えていた。鎧に石粉がつき、金髪も少しくすんでいる。いつもの派手な姿より、ずっとまともな冒険者に見えた。
「いやあ、見事な崩落だったね。できれば観客席から見たかった」
「二度目はない」
「同感だ」
ベルニーは井戸の上を見ている。
「上に人が来る」
俺は立ち上がった。
井戸の上から、かすかに声がする。市の騒ぎとは違う。慌てた足音。誰かが縄の外で叫んでいる。
「古井戸が鳴ったぞ!」
「白い札の者を呼べ!」
「中に誰かいるのか!」
白い札の者。
やはり、上にも繋がっている。
「出るぞ」
俺はリリィを立たせる。
「歩けるか」
「歩けます」
「走るな。井戸を上がる時に走るやつはいないが」
「走りません」
「ならいい」
バランが立ち上がった。
「上で囲まれていたら?」
「俺が前」
「ぼくが目立つ」
「余計なことをするな」
「いや、これは必要なことだろう。ぼくが派手に出れば、君とリリィは少し遅れて出られる」
バランは笑った。
鬱陶しい笑みだ。だが、さっきより少し違う。見栄だけではない。
「競争相手を逃がすのか」
「逃がすんじゃない。先に行かせるだけだ。最後に追い抜くためにね」
「面倒な理屈だな」
「君ほどじゃない」
ベルニーが短く言った。
「早く」
俺たちは井戸を上がった。
上に出ると、移動市の奥は騒ぎになっていた。白い旗が揺れ、人が集まっている。古井戸を囲む二重縄の外に、市の者、野次馬、白い布をつけた男が二人。まだ本隊ではない。だが、こちらを見る目が普通の野次馬ではなかった。
バランが先に縁へ立つ。
石粉まみれのくせに、なぜか笑顔だけは明るい。
「いやあ、失礼! 古井戸の底を確認していたら、少々古い石が機嫌を損ねたようだ!」
声が大きい。
だが、今は役に立つ。
人の視線がバランへ集まる。白い布の男たちも、まずバランを見る。俺はその間にリリィを井戸の陰へ寄せた。エイヴァは普通の小鳥のふりをする気力もないのか、リリィの肩で丸い飾りみたいに動かない。
ベルニーが俺の横へ来た。
「こっち」
短く言い、縄の外側の荷箱の影を指す。
俺たちは移動市の奥を抜けた。背後でバランの明るい声がまだ響いている。
「もちろん危険はなかったとも! ぼくがいたからね!」
「危険しかなかっただろ」
小声で言うと、リリィが口元を押さえた。
笑うな。いや、笑えるならいい。
荷箱の陰を抜け、市の外れへ出る。そこには古い荷車があり、片輪が外されている。隠れるには悪くない。ベルニーが周囲を見て、やっと弓を下げた。
少し遅れて、バランが来た。




