第11話-3◆戻ってきた
俺は縄を引き寄せる。
「戻れ」
「でも、扉が」
「戻れ」
「グローさん、開きます!」
石扉の奥から、ゆっくり何かが動く音がした。
ごり、と古い石が擦れる。
横穴の空気が変わった。奥から冷たい風が流れてくる。薬草と石と、白い飴に似た冷たい匂い。
リリィが咳き込んだ。
俺は縄を二回引いた。
「戻れ」
「うん!」
今度は返事が早かった。いい返事だ。
リリィの体が横穴の中を戻ってくる。だが、石がまた鳴った。入口の上が沈む。俺は肩を入れて支えた。
バランも押す。
「これはなかなか重いね」
「黙れ」
「すまない」
ベルニーがもう一本矢を番えた。
「左下。木の楔」
「切れるか」
「切る」
矢が飛んだ。
乾いた音。楔が割れ、沈みかけていた石の重さが少し逃げる。横穴の入口がわずかに広がった。
「リリィ、足」
「引っかかりました」
「靴を捨てろ」
「いやです!」
「今それか」
「グローさんが直してくれた靴です!」
一瞬、言葉に詰まった。
面倒だ。
本当に面倒だ。
「なら、かかとを下げろ。紐を緩めるな。右足を先に抜け」
「右……こっち?」
「そっちは左だ」
「ごめんなさい!」
「謝るな。足を動かせ」
リリィの靴先が見えた。
次に膝。細い手。石の粉で白くなった顔。
俺は縄を捨て、腕を伸ばした。届く。ぎりぎりだ。
「手」
リリィが手を伸ばす。
小さい手だ。
俺はその手首ではなく、袖の上から前腕をつかんだ。強く握りすぎない。だが、離さない。
「息を吐け」
「ふっ……」
「もう一つ」
「う、ん……!」
引き出す。
リリィの体が横穴から抜けた瞬間、奥の石がどすんと落ちた。
井戸の底で音が跳ねる。
どすん。
――どすん。
――どすん。
リリィは俺の胸にぶつかり、そのまま座り込んだ。肩で息をしている。顔は白い。手も冷たい。だが、指はちゃんと動いていた。
「怪我は」
「……膝、少し」
「手は」
「冷たいです」
「痛いか」
「痛いより、変です」
俺は水袋を取って、リリィに渡した。
「飲め」
「でも、水が」
「飲め」
「……うん」
リリィは両手で水袋を持った。指が少し震えている。うまく飲めず、水が口元から少しこぼれた。
俺は布で拭いた。
「ごめんなさい」
「水はまだある」
「少ししかないです」
「少しある」
リリィは水袋を抱えたまま、目を伏せた。
「わたし、怖かったです」
「ああ」
「手、離したかった」
「ああ」
「でも、離したら開かないって思って……でも、怖くて」
言葉が途中で詰まる。
俺はリリィの手を見る。指先に、白い線がうっすら残っていた。傷ではない。光でもない。測り石の時の白い紋様を、指に細く移したようなものだ。
すぐ薄くなっていく。
消える。たぶん。
俺はリリィの手を布で包んだ。
「それでも手を離さなかった」
リリィが顔を上げた。
「……それ、いいことですか」
「勝手に触ったのは悪い」
「はい」
「怖いと言ったのはいい」
「はい」
「手を離さなかったのも、今はいい」
「今は?」
「次は先に言え」
リリィは少しだけ目を丸くしたあと、小さく笑った。
「はい」
「返事だけいいな」
「今は、返事しかできません」
「なら寝るな。まだここは穴の底だ」
「はい」
エイヴァがリリィの肩に降りようとして、途中で落ちかけた。俺は手を出す。白い小鳥は俺の手の甲に乗り、悔しそうに羽を整えた。
「……着地を少し間違えただけだよ」
「今日は二回目だ」
「数えない」
「鳥は寝ろ」
「ここで寝たら置いていかれるだろう」
「置いていかん」
俺が言うと、エイヴァは一瞬だけ黙った。
それから、ふいと顔を背ける。
「なら、少しだけ目を細めている」
「それを寝ると言う」
「年寄りの休憩だよ」
リリィがくすっと笑った。
ベルニーが、リリィの抜けてきた横穴の奥を見ていた。
「開いてる」
その一言で、俺たちは顔を上げた。




